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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
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狼少女と秋の空 雪のち雨



 一夜明け、早朝から二台の馬車を走らせ街道を南下した一行であったが、正午にさしかかろうかという辺りで足止めを余儀なくされていた。ここひと月ほどのあいだ酷使されつづけた荷馬車の車軸(しゃじく)が折れてしまったのだ。


「きれいに真っ二つだな……」


「修理できそうですか?」


「やるだけやってはみるけど……これはちょっと難しいな。あんまり期待はしないでくれ」


 大陸に張り巡らされた街道は、都市部周辺でこそ定期的に整備されているものの、国境付近ではひどく荒れていることが多い。ロマリア南部の街道も同様で、敷石が割れていたり剥がれていたりと状態がすこぶる悪い。当然、馬車を走らせれば揺れも大きく、折れた車軸を補強したところで、すぐにまた使い物にならなくなるだろう。最悪、馬車を捨て、積み荷を馬に移しかえることも可能だが、その場合は多くの荷物を諦めなければならない。


「まだ時間は早いですけど、今日はここで野営の準備をしたほうが良いかもしれませんね」


 地図を開いたフレインが現在地を確認しながら提案する。


「ここからなら明日の朝出発すれば、日暮れ前にはキロスという村に入れるはずです」


「……そうだな」


 この地方は北方のレギウスと比べれば日照時間も長い。しかし冬を間近に控えたこの季節は、やはり日暮れも早くなる。秋の日は釣瓶(つるべ)落とし、という(ことわざ)は南国であっても的を得た表現であった。

 うっすらと降り積もった足許の雪を払い、シグナムはため息混じりに空を見上げた。


「なあ、アルフラちゃん」


 馬車の扉から車内をのぞき込み、心の原風景に見とれていたらしい少女に声をかける。


「この寒さ、どうにかならないか? これじゃ手がかじかんで作業にならないよ」


 すこしぼんやりした様子のアルフラが、緩慢(かんまん)な動作でシグナムに顔を向ける。ここ最近ではめずらしく、険の抜けた素の表情で見つめられ、なんとなくたじろいでしまったシグナムは決まり悪げに視線を外した。


「……せめて雪だけでもやませてくれないかな」


 アルフラは意味がわからない、というように数度まばたきをして首を振った。


「べつに、あたしが降らせてるわけじゃない」


「――え!? そうなのか?」


 よほど驚いたらしく、シグナムの声はお昼寝中のルゥを起こしてしまうほどの大きさだった。


「いや、でも……この辺りは普段、雪なんて絶対に降らないはずなんだ。アルフラちゃんが原因だとしか思えないんだけど……」


「もしかすると、意識せずにそれを行っているのではないでしょうか」


 フレインがアルフラに尋ねる。


「雪はお好きですよね?」


 なにをあたり前なことを、という顔で首肯(しゅこう)が返される。

 アルフラにとって雪とはある意味、白蓮の象徴なのだ。心の原風景の中でも、白蓮は舞い散る雪を背景にアルフラを見下ろしていた。好きでないわけがない。


「おそらく、アルフラさんは無意識のうちに周囲の環境を、ご自分の望むように変えているのではないかと思います」


「雪はボクもすきだよー。のどがかわいたら食べれるし」


 寝起きのルゥが、ジャンヌのふとももを枕にころころしながら挙手をした。神官娘の膝枕は、狼少女のお昼寝(どき)の定位置なのだ。道が悪いとひどく揺れる馬車の中も、そこだけは柔らかくあまり揺れない。――お昼寝の最中、ジャンヌがかかとを浮かせて極力(きょくりょく)揺れを防いでいることをルゥは知らない。


「ルゥさんはともかく、馬はそこまで寒さに強い動物ではありません。気温が低いと体力の消耗も早くなりますし、街道の状態が雪で隠れていると(ひずめ)(いた)める原因にもなります」


「たしかにな。敷石が割れてたり見えない窪みなんかを踏んでも大丈夫なように、最近は遅めの並足で走らせてるんだ」


 同意を示したシグナムにひとつうなずき、フレインはこう話をつづけた。


「雪がやんで寒さもやわらげば馬車での移動も(はかど)ります。結果的にアルフラさんの望みも早く叶いますよ」


「寒くないほうが、白蓮と早く会えるってこと?」


「ええ、そのほうが白蓮様もお喜びになられるでしょうし、アルフラさんも嬉しいのでは?」


「……うん」


「ではためしに、雪がやんで暖かくなるといいな、と心の中で思ってみませんか。ただそう望むだけで、白蓮様との再会が早まるかもしれませんよ」


 思案顔でこくりとうなずいたアルフラを見て、シグナムが口の(うま)いやつだな、といった目をフレインに向けた。



 それからわずか半刻(はんこく)(約十五分)と()たず、降雪は雨へと変わった。





 しばしの雨宿りのあと、晴れ間が見える頃合(ころあ)いを待ち、シグナムは車軸の修理に取りかかった。もしもそれが上手くいかなかった場合に備え、フレインは荷の整理を行っている。ジャンヌは車内でなにやら書き物をしており、ひまを持て余した狼少女の目は、自然とアルフラへ向けられた。


「……ねぇ」


 とことことそちらに走り寄ったルゥは、不可解そうに空をにらむアルフラにお気に入りの棒をさしだす。


「これ、なげて」


 アルフラはちらりとだけ狼少女に視線をよこし、無言で馬車の方へと歩きだした。


「まってよ、アルフラぁ」


 ささっと正面にまわりこみ、ルゥはやや遠慮がちな上目づかいで不満の声をあげた。


「たまにはあそぼうよ。さいきんぜんぜんしゃべってくれないし……」


 ちょろちょろとまとわりついてくる狼少女に、うんざり顔のアルフラは冷たい視線を返すばかり。――ふと、なにを思ったのか、その口許が(あざけ)るようにゆがめられた。そこはかとなく不穏なものを感じとり、ルゥはじりっと一歩後ずさった。握った棒にアルフラの手が伸びる。反射的に大事な宝物を守ろうと身を引くが、伸ばされた手はそれよりも速かった。


「――あっ!? かえして、かえして!」


 あっさりと棒を奪い取ったアルフラに、狼少女はあわてた様子で飛びかかる。


「なげてほしいのでしょ、これ」


 アルフラは身をかわしざま、ルゥの足をしたたかに払った。ぬかるんだ地面にべちゃりと倒れた狼少女を見下ろして、棒を握った右手を大きく振りかぶる。


「まって! やめて! ボクのだいじな――」


 風を切るすさまじい音を放ち、ルゥの宝物が(とう)じられた。雑木林の高い木々の頭上を越え、棒は二人の視界から消え去ってしまった。

 ぬれた地面に座りこんだまま、ルゥは茫然と木立の向こうを見やる。くすくすと意地悪げな笑い声が響いた。


「はやく探しにゆけば? あんなちいさな棒きれを林の中から見つけられるのならね」


 じわりと大粒の涙を浮かせた目が、アルフラをにらむ。


「なんで……こんなこと、するの……?」


 立ち上がった狼少女は大切な宝物を探すため、雑木林へと駆けだした。


「アルフラのばか――!!」



 二人の声を聞きつけて様子をうかがっていた神官娘が、走り去るルゥの背を心配そうに見送っていた。





 西の空が茜色に染まり始めたころ、狼少女が泣きながら帰ってきた。ぽろぽろと涙をしたたらせるその顔は泥だらけだった。


「――ルゥ」


 ジャンヌに飛びつくように抱きついたルゥが、わんわんと泣き声をあげる。とうぜん神官娘の祭服(さいふく)も泥で汚れてしまうが、それを(とが)めることなく優しげな声が尋ねる。


「もしかして、見つからなかったのですか?」


「み、みつから……うああぁぁ――ん」


 ジャンヌからあらかたのなりゆきを聞いていたシグナムが寄ってきて、ルゥの頭に暖かな手を置く。くしゃくしゃになった髪を手櫛(てぐし)で整えつつ、苦みを含んだ声が告げる。


「アルフラちゃんは変わっちまったんだよ。もう以前とは違う。だから――」


「アルフラはアルフラだよ! ボクのこと一番の友達ってゆってたもん!!」


 ぺちりとシグナムの手をはたき、ふたたび雑木林へ走って行こうとしたルゥを神官娘が抱きとめる。


「わたしも一緒に行きます。ふたりで探したほうがきっと早く見つかりますわ」


 泣き濡れた目で、狼少女はジャンヌを見上げる。いつになく優しい笑顔にほだされて、ルゥの顔にもささやかな笑みが戻ってきた。


「さあ、行きましょう。ぐずぐずしていると暗くなってしまいますわ」


「うんっ!」


 元気よくうなずいたルゥはジャンヌと連れだち、雑木林へと歩きだした。


「ちゃんと夕食までには帰ってこいよ!」



 木立にまぎれる二人の背中へ、シグナムの大きな声が届いた。





 とっぷりと日も落ちた宵の中程。明々と燃えるたき火を前に、シグナムとフレインは今後の行程について話し合っていた。


「先ほども言った通り、明朝早めに出発すれば夕刻にはキロスという村に着きます。そこで一泊し、峠をひとつ越えれば沿岸海洋国はもう目と鼻のさきです。おそらく三日とかからないでしょう」


「キロスって村は峠の中腹にあるのか?」


 すこし離れたところに座ったアルフラを気にしつつ、シグナムは手にした地図の一点を指さした。


「そのようですね。交易路の中継となる村なので、宿の心配などは不要かと思います」


「そうか……」


 やや(うわ)の空であいづちを打ちながらも、シグナムの視線はアルフラのほうへと向けられていた。とうのアルフラは二人の話を気にするでもなく、じっと揺れる炎に見入っているようだ。


「やっぱり……変わってないのかな」


「――え?」


 ぼんやりとつぶやいたシグナムに、フレインが問いかけるように首をかたむけた。


「いや、なんでもない。それより……」


 言いかけたシグナムはふと口をつぐみ、たき火へと手を伸ばす。燃えさしの薪木を拾い、それを街道のほうに放り投げた。


「どうしました?」


「……足音が聞こえた」


「ルゥさんとジャンヌさんでは?」


「ひとつしか足音がしなかったんだよ」


 二人は投げられた薪木の炎を注視する。すぐに人影が姿を現し、転がった薪木を拾い上げた。


「……なんだ。ジャンヌかよ」


 たいまつ代わりに薪木を持った神官娘が、早足でたき火へと歩み寄ってきた。


「ルゥはどうした?」


「途中ではぐれてしまいました。探してはみたのですが見つからなくて……もうこちらに戻っているのではないかと思ったのですが……」


 さんざん雑木林の中を歩き回ったらしく、神官娘はすこしくたびれた様子だ。


「探し物はあったのか?」


「ええ、そちらは意外とすんなり見つかりました。けれどルゥが帰りたくないと言って雑木林の奥へ行ってしまって……。またアルフラさまに棒を取り上げられると思っているみたいなのです」


「……しょうがないやつだな。まあ、腹がへったら帰ってくるだろ」


 夜の森は危険な場所だ。しかしルゥは雪深い山林を住処(すみか)とする雪狼である。これといって危惧する材料もないため、シグナムはあまり心配していないようだ。そしてルゥのお腹は非常に減りやすい。


「きのうの山賊はたいして食料を持ってなかったし、鹿か猪でも獲ってきてくれると助かるんだけどな」



 シグナムがそうひとりごちてから間もなく、狼少女は予想外の獲物を持ち帰った。





 よたよたとした足取りで戻ってきたルゥは、大きな荷物をかかえていた。


「……ルゥ。それ、なんだ?」


「ひろった」


「よし、拾った場所へ戻してこい」


「えー」


「えー、じゃない」


 大きな狼を背後から(かか)えたルゥが、なおも不満の声をあげる。


「迷子になってたんだよ?」


「いや、迷子って……どう見ても成獣だろ」


 その狼は短毛種であるためほっそりとして見えるが、体長はかなりのものだ。ルゥは背をのけぞらせて胸の上に乗せるようにして抱えている。しかし、ふさっとしたしっぽは地面に届き、ルゥの顔も狼の背にうもれているため、すこし足がふらついていた。


「たぶんルゥより年上だぞ、こいつ」


「そんなことないよっ」


 ルゥは強く否定するが、抱えられた狼は気まずげに視線をそらした。


「どうせ無理やりつれてきたんだろ?」


「ちがうよ! 森で迷子になってたから助けてあげたんだもん」


 しかし狼はあからさまに「捕まっちゃった」という顔をしている。


「だからボクのあたらしい子分なの……あっ」


 そこでなにかを思い出したらしく、ルゥはあわてて言い直した。


「ボクのあたらしい友達なの」


 狼の背から器用に顔をのぞかせて、ルゥはちらりとアルフラの様子をうかがう。そしてなんの反応もないことから、よく聞こえなかったのかと思ったらしく、あらためて大きな声で言った。


「ボクのあたらしい一番の友達なの!」


 ようやくルゥの意図に気づいたシグナムは、なんとも言えないびみょうな表情をアルフラに向ける。おそらくルゥは、あらたな友人をお披露目して、アルフラに危機感を持たせようとしているのだろう。もしくは嫉妬してくれることを期待しているのかもしれない。ちらちらとアルフラの様子をうかがい見るルゥの目は、すこし不安げだ。

 とても稚拙(ちせつ)で可愛らしいたくらみではあるが、おそらくその計画は無駄に終わる。

 空気を読んだシグナムは、なんとか食べ物でルゥの気を()こうと考えた。このままではまた、ルゥが泣き出す結果になると思ったのだ。


「ルゥ、とりあえず食事にしよう。その狼は逃がしてやれ」


「狼じゃないよ、チロチロだよ」


「チロチロ?」


「うん、ボクが名前つけてあげたの」


 嬉しそうにするルゥとはうらはらに、チロチロはしょんぼりと顔をそむける。


「おんなの子なんだよ」


 シグナムの視線が自然と毛まみれの股間に向けられた。チロチロは恥じらうようにまるめたしっぽで局部を隠している。


「とりあえず離してやれよ。すこしくらいならチロチロに餌をやってもいいからさ」


「え、ほんとに?」


 みずからを拘束するルゥの手がゆるみ、そこから逃れるようにチロチロは地面に飛び降りた。そして一目散に雑木林へと走ってゆく。


「あっ、チロチロぉ!?」


 悲しげなルゥの声が響き、いったん足を止めたチロチロが振り返る。そしてどことなく心配するような目で狼少女を見つめた。すこし迷うようにしっぽをゆらめかせながらも、チロチロはその場から動かない。まるでルゥが来るのを待っているかのように。――その目は雄弁に語っていた。なぜ人間なんかと一緒にいるの? あなたはこちら側のはずでしょう、と。

 おもわず駆け出そうとした狼少女をジャンヌが強く抱きとめる。


「行ってはだめです!」


 その語調の激しさに、ちょっとびっくりしてしまったルゥは、ジャンヌの手を振りほどくことも忘れてその顔を見上げた。

 神官娘は思ったのだ。いまルゥをこの雌狼と一緒に行かせてしまったら、きっと二度とは戻って来ない。なぜだか確信めいた予感がジャンヌに悲鳴のような声をあげさせた。


「ルゥ! 絶対にだめですからね!」


 揉み合う二人を眺めていた雌狼が、顎を反らせて闇夜を(あお)ぐ。


 ルオオオオォォォォォォ――――――ン!!


 突如として放たれた呪縛の咆哮(ほうこう)に、すべての視線が雌狼へと向けられた。


「――こ、これは……」


 魔力を(ともな)った咆哮に絡め取られたフレインが、その場にがくりと膝を落とす。虚を突かれたシグナムも(あらが)うことができず、手足が固まったかのように動けなくなった。だが、すでに信仰という名の呪いに縛られたジャンヌには、それが通じない。


「わたしの友人を連れてゆこうとしないでください!!」


 必死な様子の神官娘をじっと見やり、やがて雌狼はなにかを納得したように(こうべ)をうなだれる。いまやその瞳には、かくも克明(こくめい)に知性の光が宿っていた。


「チロチロ……」


 ゆったりと二人に近づいた雌狼は、伸ばされたルゥの手をひと舐めし、そのまま(きびす)を返す。


「まって、チロチロ」


 一度だけ振り返り、笑むように牙を剥いた雌狼であったが、悠然とした歩みで木立の中へと帰っていった。


「チロチロ――!」


「ルゥ、おねがいですから……」


 手足を暴れさせる狼少女を強引に抱えあげ、ジャンヌはその耳許にささやく。


「きょうは一緒に寝てあげますから、いまはおとなしくしていてください」


「――え!? いいの!?」


 ぴたりと動きをとめたルゥであったが、その目は未練がましく雑木林のほうへ向けられていた。


「でも、なにもしてはだめですよ。添い寝をするだけですからね?」



 ぽそりと(くぎ)をさしたジャンヌの声に、ふたたびルゥはじたばたしだした。

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