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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
222/251

狼少女と秋の空



 ロマリア南部国境地帯。沿岸都市国にも程近いこの地域は一年を通して温暖なため、冬の寒さとは無縁な土地柄であった。しかし今現在、空は雪雲でうっすらと灰色がかり、羽毛(うもう)のような粉雪がしんしんと絶えず舞い降りている。

 時分(じぶん)はすでに日没を間近に(ひか)えた夕暮れ(どき)。アルフラたち一行は街道脇に馬車を止め、たき火を囲んで質素な夕食を口に運んでいた。


「おい、ルゥ。お前また夜中に盗み食いしただろ」


「……え?」


「え、じゃねえよ。つぎの村まであと二日はかかるのに食糧の備蓄が()きかけてたぞ」


 まるで身に覚えがないかのように、狼少女はきょとんとしている。ルゥにしてみれば、本当に盗み食いという自覚はないのかもしれない。


「干し肉のたぐいは余計に買っとくようにしてるが、さすがに最近食いすぎだ。だいたい盗み食いってのはなあ、バレない程度にこっそりやるもんだろ。ルゥの場合はごっそりだからな」


「うん、つぎからそうするね」


 こくこくとうなずく狼少女を見て、フレインがいやいやと首を振っていた。


「できれば盗み食い自体を控えてもらえるとありがたいのですが。これ以上やられると本当に明日の朝食がなくなってしまいますよ。シグナムさんも子供にへんなことを教えないでください」


「いや、あたしもそんなつもりで言ったんじゃねえよ」


 子供と言われ、すこしむっとした顔のルゥであったが、目の前に食べ物があるときは文句を言うために口を開くということをしない。食事を入れるのにおおいそがしなのだ。


「ああ、それとな。さっき水樽を見たら穴があいてやがった。飲み水も少なくなってるから水場のにおいがしたら教えてくれ」


「はーい」


 人に頼られることが大好きなルゥは、機嫌よく返事をして(かた)い黒パンにかじりつく。その視線が、たき火からやや離れた灌木(かんぼく)の根本に向けられた。そこに座っていたアルフラが、無言で立ち上がったのだ。そのままルゥたちには見向きもせず、暗い木立(こだち)のほうへと歩いてゆく。すぐそばで食事をしていたジャンヌは、アルフラが残していった木椀(もくわん)をルゥに手渡した。


「……ありがと」


 アルフラはほとんど食事に手をつけていなかったため、木椀にはなみなみとスープがよそわれたままである。

 にっこりとルゥに微笑んだ神官娘は、信仰する神のあとを追って足早に森の中へと向かった。



 うかない顔の狼少女は、ただじっとそれを見送っていた。





 暗い森の中は、雲の切れ間からのぞく星明かりだけが(わず)かな光源であった。

 森に入っておよそ一時(いっとき)(約二時間)、豊かな枝葉を(しげ)らせた大樹の(みき)に、アルフラは魔剣の刃を這わせていた。かるく腰を落とし、右手一本で太い幹に剣を突き付けるその姿は、傍目(はため)からは静止しているようにも見える。しかしその刃先は、ゆっくり、ゆっくり、じりじりと樹皮を斬り裂き、鋭い斜線を刻み込んでいた。

 ごつごつとした硬い幹にはすでに十一の傷が走り、十二本目の斜線が刻み終えられようとしている。アルフラが高城から教授された、その中でも(きわ)めて高度な修練法だ。一見(いっけん)動きの少ない、平たく言えばおそろしく地味な修練ではあるが、これを行うには長時間に及ぶ集中力、刃先をぶれさせない技量、重い刀身を支える筋力、いわゆる心、技、体、これらを高い次元で要求される。たとえ達人と呼ばれる使い手であっても、四半時(しはんとき)(約三十分)もすれば剣筋に歪みが(しょう)じるのは必然であろう。アルフラはそれを、呼吸のひとつも乱さず、汗の一筋も流さず、淡々と一時(いっとき)ものあいだつづけていた。――身の内に息づく武神の魂の()せる技か、あるいは元来そういった素養を有していたのか。その極致ともいえる天凛(てんりん)の才を()の当たりにして、神官娘は感動に打ち震えながら祈りの言葉を口にしていた。


「きもちわるいから、それやめて」


 十二本目の斜線を刻み終えたアルフラが、背中越しにぼそりとつぶやいた。


「……はい?」


 思わず言ってしまってから、ジャンヌは神の御言葉(みことば)に問いを返す、というとんでもない不敬をはたらいてしまったこと気づく。おのれの失態に顔を青ざめさせた神官娘に、心ない言葉が投げれる。


「あたしに向かって祈るの、きもちわるいからやめて」


 そんな……!? と言いかけたジャンヌは、すんでのところでそれを口のなかに飲み込んだ。

 ジャンヌにとって神の言葉は絶対だ。アルフラの意思がその口から言葉となった瞬間、それは世の(ことわり)と変わり法となる。たとえ祈りという至福の時間を禁じられることであっても、神の意思に(いな)やと返せるはずもない。


「うう……わかりました。御言葉のままに」


 涙目になってうなずいた神官娘をよそに、アルフラは魔剣を左手に持ち換える。そしてこれまでに刻んだ斜線と交差するように、大樹の幹に刃を進める。



 ここからさらに一時ほども、その修練はつづけられた。





 (よい)()けこむ小夜中(さよなか)に、狼少女は昇りゆく下弦の月を見やっていた。手には風流な秋の夜にはいささか似つかわしくない干し肉の(かたまり)。それをはむはむとほおばりつつ、どこからか聞こえてくる狼の遠吠えに耳を澄ませる。これは今から狩りを始めるという合図であり、すぐに複数の遠吠えがあとを追いかけた。本能的な狩猟欲を刺激されたルゥは、干し肉をかじることも忘れてそわそわと辺りを見回す。

 今夜の不寝番(ふしんばん)は狼少女の役目である。

 武神の神官長トマスが死んで以来、シグナムとフレインは日中に御者を務めたのち、夜間の見張りを交代で行っていた。そのためここ数日はまともな睡眠を()っておらず、そろそろ魔族の支配域から抜けたこともあり、ルゥにたき火の番を任せた二人は久方ぶりにぐっすりと寝入っている。


 ちょっとだけ雪狼に変態して狩りに参加したいな、と考えたルゥは、とりあえず手にした干し肉を全部たいらげてしまうことにした。

 堅い肉を鋭い犬歯で噛み裂き、あまり咀嚼(そしゃく)することなくごくりと呑み込む。

 手と口は休めることなく、狼少女は街道の先へと視線を向けた。――人の(にお)いと複数の気配。人数はおそらく四人。体臭からして全員が男だ。

 しばらくすると、松明の炎がふたつ見えてきた。それらはたき火の明かりを目印に、ルゥの方へとゆっくり近づいてくる。

 やがて(おぼろ)な人影が姿を現し、それが武装した四人の男たちだと判別できた。みなが一様に古びた革鎧を着込み、手にした得物は短剣や(なた)、山刀などといった統一感のないものだ。

 たき火のそばまで来た男たちの一人がルゥに声をかけた。


「よう、嬢ちゃん。ちょっと寒いがいい夜だな」


 背が高く体格もよいその男は、左のこめかみから顎にかけて長い傷痕が走り、見るからにひどい悪党面をしていた。口許をゆがめて笑みを作ってはいるが、おさない子供なら見ただけで泣き出してしまいそうだ。

 ルゥはもきゅもきゅと干し肉を()みつつ、じっと男の顔を見つめていた。男のほうも間近に見たルゥの容姿に相当驚いているらしく、仲間たちとともに目をまるくしている。


「髪も肌も真っ白だな。北方のやつってのは、みんな白子みたいな(ナリ)してるか……?」


「まあ、なんにしてもこんな可愛らしい娘っ子が、一人でたき火の番てのはいただけねぇな」


「嬢ちゃんの親御さんはどこだ? そっちの馬車の中か?」


 ごくりと干し肉を呑み込んだ狼少女は、男たちの顔をじろじろと見回す。


「おじちゃんたち、だれ?」


 これにはよくぞ聞いてくれましたとばかりに傷の男が破顔する。


「俺たちゃ怖~い山賊さまよ。悪い子を(さら)って売り飛ばしちまうのが仕事さ」


 歯を剥いて笑った男の凶悪な顔を、ルゥはまじまじと見つめる。

 狼少女のおびえる姿を期待していたらしい男たちは、肩透かしをくらった表情でたがいに目を見交わしあっていた。そんな期待を寄せられているとは(つゆ)とも知らず、ルゥは残り少なくなってしまった干し肉に視線を落とす。


「ぬすみ食いするのは、わるい子?」


「お? おう、それは悪い子だな」


「ふうん?」


 言いつつふたたび干し肉をかじりだしたルゥを見て、男たちは(らち)が明かないと思ったのか、こう切り出した。


「なあ、嬢ちゃん。とりあえず話のわかる大人を呼んでくれねぇか?」


 食べているときの狼少女はとても素直だ。言われるがまま馬車に向かって呼びかける。


「おねえちゃーん」


 四人の山賊たちはにんまりとする。この可愛らしい少女の姉ならば、さぞや期待ができると考えたのだろう。ややあって、馬車の中から若い女の声が返され、男たちの期待に拍車がかけられた。


「ん、あー。どうした、ルゥ?」 


「さんぞく~」


「はぁ……? さんぞく? そんなもん適当に……山賊だと!? ちょうどいい!」


 にやにやと二人の会話を聞いていた山賊たちは、そんなもん適当にという女の言葉に首を(かし)げ、ちょうどいい、という意味不明な感想にその(かたむ)きをさらに深めた。

 すぐに馬車の扉が開き、シグナムが顔をのぞかせる。寝起きらしく薄い貫頭衣(チェニック)(まと)っただけの姿が、たき火の炎に照らし出された。女性としては短めの黒髪に、夜と同じ色合いの瞳。顔立ちこそおよそ整っているが、目には猫科の肉食獣を思わせる獰猛さがあった。その顔から視線を降ろすと、薄い布地を下から押し上げる双丘が男たち目を(とりこ)にした。胸の谷間はこれまでに見たどの女性のものより深く、たっぷりと肉の詰まった乳房を包む貫頭衣は今にもはち切れてしまいそうだ。肌は健康的な小麦色で、扇情的な体の線をことさらに際立たせている。

 ルゥのように小さく色白で、愛らしい娘を予想していた山賊たちは少々面くらいながらも、いやらしく下卑(げび)た目付きで歓声を上げた。そして彼らにとってはお決まりの台詞を口にする。


「見ての通り俺たちゃあ山賊だ。しかしなにも鬼って訳じゃねぇ。おとなしく金目のもんさえ出してくれりゃあ、有り金すべて置いてけなんて無茶は言わね、え……?」


 言葉の途中で口ごもった山賊は、シグナムの手元を凝視していた。そこに握られた馬鹿でかい大剣の存在に、ようやく気がついたのだ。


「水と食料だ」


 山賊たちの、いかにも山賊らしい口上(こうじょう)を引き継いだのは、ほかならぬシグナムの声だった。


「水と食料をあるだけ置いていきな。そうすりゃお前らは死なずに済むし、あたしも死体の(ふところ)を漁る手間がはぶける」


 本職である山賊より余程(よほど)堂に()ったその脅し文句を聞いて、男たちは仕事をする相手を間違えてしまったのだと遅まきながらに理解した。


「はやく出すもん出しちまえよ。なんならあたしが身ぐるみ剥がし――ってルゥ! お前また盗み食いしやがったな!」


 最後のひとかけらを口に持っていこうとしていた狼少女はそれを見咎(みとが)められ、慌てて干し肉を咥内へ押し込んだ。そして山賊たちを指差す。


「でも、このおじちゃんたちが食べ物くれるんだよね」


 人差し指を突きつけられた傷の男が悪態を()く。


「山賊から追い剥ぎしようってのか、ふてえ娘だな」


 シグナムには()()を見せた男たちであったが、ルゥにはいまだ(あなど)りがあるようだ。それを敏感に気取(けど)った狼少女は、ぐるるっと喉を鳴らして威嚇する。


「おい、さっさとしろよ」


 馬車から飛び降りたシグナムが山賊たちに大剣の切っ先を向ける。地に並び立つと彼女は山賊の誰よりも背が高く、気圧された男たちはじりじりと後ずさりだした。しかし未練がましくシグナムの胸に視線をやり、得物を構える者もいる。


「……あたしもナメられたもんだな」


 不快げに舌打ちし、交戦の意思を見せた男をシグナムは睨みつける。――その時、山賊たちの背後から細い声が響いた。


「――だれ?」


 その冷たい声音(こわね)に打たれ、はじかれたように男たちは振り返る。森での修練を終えたアルフラとジャンヌだ。

 街道を歩いてくるその姿を目にして、山賊の一人が喉を引き()らせるような悲鳴を()らした。それなりに戦いの場数を踏んだ彼らは、死の気配を()ぎ分ける鋭敏(えいびん)さを有していたようだ。すぐさま全員が武器を投げ捨てたのは、本能的な恐怖に()るものであった。

 山賊たちのアルフラに対する反応を見て、若干負けたような気分になったシグナムは不機嫌な声で言った。


「水と食料を全部置いてけ。そうすりゃ命だけは残してやる」


 その言葉の終わらぬうちに、四人の山賊は保存食や水袋を放り出して森の中へ駆け込んでいった。

 暗い木立に目をやりつつ、不思議そうな顔をしたアルフラが、鳶色(とびいろ)の瞳をぱちくりとさせた。



「……だれ?」

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