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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
219/251

霧の中の悪魔 預言の勇者(前)



 日没とともにそれは始まった。

 時ならぬ降雪に見舞われたロマリアの都、ゆるやかに吹きだした風は市街に霧を運んできた。霧は気温の低下にともない、ほどなくして霧氷(むひょう)へと変わる。

 夕刻より始まった偽神と魔王の戦いは熾烈を極め、都の住人たちは王宮から(とどろ)く破砕音と大地の振動に驚愕し、または怯え、多くの者が家屋(かおく)に閉じこもり震えていた。

 夕闇が迫るなか魔族の兵士たちが各所に散り、住民たちに退避を呼びかけはしたものの、それに(したが)ったのは半数にも満たなかった。


「西門へ向かえ! この場にとどまっては危険だ。ただちに西門へと向かうのだ!」


 降雪と霧とで(いちじる)しく視界の悪い市街地に、移動を(うなが)す複数の声が響く。

 魔族の者たちに先導され、人々は降り積もった雪に足を取られながらも西門へと歩く。しかしながら南国ロマリアの住人は雪を見るのも初めてといった者がほとんどで、馴れない寒さと降雪によりその歩みは遅々としたものであった。多くは霧にまかれて方角を見失い、降りしきる雪により身動きがとれなくなる。また、気温の低下もすでに深刻な域へと達しており、人間が長時間の生命活動を維持するには限界が来ていた。


 杖をついた老人は、手足がかじかみ一歩も動けなくなり、その場に膝を落として雪に埋もれていった。助けを呼ぼうと開いた口は、舌の根までもが凍りついていた。

 赤子を抱いた母親は、腕のなかの我が子がいつのまにか冷たくなっていることに気づき、それ以上足を動かす意義を見失う。歩みを止めた彼女は、呪詛(じゅそ)眼差(まなざ)しでじっと天を(にら)んだ。

 健常な者たちも身を切る寒気に長くは耐えられず、やがては力尽き、(くら)い眠りへと(いざな)われていった。

 真冬でも温暖なこの地方には防寒といった概念自体が存在せず、ロマリア人たちは寒さに対しておそろしく脆弱(ぜいじゃく)だったのだ。



 こうして魔族を含めた多くの者が、街中(まちなか)で遭難するという信じられない事態に(おちい)っていった。





 上都外縁部に住んでいた者たちはかろうじて街門まで辿(たど)り着けたが、そこにも絶望的な状況が待ち構えていた。


「門に着いたぞ! 後続の者は綱を手に絡めたままゆっくりとこちらまで来い! 決して慌てるな。雪に足を取られないようにするんだ!」


 民衆を先導する魔族の男が声の限りに叫ぶ。それにつづく上都の住人たちは、積雪により足場の悪い街路をよたよたとした歩みで門へと向かった。降雪と濃霧のために前を歩く者の後姿さえ見えず、はぐれないようにと持たされた荒縄で、人々は数珠繋ぎとなって歩を進めていた。

 ふたたび魔族の男が声を響かせる。


「なにをしている! すぐに開門せよ!」


 これに応えて農具を持った人間の門兵が進み出た。


「すみません! 雪が邪魔で門が開けないのです。いま急いで雪をかき出しますので。しばしお待ち――」


「それには及ばん」


 魔族の男は無数の火球を生成し足許に投射する。

 みるみるうちに厚く積もった雪が蒸発し、ぬかるんだ地面が顔をのぞかせた。


「これでよかろう。時間をかければ住人たちの体力が奪われていく。すぐに門を開けてくれ」


「はっ! ただちに!」


 門兵は一礼して、左右両側にある巻き上げ機の方へ声を張った。


「開門だ、急げ――!」


 勢い込んだその叫びに、しかし戸惑(とまど)いの声がすぐに返される。


「だめだ! ぴくりとも動かねえ!」


「こっちもだ! (かんぬき)を入れたまま回そうとした時と同じ感じがする!」


「門にこびりついた(しも)のせいか……ッ!?」


 怪訝(けげん)な顔で手を伸ばした門兵は、街門に触れた瞬間に悲鳴を上げてその手を引っ込めた。


「どうした?」


 腕を抱くようにして(うずくま)った門兵を、魔族の男がのぞき込む。

 街門に触れた手が凍傷を()ったかように青黒く変色していた。

 険しい表情が街門へと向けられる。


「なんらかの魔法がかけられているのか……?」


 周囲からは不安げな住人たちの視線が魔族の男に(そそ)がれていた。


(いた)(かた)あるまい。街門の守護を職務とするお前には悪いが……門を焼き払うぞ」


 魔族の男は門兵を下がらせると、頭上に右腕を掲げた。

 手のなかに灼熱の炎が燃え盛る。

 腕を降り下ろすと、渦をまいた炎の塊が街門へと叩きつけられた。

 大気の弾ける音とともに大量の水蒸気が辺りに立ち込める。

 だが街門の霜は完全に蒸発したものの、その下からは氷に閉ざされた無傷の門が姿をあらわした。


「これは……」



 魔族の男はさらに熱量を増した炎塊を投げつけるが、それは岩山に針を打ち込むにも似た作業だった。





「住人の退避状況はどうなっている! 西門へやった者たちからの連絡はまだか!?」


 市街地西部の大広場に、公爵位の魔族志梟(しきょう)の声が響いた。これを聞いて副官の一人が駆け寄ってくる。


「降雪と霧とにより(いちじる)しく視界が悪く、住人の誘導は難航している模様です。また、先程戻った者の話によると、雪に()もれて凍死した住人の遺骸が市内各所に散乱していたそうです」


「……詳しい死傷者の数はわかっているのか?」


「いえ、ただ無数にとしか聞いておりません。なかには救助に向かった魔族の遺骸も混じっており、兵たちに動揺が広がっております。……僭越(せんえつ)ですが、我らも一時撤退した方がよいのではないかと具申(ぐしん)いたします」


 副官の(げん)志梟(しきょう)は渋い顔をする。


「上都の住人を見捨ててこのまま逃げろと?」


「いえ、そうは申しませんが……」


「主である口無様が、ロマリア人はすべからくみずからの民であると定めたのだぞ。ならば上都の住人は我らの同胞だ。それを見捨ててどう口無様に顔向けする」


「申し訳ありません。思慮が足りませんでした」


「いや、よい。今は一刻も早く――」


 志梟(しきょう)が何事か言葉を重ねようとしたとき、背後から伝令という声があがり、一人の魔族が駆け寄ってくる。


「ご報告します。市内三つの郭壁(かくへき)の門が、積雪の影響により開くことができなくなっているとの報がただいま届きました!」


「どういうことだ? 門を閉ざせなどという指示はしていないぞ」


「それが……王宮から争乱の気配を感じ、敵襲を悟った衛兵が独自の判断で門を閉ざしたようです。除雪作業を急がせておりますので――」


「なにを悠長な。数人を向かわせ門を破らせよ。……いや、時が惜しい。私みずから出向こう」


 すでに外気は魔族にとってすら危険なほどに冷え込んでいた。早急に門を開かなければ、凍死者が加速度的に増えることは想像に(かた)くない。志梟(しきょう)はそう判断して副官に告げる。


「この場はお前に(ゆだ)ねる。住人たちの退避(たいひ)を最優先とし、状況把握に注心(ちゅうしん)せよ」


「はっ! お任せください」


 濃霧のなかを街門へと歩きだした志梟(しきょう)は、足を動かしながらもせわしなく思案を(めぐ)らせる。

 すでに王宮から戦いの気配は感じられない。

 よもや主である口無が敗北を(きっ)するなど、考えられぬことではあるが……上都を覆う寒波はいぜん強さを増している。


「……有り得ん。口無様が(やぶ)れることなど……」


 口に出して否定をしてみるが、心中を(さい)む焦燥感はいや増すばかりであった。

 不吉な予想を振り払い、志梟(しきょう)は足早に街門へと歩を進める。

 寒さだけではなく視界をさえぎる霧も濃くなりつつあり、方向感覚に狂いが(しょう)じはじめる。

 降雪時に霧が発生するのはとても(まれ)な現象だ。

 おそらくは何者かが悪意を持ってそれを行っているのだと志梟(しきょう)は確信していた。そこには誰一人として上都から(のが)さないという強い意志が感じられる。

 やがて郭壁の近くまで来たかという頃合いで、志梟(しきょう)の歩みがふと止められた。

 鈴の()を思わせる、澄んだ金属音が聞こえたのだ。――視界が利かないため、どこからその音がするのかは判別しづらい。すでに霧は、手を伸ばせば指先が見えなくなるほどに深くなっていた。そしてどこからか聞こえる金属音は、まるで歌うかのような抑揚(よくよう)をつけながら近づいてきていた。


「……何者だ」


 (つと)めて平静な声音(こわね)を心掛けた志梟(しきょう)であったが、わずかに震えを帯びたみずからの言葉に、その内心で動揺してしまう。そして彼の誰何(すいか)には、間を置かずに(いら)えが返された。


「もう……ピナのせいでバレちゃったじゃない」


 どこか(とが)めるような少女の声と同時、突如(とつじょ)として志梟(しきょう)の背後に気配が生まれた。

 はっと息を呑み、振り返ったその先からは、ひたひたと歩み寄る足音が近づいてくる。

 本能が即時の逃走を(うった)えるが、足場も視界も制限される状況下での撤退は困難を極めるといった現実的な思考が脳裏を(よぎ)る。そしてそれ以上に、背中を見せれば最悪の結果を招くという確信が、志梟(しきょう)の足をその場に()い止めていた。


「あなた、すごいね」


 声との距離は近い。あまりの声音(こわね)の冷たさに、ぞっと背筋が(すく)みあがる。


「すごく強い」


 霧のなかに仄白(ほのしろ)い少女の顔が浮かびあがる。


「魔王いがいで、こんなに強い魔族ははじめて見たわ」


 少女はとても嬉しげに口許をほころばせていた。

 志梟(しきょう)は恐怖による呪縛を打ち払うことに必死で、言葉の意味を理解する余裕すらない。

 

「とってもおいしそう」


 ささやきと共に笑みがほどかれ、純然たる殺意が顔をのぞかせる。

 その身から溢れ出た冷気は凄まじく、志梟(しきょう)の魔力障壁は瞬時に()てつき無力化される。

 振り上げられた魔剣が障壁を砕き、公爵位の魔族を逆袈裟(ぎゃくけさ)に斬り裂く。


 濃い霧に染み込むかのように、あどけなくも喜悦に(まみ)れた笑い声が響き渡った。


 まだまだ市街地には多くの魔族が散在している。

 ()くことなき欲求の(おもむ)くままに、霧の中の悪鬼は獲物を狩りだすために移動を開始する。



 氷の封土と化した上都に、さらなる死が蔓延(まんえん)してゆく。




 上都の中心に位置する竜玉宮跡地には、武神の神官長トマスの墓前で黙祷するジャンヌの姿があった。その(かたわ)らでは白い巨狼に獣化したルゥが、地に伏せた姿勢で神官娘の顔を見上げている。

 狼は巣穴を掘る習性があり、ルゥもまた例外なく穴堀りが得意だ。鋭い爪はひと掻きで地面をごっそりとえぐり、巨漢であるトマスの墓穴をものの半刻と経たず掘りあげてしまった。

 やや物足りなげに土をかしかしと削って遊ぶルゥの頭に暖かな手が置かれる。


「行きましょう。そろそろ祈りの時間ですわ」


 毎夜日課としている神への祈りをジャンヌは欠かしたことがない。

 ルゥはしっぽをふりふり歩きだした神官娘を追いかける。

 途中、瓦礫と化した竜玉宮奥殿(おうでん)の前では、()き火を挟んでシグナムとフレインがなにやら深刻そうに話し込んでいた。それを横目に通りすぎ、やがて二人は上都西部を見下ろす斜面に立った。


「ああ、我は願う……」


「きゃん!?」


 唐突に物騒な呪文を唱え始めたジャンヌを見て、ルゥは思わずしっぽを巻いて後ずさる。腐敗の魔法によりもたらされる悪臭は、嗅覚に優れる狼少女が最も苦手とするもののひとつだ。それを心得ているジャンヌは、一旦詠唱(えいしょう)を中断してルゥへと顔を向ける。


「だいじょうです。腐敗の奇跡を起こすわけではありません。アルフラさまに祈りを(ささ)げるだけですから」


 やや警戒ぎみのルゥに優しく笑いかけ、神官娘は祈りを再開する。それが進むにつれ、眼下(かんか)に見下ろす市街地に淡い光が(とも)り始めた。

 霧に包まれた上都のいたるところから、青白く発光する無数の魂魄(こんぱく)が浮かび上がる。アルフラが呼んだ大寒波により命を落とした者たちの魂だ。その数は百や千ではきかない。広大な上都が溺れそうなほどに光は渦巻き、それらは吸い寄せられるかのように一所(ひとところ)へと()かれてゆく。


「わあぁぁ、きれーい」


 狼少女の口から無邪気な感嘆の声がもれた。しかしその光のひとつひとつが非業の死を強要された魂魄であり、これから存在そのものを無慈悲に奪われゆくのだと理解すれば、ルゥも眼下の光景を非常におぞましいものだと感じただろう。


「おい……なんだ、これは……?」


 不意に聞こえたシグナムの声にルゥが振り返る。


「まさかこれって……」


 フレインと連れ立ったシグナムが、唖然とした顔で下界を見下ろしていた。


「……ジャンヌさん、まさか市街地に腐敗の――」


 一心にアルフレディア神への祈りを捧げていたジャンヌは、不快げにフレインを()めつける。


「ですから腐敗の魔法は使っておりません! わたしはただ、哀れな異教徒たちの魂が、迷うことなくアルフラさまの御許(みもと)(かえ)れるようにと祈っていただけです」


「……やはり、あなたの仕業ということですか」


 おそらくその祈りが通じてしまったのだ。

 エルテフォンヌ城での出来事とまったく同じ現象ある。

 神官娘は邪魔するなとばかりにフレインを黙殺し、ふたたび真摯に祈りの言葉をつぶやきはじめた。その唇から恐るべき祝詞(のりと)(つむ)がれるたびに、遊離した死者の魂が狂った女神の許へと送られてゆく。

 市街地は一面、見渡す限りに魂魄で埋め尽くされ、まるで光輝く湖面をのぞき込んでいるかのようなあり様であった。


「おいおい……上都の住人全滅しちまったんじゃないだろうな……?」


「まさか、さすがにそれはないでしょう。たしか上都の人口は六十万を超えていたはずです。そのすべてが死に絶えるとは……」


 しかしアルフラのやることだ。あり得ないとは断言できず、フレインは顔を強張らせる。その表情を見て、シグナムは投げやりな調子でこうぼやいた。


「なあ、魔王よりもアルフラちゃんを退治したほうが世の中平和になるんじゃないか?」


 この不信心極まりない軽口に、神官娘の凄まじい形相が向けられる。


「ただの冗談だよ。いちいち殺気立つな」


 鋭利な敵意を受け流し、シグナムはかるく肩をすくめる。


「しかし大丈夫でしょうか。理不尽な死を迎えた魂魄は、ときに強い怨念を宿します。そういった魂を幾千、幾万と取り込めば、普通であれば正気を失うか心を食い尽くされてしまう……」



 やや不安げな面持(おもも)ちで、フレインはじっと眼下の光景に見入っていた。





 アルフラが戻ってきたのは、東の空も瑠璃色に染まろうかという頃合いであった。

 焚き火に瓦礫(がれき)をくべて夜通し火を絶やすことなく(だん)を取っていたフレインは、ほっと安堵の息をはいた。

 逆にシグナムは、予想に(たが)わず普段と変わらない様子のアルフラを見て、暗澹(あんたん)とした溜め息を落とす。無辜(むこ)の人間をどれほどの数(あや)めようと、やはりアルフラは微塵(みじん)も罪悪感を覚えないということが、あらためて確認できてしまったのだ。

 とはいえアルフラも好んで上都の住人を殺して回ったわけではない。むしろそういった意図(いと)は皆無であった。ただ単に魔族を狩るためにしたことが、結果的に未曾有(みぞう)の大虐殺に繋がったのである。――かといって犠牲となった者に対して憐れみを感じるかといえばそれもない。道を歩けば虫を踏み殺してしまうこともある。それと同じ感覚なのだ。

 かつて白蓮の語った魔族の価値観に照らせば、弱者が死ぬのはしようがないことなのである。


 同じ価値観を有する魔王口無は、王であるがゆえに上都の住人を守り、その身を散らした。

 対してアルフラは、力の論理により弱者を淘汰(とうた)する、まさに魔族の権化ともいえる存在に成り果てた。



 どちらが人の世にとって災厄といえるのかを問うのであれば、それは言わずもがな話であろう。

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