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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
218/251

落陽(後)



 唇にうっすらと笑みを乗せ、アルフラはじりじりと足を前に進める。まるで獲物が気づく限界まで忍び寄ろうとする捕食者のように。

 対する口無は、微動だにせず立ち尽くしていた。本来ならば何を置いてもまずは距離をとるべきであるにも関わらず、それをしない。――いや、できなかった。

 背後に至聖所と呼ばれる奥殿(おうでん)を背負った口無には(あと)がないのだ。このまま後退しつつ遠距離からの攻撃を加えつづければ、いつかはアルフラを削り殺せるかもしれない。ここで近接戦を挑めば、ただでさえ手探りな勝機を(いっ)することになる。

 ――しかし奥殿を越えるとすぐそこは、上都西部を見下ろす丘陵の突端である。

 このまま戦いの場を移せば、市街地西側に退避している数十万もの住人に甚大な被害が及ぶのは必至。アルフラとともに移動する寒波の速度を考えれば、むしろ生存者がどれだけ残るのかといった計算をした方が早いだろう。

 ロマリア人を己の臣民と定め、彼らに対してみずからの庇護を約束した口無は、この場に踏みとどまる以外の選択肢を持たなかったのだ。

 奥殿玉座の間に残してきた公爵位の魔族、志梟(しきょう)は有能な男だ。彼なら口無の意を()んで、すでに上都の住民を避難させるべく動いているだろう。数刻ほども足止めをすれば、アルフラの犠牲となる者は劇的に減じるはずだ。

 勝利を得るために臣民を見殺しにするなど(もっ)ての(ほか)

 退かず臆せず屈しない。そういった気概を――命よりも名を惜しんでこその王であろう。

 そこまで考えて、口無は口許を歪めた。


「足止め、か……。それは王者の戦い方ではないな」


 魔王の覇権とは、何者をも寄せ付けぬ力の上に成り立つものだ。相対する敵は強大なれど、それをも凌ぐ力でもって倒さねばならない。

 総身に膨大な魔力を(みなぎ)らせた口無を見て、アルフラはうれしそうに目をほそめた。


「その強さに敬意を払い、出し惜しみはすまい」


 低く告げた口無は片膝を落とし、石畳に(てのひら)を当てた。無尽(むじん)とも思える量の魔力が大地へと流し込まれる。

 口無を中心とした地面から青い燐光が広がり、それはアルフラの足許にまで届いた。

 警戒するかのように歩調を緩めた少女へ、圧壊の魔王は笑みを向ける。


「たとえ死地と解っていても、近づくほかあるまい。――剣の間合いに入るためにはな」


 追い詰めた獲物はそれ以上逃げる素振りを見せず、爛々(らんらん)と瞳を輝かせたアルフラは、歓喜に歯を剥いて地を蹴った。同時に口無は地中へ流し込んだ魔力を解き放つ。

 直下の地面がまばゆい光を放った。そして震動。直後には凄まじい衝撃とともに足許の石畳が爆散し、その下の岩盤ごとアルフラは空高く吹き飛ばされていた。爆風により裂けた脇腹から溢れた血が宙に舞い、遠退(とおの)きかけた意識は全身に及ぶ激痛により繋ぎ止められる。

 眼下に見える地面はあまりにも遠く、かつて凱延(がいえん)の竜巻により高空へ巻き上げられた時のことが思い出された。しかし状況はさらに悪い。口無は空へ投げ出されたアルフラに対して、いくつもの攻撃手段を有しているのだ。法と武の神性を奪って以来始めて、アルフラは焦燥感というものを覚えた。

 地上では巨大な光球に魔力を注ぎつづける口無の姿があった。流入と加圧を繰り返されたその魔力塊は、以前に戦禍がグラシェール山頂を消滅させた魔法を()したものである。電荷を帯びていないので射出速度においては劣るものの、膨大な質量はそれだけでとてつもない運動エネルギーを生み出す。

 アルフラが対応する(いとま)を与えることなく、口無はそれを撃ち放つ。



 眼目(がんもく)(あやま)たず、白光がアルフラを貫いた。





 街壁からやや離れた街道脇に馬車を寄せ、シグナムたちはその戦いを見守っていた。とはいえ市街は白く(けぶ)る冷気に覆われ、遠方より届く震動と音だけが、偽神と魔王の戦いが続いていることを伝えていた。


「魔王ってのはやっぱりとんでもないな……」


 馬車に寄りかかったシグナムがぼそりとつぶやいた。時折(ときおり)地面が激しく揺れるため、まともに立っていることができないのだ。

 ひざまずいて一心に祈りの言葉を捧げていたジャンヌが、ふと顔を上げる。同時にフレインも同じ方向に視線を向けた。


「これは……」


 言葉を続ける間もなく、跳ね上がるように地面が震動した。重甲冑で身を鎧ったシグナムの体が浮き上がるほどの揺れだ。


「ルゥ――!」


 ジャンヌが狼少女の頭を(かか)え込んでその場にうずくまる。震源とおぼしき方を見ると、あたりの冷気が高く巻き上げられ、なだらかな丘陵の稜線(りょうせん)がはっきりと視認できた。

 丘の上には渦巻く砂塵が天を()き、その周囲を螺旋状の冷気が白く装飾していた。


「あれは……」


 屹立(きつりつ)する砂塵の根本にまばゆい光点が(とも)る。それはとても小さくはあるが、凄まじい白色光を撒き散らしていた。


「なんかまずいぞ……伏せろッ!!」


 シグナムの警告の声が響くのと、白光が天を貫いたのはほぼ同時だった。予想外な方向へと射出された光球を見て、安堵のため息が吐き出される。

 ほうき星のような白い尾を引く光球が、低く垂れ込めた雪雲を穿(うが)った。真円に切り取られた雲の()え間からは、日没をひかえた()れなずむ空が茜色をのぞかせていた。


「……どういう戦いだよ」


 唖然と空を見上げたシグナムは、思わずといった調子でそう(うめ)いた。


「アルフラ、だいじょうぶだよね?」


 心細げにつぶやいたルゥを、ジャンヌがつよく抱き寄せる。


「もちろんですわ。アルフラさまに敗北などありえません」


「まあ、口無って奴はたしかに化け物だが……アルフラちゃんはそれ以上だ」


 言った直後、街壁の方角から凄まじい破砕音が轟き、シグナムは慌ててその場に伏せる。それとは逆に、ジャンヌはかん高い声を上げて駆け出していた。


「アルフラさま!!」


 倒壊した門兵の詰所へ走り寄る神官娘を見て、シグナムたちもそのあとを追う。

 あたり一帯には雪煙が立ち込め、崩れ落ちた石材の山を乗り越えると、そこには(おびただ)しい量の血溜まりが広がっていた。



 なかば瓦礫に埋もれ、(うつぶ)せに倒れ伏したアルフラの姿に気づき、神官娘が悲鳴を上げた。





 血濡れた亜麻色の髪がべったりと頬に張りつき、大きな瞳は見開かれたまま、何も映してはいなかった。

 死んだようにぴくりともしないその体が、激しく一度痙攣する。

 ひゅっと喉が鳴り、まるめた体が苦しげに身じろぎした。


「――ッ――――ッ!?」


 落下の衝撃でわずかのあいだ意識を失っていたアルフラは、呼吸をしようとしてそれが出来ず、喉を掻くように爪を立てて苦悶に震える。

 ひしゃげた体は急速に再生しつつあったが、肺挫傷(はいざしょう)を起こしているため気道に呼気が通らなかったのだ。

 潰れた肺に溜まった血が気管から逆流し、激しく咳き込む。


「アルフラさま! すぐに快癒の魔法を――」


 強い魔力を宿した貴重な血を吐き散らしながら顔を上げる。

 駆け寄って来る神官娘を見て、アルフラは体をがくがくと震わせながら立ち上がった。


「お嬢様!」


 快癒の呪文を唱え始めたジャンヌの声に、武神の神官長トマスの叫びが重なった。彼は魔剣を片手にゆらりと一歩を踏み出したアルフラの姿に、なにか不穏なものを感じ取ったのだ。

 神官娘へもたれかかるように体を(かし)がせたアルフラが腕を突きだす。それよりもわずかに速く、トマスがジャンヌの細い体を押しのけた。


「グッ――――」


 ジャンヌの身代わりとなり魔剣に刺し(つらぬ)かれたトマスは、その口から短く呻き声を洩らす。


「トマス!?」


「お嬢様……お怪我は、ございま……せ……」


 ジャンヌの身を案じたその声は、言い終えることなく不自然に途切れる。

 魂魄を吸い付くした魔剣が引き抜かれると、トマスはすでに絶命しており、その体は膝から地面に崩れ落ちた。

 おさない頃から長い時間を共にしてきた武神の神官長を見下ろして、ジャンヌは口許に手をあてる。


「なんということを……」


 その震える非難の声は、幼少からの古馴染みを殺したアルフラへかけられたものではない。みずからへ向けられた女神の祝福を、横から奪い取ったトマスへの恨み(ごと)であった。

 ジャンヌの掲げるアルフレディア聖教の教義において、女神から(たまわ)る死は至上の喜びなのだ。アルフラの(かつ)えた瞳と目の合った神官娘は、祈りの形に両手を組んで(ひざまず)く。


「ああ、カミル……いまあなたの許へ……」


 当然のようにトマスと同じことをしてもらえると思っていたジャンヌをよそに、アルフラは市街へと駆け出していた。血液と共に失った魔力をあがなうには、人間の魂魄などではなんの足しにもならない。トマスの命を吸い上げることにより、それが確認できたのだ。

 常人ならば致命的な深傷(ふかで)を負ったアルフラではあったが、しかし、人としての脆弱性はすでに克服している。犠牲にした命の数だけその体は堅牢だ。


「口無……」



 丘陵の上から悠然と見下ろす魔王の姿が視界に入った。血に汚れた唇が笑みの形を刻み、手にした魔剣は早くその血を浴びさせろと渇望の旋律を(かな)ではじめた。





 眼下の街路を駆ける少女を視認し、口無もまた笑みを深める。その少女は明らかに弱っていた。魔力が目減りしている。それも当然だ。彼女は常に全力で戦っている。広大な上都を覆うほどの冷気を生み出し、振るう刃の一太刀にも膨大な魔力をまとわせていた。駆け引きを知らず、ひたすら前へ出ようとするその戦い方は――


「消耗も激しかろう」


 口から胸元にかけては喀血(かっけつ)の痕が見られ、身につけた貫頭衣はすでにぼろ布と化している。()った手傷を短時間で再生するには多くの魔力を必要としたはずだ。


「……来い。つぎで終わらせてやる」


 口無は地面に膝をつき、ふたたび魔力を流し込む。さきほどとは違い、時間に余裕があるため込められた力は甚大だ。限界を越えた魔力に石畳がひび割れ、青い燐光と(こま)かな粉塵が空へと舞い上がる。

 身を起こした口無は大地を強く踏みしめ、暴発しそうになる魔力を抑えつけた。

 ――来る。手負(てお)いの少女がわき目もふらずに駆けて来る。


「……不用心に間合いを詰めようとすれば、同じことの繰り返しだと(わか)らぬはずもなかろうに」


 一直線に疾駆(しっく)する少女を見て、口無は嘆息めいたつぶやきを洩らした。


「当然、なんらかの対策を(こう)じてくると思っていたのだが……」


 アルフラは戦いの最中(さなか)に考えるということをしない。策を(ろう)さない。

 ただただ力へ対する欲望のままに。

 卓越した闘争本能に従い剣を振るう。


「……まさか力押しとはな」


 大地を凍らせながら駆ける少女に、口無は楽しげな笑みを向けた。

 霧氷混じりの真っ白な呼気が長々と吐き出される。

 手にした魔剣の刀身は急激な温度の低下により結露(けつろ)し、その刃は妖しく濡れ光っていた。

 少女の瞳も同様、欲望に濡れて――底冷えのする眼光が口無に()えらる。


「おもしろい。ならば正面から叩き伏せてやる」


 氷雪を(ともな)った暴風が吹き荒れ、口無の視界を白く(さえぎ)る。風に紛れた少女の姿を注視しつつ、腕を振って迫り来る寒波を薙ぎ払う。

 青い燐光を舞わせる石畳に少女が踏み込んだ瞬間、口無は踏み抜くように強く(かかと)を地面に打ち付けた。

 地中に流し込まれた魔力が開放され、凄まじい揺れが大地を波打たせる。――しかし、それだけだった。


「な、なんだ!? なぜ……」


 驚愕に表情を歪ませた口無に極寒の冷気が吹きつけられる。

 そこかしこから氷の軋む異音が響き、(けぶ)る冷気が世界を白く染め上げた。

 爆圧と共に天へと巻き上げられるはずであった石畳はあまさず凍りつき、流し込んだ魔力は大地を閉ざした氷土(ひょうど)に抑え込まれていた。


「力負けしたというのか……この我が!?」


 ぎちりと歯を噛み鳴らした口無の耳に、歓喜を歌う魔剣の旋律(しらべ)が届く。はっと息を飲んで一歩後退(あとずさ)ると同時、白銀の切っ先が大気を斬り裂き殺到した。

 反射的に口無は魔剣を握る少女の右腕を掴む。

 魔王の障壁を(つらぬ)いた刃は、口無の腹に浅く潜り込んでいた。分厚い腹筋を通すには(いた)らぬが、しかし凄まじい勢いで魔剣は魂魄を(すす)り上げる。


「グッ――オオォ――――――」


 苦悶する圧壊の魔王と対峙したアルフラも、その表情は激痛に歪んでいた。口無が渾身の力をもって、掴んだ右腕を握り潰そうとしているのだ。

 太い五指が肉に深く食い込み、破けた血管から鮮血が吹き上がる。

 痛覚神経が()し潰され、生物が感じ得る最大級の痛みが脳へと伝達された。


「……う……ぎっ………っ!!」


 血走った目を限界まで見開いたアルフラは、最愛の名を口のなかでつぶやいて一声吠えた。


「――痛くないッ!!」


 あらゆる感覚を遮断して、アルフラは力任せに腕を突きだす。

 魔剣の中程(なかほど)までが口無の腹に埋まり、その鋭利な先端は筋肉質な体を貫き通した。

 唇から大量の血を(したた)らせた口無は、ぎょろりとアルフラを見下ろし、その小さな頭を鷲掴(わしづか)む。


「……負けん!」


 必死だった。


「貴様のような小娘になど……」


 この地上において比類なき力を誇る魔王の一角が、見栄も外聞も捨て、魔族の本性を剥き出しにして――眼前の少女を倒すために死力を尽くしていた。


「――我は王なり!!」


 頭蓋の軋む音を聞きながら、アルフラは左腕を持ち上げる。

 大気を白く(むしば)みながら、その手が伸ばされる。

 みずからの頭を握り潰そうとする野太い腕に、アルフラの指先が触れた。

 氷の砕ける澄んだ音が鳴り響き、口無の腕が(はかな)くも崩れ去る。

 同時に魔剣の刃が根本まで(ねじ)り込まれた。

 口無の喉がごろごろと不気味な音を発し、その唇から(おびただ)しい量の血が吐き出される。


「我は……」


 降りかかる死に(あらが)うかのように、口無は最後の力を振り絞る。しかしそれは、なんの殺傷力も持たない小さな風を起こすことしか出来なかった。

 魔剣プロセルピナは、すでに魂魄の大半を吸い上げていたのだ。

 周囲の霧氷が風により吹き払われると、地平の彼方には今まさに没しようとする落日の陽が稜線に掛かっていた。

 焼け落ちる夕陽の中へ沈み込むように、口無の体が崩折(くずお)れる。

 アルフラはおのれの顔を汚した口無の血を親指で(ぬぐ)い、そのまま口に含んで味わうように舌を(うごめ)かせる。――満足した子猫を思わせる笑みが口許をほころばせた。


「つぎはあいつよ」


 鮮血色(せんけつしょく)に染まった瀕死の太陽が地平に(ぼっ)しゆく。



「つぎは戦禍を皇城に沈めてやるわ」


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