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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
217/251

落陽(前)



 丘の上から眼下を見下ろして口無は思う。

 果たしてその少女はどのような経験をし、どれだけの敵を屠り、これほどの力を身につけたのか。

 いったい何を思い、何を考え、何のために戦っているのか。


「ゆるりと心行くまで語り合ってみたいものだが……」


 声を張れば届かぬこともないが、まだ少女との距離はかなり離れている。それ以前に、相手は語らいの時間を持つつもりなど毛頭ないようだ。

 たわめるように膝を折り、姿勢を低くした少女は解き放たれた矢のごとく一直線に走り出した。


「フッ……そうだな。戦場(いくさば)において言葉など不粋」


 冷気を撒いて駆ける少女はまだ丘の麓に続く通りへ入ったところである。だが口無にとって――いや、魔王にとって距離などといったものはあまり意味を持たない。視界に入りさえすれば生殺与奪は思うがまま、見渡す限りがその間合いなのだ。

 虚空に向かい、口無の手が伸ばされる。


「凡百の言葉をどれほど尽くそうと……この一手には及ぶまい」


 唇には太い笑みがたたえられたまま、その腕を振り下ろす。



「まずは挨拶代わりだ」





 突如としてアルフラの頭上に膨大な質量の魔力が現出した。それは自由落下と比べるべくもない速度で飛来する。


「――ッ!?」


 刹那に空を仰ぎ、足を開いて急制動をかけたアルフラは、慣性に逆らって真後ろへと跳躍した。

 自身が生み出した氷晶の雲に身を隠した少女を見て、口無は感嘆の声をあげる。


「あれをかわすのか!」


 これまでに立ち合った幾人かの魔王は、障壁で防ぐか己の魔力で相殺するという手法を使った。しかし避けた者は初めてであった。以前、大陸最強の剣士と(うそぶ)いた老武人でさえ、頭上から振り下ろされる不可視の一撃を知覚したときには、諦観(ていかん)(あらわ)に立ち尽くしたのだ。


「ならば……」


 口無は右の(たなごころ)を天へとかざす。そしてなにかを納得したようにひとつ頷いた。


「……なるほど。あの娘には見えていたのか」


 降雪の影響だ。

 本来、肉眼では捉えられぬはずの魔力が、降りしきる雪により浮き彫りとなっていた。


「されどこれは避けようもあるまい」


 ()り固めた大質量の魔力は先程の比ではない。市街の一区画をまるごと内包しえる巨大さであった。どれほど身が軽かろうと、落下点からの離脱は物理的に不可能である。

 もしも上都の住人に生き残りがいれば口無も躊躇(ためら)っただろう。しかしその区画はすでに凍りついた死の街と化している。なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく、口無はそれを行った。


 大気に凄まじい衝撃が走る。

 大地は悲鳴を上げるかのように鳴動し、激しく波打った。

 一軍をも瞬時に圧殺可能な魔力の鉄槌が、地面を大きく陥没させた。

 家屋の密集したその区画は瓦礫のひとつも残されていない。

 大質量の魔力により圧壊した石材は砂となるほどに磨り潰されていた。

 上都を覆っていた氷晶の雲は空高くへと巻き上げられ、口無の立つ丘陵にまで氷雪混じりの突風が吹き抜ける。

 見通しのよくなったはずの市街は、しかしそれでも白く(けぶ)っていた。

 冷気の源を()つことができなかったのだ。

 家屋が押し潰されて更地となったその中心には、風を裂いて駆ける人影がひとつ。


「まさか……無傷とはな……」


 いかにして大地を陥没させるほどの一撃を凌いだのか。

 いかなる手段であればその身に傷を負わせられるのか。


 考え始めれば疑問は尽きせぬが、口無にはひとつだけ理解(わか)ったことがあった。

 ふっと息を吐き、肩の力を抜く。

 彼は戦いにおいて確固たる信念を有していた。

 どのような状況下にあろうと、敵と対峙した場合、これを堂々と迎え撃ち、圧倒的な力を持って悠然と捩じ伏せる。

 王たる者は戦い方のひとつにおいても、威風を示して敵を(くだ)さねばならない。それが口無の、魔王としての矜持(きょうじ)であった。

 しかるに本来ならば一歩もその場を動くことなく、正面から受けて立ってこその王道といえるのだが……


「どうやらそうも言ってはおられんな」


 一連の攻防で、不吉な冷気を振り撒くその少女は格上である、と口無は判断した。迎え撃つのではなく、立ち向かう気概こそが必要なのだ。

 斜面を駆け上がり来る少女の背後からは、波打ち押し寄せる津波のごとき冷気が迫っていた。大気を(きし)ませ、大地を凍土と変える大寒波は、口無をして脅威と言わざるえない。それにも増して切実なのは、少女の手にした長剣である。刀身からは金色(こんじき)の淡い光を立ち昇らせ、絶えず甲高い唸りが発せられていた。


「なんとも不気味な剣だな」


 近接戦闘は避けるべきであろう。おそらくは口無の強固な障壁をすら穿(うが)てる得物である。その刃は魔王の命に届くのだ。

 正面に特大の魔力塊を放ちざま、口無は城郭へと後退する。――そのとき、我が目を疑うことが起こった。小さな砦ほどの質量を持つ魔力塊に、少女が剣を振り下ろしたのだ。あらゆる物を圧壊する魔力塊は両断され、少女の背後から迫る寒波に呑み込まれた。


「馬鹿な……魔力を斬ったのか……」


 (おのの)きとも武者震いともつかない感覚に身動(みじろ)ぎしながらも、少女との間に城郭を挟むよう立ち位置を変える。

 口無が後方へ飛び退くと同時、白く雪崩打(なだれう)つ寒波が城郭を呑み込んだ。凄まじい破砕音が鼓膜を震わせ、砕けた石材が四方に飛び散った。視界の端では側塔が崩れ落ち、連鎖的に郭壁が崩壊していく。


「フッ、門を使う気はないと見える。不作法な娘だ」


 口無とて余裕があるわけではない。迫る寒波と絶えず聞こえる大気の轢音(れきおん)は、最上級の焦燥感となりその肝を冷した。

 鋭く視線を巡らせるが、少女の姿はない。ただすべてを凍らせる冷気だけが高く立ち昇り、視界を真っ白に染め上げていた。


「クッ――――!」


 口無の右手が大きく横薙ぎに払われる。

 押し寄せる寒波を掃き散らし、背を向けることなく後退する。寒波の勢いを留められたのもほんの数瞬、冷気の波は速度を増して周囲の楼閣(ろうかく)を次々と呑み込んでゆく。

 頭上から降り注ぐ凍りついた瓦礫を障壁で(はば)みつつ、口無は後退を続ける。

 右手に(そび)える一際巨大な楼閣が倒壊し、狙いすましたかのごとく頭上に影を落とした。重層構造の最上部を魔力塊で打ち砕いた口無は、爆散した瓦礫の陰から躍り出た少女の姿を視界に捉えた。その思わぬ距離の近さに鼓動が早鐘を打つ。

 これまでに攻め手のすべてを無効化された口無は、咄嗟(とっさ)に後方からの攻撃で対応する。しかしアルフラはそれにすら反応してみせた。振り向きざまに魔剣を一閃し、さらに身体を半回転させて姿勢を低くする。一気に距離を詰めようとしたその瞬間を、口無は(のが)さなかった。前方へ腕を伸ばし、力強くなにかを握るような動作をする。

 はっと表情を強張らせたアルフラが地を蹴った。だが四方から殺到した魔力により拘束、圧縮され、その細い体躯(たいく)が中空で静止した。


「ようやく捕らえたぞ」


 強烈な反発を感じながらも口無はさらに強く拳を握り込む。

 アルフラの痩身(そうしん)が捻り上げられ、骨と関節の軋む異音が響いた。頸椎(けいつい)が危険な角度にまで曲がり、その顔が苦悶に歪む。

 握り拳に左掌(ひだりて)を添えた口無は、とどめとばかりに全霊の力を持って締め上げる。――刹那、


「くっ、あああぁぁ――――!!」


 高い少女の咆哮とともに、口無の目の前で氷雪が()ぜた。握り締めた掌の中に凄まじい衝撃が走り、その手が開かれる。逃すまいと力を込めた口無であったが、少女の背後から迫る氷晶の雲がその姿を覆い隠した。直後――すべてを()てつかせる寒波が魔王の障壁に叩きつけられた。

 視界を白く(さえぎ)られた口無の耳に、ぎしりと障壁の凍りつく嫌な音が届いた。ぞっと総毛立つような危機感に()かされ、正面にありったけの魔力を放ちざま後ろへ跳ぶ。間髪を置かずに横合いから降ってきた刃が空を斬った。

 初めて間近でアルフラの顔を視認し、口無の顔に浮かんだ表情は、安堵であった。

 ほっそりとした肩は忙しなく上下し、荒い息づかいがはっきりと聞こえる。口の()からは鮮血が一筋流れ落ち、白く凍えた世界の中で唯一の(いろど)りとなっていた。

 血の(かよ)った生身の体を有するのであれば、それを殺せぬ道理はない。疲弊(ひへい)もすれば傷も付く。決して勝てない相手ではないのだ。

 剣の間合いへ入らせぬようにすれば口無の優位性は動かないだろう。少女の身体能力とそれに付随する冷気の力を加味すると、かなり難儀な立ち回りを()いられそうではあるが……しかし口無とて見せた力はほんの一部。依然余力は充分に残されているのだ。

 たがいに目を見交わしたのも束の間、少女が低く構えると同時に口無も動く。

 眼前に不可視の鉄槌を無数に降らせながら横薙ぎの一撃を叩き込む。

 前に出ようとしたアルフラは頭上の脅威にその前進を阻まれ、さらには側面からの攻撃を凌ぐべく対処に追われる。地面を横一文字にえぐりながら瓦礫を磨り潰し、(めく)れ上がった石畳の破片を伴う魔力塊がアルフラを襲う。その結果を見ることなく、口無は己に不利な間合いからの離脱を図った。気づけば開け放たれた竜玉宮の門が間近にあり、そちらへと駆ける。背後からは氷山でも砕いたかのような轟音が響き、魔剣の奏でる硬質な旋律が長く尾を引いた。

 竜玉宮の入口はすでに凍りつき、内部に入ると太い石柱にはいくつもの亀裂が走っていた。歴史あるこの壮麗な宮殿が崩落するのも時間の問題であろう。口無にとってそれはなんら脅威となり得ない。――が、足止めされることにより追いつかれれば致命的だ。魔剣の間合いに入られれば、おそらく()(すべ)もない。動きつづけなければ死が見える。

 中庭に面した回廊に出た口無は背後へ向き直る。華美な装飾のなされた壁面を凍らせながら、極寒の冷気が迫っていた。追いすがる少女の姿は見えない。口無は迷わず正面に魔力塊を撃ち込む。宮殿の広い通路よりもさらに巨大な一撃が、壁と天井をこそぎながら冷気を打ち払った。たがいに相手を目視できぬ状況であれば不意討ちとなるのは必然。通路の奥にちらりと見えた人影に向かい、魔力の鉄槌を豪雨のごとく降らせる。宮殿の上階を撃ち抜き降り注ぐ大質量の魔力に被せ、口無は四方からの圧殺を(こころ)みた。宮殿を囲い込むように障壁を出現させ、それを一気に収縮する。壁や梁が()き潰され、轟音とともに圧縮された瓦礫が天高く吹き上げられた。


「……まさか、無傷ということはあるまいな」


 少女を倒せたという手応えはなかった。仕留め切れなかったのは間違いない。その証拠に、先ほどから降り始めた雪はいまも激しさを増している。

 竜玉宮本殿の残骸である、(うずたか)く積もった瓦礫の一角が崩れた。

 口無の表情が険しさを増す。


「氷の……(ひつぎ)か……?」


 一切の不純物が混在しない澄みきった氷の内部で、アルフラが笑っていた。纏った衣服の所々が裂けているものの、目立った外傷は見当たらない。すっとその手が伸ばされると、氷柩(ひょうきゅう)に亀裂が入り、音を立てて崩れ去った。


「ふ……ははは……」


 思わず口無は乾いた笑いを漏れこぼした。



「たまらんな……このほどよい絶望感は何物にも代えがたい!」

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