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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
213/251

邪神の司祭(結)



 ジャンヌの拳により爵位の魔族が打ち倒されたのを見て、シグナムは振り上げた大剣を下ろした。側頭部が陥没し、左の眼球を飛び出させたその有り様は、一見して即死だとわかる。


「……ちっ」


 みずからの手で倒したかったという思いが強く、かるく舌打ちしてジャンヌに視線を向ける。


「お前、ずいぶんと強くなったな」


「これもすべてはアルフラさまの御加護があればこそです」


 謙遜ではなく真剣にそう思っているらしいジャンヌの右手には、いまだ黒い(もや)がまとわりついていた。


「致命傷の魔法を直接(こぶし)で打ち込んだのですか?」


 やや距離を取りながらも興味津々といった様子でフレインが尋ねた。


「魔法は関係ないだろ」


 足元に転がる遺骸を指さして、シグナムは不機嫌そうに顔をしかめる。


「どう見ても頭蓋骨を砕かれたのが死因だよ」


 獲物を横取りされたことを根に持っているらしいシグナムを横目に、ジャンヌは満身創痍のルゥに歩みよる。


「お待たせしました。すぐに傷を癒してさし上げますわ。――ああ、我は願う」


 快癒の呪文を唱え始めたジャンヌを見て、狼少女はびくりと肩をふるわせて後ずさった。


「い、いい、もうへいきだから」


 白い体毛を全身血の赤に染めたルゥであったが、致命傷の魔法を見た直後であるためとてもジャンヌを警戒しているようだ。


「遠慮なんてルゥらしくありませんわよ。さすがにすぐ治るような傷では……あら?」


 複数の慌ただしい足音が聞こえて振り返ったその先には、城館からわらわらと駆け出してくる魔族たちの姿があった。すかさず身構えた一行を見て、魔族の一団はその場で足を止める。


「貴様らはいったい……?」


漠遼(ばくりょう)様!?」


 倒れ伏す無惨な(むくろ)に気づいた一人が、シグナムたちから飛びすさって距離を取った。


「ま、まさかお前らが漠遼様を!?」


 素早く散開した魔族たちだけでなく、城館からは無数の新手が姿を現していた。剣先を魔族に向け、いまにも斬りかからんとしていたシグナムであったが、その数が百を超えたあたりで若干表情をひきつらせる。


「ルゥ、こいつらの動き、止められるか?」


「たぶんぜんぶは無理」


「……だよな」


 その間にも魔族は増えつづけ、周囲は完全に囲まれてしまっていた。すでにこの時点でその数は二百に届こうかという勢いだ。桟橋を背にしているので係留された船に乗って逃げるという手もあるが、それでは的になるだけだろう。

 魔族たちはなにかから追われるように後方を気にしつつも、油断なくシグナムたちの動向を注視している。


「こいつらたぶんアルフラちゃんから逃げてきたんだ。しばらく持ちこたえれば――」


「そんな無茶な……アルフラさんが来る前に押し潰されてしまいますよ」


「……だな。さすがにこの数を相手にゃしてられねえ。ルゥの咆哮で奴らが(ひる)んだ隙に、死ぬ気で囲いを破って正門まで戻ろう」


 絶対絶命の窮地とも言える状況ではあったが、むしろ瀬戸際に立たされているのは魔族たちの方であった。炙揮(しゃき)の采配により城兵の約半数、四百名以上の魔族が隠し通路を使って落ち延びはしたものの、背後からはアルフラに追いたてられ、城館を出た矢先では漠遼を(ほふ)ったシグナムたちとの鉢合わせである。

 爵位の魔族は雑兵が幾人(いくにん)寄ったところで(こう)する(すべ)もない畏怖の対象だ。それを倒した者と戦うという発想自体が下策であると魔族たちは考えていた。彼らは包囲しているのではなく、桟橋に陣取った一行を前に立ち往生していたのである。

 そういった理由で、シグナムたちが声に出して撤退の算段をし始めるにいたり、魔族たちは邪魔にならぬよう立ち位置を変えて道を開けた。


「……おっ?」


 割れた人垣を見たシグナムがその意図に気づいたとき、


「ああ、我は願う」



 この状況では場違いとも言えるジャンヌの声が響いた。





 伯爵位の魔族、炙揮(しゃき)の魂魄をあますことなく魔剣で吸い上げたアルフラは、貫頭衣(チェニック)の懐から城館の地図を取り出した。それを頼りに隠された扉を探す。

 すでに数えるのも億劫(おっくう)なほどの魔族を斬りはしたが、事前に聞いていたものよりはだいぶ少ないような気がする。実際、城内で戦っている最中、多数の魔族が最上階に移動する気配を感じたにも関わらず、待ち受けていたのは炙揮一人であった。そのため、おそらく船小屋近くに通じる隠し通路に逃げ込んだのだろうと当たりをつけたのだ。


「あ……」


 それはすぐに見つかった。

 壁面を飾る大きな綴れ織りの壁掛け(タペストリー)をめくると、やや窮屈ながらも人一人が通れる程度の細長い扉が隠されていた。扉の奥は調度品の置かれていない小部屋となっており、さらに扉をくぐって狭い通路を進んでゆく。その通路は城館の裏側にそびえ立つ監視塔の一室へと通じていた。

 光源の(とぼ)しい暗い塔内を小走りに駆けると、ほどなく撤退する魔族の最後尾に追いつくことができた。


 アルフラの接近に気づいた者たちが恐怖に顔をゆがめる。

 背後から追いすがる濃密な死の気配が、魔族たちを浮き足立たせていた。

 喉を引き攣らせたような悲鳴が石壁に反響する。

 我先に駆け出そうとする逃走者のなかで、一人の女魔族が風の刃で応戦する。

 そして彼女が最初の犠牲者となった。

 襲い来る大気の断層を魔剣で斬り裂きアルフラは距離を詰める。

 果敢に立ち向かった女の胸に深々と刃を埋め、魔剣を薙ぎ払うようにして串刺しにした体を脇へ放る。

 逃げ遅れた魔族の背を撫で斬り、崩折(くずお)れた体を踏み台にして先を走る魔族に飛びつく。

 肩を掴んで床に引き倒し、頭を踏みつけて石畳ごとその首を刈り取る。


「くっ、ふふふ……」


 我知らず、アルフラの唇から忍び笑いが洩れ出ていた。

 以前とは違い、魂を(すす)る魔剣のお陰で魔族の血を飲む手間が(はぶ)ける。大量に飲み過ぎて動きがにぶることもなければ血液の催吐作用(さいとさよう)により具合が悪くなることもない。雑兵程度の魔力ならプロセルピナは一太刀で根こそぎ魂魄を奪ってくれる。


 実に効率良く力が手に入るのだ。


 アルフラにはそれが嬉しくてしかたない。

 魔剣のひと振りごとに相手は絶命し、力が流れ込んで来る。

 これほど人を斬るのを楽しいと感じたのは初めてかもしれない。

 逃げる魔族たちを追い詰め、ひたすら機能的にその命を搾取しつづける。

 上機嫌なアルフラに呼応して、プロセルピナも刀身からかん高い旋律を響かせていた。


「ふっ……うふふふふ……」


 ふと、絶え間なく聞こえる笑い声がみずからの口からこぼれ出ていることにアルフラは気がついた。

 なぜかそれが無性に耳障りに感じる。

 片手で口許を押さえてみるがなかなか止まらない。


「ふふ……あはっ……」


 楽しいひとときが(いや)らしい笑い声で台無しとなり、しだいに苛立ちが込み上げてくる。


「……ふふふふふ、あははははは……」


 それでも声を抑えることはできなかった。

 笑いながら縦横無尽に魔剣を振るい、息つく間もなく通路を返り血に汚してゆく。

 みずからの顔を鷲掴(わしづか)むようにして口許を(おお)い、狂笑しながら血刀を振りかざす悪鬼。

 逃げ惑う魔族たちは恐慌をきたし、眼前の仲間を押し退けて我先に逃げようとする。しかし城館の通路は狭く、行き詰まった人波に埋もれてしまってなかなか前に進めない。そうする間にも、背後からは仲間たちの断末魔の悲鳴が冷気とともに近づいて来る。



 死の恐怖に囚われ、暗く冷たい通路で逃げ場もなく追い散らされる魔族たちの絶望は、一体いかほどのものであったろうか。





 監視塔の階段を下り、逃げる魔族の背中を追いながら戸をくぐったアルフラは、目の前の光景にちいさな吐息を落とした。城館から外に出てみると、ぱっと見だけでも三百を超える魔族が人垣を作っていたのだ。

 城内とは違いその気になれば四方へ逃げることができるので、さすがにそのすべてを斬ることは不可能だろう。

 いまのアルフラにとって、一般的な魔族の持つ力などごくごく微小なものにしか感じられない。伯爵位の魔族を斬った直後なのでそれは尚更である。

 すでに城内で数百の魔族を斬り捨てたアルフラは、その作業にすこし飽きてきていた。力への渇望が萎えることはないが、微々たる魔力を手に入れるため、あと三百回以上も同じことを繰り返すのかと思うと、すこしゆううつになってしまう。

 プロセルピナももっと強い相手が斬りたいと駄々をこねていた。

 いっそまとめて凍らせてしまおうかとも考えたが、魔剣で殺さないことには力が手に入らない。


「ちょっとめんどくさい……」


 小声でぼやいたアルフラは、人垣の向こうにシグナムの特徴的な兜が見えることに気づいた。すこし背伸びをしてみると、ルゥやジャンヌの顔も視界にはいる。どうやら緊迫した状況らしく、シグナムたちは周囲の魔族を注視していてアルフラにはまだ気づいていない。ジャンヌはすぐに気配を察したようで、アルフラを見て表情をぱぁっと輝かせた。

 かるく顔をしかめたアルフラに、神官娘はなにやらしきりと首をうなずかせる。どうやら神のお告げか天啓のようなものが聞こえているらしい。



 死神(ししん)の王笏を頭上に掲げ、ジャンヌはおもむろにその呪文を唱え始めた。





「ああ、我は願う」


 朗々(ろうろう)たるジャンヌの声が神への忠誠を誓う。


「万象を内包せし根源の女神アルフレディアよ。御身(おんみ)が忠実なる使徒たらんことを、我は誓約せし者なり」


 名を呼ばれて不機嫌な顔をした女神さまに、神官娘は満面の笑みを返した。彼女にはそれが、神々しくも厳かな表情に見えているのだ。


「どうか応えたまえ」


 なにを求められているのかさっぱりなアルフラをよそに、掲げられた王笏の先端からは黒い霧が溢れ始めていた。


(ことわり)()べし神意を持ちて、穢れし魂に救いと赦しを。永劫安らかなる御身が胎内(うち)へ、道(しめ)したもうこと我(たてまつ)らん」


 祈りの声とともに魔力の霧は濃さを増し、夜闇が広がるように大気を浸食する。


「還れ、我が女神の許へ。衆生(しゅじょう)ことごとくはその御名(みな)を讃えるべし」


 漆黒の霧は暗雲のごとく頭上に垂れ込め、(たむろ)う魔族たちは非常によくないものを“それ”に感じた。


始源回帰(アルフレディア・ハイレディン)!!」


 凛とした声音は清水(しみず)のごとく澄み渡り、しかしそれによって引き起こされた事象は酸鼻(さんぴ)を極めるものであった。

 陽光を閉ざす天蓋(てんがい)と化した濃霧から、一滴(ひとしずく)の闇がしたたり落ちる。

 顔にそれを受けた女魔族の頬が瞬時に黒ずみ、痒みを感じて手を当てると、腐臭を放つとろけた肉が指にこびりついた。


「――ひぃ!?」


 真っ白な頬骨を露出させて悲鳴を響かせた女を見て、魔族たちは悪寒に震えながら頭上の暗雲を仰ぐ。

 周囲から息を飲む音が無数に聞こえた。

 これからなにが起こるのかは誰しも予想がついていた。彼らの頭上を覆うのは、腐敗をもたらす雨雲なのだ。それは魔力障壁を浸食し、人体を生きたまま腐らせる。

 降り注ぐ雨粒(あまつぶ)を避けることなど出来るはずもなく、事ここに至っては逃げ場もありはしない。

 非業の末路を約束された者たちの幾人かは、魔族の矜持をあっさりと投げ捨て、恐るべき外法を操る邪神の司祭に赦しを求た。

 ある者は(ひざまず)いて懇願し、またある者はそんな死に方は嫌だと声の限りに泣き叫ぶ。

 口々に命乞いの言葉を投げかける魔族たちに、神官娘は慈愛の眼差しで告げた。


「我が神は慈悲深く寛容です。慎んでその祝福を(たま)わる栄誉に(よく)しなさい」


 腐敗の雨が降り注いだ。

 雨に打たれた者は頭皮が頭蓋から溶け落ち、絶叫しながら腐臭と腐肉を撒き散らした。

 阿鼻叫喚の坩堝を眺め、ジャンヌは満足げに目を細める。


「祈りなさい。女神アルフレディアの祝福を甘受し、(にえ)として(きょう)されることに歓喜するのです」


 ジャンヌの言葉に対する反応は様々であった。

 腐敗し、液状化した眼球を涙のようにしたたらせながら女神を呪う者がいた。

 腐りきった腕を肩からぶら下げた魔族は女神に救いを求めながら溶け崩れた。

 倒れ伏した女は腐汁の()じんだ唇で女神を罵倒しながら大地のシミとなった。

 なかには神官娘に言われるがまま祈る者もいたが、罵る者も助けを乞う者もみな平等に女神への供物(くもつ)とされた。



 あとには血と肉と臓物の混ざったおぞましくも茶色い液体がぶちまけられ、堪えがたい悪臭を放つ数百人分の汚水が地に広がっていた。





始源回帰(アルフレディア・ハイレディン)!!」


 ジャンヌが高らかと呪文を唱えると、あたりに黒い雨が降り始めた。

 周囲に凄まじい腐臭が立ち込め、悲痛な絶叫の大合唱が鼓膜を震わせる。

 まさかの大惨事にアルフラはぎょっとした顔でジャンヌと腐れ落ちる魔族を見比べた。

 黒い雨を浴びた者は腐敗し、崩壊した肉体をどろどろに液化させて死骸を晒してゆく。

 自分の名前をあやしげな呪文に流用されたアルフラは、きつい目でジャンヌをにらみつけた。女神さま激おこである。


「我が神は慈悲深く寛容です。慎んでその祝福を(たま)わる栄誉に(よく)しなさい」


 神官娘がなにを言っているのかアルフラにはまったくわからない。とりあえずその不愉快な口を、唇がもげるほどにつねりあげてやろうかと思い立つ。

 アルフラはみずからを避けるように降りしきる黒い雨に手を伸ばしてみた。

 手の甲にぴりりとした感覚がするだけで、アルフラ自身にはたいした害もないようだ。

 雨の中に一歩踏み出すと、雨粒が凍って黒い霧氷が周囲に舞った。肌に感じた冷たさを心地よく思いながら、ついさきほどまで魔族であった腐肉の水溜まりを避けて歩く。その足許から淡い光が立ち昇り、ゆらゆらと漂ったそれはアルフラの身体に吸い込まれた。


「??」


 怪訝(けげん)に思い周りを見回してみると、同じような光が魔族の死骸から遊離してアルフラの方へと寄ってくるのが見えた。

 手を振って払いのけると、青い光は腕に触れた瞬間、滲むように消え失せてしまう。


「……ひとだま?」


 気づけば無数の魂魄(こんぱく)らしきものに囲まれ、それらはアルフラに引き寄せられるかのようにまとわりついてくる。そのたびに微弱ながらも自身の魔力が増していくのを感じた。


「祈りなさい。女神アルフレディアの祝福を甘受し、(にえ)として(きょう)されることに歓喜するのです」


 その言葉で、これはジャンヌがやっているのではないかということに思い当たる。


「ねぇ、ジャンヌ。あなた何をしたの?」


 匂い立つ腐臭にあてられたらしく、尾っぽをまるめてえずくルゥの隣で、神官娘は信奉する神の問いかけに小首をかしげた。


「何、とは……? わたしはとくに何もしていませんが」


「なんか魔族の魂っぽいのが、いっぱいあたしの中に入ってくるんだけど」


「すべての生き物は死後、アルフラさまの御許へと還ります。それはこの世の摂理なので当然のことかと」


 さも当たり前という顔をする神官娘を見て、もしかしてそういうものなのかなとアルフラも思ってしまう。

 ジャンヌは腐敗の魔法で犠牲となった者の魂を、文字通りアルフラへ捧げているのだ。

 鉄の忠誠、鋼の狂信。そういったものがこの奇跡を可能にしたのだろう。

 そうしている間にも途切れることなく魔力は流入し続け、中でも一際大きな魂魄、漠遼のそれを吸収したアルフラが口許をほころばせた。

 ふだんはおかしな言動ばかりが目立つ神官娘であったが、すこしばかりその認識を改める。


「もしかしてジャンヌって、けっこうすごい?」


「いいえ、すべてはアルフラさまのお力があってこそです。これからも雑兵ごときの相手でそのお手を(わずら)わさぬよう、日々精進に励みますわ」


 謙虚な物言いをする神官娘であったが、信奉する女神から誉められたことが余程嬉しかったようで、はにかみながらも敬愛と崇拝の眼差しをアルフラに向ける。



 揺るぎないその視線の先では、彼女の神が嬉しげに微笑んでいた。――腐肉の沼地と化した惨状を背に。

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