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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
211/251

邪神の司祭(中) ※挿し絵あり



 堅忍不抜(けんにんふばつ)枕詞(まくらことば)に語られるエルテフォンヌ城は、ロマリア北部を縦断する大河に併設された水城であった。城壁内にはふたつの監視塔と三千人の門衛が寝泊まりできる兵舎を(よう)し、城内は外敵の侵入に備えて非常に入り組んだ造りとなっている。

 城の背後に大河を望み、三方を深い堀に囲まれた難攻不落の城塞ではあったが、それでも魔族の進攻に対しては十全の防備といえなかったようだ。

 前エルテフォンヌ伯爵は咬焼(こうしょう)率いる魔族の襲来により戦死し、いま現在は炙揮(しゃき)という魔族に占拠されている。そしてその魔族たちは、エルテフォンヌ城に防衛施設としての価値をなんら見いだしてはいないらしい。


「……跳ね橋が下ろされてるな」


 あきれたように言ったシグナムへ、フレインが苦笑混じり応じる。


「城門も開かれていますね」


「もしかして城を守る気がないのか? あいつらにとってロマリアは敵地のはずだよな」


「おそらく攻められること自体考えてないのでは? 人間の軍は魔族と比べて機動力に劣りますし、接近される前に斥候が発見するでしょうからね」


「まあ、あたしらみたいに数人で乗り込んでくるとは思ってないか」


 エルテフォンヌ城からやや離れた場所に馬車を止め、一行は城門の様子をうかがい見ていた。


「でもさすがに門衛は置かれてるね。たった二人だけど。……おい、ジャンヌ。鎧()けるの手伝ってくれ」


「あ、はい」


 アルフラの背後で慎ましやかに(たたず)んでいた神官娘がシグナムへ寄っていく。

 魔族の衛兵は、おもむろに門前で鎧甲冑を身に付けはじめた女戦士をさも不審げに眺めていた。まさか彼らも、シグナムが討ち入りの身仕度をこうも堂々と行っているとは予想もしていないのであろう。


「では、私が皆様にダレス神の加護を授けましょう」


 トマスが武神の聖句を唱えはじめる。

 詠唱が進むにつれ、シグナムたちの体が淡い光に包まれた。祝福(ブレス)の奇跡が降りたのだ。


「……ん?」


 体内から湧き上がる活力を感じたシグナムが、不思議そうに己の掌を見つめる。そしてフレインに口を寄せて耳打ちした。


「なあ、ダレス神は死んでるのになんで効果があるんだ?」


「神聖魔法というのは、彼ら神官たちが言っているように神の奇跡というわけではないのですよ」


「そうなのか?」


「ええ、実際は私の扱う魔術と変わりありません。ただ、強い信仰心は精神力や集中力に繋がるものがあるらしく、術の強度を高めることができるそうです」


「へぇ……」


 あまり興味がなかったらしく、シグナムは生返事をして視線をアルフラへと向けた。


「あたしは準備できたけど、そっちはどうだい?」


 アルフラは一枚の紙面をじっとにらみつけていた。フレインがアルセイドから譲り受けた城の見取図である。


「エルテフォンヌ伯爵の居室には、敵襲に備えた秘密の抜け道があるそうです。爵位の魔族にそれを使われると少々厄介ですね」


「……うん」


 万一にも獲物を逃がしたくないアルフラは真剣な眼差しで見取図に視線を走らせていた。


「それはアルフラさんがお持ちになって下さい。城の内部はかなり複雑な造りになっていますから、くれぐれも迷わないように」


「ふた手に別れて抜け道の出口を押さえとくか?」


「城内には千人近い魔族が詰めているそうですし、別行動は避けたほうがよいのでは?」


「そうだな……って、言ってるそばから……」


 城の見取図を懐にしまい込んだアルフラが一人、城門に向かって歩きだしていた。

 門を守る魔族は、小柄な少女が近づいて来たことに怪訝そうな顔をしながらも、その手が剣の柄に添えられたのを見て、馬鹿にしたように口許を歪める。そして半笑いの表情のまま首を落とされた。血を噴き上げた胴体が崩折れるより早く、もう一人の門衛も魔剣で串刺しにされる。


「グッ……ッ…………」


 断末魔の悲鳴を洩らしかけた口をアルフラが左手で塞ぐ。力任せに押さえつけると、顎関節(がくかんせつ)の砕ける嫌な音が響いて魔族の体がぐったりと弛緩した。倒れかかってくる(しかばね)を放り捨て、アルフラは跳ね橋へと歩を進める。一連の流れはほとんど音を立てることなく行われたため、城内の魔族は襲撃者の存在にまだ気づいていないようだ。


「あまりに手際が良すぎてゾッとするものがありますな」


 いくぶん表情を強張らせたトマスがぼそりとつぶやいた。その肩にシグナムが手をかける。


「おい、お前は馬車で待機だ」


「なんだと? 私にはジャンヌ様をお守りする役目がある。そもそもそなたに指図される(いわ)れなど――」


「トマス、シグナムさまの言う通りになさい」


「しかしお嬢様、私はお父上より――」


「退路を確保することもまた重要な役割ですわ。シグナムさまはその栄誉ある仕事をお前に一任しようと言われているのです。慎んでお受けなさい」


 有無をゆわさぬ口調で言い置いて、ジャンヌは足早にアルフラの後を追う。


「まあ、そういうこった。ここは任せた!」


 足手まといになりそうだから馬車に残れと言った本音はちらりとも垣間見せず、シグナムも城門へと駆け出す。跳ね橋を渡りきったところでアルフラの声が聞こえた。


「シグナムさん、そっちの門を閉めて」


 見ると両開きの扉の片側をアルフラが閉ざそうとしていた。城門自体はぎりぎり馬車が通り抜けられる程度の幅なので、人一人の力でも動かすことができる。言われるままにもう片方の扉を押して門を閉ざしたシグナムは、(かんぬき)を金具に挿し込みながら疑問の声をあげた。


「なあ、たぶん魔族を逃がさないために門を閉めたんだろうけどさ……これ、内側からなら簡単に開けられるぞ」


 それには答えず、アルフラは城門の中央部分に手を当てる。――途端にその体から凄まじい冷気が溢れだし、シグナムは慌てて身を引いた。すぐにぎちぎちと耳障りな音が鳴り響いて、門全体が凍りついていく。

 やがて分厚い氷に閉ざされた城門を見上げて、アルフラはこれでだいじょうぶ、といった様子で満足げにうなずいた。そして(きびす)を返す。

 氷漬けとなった城門をシグナムたちは唖然と見上げていた。アルフラのやったことだ。おそらく並の魔族ではこの氷を砕くことは不可能なのだろう。


「……なんか、どんどん人間離れしていってるな、アルフラちゃん……」


「シグナムさん、私たちも行きましょう」


「ああ……」


 がちゃりと黒刃の大剣を引き抜き、足音も重くアルフラの後を追う。


「兵舎と城館は繋がっていますから、城内に入れば多くの魔族が四方から押し寄せてくる可能性もあります。万が一にもはぐれないよう気をつけてください。とくにルゥさんは」


「はぁい」


「もし囲まれた場合は、すぐに呪縛咆哮で魔族の動きを止めてくださいね」


「まかせといてっ」


 やる気を見せる狼少女を尻目に、アルフラが城館の入り口でぴたりと足を止めた。


「あたし一人でいい。シグナムさんたちは抜け道を押さえて」


 言うだけいって、アルフラは城館の扉を開き、振り向くことなく暗い石造りの通路に駆け入ってゆく。


「アルフラちゃん!?」


 一歩踏み出しかけたシグナムだったが、他者を拒絶するかのようなその後ろ姿に思わず足を止めてしまった。


「シグナムさま、言われた通りにいたしましょう」


 従順な神の(しもべ)であるジャンヌは、鉄鎖を片手に周囲を見回した。


「抜け道の出口というのはどこにあるのでしょうか?」


「城の裏手ですね。エルテフォンヌ城には敷地内に船着き場があるらしく、その近くに秘密の通路が繋がっているのだとアルセイド様はおっしゃられていました」


「しょうがない。とりあえずそこに行ってみるか」


「私たちだけで大丈夫でしょうか」


 己の非力さを理解しているフレインは頼りなさげな顔をしていた。


「魔族の奴らもあたしたちにまで構ってる余裕はないと思うよ。すぐに城の中はとんでもない修羅場になるだろうからね」


「アルフラさんから逃げてきた魔族と鉢合わせするおそれもあると思うのですが……」


 不安そうにするフレインをジャンヌが(さげす)みきった目でにらみつける。


「私たちにはアルフラさまの加護がございます。魔族ごときが何人寄ろうと問題ありませんわ」


「……まぁ、多勢に無勢だ。もしものときは逃げだそう。アルフラちゃんがそう大量に取りこぼすとも思えないけどね」


「逃げると言っても城門はこの有り様なのですが……」


「あ……」


 凍りついた門を見上げて二人は若干顔色を悪くする。アルフラが魔族の逃げ道を塞いだおかげで、シグナムたちもまた袋の鼠だった。


「船着き場に急ごう。退路を抑えとかないと命に関わりそうだ」



 鎧甲冑を(まと)ったシグナムを先頭に、一行は城館を迂回して船着き場へと向かった。





 城の最上階。かつてはエルテフォンヌ伯爵の居室であった広い室内に、爵位の魔族が二人、(たが)いにくつろいだ様子で歓談していた。しかし、尋常ではない魔力の高まりを不意に感じて、両者は城壁を見下ろせる出窓へと駆け寄る。


「なんだ、今のは……?」


 まず視界に入ったのは、氷に閉ざされた城門の扉部分だった。その付近だけ白く(けぶ)る冷気が漂い、一種異様な光景となっていた。そして城館へと足早に歩み寄る人影が目につく。数は五人、金属製の武具で身を(よろ)っていることから、それらが人間であろうと炙揮(しゃき)は見当をつけた。


「ほんの一瞬、恐るべき力を感じましたが……」


 炙揮と並び立った子爵位の魔族、漠遼(ばくりょう)が表情を固くする。彼は口無の許へと(つか)わされた戦禍の使者であった。漠遼はロマリアの地に不案内なこともあり、かねてより皇城にて面識のあった炙揮に、手勢を数名借り受けようとエルテフォンヌ城へ立ち寄ったのだが……


「城門が氷で塞がれている……?」


「どうやら曲者(くせもの)が城内に侵入したようですね」


 炙揮と漠遼は厳しい視線を眼下へ向ける。


「あの者たち、身なりは人間のようだが……いま城内に入っていった娘はいったい……」


 漠遼は額にうっすらと汗を浮かせていた。


「おそらく巧妙に気配を忍ばせてこの城に入り込んだのでしょう。でなければこれ程の者の接近に気づかないはずがない」


 階下では戦闘が始まったらしく、とてつもない勢いで膨れ上がっていく魔力の存在が感じ取れた。それはすでに爵位の魔族ですら及びもつかない域にまで達している。


「何者なのだ……!? こんな馬鹿げた力を持つ者が人間であるはずがない!」


 おそらく二人の貴族が力を合わせてもなんら無意味であることを、漠遼は瞬時に理解していた。


「……漠遼殿。船着き場に数名の手勢を待たせてあります。(けい)はその者らと共に上都へ向かって下さい」


 炙揮は室外に控えていた魔族を呼び、簡潔に意を伝える。


「話は聞こえていたな? 漠遼殿をご案内しろ」


「かしこまりました」


「待たれよ! 炙揮様はどうなされるおつもりなのか」


「私はこの場にて侵入者を迎え撃ちます」


「いや、それでは貴女(あなた)が……」


「私には口無様より一軍を預けられた将としての責務があります。漠遼殿は使者としての任を果たして下さい」


 異論を挟む余地のない毅然(きぜん)とした物言いに、漠遼はぐっと唇を噛みしめる。その表情を見た炙揮は、ふっと口許に笑みを浮かべた。


「漠遼殿、以前よりあなたが私に対して慕情をお寄せいただいていたことは、そこはかとなく察していました」


「それは……」


「おや? 私があなたの想いに気づいていたこと……ご存知だったようですね」


「ええ、まあ……」


「では、私が色恋などには興味のない無粋(ぶすい)な女であることは?」


「……それも、存じておりました。だから俺はこの想いを口にすることが出来なかった」


「そうですか。――でもこれは知らなかったでしょう? 実は私も漠遼殿のことを、満更でもなく想っていたのですよ」


「え……炙揮、さま……?」


 狼狽する漠遼の手を握り、炙揮はその甲にかるく唇を触れさせる。


「私もここで死ぬつもりはありません。たとえ何者が相手であろうとやりようはあります。使者としてのお役目を終えたのちには、また是非この城にお立ち寄り下さい」


「……わかりました。ただちに上都へと赴き、急ぎ貴女の許に戻りましょう」


 漠遼の誠実な人柄をよく現した真っ直ぐな視線を見返して、炙揮はほのかに頬を染める。


「お待ち申しています……」


 それまで主君の恋路を邪魔せぬよう部屋の片隅でちいさくなっていた魔族に炙揮は命じた。


「漠遼殿をご案内せよ」


「はっ」


 名残惜しげに何度も振り返りつつ去っていく漠遼を、艶やかな微笑みで炙揮は見送る。想い人の背が完全に見えなくなると、その表情が女の(かお)から武人のそれへと変化した。

 続きの間への扉を開き、口早に命じる。


「状況を報告せよ!」


 すぐに配下の一人が炙揮に駆け寄り片膝をついた。


「侵入者は一名、年端もゆかぬ少女ながら、強力な魔法の武具を(たずさ)えた恐るべき手練(てだ)れにございます。城内各所に兵を伏せて迎撃にあたっておりますが、すでに多く者が死傷し、こちらの被害ばかりが一方的に増えております」


「伝令を走らせて生き残った者をこの階に集めよ。しかるのち、室内の脱出路を使って漠遼殿の後を追え」


「炙揮様はどうなさるのですか?」


「私はここに残る」


 なにか言いたげに顔を上げた配下の者を、炙揮は目顔で制す。


「総員を退避させるためには誰かがこの場に残り、侵入者の足止めをせねばなるまい。その役は私以外に勤まらん」


「……及ばずながら、私もお供させて下さい」


 意を決したかのような表情でそう訴えた男に、炙揮は視線を伏せて首を振った。


「不要だ。私一人で事足りる」


 ぐっと喉で呻いた男に、語調をやわらげて炙揮は応じる。


「その心遣いは嬉しく思う。私はよい部下に恵まれた。――その部下たちをこれ以上死なせないためにも、我が意を伝えに走ってくれ」



「御意に!」





 閑散とした室内で、炙揮はその来訪を待ち受けていた。すでに生き残った手勢はほぼ城から落ちのび、辺りに人の気配は皆無である。――しかし、人ならざる者がこの場に近づきつつあった。

 感じられる力量差は甚大なれど、炙揮には確かな勝算があった。

 真っ向からぶつかればどう転んでも勝ち目がないことは明白だ。ならば地の利を活かした搦め手を用いればよい。力押しだけではなく、炙揮はそういった機知をも持ち合わせた将であった。


 大きく開かれた扉から暗い通路を睨み据えて、炙揮(しゃき)は臨戦態勢を取る。

 こつり、こつりと――石壁に反響するかすかな足音が聞こえはじめた。周囲の気温が急速に低下していくことが肌に感じられる。

 室内を淡く照らし出す燭台の炎が、迫りくる寒気に凍えたかのごとくふつりと消えいる。

 ――やがて、通路の奥に姿を現した少女の顔を視認した瞬間、炙揮は深い後悔に呑み込まれた。


 なぜ自分はこんなモノを相手に戦おうなどと考えたのか。

 どうして勝機があると勘違いしてしまったのだろうか。


 石造りの通路を凍りつかせながら歩み寄る少女から、無意識のうちに後ずさっていた。――それはとても正常な反応といえるだろう。生存本能に関するあらゆる感覚が、生理的な忌避感とおぞましさを炙揮に伝えていた。

 力の強弱の問題ではない。その少女の在り方自体が、生ある者すべてにとって避けるべき脅威なのだ。


 奈落のように底暗い少女の瞳は飢餓と欲望に潤み、そのあまりの禍々しさは視線を合わせた炙揮に呪縛をもたらした。

 極寒の冷気を(まと)った少女が一歩を踏み出すたび、白い(もや)が壁を舐めて瞬時に凍りつかせる。

 そこかしこから氷の軋む音が鳴り響き、大気中の水分は残らず氷晶化して少女の周囲をきらきらと(いろど)った。


 本当になぜ、こんなバケモノと戦おうと思ってしまったのか。


 堪えがたい恐怖が臨界に達し、炙揮は恥も外聞もなく悲鳴を上げた。


「う……あ、あああぁぁ――――――――――!!」


 呪縛をもたらしたのも恐怖ならば、それを打ち破る切っ掛けとなったのもまた恐怖であった。

 炙揮の右手が青白い火焔に包まれる。

 保有する膨大な魔力の大半を炎熱に変換して周囲を白く染め上げた。

 屋内の狭い通路は放熱効果を最大にまで引き上げ、瞬間的に岩をも熔解させる熱波を生み出した。


 たとえどれ程の力を持とうと、相手が生身の人間であればそれで勝負は決したはずだ。

 魔族と違い人間は魔力障壁を持たない。

 しかし炙揮の心中に安堵が訪れることはなく、むしろ極限にまで危機感が高まっていた。

 灼熱の地獄と化した通路から凄まじい吹き返しがやってくる。それは熱風ではなく、氷雪混じりの冷たい風だった。

 涼しげな表情のバケモノが、手にした長剣をひと振りした。風切り音の中に金属的な旋律が走り、通路を焦がす残り火が(ことごと)く消え失せる。

 なにごともなかったかのように少女が踏み出すと、なかば熔解しかけた煮え立つ石畳が凝結し、真っ白な霜に覆われる。

 どうしようもない絶望感に見舞われた炙揮であったが、それでも彼女は諦めなかった。

 力で及ばぬのならば知恵を絞り策を弄する。

 限界にまで圧縮された炎が手の中に生成された。それを少女の足元へ放つ。

 白熱の火球は弾けると同時に激烈な爆風を(しょう)じさせた。その爆圧は石畳の床を砕き、壁面に無数の亀裂を走らせる。

 轟音と共に石材が階下へと崩れ落ちてゆく。

 冷気を纏った少女は石畳の崩壊に巻き込まれる寸前、床を蹴って高く跳躍していた。

 そこまでは炙揮も折り込み済みだ。着地の瞬間を狙い、その足場を崩して少女を生き埋めにする。はたしてそれで殺せるのかは(はなは)だ疑問であったが、すくなくともしばらくは動きを封じることが出来るはずだ。――しかし、跳躍した少女が宙空で信じられない動きをした。みずからの左手を凍りつかせて天井に張りつかせたのだ。そのまま腹筋の力だけで下半身を持上げて両の足で天井を蹴る。

 間を外された炙揮は慌てて身を引こうとしたがそれは遅きに失した。

 眼前に降り立った少女が剣の峰でひたひたと炙揮の首を打つ。


「口無は上都にいるって聞いたんだけど、それはほんと?」


 凍えた吐息を洩れこぼす、少女の唇が開かれた。


「こたえてくれたら、いたくないように殺してあげる」


「……お前のような小娘があの方に勝てるとでも思っているのか?」


 炙揮は怖気(おぞけ)に全身を震わせながらも、なけなしの気概を振り絞って口許に笑みを浮かせた。


「上都へ行け。行って口無様に殺されるがいい。あの方のお力は絶大だ」


「そう、口無ってそんなにつよいんだ」


 少女は無造作に炙揮の髪を掴み、唇が触れあいそうなほどに顔を寄せる。そしてさも嬉しげに囁いた。


「すごくたのしみ」


 あまりにも無防備に見える少女の行動を、炙揮は強者ゆえの慢心だと感じた。そこにつけ入る隙があると。

 少女のほそい体に腕を回してきつく抱きすくめる。――刹那、重なり合った二人の体が紅蓮の業火に包まれた。そのまま炙揮はじりじりと床に開いた亀裂へと歩を進める。しかし不意にその足が止まった。

 恋人の抱擁に応えるかのように、少女の腕が炙揮の腰に添えられていた。

 少女を睨みつける炙揮の目がカッと見開かれる。口の()から一筋の血が流れ落ち、閉ざされた唇を()じ開けるかのようにして白刃が姿を現す。



 炙揮は理解できないモノを見る目で、己の口から生え出た魔剣の切っ先を凝視していた。





 うなじから入った刃を斜め上方に突き上げると、アルフラの腕の中で女魔族の体がびくりと跳ねた。

 活きのよい魚を押さえ込むようにしながら手首を返して魔剣をひねる。身悶えるようにぴくぴくと痙攣する体からは急速に熱が冷めつつあった。


「ね? ぜんぜんいたくなかったでしょ」



 口からだらしなく白刃と舌を垂らした女魔族に、アルフラはそう問いかけた。





挿絵(By みてみん)


イラスト 柴玉様

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