邪神の司祭(前)
シグナムたちがネリーの部屋から出ると、困り顔をした使用人が小走りで駆けよってきた。
「あの、お連れの方が表に馬車をまわすようおっしゃられているのですが……いかがすればよろしいでしょうか?」
「ん? アルフラちゃんか……ずいぶんと気が早いな」
シグナムは苦笑気味に肩をすくめる。
「言う通りにしてやってくれ。アルフラちゃんはどこにいる?」
「屋敷を出られて門の前でお待ちになられています」
わかった、とうなずいたシグナムがアルセイドの肩を叩いた。
「そういうわけだ。世話になったな」
「もう行ってしまわれるのですか?」
「ああ、なにしろアルフラちゃんが急いでるもんでね」
「ほんとうに性急ですね。エルテフォンヌ城のこともありますし、私としては有難いのですが……アルフラ様にはせめてもう一度義母に会って貰えればと――」
「それは問題ありませんわ。アルフラさまが魔族討伐のため、早々に旅立つことはアウレリアさまにもお伝えしてあります」
「そうですか。しかしジャンヌ様とはあまり話をする時間も持てず、とても名残惜しく思います」
言いながらジャンヌの手を握ろうとしたアルセイドであったが、かわいらしい犬歯をきらりと光らせたルゥに威嚇されて手をひっこめる。
「旅に必要な荷は、昨夜の内に馬車へ積み込むよう命じておきました。荷物を確認されてほかに入り用な物があればおっしゃられて下さい」
取り繕うような笑顔を作り、アルセイドはシグナムたちを見送るため、そのあとにつづいた。
アルフラがふらりと姿を消し、ぐったりした女魔族を捕まえて戻って来たのはクリオフィスを出立した日の晩だった。
いつの間にかアルフラが居なくなっていることに気づいたシグナムたちは、しばらく待っても帰ってこないようならルゥの鼻を頼りに、その行方を探しに行こうと話し合っている最中であった。
魔族の女をずるずると引きずって来たアルフラは、ジャンヌの前にその女を投げ出す。
「こいつの怪我、なおして」
「は、はあ……」
突拍子もない展開に忙しなくまばたきを繰り返しつつ、ジャンヌは気絶しているらしい女の傍らにしゃがみこむ。
「この魔族は、なんなのですか?」
「さっき見つけたの。口無がどこにいるか聞こうと思ったんだけど、逃げようとしたから剣の鞘でなぐったら動かなくなっちゃった」
「……これは、頸骨が折れていますわ」
女魔族は気絶しているというより、意識不明の重体といった有り様だった。加えて、石畳の上を引きずられた時にできたらしい無数の擦過傷で、臀部や脚が血だらけになっている。
「擦り傷はともかく、頸骨のほうは快癒でも完治するかどうか分かりませんわ」
「べつにしゃべれるようにしてくれるだけでいい。どうせあとで殺すし」
「……わかりました」
魔族の傷を癒すことには抵抗もあるが、それが神意とあらば是非もない。
「ああ、我は願う」
ジャンヌは快癒の呪文を唱え、女魔族の首に手を当てる。効果はてきめんで、ほどなく女は目を覚ました。しかしさすがに起き上がることはできないらしく、アルフラへ怯えた視線を向けてだらだらと冷や汗を流しだす。
「ま、待ってくれ! なにが望みだ!? あたしに出来ることならなんでもする。だから――」
「うん、口無がどこにいるか教えてくれれば殺したりしないよ?」
結局、命乞いの言葉を並べはじめた女魔族は、尋問するまでもなくアルフラの知りたいことを洗いざらいぶちまけた。彼女はエルテフォンヌ城を占拠した伯爵位の魔族、炙揮の配下であった。使者としての任務を与えられてクリオフィスへ向かっていたところ、不運にもアルフラに見つかってしまったらしい。
口無の所在に関しては、おそらく上都の宮殿にいまだ留まっているのではないか、という答えが返ってきた。
「やっぱり口無は上都にいるみたいだね。……なあ、これもうエルテフォンヌ城まで行く必要ないんじゃないか?」
「どうしますかアルフラさん。上都へ向かうなら一度――」
言いかけたフレインの言葉を凄まじい絶叫が掻き消した。アルフラが女魔族の腹に魔剣を突き立てたのだ。
「え、なに?」
ぐりぐりと手首を返して脾臓をえぐりつつ、アルフラはフレインへ顔を向ける。
「え、ええと、ですね。上都へ向かうのなら、クリオフィスへ戻って街道を南西に下るのが一番近いかと思います。ただ、予定通りエルテフォンヌを経由して、そこから西へ向かっても距離的にはあまり変わりないはずです」
「ん、じゃあそうする」
絶命した女魔族の胸を踏みつけ、アルフラは魔剣を引き抜く。その刀身から鈍い金属音が響いた。
「待ってて、すぐもっとつよい魔族を斬らせてあげるから」
魔剣の峰を撫でながらつぶやいたアルフラへ、フレインが遠慮がちに声をかける。
「あの、アルフラさんはその剣と意思の疎通ができるのですか?」
「うん」
「クラウディウス神はその剣に、古代人種の姫君の怨念が宿っていると言われていましたよね。それはアース族に縁の者なのではないですか?」
「アース族?」
「ええ、古代人種の一氏族です。アルフラさんが命を助けたネリーという少女もその家名を名乗っていました」
そうだっけ、といった顔でアルフラは首をかしげる。
「ルゥさんから聞いたのですが、あの少女を助けたとき、仲間が近くにいるとその剣が言っていたそうです」
フレインのうしろで狼少女が頭をこくこくさせていた。
じっと魔剣を見つめ、アルフラはその刀身を指でつつく。
「あなた、名前はなんていうの?」
答えるように甲高い刃鳴りがした。
(プロセルピナ、プロセルピナ)
「プロセルピナ?」
魔剣は刀身に金色の燐光をまとって肯定の意を示す。
「ふうん……ながくて言いにくいからピナでいいわね」
(――!? ピナっ、ピナっ!)
魔剣はとても嬉しそうだ。
奇跡的に生前の愛称を言い当てたアルフラに対して、好意と親近感が増したらしい。
「プロセルピナ……たしかダレス神に討たれた古代人種最後の女王が、そんな感じの名前だったよな」
あいまいな記憶を探りながらシグナムがつぶやいた。ただしその知識は、酒宴の席で吟遊詩人が歌い上げた叙事詩によるものであり、いささか物語的な脚色がなされている。
「神話関連の書物にもたびたび記述されている人物ですね」
興味深げに魔剣を観察するフレインにジャンヌが尋ねる。
「そういえばこの王笏も、なにやら高名な魔導師の持ち物だったのですよね」
「ええ、不死王と呼ばれた大導師クロウリーの遺物です」
「これはどうやって使えばよいのですか?」
手にした死神の王笏をぐっとつきだしたジャンヌからフレインが身を引く。
「そ、それはあまり近づけないで下さい。若干瘴気がきついです」
及び腰となりながらも何気にフレインは笑顔だった。魔術の知識を披露できることが嬉しいのである。
「大導師クロウリーはもともと腐葉土を作るために地母神ダーナが伝えた腐敗の魔法を攻撃呪文に転用した悪名高い導師です。本来腐敗の魔法は枯死した植物にしか効果を表さないのですが、これをクロウリーは長年の研究の末、あらゆる生物に適用可能な――」
早口でまくしたてるフレインを慌ててジャンヌがさえぎる。
「あの、申しわけございませんが、要点をかいつまんでお話しいただけませんか?」
「ああ、失礼しました。ジャンヌさんもご存知かと思いますが、聖女カレン・ディーナもまた腐敗の魔法を得手としていたそうです。彼女の場合、呪歌と呼ばれる遥か昔に失われた魔法によりその奇跡を行っていたと――」
「ですから! まずはこの王笏の使い方を話して下さい! 由来はあとで聞きますから」
「す、すみません。伝承によると、クロウリーは死神の王笏を用いてあらゆるものを腐敗させる魔力の霧を生み出したと言われています。その効果は凄まじく、豊かな森林を生物の住めない腐蝕の沼地に変えてしまったという伝説もあります。――ですが腐敗の魔法については、その知識を記した書物が神殿から焚書指定されたため、現在では扱える者がいない魔法の一つとなっているのですよ」
フレインを見るジャンヌの目に冷ややかなものが混じりはじめる。
「もしかして……あれだけ長々と蘊蓄を垂れておきながら、結局は知らないのですか?」
「うっ……。カダフィーなら私よりも詳しかったはずなのですが……」
「まったく。役に立たない魔導士ですわね」
「申しわけありません。ですがジャンヌさんならいずれ、死神の王笏を使いこなせるようになると思いますよ」
「もういいですわ」
ジャンヌはつんっとそっぽを向き、ちらりと横目にルゥを見る。狼少女は退屈そうに焚き火の前に座っていた。アルフラはすで天幕へ戻っており、シグナムとトマスは女魔族の死体を処理しに行ったようだ。
このところ毎晩のように貞操の危機に晒されている神官娘は、こそこそとその場を離れようとした。しかし目ざとく気づいたルゥがとことこと後をついてくる。
狼少女はジャンヌとフレインの話が終わるのを待っていたのだ。
二人にあてがわれた天幕へ戻ると、ルゥは広げられた寝具の上に飛び込んだ。
「うわーいっ、ふっかふか~」
それらはアルセイドが用意してくれた伯爵家御用達の高級寝具だった。
「きもちい~い!」
うれしげに毛布を抱きしめて頬ずりする狼少女を、ジャンヌは警戒の目でまじまじと見つめる。
「……ん?」
視線に気づいたルゥがなにかを勘違いしたらしく、ジャンヌへ無邪気な笑みを向ける。
「あっ、でもジャンヌのほうがずっときもちいいよ?」
「いえ、べつに毛布に嫉妬しているわけではありませんから。……というか、なぜわたしが寝具と張り合わなければならないのですか。意味がわかりません」
「えへへ、ねぇ、ジャンヌもこっちおいでよ。おふとんふかふかだよー」
ルゥが自分の隣をぽんぽんとたたく。
「ふん、その手には乗りませんわ」
最近の狼少女はなにかと良くない知恵を付けてきている。正面から向かってくることはせず、事あるごとにジャンヌの隙を誘おうとするのだ。
月長石の加護を持つルゥは膂力に優れ、一度掴まれると容易には引き剥がせない。拳打を戦いの主軸とするジャンヌは組敷かれてしまうとかなり不利な状況となる。なので用心深く距離を取り、むやみに近づかないことが大切なのだ。
とはいえ新月が近いため、ルゥから月長石を取りあげてしまえば完全に無力化することも可能だ。狼少女は月長石を小鞄に入れて肌身離さず身につけていたので、それをどう奪い取るかが勝負の鍵といえた。
ルゥもジャンヌの狙いは理解しているらしく、無邪気そうにしながらもその瞳に油断はない。――いつのまにか両者の間には、張り詰めた緊張感が流れだしていた。
「……その小鞄をこちらへよこしなさい。そうすれば一緒に寝てもよいですわ」
「えー、やだ」
ルゥはヤル気だ。
これみよがしに小鞄をジャンヌの眼前にちらつかせる。
「これがほしいならジャンヌがこっちにきなよ」
「くっ……なんと姑息な」
狼少女の目はすでに、獲物を狙う狩人のそれだ。
「今朝方から気になっていたのですが、ルゥはほんとうに七歳なのですか?」
「うん、そうだよ」
「誕生日は?」
「たんじょーび?」
不思議そうにする狼少女とよく似た表情のジャンヌが顔を見合わせる。
「えっ、誕生日を知らないのですか? 自分が生まれた日付のことなのですが……」
「うまれたのは春だよ。ぱぱがそう言ってた」
「春、ですか……ずいぶんと大雑把ですわね。獣人族には誕生日をお祝いする習慣はないのですか?」
「おいわい? それってごちそうが食べれる日だよね?」
きらきらと瞳をかがやかせたルゥがうらやましそうにする。
「人間はじぶんがうまれた日においしいものが食べられるの?」
「ええ、まあ……」
暦という概念を持たない獣人族は、月の満ち欠けや季節単位で歳月を理解する。そのため誕生日が存在しないのだ。なんとなくそれを察したジャンヌは、誕生日を持たない狼少女を不憫に思い考えこむ。そしてこう提案した。
「では、わたしとルゥがはじめて出会った日を誕生日にしましょう」
「うん、そうする!」
よほど嬉しいのか、ルゥは眦を潤ませて破顔した。
「ではルゥの誕生日はマーヌの月の三日です。来年のその頃には魔族との戦いも終わっているでしょうし、わたしがご馳走を作ってさしあげますわ」
「わあぁ、ジャンヌだいすきっ!!」
満面の笑みで抱きついてきたルゥの髪をジャンヌは優しく撫でてやる。そしてハッと我に返った。
「つかまえたあ」
狼少女がにんまりとしていた。
その夜、ジャンヌはくやし涙といろいろな汁で真新しい寝具を汚してしまった。
二日後の正午過ぎ、アルフラたちはエルテフォンヌの城下町に到着した。街門は開け放たれ、四名の武装した衛兵が見張りに立ってはいるものの、通り一辺倒の質問をされただけであっさりと通行許可が出た。人の往来は基本的に自由なようだ。
街門の内側にも幾人かの衛兵がおり、シグナムがその内の一人に話しかける。衛兵は二台の馬車を物珍しげに眺めながらも気さくに応対した。
エルテフォンヌの城下町は咬焼の襲来から始まった一連の戦乱により、あらかたの住民が疎開してしまい、いまではほとんど住む者がいなくなってしまったらしい。衛兵の数もだいぶ減っているのだが、先の戦いで生き残った守備隊の隊長が残った者らを纏め上げ、かろうじて組織だった活動を行っているとのことだった。しかし守るべき住人の数自体が少ないため、衛兵の仕事も火事場泥棒を取り締まるくらいしかないというのが実情だった。
エルテフォンヌ城の魔族はあまり彼らに干渉してこず、従順にさえしていれば危害を加えられることもないのだという。
必要なことをあらかた聴き終えたシグナムは御者台に戻り、市街に向けて馬車を走らせる。閑散とした大通りをしばらく進むと、市街地と城を隔てる郭壁が姿を現した。その頭上には背の高い尖塔がふたつ突き出ている。
「アルフラちゃん、エルテフォンヌ城が見えてきたぞ!」




