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氷の滅慕  作者: SH
二章 欲望
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砦の勇者



 燃え盛る炎に浸蝕された砦。隊列を組み、隣の戦友を壁とすることで、圧倒的な数を誇る襲撃者に囲まれまいとする守備兵たち。


 兵士たちは決して敵に背を向けることなく、じりじりと後退して行く。だが、その数もまた、じりじりと削り取られていた。


「隊伍を崩すな――ッ! 背中を見せて敗走すれば一気に押し潰されるぞ!!」


「数は多いが所詮は獣の群れだ! 落ち着いて対処すれば、お前等が遅れをとる相手ではない!」


 士気を鼓舞しようと隊長たちが大声を張り上げる。


 オークの軍勢は粗末な革鎧と槍などで武装していた。守備兵と比べれば武装度は低く、(すき)(くわ)といった農耕具を手にしている者も多い。


 しっかりと隊列を組み、数の利さえ殺すことが出来れば、互角以上に渡り合える相手だ。

 しかし死を怖れることなく押し寄せる獣たちの前に、一人、また一人と戦士たちは倒れてゆく。


「グァッ!」


 カシムの隣を守っていた団員が、太股に槍を受けて膝をついた。ここぞと群がろうとするオークたちを、カシムが長剣を振るい追い払う。


 後退する隊列に取り残されまいとし、剣を杖に立ち上った団員が鍬に引っかけられ、オークたちの方へ引きずられる。

 仲間を助けようとカシムが列を飛び出す。しかし、オークの波に阻まれ辿り着くことが出来ない。

 戦友が槍や鍬の餌食にされる様を、カシムは顔を歪めて眺めるしかなかった。


 あまり隊列を空けておくことも出来ず、カシムはすぐに持ち場へと戻る。ずた袋のごとく変わり果てた戦友の上に、人喰鬼(オーガ)の巨躯が屈み込むのが見えた。


「ギイイァァァ――――」


 運の悪いことに、まだ息があったらしい。凄まじい絶叫が響き渡った。


 オークの群れに交じった人喰鬼の中には、口許を真っ赤に染め、すでに食事にありついた者も多いようだ。くちゃくちゃと、なにやらおぞましい咀嚼音を立てている者もいた。


「くそったれ!」


 空いたカシムの隣をオルカスが埋める。罵りながら剣を振りかざし、目の前のオークを切り伏せたオルカスに、横合いから槍が襲い掛かった。

 身をひねり、オルカスは首元を狙ってきた槍を、左の肩当てで受ける。

 強い衝撃と共に、肩当てが外れ飛ぶが、その勢いのまま剣を横薙ぎにし、正面のオークを屠る。


 先行して西門のゼラードたちと合流しようとしていた部隊は、南側から侵入したオークの群れに襲われ分断されてしまっている。結果、アルフラたちは自然と砦の北へ追い詰められていた。


「おいっ、ここはしばらく持たせる! 誰か北側の柵を破って来い! 森へ逃げ込むぞ」


 シグナムが飛び掛かってくるオークを大剣で叩き落としながら叫んだ。


「ねぇさん、北の森は雪狼共の縄張りだ。前門のオーク、後門の雪狼なんてことになったら逃げ場がねぇ!」


 オルカスも突き出される槍を打ち払いながら叫び返した。

 その間にもアルフラは、前へ後ろへと小刻みに位置を変え、猪面のオークたちへ細剣を浴びせ続ける。


「じゃあどうしろってんだよ、このままじゃどのみち袋の鼠だ。構わないから(さく)壊して来い!」


 二人の団員が列から抜け、柵の方へと駆けて行く。


「アルフラ、あんたこの砦の辺りに住んでたんだろ? 雪狼ってのは、こんな森の境目まで出て来ることはあるのか?」


「村の近くでは見たことないです。でも雪狼は鼻がいいから少しでも縄張りを侵されると、すぐにわかるそうです」


 忙しく手と足を動かしながら、アルフラは口も動かした。


「急に襲ってはこないで、最初は遠吠えで警告するってお父さんが言ってました」


 アルフラも小さいころ、雪狼の恐ろしい咆哮(ほうこう)を何度か聞いたことがある。

 この地方では親が子を叱るとき、悪い子は雪狼に食われるとか、その遠吠えは魂を削る、といった話をよくするものなのだ。


「いきなり襲いかかってはこないんだな? よしっ! なるべく森の奥へは入らず、砦沿いに西側へ抜けよう」


 そうしている間にも、柵を壊しにかかった団員が、比較的もろそうな部位に長剣を叩きつける。


「ねぇさん! 人一人が通れるくらいの隙間あけましたぜ!」


「よし、木立に身を隠しながら西門へ周りこみめ。アルフラもだ!」


 だいぶ人数が減り、二十人程となってしまった団員たちが、柵の隙間から森の闇へと消えて行く。


「早くしなっ、あたしはここで少し時間を稼いでから行く」


 シグナムが巨大な盾でオーガを殴り飛ばす。その人間離れした剛勇ぶりに、追撃者たちもやや遠まきに包囲の輪を広げる。


「そんな! シグナムさん一人残してくなんてできません! あたしも手伝います」


 アルフラはシグナムの横に並ぶ。しかし、さらにその前へオルカスと数人の団員が立ち塞がった。


「いや、足止めは俺らでやる。花形のしんがり業務を女と子供にゃ任せとけねぇ」


「なっ!? オルカス……貴様ッ!」


「普通こういう時にゃあ、上官が先にケツを捲るもんですぜ。ねぇさんは早く団長と合流して下さい」


「俺達もすぐ後を追いますから」


 オルカスとカシムがアルフラたちを柵へ追いやるかのように、じりじりと後ずさりながら言った。

 指揮官は最後まで生き延びなければならない。それは正論だ。やや逡巡(しゅんじゅん)を見せながらも、シグナムはうなずく。


「……わかった、すまないね。――でも今のは命令不服従だ! この戦いが終わったら、きっちり矯正してやるからなっ。手加減抜きで!」


「かんべんして下さいよ、ねぇさんに本気で殴られたら今度こそ腹が無くなっちまう」


「あたしゃ熊かよっ!」


 じりじりと間合いを詰めてくるオークの群れを前に、陽気な笑い声が響き渡った。


「おらっ、ガキ! お前も行け。邪魔だ」


 オルカスはアルフラへ、本気で邪険な目を向ける。


「ふんっ、あたしたちが逃げ切るくらいは、ちゃんと時間稼ぎなさいよね。さっさと死んだら承知しないんだから」


 憎まれ口を叩くアルフラだが、その顔はすこしだけ心配気だ。


「おま……この状況で死ぬとか言うなっ。洒落になんねぇだろ! その内ぜってぇ股開かせてやるからなっ!!」


「べぇぇだっ」


 ちろりと桃色の舌を出し、アルフラもシグナムを追って森へと走った。



「チッ……可愛らしい舌だなおい」





 破った柵の周囲で、オルカスたちはオークの追撃を食い止めていた。しかし、守備兵をあらかた平らげたオークとオーガの群れが、そこいらで飽和状態を起こしている。


「オルカス! あっちだっ、奴ら柵を越えてやがる!」


 すでに二人の団員が倒れ、その場に立っているのはオルカスとカシム、そして一人の団員だけとなっていた。残った三人も無傷な者はいない。


「クソッ、これ以上は意味ねぇな。俺らも引くぞ」


「おい! なんかでかいオークがいるぞ!?」


 団員の一人が、東側の一点を指を差す。

 他の者より二まわりほども身体が大きなオークを先頭に、隊列を組み統制の取れた動きで近づいて来る部隊があった。


「やたら武装も整ってる! もしかしてオークの指揮官なんじゃないか?」


「なッ、あいつら……!?」


 隊列を組んだオークたちが大きく槍を振りかぶって構えた。


「放てっ」


 リータ十四世の号令により、一斉に槍が投擲される。


「グッ……!!」


 降り注ぐ槍を避けきることが出来ず、カシムの腰にその内の一本が突き立つ。


「次射用意」


 淡々(たんたん)とリータ十四世は告げた。

 さらに放たれた槍で一人が倒れ、オルカスも肩に深手を負う。彼は後悔していた。足止めといっても、それほど粘ることはせず、すぐにシグナムの後を追い、合流するつもりだった。

 しかし予想以上にオークたちの展開が早く、手を休める暇もなく撤退の機会を失ってしまった。


 そして、このざまだ。

 左腕が動かない。

 オルカスの肩に突き立った槍は、鎖骨を砕き、背へと貫通している。

 乱戦の中で受けた一撃で、左の肩当てを失ったことが災いしていた。


 オークたちが投げた槍は、通常よりも穂先の重い投擲用の物だった。

 人間の、その中でもかなり多様な戦術を駆使する、有能な指揮官に率いられたかのような行動を取るオークの軍勢。

 色々な意味でオルカスの考えは甘かった。彼が肩に負った傷は、利き腕でこそなかったものの、決して浅くはない。

 これだけ辺りが敵だらけでは、いまさら後退しても逃げ切れはしないだろう。


「オルカス……」


 胸にも槍を受け、座りこんだカシムが呼びかけた。


「すまねぇが……」


 湿った咳をしながら、苦しそうにうめく。


「グッ……ァ……頼まれちゃくれねぇか……?」


「……ああ」


「わ、悪いな……でも、よ。……生きたままオーガ共の、餌になるのも……な……。すま、ねぇ……」


「気にするな」


 本当に済まなそうな目を向けてくるカシムの首へ、剣を振り下ろす。


「――――ッ――」


 カシムとは、傭兵団に入る前からの長い付き合いだった。


「クソッ!」



 声もなく倒れ伏した戦友へ、オルカスは一言悪態を吐いた。そしてゆっくりと、オークの指揮官らしき者へと向き直る。





 リータ十四世は、北側に巨大な甲冑をまとった、恐ろしく手ごわい人間の戦士がいるとの報告を受け、是非に手合わせをしてみたいと考えていた。


 だが、すでに甲冑の戦士を含めた本隊の姿はなく、到着がやや遅かったことを悟る。


 撤退した部隊の後詰めをしていた守備兵たちは、なかなかの手練(てだれ)だった。しかし槍の投擲により、ほぼ無力化したと見たリータ十四世は数歩前に出た。


「貴様は逃げぬのか? 人間の戦士よ」


「……」


 オルカスは無言で己の状態と、周囲の状況を考えた。

 肩からの出血が酷い。

 左腕は動かず、感覚もない。

 逃げるのも絶望的だ。

 捕虜になればおそらくはオーガの生き餌……


――死にたくねぇなぁ……


 現実から逃避したがる思考をなんとか修正し、頭を働かせる。


 目の前にいるのが指揮官なら、それを殺せばオークたちは撤退するはずだ。

 だが、たとえ倒せたとしても、報復にオルカスを殺してから撤退するだろう。


 すでにどう足掻いても生き延びる道は見えなかった。


 神話やお伽話で語られる数千年前の大戦争。その中で、災厄の主と呼ばれる魔族が言ったとされる言葉が、オルカスの脳裏に浮かんだ。


――戦って死ね、か……


 今でも魔族たちの間では、非常に好まれている慣用句らしい。

 この状況ではそれが一番楽そうだ、とオルカスは思った。

 傷の手当をすることが出来ず無駄に逃げ回るよりも。

 捕虜となってなぶり殺しにされるよりも。


 確実に早く済むだろう。


 オルカスは、あまり前向きとは言えないそういった理由で、長剣を構えた。


「ほう? 仲間を逃がすため、まだ時間を稼ごうと言うのか?」


 オルカスにそんなつもりはかけらも無く、思わず苦笑してしまう。そして、無言で距離を詰める。

 リータ十四世の背後に控えていた親衛オークが、不敵に笑う人間の戦士の前へ出る。


「ひかえよ。己を犠牲にし、仲間を救おうとするとは……人間ながら見事な気概ではないか。余が戦うに値する勇士だ!」


 配下のオークを下がらせ、リータ十四世は、複雑な形状の穂先を持つ槍――(げき)を構えた。


「死を恐れぬ勇敢な戦士よ、名を聞いておこう」


 オルカスは口を開くことなく隙をうかがう。覚悟は出来ているが、もちろん自分一人で死ぬつもりもない。


「誇りある戦士の戦いだ、名乗りを上げよ」


「……オルカス、だ」


 重ねて名を問うリータ十四世に、オルカスは面倒くさげに応えた。


「よかろう、戦士オルカスよ。余の名を胸に刻め。我こそはオーク族の誉れ高き賢王、ブチャラティヌス・ベルマル――」


「王さま、あっちの部隊が助けて欲しいって言ってるですよ!」


 リータ十四世の名乗りを遮ったのは、西門から駆けて来た伝令オークだった。


「貴様っ、誇りある戦士の名乗りを――――いや、よい。余の名誉のために指揮系統を(とどこお)らせるは本意にあらず」


 リータ十四世は己を戒め、伝令オークに労いの言葉をかけた。

 オルカスは早くしてくれねぇかなぁ、などと考えながらもリータ十四世の隙を探していた。だが、戟を構えた立ち姿からは、一分(いちぶ)の油断も感じとれない。


「ピチャクチャ! その辺りにおるオーガたちを取りまとめ、別動隊の援護に向かえ」


「はいですっ!」


 王の命を受けたオーク族の勇者ピチャクチャが、西門へと駆けて行った。


「すまぬ。待たせたな、戦士オルカスよ。余はあまり時間をとることが許されぬ身だ。礼には失するが早速始めよう」


 リータ十四世が構えた戟を(しご)き上げながら前に出た。

 出血のため、長引けば集中力があまり持たないと感じたオルカスも、呼応するかのように前へ出る。

 一歩踏み出した瞬間、オルカスの上体が微かに(かし)いだ。

 失い過ぎた血と戦いによる疲労は、彼が自覚する以上に体力を奪っていた。



 勝負は、一瞬だった。



 不用意に踏み出したオルカスの胸を、神速の戟が貫いていた。


 リータ十四世は、戟の穂先が革鎧を貫通し、胸骨を穿ち、心臓へ達した手応えを感じた。


 胸部に凄まじい衝撃を感じたオルカスは、激しい痛みと飛びかける意識の中、思考とは関係のないところで身体が動いていた。

 傷のために、上がらぬ左腕の肘だけを折り曲げ、自らを貫く戟の柄を掴む。


「グッ――」


 戟を引き抜こうとしていたリータ十四世の顔に、驚愕の色が浮かぶ。

 心臓を貫かれれば、急速に血圧が下がり身体を動かすことが出来なくなる。それどころか、意識を保つのも困難なはずだ。

 リータ十四世はそう学んだし、実践の中でそれが正しいことを身をもって知っていた。彼が今まで一騎打ちで屠ってきた者の数は、両手の指でも足りないくらいだ。


「ぐっ……ぶ……」


 しかし、口から血の泡を垂れ流しながら、オルカスは長剣を振り上げる。


 オルカスは根性が悪い。

 自他共に認める性悪だ。

 そんな彼は……生き汚く足掻いた。


 悪党の本能が、身体を動かしていたのかも知れない。


「クッ!」


 戟が抜けぬと判断したリータ十四世は、逆に渾身の力で突き込んだ。

 口から大量の血塊を吐き散らしながらも、オルカスは長剣を振り下ろす。

 ――もし、彼が血反吐ではなく言葉を吐けていていたなら「お前も死ね」と言ったのではないだろうか。


「ガッ――――ァ――」


 オルカスの手から長剣がこぼれ落ちた。彼の身体は三人の親衛オークの槍によって、宙へと突き上げられていた。

 振り下ろされた長剣は、後一歩という所で道連れを作ることが出来ず、無念そうに地へ突き立った。


「な……」


 リータ十四世はうめき声を上げて、ただたた我が身を恥じた。

 長剣が振り下ろされた瞬間、刹那の恐怖を感じたのだ。

 死を怖れるのはオークにとって不名誉なことである。

 そして、戦士の戦いを汚された事と、恐怖を覚えた自分に怒りを感じた。


「なんという事を……してくれたのだ。誇りある戦士の立ち合いを、お前たちは汚したのだぞっ!」


「だ、だけんど、おら達みんな、王さまに死なれちまったら……」


「ど、どうすればいいか、わかんないです」


 一対一の立ち合いであるにも関わらず、臣下に助けられた己と助けた臣下をリータ十四世は呪った。

 しかし、賢明な彼はすぐに冷静さを取り戻す。それは、指揮官として最も必要な資質だ。


「いや、これは余の弱さが原因だ。その方らに非はない」


「王さまっ」


 暖かい言葉にひざまずき、涙を流す親衛オークたち。


「むしろ、一騎打ちを汚すという不名誉を行わせてしまったこと、詫びねばならぬ。これは余の弱さが原因だ」


 リータ十四世は、深々と頭を下げた。


「誇りや名誉が絡んでくると、余はどうにも我慢がきかぬのだ。許せ」


 親衛オークたちは号泣した。それを見ていたオーガたちも熱い涙を流した。



 まるで、勇敢な人間の戦士の死を、(いた)んでいるかのようだった。





「王さま、おら達も逃げた人間追いますですか?」


 泣き腫らした目を擦り、一人のオークが尋ねた。


「いや、余はそなた達の助太刀無くば命を落としていた。余は勇者オルカスに敗れたのだ」


 リータ十四世は遠い目をして言った。


「高潔なる勇者が命を賭して救おうとした者達を追撃することは、余の誇りが許さん!」



 リータ十四世も熱い涙を流した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです [気になる点] 高潔なる勇者が命を賭して救おうとした者達を追撃することは、余の誇りが許さん!」いちおう……。我こそは〜の名乗りのところは自然に読めたので大丈夫だと思います。 …
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