むしろ邪神
クリオフィスの街門は、白銀の甲冑に身を鎧った騎士たちにより厳重な警戒が敷かれていた。人の出入りはほとんど見られぬものの、門衛は緊張感を絶やすことなく周囲を睥睨する。魔族やコボルトの斥候、そういったものを警戒しているのだ。
一行は故エルテフォンヌ伯爵の妻、アウレリアより入手した書き付けを騎士たちに見せて、アルセイドに面会を求める旨を伝えた。これにより二名の騎士が道案内役として先導することとなり、二台の馬車は足止めされることなく街門を抜けることができた。
クリオフィス市街に入り、一路、白昼の往来をアルセイドの邸宅へと向かう。外周部の住宅区から様々な店が軒を連ねる中心部へと移動する道すがら、街の様子を観察していたシグナムはクリオフィスが戦時下であることを実感した。表通りに面した家屋のことごとくは鎧戸が下ろされ、道行く者は巡回の兵士以外に見当たらない。数日前に立ち寄った国境の街トレアムとは大違いであった。
やがて以前にも訪れたアルセイドの邸宅に到着し、アルフラたちは道案内の騎士に導かれて邸内へと入る。すでに遣いの者が走らされていたらしく、門を潜ると数名の護衛を連れたアルセイドが出迎えに立っていた。
大きく腕を広げて歓待の意を示しつつ口を開いたアルセイドは、しかし声を発することはなく、ぎょろりと目を剥いて硬直した。その視線はアルフラに釘付けとなり、おのれの見ているものが信じられないというように瞬きを繰り返す。それもそのはず、アルセイドが前回アルフラを見た時には、全身無惨に焼け爛れ、右目と利き腕を失い、餓死者のように痩せさらばえた幽鬼もかくやといわんばかりの有り様だったのだから。あれからわずかに二ヶ月。医師からも手の施しようがないと匙を投げられたアルフラが、五体満足で目の前に立つ光景をどう理解してよいのか、アルセイドには分からなかったのだろう。彼が自失の態から立ち直るよりも早く、アルフラが問いかけた。
「口無がどこにいるか知ってる?」
「……は……え?」
「知らないの?」
突然のことに対応できず目を白黒させるアルセイドに、ジャンヌが苛立たしげな声を上げる。
「アルフラさまは魔王口無の所在を問うておられるのです。知っているのなら早くこたえなさい」
アルセイドは驚愕覚めやらぬ表情でジャンヌに視線を移し、何度か口を開閉させたのちにようやく落ち着いてきたようだ。
「……も、申しわけありません。エルテフォンヌ城以南は、現在魔族の支配下に置かれていて、その内情は私たちにも知りようがなく……」
アルフラが露骨に眉をひそめたのを見て、アルセイドは助けを求めるような顔をフレインに向けた。
「アルセイド様。挨拶もそこそこに、不躾な質問して申しわけありません。どうかこのご無礼をお許しください」
これにはジャンヌが何事かを言いかけたが、あらかじめ予想していたかのようにシグナムが口を塞いだ。それを横目にフレインは話をつづける。
「子細の説明は時間がかかりますので省きますが、私たちは魔王口無を倒すためにロマリアへ来たのです。ご覧の通りアルフラさんの怪我も癒え、魔王に対しての勝算もあります。しかし何分私たちはロマリアの状勢に疎く、可能であればアルセイド様にお話をうかがえないかと思い訪ねて来ました」
「は、はあ……」
ようやく話の見えてきたアルセイドは、あらためて一行を見回し、最後尾のトマスに視線を留める。
「あの……その子供は?」
トマスが横抱きにした少女を訝しげに見る。
「ここであずかって」
こともなげに言ったアルフラに、ふたたび困惑の目が向けられた。言葉たらずなその言い様を補うようにフレインが説明する。
「コボルトに襲われた近隣の村で助けた娘です。アルフラさんのおかげで命は取りとめたのですが、いまだ眠りから覚めません。よろしければ怪我が完治するまでは、こちらで預かっていただけませんか?」
「はぁ……それは構いませんが……」
否と返すこともできず言葉を濁したアルセイドであったが、すぐに気を取り直して笑顔を浮かべる。
「色々と尋ねたいこともございますが立ち話もなんですから、どうぞこちらへ。急ぎ、歓待の用意もさせておりますので、食事でもしながら話を聞かせてください」
これにはルゥが嬉しそうな顔をした。ごちそうにありつけると悟り上機嫌だ。
断る者もおらず広間へと案内された一行とは別に、トマスに抱かれた少女は屋敷の使用人により客間の寝台へと運ばれる。くれぐれも丁重に扱うよう言い添えたアルセイドに、ジャンヌは満足げにうなずいていた。
大きな食卓が配された広間に入り、各々が腰を落ち着けたのを確認すると、すぐに給仕の者が飲み物を運んできた。
まずは詳細な話をと求められたフレインは、アルフラがレギウス神を殺した件をぼかして、これまでの経緯をかいつまんで説明する。アルセイドは要所要所で質問をしつつも熱心に聞き入っていた。
「なるほど……口無の所在を知るために、エルテフォンヌ城を占拠した爵位の魔族から、その情報を聞き出そうというのですね」
ちらりとアルフラへ視線をやったアルセイドがかるく身を乗り出した。
「エルテフォンヌ城の魔族を、討伐なさっていただけると理解してもよいのでしょうか?」
「もちろん皆殺しですわ。我が神は魔族を赦しません」
我が神、というジャンヌの言葉にすこし怪訝な顔をしたアルセイドであったが、滲み出た喜色がそれを覆い隠した。
「正直なところ、それは私にとっても願ったり叶ったりです」
そう言い置いて、アルセイドはクリオフィスの現状を話しだした。
十日ほど前、南東に位置するエルテフォンヌ城が魔族に占領されたという報せが届いたことに始まり、それを率いるのが伯爵位の魔族であると判明したこと。そしてすぐさまクリオフィスの領主が降伏の使者を発てはしたものの、持ち帰られた返事は領主自身のエルテフォンヌ城への出頭だったのだと説明する。
「領主は生きて帰れる保証のない召喚に応じることなく、なんとか使者のやり取りだけで自身とクリオフィスの安泰を計れないかと模索しています」
しかし痺れをきらした魔族たちがいつ来襲してくるかも知れず、現在、クリオフィスは厳戒体制下に置かれている。
「魔王口無は、恭順を示す者には寛容との噂もあるのですけど……その臣下である咬焼が、かつてエルテフォンヌ領内で暴虐の限りを尽くしたのことを考えますと、それもあまり真に受けることはできません」
いつ魔族の襲撃があるか分からない危機的状況のクリオフィスにおいて、アルフラたちの来訪は、まさに救いの神ともいえる存在だった。以前、トスカナ砦で侯爵位の魔族を倒した彼女であれば、エルテフォンヌ城に巣食う脅威を一掃することも容易いのではないかとアルセイドは考える。
「なあ、あんたは伯爵家の跡取り息子なんだろ。エルテフォンヌの城には戻らないで、ずっとこの街に留まってたのか?」
シグナムが尋ねると、あざ黒いアルセイドの顔にさらなる陰鬱の影が降りた。
「……義母の体調が、あまり思わしくないのです。私も早々にエルテフォンヌ城へと帰還し、正式に爵位の継承を行いたかったのですが……義母はとても他所へは移せるような状況ではなく、クリオフィスに足止めされていました」
彼の義母であるアウレリアは、かつて魔王雷鴉に敗れて瀕死の状態となったアルフラを見て、失意のあまり体調をくずしている。おそらくそれまでの心労も祟ったのだろう。日がな一日、寝台から起き上がることもできず、ぼんやりと壁や天井を見つめて時を過ごすようになってしまったのだ。
「……まさか、私が送った薬のせいでは……?」
フレインはアルセイドから頼まれていた堕胎の薬を、レギウス教国に戻り次第、彼の許へ届くよう計らっていた。倒れたアウレリアを医者に診せた過程で彼女が妊娠していることが分かり、時期的にもそれは魔族の子である可能性が高く、アルセイドは早期にその禍根を断ちたいと考えたのだ。しかし……
「あの薬は、効きませんでした」
とつとつとアルセイドは語る。
「医師の見立てでは、胎児の生命力が異常に強く、既存の薬物による堕胎は不可能なのではないかと……」
「胎児であっても魔族は魔族、人の子に効くからといって魔族の子にまで効くとは限らない、ということでしょうか」
「おそらく、そうなのでしょう。……義母も自身の変調にほどなく気づきました。まともに食事をしていなかったにも関わらず、徐々に腹はせりだしてくるのですから……」
息づかいしか聞こえない静まり返った室内に、深いため息がいくつか落とされた。
「義母は半狂乱で腹の子を堕ろすよう医師に頼み込んだのですが、無理に堕ろそうとすれば母体にまで危険が及ぶと断られ……」
潜められたアルセイドの声が一段と低くなる。
「二日前、屋敷の北側に面したロレアナ湖に入水し――」
「じ、自殺を図ったのですか……?」
思わずといった様子で腰を浮かせたフレインに、アルセイドはゆっくりと首を振る。
「数日ほど前から、この地方では異常なほどの寒気が訪れていて、朝方になるとロレアナ湖の水面に氷が張るのです。どうやら義母は、湖の冷水に腰まで浸かり、腹の子を凍死させようと考えたらしく……」
ぐっ、と押し殺したようなうめき声がシグナムの喉から発せられた。どちらかと言えば子供好きな彼女には、同じ女として子宮に疼痛を覚えるような話だったのだ。シグナム自身、おのれの子を欲しいと思わないでもなかったが、それは職業柄諦めている。
「義母は夜のうちに自室を抜け出したのですが、使用人がそれに気づいたのは朝になってからでした。……湖面に浮かんでいる母が見つかった時には、もう駄目かとも思ったのですが……お抱えの医師であるカルダム先生が手を尽くしてくれて、義母は意識を取り戻し、なんとか持ち直しました」
「腹の子は……?」
「……生きているそうです。義母は目を覚まして以来、おぞましい魔族の子を――咬焼の子を殺してくれ……それが無理ならいっそ自分ごと腹の子を、と泣きながら私に訴えるのです」
それまで無関心に話を聞き流していたアルフラが、咬焼の子、という言葉に興味を惹かれたようだ。
あまり強い貴族ではなかったが、魔族の雑兵を何人啜るよりはまし、というのがアルフラの咬焼へ対する評価である。
そしてアルセイドの話にもっとも顔を曇らせたのは神官娘であった。
「なんとおいたわしい……」
ジャンヌから見たアウレリアは、いち早くアルフラの神性に気づき、なにくれとなく傅いていた偉大な先達である。彼女が信仰にも似た崇拝の目でアルフラを見ていたことは記憶に新しく、神官娘はアウレリアのことを、慧眼著しい聖人のように思っていた。
「よろしければ、わたしの治癒魔法をためさせてはいただけませんか?」
「治癒魔法、ですか?」
「ええ、わたしは先日、快癒の魔法を習得いたしましたので、きっとアウレリアさまの力になれると思いますわ」
「ありがとうございます。是非……」
席から立ち上がってジャンヌの手を握ろうとしたアルセイドは、伸ばしかけた腕を慌ててひいた。ルゥから噛みつかれそうになったのだ。行き場を失った手は腰の後ろに回され、アルセイドは取り繕うような笑みを浮かべた。
「もしよろしければ、アルフラ様も義母に会ってやってはいただけませんか? アルフラ様の健在な姿を目にすれば、義母もいくぶん落ち着くかもしれません」
「ん、いいよ」
意外にもアルフラは、二つ返事でうなずいて見せる。貴族の子を身籠った女、というものを見てみたかったのだろう。
ならば私もと立ち上がったフレインに、アルセイドは申しわけなさげに頭を下げた。
「すみませんが、フレイン様はご遠慮願えませんか」
「え、なぜでしょう?」
「義母はこのところげっそりと痩せさらばえ、かつてはエルテフォンヌに並ぶ者なしと言われた美貌も、今では見る影もありません。――衰えた容姿を異性に見られるのは、おそらく義母も苦痛に思うでしょう」
「あ……そうですね。私はあまり気が回らない性質でして……失礼しました」
鷹揚にうなずいたアルセイドは女性の使用人を呼んで、アルフラたちを案内するように言いつける。
「ボク、おなかすいたー」
「じゃあルゥはアルセイドから何かご馳走してもらいな。あたしはアルフラちゃんについてくからさ」
「うんっ」
かすかに苦笑したアルセイドに、フレインが語りかける。
「いくつかお願いしたいことがあるので、よろしければ少し二人でお話しできませんか?」
「ええ、それは構いませんが……」
アルフラたちが部屋を出たあと、ルゥにはすぐに料理を運ばせるのでと説明し、アルセイドとフレインは二人別室へと移動した。
「奥様、お客様がいらしております」
使用人の呼びかけに応える声はなく、閉ざされた扉からは物音ひとつ聞こえてこない。
「――奥様?」
やや間を置いて問いかけ、使用人は静やかに扉を開く。そして戸口の前から身を引いて、アルフラたちに深く一礼した。
「どうぞ中へ。私はここでお待ちしています。ご用があらばなんなりとお申しつけ下さい」
アルフラの後ろに立ったシグナムが室内をのぞき込むと、奥の寝台に仰臥する人影が見えた。同時にかすかな香気が鼻腔に届き、その出元を辿って部屋の中を見渡す。質素な調度品が置かれた卓の上に、紫煙を燻らせる香炉が置かれていた。精神を安静化させる香木のたぐいを焚いているのだろう。
部屋の主は寝ているのではないか、と思い二の足を踏むシグナムの目の前で、アルフラはなんの躊躇も見せることなく室内へと入っていく。あとにつづいたジャンヌを追うようにして入室したシグナムは、部屋の主――アウレリアが眠っているわけではないことに気がついた。彼女の目はうっすらと開かれていたのだ。
紺碧の青い瞳は焦点を結ぶことなく虚空をさまよい、げっそりと頬の削げた輪郭からは一切の生気が抜け落ちている。厚手の毛布の上で、重ねるように組まれた両手は恐ろしいほどに筋張っており、その姿はまるで臨終の床にある老女のようであった。もとが非凡な美しさを誇る女性であっただけに、いまの有り様はシグナムですら眉をひそめるほどに痛々しいものだった。先にアルセイドが述べたように、見る影もないとはまさにこの事だろう。
アウレリアは寝台の脇にアルフラが立ったことにも気づかず、微動だにしない。しかしそれもつかの間、肌寒さでも感じたかのように、毛布に隠れたアウレリアの体がぶるりと震えた。そしてゆっくりとその顔が傾ぎ、アルフラへと向けられる。
ぼんやりとしていた視線は次第に定まり、落ち窪んだ目がおおきく見張られた。
その様子を見てとったジャンヌが、慈愛に満ちた声音で囁く。
「アウレリアさま、お久しぶりでございます。病床に伏せる貴女のために、アルフラさまがお会いに来てくださいましたよ。さあ、我らが神にご挨拶を」
うながされるように、血の気の失せた青白い唇が開かれる。
「あ……ア、アルフラ……さま……?」
「そうです、アルフラさまですよ。アルフラさまは天界にて覚醒なされ、魔族を滅ぼすために降臨されたのです。その旅の途中で、この街にお立ち寄りくださったのですよ」
ジャンヌの言い様に、なにを戯言を、と思ったシグナムであったが、とうのアウレリアには天の啓示かなにかに聞こえたようだ。その瞳にはうっすらと涙が滲み、眼差しはなにかを求めるようにアルフラの顔へと向けられていた。
アウレリアに対して奇妙な連帯感を覚えているらしいジャンヌは、どこまでも優しげな口調で告げる。
「敬虔な信徒である貴女は、それにふさわしい神の恩恵を賜ることができるでしょう」
痩せ細ったアウレリアの躯に、ジャンヌの手が置かれる。
「ああ、我は願う。万象を内包せし始原の揺籃、根源の女神アルフレディアよ。御身が忠実なる使徒たらんことを、我は誓約せし者なり」
ジャンヌの背後に立つアルフラはかるく顔をしかめたが、それに気づかず詠唱はつづけられる。
「どうか応えたまえ。理統べし神意を持ちて、御身が信奉者に救いと赦しを。雲英流麗なる御業をもちて、再生の奇蹟示したもうこと我奉らん」
詠唱が進むにつれ、ジャンヌの体が柔らかな光に包まれる。
「聖なるかな我が神の威光よ。――快癒」
総身に纏った光は急速にジャンヌの右手へと集約される。強い癒しの光は染み入るように、アウレリアの体へと流れ込んでいった。
「う……ぁ……あぁ……」
かすれた吐息がアウレリアの唇からこぼれでた。表情は穏やかに心地良さげで、蒼白であった顔色にもわずかばかりの朱が差している。しかしその顔が、くしゃりと歪んだ。
「アルフラ様……アルフラ様ぁぁ――!」
寝台から身を乗り出したアウレリアは、女神のごとく崇拝する少女に切々と訴えかけた。
「どうか……どうかお慈悲を……。あの忌まわしい咬焼の子が、私の腹の中にいるのです」
目を血走らせた狂相で、魔族の子を孕んだ女は叫ぶ。
「あの男の種が、日に日に私の子宮で育っていくのです! 咬焼の子が……あの男の子供がッ!! あまりに悍しくて、私はこのままでは狂ってしまいそうなんです!!」
すでに正気とは思えない金切り声を上げて、アルフラの背負った魔剣を指差す。
「その剣で私を突いて下さい! この胎から咬焼の子を引きずり出して殺して下さい!!」
眉ひとつ動かさず、アルフラはアウレリアを見つめる。それとは対照的に、シグナムは無意識のうちに思わず一歩、足を引いていた。文字通り、みずからの身を裂いてでも我が子を殺したいと願う熱病めいた殺意に、彼女の母性が気圧されたのかもしれない。
たとえその出自がどうであれ、子にとって母親から死を望まれるほど不幸なことはないだろうとシグナムは思う。
「後生ですアルフラ様。どうかお慈悲を……」
アウレリアの様子をじっと観察していたアルフラの表情に、失望が過る。爵位の魔族の子を宿したその女からは、たいした魔力が感じられなかったのだ。
いくら魔族といえども所詮は胎児。生命としてあまりに未熟なため、有する魔力も微々たるものなのだろう。
一切の興味を失ったアルフラは無情にも、必死の思いで伸ばされたアウレリアの手から、すっと身を引いた。それを見たジャンヌは、あやうく寝台から転げ落ちそうになった体を抱きとめる。
「アウレリア様。その腹に身籠ったのが咬焼の子であれば、アルフラ様に捧げればよいのですわ」
「……え?」
一瞬、なにを言われたのか理解できず、アウレリアはまじまじとジャンヌの顔を見つめる。優しげな笑みをたたえたその口で、神官娘はとんでもないことを言い出した。
「しっかりと出産なされたうえで、その子を贄として捧げるのです。爵位の魔族の子とあらば、アルフラさまもお喜びになられるはずです」
「あ、それいいね」
名案だとばかりに手を打ったアルフラを見て、アウレリアの窶れた顔に喜悦が咲いた。
「あぁ……私は、アルフラ様のお役に立てるのですか?」
ちろりと赤い舌で口の端を舐めたアルフラは、にこにこ顔でうなずいてみせる。
「捧げます!! 咬焼の子を! 私の胎に巣食う魔族の子を、アルフラ様への供物とします!!」
感極まって大粒の涙をしたたらせるアウレリアにつられて、それを見ていたジャンヌは貰い泣きしていた。
「その信心に感服いたしました! みずからの子を神に捧げるなど、そうそうできることではありません。私はアウレリア様に、聖母の称号を送りたいと思います!!」
「ありがとうございます。生まれてくる赤子がアルフラ様の糧になるのだと考えれば、これまで悍しいばかりであったお腹の子も、不思議と愛しく思えてきます」
まさに聖母のごとき慈愛の笑みで、アウレリアはみずからのせり出した腹を抱きしめた。
「お、おいッ!!」
それまであまりのことに茫然としていたシグナムが、我に返った。
「お前ら正気か!? 生まれてくる子をアルフラちゃんの生け贄にするって……なにを言ってんだよ!!」
勢い込んで叫んだシグナムであったが、お前こそなにを言っているんだ、という三対の瞳に見返されて、思わずたじろいでしまう。明らかに正気であるのはシグナムのほうなのに、まるで狂人でも見るかのような目を向けられて、心の中で毒づいた。
――どいつもこいつも狂ってやがる!
室内に居合わせた四人の女たちの中で、まともなのは自分だけであることを遅まきながら気づいてしまう。
アウレリアは子供をあやすような手つきでおのれの下腹を撫で、アルフラはその下腹部に頬ずりしながら「はやく元気な子を産んでね」と囁いていた。その光景に見入るジャンヌは感涙に泣き濡れている。
たしかにこのひと場面だけを切り抜けば、さながら絵画に描かれるような美しい情景なのかもしれない。しかしながら彼女たちの思考はすでに人外のものであり、理解の及ばない常人は、それを堪えがたいほど不気味に感じるだろう。
「あたし、生まれてくるのは女の子がいいな」
まるで懐妊した母親に妹をねだるようなことを言うアルフラは、愛らしくも無邪気な笑みを振り撒いていた。――シグナムには、アルフラの整った顔立ちが、凄まじく醜悪なものにしか見えなかった。
つい先ほど、子にとって母親から死を望まれるほど不幸なことはないと考えたシグナムであったが、それすらも緩く思える現状に、ひどい吐き気が込み上げてきた。




