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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
206/251

氷雪の女神(後)



「……女神、さま……?」


 血塗れの顔を上げて、ぼんやりと少女がつぶやいた。――その言葉で、アルフラの脳裏(のうり)に遠い日の記憶が去来(きょらい)した。当時の情景と現在の状況が寸分違(すんぶんたが)わず重なりあう。

 アルフラは少女を見下ろしながら、心の原風景を見上げていた。

 いまの自分が、あのとき仰ぎ見た白蓮のように少女を見下ろしていることに気づき、甘い痺れに背筋が震える。状況はよくよく似通(にかよ)っており、当時の白蓮と不思議な一体感のようなものを覚えた。その瞬間、アルフラのなかで少女を見殺しにするという選択肢は消え失せる。

 同じ状況で白蓮は自分を救ったのだから、アルフラにとってはそれが正解なのだ。ここで少女を見捨てれば、それは白蓮を否定することに等しい。

 少女に対してはなんの感慨も抱くことなく、奇妙な強迫観念に突き動かされて一歩を踏み出す。

 なにやら祈りの言葉らしきものを唱える邪魔者を押し退()けて、アルフラは手の甲に冷たい吐息を吹きかけた。

 刺すような痛みとともに、極低温により変成した皮膚組織がぱっくりと裂けた。

 流れ出た血を数滴ほど、少女の潰れた顔にしたたらせる。

 以前に白蓮から聞いた、血を飲ませたり傷口に塗ったりしてアルフラを治した、という話に(なら)い、同じことをしてみたのだ。

 少女はぐったりと顔を伏せたまま動かない。意識が朦朧(もうろう)としているようだった。浅く早かった呼吸はやや穏やかなものになりつつある。しかしそれ以上の変化はみられなかった。

 アルフラはすでに塞がってしまった手の傷と少女を見比べて、すこし考え込む。


 背後で見守っていたシグナムたちは、アルフラの一連の行動に戸惑いもあらわな表情を浮かべていた。それがどうやら少女の傷を治そうとしているのだと気づき、さらなる当惑に茫然としてしまう。

 まさかアルフラが、年端もゆかないおさな子の死に憐れみを(もよお)して、少女の命を助けようとしている、などといった善良さを持ち合わせているとも思えず、その意図するところがどうにも掴みかねる。アルフラが三人の子供を微笑みまじりに(なぶ)ったのは、つい数日前のことであった。

 ――実際のところ、アルフラはその少女になんの興味も持ってはおらず、ただ白蓮がそうしたから自分も同じことをしなければならないという、他者には理解しがたい思い込みによって少女を救おうとしているのだった。

 だから魔剣が無造作に抜き放たれたとき、シグナムはアルフラが少女にとどめを刺してやるのだと思った。戦場で多くの負傷者を手当てした経験のある彼女から見ても、少女の怪我が致命傷であることは疑いようもない。早く楽にしてやることが、正しい判断なのだと感じる。

 ため息とともに視線を逸らそうとしたシグナムの喉から、引き()った悲鳴がもれた。

 金色(こんじき)の燐光を発する魔剣の刃を――魂を(すす)り上げるその凶刃(きょうじん)を、アルフラはこともあろうにみずからの手首にあてたのだ。

 シグナムが止める間もなく魔剣の刃が引かれた。


「アルフラちゃん!? なにを――!?」


 かるく撫で斬ったように見えたが、思いの他に傷は深く、鮮やかな桃色の肉が露出していた。

 さすがに痛みを感じたのか、アルフラは眉根をよせて口許を引き結ぶ。

 手首の傷から溢れた血は流れ落ちることなく、凍りついたかのように一瞬で凝血(ぎょうけつ)した。それはすぐに瘡蓋(かさぶた)となって剥がれ落ち、あとには傷ひとつない白い素肌が晒される。

 驚くべき光景である。――が、さらに特筆すべきは魔剣の変化であろう。

 刀身の帯びた燐光が、直視することも難しいまでの光度となっていた。その色合いも金色から蒼白色へと変わり、集約された魔力の質量は膨大であった。


 魔剣プロセルピナは、持ち手であるアルフラの魂魄を喰らったのだ。


 しかし当の本人は感情の希薄な鳶色の瞳で光輝(ひかりかがや)く刀身を見つめていた。

 肉体的には決して浅くはない傷であったが、アルフラの保持する魂の総量からすれば、魔剣に吸われた魂魄は微々たるものだったようだ。

 呼吸を忘れてその一挙一動(いっきょいちどう)に見入るシグナムたちの前で、これ以上もなく純粋な力を帯びた魔剣の切っ先が少女へと向けられた。

 鋭い刃がほそい肩を浅く傷つける。

 冷気をともなった蒼白の光が少女へと流れ込んだ。

 一呼吸ほどの間を置いて、その体がびくりと跳ね上がる。

 手足が不規則に震えだし、がちがちと歯が噛み鳴らされた。

 アルフラはほそい首根っこを掴んで乱暴に抱き起こす。

 潰された少女の半顔。熟れ()ぜた果実のようにぐずくずとなった傷口の血が泡立ち、その不気味な光景に息を呑む声が聞こえた。

 少女の無事なほうの目は閉じられたまま、奥の眼球が痙攣しているのか、まぶたが小刻みにひくついている。

 アルフラは少女の首筋に手を当てたまま、じっと様子を観察する。その体は燃えるように熱い。

 急激な体温の上昇と激しい痙攣。

 かつて白蓮がそうしたように、アルフラは少女の頸動脈に当てた指で、彼女の熱を()ましてやる。

 ややあって、冷やされた血が全身に巡り、高すぎる体温もゆるやかに下降してきた。同時に手足の震えも落ち着き、顔の傷口には肉が盛り上がりはじめる。再生された肉に押し出されるようにして、血の絡んだ(こま)かい骨片(こっぺん)が無数にこぼれ落ちた。おそらく頭蓋骨の復元も始まっているのだろう。

 意識を失っている少女の顔は安らかで、その呼吸も規則的でしっかりしたものであった。


 一連の光景を()の当たりにしたジャンヌは両手を揉み絞り、感極まって上擦った叫び声を上げた。


「き、奇跡です!! ああ! これぞ女神アルフレディアの聖なる御業(みわざ)ですわ!!」


 感涙(かんるい)(むせ)び泣く神官娘は、アルフラからきつい眼差しでにらまれたことにも気づかない。


「……あたしはもう、なにが起きたって驚かないぞ」



 シグナムは限界まで見開かれた目でアルフラを見ながらそうつぶやいた。





 その夜、一行は寝床とするために焼け残った家屋を探して村を巡回した。結果、比較的状態の良い石造りの家を発見できたのだが、室内は家人(かじん)の血と臓物で散らかっていたためこれを断念。結局は天幕を張って野宿をすることになった。まだ怪我の癒えきっていない少女は治癒魔法を使えるジャンヌの天幕に寝かされ、いつもは同衾(どうきん)したがるルゥも、この日はコボルト避けとして雪狼の姿で不寝番をすることになった。

 ジャンヌは昏睡(こんすい)する少女の様子を見ながら、まる一晩、崇拝する女神に祈りを捧げて時を過ごした。数日ぶりにルゥの(性的な)襲撃を心配する必要がなかったため、とても祈りが(はかど)った。本人の前でやるとアルフラがとても不機嫌になるため、祈りの時間は夜にしか(もう)けられないのである。


 一夜明けても少女の眠りは覚めず、ひとまず彼女をクリオフィスまで連れていくことになった。アルフラは助けた少女を旅に同行させるつもりはなく、かといってその行く末になんらかの展望が有るわけでもない。アルフラは白蓮の行動をなぞって少女の命を救っただけであって、あとのことはあまり考えていなかったのだ。なんとなくクリオフィスにでも置いてゆけばよいかと思っていた。

 馬車での移動は健常な者でも体に(こた)えるため、少女の負担を考慮して、クリオフィスへの行程は遅々とした歩みで進められた。

 道中、みずからの膝を枕として少女をかいがいしく看病したのはジャンヌであった。好奇心の旺盛なルゥは、同じ年頃の少女がいたく気になるらしく、終始そわそわとしながらその目覚めを待っていた。



 アルフラたちがクリオフィスに到着したのは二日後のことであったが、その(かん)少女が目を覚ますことはついぞなかった。





 魔族の領域、皇城の居室において、にわかには信じがたい報告を戦禍は聞かされていた。


「あのアルフラという娘が生きていたのは僥倖(ぎょうこう)としか言いようがありません。しかし……」


 戦禍は対面に座った松嶋を見やりながら大仰(おおぎょう)な仕草で肩をすくめた。


「あなたをも凌ぐ力を身につけていたと? あの娘が?」


 疑念の見え隠れする戦禍の視線を受けとめつつ、老執事は彼の(げん)を訂正する。


「遥に凌ぐ力を、です」


 戦禍と松嶋はそれなりに長い付き合いだ。この老執事の性格はよく心得ており、彼の実力も高く評価している。松嶋は将位の魔族と同等の力を(ゆう)し、それは中央の将軍たちと比較してもなんら遜色のないものだった。

 アルフラが古代人種の血に(つら)なる者であるという話は白蓮から聞き及んではいたが、だからといって松嶋を超える力を持ち得るなどとは思えない。


「……申しわけないですが、いくらあなたの言葉でも信じられませんね」


 苦笑を(にじ)ませた声で告げられ、松嶋は淡々とそれに応じた。


「私の主も同じことを言っていました。実際、私もじかにそれを確かめていなければ、なにを馬鹿なと笑い飛ばしたでしょう」


 ですが、と視線に力を込めて松嶋はつづける。


「私の見立てですと、アルフラ様は魔王に比肩しうる魔力をお持ちのように感じられました」


「人間が魔王と同等の力を身につけるなど……私の耳にはいささか荒唐無稽(こうとうむけい)な話に聞こえますね」


 以前に戦禍がアルフラと会ったとき、彼女はなんの力もないただの小娘だった。あれからまだ一年も経っていない。数ヵ月前には侯爵位の魔族を倒したという報告を受けてはいたが、その辺りが人間という種の限界であろうと戦禍は考えていた。


「しかし私はこの目で見て、肌で感じたのです」


 戦禍は()(はか)るかのようにじっと松嶋の目を見つめる。無言の時間が長く過ぎ、やがて大きなため息が戦禍の口から落とされた。


「わかりました。信じましょう。……それで、あの娘はロマリアへ向かうと言っていたのですね?」


「はい。別れ際にそう(おっしゃ)られておりました」


 戦禍はしばし黙考したのちに真剣な眼差しで尋ねる。


「もし口無とあの娘が戦った場合、あなたはどちらが勝つと予想しますか?」


「……正直、見当(けんとう)もつきません。しかしすくなくとも、アルフラ様を生け捕りにすることは口無様でも不可能かと思います。あれを相手に手加減などしようものなら、たとえ魔王であろうと命取りになりましょう」


「……また、頭の痛くなることを」


 戦禍は顔をしかめてこめかみに指先をあてる。


白蓮(あのひと)はなにか言っていましたか?」


「大変なお喜びようでした。アルフラ様の生存をお伝えした瞬間、腰が抜けたように座り込み、よかった、本当によかったと何度もつぶやかれておりました」


「……それだけですか? あの娘の処遇についてはなにか言っていませんでしたか?」


「いえ、特には。私は主の命により、アルフラ様が生きておられたことだけを報告しました。ですからアルフラ様が急激に力を伸ばされたことを、白蓮様はまだ知りません」


「なるほど。あの娘の命を盾にして軟禁している以上、あなたが手出しできないほどの力を持ったのだと知られれば、その拘束力は失われてしまいますからね」


 おそらく白蓮は、なるべく無傷でアルフラを保護するという戦禍の約束が、まだ有効だと考えているはずだ。すでに状況は激変し、アルフラを生かしたまま捕らえることは不可能に近いのだが、その理由を白蓮に話すことはできない。かといってアルフラを死なせてしまえば、今度こそ白蓮は戦禍を許さないだろう。彼自身が直接出向けば話は変わってくるのだが、立場上、そうそう皇城を空けるわけにもいかない。

 手詰まりとも言える現状に思わず戦禍は頭を抱えてしまった。そこへ松嶋からの無慈悲な追い討ちがかかる。


「私の主もアルフラ様のことは手におえそうもないので、戦禍様にご助力をお願いしたいとのことでした」


 これには先ほどよりも重く深いため息だけが返された。

 松嶋は若干気の毒そうな表情でお伺いをたてる。


「……どうなさいますか」


 眉間(みけん)を指でほぐしながら、戦禍は気だるげな声音で応えた。


「比喩ではなく、すこし頭痛がしてきました。そうですね……とりあえず口無には一旦(いったん)ロマリアを引き払い、こちらへ帰還するよう伝令を送りましょう」



 戦禍の出した結論は、いわゆる問題の先送りだった。それしか打てる手がなかったのである。





 灰塚はつかつかと自室を歩き回りながら、あーでもないこーでもないと頭を巡らせていた。もともとはそう深く思い悩むような性格でもないのだが、愛しのお姉さまから頼まれた仕事は、どうにも無理難題に思えて仕方ない。


 ――雷鴉を殺せ。


 言葉にしてしまえばいかにも単純である。灰塚自身もいつか雷鴉を始末してやろうと思う程度には、彼を嫌悪していた。しかしながら、それを実際に行った場合に生じる軋轢(あつれき)は、みずからの立場を(いちじる)しく悪化させるものであった。


 ここしばらく、雷鴉は自室での謹慎を申しつけられて部屋から出てくることがない。その上、鬼族の女王が四六時中入り浸っているのだ。

 雷鴉を殺そうとすれば、自然と魔王二人を相手取ることになるだろう。

 白蓮からたっぷり力を注ぎ込まれた今なら勝機がないわけでもない。だが、神族との決戦も間近と思われる現状、二人の魔王を殺したとなれば、戦禍の怒りは凄まじいものとなるだろう。普段から物静かで温厚だからこそ、戦禍が本気で怒ればどうなるか予想もつかない。白蓮は彼に口を出させないと豪語していたが、現実問題として彼女はここに居ないのだ。その真偽のほども(さだ)かではない。


 室内を意味もなくうろうろとしていた灰塚は、ふと食卓に置かれたシナモンケーキに目を止めた。無意識のうちに自然と手がのびる。先ほど御用聞きに来た小間使いが置いていったものだ。

 ぱくりと一口ついばんで、灰塚はその渋面をうそのように(ほころ)ばせた。


「あら、おいしいわね。いい焼き加減だわ」


 おかわりを持ってこさせようと灰塚が手を打ち鳴らしたのと、扉が外側から叩かれたのはほぼ同時だった。

 ちょうどよいところに来た使用人に、灰塚はシナモンケーキを所望した。


「かしこまりました。ですが戦禍様から使いの者が寄越されて、言伝(ことづて)をお預かりしているのですけど……」


「そう、とりあえずシナモンケーキを持ってきなさい。話はそれからよ」


 すぐに運ばれてきたお菓子をかじりながら戦禍からの伝言を聞いた灰塚は、慌てて腰かけた椅子から立ち上がった。

 (いわく)、急ぎ玉座の間まで(さん)じられよ。

 先にそれを言えと理不尽に小間使いの娘を叱りつけて、灰塚は足早(あしばや)に自室を飛びだした。

 玉座の間へ向かう途中、その足がぴたりと止まる。魅月(みづき)の部屋から出てきた戒閃(かいせん)と鉢合わせたのだ。

 灰塚に気づいた戒閃は、すこし(あせ)ったような表情で乱れた衣服の裾を正した。その顔は心なしかほんのりと赤らんでいるように感じられる。よく見れば短めの襟足(えりあし)は汗に濡れて、艶めくうなじに張りついていた。 ぴんと来るものがあり、灰塚はふうんと鼻を鳴らす。

 戒閃の様子は、いかにも一戦交えて来ましたと言わんばかりものだったのだ。


「あ、あの……灰塚さま……?」


 意味ありげな目でじろじろと見つめられて、戒閃はよけいに頬を上気させる。

 みずからの臣下を手込めにされた灰塚は、当然ながらあまり気分がよろしくない。あとで魅月に嫌味のひとつでも言ってやろうと考えたところで、さらなる名案がひらめいた。


 お姉さま不在のさみしさに堪えかねて、魅月が戒閃をつまみ食いしたと白蓮に言いつけてやるのだ。


 魅月の浮気症を強調することにより、お姉さま一筋である灰塚の株が上がるだろう。

 ころころと変化する灰塚の表情の意味が分からず、おろおろしだした戒閃の肩をひとつ叩く。


「お手柄よ、戒閃!」


「……は?」


「これからもその調子で魅月と(ただ)れた関係をつづけなさいっ」


「えぇ!?」


「そうね、これから毎日一度は魅月に抱かれにゆくのよ」


 そうすれば白蓮が居ないのをいいことに、魅月が毎日のように浮気しているのだと報告することができる。

 言葉にならない悲鳴を上げる戒閃を置いて、灰塚は高笑いなどしつつ玉座の間へと向かった。



 なんとも可愛らしい悪巧(わるだく)みを思いついた灰塚は、とても上機嫌だった。





「アルフラという少女、生きていたそうですよ。これは信用できる筋からの情報です」


 灰塚が入室するなり、戦禍はそう切り出した。


「ですので、あなたが雷鴉の命を狙う意味はもうありません」


 灰塚が雷鴉を狙っていたこととその理由についても、戦禍はすでにお見通しだったらしい。試しに、何のことか分からない、の顔をしてみせた灰塚にかまわず、戦禍は話をつづける。


「別段、そのことについて(とが)めようとは思っていません。ただし、魔王同士の私闘に関する禁則は、以降も変わりませんよ」


「……かしこまりました」


 (うやうや)しく(こうべ)を垂れた灰塚を、戦禍は玉座から見下ろす。


「このことはすでに雷鴉にも伝え、彼の謹慎も()いてあります。そのうち顔を合わせることもあるとは思いますが、くれぐれも(いさか)いなど起こさぬようお願いします」


「御意に」


 灰塚は白蓮から押しつけられた無理難題が解消したことにほっとしつつも、アルフラが生きていたということに対しては陰鬱(いんうつ)な思いを味わっていた。愛するお姉さまの心を独占する少女など、邪魔でしかない。彼女がいる限り、いくど体を交わらせようと、白蓮の心は手に入らないという確信がある。

 妬心(としん)に唇を噛む灰塚を、戦禍は目を細めて観察していた。


「……灰塚。あなたはこのところ随分と力を増しているようですね?」


「いえ、戦禍さまに比べれば、私などまだまだかと」


 臣下に相応(ふさわ)しい謙遜の口上(こうじょう)を述べ、灰塚は顔を伏せた。

 いつになく殊勝(しゅしょう)な様子を見せる母の愛人に、やや複雑な表情で戦禍は告げる。


「あのアルフラという少女についてなのですが……」


 言いさして口をつぐんだ戦禍は、やや思案したのちに軽く首を振った。


「……そうですね。この話はまた今度にしましょう。――もう退室(さが)っていいですよ」


 すこし(いぶか)しげな顔をした灰塚は、それでもとくに問いかけることなく一礼して、玉座の間をあとにした。

 灰塚の背を見送った戦禍は、口無に伝令を送るべく玉座を立つ。

 自室で封書を(したた)め、それをロマリアまで運ぶ役割を子爵位の魔族に与えた。足の早さを考慮して、ただの雑兵ではなく貴族の者を戦禍は選定したのだ。

 彼にとっての不運は、その子爵位の魔族がもっとも近いロマリアの城、エルテフォンヌ城を経路の中継点に選んだことである。



 噛み合ってしまったのだ。現状、アルフラが目指している目的地と。

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