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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
202/251

天網恢々疎にして漏らさず(前) ※挿し絵あり



 因果応報という言葉がある。

 施政者や宗教者といった人の上に立ち、導く立場にある者が好んで(ろう)する言葉だ。

 善行を()した者には()(むく)いが、悪行を為した者には悪い報いがおとずれる。それが(ことわり)であり、天の配剤(はいざい)なのだと彼らは()く。


 しかしそれらは詭弁であり、嘘偽りだ。


 どれほど善行を積もうが不遇のままに死を迎える者もいれば、罪咎(つみとが)にまみれた者が大往生を()げることも間々(まま)ある。

 あまつさえ、何事も為せぬ赤子のうちに夭逝(ようせい)する者も数知れず。

 えてして疫病、飢餓、災害、戦乱などでは、善人悪人の区別なく、弱い者から(たお)れていくものだ。


 ではなぜ、因果応報という言葉が生まれ、人の口がそれを(たっと)ぶのか。それは一重に社会性の問題である。人が群れをなして生活するためには、必須ともいえる概念なのだ。

 善行を為して必ずしも幸福になれるわけではないのなら、日々の努力に虚しさを覚える者もいるだろう。

 悪行を為してなんら咎められることなく幸福になれるのなら、自制心の弱い者は悪事に手を染めてしまうだろう。

 そうなれば風紀は乱れ、人心は(すさ)み、犯罪の横行する世の中になりかねない。


 ようするに“建前(たてまえ)”が必要なのだ。


 だから施政者や宗教者は口々にこう()く。社会を円滑に回すため、治安と人々の安寧を守るため――ひいてはおのれの権益を磐石(ばんじゃく)たらしめるために。

 ――人よ善人たれ。善い行いには善い報いがおとずれる。たとえ人知れずとも神は常にあなたを見守っているのだから。

 ――人よ悪事を為すなかれ。悪い行いは必ずその身に返る。何人(なんぴと)たりとも神の裁きから(のが)れられはしないのだから。


 それはあくまで群衆心理を誘導し、統治をより安易化させるための建前ではあるが、往々(おうおう)にして因果が返されることも少なくはない。

 人助けをすればその恩に報いる者がる。

 悪事をなして報復を受ける者がいる。



 応報する因果に天意は介在せず、それは常に人の手により()されるのである。





 晴れ渡った秋空の下、のどかな様子で街道を旅する幌馬車(ほろばしゃ)が一台。これより因果を返されようとしている少年たちがここにいた。

 荷台の後部に腰かけて、くだらない冗談に笑い声をあげるやんちゃそうな二人の少年。ともに年の頃は十代半ば、肌の色はあざ黒く、髪と瞳の色もまた黒い。彼らは南方の海洋国家から旅をしてきた行商人の息子とその従兄弟(いとこ)であった。レギウス教国の王都まで荷を運び、そこで新たな商品を仕入れて故郷に帰る道すがら。長旅にもなれた少年二人は、ことことと揺れる荷台の(ふち)から足を投げだして、実のない話に花を咲かせて時間を潰していた。日中の大半は馬車での移動に(つい)やされるため、彼らは退屈でしかたないのだ。

 少年たちの退屈をまぎらわせてくれそうな出来事が起きたのは、うすい日差しを届ける太陽が中天へと登りつめた正午過ぎのことである。


「おい、イザーク。あれ……」


 イザークと呼ばれた少年は、従兄弟の指さすほうへ顔を向けてかるく目をすがめた。


「女の子、か……?」


 街道の先から幌馬車を追いかけてくる小さな人影。まだ顔の判別のつく距離ではないが、華奢(きゃしゃ)な体格と肩口まで届く亜麻色(あまいろ)の髪から、イザークはそれが少女であると推察した。


「こっちに走ってくるな。なんだろ?」


 その少女はなかなかに足が早く、見るまに幌馬車へと追いついてくる。目鼻立ちが確認できる距離まで駆けてきた少女を見て、イザークは思わずといったかんじでつぶやいた。


「うわっ……かわいいな」


 その言葉に(たが)わず、非常に整った顔立ちの少女だった。くりくりと大きな瞳がとくに印象的で、通った鼻筋、小さな薔薇色の唇、全体的に小造(こづく)りではあるが、絶妙な整合性の上に成り立つ少女の愛らしさに、イザークは馬鹿のように口を開いたまま見とれていた。しかし、彼の従兄弟であるペドロは、まったく別のところを注視していた。


「見ろよ、あの子すっげえ長い剣を背負ってるぞ」


 瞳を輝かせるペドロは、美麗な装飾のほどこされた長剣に興味津々なようだ。

 やがて二人のそばまで駆け寄った少女に、イザークが声をかける。


「こんにちは。ええと……俺たちになにか用?」


「なあ、その背中の剣、お前のなのか?」


 やや興奮した口調で尋ねたペドロは、少女と目が合ったときになってようやく、その容貌(ようぼう)の秀麗さに気がついたようだ。すぐさま視線を逸らした横顔は、羞恥のためかほんのりと赤らんでいる。もしかするとそれは、ペドロの人生で初となる、一目惚れの瞬間だったのかもしれない。彼よりもややませたところのあるイザークは、少女の機嫌を取るために愛想笑いを浮かべつつ、こう提案する。


「よかったら俺たちの馬車に乗ってかない? きみもシャミールの街までいくんだよね?」


 とても不幸なことに、人生経験の浅い少年二人は、その少女から(にじ)みでる粘度(ねんど)の高い死臭と血臭に気づけなかった。

 にこにこと微笑む少女は、小走りで馬車のあとを追いながら言った。


「うふふ、まさかこんなとこであなたたちに会えるなんて思わなかった」


「えっ? 俺たちどっかで会ったことあったっけ?」


「いや、会うのは初めてだよ。きみみたいに可愛い子、一目見たら忘れるはずないからね」


「ふふっ、あたしのこと、もう忘れちゃったの? あれからまだ一か月とちょっとしかたってないのに」


 ペドロとイザークはみずからの記憶を掘り起こしながら首をひねる。どう考えても覚えがないのだ。そして先にもイザークが言ったように、少女の顔立ちは一目見れば忘れることが難しいほどに可憐であった。


「ほら、レギウスの宿屋だったかな。そのすぐ近くの川で、あなたたち、女の子と三人で石を投げてあそんでたでしょ?」


 思い当たるものがあった少年二人は、かすかに顔を強張(こわば)らせる。それはあまり思い出したくない出来事だった。脳裡におぞましくも焼け(ただ)れた化け物の顔が思い浮かぶ。

 ペドロとイサークは、以前に宿泊した川沿いの旅籠(はたご)で、全身を包帯に覆われた少女と出会った。彼らにとってその容姿は非常に興味惹かれるもので、すこし遊んでやろうと思い立ち、二人は少女をかまってやったのだ。いま考えれば、その親切心が間違えだったのだと少年たちは思っている。その少女はとても弱いくせに生意気だったので、すこし小突(こづ)いて身の程というものを教えてやった。彼らからしてみれば、なんら自分たちに非はないのだが、そのあとがまずかった。あまりにも傲慢(ごうまん)な態度の少女にいら立ち、顔の包帯を無理矢理に剥ぎ取ったのだ。そのことだけは、二人とも深く後悔している。

 包帯にまみれた少女の醜悪で恐ろしい顔は、ペドロとイザークにとって心的外傷となり、その後たびたび夢でうなされることとなった。だが、自意識を確立する過程にある思春期の二人は、少女の心にどれほどの(きず)を刻んだのかを(おもんばか)ることはできなかった。


「おもい、だした?」


 嬉しげに小首をかしげる目の前の少女と、あの時の包帯お化けとが、どうやっても結びつかない。ペドロとイザークはまじまじと少女の顔を凝視する。


「ああ、火傷(やけど)はね、もうなおっちゃった」


 血の気の引く音が聞こえそうなほど急激に、二人の顔が青ざめた


「そ、そんな、まさか……」


「うそ、だろ……」


 信じられないというように、少年たちは絶句する。そしてようやく、場に張りつめた不穏な空気を感じとった。

 その少女は、魔族にとっては災害のような娘であったが、ただの人間には――かならずしもそうとは言い切れないものの――比較的無害であった。すくなくとも現時点では、彼女の狂気は無差別に振り撒かれるものではなく、先鋭化された指向性を有している。――だが、少年らにとっては、決して再会してはならない存在だった。


「あ、ははは……その……顔の怪我、治ってよかったね」


 かすれた声で言ったイザークの背後――荷台の奥から彼を呼ぶ声が響く。


「イザーク? さっきから誰と話してるの」


 ごそごそと音をさせて黒髪の少女が顔をのぞかせる。イザークの姉、エレンだ。


「わたし、具合が悪いんだから、ちょっと静かにしてて……」


 すこし不機嫌そうに言いかけたエレンは、弟が話し込んでいた少女を見て言葉を途切れさせた。視界に入った現実離れした存在感と神性を帯びた透明感が、その口を塞いだのだ。


「きれい……」


 それは素直な内心の発露だった。エレンがもうすこし信心深ければ、神々しいという表現を使ったかもしれない。しかし彼女の言葉にその少女は、すっと目をほそめる。


「……うそつき」


「――え?」



「あなた、このまえはあたしの顔を見て、ばけものって言ったくせに」





 意味がわからず硬直してしまったエレンを見て、イザークは取り(つくろ)うように口を開く。


「ええと……あの時のことは俺も悪かったよ。だからさ、仲直りしようよ」


 あつかましくも軽薄にのたまったイザークを、アルフラはただただ不快に思った。


「お、俺もお前と友達になってやってもいいぞ!」


 イザークを押しのけるようにして身を乗り出したペドロの顔には、あからさまな下心が見え隠れしていた。それは単純に、可愛い女の子と仲良くしたいという年相応の思いであったが、この状況下では場違いだとしか言いようがない。実際、彼ら二人にしてみれば、アルフラの包帯を剥いだときも、たいした悪気はなかったのだ。ちょっと悪いことをしたな、といった程度の認識であり、それをアルフラがどう感じたかまでは想像が及ばない。ようやく話の流れを理解し、がくがくと震えだしたエレンは、彼らよりもずいぶん大人だったといえるだろう。

 本人からすればささいな悪戯心でも、それを堪えがたい悪意と感じる者もいる。無自覚に人を傷つけることは日常的にあり得る話だが、場合によっては今後の人生すら(そこ)なう恨みを買いかねないという世の(ことわり)を、間もなく少年たちは知ることになる。手遅れという言葉の意味とともに。


「なあ、シャミールの町についたら一緒に遊ぼうぜ」


 アルフラからしてみれば、同年代の異性に口説(くど)かれるという初めての経験であったが、沸き上がった感情は嫌悪だけだった。目の前にペドロの手が差しのべられる。おそらくアルフラを馬車の荷台に引っ張り上げようとしたのだろう。しかし悲鳴のような声を出してエレンがその手を引きとめた。


「だ、だめ!!」


「なにすんだよ!」


 邪険に振り払おうとするペドロにエレンが叫ぶ。


「この子、なにかおかしいわ!」


「……ねぇ」


 アルフラが声をかけると、エレンはびくりと震えて身を引いた。


「またあたしのこと、けったりふみつけたりしない?」


 その言葉にイザークは破顔(はがん)する。


「もうそんなことしないよ。俺はきみと仲良くしたいんだから」


「俺もさ! 根に持つのは男らしくないって(とう)ちゃんも言ってたからな。だからあの時のことは水に流そうぜ!」


「……うん」


 一人納得するように、アルフラはうなずく。


「白蓮……」


――やっぱり白蓮が言ってたことはほんとうだ


――白蓮はいつも正しい


――怪我をしていたときは、あたしのほうが弱かった


――だから、こいつらにいじめられた


――こいつらはすごく弱いけど、それよりもっと弱かったから、いけなかったんだ


 強者は奪い、弱者は従う。――白蓮の言葉である。ただ弱いというだけで、弱者は文句すら言えない。

 アルフラのなかの自明の理として、この少年たちから何を奪おうと、それは強者であるところの当然たる権利であった。


「ん……」


 ペドロの眼前に、右手を伸ばす。すると彼は屈託のない笑顔で言った。


「よし、仲直りの握手だ!」


 もしかすると彼も、根はいいやつなのかもしれない。もっと常識や思い遣りといったものを身に付け、青年と呼べる年頃まで成長すれば、気のいい若者になった可能性もある。しかし――


「――あいたっ!?」


 差し出されたペドロの手をかるく払い、アルフラは彼の肩を掴んだ。


「お、おい、なにすんだよ!」


 もれる不平も気にとめず、荷台に足を掛けたアルフラはささやく。


「あなたは、あたしの肩をふみつけたよね」


「え……?」


 ペドロは肩に触れた手の冷たさに震えながらも、必死にそれを否定しようとしていた。


「ち、ちがう……俺はそんなこと……」


「あのあと、あなたにふまれたとこがずっと痛かったんだから」


 アルフラの手から急速に体温を奪われゆくペドロは、がちがちと歯を鳴らして震える。右肩は氷のように冷たくなり、堪えがたい痛みにうめき声がもれだす。そして唐突に、なにかが砕ける音が耳元から聞こえた。同時に、


「ひぃっ……」


 と、エレンが喉を引き()らせた。目をむいたイザークは言葉もない。

 まじまじとおのれの右肩を見つめたペドロは、瞳に映ったものが理解出来ないのか、せわしなくまばたきを繰り返していた。――肩の断面図など、見たことがある者も(まれ)であろうから、それは至極当然の反応といえた。血は、一切(いっさい)流れていない。すべてが凍りついていた。

 血流が(とどこお)り、ぼんやりとしてきた頭を左右に巡らせ、ペドロはなにかを探すような素振(そぶ)りを見せた。


「うで……俺の、右腕……」


 アルフラは握り砕いた氷塊を――さきほどまでペドロの右肩であったそれをぽいっと放り、後方を指さす。


「あそこに落ちてる。はやく取りにいったほうがいいよ」


 道ばたに転がった、紫に変色したみずからの右腕を見て、ペドロはふらりと仰向けに倒れた。白目を剥いて失神している。肉体の一部を失った精神的な衝撃が原因ではなく、単純に急激な体温の低下からくるものだった。

 すでに彼から興味の()せたアルフラは、イザークへと顔を向ける。


「あなたは……」


「やめて――!!」


 かな切り声を上げたエレンが両手を突きだした。しかしその手が届く前に、アルフラは荷台から飛び降りる。


「お父さん! 馬車を走らせて!!」


 積み荷で仕切られた御者台に叫んだエレンであったが、しかし馬車は速度を落とし、逆に止まってしまった。高く積み上げられた荷のひとつが取り除かれ、その隙間から壮年の男が顔をのぞかせる。


「お前らさっきから何を騒いでる!」


 エレンの父はしかりつける口調で娘をにらむが、ぐったりと倒れたペドロの惨状を見て表情を歪めた。


「馬車を出して! 早く! 早く逃げないと!!」


「なにがあった!?」


 御者台を降りて荷台の後方へ回り込んだエレンの父は、その手に大振りな山刀をたずさえていた。子連れで行商をするだけあって、腕には自信があるようだ。さらにエレンの母であろうか、四十絡みの女性が(クロスボウ)を構えて姿をあらわす。すでに短矢(クォーラル)が装填されていることを見て取り、アルフラは魔剣の柄を握りこむ。すると留め金の外れる音が響き、(さや)が地に落ちた。

 壮年の男がアルフラに向き直るより早く、肩に担いだ魔剣の刀身を降り下ろす。同時に大量の血飛沫(ちしぶき)が噴き上がった。

 右の肩口から入った(やいば)は、たいした手ごたえも伝えず鎖骨と肩甲骨を割り裂き、胸骨と多数の肋骨(ろっこつ)()って左の腰から抜けた。絶命した男の体を払いのけ、返す刀で彼の妻に同じ末路を辿らせる。

 鞘を拾ったアルフラは、魔剣をひと振りして血脂(ちあぶら)を切ろうとして手を止めた。刃を汚すそれが刀身へ(にじ)むように消えたのだ。魔剣は魂だけではなく、持ち手と同じく血も(すす)るらしい。


「手間のかからない子ね」


 誉められた魔剣は鈴を転がすような金属音を刀身から響かせた。

 肩から掛けた剣帯(けんたい)の背に鞘を差し、そこへ魔剣を滑り込ませる。


「ごめんね、待たせちゃって」


 アルフラの視線を受けてイザークはぶるぶると首を振った。それは気にしていない、という意味合いではなく、頼むから近寄らないでくれという意思のあらわれだった。



 まるで待ち合わせにでも遅れたかのようなアルフラの口振りであるが、それは「次はお前だ」と言っているのも同然だったのだから。





挿絵(By みてみん)



イラスト 柴玉様

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[良い点] ストーリーも面白いけどイラスト良すぎんか?百合見たさで読み始めたけど面白すぎて止まりませぬ!
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