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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
201/251

国境の町



 倒れ臥した女吸血鬼の遺骸からは白煙が立ち()ぼり、その肉体は急速に風化しはじめていた。

 ほどなく、異変を感知したシグナムが大剣を片手に駈けてくる。しかし、場の有り様を一見(いっけん)し、剣を握る手から力が抜かれた。物問いたげな目がフレインへと向けられる。


「カダフィーが……」


 言いかけたフレインは、ぎょっと目を剥き硬直する。遅ればせながら駆け(さん)じたジャンヌの様相が彼の度肝(どぎも)を抜いたのだ。

 息を切らせて肩を上下させる神官娘は、まとった祭服(さいふく)の襟元がおおきく引き裂かれ、胸のあわい膨らみが露出してしまっていた。乱れた髪は汗で頬にはりつき、夜目にもほの白い肌を晒したまま、天幕の入口で立ち止まる。


「なにがあったのですか!?」


「いや、お前のほうこそなにがあったんだよ?」


 問い返したシグナムの視線で、ジャンヌはおのれの()で立ちに心付いたらしい。慌てた様子で胸元を隠す。


「まさか、カダフィーの手下がそちらに?」


「は? いえ、これはルゥに……」


「なんだ、おまえらまたケンカしたのか?」


「ケンカではなく、ルゥがいきなり……」


 もごもごと語尾をにごらせた神官娘の頬は赤い。


「そ、それより、これはカダフィーなのですか?」


 すでに女吸血鬼の遺骸は跡形もなく、彼女の黒い外套といくつかの装備品だけがあとに残されていた。

 無言で首肯(しゅこう)して見せたフレインに、ジャンヌはすこし複雑な表情をする。神官娘が快癒の魔法を習得できたのはカダフィーの助力に()るところが大きく、ある意味彼女は治癒魔法におけるジャンヌの師とも呼べる存在であった。

 そういったわけで、やはりなにがしかの感慨があるのだろう。神官娘はしばし地面に視線を落としたのち、アルフラへ向き直って両手を祈りの形に組む。


「カダフィーは呪われし不死者の体から解放され、アルフラさまの御許(みもと)へ還ったのですね。百二十年の歳月を()て、ようやく彼女の魂は救われたのですわ」


 その言葉に、フレインがめずらしく不快げなまなざしをジャンヌへ向ける。カダフィーの凄惨(せいさん)な最後を目にした彼からしてみれば、神官娘の世迷(よまい)(ごと)には思うところがあるのだろう。そんなフレインを尻目に、腰をかがめたアルフラは女吸血鬼の遺物である短刀を拾い上げた。それを腰に差しつつ軽く首をかしげる。カダフィーの残したもうひとつの宝具、死神(ししん)王笏(おうしゃく)の使い道が思い浮かばないのだ。

 短刀はとりまわしもきくので何かと役に立つのだが、死霊術師の秘宝であるその王笏は、アルフラからすると装飾過剰なただの棒切れにしか見えなかった。命を(むしば)む瘴気を帯びた王笏を手に取り、しばし黙考したアルフラは、それをジャンヌへとさしだした。


「これ、あげる」


 はっ、と息を呑んだジャンヌはひざまずいて(うやうや)しく両手を伸ばす。しかしこれにはフレインが慌てた声をだした。


「いけません!! 死神の王笏に素手で触れては――」


「――は?」


 ジャンヌはきょとんとした顔でフレインへと振り返る。女神から授かった王笏を大切そうに抱きしめた姿勢で。


「……え? なんともないのですか?」


「なんともない?」


「あ、いえ……生身の人間であれば、手にしただけで体に変調をきたすほどの瘴気を、その王笏は放っているのですが」


 実際に触れているわけでもないフレインですら、王笏から(にじ)み出る瘴気の影響で息苦しさを感じていた。シグナムも一定の距離を置いたまま、いかにも気味悪げに王笏を見ている。平気な顔をしているのはアルフラとジャンヌだけだ。


「わたしにはアルフラさまの加護がございますので問題ありませんわ。我が神の威光はあまねく闇を照らし出すのです」


「そ、そうですか……」


 しかし、まったく身に覚えのない女神さまは、うさんくさげな目でジャンヌを見ていた。加護ってなに? といった顔である。

 微妙な空気を察したシグナムが、話をかえるように口を開く。


「そういやルゥはどうしたんだ」


「鎖で拘束して天幕に寝かせてありますわ。しょうしょうおいたが過ぎたものですから」


「そうか。あたしと見張りをしてたトマスはお前の天幕のほうに走ってったぞ。――て、ほら、噂をすれば」



 シグナムの視線の先には、こちらへ駈けてくる武神の神官長と、彼から鎖を解いてもらったルゥの姿があった。





 翌朝早くに出発した一行は午前の内に国境を越え、昼にはロマリア北西部の街、トレアムに到着した。国境付近には人の出入りを監視する関所も(もう)けられてはいたのだが、魔族侵攻による影響からか警備兵は置かれておらず、二台の馬車は素通りすることができた。


「国境警備がおろそかになるようでは、もはや国家の(てい)をなしているとは言えませんね」


「ロマリア国内の治安も最悪だろうな。野盗や暴徒のたぐいが横行してると思ったほうがいい」


 しかしシグナムの予想に反して、国境の街トレアムは平時と変わらぬ治安を保っているように見受けられた。ロマリアを縦断する大河に寄り添い栄えたこの街は、ラザエル皇国から鉱石類や工芸品をロマリアへと運輸する中継点としての要所であり、多くの商人たちが出入りしている。運河に施設(しせつ)された船着き場には大小さまざまな船が寄せられ、盛んに貨物の積み降ろしが行われていた。また、積み荷を検分する役人の姿も多く見られ、この街が秩序立った(いとな)みの中にあることがうかがえる。


「これは……意外ですね」


 そうつぶやいたフレインと同じく、シグナムも驚きの目で活気溢れる街並みを見回していた。

 ロマリア国内の情勢がいまいち把握できていない一行は、手近な露店商に銀貨を握らせて話を聞いてみることにした。その露店商(いわ)く、この近辺ではいまだ魔族の軍勢は確認されておらず、上都陥落の知らせは届いたものの、商人たちは街が占領される前に稼げるだけ稼いでおこうと躍起(やっき)になっているらしい。役所の徴税官などは、むしろ以前よりも仕事が増えたとぼやく始末だとか。


「商人てのはほんとに(たくま)しいな」


 そう苦笑したシグナムは、愛想笑いを浮かべた露店商から安物の指環や首飾りをしきりと(すす)められていた。


口無(くちなし)はどこにいるの?」


 不意にアルフラから尋ねられた露店商は、無駄口を叩くことなく、知らないとだけ答えた。口無が上都を制圧したのはひと月以上も前のことであり、遠く離れた国境の街ではその所在は知りようがないのだという。そのまま上都の宮殿に留まっているかもしれないし、魔王みずから出征している可能性もなきにしもあらず――ということらしい。

 シグナムが無人であった関所のことを話題にあげると、国境警備隊はトラスニアへ移動したのだという答えが返ってきた。

 ロマリア西部の大都市トラスニアに落ち延びた女王エレクトラが各地に(げき)を飛ばし、散在する兵を召集したのだ。それに呼応した国境警備隊も西方に向かい、現在ロマリアの国境線はほぼ無防備といえる状態にあった。


「上都が陥落して外患(がいかん)に備える意味が薄れたとはいえ、ロマリア女王はずいぶんと思い切りのよい方なのですね」


「でもトラスニアって上都からそう離れてないよな。まだ女王は健在なのか?」


 露店商はエレクトラがいまだ存命かまでは分からないが、すくなくとも崩御(ほうぎょ)の知らせは届いていないのだと語った。


「口無は各地の兵がトラスニアに集結するのを待って、一網打尽にするつもりなのではないでしょうか?」


「だろうね。あたしでも同じ状況ならそうする」


「じゃあ口無は上都ってとこにいるの?」


 アルフラの問いにシグナムは首を振る。


「まだ分からないよ。たぶんそうだとは思うけど、もうすこし情報を集めた方がいいだろうね。上都くんだりまで出張った挙げ句、居ませんでしたじゃ目も当てられない」


「いちどクリオフィスに立ち寄ってみてはどうでしょう? アルセイド様ならばそういった情報にも通じていると思いますよ」


「えー」


 ルゥがあからさまに不満げな声をあげた。狼少女はことあるごとにジャンヌを口説(くど)こうとするエルテフォンヌの跡取り息子が大嫌いなのだ。ジャンヌ自身もアルセイドのことをやや苦手に思っているらしく、しぶい顔をしている。そして露店商もフレインの言葉に否定的な意見を述べた。


「クリオフィスはやめた方がいい。北の緩衝地帯を荒らしてたコボルト共が、国境を越えてロマリア内部に入り込んでるんだ。城壁があるような街は平気だけど、小さな農村はだいぶ被害を受けてる」


「コボルトですか。数が多いと厄介ですね」


「まあ、ルゥがいればそもそも襲われること自体ないだろ」


 フレインとシグナムのそのやり取りを見て、露店商はかるく肩をすくめる。


「どうしてもってなら止めないけど、クリオフィスは魔族に降伏したって噂を聞いたよ」


「――え!? 魔族の軍勢がクリオフィスに……?」


 アルセイドの身を(あん)じたのか、フレインの表情が硬くこわばる。


「いや、戦いにはなってないらしい。ただ、エルテフォンヌ城が魔族に占領されたって話だ。あの城はクリオフィスからもそう遠くはないからね。それで攻め込まれる前に降伏の使者を送ったんだとさ」


「そうですか……」


「なんでも、伯爵だか侯爵だかのちょっと洒落にならない魔族が来てるらしい」


 その言葉で、一行の次の行き先が決まった。アルフラが、じゃあそいつに聞けば口無の居場所もわかるね、とつぶやいたのだ。

 露店商がぎょっとした顔をしていた。


「いや、あんたら正気か?」


 爵位の魔族がどれほど恐ろしい存在なのかを力説しはじめた露店商の肩を、シグナムがひとつ叩く。



「あたしたちはそこそこ爵位の魔族慣れしてんだ。いまさらどうってことないよ」





 なかなか有用な情報を仕入れたアルフラたちは、旅に必要な食糧や日用品などを買い込んだあと、街で一泊することにした。そして翌日、一行はあらかじめ手配しておいた輸送船に馬車を乗り入れる。

 エルテフォンヌ城へ向かうには、半日ほど運河を(くだ)り、シャミールという宿場町で船を降りて街道を東へ。さらにクリオフィスを経由して南下するのがもっとも早いとシグナムが判断したのだ。

 船上の人となったアルフラは、甲板(かんぱん)(へり)に寄りかかり、河のせせらぎを眺めて時間をすごしていた。

 この日は雲ひとつない秋晴れの空であったが、すこし異常なほどに寒く、風は痛みを覚えるほどに冷たかった。アルフラのかたわらに(はべ)ったジャンヌは、まとわりついてくる狼少女をこれ(さいわ)いと抱き寄せて暖をとる。小柄で体温の高いルゥは腕のなかにすっぽりと収まり、寒い日には絶妙に具合がよいのだ。湯たんぽ代わりにされたルゥも、すまし顔でジャンヌの胸元に鼻先をこすりつけて嬉しそうにしている。双方に利益が(しょう)じる見事な需要と供給であった。

 シグナムは体を暖めるという口実のもと、午前中からかなり大量の火酒をあおってご機嫌だ。フレインとトマス、男二人だけがぶるぶると身を震わせていた。そして順調な船旅は、目的地であるシャミールの町が見えてきた辺りで終わりを告げた。

 突如、甲板を蹴立てたアルフラが船縁(ふなべり)の突端に飛び乗る。


「アルフラちゃん!? なにやってんだ!! 河に落ちちまうぞッ!」


 シグナムの叫びもむなしく、アルフラは水面へと向かい高く跳躍する。

 信じられない光景を目撃してしまった数人の船員が、悲鳴をあげて船端(ふなばた)へ駆け寄った。


「子供が河に飛び込んだぞ!?」


「もやい縄だ! もやい縄を持ってこい!」


 しかし(げん)から身を乗り出した船員たちは、大きく目を見開いて動きを止めた。河に落下したアルフラは、そのまま水面に沈むかと見えた瞬間、足元の流れが()てつき、それを足場として岸辺(きしべ)へ跳んだのだ。


「アルフラちゃん!!」


 土手を駆けあがり、街道を走り去るアルフラの前方には一台の幌馬車(ほろばしゃ)が見えた。


「おいッ!」


 シグナムが手近な船員の胸ぐらを乱暴に掴む。


「船を岸に寄せろ!!」


「はあ!? ここは接岸できるような地形じゃない! 無理に寄せればそのまま乗り上げて身動き取れなくなっちまうよ!!」


「だったら小舟を……」


 言いかけたシグナムは、船尾に小型挺らしきものが見えるのに気づいた。その視線を察した船員が慌てた調子でまくしたてる。



「わ、わかった! 舟を下ろすから無茶はしないでくれ!! ただし、別途で料金を払って貰うからな!!」

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