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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
199/251

ご機嫌なアルフラ ※挿し絵あり



「――かかれ! 大逆の徒に、闘神へリオンの鉄槌を知らしめよ!!」


 開戦を告げる号令が大気を震わせた。しかしそれにも劣らぬ大音声(だいおんじょう)で、アルストロメリア侯爵が神官長の名を呼ぶ。


「トマス!!」


「はッ!」


「どうやら闘神の司祭枢機卿殿は乱心()されたようだ!」


「な、なにを……!?」


 ぎょっと目を剥いた闘神の司祭枢機卿は、まなじりを吊り上げて叫んだ。


「乱心しておるのはそなたの娘の方であろうが!!」


「トマス! レギウス神から天界へと招かれた勇者殿たちに、危害を加えんとする者をお前はなんと見る」


「とても正気の沙汰とは思えませんな」


 察しのよいトマスは主の意図を悟り、背後に控える神官戦士団へ向かって声を張る。


「勇猛なる武神の徒よ! 神意に逆らう背信者たちからジャンヌお嬢様をお守りするのだ!!」


 その命令に戸惑い見せつつも、ほとんどの者が素早く反応した。闘神の神官戦士たちの進路を阻む形で、武神の信徒が立ち位置を変える。方陣から横隊への移行は(すみ)やかで、その統制の取れた動きは実に見事なものであった。これには闘神の神官戦士団も足を止め、誰もが困惑(いちじる)しい表情で彼らの司祭枢機卿を仰ぎ見る。


「き、貴様! アルストロメリア侯!! そなた、娘可愛さに大罪人を(かば)いだてするつもりか!?」


 怒りに顔を紅潮させた闘神の司祭枢機卿とは対照的に、アルストロメリア侯爵は落ち着いた様子でうそぶく。


「そもそも、そこな娘御が大逆を犯したなどという神託を受けたのはあなただけではないか。私はダレス神からなんの御言葉もいただいてはおらんので、事の真偽は確かめようもない。他の枢機卿たちもそれは同様だ」


 確認するかのように、アルストロメリア侯爵は後詰めに控えた軍神の司祭枢機卿へと顔を向け、ついで戦神の司祭枢機卿に視線を移す。話を振られた二人は態度を決めかねているのか、共に無言で状況の推移を用心深く見守っていた。それも無理なからぬことだろう。文字どおり降って沸いたレギウス神弑逆(しいぎゃく)の話に加え、この内輪揉めだ。保身に走りたくなる彼らの心情もまた、頷けるものである。そこには法の最高神が殺されたことを信じられないという思いもあるのかもしれない。

 しかし、真実を知る女吸血鬼はどちらが正しいのか百も承知だ。


「さっきから言ってるだろ! ダレス神はその小娘に殺されちまったんだよ!! だからあんたに神託が降りるはずがないし、戦神の司祭枢機卿だって同じことさ」


「フッ、世の(ことわり)に反する不死者の言葉に信は置けぬな」


「――な!? あんた裏切るつもりか!? この前の夜会で約束したろ! ギルドと武神の一門は足並みを揃えて――」


 そのような密約があったことは事実だ。両者は魔族への徹底抗戦を唱える派閥に対向するため、協力関係を築こうということで合意をなしている。だが――


「知らんな」


 アルストロメリア侯爵は表情も変えずに言い放った。


「我ら武神の信徒が、呪われた不死者を(おさ)とする魔術士ギルドと癒着(ゆちゃく)することなどありえん」


 あまりに見事な手のひら返しに、カダフィーは瞬刻(しゅんこく)、言葉を失ってしまう。


「カダフィー殿。そなたら魔術士ギルドは魔族と通じ、レギウス神に選ばれた勇者たちを亡き者にせんと画策しておるのではないか? おおかた怪しげな術でも使い、闘神の司祭枢機卿をたぶらかして(にせ)の神託でも聞かせたのだろう」


 あまりに(はなは)だしい言いがかりではあるが、不浄(ふじょう)の存在と(もく)される不死者と司祭枢機卿の言、どちらに神官戦士たちが重きを置くかは火を見るより明らかだ。カダフィーはみずからに疑念の視線が多数向けられるのを感じながらも、悠然と笑みすら見せるアルストロメリア侯爵の表情を見て確信する。彼はただ単に、娘の命惜しさからこのような詭弁を(ろう)しているのではない。また、レギウス神が(しい)されたことを信じていないわけでもないのだと。


「まさか……」


 レギウス神教の主神が(たお)れるということは、宗教国家である教国の屋台骨が折れたに等しい惨事だ。王権の失墜は神官たちの求心力を無にせしめ、戦乱により多大な痛手を被っている現状、下手をすれば国家としての存続すらもが(あや)ぶまれる。


「あんた……国を割るつもりかい?」


 アルストロメリア侯爵はおそらく、神族のみならずレギウス教国自体に見切りをつけたのだ。

 国政を牛耳る神殿勢力の横行に、不満を溜め込んだ貴族は少なくない。教国有数の大貴族である彼が、この局面で先陣を切って離反の意思を示せば、あとに続く者も少なくはないはずだ。また、広大な穀倉地帯を(よう)するアルストロメリア侯爵領なら、国に属さずとも単独で立ちゆくという計算もあるのだろう。だからこそ後顧を(うれ)うこともなく、無茶な言いがかりをつけてジャンヌを守ろうとしているのだ。


「アルストロメリア侯……」


 時勢を読んでの立ち回り、その変わり身の早さは、為政者として優れた資質のひとつと言えよう。カダフィーも状況さえ異なれば、やはりこの男はキレ者だと感心すらしたかもしれない。しかし事ここに至っては、純然たる怒りしか感じなかった。

 女吸血鬼は漆黒の外套をひるがえして後ろへ飛び退()き、アルストロメリア侯爵から距離をとる。それを横目に見やりながら、武神の司祭枢機卿は忠実なトマス神官長に命じた。


「勇者殿たちを馬車までお連れしろ。そして()く、我が居城まで送り届けよ」


 アルストロメリア侯爵がアルフラたちを自領に(かくま)うつもりなのだと悟り、カダフィーは舌打ちした。だが彼女は、この状況を瞬時に(くつがえ)せる手段を有している。そして迷うことなく、それを実行した。

 女吸血鬼の総身(そうしん)から湧き立った魔力が、その(まなこ)へと集中する。

 黒い瞳の光彩が、鮮血色に変じる。


 ただならぬ気配を察したアルストロメリア侯爵は身構えつつも、向けられた妖魅の魔眼を直視してしまった。

 つぶさに視界は暗転し、闇の中にふたつの鬼火が浮かび上がる。それが女吸血鬼の双眸(そうぼう)だと気づいたとき、すでに彼はカダフィーの術中にあった。

 なんとか視線を()らそうともがくアルストロメリア侯爵の耳許で、囁く声が聞こえた。


――神官戦士たちに、アルフラを殺せと命じな


 混濁しはじめた意識に、その声は蜜のように甘く染み入ってゆく。


――ジャンヌを保護したのち、アルフラを殺すよう命令するんだ


 しかし彼は、この状況を充分に想定していた。状況が悪くなれば、女吸血鬼が魔眼の行使も(いと)わないであろうということを。

 長年に渡り精神修養を積んだ武神の司祭枢機卿は、薄れゆく自我が消え去る間際、気炎をほとばしらせて一声吠える。


(シン)!!」


 ぐらりと傾いた体を気力で(ささ)え、しっかと両の足で大地を踏みしめる。


(シン)! (シン)! (ヨウ)! (メツ)! (ダン)!」


 ――気合一閃、闇に閉ざされた視界に情景が戻り、アルストロメリア侯爵はカダフィーから視線を外す。常人には抵抗できるはずもない妖魅の魔眼を、彼はその稀有(けう)な精神力のみで破ってみせたのだ。

 驚愕に表情を歪めた女吸血鬼がうめき声を上げた。


「あ、あんた、本当に人間なのか……? 父娘(おやこ)(そろ)いも揃って私の魔眼を……」


 瞬間、カダフィーは、顔を伏せたアルストロメリア侯爵の口が、笑みの形に引き()るのを見た。


「不死者めが、馬脚を(あらわ)しおったな。――者共! 神に仇為(あだな)す不届き者を(ちゅう)せよ!!」


 その命に従い、武神の神官戦士たちがカダフィーを取り囲む。

 術中に()めたつもりが逆に嵌められたのだと気づいた女吸血鬼は、ここが引き際だと意識せざる得なかった。

 幾重にも周囲を固める神官戦士を片手で薙ぎ払い、高く跳躍する。外套をはためかせて人垣を飛び越えた先は、闘神の司祭枢機卿の許だ。


「直接神託を受けたあんたなら、それが本物だってのは分かるだろ」


「当然だ。私がへリオン様のお声を聞き違えることなどあり得ん!」


「ならあの小娘を逃がすつもりはないよね?」


「貴様に言われるまでもない」


 成りゆきに翻弄され、二の足を踏む闘神の神官戦士団にふたたび命が下される。



「神意は我らが上にあり!! 血迷った武神の徒を蹴散らし、大罪人を討ち果たせ――!!」





 予想外の展開に、シグナムたちはやや呆然としてしまっていた。そこへ神官戦士の一団を引き連れたトマスが駆けてくる。


「ジャンヌお嬢様、馬車までご案内します! お連れの方々もどうぞこちらへ」


 シグナムは複雑な心持ちだ。武神の神官長トマスには、初対面でみょうな絡まれ方をしているため、あまりよい印象はない。だが、天界での出来事をその目で見ている現状、すこし申し訳なく思ってしまう。アルフラが彼らの神を殺してしまったうえ、そうとは知らずにトマスはシグナムたちを守ろうとしているのだから。

 すでに戦端は開かれ、激しい(とき)の声と鋼の打ち合わされる音が響き渡っていた。しかしいっかな動じた様子のないトマスに尋ねる。


「……なあ、いいのか?」


「は? なにがでございましょう」


「戦いが……始まっちまってるぞ」


「そうですな」


 どこかジャンヌと話しているときのような徒労感を覚えつつ、シグナムは重ねて問う。


「ダレスとへリオンは姉弟神なんだろ。これって身内同士で(あらそ)ってるようなもんじゃないのか?」


「なんの、相手が誰あろうと関係ありません。我らは武神の徒。(いくさ)働きこそダレス神の(ほまれ)なれば!」


 そのダレス神の生首を、先ほど見てきたばかりのシグナムは、やはりなんとも言えない後ろめたさを感じる。


「ささ、早くこちらへ。我らがお守りする以上、あなた達には指一本触れさせはしませんゆえ」


 トマスは戦列に加わりたそうにしているジャンヌの袖を掴んで引き留めつつ、シグナムらを手招きする。


「アルフラちゃん。とりあえず馬車まで案内してもらおう。ここで無駄に時間をつぶしても……」


 言いかけたところで、割って入った声があった。


「待ちなッ!」


 神官戦士の囲いを破ったカダフィーだ。その背後には闘神の神官戦士と司祭枢機卿の姿もあった。女吸血鬼はアルフラとの間合いを気にしているのか、一定の距離を置いたまま近づこうとはしない。さしもの女吸血鬼も、アルフラと正面切って戦うつもりはないのだろう。


「フレイン坊や! 私は一旦、王都のギルド本部に戻る。あんたもついてくるんだ」


 フレインはちらりとアルフラに目を向けるが、その背中は彼を拒絶するかのようにぴくりとも動かない。好きにしろ、ということなのだろう。フレインも、アルフラからすれば自分は不要な人間だということを重々承知している。


「いいかい、アルストロメリア侯がどう取り繕おうと、その娘がレギウス神を殺したことはいずれ知れ渡る。あんたが嬢ちゃんと行動を共にすれば、ギルドの立場だって悪くなるんだよ。かしこいフレイン坊やなら、どうするのが一番いいのか分かるだろ」


 硬い表情のまま立ち尽くすフレインを見て、カダフィーはかすかに顔をしかめる。


「嬢ちゃんにこれ以上肩入れすれば、ギルドだってあんたをほってはおけない。もちろん大陸中のレギウス教徒からも追われることになる。この先、まともな暮らしは二度と出来なくなるんだよ」


 カダフィーの言う通り、このままアルフラについてゆけば、神殿からの追手がかかり、いつかは捕らえられ、あるいは打ち殺されるその日まで、心休まる時はこないのだろう。彼はただの人間だ。アルフラのような強さを持ち合わせてはいない。


「私は……」


 カミルやアイシャといった親しい人をアルフラに殺されもしている。そのわだかまりは依然、フレインの心に影を差していた。それでも、アルフラに対する恋慕は変わらずその胸に根づいている。

 どれほどの苦境にあろうと決して諦めることを知らず、目を覆いたくなるような手段で強引に道を切り開いてゆくアルフラは、彼の目にとても(まばゆ)(うつ)るのだ。篝火(かがりび)()かれて燃え尽きる羽虫のように、フレインはその姿に惹かれてやまない。

 非常に論理的な思考の持ち主であるフレインも、そういった感情には(あらが)うことができない。彼がただの人間であるゆえに。


「フレイン坊や。あんたまで神殺しの汚名を着ることはない。私と一緒に来な」


「……アルフラさん。私は……」


 これから先も、アルフラは多くの人を傷つけ、(あや)めてゆくだろう。白蓮を取り戻すという一念で。

 みずからの想いが決して叶わないであろうことはフレインも理解している。ならばこそ、せめてアルフラの想いを遂げる助けになりたい。


「あなたがどれほど罪深かろうと。その手がどれだけ血濡れていようと……」


 フレインは、黙して語らぬアルフラの背中に淡々と告白する。


「私は最後まで、アルフラさんと共にありたいと思っています」


 険しく眉を寄せたカダフィーが鋭く舌打ちした。


「……フレイン坊や。あんた絶対に後悔するよ。この先どれだけ――」


 なおも説得の言葉が投げかけられようとしたその時――


「見つけた……」


 アルフラが、ぽつりとつぶやいた。

 途端に、大気が(かすみ)がかり、肌に痛みを覚えるほどの冷気が周囲を満たす。

 戦いの喧騒すらもが凍りついたかのように鳴りを潜め、誰もが動きを止めてただの一点を見つめる。そして誰もが恐怖に顔を歪めて息を呑んだ。彼らの心胆を寒からしめたのは……


「やっぱり、魔族だ」


 それまで、ただそこに(たたず)んでいるだけであったアルフラが、じわりと殺意を(にじ)ませたのだ。

 (しゅ)()いたように赤い唇が、きゅっとしなった。その笑みは上弦の月にも似て弧を描き、喜色を(たた)えて極寒の吐息をもれ(こぼ)す。

 アルフラはかるく魔剣をひと振りし、一目散(いちもくさん)に駆け出した。狩るべき獲物を捕捉したのだ。その進行方向にいた神官戦士たちが恐慌を起こして逃げまどう。逃げ遅れた者は頭をかかえてその場にうずくまった。――立ち向かおうとした者は一人もいない。そんな無謀は思いつきもしなかった。闘神の司祭枢機卿も、神官戦士たちに追えと命じることはしない。その少女がどのような存在であるのかを瞬時に理解したのだ。一言であらわすなら、目視可能な死。人が触れてはならない域に()まう者だ。もしこの時、ジャンヌがあれこそは女神なのだと指差したなら、深く納得しただろう。しかしそれは、神は神でも邪神悪神の(たぐ)い。死の眷族――女神ディースの身内であろうが。


 神官戦士たちは、ただひたすら己の神に祈った。

 このまま少女がどこか遠くに去ることを。

 一刻も早く死が遠ざかってくれることを。

 身動きひとつせずに。

 物音ひとつたてずに。

 うるさく脈打つ胸を押さえつけ、鼓動の音が少女の注意をひいてしまうのではないかと怯えながら。

 みずからの心臓すら止まってしまえと念じる。

 やがて願いは通じ、死の顕現(けんげん)は東の森林へと過ぎ去った。


 ――彼らにとっての幸運は、アルフラが人間になど何の興味もいだいていないということだった。ひとえにそれが生き残れた理由である。





 執事服に身を(よそお)った老魔族、松嶋は、木立に身を潜めて中央神殿の様子をうかがっていた。

 彼の任務はレギウス神に招かれた人間たちが天界より帰還したのち、生きたままそれらを捕縛して主のもとへ連れ帰るというものだ。それは将位の魔族にも匹敵する力を有する松嶋にとって、実に造作もないことであった。――いや、そのはずだった。ほんの数瞬前までは。


 状況は、激変していた。

 

 当初はアルフラの生存を確認し、彼女を連れ帰ればさぞ白蓮も喜ぶであろうと、そんな算段もしていたのだが……中央神殿を見張っているうちに、神官戦士たちが妙な動きを見せ始めた辺りから、そこはかとない焦燥感が湧いてきた。天界から帰還したアルフラの姿を遠目に見た瞬間、焦燥感は明確な危機感に変わった。老獪(ろうかい)な松嶋は、己の勘を信じて中央神殿から距離を取り、気配を殺して森の中に身を隠した。――しかし、周囲には遮蔽物(しゃへいぶつ)があるにもかかわらず、どこからか見られているような嫌な感じがしてならない。そして突如(とつじょ)、中央神殿に凄まじい魔力の高まりが(しょう)じた段となってようやく気づいた。アルフラは獲物の気配を察知した肉食獣のように、息を潜めていたのだ。松嶋がそうしていたように、アルフラもまた気配を()って彼をうかがっていたのである。


 とてつもない殺気を纏った存在が、急速に近づきつつあった。


 なぜこれほどの距離があるにもかかわらず、居場所を気取られてしまったのか。どうやってアルフラがこれほどの力を手に入れたのか。さまざまな疑問が松嶋の胸中に沸き起こる。しかし驚愕は一瞬。切実な命の危険が迫っているのだ。考える猶予はなく、老執事はすぐさま動きだす。

 このとき松嶋にはみっつの選択肢があった。そのうちのふたつ、逃走と迎撃は瞬時に諦めた。魔王に準じる力を持つ彼ではあるが、逃げきることも、打ち勝つことも不可能であると判断した。どちらを選ぼうと、この場が死地へと変わるだろう。残された手段を取るため、松嶋は隠形(おんぎょう)を解いて開けた場所へと移動する。

 木立の合間を駆けるアルフラを視界に収めるやいなや、彼は深々と頭を下げて一礼した。無防備な姿を晒すことにより、敵意がないことを示そうとしたのだ。彼我(ひが)の力量差を(かんが)みるに、もはや命乞いをするしか生き延びる道が見えなかったのである。――だが、あまりにも冷然たる殺気に頬を撫でられ、その選択も(あやま)りだったのかと後悔した。

 命運尽きたと覚悟を決めるも、予想に反してアルフラはぴたりと足を止める。

 顔を上げた松嶋は、大きな鳶色の目が上下に動き、みずからの執事服を見ていることに気づいた。

 アルフラは瞳をまたたかせて不思議そうに、おや? と首をかしげる。


「高城とおんなじ服……」


「……お久し振りでございます。アルフラ様」


 松嶋は、声が震えてしまわないように細心の注意を払って発声した。もし、わずかでも怯えの感情が声音(こわね)に乗れば、それは敵意あるものだと判断されかねない。敵でないなら恐怖を感じる必要もないのだから。


「白蓮様とともに、ロマリアでお会いしたとき以来でございますね」


 (しわ)深い松嶋の顔をじっと見つめつつ、アルフラが口を開く。


「あなた、もしかして白蓮の……?」


「はい、左様にございます。白蓮様には長年(つか)えさせていただきました」


「そうなんだ!」


 それまで発せられていた殺気が嘘のように霧散し、アルフラはころころと機嫌よく表情をほころばせる。だが逆に、松嶋にはその極端な感情の推移が恐ろしい。目の前の少女の機嫌を損ねれば、なんの予兆もなく己の首が跳ばされかねないと感じたのだ。


「白蓮はげんき? あたしがいなくてさびしがってるよね?」


「はい、それはもう」


 おもねるように微笑みつつ、松嶋はうなずく。


「ただ、しばらく前にアルフラ様が亡くなられたという(しらせ)が届き、たいへん心をお痛めになられているご様子でした」


「ええ!? あたし死んでないよ!?」


「ご安心ください。すでに遣いの者を走らせ、アルフラ様のご存命をお知らせするようはからっております」


 さすがは白蓮の執事、気がきいているとアルフラは感心する。

 松嶋は、その任を高城と交替して五十年ほども()つため、現在は白蓮の執事というわけでもないのだが、あえてアルフラの勘違いを正そうとはしなかった。彼は魔剣を片手ににこにことしているこの少女と対峙して、いまだに自分が生き延びていられるのは、その勘違いのおかげだと考えていたからだ。


「アルフラ様が亡くなったと聞かされた白蓮様は、たいそうお嘆きになられ、随分と取り乱されておりました」


 常日頃から白蓮はあまり感情を見せず、その取り乱す姿がうまく想像できないのか、アルフラはまあるく口をあけたまま目を見開いていた。


「あのような白蓮様を見るのは初めてでした。よほどアルフラ様のことを愛されておられるのでしょうね」


 うれしげにはにかんだアルフラは、瞳をうるませて愛する人の名をささやく。


「白蓮……」


 アルフラのやわらかな頬が薔薇色に染まり、ほぅ、と幸せなため息がこぼれる。


「そんなにあたしのことを想ってくれてるんだ……」


「もちろんでございます。灰塚様を呼びつけて、アルフラ様の仇を殺すよう命じられたほどですからね」


「……灰塚?」


「はい。北部の有力な魔王にございます」


「……?? その人、白蓮のけらいなの?」


「詳しくは存じませんが、そのようでございますね。白蓮様であれば、魔王を手なずけることも可能でありましょう」


 やっぱり白蓮はすごい、うんうんとうなずく少女を見て、松嶋は内心で苦笑をもらす。彼は早くもアルフラと話すコツを掴んできていた。白蓮の話題を口にのぼらせているかぎり、ここにいるのはただの恋する少女なのだと感じる。――もっともそれは、アルフラの心に潜む、闇の深さを知らぬがゆえの錯覚ではあるのだが。


「……でもね」


 声の質が、冷たく変化していた。


「あの雷鴉ってやつをころすのは、だめだよ」


 言葉とともに、ぞっとする寒気が周囲に立ち込める。

 先ほどまでの和やかな空気は一変し、思わず松嶋は身を(すく)ませてしまう。


――これは……


 一歩後ずさりかけた松嶋であったが、それをアルフラがどう感じるかを考えて、なんとかその場に踏みとどまる。


「あいつにはね、ぜったい仕返ししてやろうと思ってたの。だから白蓮にそう言っといて」


「か、かしこまりました」


「それから、あたしの白蓮にへんな男がちかよらないように、ちゃんと見張ってて」


 微笑みの裏側に見え隠れする(よど)んだ情念に()てられ、松嶋はその禍々(まがまが)しさにどっと冷や汗をふいた。

 アルフラから発せられる重圧と本能的な恐怖に、精神力が凄まじい勢いで削られていく。


――これは、魔王と向き合ったときよりも酷い……


「ほんとうは、いますぐ白蓮のとこまで案内してほしいんだけど、あたし、まだロマリアに用事があるの」


「そうで、ございますか……」


「でもそれがすんだら急いで迎えにゆくって、白蓮につたえて」


「お任せ下さい」


 この場を立ち去るよい口実ができた松嶋は、一刻も早くアルフラから離れたい一心で暇乞(いとまご)いの辞を述べる。


「では早速その(むね)お伝えするべく失礼したいと思います」


 緊張のためやや上擦った声がでてしまい、松嶋は焦りを覚える。


「……ちょっとまって」


 (きびす)を返しかけたところで、アルフラが呼び止めた。


「ほかにも何か言伝(ことづ)てがお有りですか?」


 じっと瞳をのぞき込まれた松嶋は、金縛りにでもあったかのように体を硬直させる。まるで腑分(ふわ)けでもされて、腹の底まで見透かされているような嫌な感覚がしてならない。脳内で鳴り響いた警鐘が、非常にまずい状況にあることを彼に知らせる。


「……ねえ、もしかしてあなたって、けっこう強い?」


「い、いえ、滅相(めっそう)もございません。私はあくまで執事であり、その本分は、主の御用をお聞きすることにございますれば……」


 すっと一歩踏み出したアルフラが、貪欲な猫のように目を細めた。ほぼ同時に――遠い木々の合間から、その名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「アルフラちゃーん!」


 ほっと胸を撫で下ろしたのは松嶋だ。


「どうやらお連れの方が来られたようですね。(うけたまわ)りました伝言を持ち帰れば、白蓮様もたいへんお喜びになられるでしょう。お許しをいただければすぐそのようにはからいますが、いかがしましょう?」


 松嶋と声のする方を見比べたアルフラは、かるくうなずく。


「うん、そうだね……いっていいよ。いそいで白蓮につたえてね」


「はい、それでは失礼いたします」



 ふたたび深々と(こうべ)を垂れた老執事は、アルフラに背を向けることなく後ずさり、まさに命からがらといった心境で駆け出した。



挿絵(By みてみん)


イラスト 柴玉様

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