表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
198/251

女神アルフラ(後)



 深く、重々しい声が、神殿前広場に響き渡る。


「ジャンヌ。こちらへ来なさい」 


 アルストロメリア侯爵は、厳しい眼差しをジャンヌに注ぎつつも、その隣に立つ痩せた少女に意識を向けていた。


 異様な娘であった。


 素肌に直接緋色(ひいろ)の導衣を身につけ、痩身矮軀(そうしんわいく)の小柄な体つきではあるが、ただそこにいるというだけで、場に一種異様な気配を(まと)わりつかせている。顔立ちは非常に整っており、ほっそりとした輪郭(りんかく)のなかには、咲きかけの蕾を思わせる未成熟な美が息づいていた。――しかし、その可憐な容貌(ようぼう)とはうらはらに、彼女には対峙した者を無性に不安な心持ちとさせる、なにか、があった。二千五百もの兵力で包囲しているにもかかわらず、アルストロメリア侯爵は、みずからが切羽詰まった危機的状況に追い込まれているように感じてならない。

 その少女がアルフラという名の娘であることは、彼も知っていた。隣国ロマリアにおいて魔王に挑み、半死半生の傷を負ったのだと、以前にジャンヌから聞かされている。

 片目を潰され、利き腕を失ないながらも魔族との戦いを諦めず、天界へ赴こうとする意気込みに、アルストロメリア侯爵は深い感銘を受けもしていた。――だがどうだろう。いま眼前で不吉な冷気を振り撒く少女は、鳶色の両の(まなこ)で周囲を見回し、おそらく利き腕であろう右手に綺羅(きら)びやかな片刃の直刀をたずさえている。

 

「……ジャンヌ。こちらへ来て何があったのかを話すのだ。その娘が天界で大罪を犯したという神託が、闘神の司祭枢機卿殿に(くだ)っている」


 (いわお)のような武骨な顔つきのアルストロメリア侯爵から注視を浴びながらも、ジャンヌはそれを毛ほども意に(かい)していないようだ。落ち着いた様子で首をめぐらせ、すこし落胆したような表情を浮かべる。


「お父様、アルフラ様の降臨を祝うにしては、あまりにみすぼらしい歓迎ではないでしょうか?」


 どうやらジャンヌは、周囲に(たむろ)った神官戦士団の二千五百という数に不満があるらしい。


「真実無二の神が、この地に顕現(けんげん)なされたのですよ? 本来なら国を挙げて神事を()り行い、アルフラ様の降臨を喜び、涙するべきかとわたしは思うのです」


 アルストロメリア侯爵は困惑もあらわに眉根を寄せる。


「……お前は一体、なにを言っているのだ」


 彼の娘が、その厚い信仰心から意味のわからぬことを口走るのは時折(ときおり)あることだった。しかし今では言葉のひとつひとつがまったく理解できない。思春期の娘を持つ父親が、最近あの子がなにを考えているのかよく分からない、と嘆息することはままあれど、いまのアルストロメリア侯爵ほど意思の疎通に苦慮することも(まれ)であろう。


「ジャンヌ、まずは私の話を聞きなさい」


 (かたわ)らの女吸血鬼を横目に見やり、アルストロメリア侯爵は険しく表情を引き締める。


「カダフィー殿からは、その娘がレギウス神を(しい)し、あまつさえ我らがダレス神までをもその手にかけたのだと聞き及んでいる」


 しかしそれは武神の信徒として、あまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)な話に感じられた。人の力では魔王に太刀打ちできぬように、武神を害せる人間など存在するはずがないのだ。


「私はお前の口から真実を聞きたいと思っている。天界で行われたという大逆(たいぎゃく)の真偽を」


「大逆!?」


 目をまるく見開いた神官娘は、信じられないといった顔で父を凝視する。


「始原の女神であらせられるアルフラ様に向かって大逆だなどと……。お父様はいったい何を言っておられるのですか!?」


 お前のほうこそ何を言っているのだ、と怒鳴りつけたい衝動に駆られたアルストロメリア侯爵であったが、そこは高位の宗教者らしく、驚くべき忍耐力を見せて言葉をつむぐ。


「そのアルフラという少女が天界で何をしたのか、それを詳しく説明しなさい」


 そこでジャンヌはなにかに思い当たったというように眉を跳ねさせる。


「そういえばお父様は、アルフラ様の御尊顔(ごそんがん)(はい)するのは初めてでしたね」 


 得心(とくしん)入ったとばかりにうなずいた神官娘は、下腹に片手を添えて腰を折り、優雅に一礼して見せた。


「ご紹介しましょう」


 すっと向き直ったジャンヌが、アルフラを()し示す。


「こちらに(ましま)すは万象を内包せし無窮(むきゅう)の女神、アルフレディア・ハイレディン様ですわ」


 周囲を固めた神官戦士たちを見回し、ジャンヌは声高々(たからか)に告げる。

 しかし、屍を積み上げて神の座に登り詰めた少女は、心ここにあらずといった様子で、じっと遠方の木立を見つめていた。


「さあ、皆様。女神の降臨を祝い、(よろこ)びの声を上げなさい」


 なにを催促されているか理解のできぬ神官戦士たちは、ただただ唖然とした顔で静まり返っていた。アルストロメリア侯爵にいたっては口許をひきつらせたまま絶句している。

 わずか数刻前まで、彼の娘は誰よりも敬虔な武神の信徒であった。その娘が、アルフラという少女を女神と呼び、始原だの無窮だのと訳のわからぬ御託(ごたく)を並べはじめたのだ。まるきり狂ってしまったとしか思えない。ただ一人ジャンヌだけは、みずからの言葉が正しい意味での御託――神の意思、この世の真理を伝えるありがたい説法だと思っている。


「……侯、あんたの娘が人の話を聞かないのは、今に始まったことじゃないだろ」


 顔色(がんしょく)を失い立ち尽くすアルストロメリア侯爵に、カダフィーは低い声音で告げる。


「口で言ったところで無駄さ。力ずくで取っ捕まえちまえばいいんだよ」


 そしてなし崩しにアルフラと神官戦士団の戦いが始まれば、カダフィーにもつけ入る隙が(しょう)じるかもしれない。


「あの小娘がレギウス神やダレス神を殺したことについても、ジャンヌは否定しなかったろ? つまりはそういうことさ」


「……ジャンヌ。カダフィー殿の言葉は本当なのか? それだけは答えてくれ」


 我が娘とまったく話が噛み合わず、神にも祈りたい心持ちのアルストロメリア侯爵ではあったが――しかし女吸血鬼の話が真実であれば、祈るべき彼の神は二柱(ふたはしら)とも、眼前の少女に殺されていることになる。


「お父様は、なにか勘違いをなされているようですね」


「勘違い……?」


 アルストロメリア侯爵の(いか)めしい顔立ちが、わずかに(ゆる)む。


「おお、やはりそうか。人が神を(しい)すなど、そもそも不可能な――」


「レギウス様もダレス様も、すぐ目の前にいらっしゃるではありませんか。司祭枢機卿であるお父様なら、お感じになられるでしょう? アルフラ様のなかに宿る、法と武の精髄(せいずい)を」


 アルストロメリア侯爵はふたたび絶句する。呆然とした表情のまま、開いた口がふさがらないといった状態だ。その悲壮な様子を見ていられず、成り行きをうかがっていたフレインが片手で顔を覆った。

 ゆいいつこの場でジャンヌだけが、喜色満面だ。


「わたしはアルフラ様のみちびきにより、世界の真理に触れたのです。我が神の胎内には人や魔族のみならず、レギウス様やダレス様もいらっしゃいました。そしてカミルも!」


 感動にうち震えながら、不気味な高揚にうわずった声でジャンヌは叫ぶ。


「アルフラ様こそはすべての魂が還る安息の地! あらゆる命はアルフラ様から生まれ、アルフラ様へと還るのです!! ならば万物はアルフラ様であり、アルフラ様は世界そのものとも言えるでしょう」


 信仰する神の御名(みな)を連呼し、神官娘はそのたびに、まるで快楽に刺し(つらぬ)かれたかのごとく、びくり、びくりと体に痙攣を走らせていた。


「全なる一者! それがアルフラ様なのです」


 水を打ったように辺りは静まり、言葉を発する者はなかった。そしてだれもが気の触れてしまった者を見る目を、ジャンヌへ向けていた。

 狂信の炎に瞳を輝かせ、興奮に上気した酷い顔つきの神官娘を直視できず、アルストロメリア侯爵は愛娘(まなむすめ)から目をそむける。

 うしろから一部始終を見聞きしていた狼少女も、ぽかんと大口ををひらいて固まっていた。そんなルゥへ、シグナムがかるく頭を下げる。


「……すまん、ルゥ」


「え、なに……?」


「やっぱりジャンヌはもう駄目かもしれない」


「ええ――――!? おねえちゃん、だいじょうぶだってゆったじゃない! さっき二回も!!」


「いや、お前だってあんまり信じてなかっただろ」


 きまり悪げに責任逃れをしようとするシグナムを見るルゥの目はつめたい。


「おねえちゃんのうそつきっ!!」


 おおきな瞳に涙をにじませ、狼少女はシグナムに食ってかかる。文字通り噛みつかれそうになった女戦士は、うしろ抱きにルゥをかかえ上げてなだめるように言った。



「悪かったよ。あたしもここまで重症だとは思わなかったんだ」





 カダフィーはその胸中に焦燥感をいだいていた。

 彼女はアルフラの挙動をうかがい、いつ戦いが始まろうとも瞬時に対応できるよう身構えていたのだが――とうのアルフラはなにを考えているのか、さきほどから遠い眼差しを東の森林地帯へ向けたまま微動だにしない。対する神官戦士たちも、ジャンヌのあまりの異常さに気を呑まれて棒立ちとなっている。カダフィーも彼らにアルフラをどうにかできるとは思っていなかった。この場において多勢に無勢という言葉は、その意味を失っている。あるとすれば、アルフラによる一方的な殺戮だろう。すぐにでもそれが始まると予想していたのだが、なにやら雲行きが怪しい。物事の流れを読み違えた場合、おうおうにして都合の悪い方へと事態は進行してゆくものだ。


「アルストロメリア侯。あの小娘はね、天界で授かった魂を啜る魔剣で、レギウス神とダレス神を食っちまったんだよ。ジャンヌが言ってる法と武の精髄うんぬんってのはそうゆうことなんだ」


 さらにカダフィーは、神殿を囲むように布陣した右翼の一団へ向かって叫ぶ。


「闘神の司祭枢機卿! あんたは神託を受けたんだろ。アルフラって娘を殺せと」


 その呼びかけに、みずから神官戦士団の陣頭に立った司祭枢機卿が応じる。


「いかにも! 大逆を犯したアルフラという娘を滅せよ、とのお告げを確かにいただいている」


 これにはなんとも心外だといわんばかりに、ジャンヌからの反論が返る。


「むしろ大逆を犯したのはレギウス様とダレス様のほうですわ! こともあろうにレギウス様は我が神を愚弄し、ダレス様にいたってはその身を害しようとなさったのです!!」


「たとえどのような成り行きであろうとも、神を(あや)めることなど許されるはずがなかろう!」


「なにを愚かな……許す、許されないの問題ではありませんでしょうに」


 闘神の司祭枢機卿は怒気をほとばしらせてジャンヌを睨む。しかし、狂信に(めしい)た神官娘は、朗々と彼に告げた。


「かの二柱は、至高の存在であるアルフラ様に刃向かったのですよ? しかるに覿面(てきめん)の罰が(くだ)されるのは極めて必然。そう、これは摂理なのです。神罰の是非を問うのは、とても不遜で愚かなこと。司祭枢機卿たるお方ならお分かりになられるでしょう?」


 ぐっと一声うめいた闘神の司祭枢機卿は、これ以上の対話は無意味と悟り、アルストロメリア侯爵へ向かい声を張り上げる。 


「武神の! そなたの娘に害が及べばと思い静観しておったが、最早我慢ならん。大罪を犯した者に与するというのならば、ジャンヌ殿ごと――」


「待たれよ!!」


 アルストロメリア侯爵の表情からは厳しさが()せ、娘の身を案ずる父親の顔へと変化していた。


「ジャンヌ! お前は誰よりも敬虔なレギウス教徒であったはずだ。なのにレギウス神のみならずダレス神をも弑した者に加担(かたん)するなど、武神の助司祭として――」


「いいえ、お父様。わたしはもう助司祭ではありません。ご覧ください、この神鎖雷轟(しんさらいごう)を」


 ジャンヌはさきほどアルフラから渡されたダレス神の宝具、雷鳴轟き丸の切れ端を誇らしげに掲げて見せた。


「わたしはアルフラ様の御手から直々にこの宝具を(たまわ)ったのです。これはわたしの信心が認められ、神の祭祀(さいし)を司るに相応(ふさわ)しいという御意向にほかなりません」


 ジャンヌはかたわらに立つ女神の横顔をうっとりと眺めながら、掌中の鎖を(いと)うしげに撫ですさる。


「すでにこの身はアルフラ様の司祭なのです。これからは誰よりも忠実な使徒として、その教えを世に広めてゆくことこそが、わたしの……」


 そこまで言いかけたところで、ようやくジャンヌはあることに気がついた。敬愛する女神さまがずいぶんと長いあいだ無言であるという事実に。

 アルフラは周囲の喧騒などどこ吹く風といった様子で、向かって左手に見える森林を遠望(えんぼう)していた。


「アルフラ様? どうなされたのですか」


 その超然とした横顔に問いかけるが、当然のように(いら)えは返ってこない。


「なにかお心をわずらわせることがおありでしたら、なんなりとわたしにお申しつけ下さい」


「うるさい。すこしだまってて」


 声が聞こえていないという訳でもないらしく、即座に辛辣な言葉が投げられた。

 誰よりも女神に忠実なジャンヌは、黙れという神意に声をだして返事をするなどといった愚を犯すことなく、おおきくうなずいて三歩退(しりぞ)く。


「それから、さっきまたアルフレディアって言ったでしょ。あとでひどいんだから」


 おしおきを宣告された神官娘がぴくりと肩をふるわせた。

 後ろへ下がった娘の姿を見て、アルストロメリア侯爵はそれを好機と感じたようだ。


「ジャンヌ! もっとその娘から離れるのだ。すでに戦いは避けられん。だがこの場さえ凌げば、たとえお前が大逆に関わっていようと、私がなんとでもしてやる」


 しかし、黙れとの神命を受けた神官娘は、ただじっと父の顔を見返すばかり。そしてついに業を煮やした闘神の司祭枢機卿が、神官戦士たちに命を下した。



「――かかれ! 大逆の徒に、闘神へリオンの鉄槌を知らしめよ!!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ