表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
197/251

女神アルフラ(前)



 シグナムたちは思いのほか長い時間を待たされることとなった。白蓮の虚像を見上げたまま動かなくなってしまったアルフラは、真摯な表情でときおり何事かをつぶやいている。

 壁によりかかったまま、シグナムは甲冑の首甲部分を取り外し、所在なさげに首もとのチョーカーを指先で撫でていた。なにやら腑に落ちないといった表情だ。


「どうしました?」


 フレインに問われたシグナムは、チョーカーの玉石をつまんでみせる。


「これがあれば魔族みたいに障壁が出せるって話だったよな?」


「ええ、闘神へリオンがそうおっしゃられていましたね。実際、古代人種の鎧にはそういった付与魔術がかけられていたという伝承がありますし」


「具体的にはどうやりゃいいんだ?」


「それは……どうなのでしょう。おそらくレギウス神は皆さんに宝具を渡しおえた後で、それぞれの使い方を説明するおつもりだったのだと思いますが……」


 そのレギウス神はアルフラの手にかかり、今さら他の神族に尋ねることも不可能な状況である。


「……まいったな」


「なにぶん神族と古代人種が争ったのは、四千二百年も前のことですからね。それら神話の時代に作られた武具の扱い方は、現在知りようがありません」


「これじゃ宝の持ち腐れだな……」


 眉根を寄せてシグナムがぼやいた瞬間、それまでぼうっとジャンヌをながめていたルゥが通路の前方へと素早く向き直った。


「どうした、ルゥ?」


「だれかくるよ」


 アルフラ以外の全員が薄暗い通路の先へと目をこらす。祈りを中断させられたジャンヌはしごく不機嫌そうだ。――じきに、かすかな足音が複数聞こえはじめてきた。

 姿を現したのは八人の神官戦士。いずれもが屈強な体格をしており、手に戦鎚(せんつい)、その身には鋼の胸鎧をまとった戦装束(いくさしょうぞく)の者たちであった。彼らは一行を認めるなり立ち止まり、なにやら小声で囁きあっているようだ。


「……あまり友好的な物腰には見えませんね」


 神官戦士たちから(かも)される緊張の気配を察し、フレインがそんな所感(しょかん)を述べた。まったく同意見であったシグナムは、背負った大剣の柄に手をそえる。

 甲冑の擦れあう、重い金属音を響かせ身構えたシグナムを見て、先頭に立った神官戦士が声を張った。


「そなたらに問いたき事がある。武装を解除し、我らと同行願おう」


 その武骨で野太い胴間声(どうまごえ)は、アルフラの耳にも届いたようだ。きつい眼差しが、白蓮との語らいに割って入った者たちへと向けられる。

 神官戦士たちがわずかにでも戦意を見せようものなら、すぐさま大剣を抜く構えであったシグナムは、鋭い鞘鳴りを聞いて振り返る。

 アルフラはすでに、間髪の躊躇(ちゅうちょ)もなく魔剣を抜き放っていた。――当然である。白蓮との二人だけの時間を邪魔した者たちを、アルフラがゆるすはずもない。

 魔剣を手にした死の風が、神官戦士たちへと殺到する。

 ひと呼吸の内に()けた剣閃は八つ。

 狭い通路が瞬時に血煙で赤く曇った。


「あ……」


 制止の声をかける間もなく、神官戦士たちを死体に変えてしまったアルフラを見て、シグナムががっくりと肩を落とす。


「こいつらには聞きたいことがあったんだが……そりゃやっちまうか、アルフラちゃんだもんな」


 彼らの口ぶりから、その目的が一行を拘束することにあったのは間違いない。


「レギウスがアルフラちゃんに殺されたって伝わってるのか……?」


「神託が降りたのではないでしょうか。軍神なり闘神なりの司祭に、私たちを捕らえよ……もしくは殺せ、と」


 フレインの言葉にシグナムもうなずく。


「外の様子はわからないが、神殿の周りは囲まれてると思ったほうがいいな」


 中央神殿を訪れるにあたり、帯同した神官戦士の数はおよそ二千五百。


「……面倒なことになりましたね。話し合いでどうにかなる状況でもありませんし」


「正面切って相手にする必要はないだろ。夜陰(やいん)にまぎれりゃなんとかなるんじゃないか?」


「さすがに難しいのではないでしょうか。まずは馬車を取り戻さないと。――なかには必要な荷物も置いてきていますし」


 深刻な顔の二人をよそに、ジャンヌは血溜(ちだ)まりを見下ろしてなにやらぶつぶつとつぶやいていた。その瞳はうっすらと涙で潤み、組まれた両手は小刻みに震えている。血と臓物のひどい臭気をただよわせる斬殺死体が、なにか心温まる情景にでも見えているらしい。


「……ジャンヌ? どうしたの?」


 狼少女の呼びかけにも背を向けたまま、神官娘は喜悦に濡れた声音(こわね)でささやいた。


「ごらんなさい、ルゥ。彼らはアルフラ様の祝福を受けて、その御許(みもと)へと還ったのです」 


「しゅくふく……?」


「そうですわ。この者たちは誤った教義を信仰する、あわれな魂の持ち主でした。ですが我が神の慈悲は、彼らのような者にも等しく(ほどこ)されるのです」


 充満する濃い血臭にあてられた狼少女は、小鼻にしわをよせつつも、だまされないぞっ、といった視線で神官娘の背中を見る。――ただのひとごろしだよね? との内心は声に出さない。いまのジャンヌはすこしこわいのだ。


「……ルゥ」


 自身に向けられた否定的な意思を、狂人特有の鋭敏さで察知したジャンヌがぐるりと振り返る。異様な熱気を(とも)した瞳に、間近から顔をのぞきこまれたルゥは、ちいさく悲鳴をもらしてしまった。やや開きぎみの瞳孔に、そこはかとなく生理的な嫌悪を感じる。


「すべての魂は、アルフラ様の内に還ることによってのみ、真の救済がえられるのです。それはとても素晴らしいことだと思いませんか?」


「う、うん。そうだね……」


「いわばこの世の森羅万象とは、アルフラ様のことを指し示す言葉であって、(とうと)きそのお体には世界が内包されていると言えます。ならば万物はみな等しく我が神の一部であり、その(うつ)し身の……」


「あ、アルフラがいっちゃうよ」


 はっと振り返った神官娘は、長くなりそうな話を中断し、あわてて信仰する女神のあとを追う。

 アルフラをだしに、いつ終わるかもしれない説法から解放されたルゥは、シグナムへちょっと怒ったような目を向けた。


「おねえちゃん、ほんとにジャンヌはだいじょうぶ?」


「ん、ああ」


 ジャンヌとルゥのやり取りを(はた)から見ていたシグナムは、すすっと目をそらしつつあいまいにうなずく。


「まあ……たぶん大丈夫だろ」


 なおもうたがわし気にしている狼少女の背を叩いて、シグナムは歩きだす。


「この先にある階段をのぼれば、外まではすぐだ。あのきゃおおーんてやつに期待してるぞ」


「きゃおおん……? なにそれ?」


「お前、レギウスからすごそうな石もらってたろ。まぼろしの玉石とかいう」


「うん」


 ルゥはいそいそと腰の小鞄(ポシェット)から、乳白色の宝玉――月長石をとりだした。


「外はたぶん囲まれてるからな。そいつを使っておもいっきり吠えるんだ。神官戦士たちを金縛りにして、そのあいだに馬車まで走って一気にずらかろう」


「うん、わかった!」


 シグナムから頼りにされているらしいと感じ、ルゥはとくいげに胸をはる。


「ボクにまかせてっ」


 しかし、機嫌を治した狼少女にフレインが水を差す。


「あまり過信はしないほうがいいですよ。つよい信仰心は精神に作用する魔法を時として阻害(そがい)することがあります。この中央神殿に集まっているのは最精鋭の神官戦士団ですからね。人狼の呪縛咆哮(バインドボイス)に抵抗する者も皆無ではないはずです」


「……ま、なるようになるさ。とりあえず急ごう。アルフラちゃんが行っちまう」


 通路の先を見ればすでに、アルフラは階段を登りはじめたところであった。

 歩き出したシグナムの背に、ふたたびフレインの声がかかる。


「待ってください」


「ん、どうした?」


「……カダフィーの姿が見えません」


 周囲を見回したシグナムであったが、フレインの言う通りカダフィーは見当たらない。辺りに身を隠せるような物影もなく、神出鬼没な女吸血鬼は、いつの間にやら忽然(こつぜん)と姿をくらませてしまっていた。


「あの女、一人で先に行ったのか? どういうつもりだ……」


「それは分かりませんが、神官戦士たち以上に気をつけた方がいいでしょう。いまの彼女は死神(ししん)王笏(おうじゃく)と呼ばれる強力な呪具(じゅぐ)を持っていますからね」


「……聞くからに危なそうな代物(しろもの)だな」


「詳しくは私も知りませんが……死神ディースの名を(かん)されていることからも、それがとてつもない力を秘めているのは間違いないでしょう。かつて伝説的な大導師は、その王笏をもちいて、あらゆる生物を急速に枯死腐敗させる魔力の霧を生み出したと言われています」


「レギウスの野郎……そんな物騒なもんをあいつに渡しやがったのか。――余計なまねしやがって」


 ただでさえ厄介な女吸血鬼が、さらに(くみ)しにくくなったとシグナムは毒づく。


「なにぶん死神の王笏自体がつよい瘴気を放っているので、生身の人間には触れることすら困難であると聞いていますが……不死者であるカダフィーならば使いこなすことも可能なはずです」


 彼女がレギウス神からの召喚に応じたのは、ひとえにホスローの行方を知りたいがためである。その機会を不意にされた以上、シグナムたちと行動を共にする理由はない。そしてすべてを台無しにしたアルフラに対しては、強い敵意を(いだ)いているはずだ。魔術士ギルドで行われた虐殺のことを考えればなおさらである。

 おそらくは復讐の機会をうかがっているであろうカダフィーが、どこかで待ち伏せをしている可能性に思いあたったシグナムはその足を早める。


「あいつにいまのアルフラちゃんをどうにか出来るとも思えないが……」


「カダフィーは(から)め手を好みますからね。油断できる相手でないことは確かです」


「わかってる」


 甲冑の重厚な金属音を響かせて、シグナムは階段を駆け登る。上がりきった先は大広間となっており、すばやく辺りに目を走らせるが人影はない。正面に見える両開きの扉は解放され、アルフラとジャンヌはすでにそこから先へと進んだようだ。

 広間を抜けて長い一本道の通路に出ると、いままさに外へと通じる大扉をくぐろうとしている二人の姿が見えた。


「アルフラちゃん!」


 シグナムのよく通る声が石壁に反射して響き渡る。ジャンヌが足を止めてちらりとだけシグナムの方を見るが、アルフラにはまるで聞こえていないかのようだ。立ち止まりすらしない。足取りも軽く、抜き身の魔剣を片手に日溜まりの中へと踏み入ってゆく。たとえ二千五百の兵に囲まれたとしても、そのすべてを撫で斬れば問題ないと考えているのだろう。


「――おい。あたしたちが神殿にはいったのは夕方だったよな」


「ええ……夕刻の八点鐘(午後四時)を聞いた直後だったと記憶していますが……」


「なんで外が明るいんだ……? 陽が()してるぞ」


 それほど長い時を天界ですごした覚えもなく、シグナムの体内時計によれば、今は日も落ちきった宵の口といった時間帯のはずであった。 


「どうやら夜陰に乗じて、というわけにはゆかないようですね」


 フレインの落ち着いた物言いがやや癇に(さわ)ったらしく、シグナムは苛立たしげに大股で歩を進める。アルフラたちにつづき神殿の大扉から外へと出ると、まず目に映ったのは隊列を整えた神官戦士の一団であった。四方はきれいに取り囲まれている。


「……まいったな。こいつら相当練度(れんど)が高いぞ」


 うんざりとした口調でシグナムがそうつぶやいた。

 神殿を包囲した神官戦士は小隊単位で方陣を組み、それらが幾重(いくえ)にも連なり蟻の這い出る隙間もない。彼らの待機姿勢や陣形の組み方は、長年戦場(いくさば)を常時の寝床としてきたシグナムの目から見ても、なかなかに見事なものであった。

 正面中央の陣には、ゆったりとした法衣を纏った見覚えのある人物が、神官戦士を従え仁王立ちしている。武神の司祭枢機卿、アルストロメリア侯爵だ。彼の苦々しげな視線が、娘であるジャンヌへと投げかけられていた。――そして彼の(かたわ)らには、黒い外套の女吸血鬼。



 陽光のもとに薄い影を落としたカダフィーが、妖しく輝くその魔眼で、アルフラを()めつけていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ