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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
196/251

あたしたちはふたりでひとり



 ほそく白い肩に、ふわりと緋色の(ころも)がかけられる。

 アルフラは導衣(どうい)に残ったフレインの体温をすこし気持ちわるく感じ、背後に立った彼を肩ごしににらみつけた。しかし嫌悪を覚えるそのぬくもりも、すぐに自身の冷気で霧散してしまう。

 ふと、アルフラはフレインの持つ木箱に目をとめた。魔族領の地図が収められたものだ。


「それ、見せて」


 伸ばした手に、桐の箱が渡される。

 中から取り出した羊皮紙の地図に、アルフラはじっと視線を落とす。そしてすぐに首を振った。


「……読めない」


 横合いから地図をのぞきこんだシグナムも、かるく顔をしかめる。


「これ、街の名前なんかが上位共通語(ハイ・コモン)で書かれてるな。あたしにもほとんど読めない」


「東方魔族はみずからの名と同様、都市の名称も漢字(ハイ・コモン)で表記しますからね」


 それはアルフラにとって、まったく意味をなさない記号の羅列であった。


「皇城はどこ?」


 その問いにフレインが答えるより先に、ジャンヌが地図の一点を指さす。


「ここですわ」


 信仰する神の役に立てたことに喜びを感じ、神官娘は満面の笑みだ。しかし、レギウス神族により伝えられたとされる上位共通語を、至高の神と(ほう)ずるアルフラが読めないことに対する疑問はない。目の前に神が存在するという事実と比べれば、それはとても些細(ささい)なことなのである。


「この中央神殿からですと、街道を東へ進み、ロマリア北部を横断して、グラシェール山を(よう)する山岳地帯を越える必要があります」


 簡潔に行程を説明したフレインへ、アルフラは尋ねる。


「何日くらいかかるの?」


「この時期ですと間もなく山岳部は雪に閉ざされるはずです。山越えをしようとすれば、途中で身動きがとれなくなるかと思います。なので北か南に大きく迂回したほうが無難でしょうね。――おそらく二月(ふたつき)以上はかかるかと」


「だったらレギウスが言ってたように、海路を使えばいいんじゃないか?」


 シグナムの提案にフレインがうなずく。


「そうですね。ロマリアに入ったのち、いちど沿岸国家まで南下し、そこから魔族の領域南部に渡ったほうがいくらか早いでしょう」


 二人のやり取りを聞いていたアルフラも、それはとてもよい考えに思えた。つい先日、ロマリアは魔王口無の支配下にあるのだと、シグナムから聞かされたばかりだ。そう、居るのだ。すぐ近くに魔王の一角が。

 一刻も早く白蓮と会いたいのはやまやまだが、アルフラはロマリアで白蓮を取り逃がし、その後、雷鴉に敗北を(きっ)している。力の差は歴然だった。

 ()いては事を仕損じる。かつて高城がそんなことを言っていた。


――まだ、足りない……


 いまなら分かる。魔族を統べるあの男、魔皇戦禍がどれほど強大な存在かということが。

 法と武の神性が、彼の姿を目視(もくし)可能な高みにまでアルフラを押し上げたのだ。

 ――魔王と戦うには十分な力を得た。

 魂を啜る魔剣、プロセルピナもこの手にある。

 それでもまだ、わずかに足りない気がする。


「口無……」


 ロマリアを蹂躙した魔王の名が、その唇からこぼれでた。

 アルフラは目をほそめて魔剣の刀身をひと撫でする。そして冷ややかな声音(こわね)(ささや)きかけた。


「つぎは魔王の血を吸わせてあげる」



 リィィィンと甲高い刃鳴りを響かせて、プロセルピナはそれに応えた。





 一行は地上に向かって中央神殿の地下通路を歩く。

 先頭に立ったアルフラの後ろを静々(しずしず)とついてゆくジャンヌへ、シグナムが声をかけた。


「なあ、さっきちらっと聞こえたんだが、魔族はゆるされない存在なんだろ?」


「ええ、それがなにか?」


 アルフラの後ろ姿をうっとりと見つめるジャンヌは、振り向きもせずこたえた。


「でもさ、アルフラちゃんは白蓮て人を助けるために魔族と戦ってるんだ。その白蓮も、魔族なんだぞ」


「そうですわね」


「そうですわねってお前……」


 そのあたりの矛盾がどうにも気になって尋ねてみたシグナムであったが、ジャンヌの中ではすでに解決済みの問題らしい。


「神の御意志に疑問を持つなどもってのほかです」


「……本当におかしいとは思わないのか?」


 そこでジャンヌははじめて振り返り、眉をひそめてシグナムの顔を見上げた。


「いったいなにがおかしいというのですか。信じられないことですわ」


「信じられないのはこっちだよ。だから()いてるんじゃねえか」


「女神アルフレディアの第一の使徒であるシグナム様のお言葉とは思えません」


「なんだよ第一の使徒って……」


 ジャンヌにとってシグナムは、そういった位置づけにおさまったらしい。

 しかしこれには、女神自身も不機嫌そうな顔で聞き(とが)める。


「ちょっと、アルフレディアって呼ぶのはやめて!」


 ごくごくおさない頃から愛称で呼ばれていたアルフラにとって、その響きは非常に違和感のあるものだった。


「あと、女神もやめて。なんかきもちわるい」


 ジャンヌは一瞬、なにか言いたげに口をひらきかけるが、そこは神の御言葉であるところの(げん)に従う。


「あの……それではなんとお呼びすれば……?」


「ふつうにアルフラって呼んで」


「わかりました。御心(みこころ)のままに、アルフラ様」


「……」


 アルフラとしては様付けをされるのもあまり気分がよくないのだが、なんだかめんどうくさくなってしまい、そのままジャンヌをほうっておくことにした。

 そのやり取りを見ていたシグナムが、すこし意地の悪い質問をする。


「そういやジャンヌ、お前いぜんに魔族の血は(けが)れてるって言ってたよな? 白蓮て人の血も同じだとか言ってアルフラちゃんを怒らせてただろ」


 その時のことを思い出したらしく、アルフラが険しい視線をジャンヌへ向ける。しかし神官娘は落ち着いたもので、あっさりとみずからの非を認めて謝罪した。


「申しわけありませんでした。あの頃のわたしはレギウス神の(あやま)った教えを信じていたのです。ですがアルフラ様の真理に触れて悟りました」


 とうのアルフラは憮然(ぶぜん)とした表情である。


「……なにそれ」


「この世のすべての魂は、始原の女神であるアルフラ様より生まれ出て、やがてはその御許(みもと)へ還るのです」


「え、そうなの!?」


 とても初耳な女神さまはびっくりまなこだ。


「人も、神も、そして(よこしま)な魔族でさえも、いずれはアルフラ様の一部となり、あらゆる罪はそそがれるでしょう」


 とても危険な思想に染まってしまった神官娘は、朗々とアルフレディア聖教の教義を語る。


「もちろん、白蓮というお方はとても素晴らしい人ですわ。話に聞くだけでもそれはうかがい知れます。なにしろ()の聖女、カレン・ディーナと瓜二つのご容貌であるとか」


 そしてアルフラにとっては聞き捨てならない一言が発せられる。


「きっと白蓮様も、早くアルフラ様の御許へと還り、一つになりたいと願っていることでしょう。それはとても幸せなことなのですから」


 思わずアルフラは、呼吸のしかたも忘れてしまうほどに愕然としてしまった。見開かれた鳶色(とびいろ)の瞳が、ジャンヌを凝視する。


「ひとつに、なる? あたしと、白蓮が……?」


「ええ、そうですわ。万物は等しくアルフラ様の一部にすぎないのです。やがてはその御許へ還るのが、摂理というものでしょう」


 ――白蓮を身の内に取り込む。

 これまでのアルフラにはない発想だった。――いや、本当にそうだろうか? かつて雪原の古城でふたり肌をあわせた夜、その胸に(いだ)かれて眠りについた寝台の上で……考えたことはなかっただろうか?


 このままひとつに融け合ってしまいたい、と。


 ぞっとするほどの愉悦を感じて、アルフラは身震いする。

 いまのアルフラにはそれが可能なのだ。

 身の内には数多(あまた)の魂魄がひしめきあってはいるが、もし白蓮をみずからの中へ招けるのならば、それら一切は不要だ。むしろ邪魔に感じられる。

 しかし、それをしてしまうと。二度と生身の白蓮に抱きしめてもらうことはできなくなる。

 魂魄を取り込むためには白蓮を殺さなければならないのだから。


 それは、嫌だ。

 それだけは、絶対にできない。


 だが、愛する人とひとつになれるという誘惑は凄まじい。そうすれば、もう二度と引き離されることもないのだ。つねに白蓮と一緒にいられる。

 いけないことだと分かっていても、自然とその口許は、あやしくほころんでしまう。

 どうにも感情の抑えがきかず、途方に暮れてしまったアルフラは、頭上に視線を向けた。


「ねえ、白蓮。あたし……」


 見上げた心の原風景は、やはりなにもこたえてはくれない。ただ傲然と見下ろすばかり。



 追い打ちをかけるかのように、魔剣が無邪気な歌声を響かせた。


(あたしたちはふたりでひとり。あたしたちはふたりでひとり)





 シグナムたちは足をとめ、その場でしばし休息をとることにした。アルフラが虚空に向かい、なにごとかを話しはじめたからだ。そういった奇行もすでにめずらしいことではなく、みな馴れたものである。

 おのれにしか見えない白蓮と対話するアルフラの姿が、ジャンヌにはなにか聖なる儀式にでも見えるのか、ひざまずいて祈りの言葉をつぶやいている。


「おねえちゃん、ジャンヌがおかしくなっちゃた」


 狼少女が涙目だった。


「だいじょうぶだろ。あいつがおかしいのは元からだ」


「でも、まえよりずっとへんだよ」


「ほっときゃそのうち正気に戻るさ。問題ないって」


 シグナムはなんの根拠もなく無責任にそう受け合った。ルゥにもそれが感じられたのか、うたがわしそうな目で彼女を見つつ、ほんとうかなあ、と首をひねる。



 ひとり、カダフィーだけは一行からすこし離れた場所に陣取り、アルフラの挙動を注意深く(うかが)い見ていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 中盤辺りまではハッピーエンドも見えていたのに、今となってはもう、アルフラが白蓮含めて世界を滅ぼしたあとに狂い死ぬ姿しか思い浮かばない……。 どんなラストになるのか気になるなぁ。
[一言] あたしたちはふたりでひとりにて結局アルフラは、他のアニメや小説でよく見る一つになろうよボスキャラ?
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