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氷の滅慕  作者: SH
幕間
194/251

いつかのジャンヌ



 荘厳なる大神殿の奥処(おくか)。祭儀の行われる時以外は司祭職にある者ですら立ち入りの制限される聖堂で、一人、ジャンヌ・アルストロメリアは神への祈りを捧げていた。

 清らかな乙女が片膝をつき、両手を組んで一心に祈るその姿は、聖堂の雰囲気とも相まって、神々(こうごう)しくも近寄りがたい静謐(せいひつ)さが感じられる。正面には高い天井に届くほどの巨大な神像。その足許には祭壇があり、揺らめく炎を内包した水晶球が置かれていた。

 立ち上がったジャンヌは、長い法衣の裾を引きずりつつ祭壇の前へと進む。

 火水晶と呼ばれる宝具をひと撫でして、神像を見上げる。


「――猊下(げいか)


 扉の外から呼びかける声が聞こえた。

 ジャンヌは信仰する神の立像に視線を向けたまま、凛とした声音でいらえる。


「お入りなさい」  


「失礼致します」


 入室したのは、大司祭付きの侍従(じじゅう)であるサリアという娘であった。

 ジャンヌは振り返りざま、抑揚のない平淡な声音で告げる。


「わたくしの祈りの時間を(さまた)げねばならぬほどの用件であることを、期待しますよ」


 かすかな怒気を感じ取り、サリアはびくりと体をすくませた。神官服の内側に収まったふくよかな胸が、はた目からも分かるほど上下に揺れる。それを見たジャンヌはかるく眉をひそめた。


「あなた……最近また太ったのではないですか?」


 サリアは二十(はたち)前の娘とは思えぬほど、女性らしい体つきをしている。

 胸の果実はたわわと実り、腰はきゅっとくびれ、臀部(でんぶ)の肉付きもゆたかだ。ジャンヌの言うように太っているというわけではないのだが、成熟しきった見事な色香が(かも)されていた。


「神の使徒たる者は清貧(せいひん)を心掛けねばなりません。なんですか、このぶよぶよと膨らんだ醜い贅肉の塊は」


 つかつかと歩みよったジャンヌは、サリアの胸にこびりついた醜い贅肉をこねくり回す。


「――あっ!」


 強く乳房(ちぶさ)をしぼり上げられたサリアが、小さく悲鳴をもらした。しかし抵抗の素振りは見せず、みずから胸をつきだすようにして顔だけがジャンヌからそむけられる。


「ん、ふっ……」


 執拗に胸を揉みしだかれて顔を紅潮させたサリアは、うるんだ瞳をまたたかせて言った。


「そ、そんなにされたら……よけいに大きくなってしまいます」


「くだらない。あなたは胸を揉まれると大きくなるなどという俗信を真に受けているのですか?」


 口を半開きにしてあえぐサリアにさめた視線が投げかけられた。


「朝晩の食事を半分になさい。これ以上、無駄な肉をたくわえたら侍従から外します」


「も、もうしわけ、あっ、ありません」


 サリアは熱い吐息をこぼしながらもジャンヌに誓う。


「かならずや、んぅ! 聖職者たるにふさわしい体となることを、お、お約束します。断食の行をみずからに課しますので、あ、あぁ……どうかお側付きのままでいさせて下さい」


「よいでしょう」


 満足げにうなずいたジャンヌは、息を荒げだしたサリアの胸から手を離してやる。


「それで? 話があるのでしょう?」


「あ、はい。実は猊下が以前からお捜しになられていた(くだん)の少女なのですが、ようやくその行方が掴めたそうです」


「なんですって!?」


 やや冷静さを欠いた声で叫び、ジャンヌの手がサリアの肩にかかる。


「やっと見つかったのですね! どこです!? どこに……」


 その剣幕さに、サリアが慌てて詳細な報告をしようとしたところで、にわかに扉の向こう側が慌ただしさを帯びる。

 複数の神官たちが声高に叫び、何者かを制止しようとしていた。

 不意に、扉が開かれる。


「おやめ下さい! 大司祭猊下は現在、祈りの最中なのです! たとえ旋臂(せんび)殿といえども……」


 戸口に立ち塞がり、闖入者(ちんにゅうしゃ)の狼藉を(とが)めようとした神官が、突如巻き起こった強風に煽られてたたらを踏む。それを押しのけるようにして、魔族の男が姿を現した。


「失礼、大司祭“猊下”。不躾(ぶしつけ)かとも思いましたが、おとなしく祈りの時間が終るのを待っていちゃあ、いつまで待たされるか分かりゃしませんからな」


 聖堂という峻厳(しゅんげん)な場で、慇懃(いんぎん)無礼に言ってのけたその男は、伯爵位にある強大な魔族であった。彼の粘りつくような(いや)らしい視線からジャンヌを守るように、サリアが前に出る。


「場をわきまえなさい。ここは神への祭儀を行う神聖な場所なのです。信仰なき者が立ち入ることは――」


「お前には用なんてねえよ。邪魔をするな」


 旋臂はそっけなく言い、かるく手を払うような仕草を見せた。すると側面からの見えない圧力に押されて、サリアの体が横におよぐ。


「くっ……」


 怒りをあらわにして旋臂へ詰め寄ろうとするサリアを制して、ジャンヌが静かな口調で尋ねる。


「用とは?」


 これといった感情のうかがえないすまし顔のジャンヌへ、旋臂はにやにやと笑いながら歩みよった。そして背を(かが)めて息がかかりそうなほどに顔を近づける。


「近隣の領主たちから泣きつかれてな。お前の専横が酷すぎるから、なんとかしてくれとよ」


「……近隣というと、ノーポート男爵やキンバリー侯爵でしょうか?」


 旋臂は中央の盟主の配下であり、魔族に朝貢(ちょうこう)する教国へ送られてきた目付役だった。独自の直轄地である彼の居城は、大神殿の存在する王都から北へ二日ほどの距離にある。二千に及ぶ魔族の私兵を保持し、宗主国から(つか)わされた立場上、旋臂は教国内において強い発言力を有している。


「お前の想像通りの二人がな、まあ色々と手土産を持ってきて、涙ながらに語るのさ。このところ臨時徴発だの生け贄の選別だのが相次いで、領地がぼろぼろだってな」


「わたくしはただ、国民として当然の負担を彼らに求めているだけですわ」


「いやいやいや、魔族であるこの俺を頼ってくるくらいだから、よっぽどのことだぞ。だいたいお前はやりすぎなんだよ。市井(しせい)から富を吸い上げるときは、生かさず殺さずが基本だろ」


 ジャンヌは、魔族のくせに温厚なことを言う男だ、と内心で旋臂を(あなど)りながらも、それを表情に出すことなく反論する。


「そうは言われましても、臨時の徴発に関してはシグナム様の要請に応えただけですし」


「……なるほど。右府殿が一枚噛んでるのか」


 シグナム・カーマイン右府将軍。教国の軍事全権を掌握する武官の最高位である。

 旋臂は顎に手を当てて、すこし苦い顔をした。


「そういやお前ら、また戦争を始めたらしいな。それで兵糧をかき集めてたのか」


「ええ、ですから苦情でしたらわたくしではなく、シグナム様へお持ちになられて下さい」


「だが実際に徴発の指示を出してるのはお前だろ、ジャンヌ」


 教国において、民の戸籍は神殿が一律で管理しており、徴税のたぐいはすべからく、大司祭であるジャンヌの采配のもとに行われている。


「民の安寧を図るためには、ときに苛烈な搾取もいたしかたのないことです」


 表情も変えず、酷薄に言い切ったジャンヌへ悪態が吐かれる。


「なにが民の安寧だ。すべては神のため、てのがお前の口癖だろ」


「それがひいては人のためになるのです」


「……(らち)()かねえな。ノーポートやキンバリーの領主からは貰うもん貰っちまってるし、俺もはいそうですかとは帰れないんだよ。せめて穀物なんかの徴発は秋まで待ってやれ」


 どうせ女でもあてがわれて、俺に任せておけと安請け合いでもしたのだろう。そうあたりをつけつつ、ジャンヌはきっぱりと首を横に振る。


「それは無理ですわ。軍を動かすには、いろいろと物が入りようになりますので」


「じゃあ軍を退()けよ。なんなら俺が代わりに暴れてきてやってもいいんだぞ?」


「我が神の復権を期する聖戦に、魔族の手は借りません」


「……聖戦?」


「そうですわ。今回の戦いは、改宗を拒む異教徒どもを、神の御許(みもと)へ送るための聖戦なのです」


 口の中で、この狂信者め、と毒づいた旋臂は話にならないと肩をすくめた。


「まあいい。実際(じっさい)俺も、ノーポートやキンバリーが干上がったところで知ったこっちゃない」


 旋臂の顔に、いかにも好色そうな笑みが浮かぶ。


「ただな……」


 分かるだろう、と馴れ馴れしく旋臂の手がジャンヌの肩に伸ばされた。


「お前の態度しだいでは、泣きついてきた領主どもを黙らせて、物分かりのいい従順な羊にしてやるよ」


 ジャンヌは肩を抱こうとした旋臂をするりとかわす。


「もうしわけありませんが、この身は神に(ささ)げし供物なれば」


 折り目正しく一礼して、侮蔑(ぶべつ)を押し隠した作り笑いを口許にのぼらせた。


「女が必要ならば娼館の浮かれ()を集めますので、その者たちに好きなだけ欲望を吐き出せばよろしいかと」


「……わかってねえ。ジャンヌ、お前は男ってもんがまったくわかってねえよ」


「はあ……?」


「俺が欲しいのは、金を払えば誰にでも股を開くような安い女じゃない。お前みたいにお高くとまった上等な女が抱きたいんだ」


 ゆがんだ性癖と男の劣情を垣間見せた伯爵位の魔族に、ジャンヌはかすかに顔をしかめた。しかし丁寧な口調のまま、やんわり拒絶の言葉を返す。


「なるべくご希望に沿った女を用意いたしますわ。ですので今日のところはどうか――」


「なあ、ジャンヌ。もうすこし賢くなれよ。教国は俺たち魔族に忠誠を誓い、その庇護を享受してるんだ。お前は聖職者でありながら、それをよしとした売女(ばいた)だろ。だったら心だけじゃなく、体を開いたところで構わないと思わないか?」


「――この下郎(げろう)ッ!」


 旋臂の(げん)に激昂したのはサリアだった。怒りのあまり体を震わせながら罵り声をあげる。


「言うに事欠いて猊下を売女呼ばわりするとは!!」


 刺すような視線に晒されながらも、旋臂は鷹揚(おうよう)に笑う。


「おいおいジャンヌ。お前の付き人は口のききかたってもんを知らないのか?」


「……サリア、おやめなさい」


 ジャンヌは、いまにも旋臂へ掴みかからんばかりの剣幕さを見せるサリアの腕を押さえる。

 圧倒的な強者の余裕を持って、サリアの怒りを受け流した旋臂であったが、爵位の魔族である彼の勘気に触れれば、聖堂は一転、殺戮の場になりかねない。

 なおも旋臂へ憎悪の眼差しを向けるサリアへ、ジャンヌは諭すように告げる。


「わたくしは、なんと言われようと構わないのです。神に(つか)える身でありながら、魔族に(くだ)ったこともまた事実。それを指して売女と呼ぶのならば、たしかにわたくしはその通りの存在なのでしょう」


 ジャンヌの声音にひそんだ憐憫(れんびん)の響きに打たれ、サリアは手を揉み絞って訴える。


「そのようなことはありません! 猊下は誰よりも徳高きお方。私たち神職にたずさわる者すべては、猊下をこよなく敬愛申しあげております!」


 涙すら浮かべてまくしたてるサリアを見て、旋臂は思わずつぶやいてしまう。


「……なんなんだ、この茶番は」


 (きょう)()がれたといった表情で、その口から神を侮辱する言葉がこぼれた。


「そんなに信仰とやらが大切なら、神とでも寝てろよ」


「――な、なんと不遜な」


 耳聡(みみざと)くその暴言を聞き咎めたサリアが、怒りで顔を紅潮させた。


「猊下のみならず、天に(つば)するに等しいその――」


「おい、女。誰に向かって口を()いてるか分かってるのか? お前ら教国の人間は、俺の機嫌を取らなきゃならない立場なんだよ。――おい、ジャンヌ。この馬鹿女にきっちり……」


 やれやれといった表情でジャンヌに顔を向けた旋臂は、そこでびくりと体を硬直させた。鬼女のごとく(まなじり)を吊り上げた凄まじい視線に、射竦(いすく)められてしまったのだ。


「魔族風情が……。我が神を愚弄(ぐろう)するとは……」


 地を這うような低い声が、ジャンヌの喉から絞り出された。

 その怒りの深刻さに、サリアは思わず三歩ほども後ずさる。


「お、おい、ジャンヌ……?」


 あまりの豹変ぶりに、やや気圧された様子の旋臂が戸惑いの声をあげた。


「あなたの神に対する暴言は、とても看過(かんか)できるものではありません」


 たしかな殺意を察知して、旋臂は後方に飛び退きざま、風の刃を放った。狙いは首。反射的に仕留めにかかるほどの重圧が、ジャンヌから向けられていたのだ。それは爵位の魔族が身の危険を感じるほどのものだった。


「――ッ!」


 間合いを外し、みずからを魔力の障壁で(よろ)った旋臂は、驚愕に目を()く。

 ジャンヌはかるく右手を掲げただけで、風の魔刃を防いでみせたのだ。裂けた法衣の隙間から、腕に巻かれた鉄鎖が露出していた。鋼鉄の防具すらも断ち切る大気の断層を苦もなく(しの)いだことから、それがただの鎖ではないことを旋臂は悟る。

 油断なくジャンヌの挙動をうかがいつつ、それでもおのれの障壁が人間ごときに破れるはずがないという自負が、旋臂を冷静でいさせた。


「おい、頭を下げるならいまのうちだぞ。俺と事を構えれば、魔族を敵に回すことになるのは分かるよな? その野暮ったい法衣を脱いで素っ裸で土下座しろ。そうすりゃさっきのは無かったことにしてやる」


 ジャンヌの口の()()をえがいた。あからさまな(さげす)みの笑みが形作られる。


「……正気とは思えないな。それともあれか。俺を誘ってるのか? この体を自由にしたければ、力ずくで組伏せてみろと」


「もしそれがお出来になるのならば、どうぞご随意(ずいい)に」


「舐めるなよ。小娘が……」


 旋臂の眉根が険しく寄せられる。

 対するジャンヌは嘲弄(ちょうろう)の眼差しで応えた。


「あなたたち魔族は、神に敵対し、法を(ないがし)ろにする愚かな下等種ですわ」


 法衣の袖口からじゃらりと鉄鎖が垂らされた。

 瞳に(とも)った狂信の炎が赤々と明度(めいど)を増す。

 きゅっと吊り上がった唇から、艶めかしい吐息が漏れた。


「我が神は、魔族を(ゆる)さない」


 ぞくりと背筋に冷たいものを感じ、旋臂はおのれの魔力を解き放つ。

 聖堂の石壁がたわむほどの烈風が吹き荒れた。

 荒れ狂う大気は渦を巻き、風に(さら)われたサリアがなすすべもなく壁に叩きつけられた。

 天変地異にも等しい暴風に身を晒したジャンヌは、しかし涼しげな顔で旋臂を見やっていた。


「この程度、ですか?」


 余裕の失せた表情で、旋臂はジャンヌを睨む。


「わたくしの知る伯爵位の魔族は、かつて大都市を一夜にして滅ぼし、頑強なディース神殿をあっさりと倒壊させたものですが……」


 法衣を強風に煽られながらも、石畳に打ち込まれた鉄鎖が、ジャンヌの体を床に縫い留めていた。


「あなたは、彼ほど強くないようですね」


「人間ごときが俺を見くびるな!」


 暴風を生み出す大気のひずみがジャンヌに叩きつけられる。

 局所的に発生した無数の真空が、次の瞬間、その体をずたずたに引き裂くことを旋臂は予想した。しかし、左の袖口から伸びた鎖が螺旋状にジャンヌを覆い、大気の刃のことごとくを弾き返す。


「チッ――」


 舌を打ち鳴らした旋臂はすぐに攻め手を変える。

 ジャンヌを取りまく空気が密度を(げん)じ始めた。


「……あら?」


 急激な気圧の変化を感じたジャンヌはくすりと笑い声をこぼす。


「なかなか多芸ですのね」


 そうつぶやいたはずなのだが、周囲の大気が完全に取り除かれたため、声は響かなかった。


「どうだ? それはご自慢の鎖でも防ぎようがないだろ?」


 勝利を確信した旋臂はそれでも警戒を緩めず、注意深くジャンヌの挙動をうかがう。


「窒息死ってのは、かなり苦しい部類の死に方だぞ。だいたいの奴が顔を赤黒くして、喉を掻きむしりながら死んでくんだ。まあ、もしお前が俺に身を任せるのなら、命だけは助けてやらないことも……」


 かるく小首をかしげたジャンヌを見て、声が届いていない事実に旋臂は気づく。


「とりあえず意識を失うのを待つか。そのあとゆっくり……」


 下卑(げび)た考えを巡らせる旋臂は、ふとジャンヌの唇が動いているのに気がついた。


(もう、おしまいですか?)


「なんだ? 命乞いか?」


(聖鎖“天割(てんかつ)”)


 旋臂の足元から甲高い破砕音が響いた。

 股下の石畳を突き破った鎖が、彼の魔力障壁を(つらぬ)いたのだ。身を引こうとした旋臂の足首に、鎖の先端が絡みつく。それはとぐろを巻きながら腰へと駆けのぼった。


「なっ――!?」


 またたくまに胴体を雁字搦(がんじがら)めにし、鎖は喉を締めつける。

 ジャンヌが右腕を振り上げると、地中を這い進んで旋臂を捕縛(ほばく)した鎖が、石畳を跳ね飛ばして姿をあらわした。

 首の拘束をゆるめようともがく旋臂の体が、宙に吊り上げられる。

 烈風が吹きすさび、大気の刃が幾度となく振るわれるが、聖鎖天割には傷もつかない。

 首を吊られて顔色を赤黒く染めた旋臂を、ジャンヌは悠然と見上げる。


「とても苦しそうですわ」


 魔力の制御が乱れたのか、すでに真空の結界は破られていた。


「おとなしくなさい。でないとこのまま(くび)り殺しますよ」


 その一言で、聖堂内は静けさを取り戻した。

 ジャンヌは聖鎖を操り、すこしだけ拘束を緩めてやる。そして背後に呼びかけた。


「――サリア」


 壁際に倒れている侍従からの返事はない。


「まったく、世話がやけますわね」


 快癒の呪文を唱えつつ歩み寄ったジャンヌは、癒しの光を流し込んでやる。

 脳震盪を起こしていたサリアはほどなく目覚め、聖鎖に絡め取られた伯爵位の魔族を見て目をまるくした。


「猊下、ご無事ですか!?」


「当然です」


 その身を案じるサリアにすげなく答えて、ジャンヌは旋臂を指し示す。


「我が神に雑言(ぞうごん)を吐いた者に対する処遇は、いかようなものが適切か」


「は、はい。神を侮辱したというその一事において、あらゆる酌量(しゃくりょう)は適用されず、極刑以外の選択はありません」


「ならば彼にふさわしい刑罰はいかに?」


「神に対する不敬は(はりつけ)、もしくは串刺し刑が相応(そうおう)と定められております」


 よくできました、というようにジャンヌはうなずく。それは彼女自身が定めた刑法であった。


「ま、待てッ!!」


 これに慌てたのは旋臂だった。


「本気で言ってるのか!? 俺を殺せばお前らだってただじゃ済まないんだぞ!!」


「中央の盟主殿は、あなたのような木っ端貴族が不慮の死を()げたところで、さして気にはなされないでしょう」


「そんな訳があるか!!」


「いえ、あるのですよ。わたくしたちは、あなたが思っているよりもあの方と懇意(こんい)にさせて頂いておりますので」


 ジャンヌはかるく聖鎖を手繰(たぐ)り寄せて、右腕を掲げる。

 横に大きく振られた旋臂の体が神の石像に叩きつけられた。

 苦痛のうめきを漏らしつつも、旋臂はゆいいつ自由になる口を動かす。


「お、おい、やめろ……」


「本来あなたには、犯した罪に対する審問の場で、申し開きをする権利があるのですが……」


 あわれむようにジャンヌは首を振る。


「神へ不敬をはたらいた者に、一切の権利は認められません。よって、地上における法の代行者として、判決を言い渡します」


 酷薄な声が告げる。


「伯爵位の魔族、旋臂。――汝、磔刑(たっけい)(しょ)す」


 巨大な神像に(はりつけ)られた旋臂へ、ジャンヌの左手が向けられた。

 神速と呼ぶに(あたい)する勢いで、法を執行する鎖が殺到した。それは罪人の喉を穿(うが)ち、正確に頸骨(けいこつ)を砕いた。

 瞬時に絶命した旋臂の首から、おびただしい量の鮮血が溢れる。鎖を伝った命の(しずく)が、神像の足元に据えられた火水晶にしたたり落ちた。魔力を宿した血を受けて、水晶球の中で揺れる炎がわずかに大きさを増す。それを一瞥(いちべつ)して、ジャンヌはサリアに視線を向けた。


「報告のつづきを」


「――え?」


 何事もなかったかのように(うなが)されたサリアは、ほうけたような戸惑いの声をあげてしまった。


「さきほど話していた報告のつづきです」


「あ、はい!」


 旋臂の来訪により、話が中断されていたことを思い出したサリアは口早に喋りはじめる。それはジャンヌが以前から行方(ゆくえ)を追っていた少女の居場所についてであった。


「……なるほど。そんなところに居たのですか。道理でなかなか見つからないわけですわ」


 嘆息するような声音とはうらはらに、その口許にはじわりと歓喜の笑みが浮かびあがる。

 ジャンヌは手にした鎖を台座に巻きつけ、旋臂の死体を宙吊りにしたまま聖堂の奥へと歩を進める。


「しばらくは誰も通さないように」



 そうサリアに言い含めて、神殿の最奥部(さいおうぶ)へと(つう)ずる扉をくぐる。そこから先は、お側付きであるサリアですら踏み入ることが禁じられている場所だった。





 燭台の(とも)された、甘い香気のただよう一室。ジャンヌは石材で組まれた大きな浴槽を、ただ無心に見つめる。その浴槽には没薬(もつやく)がなみなみと満たされ、中では一糸まとわぬ姿の少年が、栗色の髪を薬液にたゆたわせていた。

 眠るように瞳を閉ざした彼へ、ジャンヌは優しく語りかける。


「ようやく、あの娘が見つかりましたわ」


 こたえる者のない薄暗い室内に、殷々(いんいん)たる声だけが響く。



「もうすぐです。あとすこしだけ、待っていてくださいね」

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