TOP OF THE WORLD
「魔族におびえて天界にとじこもってるなら、力なんていらないよね?」
この広間に入ったときから、アルフラにとって神族は極上の糧にしか見えていなかった。
「ぜんぶあたしにちょうだい。かわりに戦禍を殺してあげるから」
魔族を倒すためだけに宝具を使うという制約も、障害とはなり得ない。
アルフラはただ、魔族を倒すために神々を殺して力を得ようとしただけなのだ。そこに矛盾はなかった。
レギウス神の腹を貫いた魔剣の刃を通して、その魂魄が流れ込んでくる。
法の守護者、神王レギウスは、みずからの魂を貪り喰らう者の名を呼んだ。
「プロセルピナ・アース……」
魔剣は歓喜を叫ぶ。
(あたしたちが一緒なら、神にも勝てる!)
「そうか……そなたは、この時のために……己の魂を魔剣に、吸わせたのだな……」
苦しげに呻いて、レギウス神は魔剣から逃れようと身をよじった。
アルフラは柄まで通れとばかりに刃を捻り込む。
応えるように、プロセルピナはその神性をあますことなく奪い去った。
四千年の時を越えて、誇り高き古代人種の姫は、その想いを遂げたのだ。
魔剣は、柄を握ったアルフラの手に、啜り上げた膨大な魂魄の大半を流し込む。
「んぅ!? あ、あ、あ、ああああぁぁああぁああ――――――――――――――――ッ!!」
アルフラの口から、まるで快楽の頂きに登り詰めたかのような絶叫が迸った。
めくるめく高揚感の中で、右の肩に刺すような痛みが走った。
覚えのある痛みだ。
右腕を切断されてから、夜な夜な苛まれつづけた激痛。
その時に感じた苦痛の亡霊と同じものだった。
包帯に覆われた右肩の切断面から、傷口を突き破って真っ白な骨が伸び出た。
アルフラは夜毎感じていたのが幻肢痛などではなく、伸びた骨が肉を掻き分ける痛みだったのだと知る。
右肩から突きだした骨は若木のようにすくすくと育ち、骨髄を包む細胞は硬化し、その強度が更に補強された。
レギウス神の膨大な神性が身体を構成する建材となる。
目の覚めるような純白の骨格に、しなやかな筋繊維が幾重にもまとわりつく。そこへ太い動脈が絡み、無数の毛細血管が肉のすみずみにまで根を張った。
骨同様に白かった筋繊維が血気を帯びて、朱に色づく。
すでに神経細胞の再生も始まり、関節を繋ぐ腱は靭帯と融合する。
しなやかな筋肉にうっすらと脂肪が乗り、各器官を保護するように包み込む。
急速に人体としての機能を復元させつつある右腕に、感覚が生まれた。
見る間に薄皮が剥き出しの組織を覆う。
新生されたばかりの皮膚はやはり白い。
増産された血液が動脈を通して大量に流し込まれると、病的に白かった肌がほんのりと桜色に染まった。
同時に、空洞であった右の眼窩でも復元が終り、伸びた視神経が脳と結線する。
焼失したはずの目蓋が、包帯のすぐ内側で開かれた。
「すごい、すごいっ! 法の守護者! 神王レギウス、すごい!!」
歓喜に打ち震える身の内から、極寒の冷気が溢れだす。
全身を覆う包帯が凍てつき、ひび割れ砕け散る。
体を痙き攣らせる瘢痕が瘡蓋のように剥がれ落ちた。
裸身を晒したその肌は、美神もかくやという艶やめかしさ。
もはや火傷の痕はどこにも見られない。
かつて白蓮を魅了した可憐な容貌はいささかも損なわれておらず、少女らしく肉のうすい肢体は瑞々しい活力に満ちていた。
再生の時。――世界の頂点――
神王の魂魄は、アルフラに凄まじい全能感を与えた。
知覚領域が急速に拡がり、世界は一変する。
まるで自己が膨張するかのごとき、圧倒的な開放感。
鼓膜を経由することなく、脳内に旋律が溢れた。
万物から発せられられる振動が無限に絡み、一つの美しい楽曲が奏でられている。
世界は歌に満ちていた。
遥かなる高みから、アルフラは万象を俯瞰する。
愛くるしいその顔立ちが、悦楽にとろける。
魔剣を右手に持ち換え、それを神王の抜け殻から引き抜いたアルフラは、振り向きざまに刃を一閃させた。
新生された右腕はとてつもない膂力を発揮し、飛来した金属球を叩き落とす。それを踏み台にして、憤怒に燃える武神へと飛びかかる。
目にも止まらぬ魔剣の斬撃が弧を描いた。しかしそれをも凌ぐ反応速度でもって、ダレス神は刃を神鎖で受ける。
「だめだっ、避けろ!!」
闘神へリオンの声が響き、ダレス神は上体を反らす。
魔剣の一撃は武神の鎖を断ち斬り、分厚い胸板をざっくりと割り裂いた。
アルフラはダレス神の胴を一薙ぎにしようと手首を返す。だがその頭上に、短槍を構えた五名の翼人が降ってきた。
完全に死角からの急襲であったが、槍の穂先が獲物を貫く寸前、アルフラを覆うように白い膜が広がった。
氷雪の護りを突破できず、槍は砕け散る。
放出された冷気に巻き込まれた翼人たちは、いずれもが凍りつき、床に落ちて血肉の混じった氷片を撒き散らした。
アルフラは魔剣を横一文字に薙いで右に飛ぶ。後方から唸りを上げて殺到した金属球は空を切った。
紙一重で魔剣の間合いから逃れたダレス神の手に、神器が戻る。
構わず前に出ようとしたアルフラは、胸に強い衝撃を受けて動きを止めた。
「え……」
ちょうど心臓を貫通する位置に、長大な槍が突き立っていた。
――魔槍カズクェル。軍神クラウディウスが投擲したものだった。
アルフラの薄い体を貫いたそれは、背から胸へと抜け、鋭い穂先に胸骨の破片と赤い肉塊を絡みつかせていた。
後ろへよろめきながらも、なんとか立ち凌ごうしたアルフラへ、闘神へリオンが腕を一振りする。
放たれた黒曜石の投げ矢が、アルフラの右頬に突き刺さり、咥内を抉った鏃が奥歯を砕いた。
ほっそりとした裸体が、ぐらりと横へかしぐ。そこへダレス神が巨大な金属球を振り下ろした。
「アルフラちゃん――――!!」
茫然と立ち尽くしていたシグナムの口から悲鳴が漏れた。その視線の先で、肉のひしゃげる音ともに大量の血飛沫が上がる。さらに、死肉に集る禿鷹のごとく、無数の翼人たちが槍を突きだし降下した。
「――どけッ!!」
シグナムは大剣で翼人を薙ぎ払い、アルフラを助けようと試みるが、あまりの数に進路を塞がれる。
そうしている間にも、翼人たちは次から次へと舞い降りてくる。
「くそッ! どきやがれ――――!!」
槍を握った幾つもの手が上下して、翼人たちの白い翼が返り血に汚れる。
「あ……アルフラ、ちゃん……」
悲痛にうめいたシグナムは、しかし次の瞬間、甲高く唸るような刃鳴りを聞いた。
ぞくりと肌に粟立つものを感じ、反射的に後ろへ跳びすさる。
群がる翼人が、湧き出た靄に呑まれた。
眼前に、氷の花弁が開く。
一切の生命活動を許さない極低温の嵐が、翼人たちを凍てつかせた。
破砕音を響かせて氷像が地に墜ちる。砕け散った翼ある者たちが無数の死骸を散乱させた。そしてただ一人、アルフラだけがそこに立っていた。
全身血濡れたその右手には魔剣、左手には巨大な生首をぶら下げて。
胸を魔槍で串刺しにされ、頬には矢を突き立てたまま、鬼気迫る表情で周囲を睥睨する。
魔剣が喝采の歌声を響かせた。
(お前にこの命はくれてやらない)
アルフラは手にした武神の首を、無造作に放り捨てた。
血でどろどろに汚れた顔の中、見開かれた双眸が鮮烈な輝きを放つ。
「あぁ、白蓮……」
凍りついた魔槍が塵と砕け、胸から抜け落ちる。
がつりと歯の噛み鳴らされる音が響き、黒曜石の矢が折れ飛んだ。
血の絡んだ鏃を、アルフラは口から吐き出す。
なだらかな胸にも、すべらかな頬にも、すでに傷痕は見当たらない。
法と武を喰らった少女に、その場の全員が脅威を感じた。
アルフラの死角へ入るように、闘神へリオンが動く。
軍神クラウディウスはみずからの神剣を抜いて身構えた。
もう何をどうしてよいのか分からず、シグナムたちはただ立ち尽くしている。
魔剣だけが、満足げな旋律を刀身から響かせていた。
「…………ちょっと多い」
ぽつりと、アルフラがつぶやいた。
闘神からはダレス神と同等の力が感じられ、軍神に至っては神王レギウスを超えている。
他の主要神たちも、戦いには向かない者も多そうだが、片手間に相手をするのは難しそうだ。
なのでアルフラは迷わず玉座へと駆けた。父神の亡骸にすがって泣く、小レギウスへと。
横合いから襲いきた軍神の重い斬撃をかろうじて受け流し、魔剣の刃先を小レギウスの喉元に押し当てる。
「ひぐっ――!?」
悲鳴を漏らしたレギウス神の御子は、父神を殺してその魂魄を喰らった血塗れの少女を見て、恐怖に全身を硬直させた。
アルフラは軍神へ視線を向けたまま、魔剣で小レギウスの首をひたひたと打つ。
「動いたら殺す。そっちのお前もだ」
機を窺い、間合いを詰めようとしていた闘神が怒りに顔を歪めた。
「卑怯だぞッ、あたしと戦え!!」
アルフラはそれを黙殺して、魔剣の峰で小レギウスの顎を押し上げる。そしてうながされるままに立ち上がった御子の髪を乱暴に掴んだ。
「ま、待て! レギウス様を弑したうえ御子まで手に掛けるつもりか!? そんなことをすれば神王の血が途絶えてしまう!!」
軍神が余裕のない声で叫んだ。
「ちゃんと地上に帰してくれれば、この子は離してあげる」
「……この状況で、お前の言葉を信用出来ると思うか?」
アルフラは足許に転がっていた琥珀の義眼を踏み砕いてぼやく。
「使えない人質なら、生かしとく意味ないんだけど……」
その場の誰もが、アルフラならば気分次第で、実にあっさりとレギウス神の御子を殺してしまうだろうと考えた。
怯えきった小レギウスは、顔を引き攣らせて涙を流していた。
「――トゥラウロ」
女神マーヌが従者である門の神を呼びつける。
「その娘を下界に戻して御子を保護しなさい」
「こいつを逃がすのか!? 神王さまやダレスが殺されたんだぞ!!」
いきり立つ闘神へリオンの腕をクラウディウスが掴む。
「今は御子の安全を図るのが第一だ」
「クラウ……」
アルフラはそのやり取りに耳を傾けながら、床に落としたままであった魔剣の鞘を拾った。しかし衣服を身につけていないため、腰に差すことも出来ず、どうにも手が足らない。
「シグナムさん。これ、もってて」
投げられた鞘を片手で受けたシグナムは、その時になってやっと、自分が神殺しの一味となってしまったことに気がついた。顔から血の気が引き、強い眩暈に見舞われる。
大扉の前に立った門神トゥラウロが怖々といった様子で声をかける。
「そ、それではみな様、こちらへ。私が責任を持って下界へ転送いたしますので、どうか御子のお命だけは……」
みな様、と一括りにされてしまったフレインやルゥもぶるぶると震えていた。
アルフラは小レギウスを大扉へと引き摺る途中、魔剣を一閃させて“雷鳴轟き丸”から鎖を斬り離した。それを御子の首に絡めて持ち手とする。
「おとなしくしてれば、痛くはしないわ」
言葉とはうらはらに、悪意溢れる瞳でのぞき込まれて、小レギウスは失神しそうな顔でがくがくとうなずいた。その首を鎖でかるく絞り上げて、アルフラは背後に睨みをきかせる。
「だれもついて来ちゃだめだからね」
転送機の場所まで戻る途中、それまで信仰する神を喪い茫然自失の態であったジャンヌが急にわめき声を上げはじめた。御子を解放しろと食ってかかる神官娘を、アルフラは小レギウスに魔剣の切っ先を押しつけることで黙らせた。
地上への門である銀の円環に着くと、門神トゥラウロは懐からちいさな金属板を取り出した。
「すぐに下界へお送りしますので、御子を離して下さい」
「だめ、戻ってからよ」
渋面で黙りこんだトゥラウロへ、魔剣をちらつかせて早くしろと急かす。
「致し方ありませんね……」
門神が金属板を操作すると、銀の円環から光の粒子が立ち昇りはじめる。
アルフラは鎖を引寄せて魔剣を逆手に持ち替えた。もとより小レギウスを生かして帰すつもりなどない。
魔剣プロセルピナも早く喉を掻き斬らせろとうなり声を上げていた。
「――させません!!」
ジャンヌがアルフラの腰に組みつく。
つられたようにルゥもアルフラの背に飛びついた。あまり状況は理解していなかったが、とりあえずジャンヌを手伝おうとしたのだ。その弾みで小レギウスの体が円環から押し出される。
「ああっ!?」
アルフラが小レギウスの背に斬りつける。しかしそこはすでに中央神殿の地下だった。
空を切った魔剣が、深々と床に食い込んだ。
その日、地上に神が降臨した。それは法と武の神性を簒奪した偽りの神。――この狂った女神と相対すには、たとえ魔王といえども決死の覚悟で臨まねばならない。