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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
190/251

閑話――古代人種の姫君



 神話の時代。

 ――地上にはレギウス神を主柱とする神々の一族が住まわっていた。それらレギウス神族は己を(うやま)う者たちに叡知をもたらし、人々の暮らしを豊かなものとした。

 また、天空にはギアナ・ギアス神とその眷族が在りて、下界の平穏を見守っていた。

 しかし、大災厄と呼称されることとなる動乱の初期、はるか西の大陸より飛来した竜の支配者(ベルサリカ)により、地上の平穏は大いに乱れる。


 竜の支配者(ベルサリカ)は、三つの性からなる特殊な種であった。その概要は女性、間性(中性)、男性である。しかしこの内、男性は遥か古代になんらかの理由で死滅しており、以降は女性と間性とで情交を結び、子孫を残してきた。

 第三の性である間性の者は、ほぼ女性と同じ外見であるため、他の亜人種からは女性だけの種族なのだと誤解されることが多い。

 しかし竜の支配者(ベルサリカ)の言い伝えでは、男性種が滅び、男が生まれなくなった原因は、神族にあるとされていた。彼女たちが海を越えて進出した理由の“ひとつ”である。


 皇竜と呼ばれる大型の竜を乗騎(じょうき)とする竜の支配者(ベルサリカ)は、自身も非常に頑強な体躯を誇り、その稀有(けう)な戦闘力で大陸西部を戦火に沈めた。

 大竜に(また)がり、恐るべき破壊を行うその力は圧倒的だった。だがこれに抗する力を持つ者たちが存在した。神族と魔族である。

 大陸中央を目指した竜の支配者(ベルサリカ)は、西方に住む魔族にその進軍を(はば)まれることとなる。

 たがいに好戦的で、たがいに(いくさ)慣れした二者は、やはりたがいの力の強大さに初見で驚愕した。

 竜の支配者(ベルサリカ)は魔族の持つ障壁と、(ほふ)った敵の魔力を吸収する力に苦戦を()いられた。

 また、大空を()け、魔法の武具を自在に操る竜の支配者(ベルサリカ)に、西方魔族も次第に劣勢を余儀なくされた。

 そして魔族のみならず、大陸に存在する多くの亜人種が、レギウス神の号令を受けて戦列に加わった。


 戦況は膠着(こうちゃく)し、戦いは長きに渡った。


 均衡を打破したのは、後年、古代人種と呼ばれ、極限にまで至ったと語られる竜の支配者(ベルサリカ)の付与魔術であった。彼女たちはその類稀(たぐいまれ)な魔術の奥義により、敵対する魔族の力を武具に宿らせた。すなわち、魂魄を吸収する武器と魔力障壁を展開する防具である。

 戦いの趨勢(すうせい)は一気に傾き、多くの西方魔族の王が討ち取られた。組織的な抵抗が不可能なまでに打ちのめされたすえ、彼らは大陸北西部に逃れた。



 その後、西方魔族を破った竜の支配者(ベルサリカ)は、大きく数を減らしながらもレギウス神族の住まう聖域へと進軍する。





 見渡す限りの大地が、屍に埋め尽くされていた。

 戦い破れた者たちの成れの果て。その光景を前に、二人の竜の支配者(ベルサリカ)と二頭の大竜が無言で(たたず)む。

 それは大局を決する戦いであった。

 大陸中央にまで侵出し、レギウス神の(きょ)する大神殿を、彼女たちは総力を(もっ)て攻め立てた。竜の支配者(ベルサリカ)を構成する三氏族、アース、カーマイン、ハイレディンの民の大多数がこの戦いに加わったのである。

 戦況は序盤から(かんば)しくなかった。大神殿の上空には無数の翼人どもが群れ集い、それらを排除しようとした竜の支配者(ベルサリカ)の多くが、ギアナ・ギアス神の(くだ)した天雷に焼かれた。

 低空からの侵入を(こころ)みた軍勢も、天軍を率いて降臨した軍神クラウディウスにより瓦解(がかい)()き目を見た。

 それでも、地に広がる遺骸の群れは圧倒的に翼人や神族のものが多い。壊滅的な犠牲を払いながらも、それは竜の支配者(ベルサリカ)が挙げた戦果であった。


「アース族の姫よ」


 ()して小柄な竜の支配者(ベルサリカ)が、アース族の姫、プロセルピナを見上げて言う。


「私は()()りとなった一族を取り纏め、故郷へ帰ろうと思う」


「……そうですか。たしかに、カーマインのねえさまには、一族の者へ対する責任があるものね」


「ああ、しかしそれはプロセルピナ、お前も同じだろう?」


「はい。ですけどあたしは、一族の(あだ)を一人でも多く討ち取りたい」


 カーマインの長は、年若いアース族の姫に優しげな目を向ける。


「好きにするといい。お前の気持ちはよく解る。私も想いは同じだ」


 カーマインの一族は、三氏族の中でも比較的、小柄な者が多い。しかしその反面、三氏族で最も勇猛とされている。竜の支配者(ベルサリカ)が神族から狂戦士と恐れ()まれるのも、カーマインの功績であるところが大きい。

 勇猛であればこそ、カーマインの長は怨み骨髄に至る敵を前に、撤退という決断を下せたのだ。そうプロセルピナは考えた。


「やっぱり、カーマインのねえさまは大人だ。ほんとうはあたしも、そうするべきなのに……」


「言ったろう? お前は好きにするといい。我ら竜の支配者(ベルサリカ)は大空を自由に翔ける。決して何者にも従わない」


 ぽぅっとした顔で、プロセルピナはまじまじとカーマインの長を見つめた。


「……どうした?」


「かっこいい!」


「む?」


「われら竜の支配者(ベルサリカ)は大空を自由に翔ける。決して何者にも従わない」


 カーマインの長の言葉を復唱して、プロセルピナはふんふんとうなずく。そんなアース族の姫君に、苦笑混じりの声が返された。


「もし、レギウスと(まみ)えることがあれば、私の代わりにそう言ってやってくれ」


「わかりました!」


「では、私はそろそろ行く」


 別れ際に、かるく親愛の口づけを交わし、カーマインの長は愛騎に跳び(また)がった。彼女を乗せた大竜は一礼するかのように顎を地に着けたのち、大地を蹴って空へと羽ばたいた。


「……いっちゃったね、スフェル」


 ぽつりとつぶやいて、プロセルピナは頭上へ手を伸ばした。(かたわ)らに(はべ)っていた大竜、スフェル・トルグスは、その意を悟って(こうべ)を下げる。長い首を巡らせて、プロセルピナが頭を撫でやすいようにしてやったのだ。

 アース族の姫君は、西の空に去りゆく大竜の姿を見送りながら、スフェルの頭部をたんねんに撫でる。彼女はそうやって愛騎を撫でるのを好んだが、スフェルは全身を強固な竜鱗に覆われているため、なにをされているのかがよく分からない。


「あたしたちも行こうか、レギウスの首を取りに」


 カーマインの長が大空の彼方に消え、プロセルピナはスフェルへと向き直る。


「本当に行くのか?」


 やや喉にこもった深い声音で、スフェルが尋ねた。無理矢理に竜の声帯から人語を絞り出しているため、やや聞き取りづらい。


「それは勝利を得るための戦いではなく、死地を求めるものなのであろう?」


「ちがう。みなの(かたき)である神族を倒す戦いよ」


 スフェルがその大きな鼻先をプロセルピナに押しつける。


「ひゃ!?」


 たたらを踏んでよろめいたプロセルピナは、スフェルの頭に(りょう)(かいな)を絡めて腰を落とした。そして全力で押し返す。ただ、大竜の頭部はアース族の姫君自身よりも巨大なため、その頭にしがみつくような形になっている。


「もう、どうしたの? 急にあまえて」


 はた目にはプロセルピナの方がじゃれついているようにも見えるのだが、彼女は子供の頃からそうやって、スフェルとちから比べをして遊んでいた。


「ピナ……。ピナが望むのなら、我はどこまでだって飛んでいける」


「うん?」


 首をひと振りしてプロセルピナをおのれの頭部に(すく)い上げたスフェルは、すこし悲しげに吠えた。


「我は戦いのことなど忘れて、ピナと一緒に大空を翔けたい」


「スフェル……」


 プロセルピナは竜鱗をひと撫でして、その頭上で立ち上がる。そして足許から生えた太い竜角に身を持たせ掛けた。


「……見て」


 角に絡めた腕を引いて、スフェルの頭部を戦場跡地へと向かせる。


「あたしたちは、みなの犠牲の上に立ってるの。竜の支配者(ベルサリカ)も、スフェルの仲間も、みんな神族に殺された。世界の管理者だなんて(おご)り高ぶったあいつらに」


 その声から深い哀悼(あいとう)と強い敵意を感じ取ったスフェルは、低く(うな)る。


「そんなことが許せる? 許せないよね、スフェル? あたしは許せない!」


「……すまぬが、我はあまりそういったことには興味がない。それよりもピナ――」


「あたしたち竜の支配者(ベルサリカ)にも、過去には男がいたの。その男たちがいなくなったのは、神族のせいらしい。大昔の話だし、それはべつにいいの。でも、あいつらの都合で好き勝手をされるのは、がまんならない」


「その気持ちは、すこし解る。我らもまた、そなたら竜の支配者(ベルサリカ)以外には(こうべ)を垂れぬ生き物ゆえ。――だが、勝てるはずもない戦いに赴くのは、命を捨てるに等しい」


「スフェル。人は誰も、生まれる時と場所を選ぶことは出来ない。だけど私たち竜の支配者(ベルサリカ)は、己の死ぬ時と場所は自分で選ぶ。そう子供の頃から教えられて育ったわ」


「……古くから竜の支配者(ベルサリカ)に伝わる故事か」


 長大な牙をのぞかせた(あぎと)から、ため息にも似た呼気が吐き出される。


「呆れたものだ。お前たちは、我ら竜種よりも誇り高い」


「そうよ、あたしたちは誇り高いの。でも死ぬつもりなんてないわ。あたしはレギウスを倒す」


「たった一人で勝てる道理もなかろう」


 プロセルピナは、スフェルの頭部を踏みつけて、かつんと音をならす。


「他の誰にも()って立たず。己のみを頼ってこそ、戦士というのはもっとも強いものなのよ」


「ふむ、そなたら竜の支配者(べルサリカ)らしい考え方だな」


 かるくスフェルがうなずいたため、頭上のプロセルピナは慌てて角にしがみついた。 


「真の勇者は一人立つとき最も強し、ということか……」


「なにそれ、かっこいいわね。こんど見栄を切るとき使ってみるわ」


 どこまでが本気ともつかないその言葉に、スフェルは喉をごろごろとさせて笑う。


「だが我らは二人だ。……いや、一人と一頭、というべきか」


 そこでプロセルピナは、ふふんと得意気に鼻を鳴らした。


「ばかね、あたしとスフェルは二人で一人じゃない」


「……」


 スフェルは内心で、みずからが(まと)った分厚い鱗に感謝した。その下の地肌が、カッと熱を帯びたのを感じたのだ。もしも彼女が人間であったなら、赤面したところをプロセルピナに見られてしまっただろう。


「どうしたの、しっぽばたばたさせて。……ん? なんかあしもとが(ぬく)い……」


「なんでもない。とは言え……やはり我は人間(べルサリカ)がうらやましい」


 その独り言めいた囁きを、プロセルピナが聞き咎める。


「え、なんで? あたしはスフェルがうらやましいけど」


「もし我が人であれば、ピナに撫でられたときに、肌の柔らかさを感じられるではないか。こう硬い鱗に覆われていたのでは、温もりすら(じか)には伝えることが出来ぬ。我は竜であることが、とても、(なげ)かわしい」


 しょげかえった太い唸り声を上げたスフェルの鱗を、プロセルピナはがつんと踏みつけた。もちろん、それでスフェルが痛みを毛ほども感じることはない。


「なにを言ってるの! せっかく竜に生まれたのに贅沢だわ!」


「……ピナ。なぜ怒られているのか、我にはよく解らない……」


「だって竜はこの世で一番美しい生き物じゃない。ほかの誰よりも強靭な体で、空だって飛べる。一番いいのに生まれたのに、違うのがよかっただなんて贅沢いがいのなにものよ! うらやましいったらありゃしない」


 本気で地団駄を踏み始めたプロセルピナを、スフェルは頭を揺すってなだめる。


「まったく、すこしは成長したのかとも思ったが……やはりピナはまだまだ子供だな」


「そんなことないわ! あたしはお母さまの形見の剣で、魔王を二人討ち取ったんだから。お母さまでさえ、刺し違えるのがやっとだった魔王を二人もよ!! いまならカーマインのねえさまにだって負けないはずよ」


「ふむ、それは認めるが……しかし我は忘れておらぬぞ。そなたが幼少のみぎり、我が背を寝床としたときに粗相したのをな」


「な――!?」


「我の鱗を小便で汚したのは、後にも先にもピナだけだ」


「しょ、しょうがないでしょ! 子供のころは誰だっておねしょをするものなのよ!!」


 スフェルの角に八つ当たり気味な蹴りをくれたプロセルピナは、ふと東の空を仰いだ。

 高く昇った日輪の直下に、無数のはためく白い翼が見えた。叢雲のごとくびっしりと空を埋める翼人たち。それを率いる軍神武神が大神殿を背に歩を進める。


「スフェル! むこうから来てくれたわ!」


「先の戦いで受けた傷は?」


「もうへいき」


 プロセルピナは力強く胸を打つ。竜の支配者(ベルサリカ)の強靭な肉体と高い再生力により、()った傷は完全に塞がっている。


「まずはあいつらを焼いて」


 群がる翼人を指差して、プロセルピナはスフェルの首を滑り降りた。そしてその背に(また)がり、竜鱗をひとつ叩く。


「翼人の数を減らしたら、スフェルの前面に障壁を張る。そしたら他は無視してレギウスだけを狙って」


 プロセルピナの腰から、三人の魔王の血を吸った魔剣が抜かれる。


「レギウスのところまで届けてくれれば、あとはあたしがやる」


「わかった。しかしあの数だと、障壁がもたんと思うぞ?」


「いけるとこまででいいわ。やって」


 スフェルは大きな咆哮でそれに応えた。開かれた(あぎと)の奥で白光が明滅する。


「――薙ぎ払えッ!!」



 吐き出された灼熱の火線が、天空を両断した。





「アース族の姫君よ。そなたはいま、なにを思う?」


 片膝をついて魔剣を地に突き立てたプロセルピナへ、レギウス神が問いかけた。彼女の眼前には武神ダレスが立ちはだかり、油断なく金属球を構えていた。

 すでに障壁を生み出す鎧は砕かれ、武神の神器により()き潰された左脚を再生する力もない。(かたわ)らには戦神バイラウェの槍により胴を貫かれたスフェルが臥せっていた。


「答える気はないか……」


 レギウス神は慈悲深い眼差しで、敗者を見下ろす。


「されど重ねて問おう。そなたらはなぜに、この地の安寧を(おびや)かし、我らに戦いを挑んだ。――耳を澄ませてみよ。地母神ダーナの嘆きが聞こえぬか?」


 肉塊となった脚では立ち上がることもままならず、プロセルピナは視線と言葉で敵意を伝えた。


「お前たち神族は、この世を滅ぼす者だ!」


「アース族の姫君よ。それは我が姉、ディースの()す所業だ。我、レギウスとその眷族は、あくまでこの地に住みし者をより()き方向へ導くことが使命である」


「その導いた方向に終焉の女神が待ってるんだ! あたしたち竜の支配者(ベルサリカ)はそのことを知っている。だからお前を討ち取り、天空の神々を倒して、ディース神族も滅ぼす。そうすれば、終焉はやって来ない」


 レギウス神は深く嘆息した。


「その(げん)は、一面、正しい。だがこれは摂理なのだ。この世はそう出来ている。(きた)るべき終末を遅らせるための管理者として、我は地に在るのだ」


「われら竜の支配者(ベルサリカ)は大空を自由に翔ける。決して何者にも従わない――カーマインの長からの伝言だ。それに、導かれたすえの滅びなんていらない。でも自分の好き勝手をした結果にそうなるなら納得できる」

 

「……うむ、そなたら竜の支配者(ベルサリカ)は確かに勇猛で強大だ。だが、この世のすべてを敵に回し、それでも勝利を得られると思ったか?」


「思った。私とスフェルが一緒なら、神にも勝てる」


 すこし驚いたように武神が身じろぎした。


「その気概は見事だ。刮目(かつもく)(あたい)する。されど結果はこの通り。――そして貴様には、多くの従属神が滅せられた」


 武神ダレスは、神器“雷鳴轟き丸”を振りかざす。

 プロセルピナは膝をついたまま、魔剣の切っ先を武神へ向けた。――そこへ、スフェルが頭部を旋回させて割り込む。


「スフェル!?」


 驚愕の声をあげ、上体をそらしたプロセルピナは魔剣を引く。あやうくスフェルの顎を魔剣が串刺しにするところだったのだ。


「ピナ、我を啜れ!」


「な、なにを――!?」


「我の魂魄を魔剣に吸わせれば、武神の一柱くらい道連れに出来る」


「っ――!」


「我の翼で黄泉路(よみじ)を共にゆこう。やれ! ピナ!!」


 比較的、鱗の薄い喉を晒して見せたスフェルに、プロセルピナは両腕を回す。


「ピナ!?」


 魔剣は音を立てて地に落ちていた。


「だめだよ、スフェルは行って」


「行く? なにを言っている。意味が……」


「まだ、飛べるでしょ、スフェルは。だから、行って」


「ピナ……?」


「スフェルにはすこしでも長く、生き延びて欲しい」


「に、逃げろというのか、この我に!?」


「うん」


 地を揺るがす大竜の咆哮が響いた。


「ピナ! ピナ!! なぜそんなことを言う!?」


「だって……」


「我とピナは二人で一人ではなかったのか!?」


「うん、でも……」


 プロセルピナはスフェルの竜鱗に頬を押し当てて囁く。


「あたしはスフェルが死ぬのを見たくないし、あたしが死ぬところをスフェルに見せたくない」


「ピナ……」


 悲しく吠えたスフェルの頭部を、プロセルピナが押し離す。


「あたしのスフェルはこの世で一番、美しい生きもの」


 かすかに開かれた口からのぞく巨大な牙に、最後の口づけが贈られた。


「だから、もう一度見せて。スフェルが自由に大空を舞う姿を。すこしでも長く、あたしに見せて」


 両翼を広げて慟哭(どうこく)したスフェルの首に、投げられた神鎖が絡んだ。


(のが)すと思うか? 多くの同胞(はらから)を屠ったはその竜も同じこと」


 武神ダレスが神器を手繰(たぐ)り、スフェルの首を締め上げる。


「やめよ!」


 硬質な澄んだ声が響く。レギウス神を守るように傍らに控えていた軍神クラウディウスが前に出る。


「血気に逸るのはいい。しかし、すでに戦意無き者へ得物を向けるがそなたの武か、ダレスよ?」


 軍神からは、その名にふさわしい矜持が感じられた。ダレスの手から力が抜かれ、神器の拘束が解かれる。


「ゆくがいい、主思いの大竜よ。さすがにアース族の姫君を見逃すことは出来ぬが……このくらいの恩情は構いますまい、レギウス様」


「……うむ。よかろう」


 法と裁きを司るレギウス神は、慈悲の神でもあった。その性質(さが)は本質的に、殺傷を嫌う。


「行って、スフェル」


 プロセルピナの声が()き立てる。


「あたしたちは、離れていても二人で一人だから!」


 クオオオォォォォォォ――――――――――――ン!!



 哀切(あいせつ)の咆哮と共に、その巨躯(きょく)が舞い上がった。





 天翔(あまか)けるこの世で最も美しい姿を見上げ、プロセルピナは憧憬の声を漏らす。


「やっぱり……あたしも竜にうまれたかったな……」


 そして魔剣を杖に、すっくと立ち上がった。武神に潰された左足から酷い痛みが走り、うめき声を噛み殺す。


「そろそろよいか、アース族の姫君」


 ダレスの手の中で、じゃらりと鎖が音を立てた。つぎにその神器が振るわれれば、プロセルピナの命運はそこで尽きるだろう。支えがなければ立っていることさえ困難なこの状況では、相討ちすら狙えない。


「最後に言い残すことがあれば聞こう」


「ない」


「そうか、ならば――」


「でも、貴様などに殺されてやるつもりもない」


「……なに?」


「死ぬ時と場所は自分で選ぶ。それがあたしたち竜の支配者(ベルサリカ)だ。お前にこの命はくれてやらない」


 プロセルピナは魔剣の刀身を鷲掴み、切っ先を己の喉元に()える。

 爛々(らんらん)と輝く瞳が武神を()めつけた。


「あたしの命は、あたしだけのものだ」


 魔剣が一気に突き込まれた。

 刀身を掴んだ手に力がこもり、刃に削られた指が数本、ぱらぱらと(こぼ)れ落ちる。

 それでもプロセルピナは、指を失った掌で魔剣を挟み、血を噴く喉首へ強引に刃を()じ込む。

 口からごぼごぼと血塊を吐きながら、武神へ凄まじい呪詛の笑みが向けられた。

 崩れそうになった体を無理に起こし、気力を絞って魔剣の柄を地面に挿す。

 遠のく意識のなかで目的を果たしたプロセルピナは、そこで力尽きた。

 自重により魔剣がより深く首を切り裂き、膝が地を打つ。その衝撃で、頭部が首から(ころ)げ落ちた。


「なんという死に様か……」


 みずから(おの)が首を斬り落とすという壮絶なその最期に、武神の口から驚愕とも感嘆ともつかない(うめ)きが漏れ聞こえた。



 頭上ではいつまでもいつまでも、主の死を悼む大竜が空を旋回していた。





 その日、雲ひとつない青空から、大粒の(しずく)が無数に大地へと降りそそいだ。

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