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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
188/251

誰彼刻 誰も彼もを血に染めて(後)



 アルフラの部屋に遅れて駆けつけたフレインが見たのは、カミルを抱きしめて小刻みに震えるジャンヌのうしろ姿だった。その悲壮な様子と場のいたたまれない空気から、ここでなにが起きたのかを正確に理解する。

 見習い術士の遺骸から目をそらしたフレインは、ふと気づいた。


「カダフィー? その怪我はいったい……」


 顔や首筋に赤く火脹れを起こした女吸血鬼が、神官娘の背中に目をやる。


「ジャンヌにやられたんだよ」


「え……ジャンヌさんに?」


「ああ、その娘がカミルに快癒を使ったんだ。ものの見事にね。――奇跡かと思ったよ」


「ジャンヌさんが、快癒を成功させたのですか?」


 信じられない、といった顔をするフレインへ、カダフィーは外套に隠された右手をちらりとだけ晒して見せた。


「おかげでこの(ざま)さ。危なく(はら)われちまうところだったよ」


「これは……ひどく焼け爛れていますね。大丈夫なのですか?」


「……しばらく無理そうだ。顔なんかの傷は一日もあれば消えそうだけどね」


 以前、刀子で刺された腕を瞬時に再生して見せたカダフィーからすれば、治癒に一日かかるということはそこそこの傷なのだろう。そう考えると、右手のほうはかなりの重傷だ。

 さりげなく身構えたシグナムが、意味ありげに視線を合わせてくる。フレインはそれに軽く首を振って応えた。

 おそらく彼女は、このままカダフィーを連れてギルド内を捜索すれば、アルフラの命取りになりかねないと考えたのだ。いまのアルフラに話しが通じるとは思えず、争いとなればカダフィーも手加減はしないはずだ。それだけの被害をギルドは(こうむ)っている。シグナムはカダフィーの怪我を深傷(ふかで)だと判断し、禍根(かこん)を取り除く好機だと感じたのだ。

 しかし、場所がまずい。ここで戦いとなればすぐにギルドの者たちが集まってくる。シグナムもそれを考慮して、意思疎通の意味合いで目配せをしたのだろう。


「……しかし、アルフラさんはどこに行ったのでしょうか」


 フレインはぐるりと室内を見回す。

 辺にはカミルの血が点々と飛び散り、寝台横の壁にはべっとりと血糊(ちのり)が張り付いていた。その真下(ました)の床には血染めの敷布がくしゃくしゃに丸められた状態で投げ出されている。


「この敷布で、壁の血痕を拭き取ろうとしたのか……」


 だが、殺害の痕跡を(ぬぐ)うために使った敷布自体が、元から大量の血を吸っていたようだ。逆に壁は真っ赤な染料で雑巾掛けしたように、血の汚れを広げる結果となっている。壁には何度も擦ったような跡が見られた。

 カミルの死体を(かたわ)らに、血塗れの敷布で、一心不乱に壁を血みどろに拭き清めるアルフラの姿を想像して、フレインは頭を抱えた。


 常軌を(いっ)している。

 カミルのような身近な者を手にかければ、すぐに足がつくのは誰にでも分かることだろう。しかしそういったことを、今のアルフラはまるで考えていない。

 その上、カミルを殺したのは血を()るための行いであるはずなのに、やり方がおそろしくずさんだ。多くの血を無駄にしてしまっている。

 そもそもフレインの来訪を知りながら、自室で事に及ぶ思考が理解できない。

 すでにまともな判断力を失っているのだろう。アルフラの行動はいろいろと破綻していた。


「――結局、証拠の隠滅をあきらめて、死体を放置したまま逃げ出し……いや、違うな。アルフラちゃんは逃げたりしない」


「ええ、おそらくは新たな血を求めて……」


「とっとと嬢ちゃんを捜そう。でないと際限なく死体が増えてくよ」


 カダフィーが右手を抱くようにしながら部屋から出る。


「……ジャンヌ。お前はカミルの遺体についていてやれ」


 シグナムの言葉に、ジャンヌは毅然と立ち上がった。


「いいえ。わたしも行きます」


 神官服の右の袖から、じゃらりと金属音が鳴った。袖口から垂れた鉄鎖の先端が、強く握り込まれる。


「このままアルフラを捨て置くことは出来ません。神の……裁きにかけます」


 カミルを寝台に横たえて、一度だけ、ジャンヌはその頬を(いと)おしげに撫でた。そしてシグナムを追って通路へと出る。

 先頭を切って迷いなく階段を降りていくカダフィーにフレインが尋ねた。


「アルフラさんの居場所がわかるのですか?」


「血の香りをたどればいいんだよ。一番臭いのきついところがあの娘の居場所だ」


「なるほど……」


 誰もが納得のいく見解を語ったカダフィーに皆がつづく。

 そうして行き着いたのは、厨房だった。

 なぜこんなところに、とフレインは思ったが、事実彼にも感じられるほど血の臭いが強い。のみならず――


「うぅ……」


 ジャンヌの後ろをついてきていたルゥが、口許を両手で覆った。

 厨房の入り口付近にぶちまけられた鍋から、よく煮込まれたスープの(かぐわ)しい匂いが漂っていた。

 普段であれは食欲を刺激されるよい匂いと感じるところだが、現状それは吐き気を促進させる香辛料(スパイス)にしかならない。


 そして厨房の奥では、人体のスープがほかほかと湯気をあげていた。


 赤黒い体液に浸った無数の肉塊は、まるで豪華で具沢山な煮込み料理のよう。

 食欲をそそる料理の匂いと吐き気をもよおす血の臭いとがない交ぜとなり、厨房内は生理的に堪えがたい惨状となっていた。


「くそ……食い物のにおいと血臭は相性が最悪だな……」


 毒づきながらも、シグナムは血の海に(ひた)った死体の数を確認する。

 料理や配膳にたずさわる職員が五人。手足を切断されている者もいたので、シグナムは頭の数で目算した。


「アルフラちゃんらしくない殺し方だな……」


「手当たり次第に切りつけたような感じですね」


 布で鼻と口を覆ったフレインが遺体を検分する。


「血を啜るため殺したようにも見えませんが……」


 なにか目的があったのか、それともただの通りすがりか。アルフラであれば後者の可能性もあるのが恐ろしい。


「もしかして、ルゥを捜しに来たんじゃないか?」


 狼少女の肩がびくりと震えた。それはとてもありそうな話だ。

 カミルの血では満足できなかったアルフラが、さきほど取り逃がしたルゥを捜しているとすれば、厨房の惨状もうなずける。ここはいかにもルゥが寄りつきそうな場所だ。ならば犠牲者たちはたまたま目についたから殺された――あるいはルゥの行方を知るために、すこし乱暴な尋問(じんもん)を行ったというところだろう。

 厨房の入り口付近から遠巻きにしていたルゥが、はっと目を見開いて血溜(ちだ)まりに駆け寄った。


「お、おばちゃん!? おばちゃん!!」


 中年女性の遺骸を前に、ルゥはぺたりと床に座りこむ。なかば首を切断された彼女は、うつ伏せに倒れ、おのれの肩甲骨のあたりを枕に虚ろな目をしていた。


「ルゥ、あっちに行ってろ」


 気遣いの言葉をかける余裕もなく、シグナムは厨房の入り口を指さす。するとそちらの方から複数の足音が聞こえてきた。


「あっ、カダフィー様! 大変です!!」


 現れた四人の術士が勢い込んで口を開いた。しかし厨房の惨状に気づいてぎょっと目を剥く。


「……こ、これは」


「報告が先だ。なにがあった?」


「は、はい。それが……地下への階段を警備していた者達が、何者かに殺されました。サリム様の命により、犯人が潜伏したと思われる地下を捜索したところ、これまでに失踪した者らの遺骸が多数見つかり――」


「正確な数は?」


「あ、申し訳ございません。私は二十人ほどだとしか聞かされておらず……」


「――二十!? 私に届いた書状にあったよりも大分数が多いじゃないか!」


「はっ、我々が把握していた失踪者数よりも、実際の犠牲者はかなり多かったようです。そのうえ死体の中にはアイシャ様のご遺体も確認され――」


「なんだって!?」


「そんな……」


 目眩(めまい)でも起こしたかのようにフレインがよろける。

 カダフィーは、がちりと音がするほどに歯を噛み鳴らした。


「あの小娘ぇ――!!」


 報告の途中であった術士が、牙を剥いたカダフィーから後ずさる。


「地下だね!?」


「え……あ、はい。犯人は血溜まりを踏んだらしく、地下へつづく足跡が残されていました」


 外套をひるがえしたカダフィーとシグナムが同時に駆けだす。そしていくらも行かない内に、通路の一室から出て来た二人の戦士と鉢合わせた。


「どうした血相変えて。また死体が見つかったのか」


 頬に向かい傷のある長身の男、バイケンだった。

 見知った顔と出会い、シグナムが口早に問う。


「また? もう死体がありすぎて、どれのこと言ってるのか分からねえよ。そっちでも誰か死んでたのか?」


「奥の間に死体が二つあった」


 バイケンはいま出てきた扉を指さし、(ふところ)から一枚の紙片を取り出した。


「死体の所持品だ。起きたら修練場に来い、と書いてある。――意味ありげだろ? たぶん殺された奴は犯人から呼び出されて――」


「いや、それは関係ない」


 シグナムは紙片をバイケンの手から奪い、丸めて捨てる。


「あ、なんてことする! 大切な証拠の品を」


 慌てるバイケンへ女吸血鬼が強い語調で言う。


「いま人を殺して回ってるのはあの嬢ちゃんなんだよ!」


「嬢ちゃん?」


「アルフラちゃんだ」


「え、うそだろ。なんで――」


「説明してる時間はない」


 短く切り捨て、カダフィーは矢継ぎ(ばや)に指示する。


「あんたは戦士達を集めて三隊に分けな。ギルドの正門と地下への階段、それから裏の物置小屋を固めるんだ」


「物置小屋?」


「嬢ちゃんは地下にいる。物置小屋には抜け道があるんだ。そこから外に出ようと考えてるのかもしれない」


「わかった。あんたらはどうする?」


「もちろん嬢ちゃんを追うさ」


「そうか。――もしそっちで人手が必要なら、その辺りを巡回している戦士を連れてってくれ」


「ああ、そうさせて貰うよ。嬢ちゃんを見つけたら、なるべく生かしたまま私の前に連れてきな。捕縛が無理そうなら最悪殺してもいい」


 バイケンはシグナムに視線をやり、軽くうなずく。



「急ぎな。絶対に逃がすんじゃないよ」





 地下への階段へ近づくにつれ、気温の低下が肌に感じられた。血臭もまた濃くなってきている。

 殺害された守衛の遺体が、通路の端に退()けられていた。内一人は、ルゥが地下へ行くたびに、よくお菓子などをくれた男だった。

 階段の周りには人が(たむろ)っており、カダフィーはその者たちに視線を走らす。


「サリムは?」


 集まった十名近い術者の中に、警備の統括者であるサリムの姿はなかった。


「サリム様は警護の者を連れて、地下で発見された遺体の確認に向かわれました」


 カダフィーが軽く舌を打ち鳴らした。


「急がないとサリムが危ない。地下へ降りるから何人かついてきな」


 三名の術師がうなずき、一行の後につづく。

 階段には血の足跡が残されていたが、それは徐々に薄れ、地下へ降りきる前に途絶えていた。

 口を開く者もおらず、うすら寒い地下通路を無言で歩いて行く。

 先頭を歩くカダフィーとシグナムが足を止めた。前方には右へと折れる通路が繋がっていて、そちらへ曲がると地下二層へとつづく階段がある。真っ直ぐに進めば物置小屋に通じる小部屋に行ける。

 通路の先をうかがい見たカダフィーが、不意に表情を緊張させた。角部屋にあたる一室の扉が、内側に開かれていたのだ。

 足音を消して、カダフィーは血臭の立ち込める室内に踏み入る。臭いの源を確かめるまでもなく、足許に三つの死体が転がっていた。


「……遅かったか」


 サリムと警護の者たちだ。争った痕跡はあまり見られず、たいした抵抗も出来ぬまま殺されたのだろう。いずれも深い刺創(しそう)や裂傷が複数あり、とくにサリムの死体は損傷がひどい。腹が開かれて胸骨や(あばら)が露出している。

 部屋の奥にはもう一人、黒いローブの女が壁際にうずくまっていた。頭を抱え込んだ姿勢で、その術師はがたがたと震えていた。


「おい」


 声をかけても反応がなく、カダフィーは術師の長い髪を掴んで顔を上げさせる。恐怖にゆがんだ表情のなかで、血走った眼球が小刻みに揺れていた。すこし錯乱気味なようだ。


「嬢ちゃんは部屋を出てどっちに行った?」


「あ……ひあ? み、見てない……わ、私はなにも見ていません」


「そんなはずないだろッ! 喋ったら殺すと口止めでもされたのかい? まさかずっと頭抱えて震えてたわけじゃないよね」


「ほ、本当です。私、なにも見てない。――通路を歩いていたら、後ろにいたサリム様がいきなり暗がりに引き()りこまれて……耳まで口の裂けた化け物が血塗れで……」


 女は顔を覆って激しく震えだした。

 口を挟まず見守っていたシグナムは、血とは別の異臭を感じて眉をひそめる。

 よほど恐ろしかったのか、女はじょろじょろと失禁しながら甲高い声でつづけた。


「し、湿った嫌な音が何度もして、ずっと、目をつむっていました。ひ、悲鳴が、いっぱい聞こえて……」


 おそらく嘘はついていないのだろう。次々と仲間が殺されていく光景など、普通の人間であれば直視できるはずもない。じきに自分の番が回ってくるとあればなおさらだ。彼女はただ、静かにしていたからアルフラの気を惹かなかっただけなのだ。


「アルフラちゃんなら、口止めを考える前に、まずは口を封じるだろ」


 とても説得力のあるシグナムの言葉に、カダフィーは女の髪から手を離す。

 アイシャが死んだと聞かされてから口数の減っていたフレインが、サリムの遺骸に視線を落としていた。


「胸骨を砕かれていますね。臓腑(ぞうふ)の一部が持ち去られているようです」


 サリムの死体は胸部から腹にかけてを深々と斬り裂かれており、その傷を掻き分けたかのように肉がめくれあがっていた。そして心臓や肝臓といった多くの血液を含む臓器が、あるべき場所に存在していない。


「アルフラちゃんがおやつ代わりに持ってったんだろうな」


 これには誰もが声もなく、シグナムの顔を凝視した。彼女はたまに、こういった緊迫した状況で、ありえない軽口を飛ばすことがある。おそらく、すこしでも場の空気をなごませよういう意図なのだろうが、その奇抜な冗談(ユーモア)(かい)し得なかった術師たちからは批難の目が向けられていた。


 シグナムは内心で、どうしようもなく途方に暮れていたのだ。


 ここまで死者が増えてしまっては、もはやアルフラを(かば)いきることは難しい。予定を早めて今日中にギルドから逃れる算段を立てようにも、アルフラの行動が読めなすぎる。それに、面識のない者がいくら死のうとそれほど心も痛まないが、アルフラがカミルを殺したことには怒りも感じていた。くわえてルゥの件もある。

 アルフラを助けたいという思いは強いが、それだけでは(ぬぐ)いきれない(いきどお)りが心を乱す。背信する感情を持て余して、その思考はいささか投げやりな結論に行き着いていた。



 もう、なるようにしかならない。すべてはアルフラ次第だ。





 カダフィーは連れてきた術師たちの内二人に、生き残った女を一階まで送るように命じた。


「上の奴らに、決して地下へは降りないように伝えるんだ」


 去って行く術師たちの背を見送り、目線を床へ落とす。


「嬢ちゃんはたぶん下だ。私の留守中に寝床を守らせていた下僕(しもべ)の気配がなくなってる」


「じゃあアルフラちゃんは……」


 常時、皮肉げな笑みを刻む女吸血鬼の口許から、その笑みが消えていた。


「私を吸うつもりだったんだろうね」


 カダフィーがルゥの頭に手をのせる。


「あんたも上に戻ったほうがいい」


 ルゥはジャンヌの顔をうかがい、ついでシグナムを見て、もう一度ジャンヌに視線を戻す。そして頭をふるふるさせた。


「ううん……ボクも、いく」


「……そうかい。それじゃ――」


 カダフィーがシグナムの肩をひとつ叩いた。


「あんたが先頭を歩きな。私は最後尾につく」


 これにはシグナムがすこし嫌そうな顔をする。隙を見てカダフィーを始末しようという思惑が外されたのだ。


「あたしが前かよ」


「もし嬢ちゃんとばったり出くわしても、あんたならいきなり斬りかかられることもないだろ?」


「……どうだかな。それより殿(しんがり)が一番危ないんじゃないか?」


「だから私が後ろを歩くのさ」


 通路を進み、階段を降りた一行は、さらに地下三層へと向かう。

 細心の注意を払い、警戒しながらゆっくりと歩いていくが、アルフラと行き合うことはなかった。

 カダフィーの寝所には、血を啜られた彼女の下僕が二人、倒れていた。


「もしかしてアルフラさんは、最下層へ向かったのではないでしょうか。あそこには……」


 カンタレラの材料となっていた魔族や古代人種の末裔が(とら)われている。


「けど嬢ちゃんはそんなこと知らないはずだろ」


 (いぶか)しげに言ったカダフィーであったが、すぐに硬い声音でつぶやいた。


「いや、魔族に関してはみょうに鼻が利くからね、あの娘は……」


 そしてあからさまに顔を強張らせる。


「ちょっと面倒な事になるかもしれない」


「どうしました?」


 フレインの問いには答えず、カダフィーは一人走り出した。


「あ、おい! あたしが先頭じゃないのかよ!?」


 先行する女吸血鬼を追って全員が駆ける。

 さらに二階層ほど階段を降りると、周囲の石壁が剥き出しの岩肌へと変化した。

 通路というよりは洞窟と呼んだほうが適切な狭い地下道を抜けると、眼下には巨大な縦穴が口を開いていた。底は暗く、視認できぬほどにその縦穴は深い。壁面には岩を削って(しつら)えた螺旋階段がつづいている。



 足を踏み外せばまず助からないであろう石段を、カダフィーは数段飛ばしで駆け降りてゆく。





 シグナムたちが最下層に辿り着くと、目の前には開け放たれた扉があり、その周りだけは切り出した石材が埋め込まれていた。なかは石造りの小部屋となっており、正面にはさらに扉が一枚ある。その前に女吸血鬼が立っていた。

 同行していた術師が、備え付けられた卓の上から鍵束を手に取る。


「予備の鍵がなくなってる。――中にいるよ」


 険しい表情のカダフィーを気にしつつ、術師は鍵を扉に差し込んだ。


「あ、開いています」


 術師は扉を押し開けて、脇に退()く。


「……まずいね」


「ああ……甲冑を着込んでくりゃよかったと後悔してる」


 シグナムの吐く息が、白く(けぶ)っていた。

 扉の先は通路になっており、そこから流れ込んで来る冷気で室温が急激に下がり始める。


「アルフラちゃん……いつの間に……」


「まさか、これほど力を取り戻していたとは……」


 フレインの呆然とした声を聞きながら、シグナムは通路に踏み込む。それほど奥行きはなく、両側に二枚づつ、計四つの扉があった。右奥以外の扉は開かれたままになっている。奥へ進みながら部屋の中をのぞくと、鎖に繋がれたまま事切れているらしい人影がいくつか確認できた。

 左奥の部屋は、子爵位の魔族、星蘭(せいらん)が幽閉されていた石牢だ。

 ただひとつ閉ざされた右の扉にすべての視線が集まる。フレインがカダフィーに尋ねた。


「あの部屋はたしか、使われていなかったと記憶していますが?」


「表向きはそういうことになってるね」


「表向き? なら実際はどうなのですか?」


「……フレイン坊やは、ギルドが魔族を不死者にする研究をしていたのを知ってるかい?」


「ええ。あまり成果が出ず、だいぶ前に研究自体が破棄されたという噂を聞いたことがあります」


 カダフィー自身も、魔族を吸血鬼化させることは非常に困難だ、と以前に語っていた。


「それがね、実際はその研究、続けてたんだよ」


「……ということは、この部屋でそれを?」


「まあね……ギルドの最重要機密ってやつさ。ディース神殿での戦いが終わったあと、あの近辺を戒閃て魔族の配下がうろちょろしてたろ?」


「はい、彼女は捜索していたのですよね。上官である……」


 そこで言葉を詰まらせ、フレインは顔を引き攣らせる。彼の耳は、おのれの血の気が引く音を、はっきりと聞いた。

 話の流れを理解した者たちも、みな一様に蒼白な表情で扉から身を引く。



「そう。この中には、凱延の死体が保管されてるんだ」

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