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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
185/251

死の如く平等に



 夕刻となり、心地よい肌寒さを感じ始める頃合い。ひんやりとした空気の満ちたアルフラの部屋に、フレインが訪れた。


「二階の客間へご案内しますので、こちらを羽織ってください」


 そう言って、魔術師が着用する黒いローブが差し出される。

 アルフラはゆったりとしたそれを頭から被り、袖を通そうとするが、左腕しか使えないためなかなか上手くゆかない。


「……着るの、てつだって」


「あ、すみません。それでは、失礼します」


 フレインは、アルフラが体に触れられることを嫌がるだろうと思い、あえて手伝うことを申し出なかったのだが……どうやら彼女はいつになく機嫌が良いらしい。フレインになされるままローブの袖に腕を通す。


「はやく、つれてって」


「わかりました。ただ、フードをおろしてギルドの者には顔を見られないよう気をつけてくださいね」


「うん」


 上下する亜麻色の髪を見ながら、フレインは少々狼狽してしまう。ただ機嫌がよいだけでなく、アルフラから向けらる視線が妙に好意的なように感じられたのだ。やや困惑しながらも、フレインはアルフラを二階の客室へいざなう。


 暗い地下室から、(ぼっ)しかけの西陽がうすく差し込む部屋に移動すると、アルフラは開かれた鎧戸から顔を出してきょろきょろと外を見回した。そして満足したようにひとつうなずく。


「いい部屋ね。階段からもちかいし」


「そうですか。気に入っていただけたようで安心しました」


 出入口の制限された地下よりも、よほど狩りがしやすそうだとアルフラは思ったのだ。


「階段を挟んだ隣室はジャンヌさんの部屋で、その隣にはシグナムさんもいます。なにかあれば一声かけてください」


「わかった」


 死体を隠すのは手間だろうが、そう遠からず事は明るみとなるだろう。ならば後始末に頭を悩ませるのも無駄というものだ。

 そんなことを考えるアルフラへ、すこし遠慮がちなフレインの声がかかる。


「あの、アルフラさん……」


「なあに?」


「人目の多い昼間はあまり出歩かないほうがよいのですけど、その……明日の夜に、すこし散歩でもしてみませんか? 今後の事で、いくつかお話ししておかなければならないこともありますし」


「おさんぽ?」


「ええ、明日にはカダフィーも帰還するそうなので、一連の失踪騒ぎもやや落ち着くでしょう。アルフラさんは知らないかもしれませんが、ギルドのすぐ北には小高い丘があって、晴れた夜にはとても綺麗に星が見えるのですよ」


 アルフラはその丘を知っていた。二人の魔族を食し、高城との再会を果たした場所だ。


「……あたしとフレインの、ふたりでゆくの?」


「あ、いえ、シグナムさんやルゥさんも誘ってみましょう。丘とは言ってもすこしなだらかな斜面といった感じなのですが、たまには外を歩いてみるのもよい気晴らしになるでしょう」


「ううん、いいよ、ふたりで」


「え……それは……?」


「シグナムさんたちは、呼ばなくていい」


 うれしそうに口許をほころばせるアルフラを、思わずフレインは凝視してしまう。もしかして地下から部屋を移れたので、これほど上機嫌なのだろうかと筋違いな予想を彼はしていた。にっこりとほほえむアルフラを見て、これまで彼女のために骨を折ってきたことが、むくわれた思いだった。その表情ひとつで一喜一憂してしまう自分に、内心で苦笑してしまう。

 だが、包帯の隙間からのぞいたその笑みは、とても(よこしま)なものだった。

 アルフラは、今朝方(すす)ったアイシャの血で、味をしめたのだ。

 さきほどフレインが好意的と感じたアルフラの視線も、実際は魔導士の血が一般的な魔族に近いほどの力があると知り、彼を見る目が変わったためである。それをフレインは、アルフラへ想いを寄せるゆえに、向けられた熱い眼差しを好意的、と勘違いしてしまっていた。


「あの、ですが……あまり人気のないところに二人でというのは……アルフラさんも嫌なのではないかと思いますし……」


 どきまぎと顔を赤らめるフレインに、アルフラは笑みを深める。


「べつに、いいよ」


 暗く、人気がないからこそ、むしろ好ましい。

 アルフラはフレインの手を取り、ぎゅっと握りしめる。

 ひどく動揺した様子を見せたフレインではあったが、驚きのあまり逆に身動きができないでいた。色白な彼の手首には青い静脈が透けており、アルフラはびくびくと脈打つそれに、うっとりと見入る。

 かつてフレインは、アルフラのためならば命を投げうつ覚悟があると言っていた。

 その言葉通りの献身を、彼に期待しているのだ。

 あれほど熱烈に思いの丈を打ち明けたフレインならば、きっと喜んでその血の全てを捧げてくれるだろう。


 それは実にアルフラらしい考え方と言えた。


 アルフラはもしも同じことを望まれば、血であろうが命だろうが、悦びの内にあらゆるものを差し出せるほど白蓮を盲愛していた。

 多くの者に無惨な末路を強要してきたことと同じように、白蓮のためならば、みずからの命であれ平然と犠牲にできるほどその想いは深い。

 価値あるものは、白蓮だけなのだ。

 これまで幾度となく悪辣な行いを重ねては来たが、おのれの身すら(いと)わないという意味において、アルフラはあまねく平等な死のように公正だった。


「あしたの夜、たのしみにしてる」


「あ、はい……」


 アルフラが握った手を離すと、フレインは慌てたように居ずまいを正した。そしてはにかんだ笑みを浮かべて一礼する。


「では明日、また同じころお迎えにあがります」


 突然に降って湧いたかのような幸運が信じられないといった顔で、フレインは部屋を出た。そして通路を歩きながら、さすがに警護もつけずに二人で外出するのは危険だと思い直す。現状、職員の失踪は敷地内に限られているが、外であれば安全と考えるのも早計だろう。アルフラと二人きりでの散策という状況に、(がら)にもなく舞い上がっていたおのれを戒める。やはりシグナムの同行は必要だ。

 心浮き立つフレインではあったが、我に返るのも早かった。すぐにその足も重くなる。この後アイシャとの食事の席で、彼女の想いにはどうしても応えられないと告げねばならないことを思い出したのだ。アルフラとの逢瀬に心を踊らせていた直後なので、自分がひどく不実な男のように思えてしまう。

 アイシャの部屋まで歩き、その前に立ったフレインは、扉がかすかに開かれていることに気づいた。出入りの(さい)に閉め忘れてしまったのだろう。あわて者のアイシャらしくはあるが、不意に強烈な違和感を覚える。

 扉の隙間から見える室内は暗く、人の気配といったものが感じられなかったのだ。

 食事の約束をした以上、この時間にアイシャが部屋を空けるはずもなく――フレインは瞬時に一連の失踪事件との関連を考えた。


「アイシャ!?」


 室内に踏み入ってカンテラで周囲を照らす。

 人影は見当たらず、しんと(とどこお)った空気がまとわりつくように重い。


「いないのですか、アイシャ!?」


 寝室の扉を開くがそこにも人の気配はなく、寝台の上には寝乱れた敷布だけが残されていた。

 いよいよアイシャの身になにか不測の事態が降りかかったのではないかと確信を深めたフレインは、ほそくつぶやく。


「そんな……」


 ありえない、といった思いがあった。

 つい昨日、一緒に食事をしようと楽しげに笑っていたアイシャの顔が脳裏に浮かぶ。彼女の無邪気な笑顔と、失踪というどこか後ろ暗い言葉の響きが結びつかない。

 あらためて室内を確認するが、なにか用事でもできて、すこし出掛けているといった状態ではない。すくなくとも数時(すうとき)ほどは、部屋を空けているように感じられた。

 どうするべきか忙しく頭を巡らせたフレインは、部屋から駆け出る。警備の者たちにこのことを伝え、アイシャを捜索させようと考えたのだ。しかしすぐにその足も止まる。

 これまでギルド内では多くの行方不明者が出ているにも関わらず、いまだ一人たりともその所在は判明していない。――警備の者を頼ったところで無意味であることに気づいたのだ。

 しばし茫然と立ち尽くし、フレインはサダムの力を借りることを思いついた。遠見の術を得意とする彼ならばアイシャの居場所も分かるかもしれない。

 サダムもこのところは多忙なので外出している可能性もあったが、運よく彼は自室にいた。

 息を切らせて扉を開いたフレインへ、すこし驚いた顔が向けられる。


「どうした、騒々しい。なにをそんなに――」


「アイシャを! 遠見でアイシャの行方を調べてください!」


「待て、まずは私にも分かるように説明してくれ。いったいなにがあったのだ?」


 うながされるまま、フレインは事情を説明する。


「……なるほど。しかしアイシャの姿が見えなくなって、まだそれほど時も経っていないのであろう? しばらく待てば部屋に戻るのではないか?」


「ですから、状況的に考えてこの時間にアイシャが部屋を空けるはずがないのです。杞憂ならそれで構いません。しかし事は一刻を争うかもしれない。お願いですから手を貸してください」


 口速にまくし立てるフレインとは対照的に、サダムはどこまでも落ち着いた仕草でうなずいて見せた。


「まあ、よかろう。隠形の護符もちょうど出来上がったところではあるし、やってみよう。――しかし、お前がそれほど取り乱すのも珍しいな」


 その言葉で、フレインはにわかに己をかえりみて、恥じ入るように頭を下げた。


「も、申し訳ありません。すこし慌てていたようです」


「別段(かま)わんが……アイシャとそなたは王宮で席を同じくする程度の関係で、そこまで親しい間柄でもないのだろう?」


「それは、最近になって少々……」


 サダムは言葉尻を濁すフレインを横目に、懐からよく磨きこまれた水晶球を取り出す。


「いや、とくに詮索するつもりはない。言いにくければ話す必要もないことだ。――ただ、私はアイシャとはそれほど深い面識もなく、彼女に遠見を使ったこともない。探すにしても、いくばくかの時が必要となる。それにギルド内に施された遠見避けの結界もまだ生きているからな。すぐには無理だ」


「……そうですか」


 暗い表情で下を向いたフレインへ、サダムは苦笑を浮かべる。


「そう気を落とすな。月並みな言葉ではあるが、まだアイシャの身になにかあったと決まったわけでもあるまい。彼女の部屋へ行って、帰りを待ってみてはどうだ。そのうち何事もなかったように戻ってくるかもしれぬぞ」


「だとよいのですが……」


 うなだれたフレインは、よくない想像を打ち消すかのように頭を一振りした。


「そうですね。私の予感はあまり当たったためしもありませんし、もう一度アイシャの部屋に行ってみます」


「それがよかろう。私もなにか分かればすぐ伝えに行く」


「よろしくお願いします」


 フレインが深々と頭を下げて部屋を出たあとも、サダムはしばし扉を見つめていた。そしてもの思わしげに息をつき、手元の水晶球をのぞきこむ。彼はここ数日、隠形の護符を作るため、部屋にこもっていた。その(かん)もたびたび失踪者の捜索を依頼されてはいたのだが、それらはすべて断っている。ギルドから逃れた後のことを考えれば隠形の護符は必要不可欠であり、入念に手間暇かけてその制作にあたっていたのだ。

 彼自身は一連の失踪事件を、高城の手によるものではないかと予想していた。気配を絶つ(すべ)()けたあの恐るき魔族であれば、どれほど厳重な警備を敷いところで、ざるもいいところである。その目的は不明だが、彼ならば人知れずギルドに忍び込み、幾人もの職員を(かどわ)かすくらいのことは雑作(ぞうさ)もなくやってのけるだろう。逆に言えばいかな魔族といえど、これほどの仕事をこなせる者がそう何人もいるとは考えにくい。ギルドは外部からの侵入を(はば)むために魔術的な手段も講じているのだから。


「……む?」


 そこまで考えて、サダムは自分の考えに穴があることに気がついた。

 これは警備の者たちにも言えることではあるが、外に対する警戒に気を回しすぎるあまり、内部犯の可能性を考慮していなかったのだ。

 失踪者が出始めた初期の頃にギルド内もくまなく捜索されてはいるが、一ヶ所だけ除外された場所がある。


「地下か……」


 地下には導師であるカダフィーのねぐらもあり、一般の職員は立ち入りを制限されている。そのため捜索の手も及んでいない。

 そしていま一人、ここ最近地下に住み着いている者がいる。


 ――アルフラだ。


 サダムは眉間に深い皺を刻み、手もとの水晶球に目を向けた。

 まさか、という思いも強いが、度重(たびかさ)なる失踪事件とアルフラを結び付けると――おそろしいほどにしっくりと考えがまとまる。

 もしや自分は大変なことに気づいてしまったのではないだろうか。サダムは慄然とした思いで遠見の呪文を詠じる。

 手の中の水晶球に、暗雲がかかったかのような黒い(もや)が生じた。それは蠢き、不定形の闇がゆっくりと意味ある形を成し始める。

 これまで幾度となくのぞき見た少女の姿が水晶球に映し出された。しかしそれもつかの()。まるで湖面に波紋が広がるかのように映像はぶれ、まったく違った光景が浮かび上がる。


「な、なんだ……これは……」


 それはどこかの暗い石室だった。

 部屋の隅には(うずたか)く積み上げられた人体の山。

 山腹からは青白い手足がだらりと無数に垂れ下がり、その顔はどれもが苦悶に目を剥いている。

 一見して、そこに生者は一人もおらぬのだと理解できた。

 これまでギルドの汚れ仕事を一手に請け負ってきたサダムをして、酸鼻(さんび)を極めたと表現しうる情景であった。

 そしてその山頂部に積まれた者の顔を見て、思わず水晶球を取り落としそうになる。

 あまり自分の予感は当たったためしがないと言っていたフレインの危惧は、より悪い方向に的中していたのだとサダムは知る。


「おお……なんと、いうことだ……」


 術者の動揺を映し出すかのように、水晶球の映像が歪む。そしてまた、先程の少女の姿が浮かび上がった。

 完全におのれの制御を離れて像が結ばれてゆくことに、サダムは(はなは)だ困惑していた。導士である彼にとっても、これは未知の現象であった。

 長年使い込んだ魔導具が、主であるサダムに何事かを伝えようとしているのではないかと、じっと水晶球に見入る。

 映し出された少女は、ひたり、ひたりと通路を歩いていた。

 辺りは暗く、黒いローブを着衣しているため、細部はあまり判然としない。しかしその手に短刀らしき物が握られていることは見分けられた。


「……やはり、この娘が……」


 サダムは小刻みに震える手で水晶球を撫でながら、あらたな犠牲者を求めてさまよう少女に注視する。おそらくこの先には、目を覆いたくなるような凶行が映し出されるのだろう。それでも少女の動向を、最後まで見届けねばなるまいと心に決める。

 やがて、幽鬼のように不吉なその姿が立ち止まった。そして有り得ないことが起こった。


「な………ッ……!?」


 少女が振り返り、水晶球の中からサダムの方を見上げたのだ。

 首をもたげたことにより、顔を隠すフードがはらりと滑り落ちる。

 たとえどれほど勘のよい者であっても、どこを焦点として遠見の術をかけられているかは認識しようがないはずなのだが……しかし水晶球越しに、サダムと少女の視線が交わる。ひび割れたその唇が、にたりと笑みの形に歪んだ。


「ばかな……」


 そしてさらに、サダムはおそろしいことに気づいてしまう。

 凶刃を手にした悪鬼は、ひどく見知った扉の前に立っているのだ。


「……あ……あぁ……」


 恐怖にひき攣った喉から、嗚咽(おえつ)のような声が漏れ出た。

 水晶球の中で、包帯に覆われた手が扉を押す。



 ――同時に、サダムの目の前で、自室の扉が軋みを上げて開かれた。

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