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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
183/251

恋散るアイシャ(前)



 東の空が白み始める未明の時刻。ギルド本部では幾人もの職員が(せわ)しなく暗い通路を行きかっていた。

 扉の叩かれる音で目を覚ましたフレインは、寝乱れた夜着(よぎ)を引きづりながら戸を開く。

 青白い顔をした術師が、寝込みの来訪を一言詫びて、フレインへ危急の(しら)せをもたらした。――(いわく)、地下への階段を警護する者が二人、消えてしまったのだ。そして現在、魔術師の塔内外において不審者の捜索中である、と。それを聞くなりフレインは、緋色の導衣を肩に掛けて慌ただしく部屋から駆け出した。地下に(かくま)われているアルフラの身を案じたのだ。

 

 階段付近まで来ると、警備の詰め所に使われている部屋の前に、数人の術師が立っているのが見えた。そしてもう一人、フレインと同じ色の導衣を(まと)った初老の男が、術師たちへ口早に指示を出していた。


「サリム様、地下の情況は――」


 ギルド内の警備を統括する導士、サリムがフレインへと向き直る。


「私もいま駆けつけて、この者達から詳細を聴いていたところだ」


「では私が地下の様子を見に行きます」


「待たれよ。何者かが地下へ侵入している可能性もある。すぐに外回りの連中がここに集まってくるはずだ。それまで待ちなさい」


 そのやり取りを聞いていた術師の一人が口を開く。


「外へ逃げることはあっても、地下へ向かうことはないでしょう。それでは袋の鼠です。むしろカルザス市内の捜索に人手を()いた方がよろしいのでは?」


「断定はできまい。まずは出入口を固めることが先決だ」


「なにを悠長なことを!」


 めずらしく声を荒げたフレインへ、サリムの驚いたような目が向けられる。

 アルフラの安否を気にするあまり、気が()いているのだ。フレインの顔を見て、言うだけ無駄と感じた初老の導士は、二人の術師に命じる。


「フレインに同行し、地下の捜索を。なにかあった場合は彼の身の安全を最優先に」


 サリムへ一礼して階段を降りようとしたフレインの耳に、嘆息(たんそく)混じりのつぶやきが届いた。


「……カダフィー殿が早く戻られるとよいのだが」


 思わず足を止めて振り返る。


「もしや……カダフィーを呼び戻したのですか?」


「うむ、こう短期間に次々と人が消えるのでは仕方あるまい。その上なんら手掛かりも見つからないときている」


 サリムは渋い顔で弁解めいた言葉を返した。


「警備を預かる立場としては不本意なのだが、どうも我々の手には負えんように思えてな。四日前に召還状を持たせた早馬を走らせておる」


「そうですか」


「カダフィー殿のことだ。早ければ今日明日にも戻られよう」


 天界への門が開かれるというダーナの収穫祭までは、もう十日ほどしかない。カダフィーが帰還しても、とんぼ返りで中央神殿へ向かうことになるだろう。いくら彼女でも、この短期間に一連の事件を終息させるのは難しいのではないかとフレインは感じた。だが、それよりも今はアルフラの安否が心配だ。

 ふたたび術師たちに何事かを指示しはじめたサリムへ背を向け、薄暗い階段を足早に(くだ)る。地下通路を走り、扉の前に立って周囲を見回すが、とくに人の気配もなく辺りは静かなものだった。すこし気を落ちつけたフレインは、後続の術師二人に命じる。


「あなた達はここで待っていて下さい」


 扉を開き、カンテラで室内を照らしつつ呼びかける。


「アルフラさん?」


「……なに?」


 すぐに声が返り、寝台の上から身を起こしたアルフラの姿が視界に入った。その顔はこの上なく不機嫌そうではあるが、あまり普段と変わった様子もない。

 このときアルフラは、体に掛けた毛布の下で抜き身の短刀を握り締めていた。階段を警備する者に手をつけたことから、みずからの行いがバレてしまったと思ったのだ。戸外に立つ術師らの緊張した気配からも、その確信を深める。

 もしフレインが不用意に寝台へ近づいていたら、彼はとても悲惨な末路を遂げることになっただろう。

 みずからが生死の境を眼前にしているとは(つゆ)とも知らず、アルフラの顔を見て安堵したフレインは、大きく息をついた。


「よかった……ご無事だったのですね」


「……え?」


 意外そうに首をかしげたアルフラへ、フレインは穏やかに笑う。


「ああ、すみません。アルフラさんからしてみれば、まるで事情が飲み込めませんよね」


 むしろ彼女ほど現状に通じている者もいないのだが、とりあえずアルフラはうなずいてみた。


「病み上がりのアルフラさんに無用な心配をさせたくないので伏せていましたが、ここ数日の間にギルドでは多数の行方不明者が出ているのです」


「……そう」


「すでに十名を越える職員が消息を絶っていて、つい先程は地下への階段を守る術師が姿を消したと聞きました。もしかすると魔族の間諜が暗躍しているのかもしれません。ですからアルフラさんの身になにかあってはと心配になって駆けつけたのですよ」


 話を聞くうち、アルフラの口許にじわりと笑みがのぼる。それはフレインがこれまでに見たことがない(たぐ)いの、奇妙な表情だった。

 まるで、なにか他者には知り得ぬ皮肉を一人楽しむかのような――無性に見る者を不安にさせる嫌な笑い方だ。


「アルフラ、さん……?」


 またすこし、アルフラは変わってしまった。そう感じたフレインへ、最近ではついぞ発せられたことのない、アルフラの笑い声が向けられる。


「ふふふ、べつにここには誰もきてないよ」


 どこか(あざけ)りを含んだようなその口調に、フレインは眉をひそめた。以前の天真爛漫なアルフラを知る彼からすれば、あまりに信じられない変化であった。


「いったい……どうしてしまわれたのですか、アルフラさん……」


 フレインの疑念を感じたアルフラは、毛布の中から左手を持ち上げて口許を隠す。


「……なんでも、ない」


 その顔を呆然と見詰めていたフレインだったが、口に当てられた左手の包帯が赤黒く変色しているのに気づいてぎょっと目を見張る。すでに出血は止まっているようだが、指のあたりは白い部分が見当たらないほど凝結した血で包帯が汚れている。閉じることの出来ない掌を無理に握り締めた結果、関節の皮膚がぱっくり割れてしまったのだろう。


「アルフラさん。木剣を振るのもいいですけど……あまり無理をすると、手を閉じた状態で皮膚が硬化して、逆に指が開かないようになってしまいますよ」


「それでちゃんと剣が握れるようになるなら、かまわない」


「ですが――」


「あたし、まだ眠いの。そろそろ出てって」


 もう話は終わりだとばかりに、アルフラは毛布の中に潜り込む。


「……わかりました」


 ひとつため息を落としてフレインは言った。


「ですが念のために警護の者を残していきますね」


 これにはすこし慌てたようにアルフラは身を起こす。


「そんなのいらない! よけいなことはしないで!」


 語調の強さとその剣幕さに驚いたフレインは、しばし言葉を失い、じっとアルフラの顔を見詰めた。


「先にも言いましたが……いえ、そうですね。階段の警備を増強すれば問題ないでしょう」


 しかし、アルフラにとってはそれもまずい。ただでさえギルド内の警邏が強化されているのに、そのうえ階段の警備まで増やされれば身動きが取れなくなってしまう。


「カダフィーも間もなく帰還するという話でしたし、これまでのように――」


「え、あいつ、帰ってくるの?」


「はい。警備の統括者が呼び戻したらしいですね」


 それではますます血が獲りにくくなるではないかと、アルフラはフレインをにらみつける。向けられた剣呑な視線の意味が分からず、フレインは落ちつかなげに戸口で立ち尽くしていた。

 さすがにアルフラも、あまり長くは己の行いを隠し通せないと理解する。

 ここ数日で徐々に力が回復している実感があっただけに、もうすこし時間が欲しいところだった。

 実際のところ、復調の原因は術師たちの血によるものではなく、単純に弱った臓腑の回復がおもな要因であった。これまで自然回復した魔力は損傷した臓器や生命維持に()てられていたのだが、怪我の回復にともない力の余剰が生じてきたのだ。しかしそれを、アルフラは近ごろ大量に摂取した血の効果なのだと思い込んでいた。まったくの無駄ではないが、術師の血にアルフラが期待するほどの力はない。


「……あたし、部屋をうつりたい」


「は? 部屋を、ですか?」


「うん、地下じゃない部屋がいい」


「それは……さすがに現状を(かんが)みるに……」


 フレインもあまり長くアルフラを地下へ閉じ込めておくのは不憫だと感じていた。しかし今はすこし情況がまずい。近いうちにそういった要求をされるであろうことは予期していたが、どう説明すればアルフラが納得するのか見当(けんとう)がつかない。


「その……今はギルドの内部といえども安全とは言えないですし、地下であればまだ警護も……」


「その警護の人、ころされちゃったんでしょ。だったらほかの部屋でもいいとおもう」


「……いえ、ですが……」


「あたしのおねがいなら、なんでも叶えてくれるって言った」


 たしかにそれに(るい)することを言った覚えのあるフレインは、思わず口をつぐんでしまう。


「おねがい、フレイン」


 困惑顔で目線を床に落としたフレインは、数瞬黙考(もっこう)する。現状、警備の者がその役割を果たせていない以上、決して地下も安全とはいえない。ならば案外、アルフラの望み通りにするのも悪くはないかと思い直す。


「そうですね……考えようによっては、人気のない地下よりもシグナムさん達と同じ階へ移ってもらった方が、むしろ危険はすくないのかもしれない」


「うん、きっとそうだよ」


「わかりました。夕刻までには客室を用意します。ですが、部屋を移ったからといって、頻繁には出歩かないようにして下さい。あまり人目につくのはまずいですから」


「……だいじょうぶ」


 うれしげに目をほそめて、アルフラはうなずいた。


「では、王宮での仕事もありますし、私はこれで失礼します。夕方頃また来ますね」


 そう言ってフレインは、心配げに何度もアルフラを振り返りつつ、部屋から辞去(じきょ)する。



 アルフラの身の安全を図るあまり、フレインは餓えた獣に自由を与えようとしていた。




 階段を上がったフレインは、サリムたち警備の者に地下への侵入者はなかったと告げて、その足でシグナムの元に向かった。ようやく陽も昇りかけたという頃合いなため、まだ彼女も就寝中だと思っていたフレインであったが、部屋を訪れるとシグナムはすでに帯剣して革鎧を纏った姿で扉を開いた。ギルド内の慌ただしさにはとっくに気づいていたらしい。傭兵生活で培った常在戦場の心得が遺憾なく発揮されていた。

 フレインは深夜に起こった騒動を簡潔に説明し、アルフラを近くの部屋へ移す旨をシグナムに伝える。


「そうか……」


 すこし憂鬱そうに口許を引き結んだシグナムに、フレインはアルフラの指に真新しい血の跡があったことを話す。


「あまり無理はしないよう、シグナムさんから言ってもらえませんか。私では、アルフラさんもまるで取り合ってくれませんし」


「あたしが言ったところで変わらないさ」


「ですがシグナムさんなら……」


 すっと視線を逸らしたシグナムは、緩慢に首を振った。


「お前だって、あのとき見てたろ」


 彼女の言うところの“あのとき”が、一緒に西方へ行こうとアルフラへ手を差し伸べたときのことだとフレインは察した。


「アルフラちゃんはね、覚悟の決まり方が尋常じゃないんだ。どうしてあそこまで思い詰められるのか、あたしには解らないよ」


 酷く疲れた者のように、シグナムは肩を落とす。


「どう頑張ったところで、いまのアルフラちゃんを理解できる気がしない。――逆に、あたしがどんなに道理を説いても、アルフラちゃんには理解できないと思うよ」


「……たしかにそうかもしれません。ですがこのまま無理を続ければ、アルフラさんは体を壊してしまいます。すこし話をするだけでも――」


 なおも食い下がるフレインへ、シグナムはかすかな苛立ちを見せはじめていた。


「あたしはあのときね、求婚を断られたような気分だったんだよ」


「は……求婚、ですか……?」


 あまりに意外な言葉に、フレインはすこし呆然としてしまう。シグナムも冗談を言える程度には、あのときの痛手から回復しているのかと一瞬考えて――しかし彼女の神妙な顔つきから、どうやらそうではないらしいと気づく。

 シグナムはアルフラの右腕を切断したことに強い負い目を感じていた。そして不具となったアルフラの面倒を一生見ていくつもりで、手を差し伸べたのだ。

 求婚というのもあながち冗談ではない。生涯連れ添うくらいの覚悟で、シグナムはアルフラと共にあろうと決心していたのだから。


「まあ、求婚なんてしたこともないし、されたこともないけどね。……とにかく、あたしがなにを言ったところで、アルフラちゃんは聞き入れてくれないよ」


 それ以上はさすがに踏み込むこともできず、フレインは口をとざしてしまう。諸々(もろもろ)の事情を考慮すれば、シグナムの心が折れてしまったのも無理なからぬ話だろう。

 気まずい空気に耐えられず、フレインはいとまを告げてシグナムの部屋を出た。そしてアルフラのために客室を都合すべく、ギルドの職員を探しに塔の入口へと向かう。そこで昨日(さくじつ)の約束を思いだした。


 夜にはアイシャと食事をする予定なのだが、夕方からアルフラの部屋を移すことを考えると、すこし時間が遅くなるかもしれない。いっそ用事ができたことを伝えて日をあらためて貰おうかとも考えるが……嬉しそうに微笑んでいたアイシャの顔を思い浮かべると、すこし心が痛む。なんともいえない罪悪感のようなものが、心の内に異物として感じられた。フレインはその事実に、自分でも驚いてしまった。

 そうとは気づかぬうちに、アイシャの明るくなごやかな人柄に惹かれかけているのかもしれない。

 かつてシグナムが言っていたように、アイシャはすこしアルフラと似ている。どこかあぶなかしく、放っては置けないところなどはそっくりと言えるだろう。少々はた迷惑な性格ではあるが、悪気がなく憎めないようなところも以前のアルフラと重なるものがある。

 あまり彼女の勢いに押されて親しくしていると、本格的に情が移ってしまいそうだ。

 フレインは、みずからがそれほど意志の強い人間ではないことをよくよく理解していた。このままでは自分にとってもアイシャにとっても、あまりよくない結果になるだろう。たとえ今後、彼女へ好意を持つにいたったとしても、フレインはアイシャの想いに応えることは出来ないのだから。


 今晩にでも、はっきりと伝えよう。

 アイシャは年上とは思えないほどに愛らしい女性なのだから、すぐに自分よりも良い男が見つかるはずだ。



 そう決意したフレインの顔には、どこか悲しげな(かげ)りが色濃く浮かんでいた。

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