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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
181/251

朱の凶星(後)



 城館の通路は静まり返り、人の気配が皆無であった。古い石畳を踏みしめる足音だけが、周囲の壁に反響する。

 無言で先導する高城の背に、灰塚は問い掛けた。


「お姉さまはどうしてこんなところに?」


「それは直接ご本人からお聞き下さい」


「じゃあ、なぜ私をここへ呼んだの?」


「それは……私が申し上げるべきことではないのですが……」


 高城は躊躇(ちゅうちょ)するかのように言葉を切り、低い声音で話し始めた。


「おそらく灰塚様は、ある願い事をされると思います」


「願い?」


「はい。ただの憶測にすぎないので詳しくは語れませんが、私は是非に、その願いを叶えていただきたいと思っています」


「お前に言われるまでもないことね。お姉さまの頼みであればそうそう無下にはしないわ」


「それを聞いて安堵しました」


 高城は歩みを休めることなく、顔は前を向いたままに黙礼する。そして押し殺した声で独白した。


「本来ならば、私がこの手でお嬢様の仇を討ちたいのですが……力及ばずそれが出来ません。慚愧(ざんき)の念に堪えないとは、こういうことを言うのでしょうな。おのれの無力さが嘆かわしい限りです」


 灰塚はすこし驚いた顔で高城の話を聞いていた。普段、必要最低限のことしか話さぬこの老執事が、これほど饒舌に内心を吐露(とろ)したのは初めてだったのだ。なにか余程の事態が起きたのだろうと推測する。


「お嬢さまの仇というのは?」


 その問いには答えることなく、高城はぴたりと足を止める。そして扉のひとつを()し示した。


「こちらです」


 静まった空気を乱すのを嫌ってか、老執事は控え目に扉を叩く。


「灰塚様がお越し下さいました」


 室内から、細く()れた声が、入れと告げる。

 扉が押し開かれると、部屋と通路の寒暖差により、冷たい風が吹きつけた。

 高城が一礼し、扉の前から身を引く。

 無造作に部屋へ足を踏み入れた灰塚は、思わず戸口で立ち(すく)んでしまった。

 寒々とした室内は、初秋とは思えないほどに冷え込み、吐く息は真っ白に(けぶ)っていた。

 卓の前に腰かけた白蓮は、薄物ひとつをまとっただけで、じっとそこから動かない。顔は酷く(やつ)れ、目許は泣き腫らしたかのように赤味を帯びている。色を失った表情は能面のようで、白蝋(はくろう)めいた肌にはまったく生気が感じられない。

 悲嘆に暮れた、女の(かお)だ。


「お姉さま……いったい、なにがあったのですか?」


 これはただ事でないと瞬時に悟り、灰塚は白蓮へと駆け寄る。

 

「座りなさい」


 一言だけ告げて、白蓮は戸口へ目を向けた。灰塚の背後で扉が閉められ、高城の気配が部屋から遠ざかっていく。

 うながされるまま椅子に腰掛けた灰塚に視線を合わせ、白蓮は単刀直入に言った。


「――雷鴉を殺して」


 予想だにしなかったその一言に、灰塚は見開いた目を何度も(しばた)かせた。


「……雷鴉を……殺す?」


「ええ、そうよ」


「ど、どういうことですか? なぜ雷鴉を……?」


 驚愕覚めやらず質問を繰り返す灰塚へ、かすれた声が苛立ちも(あらわ)に答える。


「あの男は、アルフラを殺したの。私は今すぐあの男を八つ裂きにしてやりたいのだけど、いまはここから動けないわ。だから代わりに、あなたが雷鴉の息の()を止めてきなさい」


 アルフラとは、灰塚がいささか頭を痛めていた者の名だ。白蓮がいたく気にかけていた人間の少女。――初めてその名を聞いたとき、誰にも平等に無関心な白蓮が、ゆいいつ執心しているその少女に、灰塚はすくなからぬ嫉妬を覚えた。目障りな存在であるうえ、凱延の(あだ)でもある少女に対して、なんら行動を起こさず見過ごしていたのは、ひとえに白蓮の怒りを(まね)きかねないと危惧したからだ。その判断が正しかったことを、灰塚はこの瞬間に確信した。


「アルフラという娘は、いったい何者なのですか?」


 言った灰塚自身、その問いに答えが返るとは思っていなかった。常時の白蓮であれば、お前には関係ないの一言で済ませただろう。しかし、蒼い瞳は悲しみにくもり――


「……私の、娘のようなものよ」


 実子である戦禍が聞けば顔をしかめそうな台詞が、白蓮の口からもれた。そしてその死を(いた)むように、とつとつと話しだす。


「戦乱で焼かれた村に……倒れていたの。人間の子供よ。……とても小さくて……ひどく痩せこけていて……」


 深い喪失感がそうさせるのか、追憶の中に沈んだ白蓮は、淡々と語る。


「……人なつっこい子だったの。子犬のように落ち着きがなくて、うっとうしいくらいに甘えてきて……」


 過去の情景を見つめる瞳は優しげで、それはどこか(あわ)れさを(もよう)させた。


「あたまを撫でるとすぐ髪がくしゃくしゃになるの。そのたびに手櫛でなおしてあげて…………ああ、それからすごく体温が高かったわ。私にはすこし熱いくらいに……いつもにこにこしていて……ばかみたいにしまりのない口許をよく(しか)った……」


 とりとめのないその話を、灰塚は辛抱強く聞いていた。心情を(おもんばか)ったのではない。いまの白蓮からはそこはかとなく、声をかけることが(はばか)られる何かが感じられたのだ。


「あんな子は、ほかにはいないわ。ねえ、そうでしょう? 死んでいい子ではなかったの」


 白蓮が口を開くたびに寒気が増し、室内には白い(もや)が漂いはじめていた。


「……あたたかい子だった。……あの子は、私にはない、なにか大切なものを持っていたはずなの」


 それがすでに、己の内にも芽吹いていることを、白蓮は知らない。


「それなのに……殺されてしまった」


 声が、硬くこわばる。

 白木(しらき)の卓に、深く爪が食い込む。

 あまり感情を見せることのない白蓮の目に、強い怒りと憎しみが灯っていた。


「殺して……あの男を。――雷鴉を!」


 拒否することは許さないと言わんばかりに、冷たい手が灰塚の肩を鷲掴む。


「ほんとうは雷鴉をこの場に連れて来て、私が八つ裂きにしてやりたいところだけど……我慢できないの! アルフラを殺したあの男が、一時でも長くこの世に存在していることが! いますぐ行って血肉も残さず焼き尽くしてきて!」 


「お、お姉さま……」


 灰塚は掴まれた肩の痛みと冷たさに顔を引き攣らせながらも、やんわりと応じる。


「いまこの時期に、それはまずいです。間もなく神族との戦いも始まるのですから。さすがに戦禍さまが許されませんわ」


「戦禍になど文句は言わせない。……あれは私に言ったのよ! アルフラが死んだのは私のせいだと……私がアルフラをあんなふうにしてしまったのだと!!」


 叫んだ白蓮の体から、唐突に力が失われる。灰塚の肩を掴んだ手が滑り落ち、青ざめた表情がひきゆがむ。


「そんなこと、誰に言われるでもなく、わかっているわ……」 


 両手で顔を覆った白蓮が、絞り出すような低い声音で囁く。


「お願い……雷鴉を殺して……」


「ですが……」


 つづく言葉を探るかのように灰塚は口ごもった。


「アルフラが、殺されたのよ。私のアルフラが……」


 白蓮は怨嗟に震える声で、その思いを吐き出す。


「もう、あの男を殺す以外に、することなどないじゃない」


 これまで見たこともない白蓮の激情に、灰塚は言いようのない不安を感じていた。まるで、よく見知った人物が、まったく別の何者かに成り代わったかのような、そんな心持ちだ。

 言葉を発しあぐねる灰塚に、白蓮は言い募る。


「あなたにしか、頼めないの。魅月は信用ならないし、傾国では力不足だわ。……あなた、だけなの」


 灰塚も白蓮のためとあらば、なにをおいても力になりたいとは思う。――しかしそれが、見も知らぬ人間の仇討ちとなると話は別だ。雷鴉を殺せば戦禍の怒りを(こうむ)ることは確実なのだから。


「……雷鴉はこのところ自室での謹慎を申し付けられたらしく、一切表に出て来ません。その上、鬼族の女王が四六時中入り浸っているようで……さすがにこの状況では私でも……」


 言い訳がましく話を濁す灰塚に、ひややかな一瞥がくれられる。そしてなにを思ったのか……白蓮はふと立ち上がり、寝台に腰掛けた。


「お姉さま……?」


「こっちへきて」


 寝台にのぼった白蓮は、しどけなく足を投げだし、扇情的な上目遣いで手招きする。ドレスの裾からのぞいたふくらはぎの白さに、思わず灰塚の視線が吸い寄せられる。


「あ、あの……」


「いいから、きなさい」


 どぎまぎと声を上擦らせた灰塚に、艶やかな笑みが向けられた。夢魔に魅了された者のごとくふらふらと、灰塚は立ち上がる。


「雷鴉を殺してくれれば、あなたの望みをなんでも聞いてあげるわ」


「な、なんでも!?」


 これは罠だと理性が激しく警鐘を鳴らすが、灰塚はお姉さまのおみ足から目を逸らすことが出来ない。


「ふふふ……なんでもよ。あなたがそうしたいのなら、いまここでだって構わないわ」


 時ならぬ妖艶さを見せる銀髪の麗人に、灰塚の理性は機能不全を起こしかけていた。その視線はなまめかしく開かれた脚から、腰の方へと迷走する。


「あの、それは……ぺろぺろも、ですか……?」


「ええ、もちろんよ」


 そこで灰塚の自制心は完全に壊れてしまった。


「――お、お姉さま!!」


 飛びつくように灰塚は襲いかかった。白蓮はそれを空中で捕獲する。そのまま身体を捻り、逆に灰塚を寝台へ組伏せた。あっというまに馬乗りだ。


「え……お姉さま?」


 動揺(いちじる)しい灰塚に、白蓮の美しい顔が寄せられ、その鼻先が触れあう。


「ほんとうに学習しない娘ね。まえにも同じような手に引っ掛かったでしょう」


「あ、あの……ぺろぺろは……?」


「なんの話かわからないわ」


「そんなぁ……」


 とても悲壮な表情で嘆く灰塚に、白蓮はすげなく言った。


「そうね……ちゃんとあの男を始末できたら、考えてあげる」


 灰塚はなんとか身を起こそうとするが、すぐに白蓮の手がその肩を押さえつけた。脚の間に膝が割り込み、無理に股を開かせられる。


「万が一にも雷鴉なぞに遅れを取らないよう、一晩かけてたっぷりと注ぎ込んであげるわ」


「……ひッ……ひぃッ……」



 灰塚には長い夜になりそうだ。





 宵闇(よいやみ)立ち込む魔術士の塔。

 空を(あお)げば満天の星、細った月が()()えとした明かりを地上に落とす。

 ひんやりとした夜気を震わす虫の()が、どこか物悲しく響いていた。

 北国であるレギウスは、初秋といえども時に驚くほど冷え込むことがある。

 それにしてもこの日は、妙に肌寒い夜であった。

 ギルドの敷地を巡回する術士の一人が、湿った空気を感じて空を見上げた。

 緩やかな風とともに雲が流れ、南天の星々が暗く覆い隠される。


「おい、一雨来るぞ」


 三人の仲間たちも一斉に顔を上向け、盛大に眉をひそめた。


「くそ、ただでさえ寒いってのに」


「詰所に戻って外套を取ってこよう」


「どうせなら雨が通りすぎるまで火にあたってようぜ」


「そういう訳にもいかんだろ」


 ここ最近、レギウス神の神託が(くだ)ってからというもの、魔族の密偵らしき者たちが活発に動き回っているのだ。そのため警備を担当する導士から、ギルド本部の警邏(けいら)を強化するよう厳命が下りている。

 魔族は夜目が利くため、夜番にあたる者たちには特に厳しく、職務を遂行するよう言い渡されていた。


「あ、ちょっと用をたしてくるから先に行っててくれ」


「わかった。降られる前に戻れよ」


「抜け出して飲みに行くなよ」


 腰に剣を吊るした術士が仲間から離れて、暗がりへと移動する。

 物置に使われている粗末な建物の裏手に入った男は、周囲を見回して小用によさげな場所を探す。小屋の裏口とおぼしき扉の前に、手頃な茂みを見つけた。その前に立ち、剣帯をずらしてズボンに手を掛けたところで、ぽつり、ぽつりと雨が背中を打ち始めた。


「ちっ……」


 男は舌を鳴らし、とっとと野暮用を済ませるために股間のモノを取り出す。その背後で、静やかに、小屋の扉が開かれたことには気づかない。


「……ふぃ~」


 放尿をはじめた男は心地好さげにげに空を見上げる。

 まだ雨雲の届いていない北の空には、無数の星が瞬いていた。

 溜まりに溜まったものを噴出させながら、男は澄み渡った星空を眺める。

 降りつける雨が、背後から忍び寄る捕食者の足音を、完全に殺していた。


「ん……?」


 男はふと首をかしげる。

 雨に濡れて匂い立つ草木のものとはまったく違った、かすかに甘い香気を感じた。覚えのある匂いだ。


「没薬か……?」


 おのれが絶命の(きわ)にあるとも知らず、男はのんきにきょろきょろと辺りを見回す。

 この時点で、彼が生き延びられる可能性はほぼ皆無だ。

 餓えた手負いの獣は、もう真後ろで身を屈めている。


 ――刹那、腰に軽い衝撃を受けた。


 まるで、ちいさな子供に後ろから抱きつかれたような感覚だった。同時に、下腹部にちくりと刺すような痛みを覚える。

 慌てて見下ろすと、右の腰に包帯で覆われた頭が押し付けられていた。そしてやはり包帯に覆われた細い腕が、しがみつくように腰へ回されている。その手には短刀の柄が握られ、男の下腹に潜り込んだ刃が鋭い痛みを伝える。

 襲撃者の頭が上向き、男と目が合う。その隻眼には燠火(おきび)のような炎が揺らめいていた。狂人の目だと、彼は感じた。


「グッ……」


 突如として、下腹部の痛みが焼けるような灼熱感に変化する。

 襲撃者――骨格からしておそらく十歳くらいの少女が、男の腹に突き立てた短刀をさらに押し込んだのだ。

 反射的に右腕を降り下ろす。

 痩せた少女はひとたまりもなく地を転がり、小屋の壁に叩きつけられた。

 

「ふざけやがって」


 剣の柄に手を掛けて振り返った男は、しかしそのままがくりと膝を落とした。

 なんとか足に力を込めて立ち上がろうとするが、麻痺したように四肢は萎えてしまっていた。


「な、んだ……」


 男は魔術士でありながら剣の心得も有する戦士であった。その肉体も鍛え上げられた頑強なものだ。下腹部の傷は深手ではあるが、短刀さえ抜かなければほとんど出血もない。この程度の傷で体が動かなくなるはずはないのだ。

 不意に男は気づく。いまだ外気にさらされた一物(いちもつ)から溢れるのが、小便ではなく血液に変わっていることに。


 刺さった短刀は膀胱に届いていたのだ。


 血の小便を垂れ流す男の視界が、赤く霞がかってくる。

 遠のきかけた意識をなんとか繋ぎ止めて、顔を正面に向ける。

 包帯の少女がよろめきながら立ち上がった。

 奈落のような眼孔(がんこう)の奥。その瞳には、禍津星(まがつぼし)を思わせる不吉な光が宿っていた。

 (あけ)に染まった視界のなかで、揺らめく凶星が男の方へと流れて来る。



 男は剣を抜こうとしてそれを果たせず、顔からぬかるんだ地面に突っ込んだ。





 アルフラは地面に突っ伏した男に用心深く近寄った。

 つま先でその頭を小突き、彼が動けないことを確認する。

 男に殴られた顔がずきずきと痛む。

 左腕にも鈍痛と痺れがあった。

 本来ならば、肝臓なり腎臓なりを一突きすれば、もっと簡単に事は運んだだろう。人はその部位を破壊されると大量に出血し、急速に血圧が下がる。瞬時に行動不能となるため、反撃を受けることもなかったはずだ。それをしなかったのは、場に血痕を残したくなかったからだ。 

 手負いのアルフラは、魔族と戦えるだけの力を回復する必要がある。シグナムとの一戦でそれを痛感していた。だから手近なところで血を補給しようと考えた。術士の一人二人ではまったく足りない。どれほどの血が必要なのかはアルフラにもわからないが、ここは術者の(たむろ)うよい狩場だ。早々(そうそう)に殺しがバレるのはまずい。

 ギルドには常人より魔力に優れた者が大勢居る。そのことに気づけたのは、アルフラにとって(まさ)僥倖(ぎょうこう)だった。


 いくらでも積み重ねればよいのだ。術者たちの屍を。


 そのためにも、仕事場は綺麗に保たねばならない。

 もっと力をつけて魔道師など一蹴できるようになるまでは、餌食たちに身の危険を知らせてはならない。

 それなのに……

 アルフラは男の髪を掴み、仰向けにひっくり返す。

 彼の粗末なモノからは、いまだにだらだらと血が(したた)っていた。

 膀胱には脊髄から繋がる神経叢(しんけいそう)が存在するため、そこを傷つけられると筋運動が麻痺する。当然、尿道括約筋も弛緩してしまうため、男自身にも血の排尿を止められない。


 ぎりりと歯噛みしつつも、アルフラは(おぞ)ける嫌悪を振り払って、棹の根元を掴んで締め上げた。


 まだかろうじて男は意識があったらしく、(したた)かな締め付けに腰をビクリと浮かした。

 彼はその体格から想像するに、なかなかの手練(てだ)れだったのだろう。

 まともに戦えば、いまのアルフラに勝ち目はなかったのかもしれない。――だが、男は膀胱が人を無力化できる急所であることを知らなかったようだ。

 命を奪う(すべ)にかけては、アルフラの方が数枚上手(うわて)といえよう。そしてあらかたの者よりも、アルフラは静かに人を殺せる。その手の知識は豊富だ。

 今回は反撃されたあげく、そこそこの血を流させてしまったが、次からはもっと上手くやれるはずだ。

 幸運なことに雨足は早まっている。

 恵みの雨がすべての痕跡を洗い流してくれるだろう。

 アルフラは男の汚ならしいモノをさらに強く握り締めて、そのまま小屋の方へと引き()る。

 できればそんなモノには触れたくもないが、腕は片方だけだ。

 止血しながら男を移動させるには、非常に遺憾ながらそうするしかない。

 指先までしっかり包帯を巻いているので、(じか)に触れているわけではないのが救いである。

 男はかなり重く、引っ張るとぐにゃぐにゃした不気味な肉茎は驚くほどよく伸びた。アルフラは途中で千切れてしまわないかすこし心配だったが、そういったことはなかった。



 憐れな男は酷い激痛に悶絶しながら、ぬかるみの上を引き摺られていった。





「…………ッ……!」


 地下への階段を蹴り落とされた男が、低くうめく。

 その頑強な体躯が仇となり、彼はいまだ死ねないでいた。アルフラにとっては好都合だ。その方が血を搾りやすい。

 男の局部は根元がすこし裂けてしまったものの、先端から流れる血は止まっていた。アルフラはそのことに安堵する。最悪、直接そこから血を吸わねばならないところだった。

 彼は体格もよいので、きっと多くの血を採れるだろう。思わず口許が緩んでしまう。

 男の見開かれた眼球が小刻みに痙攣する。必死に救いを求めているようにも見えた。

 戦士であり魔術士でもある屈強な男が、涙を流して怯えきっていた。少女のだらしなく開かれた口を見て、おぞましい予感を覚えたのだろう。その口腔の赤さに、絶望以外のものは見あたらない。


「やめ、て……くれ……。たす……け……」


 掠れた声で呻く男を一瞥して、アルフラは無造作に足を掴んだ。そのまま彼を奥まった一室に引きずり込む

 あらかじめ目星をつけておいた部屋だ。扉付近にはほこりが堆積(たいせき)していたので、当分人の出入りはないだろう。寒くなり始める時期なので、死体が腐乱して臭いで足がつく心配もない。また、男がどれほど泣き叫ぼうと、外まで声が届くこともない。

 仰向けに転がした男の胸に、アルフラは(また)がる。そして腹に突き立ったままの短刀に引っ掛けて、貫頭衣の下部を引き裂く。あらわになった肌には、傷口から滲んだ血液が付着していた。

 桃色の舌をちろりと伸ばして、魔力を宿した血潮を丹念に舐め上げる。

 男の浅い呼吸が早まる。

 傷口を綺麗にしおえたアルフラは、短刀の柄を握ってくちゅくちゅと男の中身を掻き混ぜた。


「いぎッ――――」


 男の背がのけ反り、びくり、びくりと大きな痙攣が走る。

 溢れてきた血に吸い付き、アルフラはふたたびちろちろ舌を(うごめ)かす。

 命の(したた)りを啜る淫靡な水音を聞きながら、男はぐるりと眼球を裏返した。――直後、凄まじい激痛により意識が覚醒する。血を舐めきったアルフラが、さきほどと同じように男の臓腑を刃で掻き回したのだ。


「や、やめ……。もう……ゆる、し…………」


 緩慢にのたうつ体を押さえつけて、新たに流れ出た体液に口づける。

 刺さった短刀と並び立つように、男の性器が雄々しく屹立(きつりつ)していた。

 肉体が死を予感して、生殖本能を刺激されたのだろうか。しかしアルフラは、大量の血液が集中することにより男性器が勃起することを知らなかったため、それに興味を示すことはなかった。むしろ、へそまで反り返ったグロテスクなそれが、下腹部から血を啜るのにとても邪魔だと感じる。

 やがて、すこし腹の膨れたアルフラは、小休憩を挟むことにした。


「たす……け……」


 成人男性の出血致死量はおよそ二リットルほど。

 アルフラの弱った胃では、飲みきるのに時間がかかるだろう。


「た、たすけ……て……。だれか……たす、け……」  


 休憩をおえたアルフラが、血を搾るために短刀を掴んだ。


「……ひッ……ひぃッ……」


 今宵の恐怖劇は、まだ幕を開けたばかり。



 彼には長い夜になりそうだ。

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