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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
180/251

朱の凶星(前)



 皇城、灰塚の居室において、戒閃は居心地悪げに従姉を見やっていた。玉座に腰かけた灰塚はここ数日、とみに機嫌が悪いらしく、整った柳眉は常にひそめられている。その不興の原因は明らかだ。彼女が呼ぶところの“お姉さま”が、行方知れずなのである。常に傍で(かしず)いていた執事の姿もなく、侍女である黒エルフの王女もおろおろするばかりで、ようとして白蓮なる女性の所在がわからないのだ。

 戒閃は物言いたげに灰塚の顔色を伺うが、やはり口を開くことなくただ立ち尽くしていた。彼女はいまだ、剴延の仇討ちを諦めていない。レギウス教国との和平が締結する前に、事を起こさねばと考えているのだが……彼女の主は気分屋だ。その勘気に触れれば理不尽な怒りに晒されることは目に見えている。

 無為に過ぎ去る時間を(いと)い、戒閃が意を決して言葉を発しかけたとき、来客を告げる侍女の声が響いた。


「北部の盟主、鳳仙(ほうせん)様がお見えです」


「追い返しなさい」


 間髪置かずに答えた灰塚へ、侍女が困ったように告げる。


「それが……白蓮という者について話があると、鳳仙様はおっしゃられています」


「――なんですって?」


 ひじ掛けに頬杖をついていた灰塚が、かるく目を見開いた。


「いいわ。通しなさい」


「はっ、ただいま」


 ほどなく案内されて来た鳳仙は、皴深い口許を引き結び、真摯な表情で玉座の灰塚を見上げた。普段の好々爺(こうこうや)然とした雰囲気はなりをひそめ、その姿からは歳を()た魔王の風格がうかがえる。思わず戒閃は一歩身を引き、姿勢を正した。

 鳳仙はちらりとだけ脇に控えた戒閃に目をやり、おもむろに口を開く。


「人払いを、と言いたいところじゃが――たしかその者は、白蓮殿と少なからぬ因縁があったの」


「もったいぶらずにさっさと話しなさい。ただし、ろくでもない内容だったらただじゃおかないわよ」


 早く本題に入れとばかり、灰塚は玉座から身を乗り出す。その手はいらいらと、みずからの長い巻き毛を指に絡めていた。


「ふむ、そうじゃの。まず始めに断っておくが、儂はかの者の居場所は知らんぞ」


「そんなことは期待してないわ。私にも分からないのにお前がお姉さまの居場所を知るはずがない」


「いかにも、いかにも。あの者については、あまり詮索することが(はばか)られるゆえな。儂はそなたと違い、捜させることもしとらん」


 その言葉に、ふと灰塚は違和感を覚える。もとより鳳仙が白蓮の行方を気にかけるいわれはないはずだ。そこで、いぜんに彼と白蓮が会したときの微妙なやり取りを思い出した。


「たしかお前は、この皇城に来る前から、お姉さまと面識があったのよね?」


「……うむ」


 白蓮自身は否定していたが、その時の態度はあからさまにおかしかった。


「お姉さまに求婚したとか……」


「あっさり袖にされたがの」


 灰塚はなんとはなしに、白蓮が求婚されたことを知られたくなくて、そのこと自体をなかったことにしようとしていたのだと思っていた。しかし……あらためて考えると、それはあまり白蓮らしくない行動のように感じる。魔王からの求婚など、とりたて隠さなければならないことでもない。

 あごに手をあてて黙考する灰塚を、鳳仙は真っ白な眉を持ち上げて見つめていた。


「ひとつ聞きたいのじゃが、そなたはあの者のことを……どこまで知っとる?」


 その一言で、灰塚はハッと顔を上げた。

 鳳仙が白蓮についてなにかを知っているのだと刹那に悟り、剣呑な角度に(まなじり)が吊り上がる。

 注意深くその表情の変化を(うかが)い見ていた鳳仙は、なにかを納得したかのように一人うなずいた。


「そなたはあの者を“お姉さま”と呼んでおるが、実際のところ彼女の年齢がいくつなのか知っておるか?」


「――――ッ」


 玉座の脇から息を呑む音が響いた。

 灰塚と鳳仙の視線がそちらに向く。


「……戒閃?」


「あ、いえ……」


 二人の魔王の注視を浴びて、戒閃は慌てて居ずまいを正した。

 問いかけるように、灰塚は目をほそめる。


「言いたいことがあるのなら、はっきり言いなさい」


「……ええと……それが……」


 口ごもった戒閃であったが、灰塚の鋭い視線に催促されて、しぶしぶと口を開く。


「あの……なにを馬鹿なと、笑わないでくださいね」


 すこし困ったような顔でそう前置きしてから、戒閃は話しはじめた。


「わたしが剴延殿の副官になりたての頃……三年前の話なのですが、酒宴の席で気分の良くなった剴延殿が、おっしゃられていたのです」


 それは百二十年ほども昔のこと。剴延は大陸最北部に位置する極寒の地で、世にも(うるわ)しい魔族の女と出逢った。近隣に住む者たちから、その地は氷の女王と呼ばれる絶世の美女が治める領域なのだという噂話を聞きつけ、興味本位で事の真偽を確かめに行ったのだ、と戒閃は聞かされた。

 剴延は感慨深げに(さかずき)をかたむけながら、白蓮という女魔族について長々と語った。

 容貌の美しさに始まり、その造形がどれほど完成されたものかを熱弁し、辟易(へきえき)と聞いていた戒閃のことなど気にもかけずに、真銀の光沢を放つ髪を褒め称えて話を締めくくった。

 一通り語り終え、満足した様子の剴延は、うんざり顔の戒閃をまじまじと見つめてとても失礼なことを(のたま)わった。


「あの女は、ちょうどお前と同じくらいの年の頃だったというのに、女らしさという点では雲泥の差だな」


 そう言って剴延は大笑いしたのだ。

 当時の戒閃は、任官したてということもあり、長かった髪をばっさりと切り、衣服も飾り気のない動きやすいものを好んで身につけていた。

 にやにやとする剴延に怒りを覚えながらも、髪を切ってしまったことをそのとき深く悔やんだのは、まだ記憶に新しい。


「……おかしいとは思いませんか」


 問われた灰塚は、無言で戒閃を見下ろしていた。その表情は険しい。


「年齢が合わないのです。――百二十前にわたしと同じくらいの歳であれば、今頃はゆうに三百歳を越えているはず。……なのにあの女は、わたしと変わらない年頃に見えました」


 実際、戒閃は酒宴の席で、からかうような目を向ける剴延に――百年以上前の話なら、今頃その白蓮という女も、見目よいだけの年増ですね――と憎まれ口を返したものだ。


「……あの女はどこかおかしい。異常です」


 いかな長命な魔族とはいえ、百年ものあいだまったく容貌の変わらぬ者などいるはずもない。

 それまで静かに耳を傾けていた鳳仙が、玉座を見上げる。


「灰塚よ。そなたは白蓮殿がその外見に反して、自分よりも歳かさだと知っておったのであろう? だからお姉さまと呼んでいたのではないか?」


「……そういったこともあるかもしれない、とは思っていたわ」


 ぽつりとつぶやき、灰塚は物思わしげに(おもて)を伏せた。その様子を見やり、鳳仙は長い顎髭をしごく。


「次は儂が、昔語りをして進ぜよう。白蓮殿に求婚を申し込み、手ひどく()ねつけられた時の話だ」


 鳳仙は過日(かじつ)の遠い記憶に想いを馳せるかのごとく、瞑目(めいもく)して言葉を(つむ)ぐ。


「……そう、あれはまだ、儂が王となる以前の若かりし――」


「――待ちなさい!」


 がたりと大きな音をたて、灰塚が立ち上がった。

 ろくに語りもしないうちに、話の腰を折られた鳳仙は、真っ白な眉をしかめる。


「お前が王となる前ですって!?」


「いかにも」


 灰塚は、在位五百年に及ぶ老魔王を愕然と見詰める。 


「……それは確かなの?」


「まだボケるような歳ではないわ」


 疑わしそうな視線を向ける灰塚に、鳳仙はぴんと背筋を伸ばして見せる。


「とにもかくにも、年長者の話は最後まで聞くもんじゃぞ。それでな――」


「いえ、話の大筋は理解したわ。年寄の話は長いからもう結構よ」


 艶やかな巻き毛を波打たせて、灰塚はふたたび玉座に腰を下ろす。

 鳳仙はすこしがっかりした様子で嘆息した。


「ふむ、出落ちになってしまったの。話の落ちは最後に持ってくる予定じゃったのに……うっかりしておった」


 わざとらしく肩を落とす鳳仙を尻目に、灰塚は忙しく考えを巡らせていた。

 かつて白蓮が鳳仙との面識を否定したのは、このことを知られたくなかったからなのだろう。その時の態度が、鳳仙の話に真実味を付与している。しかし、だとすれば白蓮の年齢は、おそらく七百歳をゆうに越えているということになる。 


「ありえない…………いえ、お姉さまならあるいは……」


 口のなかで独白した灰塚に、鳳仙の(しわが)れた声が告げる。


「儂もな、いろいろと考えてみたのじゃよ。我々魔族は、強い魔力を持つ者ほど寿命も長い。たとえば、そなたや儂であれば千年くらいは生きられよう。じゃが、戦禍帝などは儂らに数倍する力をお持ちあそばされておる。ならば戦禍帝の寿命は、単純に数千年ということになるのか?」


 自問するような声音で語る鳳仙を、灰塚は玉座からじっと見下ろす。


「じゃがそれでも、白蓮殿のように五百年ものあいだ、その容姿になんの変化も見られぬというのは到底不可能であろうと思う。ならば……」


 灰塚の脳裡(のうり)に不老不死という言葉が浮かび上がる。

 あまりに荒唐無稽(こうとうむけい)な想像ではあるが、白蓮であればもしや、と思わせるものが彼女にはある。

 話に聞くところ、神族には肉体的な寿命は存在しないと言われている。そう、不老不死とは決してあり得ないことではないのだ。

 しかし、だとすれば……こんどは白蓮の出自(しゅつじ)にまで疑問が及んでくる。

 彼女は一体何者なのか……?


「あまり、詮索せぬほうがよいじゃろうな。戦禍帝の手前もあるしの。あの方は白蓮殿の周囲に人が近づかんよう配慮しておった(ふし)がある」


「そうね。……鳳仙、この話、他の者には?」


「この場で話すのが初めてじゃよ」


「そう……なら――」


「言われるまでもない。このような話を他言しようものなら、いよいよ儂もボケたかと思われるだけじゃろうからの」


 灰塚はひとつ頷き、脇に控えた戒閃に命じる。


「お前もよ。お姉さまに関する事柄は、一切口を閉ざしなさい」


「……わかり、ました」


 戒閃は硬い表情で答えた。いま聞いた話をどう消化してよいのか持て余している、といった顔だ。

 室内にはなんとも名状し(がた)い沈黙が降り、やがてそれは扉の外から聞こえた侍女の声により払われた。


「高城殿がお見えです」


 その名を聞いて、戒閃はうかがうように灰塚の顔を盗み見る。玉座の主は眉根を寄せた厳しい表情を戸口に向けていた。


「……鳳仙」


「わかっておる。先にも言うたが、儂はこの件に深く関わるつもりはない。そろそろ下がらせて貰おうかの」


 そう言って鳳仙は(きびす)を返して扉へと歩を進める。


「戒閃。お前も退室なさい」


「……」


 瞬間、無言の抵抗を示した戒閃であったが、魔王である鳳仙が気を利かせた手前、無理に留まることも主張できずに深々と(こうべ)を垂れる。一礼したのち、鳳仙につづきその場をあとにした。

 戒閃の背を見送り、灰塚は侍女に声を掛けた。



「高城をここへ」





 一刻の後、灰塚は高城を(ともな)い戦禍の居室を訪れていた。暇乞(いとまご)いのためである。

 白蓮が呼んでいるという話に二つ返事でうなずいた灰塚であったが、その所在は片道二日ほどの距離にあるのだと聞き、皇城を空ける許しを得る必要があると考えたのだ。

 戦禍は自室で書状を(したた)めていたらしく、灰塚が入室した際には卓上に幾通かの封書が重ねられていた。


「お掛けなさい」


 灰塚は勧められた椅子に腰をおろし、高城はその背後に控えた。


「ご覧の通り少々忙しくてね。用件は手短にお願いしますよ」


 手を止めた戦禍は、書きかけの(しょ)を脇へ押しやる。その視線がちらりと高城へと向く。


「数日間の暇をいただきたく思い参上しました」


 改まった口調で述べた灰塚に、戦禍は低く尋ねる。


「理由は?」


「国許を離れて一年近くが経ちます。神族との本格的な戦いが始まる前に、一度紅武城(こうぶじょう)へ戻り、近況の確認と引き締めを」


 すらすらと心にもないことを言う灰塚を、戦禍は無言で見つめていた。

 高城がこの場に居る時点で、灰塚の真意は明らかではあるものの、何事にも体裁(ていさい)というものは大切だ。また、戦禍はそれが通じる相手でもあった。


「なるほど。たしかに王の不在が長引けば、(まつりごと)にも影響がある」


 戦禍は、白蓮がどのような意図で灰塚を呼び寄せているのかを正確に理解しつつも、それを咎め立てる気はないようだ。あまり白蓮の行動を制限しすぎれば、事態はより深刻化すると考えたのだ。


「いいでしょう。ただ、近々三柱(みはしら)の守護柱神が降臨するとの話があります。長くとも十日の内には皇城へ戻って下さい」


「かしこまりました」


「それと、あの人に北方雪原にある廃神殿の正確な場所を聞いてきていただきたい」


「――は?」


 戦禍は皮肉げに口許で笑う。


「逢いにゆくのでしょ? “お姉さま”に」


「え、ええ……」


 灰塚はごまかすこともせず、素直にそれを認めた。


「以前、あの人が居を構えていた古城の近くに、廃墟と化した古代神殿があると聞いたのです。その時は捨て置いても構わないと思ったのですが、グラシェールの神域を捜索した結果、想像以上に地下区画は頑強な造りになっていることが分かりました。もしかすると廃神殿の機能も生きている可能性がある」


「守護柱神がそこに降臨するかもしれないと?」


「そうです。あくまで、そういうこともあるかもしれない、といった程度ですがね。一応、口無には中央神殿へ斥候を送るよう伝えてありますが、出来れば北の廃神殿にも監視を付けたい。ですからあなたが紅武城へ戻るのならちょうどいい。あの人から廃神殿の場所を聞き、配下の者を斥候(せっこう)に出してください」


「……わかりました」


 灰塚は渋々とうなずく。紅武城に帰還すると言ったのはあくまで口実であって、実際にはそんなつもりは毛頭なかったのだ。それだけに内心では、めんどうなことになったと感じていた。これで本当に紅武城へ戻らぬわけにはいかなくなった。

 そんな灰塚の思いを見透かしたように、戦禍はかすかに口の()を持ち上げて笑った。そして高城へと視線を移す。


「そちらでは神族の動きについて、なにか報告は上がっていますか?」


「いえ、とくには。――ただ、松嶋殿が中央神殿に向かわれたようです。レギウス神から召喚された者らを拿捕して、天界の情報を引き出すよう命じられたとか」


「そうですか……」


 何事かを思案するように、戦禍は頭上を仰ぐ。そして軽く息をついて灰塚に言った。


「他に何もないようなら退室(さがり)なさい。――ああ、廃神殿の見張りとの連絡は密にするように」


「かしこまりました」



 一刻も早く愛するお姉さまの許へ駆けつけたかった灰塚は、礼もそこそこ部屋を退去し、高城とともに白蓮の軟禁される城館へと向かった。

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