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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
179/251

前兆(後)



 夜も更け、街の(あか)りがぽつりぽつりと消え始める頃合い。


「ひぎぃ―――――――!!」


 突然に響いた隣室からの悲鳴に、シグナムは長剣を掴んだ。それを鞘から抜きながら扉を開き、隣室へと駆け込む。


「どうした!? なにが――」


 言いかけたシグナムは、脱力したように肩を落として構えた剣を下ろす。そして眼前に広がる光景に、呆れてものも言えないといった顔をした。

 寝台の上には、なぜか尻を押さえて大泣きする神官娘と、その頭を撫でる狼少女の姿があった。いつか見たことのある光景だな、と思いつつシグナムは尋ねる。


「……ルゥ。お前が泣かしたのか?」


「え?」


「え、じゃなくて……」


 既視感を覚えるやり取りである。


「あたしは仲直りしろって言ったはずだぞ。喧嘩してどうすんだよ。……にしても、新月も近いってのによくジャンヌに勝てたな」


「けんかなんてしてないよ」


「うそつけ。ていうか……なんだそれ」


 泣き崩れるジャンヌの頭には、犬の耳を()した髪飾りがつけられていた。ふっさふさである。


「いぬ耳かちぇーしゃ?」


「……そうだな」


 わかりやすく解説した狼少女に、シグナムも思わずうなずく。そしてその顔が瞬時に引きつった。寝台の上に、とんでもないモノを見つけてしまったのだ。


「これは……」


 ――しっぽだった。まごうことなきしっぽである。やはりふっさふさだ。

 それを見て、小麦色に焼けたシグナム肌が、さあっと(しゅ)を帯びた。

 しっぽの根元にあたる部位が、なにやら言語(ごんご)に絶する凶悪な形状をしていたのだ。

 いびつな形のしっぽと、涙目で尻を押さえる神官娘を見比べて、シグナムはわなわなと肩をふるわせた。


「ボク、ジャンヌに耳としっぽをはやしてあげようと思っただけだよっ」


 怒られると思ったルゥが早口でまくしたてる。


「ジャンヌが女の子っぽくなりたいっていうから」


「お、お前、まさか……それをジャンヌの尻にさそうとしたのか?」


 シグナムは嫌そうな顔で“それ”の先端をつまみ上げた。目の前でなかなか立派な張り型がぷらぷらと揺れる。


「でも入んなかったよ?」


 もし満月の夜であれば、ルゥは力任せにそれを完遂出来ていたはずだ。


「そ、そんなことしちゃダメだろ」


 至極まっとうな意見である。


「ごめんなさい」


 新月期のルゥはふだんよりちょっぴり弱気だ。


「あたしじゃなくてジャンヌにあやまれ」


「えー」


 いつもより素直なルゥではあるが、ジャンヌには謝りたくないらしい。言いわけがましくもごもごと口を動かす。


「ボクはジャンヌを女の子っぽくしてあげようと思っただけなのに……」


「なんで耳としっぽを生やしたら女らしくなるんだよ」


「ボクたち白狼はね、耳とかしっぽのツヤがいいほどオスからモテるの」


 手入れの行き届きづらい部位に、どれだけ気を遣えるかがおしとやかさの基準なのだ。あくまで雌狼的に、ではあるが。


「だからジャンヌに耳としっぽを生やすと女子力が上がるんだよ」


「よし、まず女子力にあやまれ」


「ごめんなさい」


 目じりいっぱいに涙をためた神官娘が謝罪待ちしていた。


「お尻に穴があいてしまうかと思いましたわっ」


「いや、もとからあいてるだろ」


 冷静にツッコんだシグナムは、しっぽをぽいっとジャンヌへ放る。


「とりあえずそのしっぽは処分しときな。もし今日が満月だったら今ごろ尻滅裂だぞ」


 尻滅裂――それは現状、ごくごく狭い界隈でのみ使用されている造語である。極めて限定的な状況下でしか使えず、あまり応用も利かないため非常に扱いづらい言葉といえよう。しかしなぜか、ジャンヌの身の回りでは頻繁に聞くことが出来る。彼女の活躍いかんでは、この外連味(けれんみ)溢れる駄洒落が、一般的な慣用句として用いられるようになることもあるのかもしれない。


「でもまあ、耳のほうは取っておいてもいいかもな。なかなか似合ってるぞ」


 笑いを噛み殺したような声で言ったシグナムに、ジャンヌは真顔で犬耳を上下させた。


「ええ、ルゥから贈り物をされたのは初めてなので、耳だけは記念に残しておきますわ」


 ジャンヌもいまだに犬耳カチェーシャを着けているあたり、まんざらでもないようだ。

 狼少女は、二人の注意が自分から逸れたのをこれを幸いと、忍び足で扉付近へと移動していた。それに気づいたシグナムが振り返ると同時、だっと駆け出す。


「あっ、こら!」


 伸ばされたシグナムの手をかいくぐり、ルゥは隣室へと逃げ込んでしまった。


「まったく……あとで説教だな」


「きびしくお願いしますわ」


「……にしても、なんで急に女らしくとかいう話になってんだ?」


「それは……」


 ジャンヌはかくかく然々(しかじか)と事の次第を説明する。


「なるほど。まずルゥに相談したのが間違いだな」


「べつに相談をしたわけでは……」


「いいや、ジャンヌ。お前はなにも分かってない。恋の悩みと言えば、普通このシグナムねぇさんを頼るのが筋ってもんだろ」


「そうなのですか?」


「おう! あたしに任せときなって」


 なんの根拠もない自信を溢れさせるシグナムとは対照的に、ジャンヌはとても迷惑そうだ。


「とりあえずカミルを押し倒しちまえよ。話はそれからだ」


「押し……いきなりですか!?」


「お前ならカミルを(ひね)るくらい訳ないだろ。レギウス神拳は立ってよし、寝てよしの総合武術だって聞いたぞ」


「いえ、そうではなく……」


 シグナムの言いようは性急に()ぎる。やはりこの手の話に彼女は役立たずだ、ということをジャンヌは再認識した。


「無理矢理が嫌なら二人で潰れるまで飲み明かしてみたらどうだ?」


「……? 飲み明かしてどうするのですか?」


「そりゃお前、年ごろの男女が二人で酒を飲めば、青い性が暴走するに決まってるだろ。次の日、目が覚めたときにはカミルと結ばれてるはず――」


「婚前にそういった関係を結ぶのはいけません!」


 顔を真っ赤にして怒鳴ったジャンヌではあるが、頭の犬耳が可愛らしい。すこしズレてしまったそれの位置を直しつつ、神官娘はきつい眼差しでシグナムを見る。


「貞節というものを軽視しすぎですわ」


「でもお前だってカミルのことを憎からず思ってるんだろ。だったら相思相愛じゃないか。ぐだぐだ悩んでるよりは、ちゃんと想いを伝えたほうがいいに決まってる」


「それはそうなのですが……」


 男女の機微に(うと)いシグナムは、もじもじと恥じらうジャンヌへ()れたように言う。


「お前はレギウス神のところに行くんだろ? だったら魔族との戦いに駆り出されるだろうから、その前に白黒つけとけよ」


「……ええ、たしかにそうです。もうあまり時間はありませんし……」


 また戦いが始まれば、当分の間はカミルに会うことも出来ないだろう。執拗にジャンヌをカミルへけしかけようとするシグナムに、つい神官娘もうなずいてしてしまう。


「わかりました。カミルとは近いうちに話をしてみます」


「よし。ちゃんと結果を報告するんだぞ!」



 ジャンヌは、わくわくと瞳を輝かせるシグナムを見て不安になってしまう。その勢いに言いくるめられた気がしてならなかった。





 深夜。

 月の明かりも届かぬ地下の自室で、アルフラは目を覚ました。

 切断された右腕の傷痕には、うずくような鈍痛。

 包帯に覆われた肩を鷲掴み、きつく爪を立てる。しかし、そのことによる痛みはない。

 焼き切られた断面の神経は壊死しているため、感じる鈍痛も本来なら有り得ないものなのだ。――だがなぜか、夜毎(よごと)に苦痛の亡霊が訪れ、アルフラを(さいな)んでいた。

 歯をくいしばり、痛みに()れそうになる呻き声を噛み殺す。

 額に巻かれた包帯が脂汗にじっとりと濡れる。

 枕元に置いた細剣の柄を抱きしめて、アルフラは魔法の言葉を唱えた。


「白蓮……」


 眠りを(さまた)げる痛みは徐々に緩和され、やがて嘘のように消え失せた。


「白蓮……」


 もう一度つぶやき、(いと)しむように冷たい細剣の柄に頬擦りする。

 そのままふたたび、幸せな夢の中に溺れようとして――アルフラはすっと上体を起こした。

 扉を見詰めていると、やがて足音が聞こえ始め、それは部屋の前で止まった。


「アルフラさん。夜分にすみません。約束の品をお持ち――」


「起きてる」


 いらえるとともに扉は開かれ、フレインが姿を現した。

 アルフラの視線は、不自然に膨らんだ導衣の胸元に(そそ)がれる。それに気づいたフレインは、口を開くより先に、懐から意中の品を取り出した。

 見事な意匠の施された短刀の鞘に、アルフラの目は釘付けとなる。


「かの英雄、ガイル・ディアーの遺品にして、かつて剴延に傷を負わせた宝刀です」


「ガイル・ディアーの……」


 期待していた以上の得物に、アルフラの瞳が妖しく(きら)めく。


「抜いて、見せて」


 その願いに応えて、フレインは短刀を抜き放つ。

 差し伸ばされたアルフラの手に、それが渡された。

 カンテラの炎に照らされて、白銀の刀身がぎらぎらと輝きを帯びる。

 恐ろしい歓喜の笑みが、口許を歪めた。

 抜き身の短刀を片手に、アルフラは喜びにおののく。フレインはその情景に、思わず陶然(とうぜん)と魅入ってしまっていた。彼もまた、完全に正気とは言い切れないのかもしれない。

 かつて、アルフラの狂気がフレインに感染したのではないか、と考えたサダムがこの場に居合わせれば、やはり自分は正しかったのだと確信しただろう。


「これで……」


 力を取り戻すための足掛かりを、アルフラは手にしたのだ。

 それはずっしりと重く、衰えた今の体では、充分に扱いきれるはずもない。

 利き腕を失い、右目を失明しているのだから、以前のように戦えないことはアルフラも理解していた。

 だが、白蓮をみずからのものとするためならば、どのような障害であれ、なんら苦にならない。

 いくらでも積み重ねればよいのだ。

 (うしな)ったものを惜しむより、一時(いっとき)もはやく力を得ることが必要であった。

 白蓮さえ手に入るのなら、すべては些末事だ。

 その代償が目と腕だとしたところで、微塵の悔いもない。

 ゆめだ、まぼろしだ、忘れてしまえと、そうシグナムは言った。


「……ッ」


 ぎちりとアルフラは奥歯を噛み締めた。

 忘れるはずがない。

 忘れられるわけがない。

 でなければ、こんなことにはなっていない。

 焼け(ただ)れた顔を引き攣らせて、アルフラはその隻腕で宝刀の柄を握りしめる。


「アルフラさん……?」


 囁く声が、静かに呼びかけた。

 アルフラはその存在をいま思い出したというように、顔を上げる。


「まだ、いたの」


「あ、ああ、すみません」


 とくに感謝の言葉を期待していたわけでもないフレインは、アルフラの素っ気ない言葉にも表情を変えることなく、折り目正しく一礼した。


「では私はこれで失礼します。ゆっくり休まれて下さい」


 そのまま背を向けたフレインを見送るでもなく、アルフラはただじっと宝刀の刃を見つめていた。

 扉が閉ざされて室内に暗闇が戻ると、寝台から立ち上がり、戸口近くの棚からカンテラを手に取る。そしてその脇に置かれていた火口箱(ほくちばこ)を開いた。中から火石と打金(うちがね)を出して、アルフラは片手で難儀しながらも火をおこす。それをカンテラの芯に移し、顔の包帯を解き、ふたたび宝刀を手に持った。

 (みが)き込まれた刀身に、その容貌が映り込む。


 身の毛もよだつほどのおぞましい顔が、アルフラを見返していた。


 焼け潰れた右半面は古木の樹皮のように硬く黒ずみ、左の半面は皮膚が剥がれてぶよぶよとした肉色の塊となっていた。

 本来、眼窩(がんか)を閉ざすはずの(まぶた)は焼失し、うつろな暗い(ほら)がぽっかりと開かれている。


(化け物……)


 そうつぶやいたのは、河原で遊んでいた少女だった。

 彼女の言葉に嘘はない。

 アルフラはまばたきすることもなく、呼吸も忘れ、それを凝視していた。その胸中に、幸せだった古城での記憶が去来(きょらい)する。

 ただ白蓮が居るというだけで、すべてにおいて満たされていたあのころ。

 これほどまでに美しい人から自分は愛されているのだという、強い喜びと誇りがあった。しかし、あまりにも唐突に訪れた別れの日。すべてが幻想だったかのように、日常はあっさりと崩れ去った。

 それ以降は、喪失感と恋しさに付きまとわれる日々だった。

 白蓮を取り戻すことだけを願って、血の泥濘(でいねい)を這いずり回った。

 そしてロマリアでの再会。

 身をえぐられるような別離。

 白蓮から拒絶されたのだと思いながらも、力により支配するという希望にすがった。

 魔族の流儀にしたがい、白蓮以上の力を身につけ、愛する人を手にいれる。

 力を至上と考える魔族の価値観に照らせば、それで問題は解決だ。

 きっと白蓮の心も得られるだろう。


 しかしそこで、普段ならば思いもしなかった考えが、首をもたげる。

 いま目の前には、顔の焼け潰れた醜悪極まりない化け物が映っていた。 


 ――アルフラはこう考える。

 あれほど美しい白蓮が、見るも無惨な姿となってしまった自分を愛してくれるのだろうか。

 この顔を見た白蓮はどんな表情をするのか。

 その視線に自分は耐えられるのだろうか。

 想像するだにおそろしい。


――もし、白蓮があたしを愛してくれなかったら……?


 そんな疑問を持つほどに、アルフラは追いつめられ、思いつめていた。

 愕然と、天を仰ぐ。

 想像がつかなかった。

 たとえ白蓮を捩伏せるほどの力を得たとして、それでも白蓮が自分を拒んだら……

 アルフラには、白蓮のいない人生など、考えられない。

 生きていけない。


 ならば……

 いったい、どうすればいいのだろう。

 どうすれば白蓮を自分のものに出来るのか。

 恋い焦がれる情念がどろどろと沸き立つ。

 その焼けつくような想いは、氷の女王を灼き尽くすほどに狂おしい。


 感謝を知らず。

 人と馴れ合わず。

 己を(かえり)みない。



 あまりに未熟な精神は絶望の内に変質し、そんないびつな形状へと成り果ててしまっていた。

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― 新着の感想 ―
幼く天真爛漫なキャラクターって、往々にしてただちょっと足りてないだけのコに描写されがちだよね…
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