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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
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閑話――いつかあったかもしれないアルフラ

 もしもアルフラがシグナムの手をとり、戦うことを諦めていたらどうなっていたか、というIFのお話。



 寒冷地帯でありながらも、豊かな実りに恵まれた大陸北西部。

 大地は肥え、領主の人柄も良く、付近の農村では日々穏やかな暮らしが(いとな)まれていた。

 この地方でも北に位置する小さな村の外れに、これまた小さな家屋が一軒、さみしくぽつねんとたたずむ。


 村では年越しの祭が(もよお)され、夕刻から舞い始めた雪にもめげず、人々は楽しげにさんざめきあっていた。

 日もかたむき、辺りも暗くなってきた頃合。そろそろお開きにしようかなどと言葉を交わす村人達のなかで、まだ(とお)にもならないおさな子が、母親の腕をひいた。


「お母さん、あれ」


 母親は娘の指さすほうを見て、かるく目をすがめる。

 いきおいを増しはじめた雪のなかを、背高(せいたか)な白い影がちらりと横切ってゆく。


「雪の精?」


 風にふうわりとそよいだ銀糸のような髪を見て、女の子はそんなことをいった。

 いつの間にかあたりは、寒さに慣れているはずの村人たちが、身をちぢこまらせるほどに冷えこんでいる。

 ほんの一瞬だけ、二十をいくつか越えたくらいの若い女の顔がみえたような気がした。その面立ちは、この世のものとは思えぬほどにうつくしく――なにかぞっとするものを感じた母親は、娘の背を押して、そうそうに家のなかへとひっこんだ。


 雪の精かと見まごわれた背高の影は、風に流されるように村外れの家屋へとおよいでゆく。


    ◆◆◆◆


 アルフラは粗末な寝台のうえで身をおこし、じっとうごかず扉を見つめていた。


 予感がしたのだ。

 気もそぞろにおちつかぬ、胸のざわめきがアルフラに教えてくれていた。


 そしてその予感は、じきに現実のものとなった。

 戸を叩くでもなく、扉はするりと開かれる。たてる足音もひときわ優美に、焦がれつづけた想い人が姿をあらわした。


 いぜんであれば、ここでアルフラは白蓮へかけより、体をあずけるように飛びついていただろう。しかし、そういったことはせず、おちついた眼差しが白蓮へむけられていた。


「ごめんなさい、アルフラ。ずいぶんと待たせてしまって」


「うん」


 アルフラは陶然と、見惚れながらにうなずいた。色あせない想い出と、寸分(すんぶん)たがわぬ美しい姿とその声音に。

 つかつかと寝台へ歩みよった白蓮は、なだれる髪を波うたせて見下す。

 それは、アルフラの心の現風景と重なった。――傲然と、無慈悲に、冷淡に見下ろす氷の美貌――しかしいま、そこにあるのは慈しむように優しげな、アルフラの大好きな笑顔だった。


「ずっと、待ってたの。わたし、ずっと待ってたんだよ」


「ええ……」


 白蓮は、欲してやまなかったひたむきな眼差しにひきこまれ、言葉をつまらせる。


「きっとまた会えるって、信じてた」


「ええ……そうね……」


「待ちくたびれちゃったけど、わたし、白蓮を信じて待ってたよ」


 白く冷たい指先が、アルフラの髪をやさしく撫でる。


「ほんとうに、ごめんなさい。私はアルフラが死んだと聞かされていたの」


「……うん。ロマリアって国でね、すごい大怪我をしたんだけど、シグナムさんやフレインが助けてくれたの」


「フレイン……あの魔導士はどうしたの?」


 白蓮は首をめぐらせて、せまい室内を見渡す。


「フレインは、もう死んじゃった」


「そう……アルフラ、あなた子供は?」


「そんなのいないよ。わたし、ずっと白蓮のこと待ってたんだから」


 やわらかな微笑みをうかべていた白蓮のおもざしに、かすかな痛みが走った。


「村の人達はわたしをへんくつだって噂してたけど、わたしはずっと待ってたんだから」


 その瞳に憐憫(れんびん)の色をうかせて、白蓮はほほえむ。


「アルフラ……いい子ね」


 花咲くように、乙女のように、アルフラは顔をほころばせた。


「そんな顔しないで、白蓮。わたし、いますっごく幸せなんだから」


「これまでは、どうだったの? 幸せにすごせていた?」


「……そんなの」


 アルフラはこまったように表情をかげらせて(かぶり)をふる。

 歳月を重ね、いくつもの人生を見送ってきた鳶色の瞳が、かすかに潤みをおびた。


「みんなね、優しかった。シグナムさんも、ルゥも、フレインも。……ジャンヌだけは最後までちょっと変だったけど、みんな優しかったよ」


 白蓮はなんどもアルフラの頭を撫でながら聞いていた。そして、はらりとこぼれた亜麻色の髪に隠されていた右目――そこにひらいた虚ろな空洞から、思わず視線をそらす。


「だからね。わたし、みんなに幸せなふりをしてるのが辛かったの」


 アルフラの骨張った左手が上がり、白蓮の顔へと伸ばされる。袖に通されていない右腕が、すでに失われていることは、とうに白蓮も気づいていた。


「わたし、こんな体だから……ずっと白蓮を探しにゆきたかったけど……こんな醜い姿を見られたら、白蓮に嫌われちゃうとおもって」


 小刻みにふるえる手を白蓮の両掌がつつみ込んで、みずからの頬におしあてる。


「そんなこと……そんなことあるわけないでしょう、アルフラ」


「そうだよね。白蓮がわたしを嫌いになるなんて、ないよね」


「ええ……」


 冷えきった手が、そっとアルフラの背にまわされる。


「わたし、ばかだから」


「いえ……いいえ。ごめんなさい……馬鹿なのは、私だったわ」


「白蓮と会えなくて、ずっとさみしかったんだから」


「……ごめんなさい、アルフラ。ごめんなさい……」


 痛切な響きの声が、なんどもなんども、ごめんなさいとくりかえす。

 白くほそい腕が、しっかりとアルフラを抱きしめる。

 かつて雪原の古城でよくそうしたように、アルフラは安息の場所へと身をもたせかけた。


「でも、いいの」


 甘えるように言って、白蓮の胸へ頬をよせる


「最後に……白蓮と逢えたから、もう、いいの」


「アルフラ……」


 白蓮の声は、かじかむようにふるえていた。


「ねぇ、もっとつよく抱きしめて……」


 ひび割れた唇が、かすれた老婆の声で、抱擁を求めた。

 時の流れが年輪のごとく刻んでいったしわ深い顔のなかで、鳶色の瞳だけが、幼い頃とかわらぬみずみずしい光をたたえていた。

 乞われるがまま、白蓮は老衰に震える(からだ)を抱きしめる。

 顔を包みこむように両手を添えて、唇を合わせる。その頬に、温かな雫がしたたった。


「ほんとうに、アルフラは泣き虫ね」


 うっとりと閉ざされた右目と、空洞の眼窩からあふれる流れを、白蓮の唇がすくいとる。


「これはしょうがないんだよ。だって、歳をとるとだれだって涙脆くなるんだから」


「うそばっかり。アルフラは昔から泣き虫だったじゃない」


「そんな何十年も前のことなんて、忘れたわ」


 そしてアルフラはすぐに言いなおす。


「ううん。やっぱりうそばっかり。わたしはいっときだって忘れたことなんてなかった」


 つめたい唇がすっかりと涙をふきとり、笑みをとり戻したアルフラは、ふたたびせがむ。


「ねえ、言って。あたし、いちども言葉にして言ってもらったことない」


 少女のころのような口ぶりで、アルフラはそうせがんだ。

 なにを、と問いかえすことなく白蓮はうなずく。ふだんから口数のすくない彼女は、いままでいちどたりとも、それを言葉にしたことはない。おそらく最初で最後になるであろう囁きは、おずおずと、すこし恥ずかしげに告げられた。


「愛してるわ。アルフラ」


    ◆◆◆◆


 それは、愛する人を待ちつづけた八十二回目の冬。夫もむかえず子もなさず、村人からはへんくつ婆さんと呼ばれた老女のもとへ訪れた、夢のような奇跡だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] アルフラちゃんがどんな選択をとっても白蓮への愛だけは変わらないことが解釈一致すぎる。物語が2人にとって幸せになってくれたらいいな。
[良い点] ちょーおもすろい [一言] 辛すぎるー
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