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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
174/251

子犬のワルツ(前)



 舞踏会の日が訪れた。

 アルストロメリア侯爵家の豪奢な馬車が、賓客を迎えるため方々に散り、それはギルドの正門にも乗り付けられた。

 黒いドレスで(よそお)った女吸血鬼が馬車の前に立つと、侯爵家の使用人である御者がその扉を開く。すでに車内には、可愛らしいピンクのドレスを着た狼少女と、お仕着せの正装に窮屈そうな顔をした見習い魔術士が並んで座っていた。

 頭にビーズの髪飾りをつけたルゥは、どこか浮かない顔でうつむいている。その様子をすこし気にしながら、カダフィーはルゥの正面に腰かけた。

 百合の家紋の飾りをつけた侯爵家の馬車が、滑るように走り出す。


「どうしたんだい、人狼の嬢ちゃん」


 しばしの間、じっとカダフィーの顔を見つめた狼少女は、緩慢な動作で首を振る。


「……なんでもない」


 ルゥの悩みの種はこの女吸血鬼が原因でもあるため、言えるはずもない。

 ちらりとカミルに目をやったカダフィーは、声を潜めてささやく。


「ジャンヌのことだったら任せときな。ちゃんと上手くいくよう手助けしてあげるよ」


 女吸血鬼は、恋のライバルであるカミルのことで、ルゥがふさぎ込んでいるのだと解釈したようだ。


「そうじゃなくて……ジャンヌはもうすぐ神さまのところに行っちゃうんでしょ?」


「ん、ああ。レギウス神に招かれるっていっても、別に死んじまう訳じゃないよだよ」


「そんなの知ってる。……だからそうじゃなくて……」


 ルゥはもどかしげに口ごもる。アルフラたちが西方へ行くことをカダフィーに話してはいけないことは理解していたので、語彙にとぼしい狼少女がその思いを正確に伝えることは難しい。


「魔族との戦いで、ジャンヌが死ぬかもしれないって心配してるのかい? そういや嬢ちゃんは天界には行かないことにしたんだっけ」 


「うん」


「まあ、それが普通だろうね」


 ルゥもロマリアで魔王雷鴉の力を目にしているのだ。


「あたしだってホスローのことがなければ、神族に(くみ)するような真似はしたくないさ。でもジャンヌのことは任せときな。戦いが始まっても、あの娘が無茶しないよう気をつけてやるよ。それにレギウスの神官戦士たちが体を張ってでもジャンヌを守るさ」


「そうなの?」


「ああ、そうだよ。神官連中も今回の神託で無駄に盛り上がってるからね。聖戦だのなんだの言って大はしゃぎさ。だからジャンヌのことなら心配ない。戦いが終われば、またいつでも会うことが出来るよ」


 しかしその戦いが終わる頃には、逆にルゥたちが王都から離れているだろう。



 狼少女の胸を(かげ)らす憂鬱(ゆううつ)は晴れぬまま、馬車はことことと大通りを進んでいった。





 侯爵邸に到着したルゥたちは、使用人につれられ、その門をくぐった。

 長い回廊を通り、広い中庭を抜けて大広間へつづく廊下へ案内される。

 大きな両開きの扉に近づくにつれ、楽士たちの奏でる音楽の旋律(しらべ)が聞こえてきた。

 脇に控えた二人の守衛が、大扉をルゥたちの前で開け放つ。途端――さんざめく声と楽曲の、そして踊りと音楽を楽しむ人々の熱気が、肌に圧力として感じられた。


「わあぁぁぁ」


 ルゥは圧倒されたようによろめき、その光景に見入ってしまう。

 大広間では色とりどりのドレスをまとった淑女たちが、きっちりと正装を着こなした紳士たちと舞い踊っていた。

 これまでルゥが聞いたこともない楽器の音色が、複雑に絡んで耳に染み入ってくる。

 もうそれだけで楽しくなってしまった狼少女は、瞳を輝かせて踊りの輪へ飛び込んでしまいそうになった。


「待ちなって。いきなり舞踏会に水を差すつもりかい。踊りたいなら次の曲が始まってからにしな」


 カダフィーに抱え上げられてしまったルゥは、それでも色彩豊かな花々から目が離せず、じっと人々の踊る姿に見とれていた。


「すごいね~……みんなきれい……」


「ふふ、あんたも何気におんなの子なんだね。――ああ、見てごらんよ。ジャンヌがいる」


「えっ……どこ?」


 ルゥはカダフィーから指差されても、すぐにはそれがジャンヌであることに気づけなかった。

 淡い緑のドレスを着た美々しい姫君が、背の高い男性と踊っている。その女性はルゥと目が合うと、柔らかく微笑み――少々お待ち下さいね――と口を動かした。狼少女がきょとんと見ていると、やがて曲も終わり、彼女は優雅な足取りで近づいてくる。貴族の子弟らしき男性が次々と彼女へと寄って行き、なにやら言葉をかけているが、そのすべてに断りを入れてルゥの前に立つ。


「ジャンヌ……?」


 半信半疑で呼びかけると、


「はい、なんでしょう?」


 ジャンヌの声でその姫君は首をかしげた。

 よほど驚いてしまったのか、ルゥはぽかんと口をまるくする。


「ようこそお越しくださいました」


 ジャンヌがドレスの裾を摘まみ、腰を折って一礼する。高く結い上げた髪を飾る銀細工が、しゃなりと音を響かせた。

 あわあわと動揺する狼少女の隣りで、やはり茫然としていたカミルがつぶやく。


「ジャンヌさま、髪……?」


「ああ、これですか?」


 ふだんは顎先で切り揃えられた髪を、ジャンヌはうっとおしげに振ってみせる。


「つけ毛ですわ。あまり飾りをじゃらじゃらさせるのは好まないのですが、侍女がせめて髪飾りくらいは、と申すものですから」


 その言葉通り、ジャンヌは髪飾り以外にこれといった装飾品を身につけていなかった。それでも、豪華な宝玉や金糸銀糸で飾り立てた他のどの貴婦人たちよりも、遥かに人目を()いていた。

 目許のくまは顔料で自然に隠され、薄く紅を引いた唇は(つや)やかで形良い。顔立ちの美しさは語るに及ばず、肌は白く肌理細(きめこま)かで、抜けるような透明さが感じられる。そして豪華に結い上げられた金髪は、若草色のドレスによく映えた。武術の心得があるためか立ち姿も美麗で、より彼女の優美さが際立って見える。


「ジャンヌ、お姫さまみたい……」


 ぽぅっとした顔のルゥがつぶやくと、ジャンヌはとがめるようにルゥの唇をひとさし指でつつく。


「ふふ、侯爵家の娘ですからね。礼法は一通り修めていますわ」


 くすりと笑ったジャンヌが、ルゥに肩を寄せて並び立ち、その耳元でささやく。


「ルゥの可愛らしい桃色のドレスに合わせて、若草色のドレスにしたのですよ。季節は若干はずしていますが――ほら、こうして二人並ぶと、色合いが春めいていて素敵でしょう?」


 ジャンヌが(あで)やかに顔をほころばすと、周囲からいくつもの感嘆のため息が聞こえた。この舞踏会の主役であり一番の美姫(びき)とも言えるジャンヌは、来場客の視線を一手に集めていたようだ。彼女と親しげにするカミルやルゥにまで好奇の視線が注がれている。


「あんた、それコルセットは着けてないのかい? 痩せてるとは思ってたけど、細い腰してるねぇ」


「ええ、わたしは少々筋肉がつきにくいみたいで……」


 まじまじとジャンヌの体に視線を上下させるカダフィーに、彼女はすこし困ったようにこたえた。

 武神の信徒たるジャンヌにとって、女なら誰もがうらやむであろうその細腰は、あまり嬉しいものではないらしい。筋肉がつきにくいと一言で片付けた彼女に、やはりジャンヌはジャンヌだ、とカダフィーは変に感心した。


「しかし、化けたもんだねぇ。――おや……アルストロメリア侯のお出ましだよ」


 遠巻きにルゥたちを囲んでいた人波が左右に割れ、見るからに頑強そうな体格の男性が歩み寄って来る。その背後には、すでに会場へと到着していたらしいフレインとアイシャが付き従っていた。


「カダフィー殿、よくぞおいでくださった」


 深みのある低い声音で挨拶し、壮年の男性――アルストロメリア侯爵は女吸血鬼に目礼した。特に名乗ることはしない。このレギウス教国において、一般的な常識を持つ者であれば、彼の名を知らぬ者などいないのだから。また、名乗らぬことで不敬となるような相手も国内には存在しない。アルストロメリア侯爵は、それだけの権勢を誇る大貴族であった。


「会えて嬉しいよ。アルザイールも侯とは話をしたかったらしいんだけどね、なにぶん忙しい時期なんで許してやっておくれ」


 カダフィーのぞんざいな物言いを気にする様子もなく、アルストロメリア侯は口許に皺を刻んで笑みを溜めた。


「彼が多忙な身であることはよく心得ている。それよりも、普段こういった社交の場に出られることのないカダフィー殿とお会い出来たことが、なにより喜ばしいことだ」


「まあ、私も舞踏会なんて何十年ぶりかって話だしね。最近の音楽はよく分からないから、隅の方でゆっくりさせてもらうよ」


「それは残念至極。よろしければ一曲どうかと思ったのだが」


 これにはカダフィーもすこし驚いた顔をした。彼女が吸血鬼となってから百二十年、ダンスに誘われたのはこれが初めてだったのだ。


「ふふ、侯もなかなか胆の太い人だね」


 列席した貴族やその夫人たちが、興味深げに二人のやり取りを見守っていた。

 魔術士ギルドの重鎮である女吸血鬼と、ダレスの司祭枢機卿であるアルストロメリア侯爵が和やかに談笑しているのだ。それは宗教国家であるレギウスにおいて、とても奇異な情景であった。

 周囲の視線を気にすることなく、アルストロメリア侯はジャンヌの隣に立つルゥへと視線を移した。


「ジャンヌ、そちらがお前の友人だという人狼族の娘さんか」


「そうですわ。ルゥ、ご挨拶を」


 ジャンヌにうながされて、ルゥは元気よく挙手した。


「ルゥだよっ、こんばんわ!」


 クッ、と喉を鳴らしたアルストロメリア侯は、愉快そうに口許をほころばす。


「快活で気持ちのよい娘だな。ずいぶんとジャンヌが世話になっていると聞いている。これからも娘のよい友人であってくれ」


「父上! 世話をしているのはわたしの方ですわ」


 普段のルゥであれば、生意気な子分だな、とへそを曲げるところだが……このときばかりは狼少女も、ジャンヌのお姫さまっぷりにひたすらうっとりしていた。

 もともとジャンヌのことが大好きなルゥではあったが、よりいっそう惚れ直してしまったようだ。そんな狼少女へアルストロメリア侯は告げる。


「そなたが一族のために農地を(ほっ)していることは娘から聞いている。魔族との戦いが終わってからということにはなるが、まとまった収穫の見込める土地と住居を用意しよう」


「ありがとっ!」


 ルゥはうれしそうに飛びはねる。その隣に立つ緊張した面持(おもも)ちカミルにアルストロメリア侯は向き直った。


「ジャンヌ。そちらの少年を紹介してくれるかな」


「はい。こちらはカミル。見習い魔術士ですわ。彼からいただいた護符が、ロマリアでわたしの心の支えとなってくれました」


「ほう……」


 うっすらと頬を紅潮させたジャンヌを見て、アルストロメリア侯爵はかすかに目を細める。そして値踏みするかのような視線をカミルに向けた。

 がちがちに固まってしまった体を折り曲げ、カミルはぺこりとお辞儀をする。


「カ、カミルです……」


 それ以上は言葉のつづかない見習い魔術士へ、アルストロメリア侯は威圧感のある笑みで語りかけた。


「そちらのお嬢さんと同様、これからも末長く娘の友人であってくれ」


 友人、という部分の強調された言葉に、カミルは気の毒なほど顔色を白くする。恐慌、混乱、呪縛といった症状が出ているようだ。その様子を満足げに一瞥(いちべつ)し、アルストロメリア侯はカダフィーに告げる。


「隣室に一席(もう)けてあるので、そちらで食事でもいかがかな? ここでは込み入った話もしにくい」


「そうだね。私はこの子達に舞踏会の作法を教えてあげなきゃならないから、先にフレインとアイシャを連れて始めててもらって構わないかい」


「もちろんだ。夜は長い。急ぐことなく音楽と踊りを楽しむとよいでしょう。今宵は有意義な話が出来そうだ」


 鷹揚な笑みを浮かべて、アルストロメリア侯はフレインとアイシャを連れて大広間を後にした。その背を見送り、カダフィーはルゥに耳打ちする。


「ほら、今がチャンスだよ。カミルはまだ硬直してる。ジャンヌを口説いてきな。女を落とすときはね、まず相手を誉めるとこから入るんだ」


「わかった!」


「でも普通に誉めるのは初心者のやることさ。ちゃんとジャンヌの……」


 しかし狼少女は最後まで話を聞くことなく、すでにジャンヌへじゃれかかっていた。


「ジャンヌ! すっごくきれいだよっ。ボク見ちがえちゃった」


「ふふ、ありがとうございます。ルゥもとっても可愛らしいですわよ」


「えへへ……」


 てれてれとはにかむ狼少女の首根っこをカダフィーが掴んだ。そして壁際へと連れてゆく。


「逆に誉められて頬染めてちゃ意味ないだろ。あんたがめろめろになってどうすんのさ」


「あ……」


「だいたいジャンヌは侯爵家のご令嬢だよ。美辞麗句には馴れたもんなんだから、こういう場でありきたりな褒め方しても駄目だって。ちゃんとあの娘が喜びそうな話を振らないと」


「……うん。どんな?」


「ジャンヌと言えば信仰に関した話題しかないだろ。たとえば……あ、見てごらんよ、カミルを」


 カダフィーの視線の先では、ジャンヌとカミルが何事かを話し込んでいた。アルストロメリア侯から付与された様々な状態異常もようやく回復したようだ。


「……でも、着飾られたお姿も綺麗ですけど、やっぱりジャンヌさまは祭服を着ているいつもの格好の方が、僕は好きです」


「そ、そうですか? わたしもドレスはなんとなく落ち着かないというか……」


 すこし照れたようにジャンヌは視線を伏せる。


「やはり神に(つか)える身としては、助司祭の正装の方がしっくりきますわ」


「そうですよねっ、祭服姿のジャンヌさまはとても凛々しくて、ダレス神の聖印と同じくらいかっこいいです!」


 貴族のご令嬢に対する誉め言葉としてはおそろしく微妙ではあるが、ダレスの助司祭に対しては、最大の賛辞だったようだ。


「あの聖印の良さがわかるなんて! カミル、あなたはなかなか趣味がよろしいですわねっ」


 声の弾みかたが、さきほどルゥと会話していたときとは明らかに違う。


「相手が好むものを理解して、自分もそれを好きになるっていうのは基本だけど、ちゃんと実行出来る奴ってのは意外といないもんさ。でも、なかには生まれつきそれを自然と出来る者もいる。――カミルには私が教えることはなにもないね」


「むぅ……」


「あの子はなかなかの強敵だよ。でも安心おし。見てごらん、ジャンヌとカミルの距離を」


 仲睦(なかむつ)まじくダレス神の素晴らしさを語り合う二人ではあるが、その立ち位置は友人同士としてもやや離れたものだった。


「二人ともかなり奥手なようだね。異性と接することに馴れてないから、必要以上に距離を取っちまうのさ。この点では同じ女である嬢ちゃんの方が有利だ」


「そなの?」


「ああ、体の距離は心の距離、ってね。さあ、行ってジャンヌにべたべたして来な。そしてダンスに誘うんだよ」


「うんっ」


 ててて、と駆けよった狼少女が、談笑中のジャンヌに腕を絡めた。そのまま体をすりよせる。


「……どうしました?」


 急になんですの? といった顔をしたジャンヌの肩に、ルゥはこてりと頭を乗っけてみた。


「ふふん」


 ちょっと得意気にカミルを見る。どう、うらやましい? の顔だ。しかしカミルには伝わらなかったようで、彼はにこにこと小首をかしげていた。


「ねぇ、ジャンヌ。ボクおどりたい」


「ええ、いいですわよ。――カミル、すこしお待ちくださいね。後ほどご一緒しましょ」


 ルゥに手を引かれたジャンヌは、ドレスの裾をひるがえして大広間の中央へと歩いてゆく。そして楽士たちへと向かい、凛と声を張った。



「――円舞曲(ワルツ)を!」 

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