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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
172/251

夢見るアイシャ



 フレインは優良物件である。彼の横顔を見ながら、アイシャはうっとりと瞳をまたたかせた。


 王宮内の執務室はしんと静まり、ときおり書類をめくる音だけが、かすかに響いている。

 真剣な面持(おもも)ちのフレインは、世話しなく羽ペンを卓上で滑らせていた。


――やっぱり、仕事に打ち込む男の横顔はいい!


 そんなことを思いながら、ほぅ、とアイシャはため息をこぼした。積み上げた書類を前にした彼女は、ずいぶん前から手元がお留守になっている。隣の席で仕事をしている同僚が、すこし迷惑そうに彼女を横目で見ていた。しかし夢見るアイシャは動じない。仕事を再開しながらも、とりとめのない夢想にひたる。

 すこし前であればそんな余裕もなかったのだが、ここ最近はだいぶゆとりが出てきた。


 フレインが職場復帰して以来、部屋の片隅に陣取っていた書類の山は徐々に裾野を削られ、いまでは緩やかな丘陵地帯となっている。おそらくそれらも、今日中には片付いてしまうだろう。その功労者であるフレインは、仕事が早いというよりも、効率化が非常に(たく)みなタイプであった。彼は諸事を片付けるにあたり、まず書類の山を細かく区分することから始めた。そしてあらかじめ適切な資料等をすべて揃え、極力無駄を省き、実務者全員の作業効率を上げたのだ。

 おかげでアイシャはこのところ三時半(みときはん)睡眠を確保出来ている。気になっていた目許のくまもだいぶ薄くなってきていた。それは二十代半ばを越えたアイシャにとって、死活問題だったのだ。まさにフレインはお肌の救世主である。


 アイシャはこの歳になるまで、いまだ男性とお付き合いしたことがなかった。べつだん男嫌いというわけではない。もともと勤勉な性格で、植物の育成に関する魔術研究に没頭していたことが原因といえる。その甲斐あって、二十代という若さで導士となり、十年に一人の才媛(さいえん)ともてはやされるに至った。しかし、王宮勤務という()わば花形部署に栄進し、多忙な日々を送るうちに、いつしかアイシャは適齢期を通りすぎてしまっていた。そしてこれまでの人生をかえりみたとき、彼女は思った。


――私もオトコが欲しいっ


 同年代の女友達は、あらかた彼氏や夫がいる。友人たちの話を聞くうちに、羨ましくなったのだ。そういった経験もないまま歳を重ねてきたことに、なんとも言えない虚しさを覚えた。そんな切実な思いで周囲を見回したとき、目についたのがフレインだった。

 まず、その外見だ。やや女性的な顔立ちで、穏やかな性格がよく表情に出ている。友人連中からは、なよなよしていて男らしくない、といった不評もあるが、アイシャは逆にそこがよかったのだ。あまり男性馴れしていない彼女としては、ほとんど性的なものを感じさせないフレインの容姿は、とてもポイントが高かった。そしてこれまでフレインには浮いた噂のひとつもない。おたがい異性と付き合ったことがなければ、気後れすることもないだろう。これ以上もなく、理想的な相手に思えた。

 さらに、同じ導士であるフレインならば、魔術関連の知識も深く、話題にも事欠かないだろう。優秀だがどこか冴えない男という回りからの評判も、将来的なことを考えれば、婚姻を結んだのちも浮気などの心配はなさそうだ。

 しかもつい先日、フレインとカダフィーとのやりとりを聞いた限り、彼が宮廷魔導師になるのはほぼ内定しているらしい。ギルドの重鎮であるカダフィーからそこまで見込まれているのだ。フレインは男としても夫としても優良物件である。


 だが、ひとつだけ気になることがある。フレインは、あの凱延を倒したアルフラという少女に、ぞっこんなのだという噂があった。

 アイシャも遠目にアルフラを見たことがあるのだが、その外見はとても幼く、まだ子供と呼べる年頃に見えた。

 最悪である。


――フレインが幼児性愛者だったなんて


 それを知ったとき、アイシャはとてつもない衝撃を受けた。

 諸々(もろもろ)の条件を考慮すれば、フレインが幼児性愛者であることはささいな問題だ。――いや、決してささいではないが、まだ許せる。しかし、彼より二つ歳上であるアイシャにとって、その性癖は致命的であった。彼女も小柄で痩せているため、実年齢よりは若く見える。だがそれでも、十代前半(ローティーン)のぴちぴち具合には抗するすべもない。

 ならばどうすればよいのか……アイシャは深く考えた。悩んだ末に出た結論は、逆に大人の包容力で彼を魅了してやろうというものだった。

 しかしアイシャは、かなり自分のことを誤解していた。彼女はその体つきにしても性格にしても、包容力とは縁遠(えんどお)い女性だったのだ。

 だが、未来の夫であるフレインを、真人間に戻してあげたいと思う気持ちは本物である。


――ロリコンは病気です


 早く自分の魅力でフレインを治してやらねばという使命感に燃えていた。

 アイシャはがんばった。

 生来の勝ち気な性格を押し殺して、フレインの前ではおしとやかな大人の女性を、微妙に演じきった。

 だが、先日の再会では、とんでもない失敗をしてしまった。本来あの場面では、ロマリア遠征から帰還したフレインの無事を喜び、その労をねぎらうのが大人の対応だったのだ。

 アイシャも分かってはいたのだが、連日におよぶ過酷な勤務体制と過度の睡眠不足により、思わず開口一番、フレインに恨み言を並べ立ててしまっていた。


――ああ、私はなんてばかなのかしら


「しくじった……」


「……アイシャ?」


「え? あ……」


 気づくと、いつの間にかフレインがアイシャの前に立っていた。かなり怪訝そうな顔をしている。

 にまにましたり、ため息をついたりと落ち着きのないアイシャは、とても挙動不審に見えたことだろう。


「あの……私はロリコンではありませんから」


 どうやら考えが口から漏れていたらしい。


「他の方もいらっしゃるので、あまり人聞きの悪い独り言はやめて下さい」


「あ、ああああ、ご、ごめんなさいっ」


「お願いですから大声をださないで。みんなこちらを見ています」


 泣きそうな顔をするアイシャを見て、フレインは深く嘆息(たんそく)した。むしろ泣きたいのは彼の方だ。噂というものは、こういう風にして広がって行くのだろうな、と諦観(ていかん)の表情で話をつづける。


「私は今から行政府に行って来ますので、こちらの書類に目を通しておいて下さい」


「え、ええ、わかったわ。――行政府にはなにをしに?」


 書類の束を受け取りつつ、アイシャは自分ではおしとやかな微笑みだと勘違いしている、能天気そうな笑みを浮かべた。


「職人ギルドからの嘆願書が届いていましてね。王宮に納品している羊皮紙の卸値(おろしね)を、見直してくれという内容のものです」


「羊皮紙の卸値? なぜそんなものが私たちのところに?」


「魔術士ギルドは他と比べて、羊皮紙の消費量が群を抜いるからだと思います。彼らにしてみれば大口の顧客である私たちを味方につけて、担当官吏に圧力をかけたいのでしょう。なんでも今の卸値では、羊皮紙職人に首を吊る者が出かねないとか……」


「そういえば最近支給される羊皮紙は質があまり良くないわね……たまに穴があいてるのも見かけるし」


「ええ、王宮の資材調達を行う官吏が、かなり買い叩いているそうです。結果として、品質の維持が困難になっているのでしょう」


「羊皮紙の質が落ちると私たちも困るものね」


「この件では、魔術士ギルドの写本師からも相談を受けていたのですよ。ちょうどカルザス公から頼まれていた資料を届ける用があったので、公の方から話を調整していただこうかと考えています」


 わかったわ、とうなずいたアイシャに対し、フレインはくれぐれも独り言には気をつけるよう念を押して、執務室から出ていった。

 気を散らす対象の無くなったアイシャは、フレインが置いていった書類にするすると目を通す。それはロマリアで発生した黒死の病に対する意見書だった。レギウス教国にその害が及んだ場合を想定して、ギルドの薬学を研究する部署と、医神ウォーガンの神官たちが共同研究を行う取り組みについて書かれてある。これは植物育成の促進魔法を専門とするアイシャにとっても、関係深い話だった。薬草類の需要が増えれば、現場に出る仕事も舞い込んで来るだろう。

 ざっと読み終えた書類を卓の端に置いて、やりかけの仕事を再開する。最近、やや色ボケ気味の夢見るアイシャであったが、彼女はやれば出来る女である。

 さくさくと仕事をやっつけていると、執務室の扉が静かに開かれた。


「アイシャ、ちょっと」


 黒衣の女吸血鬼が手招きしていた。

 なぜ王宮にカダフィーが、と思いつつ、アイシャは素直に席を立つ。

 ちょこちょこと小走りで寄っていくと、肩に腕を回されて部屋の外へ連れ出された。


「な、なんですか……?」


 カダフィーの顔が首の近くにあると、どうしても緊張してしまう。彼女の牙は甘噛みでも頸動脈に届きそうなほど鋭い。かるくひと噛みで死ねる相手だ。そして吸血鬼は、純潔の乙女を好むと相場が決まっている。


「あの、私さいきん貧血気味なので……」


 アイシャは早くフレインに処女膜をどうにかして欲しいと思った。


「や、やさしくしてください」


「……なにバカなこと言ってんだい。明日の話なんだけどさ、アルストロメリア侯爵の屋敷で舞踏会が開かれるのは知ってるね」


「はぁ……」


 意図(いと)を掴みかねたアイシャは、曖昧にうなずいた。


「あんたもそれに出席しな」


「えっ、でも……私は招待されていませんよ」


「大丈夫。ちゃんと話は通してあるよ。だから、あんたはフレインと一緒に行きな」


「フレインと!?」


「そうさ。明日の夕刻に迎えの馬車がくるから、それに乗って二人で行っといで。もちろん舞踏会だから、フレインと踊ったり食事を楽しんだり……きっとあんた達の距離も縮まるよ」


 アイシャの瞳の光彩が、ハート形になっていた。


「フレインのことが、好きなんだろ?」


「――はぅあ!? な、なな何を……」


 手の甲を口許にあて、アイシャは大きく上体をのけぞらせる。その様子を、カダフィーはにまにまと見つめていた。


「あんたは分かりやすいからねぇ。気が強くて負けず嫌いなくせに、フレインの前でだけはネコかぶってるだろ?」


 耳まで赤くなったアイシャの肩を、女吸血鬼はぽんぽんとたたく。


「私はね、あんたを応援してるんだよ。フレインのことは、あいつが子供の時分から知ってるからね。いろいろと力になれると思うよ?」


 ある意味アイシャにとっては、願ったりもない申し出だった。ギルドの上役(うわやく)が、フレインとの仲を取り持ってくれるというのである。断る理由を探す方が難しい。アイシャはいちもにもなく飛びついた。


「よ、よろしくお願いしますっ……ええと、でもなぜ急にそんな……?」


「まあ、そんなことはいいじゃないか。それより、どうすればフレインの気を惹くことが出来るっかて話の方に、興味があるだろ?」


「あ、はい。それはもちろん!」


 いい返事だ、と笑ってカダフィーはアイシャの耳元に口寄せる。


「ここだけの話、フレインはロリコンだ」


「知っています!」


 それも今では、アイシャの功績により職場の全員が知るところだ。


「あんたは体型的にも好みなはずなんだよ。ひらべったいのが好きだからね、フレインは」


 あまり素直に喜べないアイシャは、うらめしそうにカダフィーの体へ視線をやる。彼女と比べ、女吸血鬼は胸も尻もまるい。


「それとね、フレインの前でネコをかぶる必要はないよ。この前、ギルドの地下で会ったときの態度が正解さ」


「ええっ!?」


 アイシャはよほど驚いたらしく、目と口をまんまるにしていた。


「あんた、アルフラって娘のことは知ってるだろ」


「は、はい」


「あの嬢ちゃんがね、ちょっとあんたに似た性格なんだよ。気が強くて負けず嫌いで、直情的ですぐ周りが見えなくなる」


「いえ、私、空気読むのは得意ですから」


 先ほど、職場仲間の手痛い視線にも気づかなかったアイシャは、ずうずうしくもそんなことを言った。


「まったく、どの口が言ってんだい。……とにかくね、フレインは押しに弱い。ぐいぐい押してけば、あいつは断れなくなる。それに酒もあんまり強くないから、酔わせちまうのもひとつの手だね。既成事実を作っちまえばこっちのものさ。あとは子供をこさえて責任取らせちまえばいい」


「こ、こどっ……!?」


「なにカマトトぶってんだい。もう三十近いくせに」


「まだ二十六ですっ!」


「えっ、そうだったのですか?」


 突然背後から聞こえた声に、アイシャは飛び上がって驚いた。ちょうど廊下の角からフレインが姿を現したところだった。


「あ……すいません。大きな声だったもので、つい耳に入ってしまって……」


 蒼白な顔で、目じりに涙を溜めてしまったアイシャへ、フレインは申し訳なさげに頭を下げる。


「……間の悪いところに。――とりあえず、フレイン坊や。あんた明日の舞踏会はアイシャと出席しな」


「は……? アイシャとですか?」


「そうさ、淑女(レディ)を同伴しないで一人で行っても、恥ずかしい思いをするだけだよ」


「そういえば、舞踏会は基本的に男女一組で出席者するのが(なら)わしだと聞きましたが……やはりそういうものなのですか?」


「社交界では常識だね。まあ、これまでそんなのに縁のなかったあんたにはよく分からないだろうけどさ」


「そうですか。では仕方ありま――はうっ」


 カダフィーのすこし強めのげんこつが、フレインの腹に入った。


「あんたねえ、こういうことは普通、男の方からお願いするもんだろ。なに偉そうにしてんのさ、このひょうたんなまず」


「……な、なまず?」


 わき腹を押さえて顔をしかめるフレインに、カダフィーとアイシャの冷たい視線が突き刺さる。


「あ……その、すいません。アイシャ、もしよろしければ明日の舞踏会に同伴していただけますか?」


「はい! 喜んでっ」


「よし。じゃあ後は若いもん同士……ああ、そうそう。ジャンヌは舞踏会に若草色のドレスで出席するらしいから、色が被らないようにね。アイシャもドレスの数着は持ってるだろ?」


「ええ、いちおう宮廷付きですので、大丈夫です」


 うんうんとうなずいたカダフィーは、肩を返して手をひらひらとさせる。


「じゃあ、明日は遅れるんじゃないよ」



 やや呆然とするフレインと、にこにこ微笑むアイシャを残して、仲人(なこうど)気取りの女吸血鬼は去っていった。

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