表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
169/251

女吸血鬼の想い


 

 かりそめの死に浸る女吸血鬼は、その眠りから唐突に目を覚ました。みずからが寝所とする部屋の階層に、何者かが浸入する気配を感じたのだ。


――フレイン坊やか……


 近づいてくる足音の主を正確に特定し、カダフィーは棺の中で、はわはわとあくびをした。不死者の体が、空には没しかけの陽が残っていることを女吸血鬼に伝える。まだ起きるにはいささか早い時間であるが、とくに不快感はなかった。


 吸血鬼であるカダフィーの許を訪れる者など、ごくごく限られている。

 地下へ足を踏み入れることを許されている導士たちですら、この階層へは用もなく近づくことはない。フレインは彼女を恐れずに接する、数少ない者の一人だ。彼との出会いはおよそ二十年ほど前の話である。当時、国境地帯の鉱山を巡り、レギウスとラザエル皇国が頻繁に争った結果に生まれた戦災孤児。その一人がフレインだった。

 ギルドが彼を引き取った理由は非常に単純なものだ。開発中であったカンタレラの人体実験のためである。フレインの他にも、ギルドは多くの子供たちを不正な経路で仕入れていた。レギウスでは人身売買を固く禁じる法があるため、表向きには孤児を育てる慈善事業という建前であった。

 実験に使われた子供たちは、その半分ほどが命を落としたが、犠牲の甲斐もあってカンタレラの安全性は確立されるに至った。


 元来、酷薄な性格のカダフィーではあったが、おさな子を消耗品のように扱うカンタレラの実験にだけは、どうしても嫌悪感を(ぬぐ)い去ることが出来なかった。おそらくそれは、子を身ごもれない、不死者となったことにも関係するのだろう。その身は死した体ではあるが、母性を宿す心は生きていたのだ。


 カンタレラの実験では、数多くのいたいけな命が失われた。しかし、それと同じほどの数だけ、優れた魔力を持つ子供たちが産み出されもした。生き残った子供の中から、特に魔術の素養が秀でた者を、ホスローは弟子に取った。それが、フレインである。

 幼い時分からカンタレラを服用させられ続けた彼は、人間としては稀有な魔力を身につけていた。他の子供らが初歩的な呪文の暗記をしている頃には、基礎魔術理論を理解しえた。師であるホスローは、物覚えがよく素直な弟子をとても目にかけていた。また、フレインも不死者であるホスローを(おそ)れながらも、父のように慕っていることをカダフィーは知っていた。


――ならば、ホスローのつれあいとも言える自分のことを、フレインは母として慕わねばおかしいのではないか?


 カダフィーがフレインを坊や呼ばわりするのも、そういった想いがあったからである。ただ、とうのフレインは、自分がカダフィーから一人前だとは認められず、ことあるごとにからかわれているのだ、と感じていた。

 また、自分はフレインの育ての母だと言ったカダフィー軽口も、彼女にしてみればあながち冗談ではなかった。現に彼がおさない頃には、ちゃんと世話を焼いてあげた覚えもある。

 フレインからしてみれば、感じ取ることは非常に困難ではあろうが、カダフィーは確かにある種の愛情を彼へ向けていたのだ。


「……カダフィー」


 石室の扉が叩かれ、フレインの声が響いた。蝶番がきしみ、室内に踏み入る足音がする。


「普通はね、相手の返事を待ってから扉を開くもんだよ。とくに淑女(レディ)の部屋へ入るときにはね」


 すこし躾には失敗したかね、とぼやきつつ、カダフィーは棺から身を起こす。


「なんの用か知らないけどさ、どうせなら陽が落ちきってからにして欲しいんだけど」


「夜になって淑女の部屋を訪れるのも失礼かと思いまして」


「……ふん」


 カダフィーは鼻にシワを寄せて悪態をつく。


「フレイン坊やのくせに、大人の冗談なんてお言いでないよ」


 生命の(ことわり)に反する(いびつ)な存在となってしまったためか、やや(ゆが)んだ親愛表現をする女吸血鬼に、フレインが一枚の封書を差し出した。


「アルストロメリア侯からの招待状です。ジャンヌさんが、七日後に催される舞踏会に是非ともご出席を、という父君からの言伝(ことづて)を預かったそうです」


「ふうん……」


 封書の中身を確認しながら、カダフィーは気のないため息で返した。


「ジャンヌさん本人は、不死者に来られても困るので、別に欠席でも構わないと言っていました」


「そうかい、じゃあちょっとだけ行ってみようかね」


「……え? 行くのですか?」


 カダフィーが舞踏会などといった、多くの人々が集まる場に出ることはないと予想していたフレインは、あからさまな不審の目を向けていた。


「ああ、ちゃんと妖気は抑えてくから平気だよ。ドレスの一着くらいは持ってるしね」


「いや、そうではなく……どういう風の吹き回しですか?」


 ふふん、と鼻で笑ってカダフィーは招待状を小手先で(もてあそ)ぶ。


「アルストロメリア侯はね、なかなか賢い男だよ。彼は勝ち馬に乗りたいのさ」


「……と、いうと?」


「ダレスの司祭たちが、魔族との和平に肯定的なのは知ってるだろ?」


「いえ、以前ほど対魔族に強硬な姿勢ではなくなったとは聞いていますが、肯定的とまでは思っていませんでした」


「なんだい、まだアルザイールから聞いてなかったのか」


 すこし面倒くさそうにしながらも、カダフィーは詳しい情勢を説明する。

 現在ギルドは、少々微妙な立場にあると言える。ギルドの長であるホスローは失踪したまま、さすがにその不在を長くは隠しおおせず、公然の秘密となっていた。宮廷内での影響力も弱まり、魔族との和平交渉も滞っていたのだが、ダレスの司祭たちが態度を軟化させたことにより、情況は変わった。司祭たちの心変わりは、ジャンヌの父でありダレスの司祭枢機卿でもあるアルストロメリア侯爵の意向によるものだ。

 レギウスの教王は、各宗派の司祭を統括する枢機卿によって選出される。そのため司祭枢機卿は政治的にも宗教的にも絶大な影響力を有し、その一声が宗派の指針ともなるのだ。


「ようするにね、アルストロメリア侯は神族の勝利はないと踏んで、ギルドに歩み寄ったのさ。魔族に隷属(れいぞく)するくらいなら、主権を維持したまま朝貢した方がましだと考えたんだよ」


「思い切ったものですね、アルストロメリア侯も。――しかし、四柱守護神の司祭枢機卿から見限られるとは……やはり神族の勝利はないと考えるのが妥当でしょうか」


「だと思うよ。私達がロマリアに行ってる間、アルザイール(あて)に、アルストロメリア侯から会見の打診が来てたらしい。まあ、あいつも相当忙しかったみたいでさ、時間の都合がつかなかったと言ってたけどね」


「ああ、それであなたが名代として――」


 言いかけたフレインの頭を、女吸血鬼がぺちりとはたいた。


「なんで私がアルザイールの名代なんだい。私の方が先任魔導師なんだからね。百年ほども」


「……すみません」


「とりあえず、アルストロメリア侯とは仲良くしといて損はないってことさ。先見の明がある奴とは協力出来る。――もちろんあんたも、舞踏会には出るんだよ」


「はぁ……やはり私もですか……」


「当然だよ。それとこれからは、ジャンヌとも仲良くしときな」


「……は? なぜジャンヌさんと?」


 意味が分からないといった顔で、フレインはまじまじとカダフィーを見つめる。


「ジャンヌはレギウス神の召喚に応じるんだろ?」


「詳しくは聞いてませんが、彼女の性格からして間違いないでしょうね」


「だったら天界でレギウス神と謁見して、ジャンヌが宝具の一つも貰って地上に戻れば――あの娘は聖女と呼ばれる存在になるはずさ」


 ジャンヌをよく知る者からすれば、あまりにそぐわない聖女という響きに、フレインは強い目眩(めまい)を感じた。


「アルストロメリア侯の息女が、敬虔なレギウス教徒なことは有名だからね。十代で助司祭になった経歴もある。そして今回のロマリア遠征の功績に加えて、レギウス神に直接目通り叶うわけだ。もしかするとあの娘、ゆくゆくは大司祭になる可能性もある。――場合によれば教王って目まで出てくるよ」


 大司祭、教王という言葉を聞いて、ひどくなる一方の目眩をなんとかフレインはやり過ごす。


「……あー、ですが魔族が勝利すれば、信仰の自由などないのでは?」


「魔族には、信仰っていう概念自体がないんだよ。だからそれを規制しようって考えもない。あっさりと好きにしろって返事が来たらしいよ。それに現王室の存続まで認められたらしい」


「え……和平交渉も詰めの段階にあるとは聞きましたが、そこまで話が進んでたのですか?」


「みたいだね。その返事の後はダレスの司祭以外も、和平に対する拒否感が薄れてきたんだとさ。もっとも、グラシェールの神域を落とした魔皇なら『何を信じようが好きにしろ。ただしその信仰の対象を滅ぼしてやるけどな』くらいのことは思ってそうだけどね」


 実際に戦神バイラウェは滅び、その信徒たちは奉ずるべき神を失っている。バイラウェ神にも御子はいるが、成人して戦神の名を継ぐのはまだまだ先のこととなるだろう。


「……ジャンヌさんが大司祭や教王に、というのはあまり想像がつきませんね。それよりも彼女が猪突猛進して、戦いに散るといった未来が一番ありそうな気がします」


「そうなんだよ……それが頭の痛いところさ。まあ私がついてて無茶しないように気をつけてやるしかないね。出来れば神族にはさっさと負けて欲しいところだけど」


 こめかみを指で押さえて、頭が痛いよ、の仕草をしてみせる女吸血鬼に、フレインは苦笑でこたえた。そしてごく自然な流れで、彼がもっとも知りたかったことを聞ける情況となったので、カダフィーへと探りを入れてみる。


「あなたはレギウス神からホスロー様の行方を聞いたあと、ジャンヌさんと行動をともにするつもりですか?」


「まぁ場合によりけりだね。レギウス神の力を借りるわけだから、その要望にも応えないといけないだろうし、行動になんらかの制約を掛けられるかもしれない。その手の魔法はレギウス神の十八番(オハコ)らしいからね。――それにジャンヌは私の弟子みたいなもんだから…………ああ、そういや私は今まで弟子を取ったことがなかったっけ。――てことは、あの娘が一番弟子になるのか……」


 女吸血鬼は、すこし感慨深げな笑みを浮かべていた。


「ではやはり、ジャンヌさんを守りながら魔族と戦う心積もりなのですね?」


「ん……そういうことになるかな。魔王連中とさえ出会わなけれりゃ、逃げるくらいは出来るだろうからね。のらりくらりしながら戦いが終わるのを待つよ。――ただ、ホスローがどういう情況に置かれてるかにもよるけど」


 大道師ホスローが姿を消してから約三ヶ月。本来ならその無事を危ぶんでしかるべきではあるが――それでもカダフィーには、ホスローに限って、という思いが強い。不死者である彼は、普通の人間と違い、よほどの傷を負ったとしても、それで失う命は持ち合わせていない。身動きができなくとも餓死することもないのだ。ましてや一度は伯爵位の魔族すらも退(しりぞ)けたホスローに、万一のことなど考えられない。

 そしてカダフィーもまた、アルフラと同じく盲愛の病を患う者だ。愛に(めし)いた彼女の目には、ホスローを失うという未来は見えなかった。


「そういやあんたは天界行きを保留にと言ってたね。どうするつもりなんだい?」


「……アルフラさんのこともありますし、私はレギウスに残ろうかと……」


「ふうん……あの嬢ちゃんのためってわけかい」


 カダフィーは含みのある目でフレインを流し見て、かるく首を振った。


「ま、理由はどうあれ、それがいいね。あんたは王宮務めに早く慣れてもらわないといけないし。レギウス神から力を授かっても、あっさり戦場でぽっくり逝っちまいそうな気もする」


 とてもありそうな結末なので、フレインも思わず頷いてしまう。


「そうですね……」


「なんだったらさ、あんたもいい歳なんだし、早いとこ身を固めちゃどうだい?」


「……なんですか急に」


「いやね、私もそろそろ孫の顔が――」


「ですからあなたに育てられた覚えはありませんから!」


 百二十年ものあいだ若さを保ち続けている女吸血鬼は、肉体的な年齢でいえば、あまりフレインと変わりがない。彼からしてみれば、非常にたちの悪い冗談と感じられた。

 けたけたと笑い声をあげるカダフィーをにらみ、フレインは彼女にいとまを告げる。


「これ以上話していても、あなたのおもちゃにされるだけのようですね。私はこれで失礼しますよ」


「じゃあ私はもうすこし寝るとするかね……どうだい、ちょっと添い寝でも……」


「結構です」


 きっぱりと言い放ったフレインの顔を、カダフィーはまじまじと見つめる。


「……まだなにか?」


「そういやフレイン坊やはさ、だいぶ小さい頃にギルドに来たじゃないか。……母親との思い出とかって覚えてるのかい?」


 真顔で尋ねる女吸血鬼をしばし見返し、フレインは簡潔に答えた。


「ほとんど覚えていませんよ。――それではこれで失礼します」


 背を向けて石室を出てゆくフレインへ、カダフィーがいたずらっぽい笑みで言葉を投げた。


「なんなら私のことを、お母さんて呼んでくれてもいいんだよ」


 それには返事もなく、地下の一室には女吸血鬼のくすくす笑いがこだました。



 無言で石室を出たフレインは、カダフィーへ対する罪悪感を募らせつつ、自室へと戻った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ