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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
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舞踏会への誘い



 正午をいくらか過ぎた昼下がり。神殿から派遣された二名の助司祭がギルドに到着した。彼女たちは医神に使える高位の神官だった。しかし、重篤な怪我人の治療に慣れたはずの彼女らも、アルフラの状態を確認するときには、顔から血の気を引かせ、まばたきを忘れていた。

 二人の神官は問診を終えると、皮膚の再生力を促進する治癒魔法を行い、また明日も同じ頃合いに訪れると告げて帰って行った。

 終始無言で治療を受けていたアルフラは、助司祭たちが部屋を去ったのち、ぽつりと呟いた。


「あたし、そとに出たい」


 火傷痕に軟膏を塗り込み、包帯を巻き直していたシグナムが、静かに首を振る。


「駄目だよ。このレギウスには魔族の使者やら間者なんかが出入りしてるんだ。表を出歩いて見つかっちまったらまずい。アルフラちゃんは侯爵位の魔族を倒したんだからね。報復に来る奴なんかもいるかもしれないだろ」


 最近のアルフラは、杖さえあればそれほど危なげなく歩けるようになっていた。この調子なら、おそらく数日もすれば杖も必要なくなるはずだ。火傷の痕は全身に残っているものの、両足に障害が残らなかったことは幸運と言えるだろう。


「でも、ここだと……」


 アルフラがその隻眼でシグナムを見上げたとき、ゆっくりと開かれる扉が視界に入った。


「おや、ウォーガンの神官はもう帰ったのかい?」


 薄く開いた扉の隙間から顔だけをのぞかせたカダフィーが、室内を見回して部屋に入ってきた。

 アルフラの包帯が巻き終わるまで、後ろを向いて待っていたフレインは、ちょうど女吸血鬼と対面する形となってしまい、すこし迷惑そうに尋ねる。


「なんの用ですか。こんな真っ昼間から起き出して来て」


「いやね、私の部屋はここの真下だからさ、なんかぞろぞろと上の階を歩く気配で目が覚めちまったんだよ。――ついでだからウォーガンの神官に、嬢ちゃんの怪我の見立てでも訊いとこうかと思ってね」


「でしたらまた明日も来るそうなので、その時にでもどうぞ」


 扉を指し示して退室をうながすフレインへ、カダフィーがすこし拗ねたような声をだす。


「なんだい、そう邪険にしなくてもいいじゃないのさ。――ははぁん……さっきのことを根にもってんだろ?」


 からかうように言いつつ、女吸血鬼は寝台の方へと目を向ける。そちらでは、たどたどしい口調のアルフラが、外に出たいと再度シグナムへ訴えていた。

 カダフィーは聞き耳を立てながら、ひょいっとフレインをかわしてアルフラの前に立つ。


「嬢ちゃんはもうだいぶ歩けるようになってんだろ。だったら少しは散歩でもさせてやればいいじゃないか。私と違って生身なんだからさ、こんな地下の辛気くさい部屋に閉じ込められてちゃ、治る怪我も治りゃしないよ」


「気軽に適当なこと言うなよ。それで魔族に見つかりでもしたらどうすんだ」


 直接目に止まらずとも、ロマリアで侯爵位の魔族を倒した者が生きていると噂になれば、レギウス教国に放たれた間者は、その情報を主の元へ持ち帰るだろう。シグナムたちが把握している状況から(かんが)みるに、配下の貴族をアルフラに殺された灰塚や口無といった魔王が、その命を狙ってくる可能性は非常に高いと推測された。


「人目につかなきゃいいんだろ? だったらいい場所を教えてあげるよ」


 アルフラが興味を惹かれたようにカダフィーへと首を巡らせる。


「この地下通路の先に秘密の小部屋があってね、室内の隠し階段をのぼると、今は使ってない物置小屋に出るんだ。そこから表に出れるよ」


「使ってない物置小屋……ギルドの裏庭にあるあの小屋ですか?」


「そうだよ。あそこだったら枝振りのいい立木が並んでるから、周りにある背の高い建物からだって見えない。日中は裏庭につづく通路を立ち入り禁止にしとけば、誰かに見られることもないだろ?」


 フレインが驚いた表情でカダフィーを見ていた。


「その秘密の小部屋の話は初耳なのですが……私が知らないということは、導師以上の者にしか伝えられていない、秘密の抜け道なのでは……?」


「そんな大したもんじゃないよ。私が“生きてた”頃はみんな普通に使ってたからね。いつの間にか忘れられて、最近の奴らは知らないみたいだけどさ」


 これにはシグナムも驚いた顔をしていた。


「あんたが生きてたのって百二十年も昔の話だよな? “最近”の感覚がちょっとおかしいだろ」


「……なんだい人を婆さん扱いして……せっかく教えてやったのにさ……」


 これだから最近の若いもんは、などと愚痴る女吸血鬼の外套をアルフラが引っ張る。


「あたし、そこに行きたい」


「いいよ、どうせ寝床に帰るついでだからね。案内してやるからついて来な」


 寝台から立ち上がろうとしたアルフラへ、シグナムから杖が渡される。ギルドの備品である(ひのき)の杖だ。

 秘密の抜け道から外へ出ると聞いてわくわくとしていた狼少女が、先頭をきって部屋から飛び出した。

 活発に揺れるルゥの白い髪を目で追いながら、カダフィーは肩越しにアルフラへ告げる。


「杖なしでも歩けるようになったら、人狼の嬢ちゃんに棒でも投げてやりなよ」



 ぴくりと耳を動かした狼少女は、カダフィーのことを、ちょっとだけいい奴かもしれない、とすこしだけ見直した。





 だいぶ陽も傾き、アルフラが疲れを見せるまで、シグナムたちはその歩行訓練を見守っていた。それほど広くはない敷地を、アルフラは端から端まで飽きることなく往復し、体の動きを確かめるように三肢を伸ばす。

 ルゥは木に登ったり、その根本の土を掘り返したりなどして、手を泥だらけにしてしまっていた。

 そろそろ暗くなり始める時分となり、シグナムはすこしぐったりしたアルフラを抱えて地下へと戻った。寝台に横たわると、アルフラはすぐにうつらうつらとまどろみ始める。久しぶりに外で体を動かして、よほど疲れてしまったのだろう。

 夕食の時にまた来ると小声で告げて、シグナムたちはギルド一階へと続く階段を上がる。すると仲良く大きな荷物を運ぶ、カミルとジャンヌにばったり出くわした。


「部屋に運んでくれてたのか。ありがとな。――ていうかなんでジャンヌが居るんだ?」


「シグナムさまたちに少々用がありまして。それで宿舎に行ってみたのですが、カミルが部屋から荷物を運び出していたので、お手伝いをしていました」


「ボクも手伝うっ」


「いや、ルゥは手を洗ってからにしてくれ」


 シグナムが駆け出そうとしたルゥの襟首を掴まえた。


「荷物はこれで最後ですから、だいじょうぶです」


 そういいつつも、カミルは腕をぶるぷるさせながら、息を上がらせていた。あまりジャンヌと背丈のかわらぬ小柄な彼には、かなりの重労働だったようだ。


「カミルは情けないですわね。もっと体を鍛えないと」


 武神の信徒であるジャンヌは、軽々といった様子で荷物を抱えている。


「こ、これくらい、ぜんぜんへっちゃらですから」


 すこしでも神官娘によいところを見せようとするカミルの腕から、ふわりと荷物が浮き上がった。シグナムが片手でそれを持ち上げたのだ。


「……なにげに軽いな。おい、カミル。勉強ばっかやってないでちゃんと体を動かした方がいいぞ。こんなんじゃあ、いつまでたってもジャンヌを任せられないな」


 手荷物の代わりに、ゆくゆくはジャンヌを押し付けてやろうと考えるシグナムだった。

 部屋までゆくと、カミルはくたりと床に座り込んでしまう。たぶん明日は筋肉痛だ。その様子をすこし微妙な目で見ている神官娘に、シグナムが話を向ける。


「それで、なんの用だ。アルフラちゃんの様子を見に来たのなら、いまは疲れてるはずだから後にしてくれ」


「はい、それもあるのですが……」


 そう言いつつ、ジャンヌは腰に吊るした小鞄(ポシェット)をごそごそとやりだす。なぜかその尻はすこし引けていて、中腰ぎみになっていた。


「なんだ? 腰でも痛めたのか?」


「いえ……きのう帰宅したあと、父からお尻が腫れ上がるほど叩かれてしまって……」


「ああ、なるほど。そうなることが分かってたから、昨日は泣くほど家に帰るのを嫌がってたのか」


 シグナムが喉を鳴らして愉快そうにする。


「笑いごとではございません! 昨日はお尻が痛くて仰向けに寝れなかったのですからっ。尻滅裂ですわ」


 さらりと尻滅裂を使いこなす神官娘を、ルゥはぽーっとした顔で見ていた。

 小鞄の中から封書を数枚取り出したジャンヌは、卓の上にそれを置く。

 これは? と目で問いかけるシグナムに、神官娘はかしこまった一礼をした。


「当家から皆様方への招待状です。七日後に行われるアルストロメリア侯爵家主宰の舞踏会に、シグナム様達をご招待いたしたく思います」


 普段よりもすこし気取った物言いをしたジャンヌが、封書に記された宛名を見ながら、それぞれに招待状を配る。

 もらえる物なら何でも嬉しいルゥが、はしゃいだ様子でそれを受け取った。しかし、シグナムは中身も見ずに、招待状を卓へ置いた。


「あたしは遠慮しとくよ。舞踏会なんて(ガラ)じゃないからね」


「そうですか。ですが今ここでお決めにならずとも、気が変わられたら是非お越し下さい」


「お姉ちゃん、いかないの?」


 残念そうにシグナムを見上げたルゥへ、大きな手が降りてくる。ぐりぐりと頭をかいぐられ、狼少女はふらふらした。


「ルゥは行って来な。ジャンヌも出るんだろ?」


「ええ、舞踏会はあまり好きではないのですが、父から言われて無理やり……」


 やや憂鬱げに、痛む尻を撫でたジャンヌは、フレインにも招待状を差し出す。


「……え? 私も招待されているのですか?」


「はい。カダフィーの分もありますわ」


 あっけに取られた顔をしていたフレインの表情が、すっと真剣なものに変わった。


「この招待状……アルストロメリア侯爵が、神託を受けた者と知己(ちき)を得るためのものですよね?」


「さあ? そこまでは存じません。わたしは父から、ロマリア遠征でお世話になった友人方を、是非お招きしなさいと言われただけですから」


「……なるほど。シグナムさん達に面会を求める神殿関係者の中に、ダレスの信徒が一人もいなかった意味が分かりました。アルストロメリア侯爵は、初めからジャンヌさん経由で私達に接触しようと考えていたのですね?」


 相手の腹を探るようなフレインの視線を受け、ジャンヌはすこし不愉快そうにする。


「深読みしすぎだと思いますわ。父はそういった回りくどいことは、あまり好まない人ですし」


「そうですか。レギウスに帰還した直後のお誘いですからね、政治的な意図があると見て、間違いないと思うのですが……」


「べつにあなたになど来て欲しいだなんて思ってませんから。嫌ならお断りいただいた方が、わたしとしてもせいせいしますわ」


「ええ、私はどちらにしても出席するつもりはありません」


「いや、あんたも行けよ。ルゥ一人じゃさすがに心配だ」


「え……いえ、ですが……」


 思わぬところからの参加要請に、フレインは背後から友軍誤射された前線兵士の気分だ。


「あ、ルゥさんのことでしたら僕が」


「え、カミルもいくの?」


「はい。先ほど宿舎で荷物を運んでいるときに、ジャンヌさんから招待状をいただきました」


 嬉しげに頬を染めるカミルと、すこし照れたような顔をするジャンヌ。そんな二人を交互に見比べて、ルゥはちょっぴり不機嫌そうだ。かるい疎外感であろうか。


「カミルとルゥだけってのもなぁ、だいたい二人とも踊れないだろ?」


「それでしたら私が教えてあげますわ。基本的なステップさえ覚えれば、舞踏会では私がリードいたしますので、恥ずかしい思いはさせません」


「お前、そんなに上手いのか?」


 ジャンヌを見るシグナムの目は、やや疑わしげだ。


(たしな)み程度ですわ。それでも私が男性役をして、ルゥをリードするくらいは出来ます。武術と舞踏は共通点も多いですから」


 ジャンヌは神官服の裳裾(もすそ)をなびかせて、その場でくるりと見事なターンを決める。そして胸元に手をやり一礼。


「――この通りですわ」


「へぇ……」


 懐疑的だったシグナムのまなざしが、感心へと変わる。

 ルゥは踊りのことなど分からないので、興味がないといった様子だ。


「でも、カミルは貴族様の舞踏会に出れるような服を持ってるのか?」


「いえ、そういった服は持ってませんけど、ジャンヌさんが……」


 はにかんだ笑みをみせて、カミルはちらりとジャンヌを見る。


「私の兄が子供のころ着ていた服を、いくつか差し上げようと思ってます」


「……ふぅん」


 へそを曲げたような顔で、ルゥが鼻を鳴らした。ジャンヌはそんな狼少女を見て、服を貰えるカミルがうらやましいのかな、と誤解してしまった。


「よろしければ、ルゥには私の服をあげましょうか?」


「え? ほんと!?」


 読心には失敗していたが、対処としては問題なかったようだ。ルゥは大喜びである。


「あ、でもルゥの服ならあるぞ」


 シグナムが、運び込まれた荷物をごそごそと(あさ)りだした。


「ほら、これだ」


 薄桃色の服がルゥに差し出される。スカート部分がふうわりと広がった、子供用のワンピースドレスである。


「わあぁ、きれい!」


 肌の白いルゥには、薄い色味のそのドレスがよく映えそうだ。口さえとじていれば、きっと妖精のように可愛らしいことだろう。


「いぜんに仕立て屋まで行って採寸した時のものですわね。では私のお古など必要ありませんか」


「――え!?」


 ルゥが、目の前の餌を取りあげられた子犬のような顔をしていた。


「あっ、いえ、もちろん欲しいのだったら差し上げますわ」


 慌てて前言を撤回した神官娘に、ルゥも笑顔を取り戻す。


「では舞踏会にはそのドレスを着て行って、夜会が終わりましたら私の部屋でルゥに似合いそうなものを一緒に選びましょう」


「うんっ!! そうする!」


 満面の笑顔でうなずいたルゥを見て、ジャンヌも自然と口許をほころばせた。

 きっとそれは、たのしい一夜になることだろう。これまで友人というものを持たなかったジャンヌは、自室に誰かを招くのが初めてだ。年頃の娘らしく、友達と服を着せ替え夜中までお喋りに興じる時間は、とても魅惑的に思えた。かつての彼女であれば、神々に傾倒するあまり、祈りや修行以外に興味を持つことなど想像もつかなかっただろう。しかし、アルフラやルゥと出会い、同年代の友人と接するようになり、(まず)しかった神官娘の心は、すこしづつ変化を見せはじめていた。



 そしてカミルに対するほのかな恋心の芽生えは、ジャンヌを急速に娘らしく、美しく成長させようとしていた。

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