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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
167/251

恋するアイシャ



「やはり、ある程度アルフラさんが回復するのを待って、戦火の及ばない大陸西部へ向かうのがよいでしょう」


 フレインが静かな声でそう言った。

 顔を上げたシグナムはすこし怪訝そうな顔をする。


「お前……ずいぶんと落ち着いてるな」


「私は、カダフィーがレギウス神の召喚に応じるという話をした場に居合わせましたからね。昨夜の内に考えをまとめておきました」


「そうか……やっぱり西方へ行くのが無難だろうな」


「はい。ギルドの支部が存在しない、小さな町か村に身を隠す必要があります。戦いの流れにもよりますが、南方、または西方大陸まで逃げることも視野に入れておいた方がよいかもしれません」


 シグナムはさも憂鬱そうなため息をこぼす。


「まったく……状況が一向によくなりやがらねぇな」


「おそらくサダムも手を貸してくれるでしょう。すべてが露見すれば、彼もまた追われる立場ですからね。サダムは隠形(おんぎょう)の術を得意としていますし、私にもいくらかの心得はあります。ギルドの追っ手が掛かったとしても、捜索の目を(くら)ますことも出来るかもしれません」


「――あんたはそれでいいのかよ? ろくに身動きのとれないアルフラちゃんに付き合うより、一人で逃げた方が身軽なんじゃないか? それ以前に、実際に手を下したのはアルフラちゃんだ。罪には問われるだろうが、アルフラちゃんに脅されて仕方なくってことなら、それほど酷いことにはならないんじゃないか?」


 なにを今さら、とフレインは苦笑した。彼はすでに、レギウスへの帰還を決めた段階で、遅かれ早かれホスローの件が明るみとなった時のことまで考えていた。確かに、長年育てて貰ったギルドを裏切ったことには、良心の呵責を感じている。二十年の歳月をかけて作り上げた、自分の居場所を失うことにも不安がある。だがそれ以上に、アルフラを守らなければという意志の方が強かった。

 フレインの表情から、その想いを()み取ったのか――シグナムはまじまじと彼の顔を見つめる。


「あんた、今でもまだ、アルフラちゃんのことが好きなのか? あんな……全身に大火傷を負って、腕と目を失った今のアルフラちゃんでも?」


 軽くうつむき、瞳を閉ざしたフレインは、ほんのかすかに頷いてみせた。


「私はもともと、この想いが叶うなどと、欠片(カケラ)も思っていませんでした。――ただ私は、一途でどこか危ういアルフラさんの傍に居て、少しでも彼女の助けになれればよいと、そう願っていたのですよ。……別段、アルフラさんの姿形だけを愛した訳ではありません」


 とても優しい表情で、すこしはにかみながら、フレインはみずからの心情を語った。

 シグナムはしばらく何も言わずに、驚いたような顔をしていた。

 おそらく、アルフラが火傷を負う以前に、フレインから同じ台詞を聞かされたとしても、さしたる感慨は受けなかっただろう。しかし、アルフラの顔が焼け潰れた現状では、その言葉の重さが違う。

 シグナムの大きな手が、フレインの肩をがっしりと掴む。


「これまでいろいろすまなかった。あたしは……ちょっとだけ、今まであんたのことを軽く見てた。――でも、フレイン。あんたは頼りになる仲間だ。これからもよろしくな」


 シグナムはこの瞬間、初めてフレインを認めたのだ。

 先ほどのシグナムよりもよほど驚いた顔をして、フレインは何事かを口にしようとした。しかしなかなか声が出てこず、二度、三度とまばたきを繰り返したのち、ようやく一言だけ言葉がもれ出た。


「……こちらこそ」



 多くを失ったアルフラ同様、フレインもこれからさまざまなものを失ってゆくことになるだろう。それでも、彼はこの日、かけがえのない友と信頼を得ることが出来たのである。





 シグナムとルゥ、そしてフレインの三人はギルドの地下、アルフラに割り当てられた部屋へと向かった。

 本来、ギルドの地下区画は、導士以上の者しか立ち入りが許されていない。厳重な警備の敷かれた階段入り口には、常に四名の魔術師が目を光らせており、許可無き者の侵入を固く拒んでいる。しかし導士であるフレインの姿を確認すると、彼らは一礼して道を開けた。

 地下通路の壁には等間隔でカンテラが掛けられており、薄く足元を照らしていた。


「アルフラさんの食事に関しては、カミルにその手伝いをするよう言いつけてあります」


「えっ、カミル来てるの?」


 ルゥがうれしそうな、そしてややすねたような、すこし複雑な声音で尋ねた。


「たぶん今頃はアルフラさんに食事を……」


 フレインが言いかけたところで、通路の先にある扉が開き、そこから(くだん)の見習い術士が姿を見せた。


「あっ! カミルだ!」


 思うところもあるのだろうが、久し振りにカミルと会った嬉しさが(まさ)ったルゥは、跳ねるように彼へ駆けよった


「ああ、ルゥさん。お久しぶりですね」


 ルゥおえねちゃんでしょ、とカミルを叱りかけたルゥだったが、彼の暗い表情を見て口をつぐんだ。

 おそらくアルフラの姿を見て、相当な衝撃を受けているであろうことは誰にも容易に想像出来てしまい、軽口が続かなかったのだ。


「……アルフラさんは?」


 カミルの手にした空の食器に目をやり、フレインがそう尋ねた。


「あ……朝食を食べたあと、すぐに眠られてしまいました」


「そうですか。あの体で十日以上も馬車に揺られていたのですからね。疲れも溜まっているのでしょう」


「しょうがないな……昼にでもまた出直すか」


 フレインとシグナムが言葉を交わすのを、やはりカミルは沈んだ面持ちで聞いていた。その様子に気付き、フレインは年長者らしい気遣いをみせる。


「あなたにはこれから、私やシグナムさんの手が回らない時には、アルフラさんのお世話を頼もうと思っていたのですが……もしつらいようなら――」


「あ、すいません! 僕は平気です。一番つらいのはアルフラさんなのに……僕なんかが暗い顔してちゃ、アルフラさんまで気が滅入ってしまいますよね」


 無理に笑顔を作ろうとしたカミルは、すこし失敗してしまい、泣き笑うような強張った表情になってしまった。彼の栗毛の頭をシグナムがぽんぽんとたたく。


「お前、いい奴だな。でも、無理しなくていいんだぞ。アルフラちゃんのことなら、べつにあたしだけでも問題なく出来るし」


「いいえ、僕、ほんとうに大丈夫です。役に立てることがあったら、何でも言ってください」


 カミルのどこか一生懸命な様子に、思わずシグナムの口許もほころぶ。


「そうか……じぁあ、よろしく頼むよ」


 そういった会話をしながら、連れだって通路を引き返して行くと、階段から黒い外套の女が降りてきた。


「おや、やっぱりここだったんだね」


 現状、シグナムとフレインを悩ます第一の案件、カダフィーだった。その後ろには緋色の導衣をまとった金髪の女性が、なぜかフレインに険悪な眼差しを向けていた。目許にはジャンヌにも劣らぬ“くま”をこさえた彼女は、肩を怒らせ、とても恨みがましい目でフレインをにらんでいる。

 シグナムがフレインの肩を肘でつつく。


「お前、なにやらかしたんだよ?」


「あ……はは……お久しぶりですね、アイシャ」


 とても不機嫌です、と全身で訴えているその彼女は、フレインがロマリアへ発つにあたり、宮廷勤めの仕事をごっそりと彼から押し付けられた女魔導士であった。


「フレイン! ひどいじゃないですかっ! あなたが宮廷での仕事を丸投げにしてロマリアへ行ってしまうから、私はここ二ヶ月間も休みなく働かされて、こんなに濃いくまが出来てしまったんですよ。まだ嫁入り前なのに!!」


 万感の思いを込めて、最後の一言にアクセントを付けたアイシャだったが、この場に居る者にとってはまったく無駄な情報だったので、誰もが聞き流した。


「すぐ仕事に復帰して下さい! そして責任を取って下さい!!」


 ほっそりとした面立ちに朱を散らせて、アイシャはフレインへ詰め寄る。


「いえ、あの……」


 たじたじと後ずさったフレインを見て、女吸血鬼が楽しそうに笑う。

 シグナムとルゥも、フレインが若い女から迫られるという珍しい状況に興味深げだ。

 見習い魔術士であるカミルは、ギルドのお偉方を前に、ひたすら恐縮していた。

 どこからの助けも期待出来ないと悟ったフレインは、


「カダフィー、用件はなんですか? 私に嫌がらせをするためにアイシャを連れて来た訳ではないのでしょう?」


 とりあえず話をそらす方向へ舵をきって、


「嫌がらせ!? 嫌がらせですって!! あなたは私をそんな風に思ってたの!?」


 より事態を悪化させた。

 フレインの胸元をつかみ、アイシャは両手でぶんぶんと彼を揺する。しかし彼女は小柄で華奢な体つきだったため、逆に自分がぶんぶん揺れてしまっていた。

 よほどくやしいのか、きぃぃ、と導衣の裾を噛みそうな勢いのアイシャを、カダフィーが仕方なさげに(なだ)める。


「まあまあ、落ち着きなって。フレイン坊やに女扱いの(みょう)を教えてやれなかったのは、育ての母である私の責任さ」


「育てられた覚えがありません!」


「ははっ、まあそれは置いといて――仕事のことについてね、ちょっと伝達事項があるんだよ」


 ひとしきりアイシャに絡まれて、あっぷあっぷしてきたフレインに満足したカダフィーは、ようやく話を進める気になったようだ。


「あんたは宮廷魔導師に昇格だ。しばらくは代理って形だけどね。でもゆくゆくは――」


 フレインとしては突拍子もない申し出に、慌ててカダフィーの言葉をさえぎる。


「いえ! ちょっと待って下さい! そんな突然……さも当然のように言われても困ります」


「突然と言われてもね、これは前からあった話なんだよ」


 とはいえ、それは以前にカダフィーとホスローとの間で交わされた内々の話である。フレインとしては理不尽としか言いようがない。


「私はそのような話は知りませんでしたし、今はアルフラさんのこともあります。しばらくは――」


「なにもアイシャみたいに、すぐ働けとは言わないさ。レギウスに戻った昨日の今日だからね。……明後日くらいからでどうだい?」


「いえいえ、王宮付きに復帰しろという話ならまだ分かりますが、いきなり宮廷魔導師にと言われましても……私のような若輩者では、周りも納得しませんよ」


「それは問題ないさ。確かにあんたはまだ若いけど、今回のロマリア遠征を成功させた立役者の一人だ。もうアルザイールからの了承だって得てる。不満が出れば私が押さえ込んでやるさ」


 口許から鋭い牙をのぞかせて、女吸血鬼はくつくつと肩を揺らす。


「そうは言っても……私はまだ宮廷付きの勝手にも明るくありませんし、他にも適任はいるでしょう。ア……」


 アイシャとか、と言おうとしたフレインを、くまの濃い女魔導士がものすごい目で睨んでいた。


「これ以上、私に仕事を押し付けようったって、そうはいきませんからね」


 腕を組んで胸をそらしたアイシャが、気の強そうな口許を引き結んでフレインを威嚇する。


「まあ、仕事はおいおい覚えるとして、優秀な補佐役を何人か付けてやるからさ。頼むよ」


 今度は下手(したて)に出てみたカダフィーに、フレインは困惑しきりの表情で答える。


「いえ、本当にそれは遠慮させて下さい」


 すでにギルドを離れる意志を固めたフレインとしては、なるべくであれば無為な時間の浪費は避けたい。レギウス神からの召喚はおよそ一ヵ月後。それまでにやっておかなければならないことも山積みだ。


「明後日から王宮勤めに復帰しろと言うのであればそうします。ですが宮廷魔導師にという話は、とりあえず保留にしておいて下さい」


 ずるいですよ、私には仕事を押し付けたくせにっ、というアイシャの叫びは誰も聞いていなかった。


「んー、まいったね……。でもまあ、私もすこし話を急ぎ過ぎたか。とりあえずこの件は前向きに検討しといておくれよ」


「……わかりました」


 理解のある上司(づら)をして見せたカダフィーだったが、その内心では、じわじわと外堀を埋めて、引き受けざるえない状況を作ってやろうと画策していた。


「さて、私はそろそろ棺桶に引っ込むよ。アイシャ、あんたも部屋に戻って寝ときな。休憩時間もそうは取れないんだろ」


「はっ、そうでした! 私の睡眠時間、二時(ふたとき)(約四時間)しかないのにっ」


 かなりの暗黒勤務を()いられているらしいアイシャに、フレインはさすがに罪悪感を覚えた。そしてふと疑問に思う。


「なぜアイシャの貴重な睡眠時間を削ってまで、彼女を連れて来たのですか? 宮廷魔導師の件には直接関係ないのでは?」


「ああ、ただ単に、フレイン坊やに嫌がらせをしたかっただけだよ」


「カダフィーさま!?」


 かるく涙ぐむアイシャを引きずるようにして、カダフィーはみずからの部屋へと戻って行った。

 にぎやかな二人が去ったあと、すこし呆気に取られた顔をしていたシグナムが、冷やかすような目をフレインへ向ける。


「……な、なんですか?」


「かわいらしい魔導士さんだな」


「そうですね」


「ほそ(おもて)で痩せてて、アルフラちゃんがもうちょっと育ったら、あんな感じになりそうだな」


「そうですか?」


「へへ……あのアイシャって女、あんたに惚れてるんじゃないか?」


「……またそんなことを」


 その見掛けによらず、色恋の話を妙に好むシグナムへ、フレインは呆れたように首を振る。


「シグナムさんのそういった予想は当たったためしがありませんからね」


「ばか言うな! むしろ外れたことなんてねえよ!」



 この手の話になると、とたんに記憶力がニワトリ並みに退行するシグナムであった。





「あっ、とそうだ。ギルドの荷馬車をちょっと貸してくれよ」


 地下からの階段をのぼりながら、シグナムがそんなことを言った。


「もちろん構いませんが、何に使われるのですか?」


「宿舎に置いてある荷物を運びたいんだ。大した量じゃないから一往復で終わるはずだ」


 以前にシグナムたちが使っていた宿舎は、ギルドの敷地内にこそないが、通りを(へだ)てたつい一区画先にある。徒歩でも半刻(約十五分)とかからない距離だ。


「はいっ、それでしたら僕がゆきますよ。シグナムさんはアルフラさんについていてあげて下さい」


 にこにこと挙手したカミルへ、シグナムはすこし苦笑する。


「いや、アルフラちゃんも付きっきりで看病が必要って状態じゃないからね。あんまりべったりだと逆に嫌がられるんだよ」


「ええと、僕も宿舎には私物がいくつか置きっぱなしなので、ちょうどいいですから」


 カミルから伝わる、何か人のためになりたいのだという献身的な思いに心が和み、シグナムはひとつその背をたたいた。


「よし、じゃあお願いするかな」


「そうですね。昼には医神ウォーガンの神官が来るはずなので、その時はシグナムさんも立ち会った方がよいでしょう」


「ああ、そうだったな……」


 神殿には女性の神官を寄越してくれるよう伝達してあるが、たとえ同性といえど、アルフラは見も知らぬ者に火傷の痕を見られることを、精神的な負担と感じるだろう。その場にシグナムが居れば、いくらかは気も安まるはずだ。


「それじゃあ僕、行ってきますね」


 元気に駆け出したカミルの背を、ややしょげた顔でルゥが見送っていた。



 本当は久しぶりに会ったカミルと遊びたかったのだろう。荷物運びについてゆくことも出来たのだが……しかしアルフラのことも心配なので、そちらを優先したのだ。

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