帰還と神託
アルフラたちがレギウス教国の首都、カルザスに到着したのは、旅籠を出立した四日後の夕刻であった。あらかじめ南部のギルド支部から、帰還を報せる先駆けの使者が放たれており、カルザスの街門では歓待の出迎えが列をなしていた。その中には、ホスロー不在のギルドを預かる魔導師アルザイールの姿もあり、彼は一行をギルドの本拠である魔術士の塔まで先導した。ただ、ジャンヌだけは待ち構えていたダレスの神官団に首根っこを押さえられ、泣きながらアルストロメリア侯のもとへと連行された。周囲に無断でロマリア遠征に同行した神官娘は、その夜、数年振りに父からしこたま尻をぶたれることになる。
ギルド本部へと案内されたアルフラは、そのまま地下区画の一室を与えられ、しばらくはそこでの静養をやむなくされた。魔族に対して、その生存を隠匿するためである。今後の処遇については、フレインを交えたギルドの要職者たちの協議により定められる予定だ。
シグナムとルゥは、以前に使っていた宿舎を引き払い、ギルド本部の客室に一時逗留することとなった。
ささやかながら、凱旋の宴は設けられていたものの、シグナムがそれを断ったので、ルゥも泣く泣く辞退した。もっとも、用意された料理の大半を自室に運んでもらったため、狼少女は満腹な夜をすごせた。
翌朝、まだ日も昇って間もない時分から、シグナムの部屋にフレインとアルザイールが訪れた。
濃紫の導衣をまとったアルザイールが、慇懃に一礼する。
「早朝から申し訳ない。旅の疲れもあるだろうが、至急伝えねばならない話があったゆえ、どうかご容赦願いたい」
「……ああ、構わないけど――長くなるようなら、先に朝飯を持ってきてくれ。じゃないとルゥがうるさい」
隣室をあてがわれていた狼少女だったが、昨夜はシグナムの部屋にお泊まりしている。そして先程から、しきりと空腹をうったえていた。
「まったく……昨日あれだけ食ったのに、どれだけ燃費が悪いんだよ」
「朝食は部屋まで運ぶよう命じてありますので、少々お待ちください」
フレインの言葉を聞いて、ぐずる狼少女がぴたりと口をつぐんだ。それをちらりと一瞥し、アルザイールが話を切り出す。
「まずは、今回のロマリアでの働きに、重ねて礼を言おう。爵位の魔族を討ち果たすという大役を見事遂行したそなたらに、我々魔術士ギルドは深く感謝している」
「それはアルフラちゃんがやったことだ。感謝してるなら、とびきり腕のいい医者をアルフラちゃんに付けてくれ」
「もちろんそれは手配済みだ。高名な医師を招き、万全の治療体制を約束しよう。また、昼には医神ウォーガンの神官が訪れることになっている。完全にとはゆかずとも、時間をかければ火傷の跡は今より目立たなくなるだろう」
「……そうか」
頷いたシグナムの表情は暗い。時間をかければとはいうが、それはおそらく数ヶ月、もしくは数年単位での治療となるだろう。
一旦口を閉ざしたアルザイールであったが、すぐに独特な低い声音で話を続けた。
「数日中には教王陛下より、莫大な褒賞金がそなたらに支払われる予定だ。それこそ爵位を金で買えるほどの額になるだろう」
人間社会における爵位とは、土地に付随するものである。豪商などが没落した小貴族の領地を買い上げ、貴族となることもままある話だ。
「本来であれば、盛大な褒章授与式を執り行い、国を挙げて称えるほどの功績をそなたらは成した。しかしながら、魔族への帰順を内々に推し進めているレギウス教国としては、あまりそれを公には出来ない」
「ああ、それは分かってるよ。金さえ貰えれば文句はない。あたし達は傭兵だからね」
「それは重畳。――実はここからが本題なのだが……」
アルザイールが目配せをすると、フレインが軽くうなずき話を引き継いだ。
「実は、つい三日ほど前に、レギウス神からの神託が大司祭様に降りたそうです」
「レギウス神の神託?」
胡散臭げな顔をするシグナムに、フレインはやや困ったような顔で告げた。
「その……私たちロマリア遠征に赴いた者すべてが、レギウス神の御許に招かれています」
「……は?」
意味が分からない、と目で訴えるシグナムへ、フレインはかいつまんで説明する。
「これまで天界に招かれた者は幾人か居ますが、そのいずれもが強力な武具を授けられ、伝説や神話として語り継がれています。現状から考えるに、私達は神々の尖兵として、魔族と戦うことを期待されているのでしょう」
「……あー、いや……ちょっと待ってくれ」
眉根を揉みほぐしながら、シグナムは手をひらひらとさせた。
「あたし達が、天界に? 本気で?」
「ええ、大司祭様の聴き違いでなければ。――まあ、神託を聴き間違うことがあるのかは知りませんが」
「だったら大司祭とやらにさ、もう一回確認してもらってくれ」
「いえいえいえ、さすがにそういう訳には……」
どうやらシグナムがあまり乗り気ではないらしいことに、フレインも気がついたようだ。
「現在ギルドには、各宗派の使者がひっきりなしに訪れています。シグナムさん達に面会したいと。――おそらく何らかの形で、レギウス神の御許へ招かれた勇者たちと縁を結んでおこう、と考えているのでしょう。なにしろ、彼らの奉ずる神々と直接謁見出来る者が、すぐ近くにいるのですからね」
もちろんすべて断ってはいますが、とフレインは付け加える。
「ああ、今後もそうしてくれ」
「……レギウス神からの召喚は、断りますか?」
「出来ればそうしたいね。だいたい……伝説の勇者さま達は、あらかたろくな死に方してないだろ。そんなのはごめんだ」
英雄譚は、えてして悲劇で幕を閉じるものだ。
吟遊詩人の歌う物語の中でも、天寿をまっとう出来たという話はあまり聞かない。
「神々の武具とかには興味もあるけどさ、命あっての物種だからね」
「だが、もしかすれば、神々の力によりアルフラ殿の傷を癒せるのかも知れないのだぞ」
それまで話の流れを見ていたアルザイールが言った。シグナムは、彼がなんらかの理由で、自分たちを天界へ送り込みたいのだと察し、用心深く答える。
「あたし達、傭兵の守り神エスタークは隻腕の神様だよ? ようするに神族にだって、失った手足は生やせないってことだろ」
「しかし、鍛冶を司るヴェナルディ神は義足と義眼の持ち主だ。その真鍮の足はどれだけ鞴(炉に空気を送るための器具)を踏みしめても疲れを知らず、足踏みすれば地鳴りが起こると言われている。また、その紅玉の義眼は、いかなる金属をも溶解させる炎を炉内に点すそうだ」
これには少し考え込んだシグナムだったが、若干の迷いを見せながらもきっぱりと否定した。
「いや、やっぱり駄目だ。そりゃあたしだってアルフラちゃんの体を治してやりたいよ。けどさ、死んじまったら元も子もないだろ」
「本当にそれでよいのか? このような機会は二度とは訪れんぞ」
濃紫のフードからのぞくアルザイールの顔を、シグナムはきつい目で睨み付ける。
「……あんたはさ、あの雷鴉って魔王をじかに見てないから、そんな他人事みたいに言えるんだ。またあんなのと戦わされてみろ。今度こそアルフラちゃんは死んじまうよ。しかも魔王ってのは十人以上いるんだろ? 冗談じゃねえ。なにをどうやったって無理だ」
シグナムには、神族が自分たちを死地へ追い込もうとしているとしか思えなかった。しかも悪いことに、アルフラと神族の利害は完全に一致している。魔族と戦う力を欲するアルフラは、喜んで神々の尖兵となるだろう。そして嬉々として魔王へ挑みかかるはずだ。――雷鴉の力を目の当たりにしたシグナムには、アルフラの死、以外の結果が想像出来ない。
「この話をアルフラちゃんには?」
「……まだ、伝えていません」
「アルフラちゃんにはこのまま伏せておこう。悪いがこの話はあんた達だけでやってくれ。ジャンヌあたりなら頼まなくても二つ返事で引き受けるさ」
これで話は打ち切りだと言わんばかりに、シグナムは扉へ顎をしゃくる。
「シグナムさん。一つ、確認をさせて下さい。――アルフラさんの失われた腕と目を回復するには、神族の助けを得るしかありません。これを逃せば、アルフラさんは一生を不具の体ですごさなければならないのですよ。それを理解した上で――」
「わかってるさ」
シグナムは暗い瞳を伏せて、一言一言、区切るように言った。
「アルフラちゃんの腕を、切断したのはあたしだ。一生……面倒を見るつもりは、出来てる」
思い詰めた表情で、シグナムは重く口を閉ざす。フレインはそれ以上言葉をかけることがためらわれ、室内には静寂が訪れた。
アルザイールが退室し、入れ違いで運ばれて来た朝食を前にしても、ルゥはそれに手を出そうとはしなかった。狼少女にしても、その食欲を失わせさせるような重い話だったのだ。
「すまないな、ルゥ。でもとりあえず飯は食っとけ。どうせあとで腹が減る」
「……うん」
シグナムに促されて、のろのろと白いパンに手を伸ばしたルゥであったが、やはりその表情は浮かない。
「ルゥはどうする? 天界に行くとすごい武器がもらえるらしいぞ」
「……ボクもいい。お姉ちゃんやアルフラが行かないなら――」
「でも、ジャンヌはたぶん行くぞ」
その一言でルゥは押し黙り、パンを掴んだ手も止まってしまう。
シグナムも食事には見向きもせず、じっと何事かを考えているようだった。そして扉の前に立ったままのフレインに目をやり、先程のやり取りで疑問に思っていたことを尋ねる。
「なあ、いまレギウス教国は魔族との和平を進めてるんだろ。あんたら魔術士ギルドが音頭をとって」
「ええ、すでに中央の将軍と書状を交わし、ほぼ話は詰まっているそうです」
「じゃあ、なんであのアルザイールって魔導師は、あたし達を天界に行かせたがってたんだ? 神族に味方したらまずいだろ」
「それが……実は大司祭様に降った神託の他にも、レギウス神教の司祭職にある者すべてに、また別の神託が降りているらしいのです」
「……神託ってのは、そうひょこひょこ降って湧くもんなのか?」
「いえ、とても珍しいことですよ。しかも、レギウスの四柱守護神……いまでは三柱ですが、その全てが降臨するという前代未聞の神託ですからね」
これにはさすがにシグナムも驚いたようだ。
「三柱すべてって……軍神、武神、闘神の全部か?」
「ええ、軍神クラウディウスを始め、武神ダレス、闘神へリオンがそれぞれの従属神を引き連れて、天軍とともに降臨するそうです」
「そりゃあ……神族もよっぽど切羽詰まってるんだな」
ジャンヌあたりならば、これで神族の勝利は間違いないと狂喜乱舞するところであるが――シグナムは逆に末期戦の様相を呈していると感じていた。
「ギルドもやはり、そう判断したようです。グラシェールの神域を消滅させたのが、究極の破壊の魔法と呼ばれるものだという確証が取れ、おそらく神族は敗れるだろうとの見方が大勢を占めています」
「究極の破壊の魔法って、あの災厄の主が使ったってやつか?」
「はい。かつて災厄の主はその魔法で古代王国を滅ぼし、山岳地帯を更地に変えたと伝承にありますね。レギウス北部の雪原も、その名残だとか」
「なるほど……神域が消し飛ぶわけだ……」
もし魔皇戦禍が災厄の主に近しい力を持つのであれば、どれほど神族が本腰を入れたとしても、大災厄と同じ結果になる。ギルドはそう判断したのだ。
「一月ほど前のことらしいのですが、ギルド宛に魔王雷鴉の書簡が届いたそうです」
「あいつの!?」
思わず声を荒げたシグナムへ、フレインは口早に言葉を繋ぐ。
「安心して下さい。アルフラさんにはまったく無関係な内容です。時期的にも、グラシェール陥落直後に送られたものでしょう」
それがアルフラと雷鴉が戦った幾日も前であることが、シグナムにもわかった。
「そうか……」
「その書簡は、ギルドに荷電霊子砲という魔法についての文献を、魔王雷鴉の許へ送れという内容だったそうです。そしてそれが、おそらくは雷の力を一点に集めて、魔力の粒子を高速で打ち出す類いの魔法ではないか、という雷鴉の見解が記されていました」
「ああ、その荷電なんとかってのが、究極の破壊の魔法だったのか?」
「そうです。書庫内を大捜索した結果、幾つかの文献が見つかりましたが、すでに原本は失われていて、そのすべてが写本でした。ギルドは写本を数冊送り、独自に荷電霊子砲の原理を解明しようと……」
「いや、待て」
話が脱線してきていることに気づいたシグナムが、慌ててフレインの長口上をさえぎった。
「あたしはそのなんとかって魔法には興味ない。講釈が垂れたいなら仲間内でやってくれ」
「あ……失礼しました。ええと……それで、ですね……」
「なんでギルドが神族に助力するような真似をしてるのか、って話だ」
ややいらいやとした様子のシグナムに促され、フレインはすこしどもりながら話を続ける。
「そ、そうでした。単刀直入に言えば、保険です。神族が三柱の守護神を降臨させる以上、なんらかの勝算あってのことと踏んで……」
「あたし達をレギウス神に従う英雄に仕立て上げようとしたわけか」
ギルドの幹部たちは、万が一、神族側が勝利した場合のことを考えたのである。もしそうなれば、ギルドは魔族と通じた国賊として糾弾されるだろう。要職にある者は、まず極刑を免れない。そこで、ギルドに所属する者が天界へと招かれ、直接レギウス神から魔族討伐を請われれば、神族が勝利した場合でも、それはギルドの尽力があったからだと喧伝出来る。都合のよいことに、大司祭の受けた神託に名を挙げられたのは、ジャンヌ以外すべての者が、ギルドの関係者だった。
「いやらしい話だな。ギルドのお偉いさんが保身に走ったってわけかよ。――風見鶏は嫌われるぞ」
それで命を張らねばならないシグナムたちとしては、たまったものではない。ロマリア遠征にしても、レギウスが国として援軍を送ることが出来ないため、そのお鉢がまわってきたようなものだ。シグナムとしては、いいように使い回されている感が拭えない。
「各地に降った神託では、レギウス神を奉じる者はただちに兵を挙げ、魔族を打ち倒す聖戦に馳せ参じよ、との布告もあったそうです。おそらく今後の戦いは、かつてない規模の戦役となるてしょう。――そう、もしかすると、後世には大災厄と並び称し、大戦役と呼ばれる戦いになるかもしれません」
「……大戦役、ね。でもラザエルやエスタニアはトスカナ砦で大軍を失ってるからね。さすがに兵を出し渋るだろ。ロマリアにいたってはいつ滅びるか分かったもんじゃない。そんな余裕はないはずだ」
「そうですね。ですがレギウス神の信者は大陸中に居ます。三柱の守護神が降臨するとなれば、義勇兵だけでも軽く十万を超える数が集まるはずです。それに西方のエルフやドワーフなどといった亜人達も動くのではないでしょうか」
エルフは魔術に秀で、ドワーフは恐ろしく頑強な種族だ。彼らが戦列に加われば、局所的には比較的有利に戦いを進められるかもしれない。
「……で? それで戦況はひっくり返るのかい?」
「おそらくは……無理ですね」
「だろうな。神族だってそんなことは分かってるはずだ。あたし達が天界とやらに呼ばれてるのは、たぶん捨て駒にされるためだ。――それにしても、あのアルザイールって奴、やけにあっさり引き下がったな」
シグナムがちらりと扉を見やる。そして軽く肩をすくめた。
「あまり期待されてなかったのかね」
「すでにカダフィーが、天界へ行くことを承諾していますからね。最低でも一人はギルドからレギウス神の許へ派遣出来るので、無理にとは考えていないのでしょう」
「最低でも一人って、あんたはどうするんだ? ――いや、カダフィーが……? あいつも呼ばれてるのかよ!?」
「はい。神託は、ロマリア遠征に赴いた者をレギウス神の御許へ招く、という内容なので」
ホスローの行方を追うカダフィーは、その糸口をレギウス神の宝具、界央の瞳に見いだしていた。大司祭に降った神託は、彼女にしてみれば渡りに船だったことだろう。
「そりゃまずいだろ!?」
「まだ時間には、いくらかの猶予があります。神託によれば、ダーナ収穫祭の日に、中央神殿から天界への扉が開かれるとのことです」
豊穣と多産を司る地母神ダーナの収穫祭は、毎年初秋に行われる。そして中央神殿は、ダーナ神を祀る神殿だ。位置的にはレギウスの南西、ラザエルとエスタニア、そしてロマリアの国境線が重なる場所に存在していた。
「まだ一ヶ月近くあるな……」
「ええ、それまでに身の振り方を考えねばなりません。――その後はカダフィーだけでなく、ギルドからも追われることになると考えたほうがいい」
「くそッ、やっとレギウスに帰ってきたと思ったら、また逃げ出す算段をしなけりゃなんないのかよ……神託なんてろくなもんじゃねえな」
忌々しげに呟き、シグナムは頭を抱え込んだ。