荒ぶるおネギ
上体をゆらがせたアルフラの腰に、シグナムの腕が回された。
「アルフラちゃん。やっぱりまだ歩くのは無理だよ」
以前よりもなお、軽くなってしまったアルフラを抱き上げ、その隻腕に握らた杖をシグナムは取りあげる。
「このままじゃよけい怪我を増やしちまう。今日はこれまでだ」
「だい、じょぶ。もうすこし……もうすこしだけ……」
その腕から逃れようと身動ぎするアルフラへ、シグナムはおさな子へ言い聞かせるように告げる。
「だめだよ。今のアルフラちゃんは、ころんだだけで本当に危ないんだ」
言葉を区切り、シグナムは言いづらそうに唇を噛む。
「その……右腕が無いと、ころんだ時に体を庇えないだろ。顔から地面に落ちたりしたら、それだけで大怪我しちまう。それに、急ぐ必要はない。体力がつくのを待ってから、ゆっくり歩く練習をしよう。今は筋肉が落ちてるんだから、無理をしちゃだめだ」
「でも、あたし……はやく白蓮をむかえに……」
それ以上、なにも言わせぬよう、シグナムはアルフラをきつく抱きしめた。
「お願いだよ、アルフラちゃん。下手に怪我でもしたら、それこそいつまでたっても元気にならないよ。そんなの嫌だろ?」
「……うん。……すこし、いたい」
「あっ、すまない」
慌てて力を抜いた腕のなかで、アルフラはシグナムの左手に持たれた杖を、じっと見ていた。それはロマリア王室の紋章が施されており、非常に見栄えがよい品であった。材質も希少なものらしく、丈夫さの割に軽いので、筋力の衰えているアルフラにも扱いやすい。シグナムの目にも、その杖がとても高価であることが見てとれた。
「クリオフェスで積み込んでもらった荷の中に入ってたんだ。王家の紋章が彫られてるから、あのエレナって人が用意してくれたんじゃないかな。おっとりした性格に見えて、なにげに気の利く姫さんだね」
包帯が巻かれているため、表情のうかがいにくいアルフラの顔に、嫌悪の色が浮いた。
「……あたし、あいつのくれたものなんて、使いたくない……」
「アルフラちゃん……」
シグナムは、クリオフェスでのアルフラとエレナのやり取りを思い出して、なんとも重苦しい心持ちとなった。
「あの人にだって、悪気がなかったのはわかるだろ? 根はいい人なんだと思うよ」
肯定の返事を期待したシグナムだったが、アルフラはそれきり黙りこんでしまった。
物事の好き嫌いに関して、アルフラはやや頑ななところがある。
シグナムはため息まじりに亜麻色の髪を撫でた。
「カルザスについたら、新しい杖を用意するよ。とりあえず、すこし横になろう。そろそろフレインが薬湯を持ってくる時間だ」
シグナムは、アルフラを寝台の上に寝かしつける。
包帯のすき間からのぞいた左の瞳は、じっと木目の荒い天井を見つめていた。
麦畑が両側に広がる小道を、ルゥとジャンヌは歩いていた。
今夜の宿にと定めた旅籠から、市場へとつづく道だ。
二人はシグナムからおつかいを頼まれていた。葉野菜や精肉といった保存のききにくい食料品を、買い出しにゆく道すがらである。だが、食べ物関連のおつかいだというのに、ルゥの表情は物憂げだ。とても珍しいことである。
「ねぇ、すぐ歩けるようになるよね、アルフラ」
「……ええ。きっとだいじょうぶですわ」
「そうだよね……」
ジャンヌが毎晩、レギウス神と医術の神ウォーガンにアルフラの回復を祈っていることを、ルゥは知っている。
「アルフラがげんきになったら、また前みたいに遊んでくれるかな?」
「もちろんです。たとえアルフラが遊んでくれなくとも、たまにはわたしが棒を投げてあげますわ」
「……うん、でもボク、アルフラにも遊んでほしいな……」
沈んだ声音でつぶやいたルゥは、目許をかすかにうるませていた。その頭を、ジャンヌがぽこりとたたく。
「いたっ、なにすんのさ!」
「わたしが遊んであげると言ってるのに、なにが不満なのですか」
「だって――」
さらにぽこりっ、とジャンヌは不満を口にしかけたルゥをはたく。
「うぅ~~」
涙目でにらんでくる狼少女に、からかうような声が告げる。
「あら、泣いてしまうほど痛かったのですか?」
「ち、ちがうよっ、ボクは――きゃんっ……やったなあ」
みたび、ぽこりとやられた狼少女がジャンヌに飛びかかった。
すこし元気がでたらしいルゥを見て、神官娘は優しげに目をほそめる。
「えぃ」
ジャンヌの背後をとったルゥが、ぺろんと神官服をめくり上げる。
ほそくはあるが、白く艶やかなジャンヌの腿があらわとなり、腰布がちらりと垣間見えた。
ここ最近、月が満ちるにしたがい、ジャンヌはたびたび神官服めくりの被害をうけていた。いい加減それも慣れてきたので、その気になれば防げたのだが、元気のないルゥのために、あえて捲らせてやったのだ。
「ルゥ、市場について人目のあるところでやったら承知しませんわよ」
「べ~~だ!」
かわいらしい舌を出して、ルゥはこぶしを振り上げたジャンヌからすたこらと逃げていく。そんな狼少女を、神官娘はぐるぐると腕を振り回しながら追いかけた。微笑ましげに口許をほころばせて。
そして市場での買い出しの最中、ルゥは三度にわたり神官服めくりを試みて、そのすべてを防ぎきられた。そしてげんこつを三つもらった。
必要な食料を買い揃えた二人は、大きな荷物袋をひとつづつ抱えて、旅籠への帰路につく。ルゥがより大きな袋を持たされていた。神官服めくり対策である。重い荷物で両手をふさぐ作戦だ。しかし、満月期の狼少女にはなんの苦にもならず、虎視眈々と神官娘の腰は狙われている。
ジャンヌは荷物を後ろ手に持ち、用心深く尻を押さえる形でとことこ歩む。だが、それが裏目に出た。背後に気を取られすぎて、前方不注意となっていたのだ。
「えぃ」
大胆不敵にも、真正面から神官服をめくり上げたルゥは、ついつい勢い余ってしまった。肌着ごと胸元まで裳裾をめくってしまい、こぶりだが形のよい乳房と、ぷるんと対面する。
「あ……」
捲り上げた神官服に隠れて顔は見えないが、ぷるぷると体を震わすジャンヌが、とても怒っているのだろうな、ということはルゥにも察せられた。
まじまじと小さなおっぱいを見つめた狼少女は、しょんぼり顔で神官服をおろす。ルゥの理想はシグナムのような胸だったのだ。
「……ごめんね」
「なんですかその残念そうな顔は!?」
おろされたばかり裳裾を跳ね上げ、ジャンヌの足刀がルゥに襲いかかった。
狼少女は荷物を抱えたまま、ひょいっとよける。そしてすこしトゲのある声でジャンヌに尋ねる。
「いまちらっと見えたのって、カミルからもらったやつ?」
「えっ……ええ、そうですわ」
ジャンヌは後ろ手に持っていた荷物を片腕で抱え直し、右手を胸元へやった。その手がきゅっと握られる。神官服の生地越しに、カミルから贈られた護符の形が感じられた。
「いつも、つけてるんだ?」
「そ、そんなこと、ルゥには関係ありませんでしょ」
むっ、と頬をふくらませた狼少女は非常にご機嫌ナナメなようだ。
「ジャンヌ、かおが赤くなってる」
「え……?」
慌てたように頬へ手をやった神官娘は、予想外の顔の熱さに驚いて、いっそ真っ赤になってしまった。
「こ、これは風邪です。そう、すこし熱があるのですわ!」
「ふぅん……夏なのに?」
「それは……レギウスに入ってからすこし涼しくなったので、体調をくずしてしまって……けほ、けほ……」
下手な小芝居を始めたジャンヌを、ルゥはじっとりとした目で見る。
疑わしげな――と言うよりまったく信じていない様子のルゥから逃げるように、ジャンヌはそそくさと歩調を早めた。
「えぃ」
「ひゃわ」
心の準備が出来ていなかったところに神官服をめくられて、ちいさな声が出てしまった。
ジャンヌの悲鳴に、ルゥはすこし機嫌を直したらしい。にこにこと楽しげだ。
「もぅ! こんな事をして、いったい何がおもしろいのですか!?」
「えへへっ、だってジャンヌのふともも、白くてすべすべで、すっごくきれいなんだもん」
神官娘の反撃を受けぬよう、ルゥはささっと距離を取る。
「色の白さでいえば、ルゥの方がよほど白いではないですかっ。自分のふとももを見てればよいでしょう!」
「えぇー……でもね、ジャンヌの恥ずかしがる顔見ると、ボク、なんだかすごくどきどきするの」
そう言いながら、ルゥは足をすり合わせて、なにやらもじもじしている。
やはり危険だ、とジャンヌは思った。この日は満月だったのだ。
夕食のあと、ジャンヌは一人、自室にてレギウス神への祈りを捧げていた。
もともとはルゥと同室の二人部屋をあてがわれていたのだが、旅籠の主人に無理を言って一人部屋を用意してもらったのだ。もちろん、貞操の危機を察知したゆえである。
薄く開かれた鎧戸からは、満月のほの青い光が、煌々(こうこう)と室内に差し込んでいた。
祈りの言葉を口にしつつも、ルゥの夜這いを警戒して、全方位に意識を向ける。
ダレス教団の至宝、鉄鎖“脳天かち割り”を右腕に巻き、胸当てを装着した念の入れようであった。
備えは万全だ。
不意に、薄明るかった室内が暗く翳る。鎧戸から外を見やると、月にかかった厚い雲が月光を遮っていた。
ちりちりとした嫌な焦燥感を首もとに覚える。
背筋を這い上がる悪寒とともに、躯がじっとりと汗ばむのを感じた。ひどく冷たい汗だ。
いつの間にか、外から聞こえていた虫の鳴き声も止んでいた。
――来るッ!!
ジャンヌは立ち上がり、壁際に身を寄せる。そして鉄鎖を手早く拳に巻きつけた。
すると、ぱたぱたぱたっ、と廊下を駆けてくる軽い足音が響いてくる。
「ジャンヌ~~っ!」
勢いよく開かれた扉から、ルゥが駆け込んできた。
「……あれ??」
両手に大きな袋を抱えた狼少女は、きょろきょろと室内を見回す。そこへ――
「一撃必倒――ッ!!」
扉の陰から飛び出したジャンヌが躍りかかった。
無防備な姿をさらす狼少女の顎を、鉄鎖が撃ち抜く。
「きゃいん……」
見事な一撃であった。
満月期の人狼の意識を刈るに値する拳打。
ゆっくりと、ルゥの手から荷物袋がこぼれ落ちた。
「ふっ……ダレス流絶招二十八式――“砕破”……ですわ」
レギウス神拳の奥義で、肉欲の白い悪魔を返り討ちにしたジャンヌは、崩れ落ちようとしたルゥの体を抱き止めた。すかさず鉄鎖で狼少女をぐるぐる巻きにする。
いくら満月の夜とはいえ、鉄鎖“脳天かち割り”の拘束は解けないだろう。
ほっと一息ついたジャンヌは、ルゥを寝台の上に転がした。
「ぅ……ん……」
早くも狼少女は意識を取り戻しかけているようだ。ジャンヌはすこし驚きつつも、胸当てを外しにかかる。夏場なので暑くてしかたなかったのだ。
「あぅぅ……なに、これぇ……?」
目を覚ましたルゥが、身を縛める鉄鎖に気づいてごろごろと転がりだした。
「ふふ、無駄ですわ。いくら暴れてもその鎖はびくともしません」
「ひどいよジャンヌ~。はやくこれほどいてっ。それになんかあごがいたいー」
「自業自得です。朝までそうやってころころしてなさいな」
「えー、ボクがなにしたってゆうのさ」
「自分の胸に手を当てて考えてごらんなさい」
「この鎖ほどいてくんないと、手ぇあてられないよう」
「ほどくわけありませんでしょ、このケダモノ」
前回の満月の夜、ルゥから受けた仕打ちを根にもっているジャンヌは辛辣だ。うりうりとルゥの柔らかな頬を指でつつく。
「ひどいよ。ボク、ジャンヌの風邪をなおしてあげようと思って、いっぱいおネギ買ってきたのに~」
「……え?」
ジャンヌは床に転がったままの荷物袋を振り返った。拾い上げるとそれはずっしりと重い。
「まさか……わたしが言ったことを真に受けて……?」
「あっ、やっぱりウソだったんだっ」
「え……ええと……けほっ、けほっ」
いまさらながらに咳き込んでみたジャンヌだったが、ルゥの視線は限り無く冷たい。
「す、すみません。わたし、てっきりルゥがまた……」
「はやくこれほどいてよっ」
「わ、わかりました。いまほどき……ルゥ?」
荷物袋の中身に目を止めたジャンヌが、低い声を出した。
「これは、なんですの?」
「おネギだよ?」
「あなたはこれを、どうするつもりだったのですか?」
「おネギをお尻にさすとね。風邪がすぐ治るんだって。カダフィーが言ってた」
「……そうですか。危なく鎖を解いてしまうところでしたわ」
ジャンヌのほそい肩が、わなわなと震えている。
「たしかに、そういった民間療法があるとは聞いたことがあります」
「でしょ?」
「で、す、が!」
怒りに震える神官娘は、荷物袋にぎっしりと詰まったそれをひとつ取り出す。
「なぜ玉ネギなのですか!!」
ジャンヌの拳ほどもあるそれを、ぽこりとルゥへ投げつける。
「こんなものが入るわけありませんでしょ!!」
「いたっ、いたいよー」
「あやうくお尻が大惨事でしたわ!」
「いたい、いたいってばー」
ルゥは体をくねくねさせて玉ネギをよけようとするが、すべて尻に命中していた。
「ふぅんだっ、ダレスの信徒はお尻の穴がちっちゃいんだねっ」
「なにを失礼な。ダレス神のお尻はゆるゆるですわ」
「だったらジャンヌも――いたっ」
「物理的に無理です!!」
「もぅやめてー、お尻いたいよう」
「……反省しましたか?」
「したした! とっても」
ジャンヌは肩で息をしつつ、一旦手を休める。
「だいたい、なぜ長ネギでなく玉ネギを買ってきたのですか」
「だって、玉ネギむくと、いっぱい涙がでるでしょ。だから長いのよりはやく風邪が治ると思って……」
「意味がわかりません! 言ってることが支離滅裂ですわ」
もうひとつ玉ネギを投げてやろうと、荷物袋に手をつっこんだジャンヌは愕然とした。
とんでもないものが出てきてしまったのだ。
スイカである。
ひとかかえほどもある大玉だ。
「あなたはいったいわたしのお尻をどうしたいのですか!?」
「……尻滅裂?」
「だれが上手いことを言えと――」
「わわっ、それは投げないでっ。スイカはあとでジャンヌと食べようと思ったの!」
「……ほんとうに?」
「ほんとだよ! 市場のおじさんがね、玉ネギいっぱい買ってくれたからおまけだよって」
若干、疑いの目を向けつつも、ジャンヌは両手で振り上げたスイカを床におろした。そしていそいそと玉ネギで散らかった部屋を片付け始める。
「ジャンヌ? ねぇ、これほどいて」
一瞬手を止め、じっと狼少女を見つめたジャンヌだったが、すぐにつんとそっぽをむく。
「だめです。あなたは朝までそうしていなさい」
「えぇーー!」
しばらくはじたばたしていたルゥだったが、玉ネギを回収し終わる頃にはさすがに諦めたようで、すっかりおとなしくなっていた。
「ねぇ……」
「ほどきませんわよ?」
「ちがうよ……あのね、アルフラも甘いのすきだよね? スイカもってったら、食べてくれるかな」
そのまま祈りのつづきをしようとしていたジャンヌは、ルゥの声がすこし悲しげに聞こえ、寝台にころがる狼少女の隣に腰をおろす。
「そうですわね。アルフラもだいぶ食欲が戻ってきているようですし、きっと喜んでくれますわ」
「だよね! スイカって汁気がたっぷりで、すごくおいしいんでしょ?」
「あら、ルゥは食べたことがございませんでしたの?」
「うん、ボクがすんでた山にはスイカなんてなかったもん」
ジャンヌは、この食いしん坊の狼少女が、よくその場でスイカを食べてしまわなかったものだと、すこし感心してしまった。きっとジャンヌやアルフラと一緒に食べるのを楽しみにして、すぐにでも食べたいのを我慢していたのだろう。
「たまにいい子ですわ」
ルゥに聞こえると、また子供あつかいしたと怒りだすので小声でつぶやき、さらさらの髪を撫でてやる。すると狼少女は、嬉しそうに喉を鳴らしてジャンヌの手に頭をこすりつけてきた。
「ねぇ、はやくこれほどいてっ。スイカたべよ」
「それはだめです」
すげなく答えてジャンヌは寝台から立ち上がった。すこしかわいそうな気もしたが、スイカの後には自分が食べられる可能性を考慮し、そのまましずしずとレギウス神への祈りを再開する。
「ひどいよー……ボク、ジャンヌのこといじめたりしないよ? いっしょにスイカたべようよー」
しかし実際のところ、鎖が解かれたら、まずはジャンヌを先に食べてしまおうと考える狼少女だった。ルゥは一番好きなものを真っ先に食べる主義なのだ。