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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
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白夜郷愁



 アルフラは食事を終えたのち、緩慢(かんまん)にまばたきを繰り返し、やがて穏やかな眠りについた。


 寝台の傍らに立つフレインは、アルフラがよく眠っているのを確認すると、おそるおそるといった様子で額に掌をあてる。

 食事中のアルフラに熱を計りたいと告げたところ、触れることを酷く嫌がられたのだ。用意した解熱剤も、いらないと言われた。


「朝方ということもあるのでしょうが、ほぼ平熱です。食後も発熱の気配はありませんし、どうやら本当に解熱剤は必要ないようですね」


 ついで首筋に指先を沿え、脈拍を計る。そして問うような顔を向けるシグナムへ、ひとつ頷いて見せた。


「先程と同様、やはり落ち着いています。一時的なものではなく、快方に向かっていると見ていいでしょう」


「そうか……」


 シグナムの唇から、安堵のため息がもれる。そして安堵すると、こんどは別の懸念が生じた。

 女吸血鬼へ振り返り、シグナムは問う。


「トスカナ砦を襲撃した魔族の軍勢は、どの程度の規模なんだ? こっちに向かっているのか?」


 いや、とカダフィーは首を振る。


「それがまったく分からないのさ。砦陥落を知らせに走らされた伝令も、魔族の動きについては把握してなかった」


 おかしな話だ、とシグナムは思った。七万の軍団を殲滅したからには、砦を完全に包囲し、退路を断った上での襲撃だったはずだ。魔族の数も、これまでにない規模のものだと推測される。そしてその動向は、クリオフェスの今後をも左右する。なのに最も重要な進軍経路の情報を、伝令兵が持っていないわけはないのだ。

 たった一人の魔族によって、それが成されたことを知らぬシグナムたちには、どうにも不可解でならない。これにはカダフィーも同感なようで、首をかしげながら言葉をつづける。


「ただ一つだけ確かなのは、トスカナ砦からこのクリオフェスの街まで駆けて来た伝令兵がいるってことさ。おそらく砦へ至る街道上に、魔族の軍勢は存在しない」


「……じゃあ、砦を落とした奴らは守備兵も置かずに、そのまま南下してカモロアへ向かったってことか……」


 シグナムはやや考え込んだのち、戸口に立つジャンヌへと顔を向ける。


「アルセイドを呼んできてくれ」


「は……? なぜわたしが……?」


 顔を合わせれば、ことあるごとに歯の浮く台詞を並べ立てるアルセイドが、すこし苦手なジャンヌであった。


「こんな状況じゃ、あいつも今頃大忙しだろ。そうそう時間も取れないはずだ。でもアルセイドは、かなりお前にご執心みたいだからな。ほかの誰が行くより、ジャンヌが呼びに行った方がいいだろ」


 神官娘は若干嫌がるそぶりを見せながらも、シグナムに強く促されて部屋を出てゆく。その後を、ルゥが当然のように、とことことついて行った。



 狼少女にとって、ジャンヌにたびたびちょっかいを出すエルテフォンヌの跡取り息子は、要注意人物なのだ。





 ほどなく、神官娘はアルセイドを(ともな)い戻ってきた。

 挨拶もそこそこ、シグナムは本題を切り出す。


「トスカナ砦が陥落したらしいな。詳しい状況を教えてくれ」


 瞬時、かるい驚愕を見せるも、アルセイドはすぐに口を開いた。


「……耳が早いですね。私もつい先程、クリオフェスの領主から話を聞かされたばかりなのに」


「領主? クリオフェスの領主がこの屋敷に来てるのか」


「ええ、今は白竜騎士団の団長とクリオフェスの防備に関する協議を行っています」


 アルセイドは、エルテフォンヌの私設騎士団である白竜騎士団、約四千を引き連れ、クリオフェスに身を寄せていた。

 この一帯を統べるアラド子爵は、現在、ディモス将軍の副官としてトスカナ砦に詰めている。そのため、アルセイドはアラド子爵の留守を預かるといった形で、このクリオフェスに四千の騎士を駐屯させているのだ。

 トスカナ砦からの凶報を受けた領主が、真っ先にアルセイドの許に訪れたのは、そういった背景からであった。


「ですので、長く場を外しておくことも出来ません。端的に経緯をご説明します」


 まず始めに、その知らせを届けたのは、トスカナ砦から四方へと放たれた哨戒兵の一人だったのだ、とアルセイドは説明する。


「一昨日の朝方、砦を発ったその兵士は、東の荒野を巡回し、正午の定時報告のため、一度トスカナ砦へと帰参しました。その時、砦にはこれといった変事もなく、彼は報告を終えてみずからの部隊に戻ったそうです。そして荒野での哨戒任務をまっとうし、帰路へとつきました」


 そこから話はきな臭くなってくる。

 哨戒兵たちが砦に近づくにつれ、風に乗って濃い血臭が漂ってきたのだ。

 かなり遠方からでも嗅ぎ取れるほどの臭気だったのだと、その哨戒兵はのちに語った。

 これはただ事ではない。そう感じて、急ぎ砦へ戻った彼らは、城壁内部を埋め尽くす(むくろ)の山と対面する。それこそ地面も見えないほどに、無数の屍が折り重なっていたのだ。

 恐ろしいほどの静寂のなか、屍肉を漁る(カラス)の鳴き声が、ときおり不気味に響いていた。

 目につく死体をざっと検分したところ、それらはすべて、刀傷が死因となっているようであった。

 信じられない話ではあるが、まるで兵士たちが互いに斬り合い、骸の山を築いたのだとしか思えない有様だった。


「そのロマリア兵は、取るものもとりあえず近場の関所まで走り、馬を借りてクリオフェスまで駆けてきたそうです」


 知らせをもたらした兵士は、街道に敷設(ふせつ)された関所ごとに、乗り潰した馬を替えて、通常四日はかかる距離を一日半ほどで走破した。

 むろん、その途上において、魔族の軍勢とは一切遭遇していない。


「さらに届いた続報により、砦南部に布陣していたラザエル-エスタニア連合軍に攻められ、トスカナ砦は壊滅したのではないかと考えられています」


「そんな……馬鹿な……」


 シグナムの引き攣った呻き声に、アルセイドも同意する。


「多くの者がそう言いました。私も同様に……。現在、トスカナ砦近辺の関所から兵を抽出し、生存者の捜索にあたらせています。なにぶん遺体の数が多く、ディモス将軍やアラド子爵の生死も不明です。ただ、その経緯により明らかとなったのですが、砦周辺の関所には一切の被害もなく、魔族の軍勢を目撃した者も居ないそうです」


 魔族襲撃の痕跡はなく、屍だけが残されたトスカナ砦。

 状況から考えるに、ロマリア兵とラザエル-エスタニア連合軍の同士討ちにより、それは起こったとしか考えられない。


「ただ、エレナ様がおっしゃられるには……夢魔の仕業ではないかと」


「夢魔の?」


「はい。ロマリア南東部の国境は、魔王魅月の治める地と接しています。その近辺では、人の領域に夢魔が入り込むことがあるそうなのですが……」


「夢魔の業に操られて、トスカナ砦の兵士たちが互いに殺し合ったのだと、そうお考えなのですか?」


 フレインの問いかけに、アルセイドは半信半疑といった様子でうなずく。


「エレナ様は、そう申されていました」


 しかし――


「いいや、無理だね」


 間髪を入れずに、カダフィーがそれを否定した。


「確かに、夢魔の(やから)は人に悪夢を見せて、その精神を支配する魔法をよくするとは聞いてるよ。けどね、人を操るってのはそう簡単なことじゃない。――だいたい、七万もの兵士を意のままに従わせるなんて無理な話さ。殺し合いをさせるほどに人心を掌握するには、それなりに時間もかかるしね」


 砦の陥落は、正午から日暮れまでのわずか三時(約六時間)ほどの間に起こった出来事だ。


「まずそれだけの短時間に、七万の軍勢が全滅したってのが信じられない。夢魔が絡んでるっていうなら、その知らせを持って来た兵士自身が、悪夢を見せられて操られてるんじゃないのかい?」


「その者が正気であることは、竜神の巫女であるエレナ様が保障なされています。ですが、ラザエル-エスタニア連合軍がトスカナ砦を攻める理由があるとも思えません。よしんば私たちにはあずかり知らぬなんらかの意味があったにしろ、それで両軍、全滅するまで戦うというのも……やはり異常すぎます」


 (しかばね)折り重なるトスカナ砦の惨状を思い浮かべて、すべて者が重く口を閉ざした。

 しばしの間を置いて、静まり返った室内に、扉の叩かれる音が響く。

 アルセイドの名が呼ばれ、彼は一礼して退室した。しかし、一刻(約三十分)ほどで戻って来た彼は、トスカナ砦において、生存者がただの一人だけ発見されたこと告げた。それは取りも直さず、ディモス将軍とアラド子爵の訃報(ふほう)を伝えるものでもあった。


「ですがその生存者も……ほどなく自害して、みずから果てたそうです」


 ロマリア人は軒並み日に焼けていて、褐色の肌をした者が多い。アルセイドもその類に漏れなかったのだが――このとき彼の顔色は、青白くさえあった。


 砦の内部、地下牢に通じる階段の下で、その者は発見された。

 肩口には深い刺創(しそう)があり、階段から転げ落ちたことにより、足を骨折して動けないでいたらしい。

 かなりの重症ではあるが、命にかかわる傷ではなかった。

 助け起こそうと近づいた兵士に、その男は奇声を上げて斬りかかった。突然のことに対応できず、そこで一人の兵士が命を落とした。さらに男は他の兵士らにも襲いかかろうとしたが、殺した兵士の首甲と肩当の接合部に、がっちりと噛まれた剣が抜けず、それを成せなかった。

 懐剣を取り出し、なおも暴れる男を取り押さえるまでに、二人が負傷した。そして兵士たちは、男に事の次第を問いただした。

 曰く、なぜ味方である自分たちに刃を向けたのか。トスカナ砦、最後の生き残りであるお前の知っていことをすべて話せ、と。

 男はぼんやりと「最後の生き残り……?」そうおうむ返しに繰り返した。

 兵士たちがうなずくと、その言葉をようやく理解したらしい男は、尋常ならざる力で拘束の手を振り払い、みずからの喉に懐剣を突き立てて絶命した。


 驚くべき顛末を語ったアルセイドは、最後にこう付け加えた。


「みなさんは早めにクリオフェスを――いえ、可能であればこのロマリアから、一刻も早く離れた方がよいでしょう。もしもの場合、防備を固めてどうなるものとも思えません」


 慌ただしく協議の場へ戻ってゆく背中を見送り、女吸血鬼がぼそりとつぶやく。


「話を聞いた限り……正気じゃないね」


 誰と言わずとも、自害した男のことだということは誰もが理解した。


「やはり……魔族の仕業なのでしょうか?」


「分からないね。たとえそうだとしても、七万の軍勢を操れるとは思えない。私だってこの魔眼で従えることが出来るのは、いいとこ十数人てとこさ。たとえ夢魔だろうと、いくらなんでも万を越える人数を操るなんて……」


 カダフィーはそこで言葉を途切らせ、(おもて)を伏せた。


「いや、魔王だったら……可能なのか……」


 その脳裏には、半月ほど前に邂逅した、魔王雷鴉の威容がまざまざと蘇っていた。

 もしも夢魔の女王とやらが、雷鴉と同等の力を持つとすれば、七万の軍勢悉くを術中に嵌め、互いに殺し合わせることも可能なのではないか、そういった考えが(よぎ)る。

 魔王という存在は、人間の王国を単身で滅ぼせるだけの力を持つと言われている。

 実際にそれを行わないのは、人間に対する関心が極めて低いからだ。あまり食事を必要としない魔族は、地を耕すことをせず、領地的な野心も薄い。彼らが戦いを好むのは、習性であり娯楽のようなものだ。

 超越的な力を持つ魔族の支配者たちは、矮小な他種族との戦いに楽しみを見出だせない。だから身内同士で相争う。唯一例外があるとすれば、同等の力を持つとされる神族のみである。

 大災厄以降、魔王が他種族の国を攻めたという記録もなく、真実、魔王と称される者が、どれだけの力を持つのか見た人間はいなかった。

 だがアルフラは、魔王雷鴉と戦ったのだ。カダフィーたちも、その絶大な力を目にしている。

 魔王という存在ならば、そして悪夢によって意のままに人を操る夢魔の女王ならば、トスカナ砦の変事をも可能とするのではないだろうか。


「魔王魅月が……トスカナ砦を落としたのかもしれない……」


 一般的な人間にとって、魔王とは神話や伝説などといったお話の中だけに登場する存在である。神々を駆逐した恐るべき災厄。そんな天災にも等しい存在が、現実のものとして身近に迫っている。実際に魔王の姿を目にしたカダフィーには、それがありありと肌に感じられるようであった。


「ロマリアは、本当にもう駄目かもしれないね。あの坊やの言う通り、早くこの国を離れた方がいい」


 女吸血鬼は、アルフラの眠る寝台へと目をやる。


「嬢ちゃんの容態も落ち着いてるんだ。さっさとレギウスに帰ろう」


「しかし……トスカナ砦の陥落に、魔王魅月が関わっていると決まったわけではありません。せめてもう数日は、アルフラさんの様子を見たいのですが……」


 フレインとしても、早晩このクリオフェスを離れなければとは考えていた。だが現実問題として、レギウスへ帰るにはそれなりの長旅となる。国境付近の街道は、敷石の状態も悪く、病身であるアルフラには堪えるであろう。

 出来ればアルフラがみずからの足で歩けるようになるまで、体力の回復を待ちたいというのが本音だった。


「様子を見る、ね。あんたはこのロマリアに、二人の魔王が入り込んでるかもしれないってのを理解した上で、そんな日和ったことを言ってるのかい」


「それは……」


 中央の盟主である雷鴉と、夢魔の女王、魅月。ロマリアはその身中に、二人の魔王を抱え込んでいるのかもしれない。

 なにを置いてでも早急に、この地を離れた方がよいという焦燥感もあった。

 判断に迷ったフレインは、背後に立つシグナムを振り仰ぐ。


「あたしは……」


 しかしシグナムもまた、迷っていた。

 アルセイドの話だけでは、現状の危険度が計りにくい。トスカナ砦のような軍事的な要所とは違い、このクリオフェスが戦火に曝される可能性は低いように感じる。

 かといって、相手は魔族だ。人間の物差しで判断など出来ないだろう。

 だが、そういった不確かな要素を危惧して、アルフラに無理をさせることもしたくない。


「もうすこし、情報が欲しい」


 傭兵という職業柄、拙速を尊ぶシグナムの、めずらしく思い悩む姿に、フレインも口を引き結ぶ。うつむいたその横顔を、ひやりと冷涼な風が撫でた。


「……帰り、たい」



 寝台の方から、そうささやく声が聞こえた。





 夢を見ていた。


 遠く離れた北の大地。

 一年の半分が雪に閉ざされた白銀の雪原。

 澄んだ空気と石造りの古城。

 いつでも隣には、優しい眼差しの白蓮がいてくれた。


 しかし、身体の節々に及ぶ痛みと、肌を蝕む焼け付くような感覚が、アルフラを現実に引き戻す。

 雪原の古城とは違い、湿り気を帯びた蒸し暑い大気が、堪らなく不快だった。


――帰りたい


 無意識に、左手を握りしめる。

 強張ったように動かしづらい手の中には、冷たく固い感触。白蓮から貰った大事なアルフラの宝物。

 今ではその残骸となってしまった細剣を、両の(かいな)で抱きしめようとした時、アルフラはおのれが右手を失っていたことを思いだした。


――白蓮……


 口のなかでつぶやくと、不快な蒸し暑さが、わずかに去ったように思えた。

 古城での暮らしを想うと、すこしだけ心が浮き立った。


「……帰り、たい」


 白蓮の冷たい肌と、氷雪の(くゆ)るような銀髪を幻視して、幸せに浸る。

 やがて、しきりと呼びかける声に気づいた。

 聞き取りづらいその声は、しかし確かにアルフラの名を呼んでいた。

 いまにも泣き出してしまいそうな声だ。


「……ちゃん……アルフラちゃん」


 大きな手が、優しくアルフラの上体を抱き起こす。

 霞む視界が明瞭となり、シグナムのゆがんだ顔が見えた。

 幸せなアルフラは、なぜか泣きそうな顔をしているシグナムに、笑いかけようとした。

 しかし口許の皮膚が強張っていて、うまくゆかない。

 シグナムの顔が、さらにゆがむ。

 それがとても不憫に感じ、


――かわいそう


 アルフラはそう思った。


「帰ろう……レギウスに帰ろう!」


 冷たな雫が点々と降り注ぎ、アルフラの顔をおおう包帯に、いくつもの染みを作った。

 ほんとうに、なぜなのだろう?


「アルフラちゃん、あたしが必ず連れて帰ってやるからな!」



 シグナムは、泣いていた。

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