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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
156/251

咲き誇る妖花



 広大なロマリアの国土。その肥沃な大地の七割ほどが、農耕に適した平野部である。地形に高低差、遮蔽物等があまり存在しないため、各都市を繋ぐ街道は直線的だ。

 トスカナ砦南部平原を貫く石畳もまた、見渡す限りに真っ直ぐと続く。

 一路、ロマリア北部最大の城塞へと至る道を、五万にも及ぼうかという鎧武者たちが進軍していた。照り付ける陽光をぎらぎらと跳ね返す重装騎兵が先導し、長槍を担いだ無数の兵士たちが追従する。

 鋼の群れのただ中で唯一、素肌を大きく晒した華が一輪。蛇の腹を思わせる白い肌が、黒鉄(くろがね)の軍団に在ってひどく鮮烈だった。だが、その花は毒花であり、鋭い棘を有している。


 ――魔王魅月。


 彼女に付き従う者たちは、ラザエル皇国とエスタニア共和国から派遣された将兵であった。夢魔の(わざ)により自我を喪失した彼らは――夢を夢見て夢に生きる、魅月の奴隷たちである。

 北上する軍勢と共に、夢魔の女王は踊るような軽快さで()を進める。

 じきに見えてきた巨大な城塞を仰ぎ、魅月はわずかに口許をゆるめた。


「ちゃちゃっと済ませて皇城へ戻るわぁ」


 見上げた城壁の上には、無数の人影があった。それらは酷くうろたえているようだ。

 突如として押し寄せた五万の軍勢。

 砦の南部平原に配されていたはずの友軍が、なんの前触れもなく城壁を囲んだのだ。意図の掴めぬその奇行に、守備兵たちは混乱に(おちい)っていた。

 トスカナ砦への道中、繰り返し送られて来た物見の兵たちは、すべて魅月の虜となっている。砦に駐屯するロマリア軍は、何が起きているのかまったく理解していないのだ。

 城壁の上から、誰何の声が響く。


「なにゆえ陣を引き払い、兵を返したのか!? ご説明願う!」


 立ち並ぶ弓兵に囲まれ、兜に房飾りをつけた指揮官が、夢魔の女王を見下ろしていた。

 魅月は一人、前に出ると、構えた射手など存在しないかのように、城門へと進む。


「そ、そなたは何者だ!?」


 その見目は二十(はたち)にも至らぬ小娘ながら、ひしひしと感ぜられる重厚な気配が、ロマリア兵たちを尻込みさせる。

 魅月はくすくすと笑いながら城門に手をかけた。細かな粉塵が舞い、金属板で補強された分厚い門が、その手に削り取られる。

 城門の内側に集結していたロマリア兵たちは、門から生え出た女の腕に愕然とした。

 開いた穴から、魅月は砦の中庭をのぞき込む。ざっと見渡しただけでも、武具を手にした数百の兵士が目についた。砦内部からも慌ただしい気配が伝わってくる。


「フフッ……お出迎え、ご苦労さまぁ」


 微笑みかけた魅月の目に、惑乱(わくらん)の光が(とも)る。その瞳孔が蛇のそれのごとく縦に拡がった。視線を受けた兵士たちの思考は混濁し、すぐさま前後不覚となった。

 魅月はちいさく指先を上下させ、虜となった兵士らを手招く。その口から、脳髄をとろかす甘美な言霊(どく)が吐かれた。


「城門を開きなさい。邪魔する奴は、斬り捨てちゃっていいわぁ」


 声を聞いた数百もの兵士が、城門の巻き上げ機へと殺到する。途端に周囲からは怒号が響き始めた。

 魅了の魔力が及ばなかった者たちは、必死の形相で開門を阻止しようとしていた。しかし、それらの者たちも次々と視線に魅入られ、魅月の(でく)へと変えられてゆく。


 重厚な一枚扉が開かれるまでに、さほどの時間はかからなかった。


「皆殺しになさい」


 魅月が背後の軍勢に呼びかけると、五万の兵士が大挙して門へと押し寄せた。ほんの数瞬で、城門内部は阿鼻叫喚の坩堝(るつぼ)と化す。

 降りしきる血の雨と断末魔。それはとても心地好く、魅月はほんのりと肌を上気させた。

 しなやかな腕が、するりと高く伸ばされる。頭上で両手の甲を合わせ、妖しく腰を揺らめかせる。飛び散る血肉に興も乗り、膝を高く上げて(かろ)やかにステップを踏み始める。


「さぁ、あたしのために踊りなさい。サンバ、ルンバ、ジルバ、チャチャチャ! そしてタンゴにワルツ!!」


 楽しげに笑い、魅月は一心不乱に舞い踊る。

 青白い肌が、しっとりと汗に艶めく。

 濡れ光る肢体から、男を(とろ)かす甘やかな体臭が立ちのぼる。

 劣情を誘う夢魔の香気が、(みだ)らに花開く。

 それは膨大な魔力と混じりあい、砦全体を覆い尽くした。


 魅月はさらなる殺戮を、砦の隅々にまで伝達する。それを終えると、自身の手は一切汚すことなく、皇城への帰路についた。


「じゃあ、あとはよろしくねぇ」


 ただ一人の観客であった魅月が去ったあとも、壇上では人形たちの斬殺劇が繰り広げられる。



 最後の一人になるまで殺し合え。そして残った者は、みずから刃を()んでその場に散れ。それが彼らに与えられた命令だった。





 まだ薄闇の去らぬ明け方に、その第一報は届いた。

 クリオフィスの軍務政務を統轄する庁舎は、にわかに目まぐるしく動き出す。

 トスカナ砦駐留軍壊滅を伝える使者たちが、すぐさま各所へと走らさた。不穏な慌ただしさが街に広がる。


 アルフラたちの宿泊する邸宅にも、それらの騒ぎは届いていた。

 女吸血鬼の去った室内で、シグナムとフレインは寝台を見下ろす。彼らの視線は、アルフラの細い首元へ注がれていた。


「……やはり、噛み痕がありませんね」


 ちいさく呟いて、フレインはほどいたばかりの包帯を、丁重に巻き直す。


「もし、カダフィーに血を啜られたのであれば、首筋に独特な二つの傷痕が残るはずなのですが……」


 それらの傷は、犠牲者が吸血鬼と化すまで、決して癒えることはないと言われている。そして完全な吸血鬼化には、最低でも数日を要するはずなのだ。

 二人はじっとアルフラを見つめる。

 つい昨日までは、浅く不規則だった呼吸が落ち着いていた。

 赤黒くひび割れた唇には、心なしか艶が戻っているようだ。


「脈拍にも異常はありませんし、これは……」


「持ち直した……?」


「ええ……ただ、気になるのは……」


 アルフラの口許に巻かれた包帯に残る、どす黒い血痕。


「カダフィーは血を吸ったのではなく、逆に与えたようですね」


「……吸血鬼の血を飲むと、どうなるんだ?」


「やはり、吸血鬼化するはずです。血を啜られるよりも……より確実に」


 シグナムは険しく眉を寄せ、その目が剣呑に細められた。


「アルフラちゃんが吸血鬼になる前に、カダフィーを殺したら……どうなる? 吸血鬼化は止まるのか?」


 はっと息を飲んだフレインの背後で、静かに扉が開かれた。

 場に満ちた、そこはかとない緊張感を気にしつつ、ジャンヌが室内に踏み入る。後手に、まだ眠たげな目をしたルゥの手が引かれていた。

 すでに神官服をまとい、身繕いも終えた様子のジャンヌは、寝起きといった感じではない。おそらくレギウス神への祈りでも捧げていたのだろう。目元のくまが青みを増している。


「なにやら外が騒がしいようですけど、なにかあったのでしょうか?」


 神官娘が朝陽の差し始めた鎧戸から、街並みへと視線を投じると同時、黒い影が室内へと飛び込んできた。

 外套をひるがえして床へ降り立ったのは、カダフィーであった。開口一番、急を感じさせる声音で女吸血鬼は告げる。


「ちょっと洒落にならないことになってるよ」


 シグナムとフレインも、街から流れてくる喧騒には気づいていた。ただ、今の二人にとって、アルフラの容態以上に重要なことはなく、それを黙殺していたのだ。


「トスカナ砦の兵隊達が、全滅したって話だ」


「全滅――!?」


 シグナムの目が大きく見開かれる。


「いや、有り得ないだろ! 魔族の進攻があったとしても、不利な状況になれば撤退するはずだ。七万からの軍勢が、どうやったら全滅するってんだよ!?」


「私が知るわけないだろ。でもね、早馬に乗った伝令を捕まえて聞いた話だから、そういう報告が届いたってのは事実さ」


「なにかの間違いじゃないのか。確かにトスカナ砦はロマリア北部の要所だが、王都からは遠い。一軍を失ってまで死守する意味はないはずだ。砦を枕に皆討ち死になんて、そんな無茶をするはずがない。たぶん誤報の……」


 言いかけたシグナムは、ふと口をつぐむ。そして、寝台へちらりと目をやった。


「それより今はアルフラちゃんだ。――あんた、アルフラちゃんに血を飲ませたんだろ」


 シグナムはぎろりとカダフィーを睨みつける。


「このままアルフラちゃんは吸血鬼になるのか? 今は容態も落ち着いてるけど――」


「容態が……落ち着いてる!?」


 カダフィーは、寝台の前に立つシグナムをかわし、アルフラの傍らにひさまづく。

 かすかに聞こえる穏やかな寝息に、女吸血鬼は信じられないといった顔をしていた。


「……なんでこの嬢ちゃんは、生きてるんだい」


 カダフィーの茫然とした声を聞き、察しのよいフレインは、なにかアルフラにとって好ましい事態が起きているのだと理解した。


「どういうことか、詳しく話していただけますか?」


 女吸血鬼は軽く眉をひそめ、しばしアルフラを注視していた。やがて、ふに落ちないといった口調で語りだす。


「本来なら、私の血を飲むとね、だいたい数刻ほどで心臓が止まるのさ」


 そして三日後の夜に、血を吸う鬼として甦るのだとカダフィーは言う。

 逆に血を啜った場合、その頻度と量によって、吸血鬼と化すまでの時間は変わってくる。犠牲者はゆっくりと衰弱してゆき、およそ数日後に息を引き取る。


「ようは、不死者の魔力によって身体が作り変えられるのさ。その前段階として心臓が止まり、三日かけて吸血鬼になる。血を直接飲ませれば、効果も即効性のはずなんだけど……」


 カダフィーは訝しげに寝台へと視線を落とす。


「そういやこの娘……ちょっと前に死霊を喰っちまったんだっけ……」


 それにより、不死者の血に対する耐性が増しているのだろうか。そうカダフィー考えた。

 アルフラが死霊のみならず、ホスローの魂魄までも口にしていることを、カダフィーは知らない。


「嬢ちゃんは、爵位の魔族を何人も喰らってる。その器が、不死者の血を許容可能だとしてもおかしくはない。――でも、私の血はね、ある意味かなり毒性が強いんだよ」


 穏やかに眠るアルフラへ、女吸血鬼の手が伸ばされる。乾いた唇を指先でなぞり、ぼそりと呟く。


「試しに、もう少し血を飲ませて……」


「今は必要ない!」


 シグナムがカダフィーの手を掴み、押しのけるようにその肩を突いた。


「なんだい、手荒いねぇ。そう殺気立たなくても……おや?」


 ぶちぶち文句を言いつつ、カダフィーは寝台へと目を向ける。アルフラがかすかに身じろぎをしていた。

 ちいさく開かれた口から吐息がこぼれる。


「ん……ぅ……」


 左のまぶたが、小刻みに震えていた。


「ほら、あんたが大声を出すから、起きちまったじゃないか」


 シグナムはたじろいだように一歩身を引く。アルフラに対する罪悪感がそうさせていた。

 右腕の切断は適切な処置だったとはいえ、アルフラを妹のように可愛く思うシグナムにとって、それは多大な精神的負担となっていた。利き手だけは切らないでくれと泣き叫ぶアルフラを押さえつけ、無理矢理に腕を切除した記憶は、地獄のような光景として、シグナムの脳裏にこびりついている。

 後々恨みごとを言われても、しようのないことだと覚悟もしていた。

 しかし実際に、アルフラから涙ながらに「右手をかえして」と言われたとき、その痛切な訴えにシグナムの心は耐えられなかった。

 そしていま、ふたたびアルフラの視線にさらされ、シグナムは身動きのひとつも取れなくなっている。


「……シグナムさん」


 ここ数日、まともに言葉を発することの出来なかったアルフラが、しっかりとした声で、その名を呼んだ。――なにを言われるのかと不安に(おのの)く、シグナムの名を。

 投げかけられるであろう、痛烈な言葉に身構えていたシグナムは、


「あたし、お腹へった」


「……え?」


 まったく険のないアルフラの声に、きょとんとしてしまった。ややあって、理解が追いつく。


「腹、へってるのか……アルフラちゃん?」


「うん」


 こくり、こくりと、アルフラは二度うなずいた。


「あ、ああ……待ってな、すぐに何か持ってくる!」


 かつて傭兵仲間から、熊女と揶揄(やゆ)されていた女戦士は、褒められた飼い犬のように表情を輝かせた。

 シグナムは嬉しげに戸口へと駆ける。


「あっ、私も薬湯の準備を――」


 フレインが慌ただしくシグナムのあとを追う。

 すかさずルゥとジャンヌが、女吸血鬼と寝台の間に体を割り込ませた。

 大人二人が不在のいま、自分たちがアルフラを吸血鬼の毒牙から守らなければならない。そう思い立ったようだ。責任重大である。


「いや……べつに嬢ちゃんをどうこうしようなんて思ってないよ」


 苦笑したカダフィーが、しげしげとルゥを観察する。


「新月明けのくせに強気だねぇ。私がちょっと小突いただけで死んじまうんじゃないのかい」


 ふん、と鼻を鳴らしたルゥを見て、カダフィーはいっそ苦笑を深めた。


「あんた、嬢ちゃんが怪我する前は、ずいぶんとそっけなくされていたよね? なんでそうまで義理立てするのさ。まさか、まだ友達だとか思ってるのかい?」


 この時、カダフィーが思い起こしたのは――右腕を切断される直前、ルゥに助けを求めたアルフラの姿だった。そしてルゥも、カダフィーの言葉から、やはり同じ情景を思い返していた。


(おねがい、ルゥ……はなして……)


 アルフラはとても弱々しい力で、ルゥの手から逃れようとしていた。


(あたしたち、ともだちだよ、ね……? みぎては、いやなの……おねがいだから……)


「この嬢ちゃんはね、あんたのことなんて、これっぽっちも気にかけてやしないよ。都合のいい時だけ友達面(ともだちづら)してただけさ。――あんただって、そんなものを本気で信じてちゃいないだろ?」


 表情を強張らせたルゥの手を、ジャンヌがきゅっと握りしめる。


「ひとつ、助言をくれてやるよ。吸血鬼の助言だ」


 カダフィーはいやらしく口許を歪める。


「嬢ちゃんの自分勝手な友情に振り回されてたら、あんたはそのうち身を滅ぼすよ。確実にね」


 女吸血鬼は皮肉げに(わら)う。

 とうの狼少女は答えることなく、がうっと可愛らしくとがった犬牙を剥いた。


「ふふ、まあ好きにしなよ。私には関係ないことだしね」


 カダフィーは壁際まで下り、寝台をうかがう。

 話は聞こえていたはずだが、アルフラは静かにカダフィーを見ているだけだった。


「お腹、へった……」


 血走った瞳が、食い入るように女吸血鬼の首筋を凝視していた。

 カダフィーは思わずぶるりと身震いをする。


 その場の誰もが気づかなかった。

 気温の変化に疎い女吸血鬼も、それと対峙するジャンヌとルゥも――



 夏の日の朝にしては、室内が初秋のごとく涼やかなことに。

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