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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
154/251

腐肉斬断(後)



 悲痛な叫びに堪えられず、シグナムは()(すべ)もなく身を強張らせる。それは他の者も同じだった。金縛りにでもあったかのごとく、動きと思考を止めてしまう。しかし、アルフラの肩口から溢れる血の鮮やかさに、忘我は去る。

 もはや右腕の切除は、中断不可能な段階にまで進んでしまっていた。そうでなくとも、壊死した腕を放置しておくことは出来ない。

 やり遂げなければ、死という結果しか残らないのだ。


「アルフラちゃんを押さえてくれ!」


 シグナムの鋭い声にうながされて、フレインたちがその言葉に従う。


「いや、いや! やめて――!!」


 向けられた恐怖の視線にたじろぎながらも、シグナムはアルフラの肩に刺さった短刀を掴む。


「――やだ! きらないで!! あたしのみぎて……あたしの……」


 複数の手により身体を拘束され、アルフラは狂乱の内に泣き叫んだ。

 なんとか逃れようと手足をばたつかせるが、瀕死の体では叶うはずもない。

 真っ青な顔をしたルゥと、アルフラの視線がふと交わる。

 上体を押さえつける狼少女の手が震えた。


「おねがい、ルゥ……はなして……」


 ルゥはべそをかきながらも、愕然としていた。自分がいともたやすく、アルフラの自由を奪っている現状に。

 以前であれば、たとえ狼少女が獣人化したとしても、こうはいかなかっただろう。

 重度の火傷を負い、衰弱しきったアルフラ。必死にもがいてはいるが、まるでおさな子のように力無く、とても弱々しい。

 その事実が、ルゥにはとても悲しかった。


「あたしたち、ともだちだよ、ね……? みぎては、いやなの……おねがいだから……」


 すがるような瞳を直視出来ず、ルゥは目を逸らす。


「ごめん、ごめんね……アルフラ……」


 鳶色の瞳がぎょろぎょろと周囲を見回す――しかし、誰もが悲壮な表情で、顔をそむけた。


「あ、あ、あぁぁ、いやあああ……たすけて……」


 口の()が裂けるほどに開かれ、血をしたたらせながら、絶叫が(ほとば)しる。


「白蓮! 白蓮! たすけて、白蓮――――――!!」


 短刀の刃を進めようとしていたシグナムは、思わず手を止める。

 極限の状況下において、アルフラが助けを求めたのは――多くの戦場で肩を並べ、長らく生死を共にした自分ではなく、シグナムにとっては見も知らぬ他者であった。そのことに、たまらない痛みを覚える。


「すまない、アルフラちゃん……」



 灼熱の刃がほそった肩を、ぶつりと焼き切った。





 右腕の切断から数刻後、アルフラは客室の寝台に寝かされていた。痛みと失血により意識はない。湯を使って体は清められ、すでに新しい包帯が巻かれている。

 血を多く失ったことにより、熱は著しく低下していた。本来なら低体温症を招きかねない状況ではあるが、ロマリアの猛暑が幸いしたといえるだろう。夜でも人肌に近いほどの気温であるため、一定以上には体温も下がらない。

 シグナムたちは、憔悴の色濃く浮き出た表情で、アルフラを見つめる。


「これからどうするつもりだい?」


 アルフラを囲む輪から一人離れ、壁によりかかっていたカダフィーが尋ねた。


「近くに黒死の病に(かか)った医者の死体が転がってたんだろ? だったら早くこの街から出たほうがいい」


「たしかに、このままカモロアに留まることは出来ませんが……」


 フレインは、浅く頼りない呼吸を繰り返すアルフラを見つめたまま、口をつぐむ。不規則な寝息によく聴き入っていないと、それが不意に途絶えてしまうのではないかと、気が気でないのだ。

 同じく、神妙な面持ちでアルフラの容態を見ていたシグナムが、(かす)れた声で言う。


「宿の主人が言うには、二日後――いや、日があけてもう明日だな……明日には南に向かったロマリアの国軍が戻って来るらしい」


「では……」


「今日中にカモロアを出ないと、身動きが取りづらくなる……」


 かといって、今のアルフラが馬車での移動に耐えられるのだろうか。その疑問が判断を鈍らせる。


「夜が明けるにはまだ時間がある。いまなら私が安全に、街門をくぐらせてやることも出来るんだよ?」


「さすがに、これからすぐというのは……」


 逡巡(しゅんじゅん)するフレインを見て、女吸血鬼はあきれたように肩を竦めた。


「迷ってる時間なんてないよ。医者が死体になって転がってるってことは、すでに黒死の病に罹患した者が、そこらじゅうに居るってことだ。下手をすれば、まだ症状が出てないだけで、宿の使用人にもそういった(やから)が混じってるかもしれない」


 カダフィーの視線が寝台へと向けられる。


「このうえ嬢ちゃんが黒死の病をもらっちまおうもんなら、もうどうやっても助からないよ」


 重苦しく沈黙する面々を見やり、カダフィーは大きくため息を落とした。


「国軍が到着して門兵の数が増えれば、そのすべてを魔眼で腑抜けにするのは難しい。カモロアを出るなら今日中でないと、一戦交える覚悟が必要になる。しかも、死にかけの嬢ちゃんを守りながらの戦いだ」


 選択の余地なんてないんだよ、とカダフィーは締めくくった。

 うなだれるように耳を傾けていたシグナムが、不意に立ち上がる。


「出発の用意をしよう。いまアルフラちゃんを動かすのは危険だが……」


 このまま宿に留まるのも命にかかわる。どちらがより危険かを考えれば、そうせざるえない。他の疫病の類いに洩れず、黒死の病は体力のない者から順に、死へと(いざな)うのだから。


「暴徒のこともありますし、やはりここに長居は出来ませんね」


 フレインも同意し、問うような視線をカダフィーへ向ける。


「嬢ちゃんの容態が不安だってんなら、最低限、快癒の魔法で命だけは繋いでやるよ。ただし、この借りはきっちり返してもらうけどね」


 目だけで忍び笑い、女吸血鬼は黒い外套をひるがえす。するすると開かれた鎧戸までさがり、闇にその身を(おど)らせた。


「西門で待ってるよ。あんたらが来るまでには、衛兵共を手なずけておかないとね」


 夜に紛れる黒衣を目で追いつつ、ジャンヌがぽつりとこぼす。


「わたしが快癒をちゃんと扱えれば、不死者などに頼らずともよいのですが……」


 自責の言葉にシグナムは軽く首を振る。


「今は言ってもしょうがない。荷物を馬車に運んでくれ」


 ジャンヌは物憂げに頷き、ルゥをともなって自室へと向かった。

 各自、宿に持ち込んだ私物は少ない。出発の用意はそう時間もかからないだろう。


「不義理はしたくありません。せめて、宿の主人と使用人の方々に、一言挨拶をしておきたいのですが……」


「やめた方がいい。また昼から商工会の寄り合いがあるって話だった。朝も早いはずだ。今から起こすのも迷惑だろ」


「そうですね……」


 不寝番(ふしんばん)の使用人も居るはずだが、夜が明ける前には門を出る必要がある。あまり時間に余裕はないのだ。

 フレインは懐から金子(きんす)袋を出して、数枚の金貨を卓に乗せる。

 宿の者たちはアルフラによくしてくれた。それこそ金には換算出来ないほどに。――だから宿代とは別に置かれたその金貨は、せめてもの気持ちだった。


「トスカナ砦は避けて、子爵領に向かう。たぶん四日はかかるはずだ。薬なんかは大丈夫か?」


「それは問題ありませんが……トスカナ砦なら二日ほどで着くはずですし、レギウスへ戻るにしても、そちらを経由した方がよいのでは?」


「トスカナ砦は駄目だ。そのへんは道々話すよ」


 シグナムは寝台に横たわるアルフラを抱き起こした。そのまま横抱きにして馬車まで運ぶ。意識を失った人間を移動させるのは、思いのほか重労働なのだが……今ならフレインですら、苦もなく同じことが出来ただろう。右腕を失い、痩せ細ったその体は、幼児ほどの重さもない。



 ぞっとする軽さだった。





 グラシェール山麓に設営された魔族の本陣、その中央に位置する一際大きな天幕に、魔王たちが集結していた。

 神の宮陥落からおよそ半月、いまだ神族に動きはない。配下の軍勢を取りまとめる以外、これといった仕事のない彼らは、いささかの不満込めて、上座の魔皇を注視する。それらの視線を毛ほども気にすることなく、戦禍は手のなかで、円筒形の金属を(もてあそ)んでいた。

 軍議において必要な報告もあらかた終わり、戦禍の口が開かれるのを皆が待つ。


「――灰塚」


 名を呼び、戦禍は長卓の上に金属の筒を転がす。

 目の前で止まったそれを見て、灰塚は不審げに問う。


「これが、なにか?」


 大きさでいえば、灰塚の人差し指ほどの筒。手にすると見た目よりも重量は軽く、表面にはくすんだ光沢がある。


「それはグラシェールの地下区間から出てきたものです」


 戦禍は、神の宮の地下深くに存在する、降神(こうじん)の間と呼ばれる施設を探していた。しかし、大量の土砂を取り除くため、多くの兵が借り出されている現状を、魔王たちはあまりよく思っていない。あくまで兵は戦うためのものであり、土木作業に使うものではないというのが彼らの言い分だ。


「先日見つかった竪穴から、地下区画に入れたのはよいのですが……内部は想像以上に広大でしてね。しかも、外殻と同じ材質の隔壁により、要所要所が遮断されている」


 そこで戦禍は渋い顔をする。


「これがまた、おそろしく堅固なもので、衝撃にも強い。なにしろ外殻と同じ建材の隔壁が通路を塞いでいるので、力づくで破るとなると、地下構造自体を破壊しかねない」


 ひとつ間違えば、大規模な崩落が起きるだろう。


「そういえば……」


 灰塚の整った柳眉(りゅうび)が、かるく持ち上がる。


「正午くらいでしたか、二度ほど地鳴りが響いてましたけど……」


「ええ、隔壁に穴を空けたはいいが、外殻にも亀裂が入ってしまいました。――その円筒は、隔壁と同じ材質のものです」


 灰塚は手のなかの金属を、まじまじと見つめる。


「これを私に……どうしろと?」


「溶かせますか? 私では重要な内部施設を破壊してしまうおそれがある。ならば溶解させるのが無難ではないかと思いましてね」


「はあ、仰せとあらば……」


 あまり気乗りのしない様子で、灰塚は曖昧に頷く。めんどうくさいのだ。

 円筒の金属を、親指と人差し指とでちょこりと(つま)む。その指先に魔力が集中する。

 途端に赤い輝きが(とも)った。

 天幕内に熱気が広がる。

 だが、激しく発光する円筒は、それでも形状になんら変わりがない。


「これは……」


 当初はとりあえず、といった表情であった灰塚の顔が、真剣なものへと変わる。

 輝く円筒の色が、赤を越して黄へと変化した。

 とてつもない熱気に、周囲の魔王が(かす)かに身を引く。


「……鉄ならばとっくに蒸発してるはずなのに……」


 つぶやきと同時に、灰塚は周囲に障壁を張り巡らせる。満ちた膨大な魔力を、一点に注ぐ。


 輝きは黄から白へ。


 戦禍は目を(すがめ)てその光景に見入る。瞬間――鈍い破裂音とともに、円筒が気化した。溶解することなく、瞬時に蒸発してしまったのだ。

 融点と沸点とを同じくする物質。それは地上におけるどのような金属とも、(こと)なる性質を持つものだった。


「灰塚、明日は地下区画に同行して下さい。あなたが居れば、探索もはかどりそうだ」


「……御意に」


 立ち込める熱気のなか、灰塚は汗ひとつ浮かべることなく首肯(しゅこう)した。


「――戦禍帝」


 呼びかけたのは、老いた声。長老である鳳仙に()いで齢を重ねた魔王、一早(かずはや)であった。


「降神の間というものを探しているのは存じております。しかし、語り部の伝承によれば、それはあくまで天界から地上に降りるためだけのもの。そこを押さえたとて、我らにそれほど利はないのでは?」


「そうとも言いきれませんよ。たしかに天界への門は開けませんが、その構造は非常に興味深い。なにしろ遠く離れた他所に、物質を転送する施設なのですからね」


 戦禍は考えの読めない薄い表情で、一早を見返す。


「それを可能とするのは、無数の魔導具を組み合わせて作られた、巨大な神の器物らしい」


 ただ、その不可思議な代物(しろもの)が、どういった理屈で動いているのかは、語り部たちも伝えてはくれない。


「もし見つけることが出来れば、そこは知識の宝庫となるでしょう」


 そんな戦禍の言葉にも、居並ぶ魔王たちは懐疑的だった。彼らが求めているのは、知識ではなく戦い。そして力だ。それらの表情を見てとった戦禍は、わずかに苦笑する。


「なるほど。言いたいことは分かりました。確かに、神族はなんら動きを見せない。ならば多くの魔王をこの地に留め置く理由はありませんね」


 その言葉を聞いた灰塚の表情が、ぱあぁっと花やぐ。彼女はいっときも早く皇城へ戻り、愛するお姉さまに会いたかったのだ。同じように、魅月と傾国も嬉しそうに顔をほころばせた。


「グラシェールに集まった軍勢の半数は、皇城に帰します。あなた達は兵を取りまとめる者を選出し――」


 言葉の途中で、天幕の外から伝令、という声が響いた。すぐに取り次ぎの兵が姿を見せ、戦禍に駆け寄り耳打ちする。


「……わかりました。その者をここに」


 なかに通された男は、トスカナ砦方面へと派遣された斥候であった。彼は一斉に向けられた魔王たちの視線に青ざめ、震えながらひざまずく。


「報告を」


「はッ! 連絡の途絶えていたトスカナ砦について報告いたします。かの砦を占拠していた咬焼殿はクリオファスへの進軍中、ロマリア軍の迎撃に遭い討ち死に。勢いに乗り東進した三万の軍勢により、トスカナ砦は陥落いたしました。なお、砦の防衛戦による被害は甚大。守備軍はほぼ壊滅し、氷膨殿の戦死が確認されております」


「――馬鹿なッ!!」


 がたりと、椅子を蹴立てて口無が立ち上がった。

 愕然とする巨漢の魔王へ、言葉少なに戦禍は命じる。


「座りなさい」


 そして斥候の男へ問う。


「現在トスカナ砦に駐屯するロマリア軍の数は?」


「砦での戦いにより、ロマリア軍自体は二万ほどにまで数を減らしているようです。しかし、ラザエルとエスタニアより送られた援軍が加わり、七万を超える規模へと膨れ上がっております」


 その驚くべき軍勢の数を聞いても、戦禍と魔王たちの顔に、これといった変化はない。ただ一人、口無だけが落ち着きなく身じろぎを繰り返していた。


「トスカナ砦に囚われていた捕虜を救出したと聞きましたが?」


「はい。正確には、砦の牢から釈放され、グラシェールへと向かっていた者を保護したという形でした。さきほどの報告も、多くはその者によりもたらされた情報です」


 耳を傾けながら、戦禍はかすかに眉を寄せる。

 わざわざ捕虜とした兵を、なぜロマリア軍はあっさりと解放したのか、疑問に感じたのだ。もちろんなんらかの意味があるのだろう、しかし……


「今は置いておきましょう。――氷膨とは、たしか侯爵位の者であったと記憶していますが」


「左様です」


「その死の状況は分かりますか?」


「そこまでは……ですが、咬焼殿、氷膨殿両名を討ったのは、一人の剣士だったそうです」


 これには場の空気がざわりと揺れた。

 魔王たちの表情に驚愕の色が散る。


「それは竜の勇者と呼ばれる者か!?」


 口無が推可の声を上げた。

 感じた怒気の凄まじさに、斥候の男は身を固くする。


「い、いえ。亜麻色の髪と鳶色の瞳をした、まだ幼い少女であったと聞き及んでおります」


 その報告に、戦禍が軽く身を乗り出す。切れ長の目が、すうっと細められた。


「……その少女の名は?」


「申し訳ございません。そこまでは確認できませんでした。――ただ、その少女は十日以上も前に、ここグラシェールを目指し、砦をあとにしたようです。これは人間共の斥候と交戦し、捕縛した者複数からの証言を得ているので間違いないかと」


「――分かりました。報告は以上ですか?」


「はい、これですべてであります」


「よろしい、下がりなさい」


 戦禍は魔王たちへと向き直る。その雰囲気がかすかに変わっていた。口許に絶えず浮かぶ薄い笑みが消え、目には他者を(あっ)する意思の力が充ちる。


「そろそろ、人間達に対しても本腰を入れましょう。ですがその前に、一つ。――さきほど報告にあった人間の少女、これはおそらく私の客人です。くれぐれも……」


 言葉をつづけようとした戦禍の視線が流れる。そこには退室した斥候と入れ違いに、取り次ぎの兵が姿を見せていた。


「……用件を」


「はっ! 申し訳ありません。高城と名乗る者が謁見を求めております」


「――高城が?」


 戦禍だけでなく、灰塚と魅月、そして傾国の眉が上がる。


「……すこし待たせなさい。後ほど時間を取ります」


「あ、それが……火急の事態につき、今すぐお伝えせねばならない話があるのだと、そう申しております」


 瞬時黙考した戦禍であったが、すぐに立ち上がり、低く告げる。


「すこし場を外します。楽にして待ちなさい」


 そうとだけ言い置いて、戦禍は足早に天幕を出ていった。

 あとに残された者たちのなかで、幾人かの魔王は様々な憶測を巡らせる。とくに灰塚などは、火急の事態と聞いて、もしや白蓮の身に何かあったのではないかと危惧しているようだ。泳いだ視線が魅月と合い、まさかお姉さまに限って、と苦笑が返される。それで灰塚も、やや落ち着きを取り戻した。――魔王たちのほとんどがこの場に集結している今、白蓮を害することが出来る者など居るはずがないのだ、と。


 ほどなく戦禍は戻って来た。物問いたげな多くの目が、彼を出迎える。


「いささか事情が変わりました。私はこれから皇城へ戻ります」


 驚愕を見せる魔王たちを見渡し、戦禍は命じる。


「口無。あなたは手勢を引き連れ、ロマリアを()としなさい。王都を押さえ、ロマリア全土を掌握するのです」


「おお! かしこまりました」


 歓喜の声を上げた口無へ、戦禍はさらに言葉をつづける。


「ただし、女王を始めとした王族はなるべく生け捕りにしなさい。ロマリアは五巫家(ごふけ)と呼ばれる五つの氏族により支配されています。これらは女子を家長としているので、男は殺してかまいません」


「……お言葉ですが、その者達を生かしておけば、後の禍根となるのでは?」


「確かに、正論ではありますが……これは個人的な事情でしてね。私はロマリアの王族と、いささかの(ゆかり)があるのですよ」


「縁……?」


 (いぶか)しげなその問いに、戦禍は軽く手を払う。


「その辺りはおいおい話すこともあるでしょう。いまは(とき)が惜しい。――魅月」


 名を呼ばれた夢魔の女王は、なぜこの流れで自分が、といった顔をしていた。


「あなたにはトスカナ砦の攻略を――いえ、そこに(つど)った軍勢の殲滅を命じます。七万の兵、その(ことごと)くを殺し尽くしなさい」


「……あ、あのぉ……なぜ私なのでしょうか? 出来れば……」


 白蓮のことが気になる魅月は、その役を誰かに代わって欲しいようだ。


「あなたの領地の北端は、ロマリアに接している。この役目は正当なものだと思いますが?」


「……はい。(おお)せのままに」


「砦の軍勢を散らせたあとは、そのまま皇城へ帰還してかまいません。早く戻りたければ、与えられた仕事を手早く済ませなさい」


 魅月の口角が、きゅっと吊り上がった。


「では、ちょっと今から行ってきますわぁ」


 身軽に席を立った魅月を見て、口無が驚いた顔をする。


「まさかそなたは、単身ロマリアへ赴こうというのか?」


「そうよぉ。南部の盟主さまにおかれましては、なにか不都合でも?」


 苦虫でも噛み潰したかのように、口無は眉をひそめる。


「王とは臣下将兵を引き連れ、凱旋するかのごとく威風堂々と進軍するものだ。国を統べる者が身ひとつで――」


「ご高説ありがたいことですけどぉ、私はそういう大仰なのはちょっと。――口無さまほど格式にこだわりはありませんし」


 魅月は揶揄(やゆ)するように笑う。

 ほうっておけば、そのまま言い争いを始めそうな二人は、


「私は、刻が惜しいと言いましたよ?」


 戦禍の冷たい声で肝を冷やした。

 魅月と口無は表情を改め、(こうべ)を垂れる。

 念を押すような戦禍の視線が、魅月を刺す。


「あなたならば、むしろ一人の方がやりやすいでしょう。しかし、たかが人間相手と仕事をおろそかにしないように」


「も、もちろんですわ」


 かるく()じけを見せる魅月から、視線は一早へ移る。


「あとの纏め役を任せます。他の王は、兵の半数を率いて皇城へ返し、そのまま待機。残りの軍勢は一早の指揮下に入るよう手筈を。同時にロマリア南部に伝令を()り、雷鴉に帰還を(うなが)しなさい」


 雷鴉と同じく中央の魔王である一早は、深く頷き恭順を示した。


「彼が戻りしだい、一早は雷鴉と役目を代わり、その補佐に……いえ、彼には一度、私の(もと)へ顔を見せるよう伝えて下さい」


「かしこまりてございます」


「そして最後に――」


 戦禍は、色味の薄い瞳で魔王たちを睥睨(へいげい)し、語気を強める。


「さきほど報告にあった人間の少女。これを害することはなりません。早急に斥候の数を増やし、その所在を掴みなさい」


「――な!? お待ち下さい。氷膨を殺した者を見過ごせと言うのですか!?」


「異論は認めません。この命令は絶対です。もし(たが)えるようなら、厳罰をもって処します。……最悪、命の保証も出来ない」


 威圧的な眼光が、口無を一歩下がらせる。


「その代わりとして、あなたには遺恨を晴らす場を与えたのですよ。続報の途絶えている竜の勇者とやらは、好きにしてかまいません」


「その者には、ロマリアの王族が付き従っているはずですが……?」


「たしか第二王女でしたか……それは好きになさい。都にいる世継ぎの姫さえ無事ならそれでいい。ようは血が絶えなければ問題ありません。――ロマリアは有数の大国です。その広大な地にて、存分に力を奮いなさい」


 その後、戦禍は細々(こまごま)とした指示を出し、振り返ることなく場をあとにした。付き従うように天幕を出た魅月は、その足でトスカナ砦へ。――そして口無は軍勢を率い、その日のうちにロマリアの上都、ザナドゥへと進軍を開始した。



 ひとつの国の命脈が、尽きた瞬間であった。

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