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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
152/251

死病の街(結)



 商工会館へとつづく街路は静かなものであった。ときおり道端には、襤褸(ぼろ)をまとった物乞いの姿が目につく。

 閑静というには殺伐とした街並。シグナムは注意深く周囲に視線を(はい)しつつ、主人の前を歩く。

 やがて通りの先に、商工会の大きな建物が見えてきた。門には四人の武装した男が立ち、辺りを警戒している。うち一人が軽く手を掲げ、主人に挨拶する。


「ようこそ、マルウィンさん。ご足労感謝します」


 宿屋の主人、マルウィンは鷹揚に頷く。どうやら顔見知りらしく、二人は気安げに笑みを交わしていた。そして男はシグナムへと視線を移す。


「こちらの方は?」


「私のお客様でしてね。いまは縁あって護衛をお頼みしています」


「そうですか。では、ここで腰の得物をお渡し願います」


 差し出された手を、シグナムは憮然と見つめる。


「剣を預けないと中へは入れないのか?」


「ええ、申し訳ありませんが規則ですので」


 シグナムはしばし逡巡し、首を横に振る。


「だったらあたしは表で待ってるよ」


 カモロアの現状を考えれば、見も知らぬ場所に丸腰で入っていくのには、やはり抵抗感を覚える。危険があるとも思えないが、シグナム自身は商工会になんの用もない。


「ならば会合が終わるまでのあいだ、自警団の詰め所でお待ちしますか?」


「あんたら、自警団なのか? それにしては……」


 四人の門兵は装備も整っているし、訓練を受けた者特有の、背筋の通った姿勢のよさがあった。

 その疑問を見透かしたように、主人が耳打ちする。


「ロマリアでは、私兵を持てるのは貴族だけです。法により禁じられていますからね。ですので彼らは表向き、商工会が組織した自警団ということになっています。まあ実際は、金で雇われた傭兵なのですがね」


「……同業者ってわけか。じゃあ詰め所に案内してもらうかな。いろいろと話も聞けそうだ」


 一礼して商工会館に入っていく主人を見送り、シグナムは自警団員と連れ立ち詰め所へ向う。

 案内されたのは石造りの堅固な建物だった。中では当直の団員数名が卓を囲み、札を使った賭博に興じていた。

 部屋の隅には長椅子が置かれ、そちらにも数人の団員がたむろしている。室内はがやがやと騒々しい。規律に厳しい正規軍とは違い、砕けた乱雑さがある。

 馴染みのある雰囲気に、シグナムはすこし懐かしいものを感じた。


「マルウィンさんの護衛の方だ。会合が終わるまでの間、奥の部屋を使わせてやってくれ」


 門から案内してきた団員の言葉に、好奇の目が集まる。


「でけぇ女だな……」


 部屋の奥でほうけたようにつぶやいた団員を捕まえて、シグナムはカモロアの情勢について尋ねてみることにした。

 断りもなく、長椅子に腰を下ろしたでかい女の横で、その団員は慌てて端に詰める。


「え……ええと……」


「シグナムだ」


「あ、ああ、俺はロジオン」


 はじめはおっかなびっくりといった様子のロジオンであったが、もともと気さくな性質(たち)なのだろう。話しをするうち、その口もなめらかに滑りだす。彼はかつて軍属だったと語り、なかなかの事情通ぶりを披露する。

 シグナムから街門について話題を振られたロジオンは、商工会が領主に対し、各門の封鎖を解くよう強く求めているという話をした。宿の主人が参加する会合も、さらなる圧力を加えるための協議であるらしい。それに対して領主は及び腰で、遠からず開門の沙汰(さた)があるのではないか、という噂がまことしやかに囁かれているという。


「ただ、門の封鎖は女王陛下の勅命だって話だからな。領主の野郎は、やむにやまれずって形になるのを待ってるんだよ」


「やむにやまれず?」


「ああ、四方にある門のどっかで小規模な衝突でも起これば、領主はすぐに兵をひくよ。このまま門を閉ざしてれば、今まで以上に暴徒が増える。そうなりゃ領主の館だって危ないからな」


 訳知り顔で講釈するロジオンに、シグナムはいちいち感心してみせる。なかなかの聞き上手だ。

 やがて話の流れは、トスカナ砦の近況へと推移する。


「なんでも到着したラザエル皇国、エスタニア共和国の援軍は、五万にも及ぶ大軍勢らしい。砦には収容しきれず、ほとんどが北部平原に布陣してるって話だ」


「たしかトスカナ砦には、もとから二万くらいの兵士が駐留してたはずだよな?」


「ああ、でも砦にいた白竜騎士団の半分くらいは、西に移動したらしい」


 砦近辺で魔族の斥候が頻繁に確認され、故エルテフォンヌ伯爵の遺児は戦いを避けて、アラド子爵領に居を移したのだと団員は説明した。


「エルテフォンヌ伯爵の遺児、ね。……アルセイドとか言ったっけ」


「へえ、よく知ってるな。これがなかなか無謀な坊ちゃんで、領民を守るために魔族と戦うと息巻いてたそうだ。結局、白竜騎士団の重鎮に引きずられて、アラド子爵領に連れていかれちまったそうだがね」


「……てことは、遠からずトスカナ砦は戦場になるな」


「正直ごめんこおむりたいところだが……大戦(おおいくさ)になるだろうな。南は黒死の病、北は戦乱。たとえ門が開かれても、命が危ないことにゃ変わりない。カモロアから出れたとしても、逃げる方向を間違えばそれまでだ」


 気前よく語っていたロジオンは、自警団の隊長らしき男から呼ばれて席を立つ。


「そろそろ歩哨の時間だ。またな、でけぇねえさん」


 当直の団員たちが詰め所をでた後も、シグナムは交代で帰還した歩哨たちから情報を集めることに腐心した。そうして今後の展望を固めていく。カモロアを脱出してレギウスへ戻るには、黒死の病だけではなく、戦場となるであろうトスカナ砦も避けなければならない。

 アルセイドが子爵領に身を寄せたということは、その後見であるアウレリアも同行している可能性が高い。アルフラにひどく傾倒していた彼女を頼るのもよいかもしれない。助力を乞えば、護衛に一個中隊くらいは付けてくれそうだ。そうなればレギウスへの行程も楽になるだろう。

 そういった算段を立てているうちに、だいぶ日も傾いてきていた。


 シグナムはふと、ここ数日、アルフラの顔を見ていないことに思いあたる。

 暴徒の襲撃以降、あわただしく動き回っていたせいで、余裕のない日々がつづいていた。

 アルフラはいま、どうしているのだろうと考え、なんとも言えない不安が去来する。


 アルフラの顔どころか、三日ほども声すらまともに聞いていない。


 ふつふつと焦燥感が湧いてくる。主人を置いて先に戻ろうかと考え始めた頃、団員の一人が知らせを持ってきた。


「会合が終わったぞ」


 シグナムが急いで門まで行くと、宿の主人は商工会員らしき数人の男と言葉を交わしていた。彼はシグナムの姿を認め、仲間たちに(いとま)の挨拶を述べる。


「それでは、明日の正午にまたお会いしましょう」


 にこやかな笑顔で歩み寄ってきた主人は、ぺこりと頭を下げる。


「申し訳ありません。大変お待たせいたしました」


「ああ、急いで宿に戻ろう」


「そうですね。日も落ちてきましたし、そちらの路地をゆきましょうか。暗くなる前には着くはずです」


 二人は大通りを外れて道端の狭い小路に入る。やはり人気(ひとけ)はなく、通りに面した家屋の鎧戸は、しっかりと閉ざされていた。


「会合はどうだった? 門を開かせるための集まりだったんだろ」


「よくご存知ですね。自警団の方から?」


「まあね。ああいった手合いとは馬があうんだ。領主は暴徒にびびってて、実は開門したくてしょうがないらしいな」


 おやおや、と主人は苦笑する。


「そんな話までお聞き及びですか。まあ、(おおむ)ねその通りですね」


「じゃあ近いうちに封鎖は解かれるのか?」


「いえ……すこし難しいかもしれません。間の悪いことに、南方へ派遣された国軍の兵士が二日ほどで戻るそうなのです」


「そいつらが戻ってくると、なにか都合が悪いのか?」


「ええ……」


 主人は頷いて言葉を途切らせる。早足で歩くシグナムに歩調を合わせているため、少々息が上がり気味のようだ。


「領主は国軍に対する指揮権を持ちません。たとえ彼が封鎖を解除しようとしても、国軍の兵士は陛下の命令を守り、門の封鎖を継続するでしょうね。ですから領主には、二日以内に開門の決断をしてもらわなければなりません」


「二日か……」


 すこし無理をしてでも、早めにカモロアを離れた方がよいのではないか。シグナムはそんな考えを巡らせる。


「……厄介だな」


「まったくです。あのぼんくら領主が……おっと失礼。あの頭の回りのいささかよろしくない領主様が、考えなしに国軍を頼ったせいで私共はよい迷惑ですよ」


 すこし地を見せてしまった主人は、営業用のものとは違った愛嬌のある笑みを見せた。


「あっ、この十字路を曲がれば、すぐにうちの宿が……」


 言葉とともに、主人の足が止まる。

 視線の先には、こちらに頭を向け、うつぶせに倒れ臥す人影があった。その痩せた体はぴくりとも動かず、皺枯れた手は地面を掻くかのように、指が折り曲まげられていた。


「行き倒れ……いえ……死んで、いるのでしょうか?」


 怖々(こわごわ)となされた主人の質問に、シグナムはふと気づく。路地の隅に転がった、どこか見覚えのある――


「あの杖……」


「まさか……ケイオン先生!?」


 反射的に駆け寄ろうとした主人の肩をシグナムが掴む。


「待てッ! よく見てみろ。――右肘のあたり……」


 袖口からのぞいた肘の内側に、指先ほどの黒い痣が無数に浮いていた。出血斑(しゅっけつはん)である。


「……黒死の……病……」


 愕然と呻いて、主人は後ずさる。


「石畳に吐血の跡もある。いや、血痰か……」


 敷石にこびりついた黒い汚れは、間違いなく血痕であった。


「あの様子だと死んでからそこそこ時間が経ってるぞ」


 黒死の病に罹患することを恐れ、誰も遺体に触れぬまま放置されていたのだろう。


「医者がこの有様だ。街中探せば、同じような死体がいくつも転がってるはずだ」


 夕闇に紛れて確認しづらいが、ケイオンの死体にはすでに羽虫がたかり始めている。夏場なので腐敗も早い。日沈を迎えれば、夜行性の小動物――鼠なども湧くだろう。そしてそれらは黒死の病を媒介し、このカモロアに恐るべき疫禍(えきか)をもたらす死の象徴だ。


「あ、ああぁぁ……おしまいだ……」


 声は掠れ、よろめきながら主人は頭をかかえる。

 黒死の病は爆発的な感染力を有する。ひとたび大流行を引き起こせば、その猛威はひとつの街を根こそぎにしかねない。


「カモロアは……もうおしまいだ……」


「迂回して宿に戻ろう」


 足元のおぼつかない主人を引きずり、シグナムは帰路を急ぐ。数日前に、区画一帯を歩き回ったのが役立った。

 宿につくなり駆け足で自室へ飛び込む。


「フレイン!」


 しかし部屋は無人であった。閑散とした室内を見回し、シグナムは毒づく。


「くそッ……アルフラちゃんのところか」


 足音荒く階段を降り、厨房の扉を開く。あやうく主人とぶつかりそうになり、その肩を押しのける。


「ど、どうなされたのですか?」


 それには答えず、シグナムは地下へと急いだ。

 貯蔵庫の前にはフレインを始め、ルゥとジャンヌ、そしてカダフィーまでもが扉を囲むように立っていた。みな一様に青ざめ、これ以上はないといった深刻な表情をしている。だが、それを気にかける余裕もなくシグナムは叫ぶ。


「すぐに荷物をまとめろ! 今日中にカモロアから出るぞ!!」


 荒げた声も虚しく、誰もが動こうとはしない。足に根でもはったかのように、フレイン達は立ち尽くしていた。


「おい! なにぼうっとしてんだ。早くしろッ!」


「……それどころでは、ありません」


 見開かれたフレインの目は、落ち着きなくまばたきが繰り返される。


「それどころじゃないのはこっちだ! 近くの路地に死体が転がってるんだよ! 黒死の病で死んだやつがだ!!」


 フレインはわずかに表情を歪めたが、それでもやはり扉の前から動かない。


「いいか、このままだとな、数日後には黒死の病の罹患者が溢れ返るぞ! カモロア全体にな!」


「ですから……それどころではないのですよ!」


 フレインの強い語調に、シグナムもようやく、なにか切迫した事態が起きているのだと気がつく。


 場に降りた異様な雰囲気を肌に感じ――ぞわりとおくれ毛が立ち上がった。うなじに感じた不快さに、声が震える。


「な、なにがあった? ……そうだ、アルフラちゃんは……?」


「……わかりません。先ほどから呼びかけているのですが、返事がなくて……ただ、ルゥさんが……」


 言葉を濁すフレインに苛立ちを覚えつつ、シグナムは努めて冷静さをよそおう。ルゥの顔をのぞき込み、ゆっくりとした口調で尋ねる。


「どうした、ルゥ。なにがあったんだ?」


 正面から見据えられ、狼少女は涙をいっぱいに溜めた瞳を伏せた。足元に視線をさ迷わせながら、ルゥは鼻をすする。


「あの、ね。だめな……においがするの」


「駄目って、なにが駄目なんだ?」


「へやのなか。アルフラのへやから、だめなにおいがするの……」


 要領を得ないルゥの物言いに、シグナムは苛立ちを隠しきれない。ぐいと顔を寄せ、厳しい口調で問う。


「わかるように言ってくれ! 何がどう駄目なんだ!?」


 その剣幕さに、ルゥはびくりと身を(すく)ませる。ぎゅっとつむった瞳から、ぼろりと涙が(したた)った。


「い、生きてる人からしちゃだめなにおいが、するの……アルフラのへやから」


 シグナムの表情が固く強張る。唇が小刻みに痙攣し、全身から血の気の引く音が聞こえた。


「い、生きてる人からしたら駄目な臭いって……」


 シグナムはぞっと身震いする。背中を伝う汗が、酷く冷たい。


「あ……アルフラちゃん……アルフラちゃん!?」


 飛びつくように扉の取っ手を掴み、押し開けようとする――が、なぜか微動だにしない。


「な、なんだ……なんで開かない……」


 シグナムは焦ったように扉を揺さぶる。しかし堅固な樫の扉はびくともしなかった。


「内側から、鍵が掛けられているようなのです」


「鍵って……なんで貯蔵庫に鍵なんて付いてんだよ!?」


 シグナムに食ってかかられた主人が、おどおどと答える。


「あ、あの、いざという時は、この貯蔵庫で篭城しようと考えていたもので、その……」


「鍵はどこだ! 早くこいつを開けろッ!!」


「申し訳ありません! もともと立て篭もるための部屋なので、内側から鍵を降ろせば、外からは開かない造りに――」


 みなまで聞かず、シグナムは腰の長剣をずらりと抜き放つ。


「シグナムさん!?」


 二人の間に割って入ったフレインを突き飛ばし、シグナムは扉に剣を向ける。


「待って下さい! 無理に扉を破ろうとすれば中にいるアルフラさんにも――」


蝶番(ちょうつがい)だけ斬る」


「え……?」


 長剣の切っ先を、扉と壁のわずかな隙間に当て、シグナムは柄頭を掌底で強打する。

 甲高い金属音が響き、刀身の中ほどまでが接合部に沈んだ。さらに柄を両手で握り、真下へ振り抜く。蝶番が割れ飛び、扉が部屋の内側へと倒れ込む。

 シグナムは取っ手を掴んで扉を支え、ゆっくりと引き開ける。とたんに――篭った没薬の香りがむっと漂う。その甘い匂いに混じって、吐き気を(もよお)す凄まじ臭気が、部屋から溢れた。



 それは、硫化水素やアンモニアなどの混合ガス。有機生体が微生物により分解され、溶け崩れることにより発生する――腐敗臭だった。

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