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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
151/251

死病の街(後)



 シグナムが階段を駆け上がると、聞き慣れない男の声が耳朶(じだ)を打った。


「地下への入口はどこだッ!?」


 厨房を出た廊下の先に、揺らめく松明(たいまつ)の炎が見えた。

 三人の男が宿の下男を囲み、手にした短刀で脅しつける。


「食料は地下なんだろ? 素直に教えてくれりゃあ殺しはしねえよ」


「そうだ、とっとと喋っちまいな」


「おい! 誰か来たぞ!!」


 走りよるシグナムに気づいた男たちの一人が、警告の声を上げた。

 向き直った大柄な男は、短刀を突き出して威嚇しつつ叫ぶ。


「こいつが見えねえのか? 止まれ!」


 しかしシグナムは、刃物をちらつかせれば相手は(ひる)むと考えいるらしい男を、組しやすしと判断した。(おく)することなく短刀を握った手を掴み、その鼻っ柱に拳を叩き込む。

 肉のひしゃげる不気味な音が響き、男の体が脱力した。そのままシグナムは掴んだ腕を振り回し、顔から壁に叩きつける。

 白目を剥いて倒れた男の鼻骨(びこつ)は、頬骨の内側にめり込んでしまっていた。陥没した鼻からはとめどなく血が溢れてくる。


 仲間の惨状に怖じけづいた男二人は、松明を振り回わしながら後ずさる。シグナムは、より体格がよい方の男に狙いを定めて一息に距離を詰めた。鼻先を掠めた松明の炎から顔を逸らすことなく、長い足で男の股間を蹴り上げる。

 泡を吹いて膝から崩れた男を一瞥して、シグナムは顔をしかめる。なにやら、柔らかく弾力豊かなものの潰れる感触が、足にしっかりと残っていた。


「ま、ふたつ付いてんだ。片方無事なら充分だろ」


 つぶやいて最後の一人に顔を向けると、男はすでに鎧戸から外へと(のが)れるところだった。

 シグナムはあえて追うことはせず、床に落ちた松明を拾って周囲を見渡す。他に侵入者の姿は見当たらない。それを確認すると、鎧戸から外の様子をうかがう。


 宿の敷地内にいくつかの人影があった。先ほどの男であろう――用心棒がいる、という叫びが聞こえた。さらに――たぶん本職の傭兵だ。逃げろ! と声が響き、人影は慌てふためき四方に散っていく。


「シグナムさま!」


 横合いから聞こえた声に向き直ると、駆けてくるジャンヌの姿があった。その後ろからはルゥとフレイン、さらに宿の主人もこん棒片手に息を切らしている。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


「あたしは問題ない。それより……」


 シグナムは軽く首を振り、肩口を押さえてうずくまる下男を見やる。


「それほどたいした怪我ではありません」


 すぐに立ち上がった下男は、確認するように肩から手を離す。短刀で切りつけられたのであろう、貫頭衣の布地が裂け、そこから赤黒く固まった傷跡がのぞいていた。手で圧迫して止血をしていたらしく、すでに血は止まっている。

 主人は下男の傷の具合を確認すると、床に転がる二人の男に視線を移す。


「この賊共から私の使用人を救って下さり、本当に感謝いたします」


 下男からも礼が述べられ、二人は深々と頭を下げた。

 シグナムはあっさりとした言葉を返す。


「気にするな。あんた達には、ずいぶんと世話になってるからね。それより、こいつらはどうする?」


「そうですね……ひとまず縛り上げておいて、日が昇り次第、衛兵の詰め所につき出してやりますよ」


 主人は集まってきた使用人たちへ、賊を拘束するための縄を取りにゆかせる。


「部屋からちらりと見えたのですが……」


 フレインが外を確認しながら言った。


「暴徒というには数が少なかったような気がします。もしかすると、夜盗を生業(なりわい)にしている者達ではないでしょうか」


「いや、そんな上等なもんじゃないよ。場慣れもしてなかったしね」


 シグナムは散乱する木片を足でよけ、床から革の袋を拾い上げる。その口紐をといて袋を逆さにすると、なかから数個の煉瓦(れんが)が出てきた。


「これを叩きつけて鎧板を破ったんだろうな」


「……ずいぶんと乱暴なやり方ですね」


「ああ、夜盗の手口じゃないよ。暴徒の数が少なかったのは、まとまって動けば衛兵に対処されやすいからじゃないかな。数が多いと戦利品の取り分も減るからね」


「なるほど……」


 二人の会話を聞いていた主人が、弱り切った表情でうなだれる。


「鎧戸を補強しようと思ったのですが……あまり効果はなさそうですね」


 煉瓦をまとめて投石されたのでは、よほど厳重に鎧戸を塞がなければ、ふたたび同じことが起こる。充分な強度を得るためには、大量の木材が必要となるだろう。

 どう考えても、それを可能とするには資材が足りないのだ。


「人がくぐれる大きさの鎧戸は、一階だけでも十以上あります。客室のものまで合わせると、その全てを塞ぐことは……」


「もうすぐ夜も明けるし今日は大丈夫だろうけど、日が落ちれば奴らはまた来るだろうね」


「ええ、昼間は衛兵だけではなく、自警団の方達も巡回していますので、それほど心配はいりませが……やはり夜は物騒です」


 むずかしい顔で頭を悩ませる主人に、シグナムはひとつ気になっていたことを尋ねる。


「なんであいつらは地下に食料があることを知ってたんだ?」


「ああ、このロマリアでは、大なり小なりたいていは地下に保存庫があるのですよ。夏場はものが傷みやすいですからね」


 主人の説明を聞き、シグナムの表情が険しさを増す。

 このままアルフラを地下に寝かせておくのは危険だ。しかし、熱の下がり切らない現状では、他の部屋に移すことも出来ない。


「まずいな……」


 もしまた、暴徒が宿に入り込んだらと考えると、ぞっとしてしまう。以前のアルフラであれば、それこそどれだけの暴徒が押し寄せようと、一人残らず撫で斬りにしただろう。しかし、みずからの足でまともに立ち上がることすら出来ない今のアルフラでは、たった一人の侵入者が命取りになりかねない。


「……扉を剥がして鎧戸に打ちつけちゃどうだ」


「扉、ですか?」


 主人は驚いたような顔でシグナムを見る。


「いまは宿泊客もほとんどいないんだろ? だったら使ってない客室の扉を引っぺがして、鎧戸を補強しちまえばいい。それで足りなきゃ食卓や椅子をバラしちまえば、なんとでもなるだろ」


「し、しかしそれでは今後の営業が……」


「そりゃ(あきな)いはたいせつだろうけどさ。でもね、奴ら、食料と金目の物を奪ったあとは、この宿に火をかけるよ。そのためのこれ、だろ?」


 シグナムは暴徒たちが持ち込んだ松明を主人に渡す。


「財貨のすべてを失う前に、なんらかの対処を(こころ)みた方がよいでしょうね」


 フレインの言葉が追い打ちとなり、主人は渋々と頷く。


「ですがそこまでの大仕事となると……手を尽くしても、日没までに鎧戸の半分も塞げるかどうか……」


「もちろんあたしも手伝うよ。野営地の設営なんかで、そういうのは慣れてるからね」


「わたしもお手伝いいたしますわ」


 間髪置かずジャンヌが名乗りを上げた。それを見て、ルゥも嬉しそうに跳びはねる。


「じゃあボクもっ!」


 よくわからないけどなんか楽しそう、といった顔だ。


「およばずながら」



 フレインが控え目に協力を申しでて、鎧戸の補強が始まった。





 まず、シグナムと使用人たちで手分けをして客室の扉を外しにかかった。それを中ほどから横断、二重にして鎧戸へ打ち付ける。

 ルゥとジャンヌは食卓などを解体して、木材として利用可能な状態にする。宿に備えてあった工具の数が足りず、二人はそれを素手で行っていた。

 非力なフレインは、主に資材の運搬などといった雑用にまわる。

 鎧戸の半数ほどを塞ぎ終えた正午過ぎ。下男が茶と軽食を載せた盆を持って、厨房から出てきた。


「皆さん、そろそろ休憩を挟んで食事になさって下さい」


 朝食も摂らずに作業をつづけていた一同は、さすがに空腹を感じていたようで一斉に手を止める。ルゥなどは大喜びだ。


「あっ、おい。アルフラちゃんにも持って行ってやりたい。もう一人分用意してくれないか」


 シグナムは地下への階段がある厨房を指さす。

 心得ていますとばかりに、下男は笑みを返した。


「お連れの方には、朝方ちゃんとお持ちいたしましたよ。先ほど見に行ったときには、綺麗に食べ終えられた食器が出されていました」


「そうか……」


 それを聞いて安心したのか、シグナムはようやく食事に手をつける始める。


「普段はあまりお出ししない特別な料理だったのですが、どうやらアルフラ様の口に合われたようで」


「特別な料理?」


「ええ、豊作を祈願する夏の祭事にだけ振る舞われるものです。五穀を擦り潰してよく練ったあと、この時期に採れる山菜などと一緒に湯がいたもので、とても滋養に優れているのですよ」


「へぇ……あんた、本当に気が利くな」


「おそれいります。ただ、お世辞にも美味しいとは言いかねますがね。それを食べれば一年を通して、無病息災で過ごせると評判です」


 如才ない物言いをする下男につられ、シグナムの表情もややほころぶ。


「夕食も頼むよ。夜までには作業を終わらせなきゃならないから、あたしは手が離せない」


「はい、お任せ下さい。私もこの怪我さえなければ、もっとお役に立てるのですが……」


 負傷した肩をひと撫でした下男に、シグナムは首を振って見せた。


「いや、あんたが居てくれて助かってる」


 そう言い置いてせわしなく立ち上がる。短い休息を終え、シグナムは率先して鎧戸の補強を再開する。一通りの作業を済ます頃には、日付もかわろうかという刻限になっていた。


「これで当面は(しの)げそうだな」


 宿の戸口に寝台を横付け、重しがわりの酒樽を載せたシグナムは、深く息をついた。


「お疲れ様です」


 額に汗を浮かべた主人がねぎらいの言葉をかける。


「まさか本当に一日で終わるとは思いませんでした。今夜は使用人達もゆっくり休ませますので、皆様もどうかごゆるりと体を休めて下さい」


「ああ、そうさせて貰うよ」


 シグナムはねむそうに目をこするルゥの頭に手を置く。


「そのうちなんか甘いもんでも奢ってやる」


「わぁ! いっぱい!?」


 歓声を上げたルゥに、くすりと笑みをもらす。


「ほどほどに、だ」


 狼少女の額をかるくこづいて、シグナムは歩きだす。厨房へと向かうその背を、慌ててフレインは追いかける。


「待って下さい。やはり地下で夜を明かされるのですか?」


「ああ、戸口や鎧戸はあらかた塞いだけど、それで安心もしてられないだろ。二階は手付かずだし、暴徒が(つち)でも持ち出したら簡単に破られる」


「さすがに体を壊してしまいますよ。昨日も寝ていないのだし、椅子に座っているだけでは疲れもとれません」


 気遣うフレインへ、うっとうしげに手が振られる。


「問題ない。伊達に傭兵なんてやってないさ」


「ですが……」


「万一の場合はアルフラちゃんの命に関わるんだよ」


 なおも口を開きかけたフレインであったが、アルフラの名をだされ、それ以上の反論は出来なくなる。


「わかりました。私はジャンヌさんと交代で、二階から見張りをいたします。おそらく彼女も、まだ寝るつもりはないでしょうからね」


 うしろからついて来ていた神官娘がぽそりとつぶやく。


「寝はしませんけど、祈りの時間が……」


 そんな融通の利かないことを言うジャンヌの隣で、ルゥが眠そうにしながらも挙手する。


「ボクやるよー」


 ジャンヌもねー、とルゥは神官娘の手を掴んで、二階へと引きずっていく。


「それでは私も」


「ああ、なにかあったら知らせてくれ」


 厨房の前でフレインと別れ、シグナムは階段を下りる。

 貯蔵庫の前に立つと、没薬(もつやく)の匂いが鼻についた。昨日(さくじつ)よりも香気が強い。アルフラへ声をかけようとしたが、すでに真夜中だということもあり思いとどまる。

 剣帯に吊した長剣を壁に立てかけたシグナムは、みずからも椅子に腰掛ける。昼のうちに帯剣の許可は得ていた。差し迫った状況のため、宿の主人もふたつ返事であった。

 眠るつもりはなかったのだが、背もたれに上体をあずけると、じきにまぶたが降りてくる。

 ここ数日の疲労に加え、昨夜、暴徒の襲撃があって以来、ずっと動き詰めだったのだ。当然の結果だろう。



 あらがいきれない睡魔が訪れ、シグナムは泥のような眠りに沈んでいった。





 ぷっつりと途切れた意識が覚醒すると、階段から足音が聞こえた。その気配で目が覚めたようだ。

 シグナムが長剣に手を伸ばすと、驚いたようなフレインの声が響いた。


「まさか、一晩中起きていたのですか」


「いや、寝てたよ」


 肩の力を抜いたシグナムは、椅子から立ち上がって軽く伸びをする。


「ずいぶんぐっすりと眠ってた気がする」


「つい先ほど、朝の四点鐘(午前六時)が鳴ったばかりですよ」


「……思ったほど寝てないな。あんたはちゃんと眠れたのか?」


 体の凝りをほぐしながらフレインに問う。


「ええ、充分に。宿の使用人達も見張りに加わってくれましたのでね」


「ここの使用人は働き者だな。――気付けに一杯飲みたいところだけど……また寝ちまいそうだ」


 首を鳴らしながらぼやくシグナムに、フレインは苦笑する。


「さすがに控えた方がよいでしょうね。それはそうと、主人がお呼びですので来ていただけますか」


「構わないけど……なんの用だ?」


「私も詳しくはうかがっていません。朝食がてらに、すこし話がしたいとおっしゃられていました」


 そう言ってフレインは、厨房の隣に位置する食堂へと案内する。そこにはすでに、並べられた朝食と宿の主人が待っていた。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


「まあね」


 シグナムが席につくなり、主人は話を切り出す。


「折り入って、お頼みしたいことがあるのです」


「話にもよるけど……まあ言ってみなよ」


「実は、つい四半刻(しはんとき)(約三十分)ほど前に、商工会(ギルド)から遣いの者が来まして」


 正午から開かれる会合に(おも)くので、護衛を引き受けてほしいと主人は説明する。


「暴徒のこともありますし、昼間といえど一人で外を歩くのは、物盗りを呼び寄せるようなものです。しかし、なにぶんうちの使用人達は荒事に慣れておりません。そういったことでは頼りにならないのですよ。ですから是非、お願い出来ませんでしょうか」


 食卓の上に低頭する主人を、シグナムは居心地悪げに見つめる。


「いや、護衛くらいお安いご用なんだけどさ……いまはアルフラちゃんの側を離れたくないんだ」


「お連れの方の世話でしたら、くれぐれも気を配るよう使用人達に申しつけてあります。それに商工会の本部は、ここからそう遠くはありません。会合も日が暮れる前には終わるはずです」


「そうは言われてもな」


「ほかに頼れる方がいないのです。そこをなんとか……」


 渋るシグナムに、主人は言葉を()ぎあぐねているようだ。そこへフレインが助け船をだす。


「ご主人もだいぶお困りのようですし、引き受けてあげてはいかがですか。日のある内に戻られるのなら、それほど心配はないと思いますよ」


 もしも、とフレインはシグナムの耳元に口寄せる。


「この方の身になにかあれば、おそらく使用人達は離散してしまいます」


 そう囁かれて、シグナムは寝起きの頭を働かせる。

 確かに使用人たちは、彼らの主が居なくなれば、この宿で働く理由もなくなる。暴徒と黒死の病が横行するカモロアから、逃げようと考えるはずだ。

 西門で野宿をする流民と合流するか、下手をすると暴徒に加わる者もいるかもしれない。どちらにしても、宿から食料や金品の類いを持ちだそうとするだろう。

 あまり選択の余地はなさそうだと感じ、シグナムは舌を鳴らす。


「ちっ……わかったよ。商工会(ギルド)まで送ってやる。ただし、会合とやらが長引くようなら、あたしは先に戻るからな」


「ありがとうございます! それでは早速、食事をすませて出発しましょう」


「いや、会合は正午からだろ?」


「はい。ですが今回の議題は、なかなか手間のかかる案件でしてね。どうあっても、事前の打ち合わせが必要なのですよ。こう見えましても、私は評議員の末席に名を連ねておりますもので」


 主人は恰幅(かっぷく)のよい腹をゆらして笑う。


「……いかにも、って感じだな。とりあえず飯を食っちまおう」



 億劫(おっくう)そうにしながらも、シグナムは手早く料理を片付けにかかった。

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