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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
146/251

残る傷痕



 一夜明け、カモロアへと向かう馬車のなか。シグナムはよく絞った厚手の布を、アルフラの首筋に押し当てていた。熱を帯びたその体を冷やすためだ。

 しかしそれも、気休め程度の行いといえた。

 布を湿らせた桶の水自体が生温いので、あまり効果は見込めない。

 頻繁に布をすすぎ、アルフラの熱をわずかにでも冷まそうとするシグナムは、手を休めることなくフレインへ尋ねる。


「なあ。きのうカダフィーが言ってた、吸血鬼が血だけで存在を維持出来る理由ってのは、なんなんだ?」


「……私も、あまり詳しく知っているわけではないのですが……」


 そう前置きして、フレインは言葉をつづける。


「血から得る、魔力の摂取効率が違うのだそうです」


「摂取効率? そりゃどういう意味だ?」


 アルフラをのぞき込んでいたシグナムが、顔を上げてフレインと目を合わせる。


「たとえば……食事に際し、大量の肉を食べたからといって、それがそのまま血肉になるわけではありません。実となるのはごく少量です」


 フレインは、浅く早い呼吸を繰り返すアルフラを、気遣(きづ)かわしげに見やる。


「血を飲んだからといって貧血は治りません。経口摂取したところで、それがすべてみずからの血にはならないからです、それと同じように、血を飲んで得られる魔力も微々たるものです。その大半は、体外へと自然に流れ出てしまいます」


 淡々と語られるその声音は、心なし暗いものであった。


「しかし吸血鬼は、血から得られる魔力の量が、常人とは格段に違うのです。個人差もあるのでしょうけど、通常、血を摂取することにより得られるのは、その血に含まれる魔力の一割にも満たないと考えられています。――が、吸血鬼はそれに数倍する魔力を血から己のものに出来るのだそうです。だからこそ、彼らは血のみでその存在を維持出来る」


「それは……」


 シグナムはフレインの顔から視線を外し、アルフラをじっと見つめる。


「……アルフラちゃんには、聞かせられないな」


「ええ……」


 もしもそのことを知れば、アルフラは嬉々として吸血鬼になりたいと言い出しかねない。シグナムはそう思ったようだ。

 同じことを考えていたのだろう。フレインもまた、あからさまに表情を曇らせていた。


「カダフィーは、無理にアルフラさんを眷属に加えるつもりはないと言ってましたが……」


「信用出来ねえな」


 フレインはなんともいえない微妙な表情をする。


「……私もそう思います。しばらくは、彼女の動向にも気を配ったほうがよいでしょう」


 シグナムは、しっかりと閉じられた御者台との仕切り戸を睨む。その向こうでは、カダフィーの下僕が馬車の(たずな)を握っているはずだ。


「あいつの犠牲者にも気をつけた方がいいな。いまのアルフラちゃんじゃ無抵抗で噛まれちまう」


 声を潜めたシグナムに合わせて、フレインも低くささやき返す。


「カダフィーもそこまで強引な手段を取るとは思えませんが……絶対にないとは言い切れませんね」


「吸血鬼ってのは、普通の武器じゃ死なないんだよな。どうやったら殺せるんだ」


「いえ。年季の浅い吸血鬼なら、通常の武器でも充分に滅ぼすことは可能です」


「そうなのか?」


 仕切りの方へちらりと目をやり、シグナムは意外そうにする。


「すべての吸血鬼が、カダフィーのように出鱈目な力を持っているわけではありませんよ。とくに成りたての吸血鬼なら、長時間日光に晒しておくだけでも灰になるはずです」


「カダフィーはどうなんだ? あいつも日中は棺桶の中で寝てるよな」


「彼女は、陽光を歩む者(デイ・ウォーカー)と呼ばれる日光すら克服した吸血鬼です。日の光も致命傷とはなりえません」


「まさか……ほんとうに不死ってわけじゃないよな」


 シグナムは険しい表情で眉間に皴をよせる。昨日(さくじつ)、刀子で深くえぐったカダフィーの腕が、瞬時に治癒した光景を思い出したのだ。


「かなり不死に近くはありますが、強力な魔法の武器ならば滅ぼせるはずです。アルフラさんの細剣が無事ならよかったのですが……」


「ほかには、なにかないのか?」


「あとは……やはり炎でしょうか。火による浄化は、実体を持たない魂魄の類いにも有効だとされています」


 フレインは書物から得た知識を頭の中で整理するため、数瞬の()を置いた。


「魔法の武器による傷と同じく、炎で焼かれた傷は吸血鬼といえど回復しづらいそうです。完全に灰となるまで焼き尽くせば、二度と復活出来ないというのが定説ですね」


「火か……そういえば吸血鬼は火に弱いって聞いたことがあるな」


 腕組みをしてかるく頷いたシグナムは、思案するように視線をさまよわせる。その目が、カダフィーの棺の上にとまる。


「……寝てる(あいだ)に油をかけて棺ごと焼いちまうか」


 いきなり飛び出した物騒な台詞に、フレインはやや及び腰のようだ。


「さすがにそこまで簡単にはゆかないと思いますよ。カダフィーにしても、無防備となる就寝中にはなんらかの対策を講じているはずです。もしかするとそうなることを警戒して、昨夜は帰って来なかったのかもしれません」


「まあ、そうだよな。なんにしても奴を取っ捕まえて、丸焼きにしちまえば問題ないわけだろ」


 言ってしまってから、その状況を作り出すことの至難さに気づき、シグナムはぼそりとつぶやく。


「……なかなか骨が折れそうだな」


 うんざりとした様子でため息を落としたシグナムは、一連の会話のなかで新たな疑問を感じた。


「吸血鬼が火に弱いってことは……もし仮にアルフラちゃんが吸血鬼になったとしても、この火傷は治らないのか?」


「そこまでは私にも分かりません。ですが、完全に跡が消えるほどに回復するのは難しいかと思います」


「そうか……」


 重々しい息をはき、シグナムは傷みの目立つ亜麻色の髪を優しく撫でた。

 蒸し暑い車内に響く荒い呼吸音が、二人の不安を煽る。炎症により気道が狭まり、アルフラは喘息と同じ症状を起こしていた。しばし無言の時間が流れ、その容態を看ていたシグナムは、ふと思いついたように口を開く。


「もし、魔族の斥候を二、三人捕まえて、その血を飲ませたら……アルフラちゃんの傷は治せないか?」


「おそらく、無理でしょう」


 フレインはかるく首を振る。


「昨日、私が調合した薬剤には、カンタレラが混ぜてあったのですよ」


「なんだって……?」


「レギウスを出立する前に、残っていた精製済みのカンタレラを、あるだけ譲り受けて来たのです。もともと廃棄される予定だったカンタレラは、優先的にアルフラさんに渡せるよう、手を回していましたしね」


「じゃあ……」


 依然、回復の兆しが見えないアルフラへ視線が落とされる。


「そうだよな……あたしが思いつくようなことなら、当然あんたは先に気づくか」


「はい。カンタレラは、安定剤などが混ぜられたものとはいえ、子爵位の魔族、星蘭の血から作られたものです。まったく効果がないとは思えませんが……それでもアルフラさんの容態に、さほど変化は見られません」


「……血を飲ませるにしても、なみの魔族じゃ意味がないってことか」


「ええ。魔族の血が人体へ及ぼす効果は、カンタレラ作製の過程でかなり研究が進んでいます。確かに魔族の血は、身体能力や回復力を高めはしますが……少なくとも、これほどの傷を完治させる効果はありません」


 全身に包帯を巻かれたアルフラの姿は、とても痛々しいものだった。

 皮膚は頭頂部からつま先までをくまなくおおう、人体における最大の器官である。そのほとんどに熱傷を負ったアルフラを回復させることは、やはり容易ではない。


「そういやカンタレラを飲んでたギルドの戦士達も、致命傷を負えば普通に死んでたもんな」


「そうですね。量の問題もあるのでしょうが、爵位の魔族の血ですら劇的な効果は望めないようです。それこそ魔王の血でも飲ませることが出来れば、また話は違ってくるのかもしれませんが」


 しかし、魔王の血を入手するなど、あまりに非現実的だ。それでアルフラが確実に助かるとも限らない。


「カンタレラはまだ数本残っています。強壮薬などに混ぜて、折りを見ながらアルフラさんに服用させてみましょう。現状では出来ることもそうありません。後は自然に体力が回復するのを、待つしかないと思います」


 心配気にアルフラを見下ろした二人は、そのまま黙りこくる。

 熱に浮され、喘ぐように上下する胸元の包帯には、朱い染みが広がりつつあった。

 湿度の高いロマリアの気候に加え、馬車により絶えず揺られているため、傷口がようとして塞がらないのだ。


「包帯をかえる。後ろ向いてろ」


「分かりました。包帯の予備はこれが最後です。血止めも底を尽きかけているので、あとはカモロアで補充するしかありません」


 シグナムは口を引き結び、目だけで了承の意を伝えた。

 やがて、アルフラの包帯を丁寧に巻きおえたころ、馬車は緩やかに停止する。そして御者台との仕切りが開かれ、目深にフードを降ろした犠牲者が顔をのぞかせた。



「カモロアの関所が見えてきましたぜ。でもちょっと変な感じだ」





 馬車を降りたシグナムとフレインは、遠目に見える関所の様子をうかがっていた。しかし、すぐに二人もその異変に気づく。


「おかしいな……人影が見えない……」


「さすがに無人ということもないでしょう。あまり長くこの場に留まれば不審に思われます。とりあえず行ってみましょう」


「……そうだな」


 一行は馬車を進ませ、関所の脇へと乗りつける。だが、当然あるはずの推可の声はなく、人の気配も感じられない。

 ふたたび二人は馬車から降り、木造の櫓門(やぐらもん)を見上げる。

 櫓の上にも見張りの姿は見えず、あたりは静まり返っていた。さらに関所小屋の中をざっと見てまわったシグナムは結論を出す。


「無人、だな……」


「ですね……」


 関所を越えるため、着慣れぬ貫頭衣に袖を通していたフレインは、狐に摘まれたような顔をしていた。


「これは、どういうことでしょう」


「争ったような形跡もないな。カモロアの街でなにかあったか……」


 街道を閉ざす木柵の門を、シグナムは勢いよく蹴り開ける。


「とにかく先に進もう」


 関所を素通り出来るこの状況は、シグナムたちにとって好都合であるのだが……二人の表情は依然として硬いままであった。

 カモロアの街で、不測の事態に見舞われそうな予感をひしひしと感じていたのだ。

 馬車に乗り込んだシグナムは、疲労のにじんだ顔で独り言のようにつぶやく。


「まさか、あの吸血鬼が関所の兵士を食っちまったんじゃないだろうな」


「いえ、さすがにカダフィーも、そこまで見境のないことはしないでしょう」


「……だよな。じゃあやっぱり、関所を空けなきゃならないほどのことがカモロアで起こったのか」


「ロマリアの情勢はあまりにも不安定です。先が見えません。やはり最終的には、レギウスへ戻るほかないかと思います」


 現在のロマリアは、魔族との戦いにより深い痛手を受けている。いつまたその進攻が始まるかも知れないうえ、薬の類いも手に入りづらい。


「レギウスにさえ戻れれば、医神ウォーガンの神官を動員出来ます。最低でもアルフラさんの命を繋ぐことは可能でしょう……」


 だが、それにも問題はある。レギウスに帰るには、時間がかかり過ぎるのだ。

 アルフラはかなり重篤な状態にある。馬車での移動は体に障るので、馬を急がせることも出来ない。

 やはり当面は、早急にしかるべき治療を受けたうえで、体力の回復を待つしかないだろう。


「カモロアにつく前に、はっきりさせとこうぜ」


 シグナムが、威圧的な強い眼差しをフレインへと向ける。


「もし駐屯地の件で衛兵どもに囲まれたら、最悪何人かは斬らなきゃならないはめになる。お前があの時、生き残った兵士のことを黙っていたせいだ。――おかげであたしは、もっと多くの衛兵を殺さなきゃならないかもしれない。お前が助けた何人かの命以上にな」


「それは……」


 シグナムの視線を避けるように、フレインはこうべを垂れる。


「本当に申し訳ないことをしたと思っています」


「だったら、二度とあんなまねはするな。同じような状況になった時は、下手な情をかけるなよ」


 かつてフレインは、アルフラのためならば、おのが手を汚すこともやむなしと考えたこともあった。しかし、失われるであろう命へ対し、真摯に考えをめぐらせると、どうしても最後の一線を越えることが出来ない。

 フレインがアルフラを想うように――シグナムがアルフラを大切に感じているように――命を落とすことになる名も知れぬ誰かにも、その彼を想う者や守りたいと感じる大切な家族が居るはずなのだ。

 ひとつの命にはひとつの人生が有る。そのすべてを個人の都合で摘み取ることは、いったいどれほど非道な行いなのか。どのような価値観と照らし合わせても、それを是と論ずることは決して出来ないはずだ。

 考えるほどに、フレインは身動きがとれなくなってゆく。


「ですが私は……自分が間違ったことをしたとは、どうしても思えません」


「……あ?」


 フレインの声は消え入りそうなほどに小さかった。そのささやきを、シグナムはよく聞きとれなかったようだ。幸運だったと言えるだろう。


「まえにコボルトどもと戦ったときは、あんたもなかなか上手いことやってただろ。人間相手にだって、出来ないこたあねぇよな?」


 フレインは顔を上げ、はっきりとした口調で告げる。


「私は……アルフラさんのためとはいえ、罪もない人を殺すことは出来そうにありません。それでも、私なりのやり方でアルフラさんの力になりたいと考えています」


 じっとその表情を見つめるシグナムは、気弱げながらも真っ直ぐに芯の通った意志を、フレインの瞳のなかに認めた。


「……はッ、だったら好きにしろ。どの道あたしがあんたの分まで殺るだけだ。もうお前にはなにも期待しないよ」


 見限りの言葉とともに、シグナムは顔を背ける。

 フレインは、アルフラの傍らに座り込んだシグナムを見て、駐屯地での情景を思い出していた。

 生き残った兵士の首を撥ねたのち、殺したくはなかったのだとアルフラへ訴えかけた――シグナムのゆがんだ表情が頭から離れない。その直前、カダフィーに怯える兵士へ、アルフラを助けようとした彼には手を出させないとシグナムは言っていた。

 面倒見のよい彼女のことだ。あの若い兵士を殺したことを、内心ではきっと後悔しているのだろう。

 シグナムはアルフラを守るために、自分の言葉を曲げたのだ。


 極限の状況において、ためらうことなくみずからの手を汚したシグナムと、ほかにも生き残りが居るはずだと告げることが出来なかったフレインとの違い。端的にみれば、戦いを生業とする傭兵と、白亜の塔で勉学に(いそ)しんできた魔導士との差であろう。

 シグナムは人を(あや)めることが必要とあらば、頭で考えることなく自動的に体が動く。戦場において、それを可能とする無数の経験を積んできたからだ。そんなシグナムとフレインを比べることに、さしたる意味はない。


 だがそれでも、とフレインは思う。


 おのれの持つ良識や道徳観が、いまのアルフラにとってなんの助けにもならないことは明白だ。

 痩せたフレインの顔立ちが、陰欝(いんうつ)に沈む。

 人として間違った行いはしていないと思いつつも、シグナムに対して深い引け目を感じる。


 罪なき者を殺すことは出来ないと、言い訳するのは簡単だ。


 しかしそれは……



 優しさではなく、弱さなのだろうと、彼自身にも自覚があった。

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