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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
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死の呼び声



 月明かりに照らされた女吸血鬼は、その口許を不穏に歪めていた。


「どうだい? 嬢ちゃんは、死なんてものと無縁の存在になれるんだよ。私の口づけひとつでね」


 シグナムは瞬時茫然とし、素の表情でまばたきをした。そして(まなじり)を吊り上げ、押し殺した声を出す。


「てめぇ……」


 腰の長剣に手をかけ、シグナムは荷馬車から地へと足を下ろす。


「アルフラちゃんを吸血鬼にしようってのか!?」


 カダフィーは鋭い犬歯隠すように手を当て、笑い声を上げた。


「フフッ、死なせちまうよりかは……幾分ましだろ?」


 剣の柄を握り締めたまま、シグナムは歩みよる。しかしカダフィーは、これといった警戒の仕草も見せない。腰に手を当て、顎を反らしてシグナムを見上げる。


「私としては、悪い話じゃないと思うのだけれどねぇ」


「そうかよ。あたしはここで、確実にあんたを始末しといた方がいいんじゃないかって、思ったね」


 シグナムはすでに、抜き放てば刃の届く距離に立っていた。相手がどのような動きを取ろうが(のが)さない。――必殺の間合いだ。


「短気は損気、だよ。()るにしたって、話を聞いてからでも遅くはないだろ?」


 緊張を解かぬまま、シグナムは腰を落として抜剣の体勢に移行する。それでも構わずカダフィーは話をつづけた。


「だいたいね、食事の好みは吸血鬼(わたし)も嬢ちゃんもそう変わりゃしない。むしろ魔族の血に関しては、私よりも貪欲なくらいだ」


 カダフィーは、くすりと皮肉げに笑う。


「食生活はこれまで通りさ。なんの問題があるっていうんだい?」


「ふざけるな! 吸血鬼になっちまったら、そりゃ結局死ぬってことだろ!」


「確かに心臓は止まるよ? でもね、それで困ることが嬢ちゃんにあるのかい? 生者と不死者の違いなんて、心臓の停止。それに伴う体温の低下。痛覚の麻痺。そのくらいさ」


「加えて、生殖機能の喪失」


 フレインが厳しい声で指摘する。


「あなたは当たり障りのない点だけを上げて、肝心なことを隠そうとしている」


「……余計なことお言いでないよ」


「生きとし生ける者にとって、子をなせないということは致命的な欠落です」


 それでも、女吸血鬼は余裕の笑みを崩さない。


「――で? フレイン坊や。あんたは嬢ちゃんが、そんなことを気にするとでも思ってるのかい?」


「なにを馬鹿な。子を産めなくなるということは……」


 だが、アルフラの愛してやまない想い人は――


「あ……」


 口を開いたまま、フレインは言葉を途切らせた。それを見て、さも可笑(おか)しげに女吸血鬼は肩を揺らす。


「ね、嬢ちゃんにとって、そんなもんは大した問題じゃないんだよ。それにあの娘は、根っからの男嫌いだ。子を産むどころか、それに至る行為にすら嫌悪感を持ってるはずさ」


 これには否定の言葉を持つ者もおらず、緊張感をともなった静寂が訪れた。しかしそれも長くはつづかず、女吸血鬼は微笑みまじりに口を開く。


「私だってね、百二十年前までは人間だったんだよ。あの凱延と戦うまではさ」


 浮かんだ笑みが、自嘲のそれへと変わる。


「あいつに腹を潰されて、貧血起こすくらい血を吐いてね。――ああ、これはもうだめだなって思いながら意識が途切れて……次に気がついたら、私は今の体になってた」


 この時だけは女吸血鬼も、その表情に真摯なものをのぞかせた。


「感謝したよ。ホスローが私を救ってくれたんだ。――子を産めなくなったのは、少し残念だったけどね……」


 誰との子を欲していたのかまでは口にせず、カダフィーは荷馬車の方へと目を向ける。


「もとからそのつもりのない嬢ちゃんだったら、迷う必要もない」


 それにね、とカダフィーはからかうように瞳をまたたかせた。


「フレイン坊やはなかなか物知りだけど、これは知ってるかい。なぜ吸血鬼が、人の血液だけで存在を維持出来るのか。――人間なら血だけを飲んで生きてくことなんて、出来はしないだろう?」


「それは……」


 言いよどんだフレインは、答えられないというより、それを口にしたくはないといった面持ちであった。その様子に、カダフィーはすこし意外そうな顔をする。


「おや? 本当に勉強熱心だね。この手の知識は、レギウスの神官達がうるさいから秘匿されていて、あまり知る(すべ)がないはずなんだけどね」


 無言で聞いていたシグナムの背後から、じゃらりと重い音が響く。


「シグナムさま。耳を傾ける必要などございませんわ。しょせんはレギウス神の理から外れた、忌むべき不死者の戯言(たわごと)です!」


「……まあね、あんたならそう言うと思ったよ」


 右の拳に鉄鎖を巻いたジャンヌへ、女吸血鬼は苦言を(てい)す。


「あんたは私に大きな借りがあるだろ。不完全とはいえ快癒を習得出来たのは、いったい誰のおかげだと思ってるんだい? 話がややこしくなるからすっこんでな」


「それとこれとは話が別ですわ!」


 ジャンヌは半身になって拳を構える。


「……まったく、これだから道理の通じない狂信者は……」


 カダフィーは口の中でつぶやいて、ため息を落とす。


「考えてもごらんよ? 嬢ちゃんが死んじまってからじゃ、手遅れなんだよ。私はあんまり招霊術はよくしないからね。だけど今なら、確実に救ってやれる」


 聞く耳持たず、ジャンヌは闘気を高めてゆく。それを気取ったルゥもが、肩を並べて腰を落とした。


「こうしている間にも、嬢ちゃんは徐々に弱っていくんだよ? だったらさ、手遅れとならない内に、私の眷属になった方がいいと思わないかい?」


 シグナムは眉間(みけん)に皴を寄せる。下僕とは言わず、眷属と言葉を選んだ辺りに、カダフィーの悪意が感じられる気がした。


「あんたは根に持ってるんだ。駐屯地で明石って奴を殺られたことをね。だからその代わりに、アルフラちゃんを下僕にしたいだけだろ?」


「……フフッ」


 口許を片手で隠しつつも、カダフィーの顔には堪え切れない笑みが浮かび上がる。


「まあ、何をどう言い繕っても、嬢ちゃんに過保護なあんたが頷くはずもないか」


 さして残念そうでもなく、女吸血鬼は肩をすくめた。そして、じりじりと間合いを詰めるジャンヌへ、ちらりとだけ視線を移す。そのわずかの間にシグナムが動く。

 長剣が鞘走り、硬質な擦過音が響いた。

 同時に、だらりと垂らされたカダフィーの左腕が、弧を描いて跳ね上がる。

 振り抜いたシグナムの手には長剣の柄がそのまま――折れ飛んだ刀身のみが宙を舞う。瞬時、表情に驚愕を見せるも、シグナムは用を成さなくなった長剣を投げつけ、腰から刀子を抜く。

 至近から投擲された剣を、カダフィーは軽く腕で払った。さらにその手で、襲いかかったジャンヌの拳をがっしと受け止める。


「あんたとやるつもりはないよ。レギウスに帰ったら、やって貰わなきゃならないことがあるからね」


「くっ……!」


 女吸血鬼の凄まじい力で鷲掴みにされ、神官娘の拳が(きし)みを上げた。


「ジャンヌ!!」


 叫びざま、ルゥは低い姿勢から地を蹴る。人の姿こそしてはいるが、その身のこなしは獣の挙動だ。風を裂いて殺到し、ジャンヌを捕らえた女吸血鬼の腕を薙ぎ払う。


「チッ――!」


 舌を打ち鳴らしたカダフィーが、大きく腕を振る。漆黒の外套が巻き上がり、ルゥの体が跳ね飛ばされた。しかしすかさず、ジャンヌが抱きしめるようにその身を受け止める。


「大丈夫ですか、ルゥ?」


 狼少女が、ぐるる、と喉を鳴らす。ジャンヌの腕の中で、人狼化現象が始まっていた。めきめきと関節が外れ、その骨格が変質していく。全身の筋肉が、爆発的に膨れ上がる。――だが、眼前の女吸血鬼は、その変貌を待つ気はないようだ。動きを止めたルゥを見て、唇を吊り上げる。その左手には長く伸びた爪。さきほどシグナムの長剣を折った得物だ。

 女吸血鬼が一歩踏み出すと同時、ジャンヌは腕をしならせた。鉄鎖、脳天かち割りが閃く。呼応して、シグナムが刀子を振るう。

 喉元を狙った鉄鎖は首を傾けたカダフィーの肩をかすめ、突き出された刀子は掲げた腕に阻まれる。カダフィーは深々と刃を受けてなお、意味ありげな笑みをシグナムへ向ける。


「通常の武器じゃね、駄目なんだよ」


 傷口が広がることも頓着せず、カダフィーは強引に腕を払う。血の代わりに吹き出た白煙はすぐに収まり、再生された皮膚は艶やかですらあった。


「私は嬢ちゃんを、こういう便利な体にしてやろうって言ってんのさ」


 愉快げに笑うカダフィーの首には、鉄鎖が絡み付いてた。


「しかし、なかなか器用に扱うもんだね」


 ジャンヌは鉄鎖を避けられた瞬間、手首を返してその先端をうねらせたのだ。しかし、巻き付いた鎖で喉笛を締め上げるも、女吸血鬼の涼しげな顔色は変わらない。無造作に鎖を掴み、首をひと振りして拘束を解く。


「まあ、無理にとは言わないよ。私は別に、嬢ちゃんがどうなろうと知ったこっちゃないからね」


 カダフィーは鉄鎖をジャンヌへと投げ返し、乱れた外套の前をかき合わせた。

 ジャンヌへ向けられた視線を遮るように、白い体毛に覆われた人狼の巨躯が、女吸血鬼の前に立ち塞がる。

 フッと鼻で笑い、カダフィーは後ろへ飛びのいた。その姿が夜闇に紛れる。

 目を凝らしたシグナムたちの視線の先で、赤く燃え上がった双眸が煌めいた。

 妖魅の魔眼がその効力を発揮する。


「ッ――!?」


 上体を(かし)がせたシグナムは、踏み止まることが出来ずに膝を付く。平行感覚が麻痺し、視界が大きく歪む。


「おや。さすがに立待月の人狼には効きが悪いね」


 満月の二日後。いまだ銀円の形を保つ月の光を浴び、ルゥはふらつきながらも両の足で立ち凌いでいた。その体をジャンヌが支えようとする。しかし、人狼時のルゥとは体格が違い過ぎた。ふさふさの背に顔を埋め、一緒によろめいてしまう。そんな神官娘を見て、カダフィーは怪訝そうにしていた。


「あんたは……よく分からないね。なんで私の魔眼が効かないんだい?」


「ダレス神のご加護ですわっ!」


 なんの迷いもなく即答するも、ルゥの腰に腕を回したジャンヌは、その体を支えることで手一杯だ。


「いや、そんなはずはないんだけどねぇ……やっぱり、精神に干渉する魔法は、元から狂ってる奴には効かないのかね」


 しみじみとつぶやき、カダフィーは戦意を散じさせる。


「まあいいさ。私は先にカモロアへ行く。そろそろ腹も減ったしね。――下僕達は貸しておいてあげるよ。御者がいないと困るだろ?」


 足音も立てず、後ろへと下がった女吸血鬼の姿が、夜に溶け込む。

 どことも知れぬ闇の中から、殷々と響く声が告げた。


「一晩かけてゆっくりと考えてみるんだね。そうすりゃ嬢ちゃんを救うには、私に頼るしかないって分かるはずさ」



 そして静寂が残った。





 女吸血鬼の気配が遠ざかると、シグナムの感覚を狂わせた魔眼の効果も薄らいでいった。


「立てますか、シグナムさん」


 差し延べられたフレインの手をかるく払い、シグナムは自力で立ち上がる。


「くそッ、あの女……思ってたよりずっと化け物だな」


「無理もありません。カダフィーは吸血鬼の中でも、貴族(ロード)と呼称される支配種ですからね」


 酔いでも醒ますかのように、シグナムはこめかみを押さえて小刻みに首を振った。


「魔導師の癖に、間合いに入られても余裕かましてやがったから、ちょっと嫌な感じはしてたんだ。――吸血鬼ってのは魔術を使わなくても手強いんだな」


「彼女はこの百二十年、レギウスへ入り込んだ魔族の討伐を任されていたらしいです。その過程で力を増していますし、場数も踏んでいます。魔道に関してこそホスロー様の後塵を(はい)しますが、単純な戦闘力で言えばギルド随一かと」


「ああ、戦い慣れしてるのは向き合った瞬間に分かったよ……にしても、あの目が厄介だな」


 そこでシグナムは、思い出したようにフレインを睨む。


「そういやお前はなにしてたんだよ」


「えっ、あ……いちおう封魔結界を張ろうとしたのですが……」


 フレインは気まずそうに顔をうつむかせる。


「詠唱が終わる前に、その……」


「……お前、とことん役に立たねえな」


「う……すみません……」


 シグナムは折れた長剣を忌ま忌ましげに見やる。


「あの剣、魔力付与の呪文がかけてあるんだよな?」


「はい。対魔族を考慮して、数日置きに魔力付与を施しています。もちろん刀子の方にもです」


「ようするに、あんたの腕じゃカダフィーには歯が立たないってことか」


 フレインは消え入りそうな声で肯定する。


「百二十年もの歳月を経た不死者となると、司祭職にある聖職者が洗礼を行った武器でも、少しきびしいでしょう」


 実際、大司祭の洗礼を受けた銀の武器ですら、ホスローにはなんら痛手を負わせることが出来なかった。


「チッ……例の件もあるし、ここであいつを殺っときたかったんだが……」


 声を潜めてシグナムは毒づいた。

 どこでカダフィーの下僕が聞いているとも限らない。そのため言葉をにごしてはいるが、シグナムの言わんとしているところはフレインも理解した。おそらく彼女は、感情に任せてカダフィーへ斬りかかったのではない。レギウスへの帰還を視野に入れた時点で、その排除を考えていたのだ。いずれはホスローの件が、露見すると見越してのことだろう。

 フレインは、シグナムの耳許へ口をよせる。


「カダフィーが下僕を残して行ったのは、私達を監視させる思惑もあるはずです。その件に関しては後々相談いたしましょう」


 シグナムは無言で頷き、荷馬車へと戻っていった。

 ふう、と大きく息をはいたフレインの視界に、ジャンヌとルゥの姿が映る。二人はぷんすかと怒りの声を上げていた。


「あの忌まわしい不死者めっ」


「あいつきらい~~」


 苦笑を浮かべつつ、フレインは人の姿に戻ったルゥへと尋ねる。


「怪我はありませんか? かなりしたたかに弾き飛ばされていたようですが」


「へいきだよ、あのくらいっ。ボクは白狼の戦士なんだからね!」


 ルゥは誇らしげに胸を張る。つん、と上を向いたちいさな乳首が、目にも鮮やかだ。


「では、とりあえず服を着ましょう。新しい貫頭衣をお持ちしますね」


 ルゥの衣服は人狼化にともない裂けてしまっていた。

 ジャンヌは後ろからルゥの胸を手の平で覆い、フレインの目から桜色の突起を隠してやる。

 かろうじてかぼちゃパンツの残骸だけが、ルゥの股間に張り付いていた。

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