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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
141/251

悪鬼夜行



 視界の悪い森のなかを駆ける。霧はまとわりつくような密度で肌を湿らせ、足元を覆い隠すほどに濃く深い。

 アルフラは追っていた松子の気配が、漠然と拡散したことに気づき、足を止める。

 周囲に拡がった、不穏な空気のほぼ中心に自分が立っていることを、アルフラは感知していた。

 集中力をとぎらせることなく、ただじっと待つ。みずからに向けられた害意をも、感じとっていたからだ。


 気負いなくたたずむアルフラの背後で、白い霧が急速に人の輪郭を形作った。


 一見、無防備にも感じられる小さな背中に、骨ばった腕が伸ばされる。髑髏の口許に笑みを溜めた死霊が、ずぶりと指先をアルフラの背に沈ませる。


 うすい肩が、びくりと震えた。


 松子は不気味な喜悦を表情に(にじ)ませ、アルフラの味を引き立てるために、恐怖を流し込む。


 非業の末路を遂げた不幸な女の記憶が、アルフラの心を(おか)す。

 苦痛が、恐怖が、絶望が――――雪崩をうって押し寄せる。


 しかしアルフラは、そのすべてを知っていた。死へ至る苦痛も、愛する人を奪われる恐怖も、そして心を蝕む絶望も、すでに既知のものだった。


 かつて幼いアルフラは、獣毛に覆われた恐ろしいオークの槍で、串刺しにされたことがあった。さらにその後、炎のなかへ投げ込まれすらしている。

 また、強大な伯爵位の魔族により、遥か高空から地面に叩きつけられたこともあった。その時は全身の肉と骨がひしゃげ、通常の――脆弱な人間では、生きて経験出来ないような体にされたこともあった。

 松子が井戸のなかで味わった苦痛は、それらの経験と比肩しうるものではあったが、決して上回りはしない。


 恐怖もまた(しか)り。もとより今のアルフラに、恐怖などといったまともな情緒は、かけらも残されていなかった。

 そして絶望に関しては以っての外だ。なぜならアルフラはつい最近、正気を失うほどのそれを体験してしまっている。

 白蓮に拒絶されたという現実に比べれば、松子の絶望など、砂糖菓子のように口当たりがよい。思わず陶然としてしまい、その生易(なまやさ)しさを甘受してしまうほどであった。


 だから逆に、アルフラの飢餓が、妄執が、憎悪が――松子のなかへと流れてゆく。

 あらゆる事象には、指向性が存在する。高所から低所へ。密度の高い方から低い方へと流れるのだ。浸透圧の原理と同じである。

 二つの感情が交われば、より強い想いを抱えた者から弱い者へと、それは推移する。


 三十年もの間、生者の魂魄を喰らってきた死霊は、激しい飢餓に苛まれる。――それは()くことなき力への渇望。その根源たる氷の女王に対する妄執。そして元凶となった魔族の支配者へ向けられた憎悪。

 生きとし生ける者すべてを憎む松子の怨念よりも、ただ一人の男へ向けられたアルフラの殺意と憎悪は、なお根深かった。


 未知なる感情の流入に、松子は戸惑いを覚える。


 それまで、微動だにせず立ち尽くしていたアルフラが、よろけるように後ずさった。そのはずみで、死霊の腕が肘の辺りまで、ほそい体にめり込む。

 松子は幽体の手に、なにやらひやりと冷たいものを感じた。

 おのれの胸から突き出た松子の手を、アルフラが掴んでいた。


 驚愕をもって、松子は小柄な痩躯(そうく)を見下ろす。その目に、ゆっくりと首だけで振り返るアルフラの顔が映った。

 白く濁った松子の目と、大きく見開かれた鳶色の瞳とが、至近で交わる。そして、なんの恐れげもなく、唇が開かれる。


「うふふ……つかまえたぁ」


 瞬間――松子は理解した。初めてアルフラを見た時に覚えた、既視感の正体を。彼女は以前にも“それ”に見舞われたことがあった。――そう、暗く冷たい井戸の底で。

 そしてふたたび“それ”は、幼い少女の姿を借りて、松子の前に現れたのだ。



 ヒィィィィィィィィィィィィィィ――――――――――



 金属を擦り合わせたかのような音が、松子の口許から発せられた。その姿が、急速に実体を薄れさせる。

 あっという間に霧の中へ消えた松子を見ても、アルフラの表情はまったく動かなかった。

 視線を手元に落とす。

 アルフラの手のなかには、まるで凍りかけた煙のような、不可思議な物体が残されていた。それは不定形ながらも、かろうじて人の腕のような形状をしている。


「…………」


 アルフラは、じいっとその腕を見つめながら、感触を確かめるかのように、両手でこねくりまわす。そして、無造作に口の中へ押し込もうとした。しかし、それが叶う前に、松子の腕は溶け消えてしまう。


「あ…………」



 かすかに眉根を寄せつつも、アルフラは姿をくらませた死霊の後を追った。





 一般的に魔力や魂と呼称されるものは、霊子という素粒子により構成されている。

 地中や大気、水中にも存在する魔力と魂との違いは、自我の有無である。

 肉体に宿る魂は、死後も存在しつづけるが、時間の経過とともに自我が薄れていく。すると自我を消失した魂は、その構成要素である霊子を集束させる力を失い、やがては大気中の魔力と同化してしまう。

 これは、自己を認識するうえで、生身の肉体が非常に重要な役割を果たしているからである。

 あらゆる入出力の源である肉体との繋がりが断たれると、人は自己同一性(アイデンティティ)を維持出来ず、自我を保てなくなるのだ。


 しかし、あまりに強い未練などを残して死んだ者は、魂のみの存在となっても、長く自我を保つことがある。そのなかでも、恨みや憎しみといった感情は、魂に強い集束力を与える。

 そういった魂が長ずると、非常にたちの悪い存在へと変じる。これが人に害をなす魂魄などの正体だ。



 死霊の森の主である松子は、その強い怨念により自我を保ってきた。

 ただひたすらに、生者へ対し呪詛を撒き散らす彼女は、もはや人の恐怖を糧とする悪意の塊となり果てていた。


 そんな邪悪な魂魄がいま、霧のなかを恐怖で逃げ惑う。


 生身の体を持たぬ松子は、自我を薄れさせれば、おのれの幽体を霧散することが可能だ。

 しかし現在、彼女は恐怖という強い感情に支配され、それが困難となっていた。

 朧げな体を浮遊させ、木々を避けることなく透過し、松子はただひたすらに逃げる。

 辺りを覆う霧は、いまだ深い。視界も足場も悪い森林での追跡は、困難を窮めるだろう。

 おおよそ人では追従(ついじゅう)不可能なはずの逃避行は、しかし並走する同行者を(ともな)ってた。

 霧のなかから、声が響く。


「ねぇ……あなた、今までいっぱい人を殺してきたんでしょ?」


 ほそい、少女の声だ。

 どれほど必死に逃れようとしても、その声と気配は離れてくれない。


「自分の番が回ってきたからって、逃げ出すのはずるいと思うわ」


 恐慌に捕われた松子の心に、少女の声はさらなる恐怖を届ける。これまで生者の恐怖を啜り、その断末魔を糧としてきた松子。その彼女も、いまでは自分が搾取される側に回ってしまったのだ。

 松子は怯え、恐怖した。迫り来る足音との距離は、徐々に縮まっている。


 突如――霧のなかから小さな手が伸ばされる。冷気を発する少女の手だ。

 松子を捕らえようとする腕を、間一髪でかい潜る。

 そしてまた、声が響いた。


「待ちなさいよ。べつに乱暴はしないから……ね、ちょっとだけでいいから、足をとめて」


 絶対に嘘だ。そう松子は確信した。

 少女の声は、虚言と悪意に充ち満ちている。


「ずっとこんな森にいたんじゃ、あなただって淋しいでしょ? 淋しいよね?」


 少女の足音は、すぐ真後ろにまで迫っていた。


「ねぇ。あたし、すこしお話がしたいだけなの。あなたにひどいことしようなんて、これっぽっちも思ってないわ。ほんとうよ?」


 身の毛もよだつような猫撫で声で、少女はそんなことを言った。口調はとても優しげだ。しかし、まんまとその甘言に乗せられれば、どんな恐ろしい目に逢わされるか知れたものではない。


「あっ、そうだ……ねぇ、あたしとお友達になろうよ」


 その声は、なにか名案でも思いついたかのように弾んでいた。

 少女の言うところの“お友達”というのが、なにを意味するのか松子には分からない。それでもそこはかとなく、おぞましい響きが感じとれた。


「ね、そうしようよ。あなたの仲間たちも、まとめてあたしの友達にしてあげるから」


 ――いやだいやだいやだいやだ、もうゆるして


 松子は必死の思いで拒絶の意思を伝える。


「あたしの中にいるのは、ほとんど魔族だけど……きっとあなたなら仲良くできると思うの」


 声はすでに、耳元で囁かれているかのように近づいていた。どうやっても少女を引き離せない。松子はふやけた眼球から涙をしたたらせて、身を隠す場所を探す。

 目についた太い樹木のなかへ幽体を滑り込ませ、少女をやり過ごすために気配を断つ。


 だが同時に、追いかけてくる足音も止まっていた。そして辺りをうかがうように、ゆっくりとした歩調で地を踏みしめる音がする。


 松子はひたすら祈る。

 ――どうか見逃して下さい。私はかつて、一度あなたに身を捧げています。だからもう、私に構わないで下さい。


 松子が潜む樹木の前で、少女の立ち止まる気配がした。

 魂消えるような緊張のなか、自分はただの樹木なのだと、松子はおのれに言い聞かせる。

 だが、つぎに発せられた少女の声は、正確に松子の居場所へと向けられていた。


「ねぇ、やっぱりあなたって、斬ったり突いたりしても血は流れないの?」


 もしそうだとすると……


「あたし、ちょっと困ってしまうのだけど」


 同時に、松子の幽体を、極寒の冷気が貫く。

 木の幹に突き立てられた少女の細剣。

 絶叫を上げて、松子は樹木の内からまろび出る。


 そして、悪夢と至近で顔をつきあわせるはめとなった。


 少女の飢えに塗れた眼光は、呪縛をもたらし松子を縫い留める。

 鳶色の瞳は、さも興味深げだ。まるで見馴れぬ畜肉でも見るかのように。――粘度の高い視線から、想いが伝播(でんぱ)する。


――これは、どのていど腹を満たしてくれるだろうか


――やはり血肉は備えていないようだけど……どうすれば食べられるのだろう


 疑問を抱えつつ、少女は幹に刺さった細剣を引き抜く。

 恐怖の視線が、わずかに松子から逸らされる。その一瞬で金縛りが解け、ふたたび松子は逃走を開始した。

 少女を振り切るため、木々の密集した森の深部へと、可能な限りの速さで移動する。松子の魂魄は地面からわずかに浮遊しているため、足元を気にする必要もない。

 しかし、細剣で(つらぬ)かれた箇所が、凝結したかのように実体を帯びていた。松子は破損したおのれの魂魄を、今は存在しないはずの、痛みという感覚で認識する。



 怖い。



 死後三十年もの間、長らく感じたことのなかった苦痛が、今際(いまわ)の記憶を強く呼び覚ます。同時に、松子の外殻に変化が起きた。


 剥き出しとなった頭蓋に、うっすらと肉がのる。

 幽鬼じみたほそい体躯が、女のまるみを帯びる。

 腐臭を放つざんばらの髪に、艶めく光沢が戻る。


 生前の頃にまで退行した意識が、松子の魂魄に当時の面影を与えていた。そしていつしか、彼女はみずからの足で、地を蹴っていた。


 このままでは、追いつかれてしまう。

 焦りに足がもつれ、体が地面に投げ出される。

 肩をしたたかに打ちつけ、松子はその痛みに、しばし茫然とした。


「あ……あ……?」


 色づく唇から、声がもれた。

 松子はおのれの手足を、体を凝視する。

 このままでは……



 食べられてしまう。

 食べられてしまう。



 されど恐怖にすくんだ足は動かない。

 おさな子のぐずるような呻きが、松子の喉からせり上がってくる。


「こわいのは、いやなんです……」


 湿った地面に、頭を抱えてうずくまる。


「もう、いたくしないでください……」


 いやいやと髪を振り乱して、霧のなかに潜む化け物へ訴えかける。


「こないで。わたしはなにも悪いことなんてしてない……してないのに!! なんでわたしだけ……!?」


 松子は泣き叫んだ。

 助けを呼んだ。

 かなぎり声を上げ、狂乱のうちに慈悲を乞うた。

 しかし、助けは現れなかった。

 慈悲も、舞い降りはしなかった。


 ……そして少女が訪れた。


 冷たく青ざめた白い肌。

 霧氷を散りばめ、雪色に染まった髪。

 仄白(ほのしろ)い景観の中でただ一点、血でもひいたかのように、少女の唇だけが(あか)い。


 松子の目はくぎ付けとなる。

 妙に落ち着きなく――食事を待ちわびた子供のように、ちろりと舌をのぞかせた、その口許に。


 松子は“それ”を一度経験している。

 ふたたび訪れた“それ”から逃れるすべが無いことを理解している。

 そう、死は何よりも速く、何者をも逃さない。


「おねがいします……ゆるしてください……」


 哀願の響きも虚しく、少女の手が、松子の黒髪を乱暴に掴み上げる。


「いたいのはいや……こわいのはいや……」


 食い入るように見つめる瞳を直視出来ず、視線はさまよう。


「たすけてくれれば、わたしは村から出てゆきます……だからおねがい――」


 少女の唇が、意味ある形に動く。


 ――だ、め。


 一転、視界は濡れた赤に埋めつくされた。

 それが、ぱっくりと開かれた少女の口腔の色だと気づいたとき――松子は童女のように無邪気な声で、けらけらと笑いだしていた。

 彼女の精神は、再来した死の恐怖に耐えられなかったのだ。



 恐怖と絶望とで、犠牲者たちを味つけしたのと同様に、松子はみずからの味を、少女のために引き立たせた。





 たき火の前に座る二人は、終始無言だった。

 ゆれる炎を見つめていたフレインが、ぴくりと体を震わせる。


「どうした?」


 シグナムの問いに、自信なさ気な答えが返される。


「あちらの方から、子供の笑う声が聞こえたような……」


「アルフラちゃんか?」


「……いえ、よく分かりませんが……違うような気がします」


 フレインの視線を辿ったシグナムは、ふと気づく。


「……霧が晴れてきてる。どうやら終わったようだな」


「ええ、松子の冥福を祈りましょう」


「冥福? そんなもんある訳ねえだろ。人を()り殺す死霊だぞ」


「ですが……」


 フレインは沈んだ表情で首を振る。


「松子が死に至った経緯を考えれば、同情の余地はあります」


「……あんたは本当にあまちゃんだな」


 あきれたように言って、シグナムは立ち上がる。


「ルゥとジャンヌを起こしてくる」


「わかりました。アルフラさんもすぐに戻られるでしょう。出立の準備をしておきます」


 その頃には東の空もしらみだし、まばゆい夏の陽射しが照りつけ始めていた。

 シグナムは天幕の前に立ち、無遠慮に入口を開く。


「起きろ、霧が晴れ……て、起きてたのか?」


 朝の光が差し込む天幕内をのぞき見て、シグナムの頭上に疑問符が浮く。


 ルゥとジャンヌの様子がおかしい。


 なぜだかえぐえぐとべそをかく神官娘と、その頭をなでなでする狼少女。

 シグナムには状況がまったく飲み込めない。


「……ルゥ。お前が泣かしたのか?」


「え?」


「え、じゃなくて……そういや今日は満月だったな」


 もとからケンカの絶えない二人である。シグナムは単純に、普段より身体能力の高まったルゥが、いつものじゃれあいに勝利したのだと思ったようだ。


「あのなあ。昨日はジャンヌもだいぶ落ち込んでただろ」


「……うん」


「相手が弱ってるところに付け込むのは、傭兵としてはむしろ正しい。でもな、親しい奴にそれをやると、友達なくすぞ」


「ボク、ジャンヌのこと、いぢめてないよ?」


 泣きくずれる神官娘を撫でつつ、ルゥは不満そうにする。そんな狼少女を、シグナムはかるくにらみつけた。


「うそつけ」


 ジャンヌの肌はしっとりと汗ばみ、着乱れた神官服の裾からは、すべらかな腿がのぞいている。昨夜はなかなかの激戦だったようだ。


「ジャンヌがこんなに大泣きしてるのなんて、初めて見たぞ。いったい何をしたんだよ、お前は」


「んー、とね。ジャンヌの――」


「言わなくてよろしいですわっ!!」


 それまでずっと、めそめそしていたジャンヌが、顔を真っ赤にして怒鳴った。その剣幕さに、シグナムとルゥは、すこしびっくりしたようだ。


「あー……ルゥ。とりあえずジャンヌに謝っとけ。もういじめないって約束するんだ」


「えー」


「ルゥ!」


 不承々々(ふしょうぶしょう)といった感じで、ルゥはジャンヌを撫でる手を止めた。そして神官娘のおでこに、こてりと額を押しつける。


「ごめんね、ジャンヌ」


 神官娘は、うつむきがちな上目づかいで疑わしそうにしている。


「……もう、あんなことはしません?」


「う~~……」


 ルゥは左斜め上方を見上げ、ついでかるく小首をかしげた。さらに、むぅんと唸り、ひとつ頷く。


「……うん?」


「なぜ語尾を上げるのですか!? 疑問形ですかっ」


 よし、とシグナムが手を鳴らす。


「仲直りしたところで、撤収の準備を始めよう」


 とても仲直り出来たようには見えないが、シグナムもすこし面倒くさくなったようだ。


「霧も晴れたし、天幕を畳みしだい出発しよう」


「はーいっ」



 ルゥだけが、一人元気のよい声で返事をした。その顔色は妙につやつやとしていて、肌もみずみずしかった。





 シグナム達が連れ立って天幕を出ると、そこにはカダフィーとフレインの姿があった。


「ちょっと来てごらんよ」


 手招きをして女吸血鬼は歩きだす。


「なんだ? どこに行くんだよ」


「すぐそこだから、いいからおいで」


 普段から、人をからかう癖のあるカダフィーだが、いまはそういった口調でもない。その真剣な声音に、シグナムたちは黙って従った。

 そして言葉通り、すぐにその異変は目についた。


「これは……」


 街道を歩いているうちに、茂った木立の合間から、いくつもの家屋らしき土壁が見えた。


「私たちは、村のほぼ真ん中で夜営してたのさ」


「いや……おかしいだろ。地図が確かなら、村はまだ先のはずだ」


「そうなんだけどね。ごらんよ」


 カダフィーが指差したのは大きな古井戸だった。


「これは……」


「たぶん松子が投げ込まれた井戸だね」


「そんな馬鹿な。だってその井戸は、枯れ井戸のはずだろ」


 信じられないといった顔をするシグナムに、フレインが首を振る。


「おそらく、先日の嵐で雨水が貯まったのでしょう」


「それにね。底の方に、うっすらと見えるんだよ……松子らしき女の遺骸が」


 言葉を失ったシグナムは、さも気味悪げに井戸の水面(みなも)を見つめる。


「ねぇ」


 ルゥがジャンヌの背中を、ちょんちょんとつつく。


「ジャンヌ、いっぱい井戸の水のんでたよね。すっごく、ごくごく」


「……あっ」


 ジャンヌは真っ青になって口許に手をあてる。


「大丈夫。死にはしないさ」


 シグナムの無責任な励ましも、あまり意味はないようだ。


「最悪ですわ……」


 昨日から踏んだり蹴ったりな神官娘は、ひどくしょんぼりとしていた。


「おっ、アルフラちゃんが戻って来たぞ」



 赤みを帯びた陽光に照らされ、アルフラが街道の先から歩いてくる。その足どりは、とても軽やかなものだった。

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