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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
140/251

発情の夏



 たき火にまきがくべられ、ぱちぱちと火の粉がはぜる。そのすぐ脇には、枯れ枝が地面に刺され、裏返したかぼちゃパンツが引っ掛けられていた。

 ルゥとジャンヌ、そしてフレインの三人は、無言で揺らめく炎を眺める。するとやがて、松子を探しに行ったシグナムとカダフィーが戻ってきた。


「だめだ。とっくに影も形もなかった」


 ちらりとかぼちゃパンツに目をやったシグナムであったが、空気を読んだのかそれについて言及することはなかった。そのままルゥの隣に腰を下ろす。

 カダフィーは立ったまま、一同を見回す。


「どうする? とりあえず今夜はたき火の前で不寝番かい?」


「そうですね。やはり夜は危険そうです。とくにジャンヌさんは狙われているふしがある。こうして皆で固まっているのが無難でしょう」


 シグナムがジャンヌへ棘のある視線を向ける。


「情けねえな。拳一つで打ち倒すんじゃなかったのかよ?」


「それは……その……あまりに突然だったので、驚いてしまって……」


 ごにょごにょと言い繕う神官娘を、シグナムは鼻で笑う。


「それで結局、尻まる出しで逃げてきたってわけか」


「あ、あれはたまたま用をたしていた最中でしたので……」


 赤面した神官娘が、ぐっと拳を握りしめる。


「つぎにあの死霊と会ったなら、必ずこの拳で浄滅させてみせます。私はついに、究極の治癒魔法を習得したのですから」


「……そういやお前、昼間言ってたな。どんな物騒な魔法を覚えたんだ?」


 よくぞ聞いてくれました、とばかりにジャンヌは立ち上がる。そして誇らしげに、薄い胸をめいっぱい反らした。


「カダフィーからいただいた魔導書に記載されていたのです! 治癒魔法の最高位、快癒(キュア・クリティカル・ウーンズ)の魔法が!!」


致命傷(クリティカル・ウーンズ)の魔法、だと……!?」


「ええ、高位の治癒魔法を使用した時に発生する聖光は、命の理に反する不死者を浄化すると言われています。そのうえ、どんな傷であろうとたちどころに元通りですわ!!」


 シグナムは女吸血鬼に食ってかかる。


「てめぇ! なんてことしてくれんだっ。あたし達を殺すつもりか!?」


「失敬な! シグナムさまは、ダレス神の加護を疑われるのですか!?」


「いや、ダレスは関係ねぇし! お前を疑ってんだよ! まあ、ダレス神もたいがいだけどな」


「なんと不信心な。ああ、武神ダレスよ。あなたのお力を疑う不心得者を、どうかお許し下さい」


 ジャンヌは切々と武神に祈りを捧げる。彼女の都合のよい耳は、自分に都合の悪い部分だけをろ過したようだ。


「よろしいですわ。じきに行動で示してご覧に入れましょう。快癒の魔法さえあれば、どれほど強力な死霊であろうと恐るに足りません!」


「そうか……まぁ確かに、生きてる相手なら一瞬でおだぶつだろうな」


 二人の会話は一切かみ合っていない。

 はぁ、とカダフィーがため息をつく。


「やめときな。あんたの治癒魔法じゃ、死霊は逆に活性化しちまうよ」


「なにを失礼なっ!」


「いいかい。何度も言ってるけどね、ジャンヌ。あんたは致命的に治癒魔法は向いてない。性格が攻撃的すぎるんだよ」


 カダフィーは諭すように言い聞かせる。


「神官の扱う治癒魔法ってのはね、相手を癒してやろうっていう慈愛の心が不可欠なんだよ。神聖魔術は、もとをただせば地母神ダーナによりもたらされた技術だって話だろ。扱うにも女神さまのような慈愛と献身が必要なのさ」


「なら、わたしに扱えないはずはございませんわ」


 神官娘は、どこまでも自分というものが解っていなかった。自分探しの旅にでも出れば、間違いなく道に迷うだろう。自分迷子である。


「だから言ってるだろ。あんたは性格が攻撃的すぎるんだよ。こう、相手をやっつけてやろうって気持ちが前に出すぎてるのさ。だから治癒の効果が反転する」


 たとえば、とカダフィーはつづける。


「ロマリアの第二王女、フィオナ殿下はとても優秀な治癒魔法の使い手らしいじゃないか。母である女王エレクトラ以上にその才があるって評判だ」


「……聞いた覚えがございますわ」


 ジャンヌの表情は憎々しげだ。


「僭越にも、聖女カレン・ディーナ様の再来などと呼ばれている不届き者です」


 聖女カレン・ディーナ。地母神の娘という意味の名を冠せられた、大災厄期の偉人である。


「あんた、ロマリア人の前では絶対そんな口きくんじゃないよ。いくらアルストロメリア侯爵の娘でも、不敬罪で引っ立てられかねないからね」


 そっぽを向いた神官娘に、女吸血鬼はやれやれ、といった顔をする。


「……で、だ。そのフィオナ殿下はとても心清らかで、慈愛と献身に満ちた性格なんだとさ。聖女カレン・ディーナにたとえられるほどにね」


「だからなんだと言うのですか」


「フィオナ殿下が治癒魔法に秀でているのも、その性格に帰与(きよ)するところが大きいんだよ」


 ジャンヌはまるで、目の前にフィオナが居るかのように、カダフィーを睨みつける。


「まぁ、向き不向きの問題だね。フィオナ殿下は治癒魔法を扱うのに最適な人柄なのさ。そしてあんたは向いてない」


 話を聞くうちに、神官娘のくまの浮いた目は、険悪なまでに吊り上がっていた。

 カダフィーは、いまにも飛び掛かってきそうなジャンヌから身を引き、間合いを外す。


「だから素直に死霊魔術(ネクロマンシー)を学びなよ。それなら私も直接手ほどきしてやれる。あんたならきっと大成すると思うよ」


「お断りですわ!!」


 即答したジャンヌの神官服が、くいくいと引っ張られた。


「なんですのっ!?」


 荒ぶるジャンヌへ、涙目のルゥが一言。


「おまた、きもちわるい」


「……は?」


 瞬間、意味が分からず神官娘はぽかんとしてしまう。

 ルゥは情けない顔で、心地悪げに腰をくねくねさせていた。

 一戦始まりそうなほどに、ぎすぎすとしていた場の空気が弛緩する。


「おい、とりあえず――」


 シグナムがジャンヌへ話を振る。


「ルゥを井戸に連れて行って、股を洗ってやれよ」


 たき火の前に干されたかぼちゃパンツとルゥの様子から、シグナムは状況を察したらしい。


「な、なぜわたしが……」


 そう言いつつも、しょうがありませんねっ、とジャンヌは愚痴る。怒れる神官娘も、泣く子には勝てないようだ。

 ジャンヌはカンテラを手に取り、そのままルゥを連れて井戸のある方へと歩いていった。その姿が完全に見えなくなってから、シグナムがひとりごちる。


「なにげに面倒見のいい奴だな……」


「その方向を伸ばしていけば、まともな治癒魔法も使えるかもしれないねぇ」


 応じたカダフィーを横目に見つつ、シグナムが長剣片手に立ち上がる。


「さて、と……」


「あんたも、なかなかいい性格をしてるよ」


 女吸血鬼は、ジャンヌを井戸に向かわせたシグナムの意図を、正確に理解しているようだ。


「陽動は兵法の基本さ」


 シグナムは、にっ笑う。

 松子に目をつけられているジャンヌを(おとり)にして、神出鬼没な死霊の森の主を、呼び寄せようと考えたのだ。


「どれほど役に立てるかは分かりませんが、援護しましょう」


 シグナムにつづき、フレインがたき火の前で立ち上がる。しかし、それまでどこに居たのか――


「あたしが行く」


 ひんやりとした気配をまとった少女が、霧の中から現れた。


「アルフラちゃん……?」


「だいぶ慣れてきたの。松子ってやつがどこにいるか、なんとなく分かるようになってきた」


「そうか、じゃあ――」


 一緒に、と言いかけたシグナムへ、アルフラはかぶりを振る。


「ひとりでへいき。シグナムさんたちはここで待ってて」


「いや、さすがに危険だ」


「いいじゃないかい。嬢ちゃんに任せときなよ」


 カダフィーが、皮肉げな笑みを浮かべてアルフラを見やる。

 明石を殺された意趣返しに、面倒事をすべて押し付けてやろうと考えたのだ。


「ぞろぞろ雁首(がんくび)揃えていけば、松子は警戒して出て来ないよ。かなり用心深いやつみたいだからね」


 その(げん)にはシグナムも納得する。なんとはなしに、カダフィーの悪意は感じ取れたが、数瞬黙考し、今のアルフラならば心配は不要だと判断した。


「じゃあ、あたし達はここで待機しとくよ。でも、何かまずい事態になったと感じたら、すぐに駆けつけるからね」


「だいじょうぶ」


 ジャンヌたちが向かった方へと歩き出したアルフラの背に、シグナムが念を押す。


「くれぐれも、ジャンヌの致死魔法には巻き込まれないようにね!」


「あんたが心配してたのはそっちかいっ」



 柄にもなく、思わずつっこんでしまったカダフィーだった。





 静謐(せいひつ)さを(たた)えた水面に、ざぱりと桶が沈められた。

 ジャンヌは井戸水を汲み、ひたした布をきつく絞る。その(かたわ)らでは、ルゥがいそいそと衣服を脱いでいた。


「……なぜ、全裸になるのですか」


「えへへ」


 ルゥは、早く拭いてとばかりに、くいっと腰をつき出す。


「もう……ひとりでは出来ないのですか?」


「うんっ」


 犬科の動物の常として、狼少女は世話をやかれたり、かまってもらうのが大好きだ。羞恥心もなく柔肌をさらし、嬉しそうにしている。


「まったく、手間がかかりますわね……」


 神官娘も文句は言いつつ、まんざらでもない様子だ。ルゥの股間に布をあて、ぴっちりと閉じたそこを、ごしごしとこする。


「あ、いたっ、いたいよジャンヌ!」


 すこし拭く力が強すぎたらしい。ルゥは身をよじらせて腰をひく。


「このくらいですか?」


 やわやわとこすってやると、今度はきゃっきゃと嬌声が響く。


「く、くすぐったい、くすぐったいよ。く……ふふ……」


 ジャンヌがあばれるルゥを押さえつけ、事を終えるころには――狼少女はひーひーと大笑いしていた。


「ふぅ……」


 思わぬ重労働をしいられたジャンヌが、大きく息をついた。そして、手づから井戸の水を一掬(ひとすく)いし、口へ運ぶ。


「あら……」


 こくりと喉を鳴らしたジャンヌは、意外そうに眉をはねさせた。思いのほか、井戸水が美味しかったのだ。

 もう一口、手杓(てびしゃく)で喉を潤し、さらに両手で水を掬い、ごくごくと飲み干す。

 それはとても清涼ながらも、不思議な甘味(あまみ)のする井戸水であった。

 神官娘が夢中で水を飲んでいると、


「ね、ねぇ……ジャンヌ……」


 かすかに震えを帯びた声で、ルゥが呼びかけた。


「だ、だめ……その井戸……」


「え……?」


 背後のルゥを振り返った瞬間、井戸水を掬った両手に違和感を覚えた。

 何か、濡れた長い繊維が絡まるような不快感に、ジャンヌはゆっくりと首を巡らせる。

 目に映ったのは、手に巻きついた髪の毛のような――いや、ぬらりと艶めく髪そのものだった。

 それはジャンヌの両手から、井戸へと繋がっている。

 息を飲み、無意識のうちに呼吸を止めた神官娘は、恐る恐る濡れ髪の根本へ視線を移す。


「――ッ!」


 水面は、黒く染まっていた。

 大きな井戸を埋め尽くす、髪、髪、髪。

 水の中で藻のように揺らめくその黒髪の、中央だけが酷く白い。


 白い、女の顔。

 骨の白さだ。

 所々にこびりついた皮膚もまた、(ただ)れた白。

 眼球の白は、浮き出た毛細血管で、赤くまだらだった。


 その瞳は、ジャンヌだけを、じっと見つめていた。

 飢えが感じられる。

 ジャンヌは分かったような気がした。アルフラと相対(あいたい)したときの、魔族の気持ちが。


 出かかった悲鳴を、すんでの所で飲み込む。

 すぐ後ろで、高まる魔力の気配を感じた。


「ルゥ! 吠えるのはやめて下さい! 気が抜けてしまいます!!」


 ジャンヌは一歩後ずさり、その女――松子から距離をとる。

 井戸の(ふち)に、白くふやけた指がかかった。爪があるべき箇所だけ、赤黒く変色している。なにかを掻きむしって爪が剥がれたかのように、指先の肉がうじゃじゃけていた。

 水面から、松子の上体が持ち上がった。

 濡れた髪が張りつき、黒い輪郭を形作る。

 松子はのたうつようないびつな動きで、井戸から這い出ようとしていた。


「あるべき場所へ……死神ディースの御許(みもと)へ送ってさしあげますわ」


 ジャンヌは右手にダレス神の聖印を、左手にカミルから貰った護符を握りしめる。そして天を仰ぎ高々と両腕を掲げた。


「ああ、我は願う」


 その唇から紡がれた言葉は、聖願(せいがん)と呼ばれる、高い徳を積んだ神官のみに許される聖句だった。


「偉大なる法の守護者、神々の王レギウスよ。汝が敬謙なる信徒たることを、我は誓いし者なり」


 神に呼びかけるその声は、命の理から外れた眼前の神敵を、打倒しようという意思に溢れていた。


「どうか聞き届けたまえ」


 聖願を終えたジャンヌは、朗々と快癒の呪文を詠じ始める。


「光溢れる神威を持ちて、傷つき倒れし者に聖なる癒しを」


 掲げた両手に、濁った光が宿る。ジャンヌは一瞬その表情を歪めたが、一息に最後まで唱えきる。


清廉(せいれん)(たえ)やかなる奇跡の御業を、いま此処に示したまえ」


 手を伸ばせば、触れられる距離にまで迫った松子へ、両腕を振り下ろす。


「照らせ、我が神の威光を。――快癒(キュア・クリティカル・ウーンズ)!」


 あたりを覆う霧よりもなお、深く濃い濁光が弾けた。

 周囲で旋風が吹き荒れ、激しく神官服がなびく。風に煽られ、はためく金髪を押さえて、ジャンヌは目を細める。


 松子は、恍惚とした顔をしていた。


 腐敗して垂れ下がった(まぶた)を、うっとりと瞬かせる。そして、茫然とする神官娘へ、腕を伸ばす。

 腐臭を放つ指先が、なんの抵抗も感じさせず、ジャンヌの胸に沈み込む。


「う……あぁ、ぁ……」


 大きく見開かれた碧眼は、かすかな恐怖と驚愕をにじませていた。

 なにかを探すかのように、ジャンヌの中で死霊の手が蠢く。

 体内を掻き回される異様な感覚から、神官娘は必死に逃れようとした。しかし、金縛りにでもあったかのごとく指一本動かない。

 鼓膜を通すことなく、ジャンヌの頭蓋に声が響いた。


 それは、悲鳴。

 それは、怨嗟。

 それは、呪詛。


 松子のみならず、彼女の犠牲となった亡者たちが発する、苦悶の叫びだった。

 声だけではなく、思いまでもが流れて込んで来る。その中で最も強く、鮮烈なのは松子の感情だった。


 死への恐怖。


 暗く冷たい井戸の底で、三日三晩ものあいだ悶え苦しんだ、松子の恐怖。

 寒さに震え、盛られた毒に皮膚を焼かれ、岩肌を掻きむしる。

 爪は剥がれ落ち、ごつごつした壁に指の肉がこそげ取られる。それでも苦痛に堪えきれず、ひたすらに助けを求め、壁を掻く。

 なのに頭上からは岩が投げ込まれ、さらなる激痛がもたらされる。

 あまつさえ、煮えた湯が浴びせられ、嘲りの言葉が降り注ぐ。


 どれほど哀願しようと、助けは訪れない。そして死がやってくる。――絶望、絶望、恐怖、絶望……。


 そんな松子の死に際を、ジャンヌは追体験させられていた。ありとあらゆる数多(あまた)の恐怖が、無理矢理に心を侵し、埋め尽くしていく。

 恐慌に(おちい)った神官娘を、松子は観察する。

 目を見開き、大きく口を開けて痙攣する顔を見て、悦に入る。

 恐怖によって、味を引き立たせるジャンヌの魂魄に、松子は歓喜していた。その目はまるで、肉の下ごしらえをする調理人のよう。


 もっと、もっと。その心を恐怖で染め上げ、最高の味を堪能するために、松子はありったけの憎悪を流し込んだ。

 胸をまさぐる手が、ジャンヌの心臓に届き、やんわりと絞り上げる。


「ひ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――」


 抑揚(よくよう)の激しい異音を喉から発するジャンヌの体を、ルゥが後ろから抱きかかえる。


「はなせ! ジャンヌをはなせっ!!」


 松子の腕を払おうとするが、


「わうぅ――!?」


 逆にジャンヌの体を透過した手が、ルゥを捕らえた。――しかし、それもつかの間。松子は蜘蛛を思わせる動きで地面を這い、後方にさがる。

 血走った眼球が見つめる先には、抜き身の細剣を手にした少女。冷気とともに歩みつつも腕はだらりと垂らされ、細剣の切っ先が地を削っている。

 膝を着いたジャンヌを、両手で抱いたルゥが叫ぶ。


「アルフラ!!」


 その声が響くと同時に、松子の体が朧げとなる。そして霧の中へ実体を溶け込ませるように、姿を消してしまった。

 アルフラは余裕を持ってあとを追う。


「待って! ジャンヌが――」


 しかし、アルフラは二人には目もくれず、霧の中へと駆け入ってしまった。


「だ、いじょ……うぶ……。わたしなら、心配……いりません……」


 荒い息の中で、ジャンヌが切れ切れにつぶやいた。その体に回されたルゥの腕に、激しく脈打つ鼓動が伝わる。


「へ、へいきなの、ジャンヌ!? あいつの手が胸にはいったのに――」


「ルゥ……」


 大きく外気を吸い込み、呼吸を整えた神官娘は、脱ぎ散らかされた衣服を指差す。


「とりあえず、服を……。ひとりで出来ますか?」


「うんっ」



 どうやら本当に大丈夫そうだと感じ、ルゥの口許に、安堵の笑みが広がった。





 二人がたき火のそばまで戻ると、火の前に座ったシグナムから声がかかった。


「ご苦労さん。どうだ、松子は退治できたか?」


 青ざめた顔のジャンヌは、珍しく気落ちした様子だ。それを見て、シグナムは答えを待たずに質問をつづける。


「アルフラちゃんはどうした?」


「……あいつを追いかけてった」


 すこし怒ったように、ルゥは言う。


「アルフラったら、はくじょうなんだよ!」


「いろいろと事情があるのでしょう。アルフラさんにも」


 穏やかに返したフレインに、ルゥはむっとした顔を向ける。


「いろいろってなにさっ!?」


「ルゥ、ちから及ばず、死霊などの術中に嵌まった、わたしが不甲斐なかっただけです。アルフラを責めてはいけません」


 初めて聞くジャンヌの殊勝な台詞に、いよいよこれは重症だぞ、とシグナムは驚いていた。そしてからかうような表情を改め、いたわりの言葉をかける。


「だいぶ疲れてるみたいだな。もう天幕に戻ってゆっくり休みな。あとはアルフラちゃんに任せとけ。きっと起きる頃には、この霧も晴れてるさ」


「そうですね。簡易天幕には結界の呪印も施してありますので、雑霊程度でしたら寄りつかないでしょう。安心してお休み下さい」


「でも、あの松子ってやつ……あいつ、ジャンヌばっかりおそってくるんだよ」


 フレインは、深い霧の奥をうかがい見る。


「松子も今頃は、それどころではないでしょう」


 アルフラは、松子の気配が感じられるようになったと言っていた。

 松子の封土たるこの死霊の森も、いまやアルフラの狩場と化している。


「……ルゥ、行きましょう」



 静かにルゥの手を引き、ジャンヌはシグナムたちに背を向けた。





 狭い天幕の中で、横座りしたジャンヌは終始うつむいていた。

 背中合わせに膝を抱えたルゥは、時折体を震わせる神官娘に、かける言葉もない。

 挫折感ただよわせるジャンヌを、なんとか元気づけたい――とは思うのだが、それを可能にする気の利いた口を、ルゥは持ち合わせていなかった。


 やがて、途切れ途切れに押し殺した嗚咽がもれはじめる。

 いたたまれなくなったルゥは、先日の駐屯地でのお返しとばかり、


「ねぇ、ジャンヌ……」


 その時のジャンヌの言葉を、そのまま口にしてみる。


「泣いて、いるの……?」


 うつむいたジャンヌに顔よせ、下からそうっとのぞき込む。


「な、泣いてなどいませんわっ!」


 さらさらの美しい髪をなびかせ、ジャンヌはぷいと横を向く。

 瞬間――ルゥは見てしまった。


「――――!!」


 ジャンヌの(まなじり)から、透明な体液がこぼれ落ちる。

 その、青みがかった目許はどこか妖艶で――雫となった涙は、普段気の強い神官娘に、()えかな(はかな)さを加味していた。


 ルゥは、自分の中の遠いどこかで、なにかが撃ち抜かれるような音を聞いた。


 狼少女の目は、ほっそりとした白い首筋にくぎ付けとなる。金色のおくれ毛が垂れかかったうなじは、艶やかに紅潮していた。

 わずかに開いた襟元(えりもと)からは、薄く肋の浮いた、なめらかな胸の曲線がのぞいている。



 なんかジャンヌが(えろ)っぽい……



 貞淑な印象を人に与える神官服から、すらりとのぞくシミひとつない素足もまた、妙になまめかしい。

 下腹部が、じんっと痺れるような衝撃を、ルゥは覚える。


「じゃ、じゃじゃ、ジャンヌっ!!」


 神官娘の細い両肩を、がっしりと掴む。


「いたっ……な、なにをするのですか、ルゥ!?」


 ワシ掴みにされた肩の痛みに、抗議の声があがった。


「いたいですわッ!!」


 しかし、その少女らしい甲高い声と、ちいさな手にもすっぽりと収まる肩の華奢さが、狼少女の嗜虐心を煽る。


「ルゥ……?」


 爛々と光る、ルゥの目を見て、ジャンヌはびくりと身をすくめる。狼少女は、野生に返ったかのような獰猛な雰囲気を(かも)していた。


「ど、どうしたのですか、ルゥ?」


「あ、あのねっ、ボクねっ……」


 ぐびりっ、とルゥの喉から固唾(かたず)を呑む音が響く。狼少女は現在、自分でもよく分からない衝動に駆られていた。


「ジャンヌの泣き顔みたら、なんだかどきどきしてきちゃった……」


 はぁはぁとその息は荒い。

 ジャンヌは身をよじって、ルゥの手から逃れようとする。

 しかし、そんな神官娘の抵抗すらも、狩人の血を掻き立てているようだ。

 はっ、とジャンヌは気づく。

 満月期のルゥは、普段よりもすこし興奮しやすく、振るまいも粗暴となる。筋力や感覚器なども強化されるので、非常に厄介だ。そして、以前にルゥから唇を奪われたのも、満月の日だった。

 さあっと血の気が引き、極度の緊張から、全身が汗ばむのをジャンヌは自覚した。


「お、落ち着きなさい」


 常時ならばあまり意識しないジャンヌの体臭が、いまのルゥにはとても(かぐわ)しく思えた。汗の匂いが甘やかに鼻孔を刺激する。


「ボク、もっとジャンヌが泣いてるとこ、見たいな……」


 男はみな狼、という慣用句がある。しかし今のルゥは、より狼だった。むしろもとから狼でもある。


 ルゥ、初めての発情期だった。


 狭い天幕内に逃げ場はなく、神官娘はじたばたと手足を暴れさる。そしてそれが、さらに狼を興奮させた。


「ひいぃぃ!?」



 その後ジャンヌは、ルゥから思うさま、きゃおんきゃおんされた。





 狼少女はちょっぴりおとなになった。

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