傭兵団と女戦士
しばらく街道を歩いて行くと、徐々に道幅が広がり、両脇には伐採された木々が目立つようになっていた。
「見えて来ただろ。あれだ」
アルフラは、シグナムの指差す方へ視線を向ける。遠目に大小様々な天幕の群れが見えて来た。
「ここは砦に移動する部隊の野営地に使われてるんだ。あたしは初めてだけど、砦まではゆっくり歩いて二日ってとこらしいね」
「すごい……」
かなり広い平原に、少なく見積もっても四十前後の天幕が建ち並んでいる。そこかしこで大きな鍋に火をかけ、炊き出しが行われていた。
「奥の方に炭焼き小屋が三つ建ってる。今日のところはその内のひとつに、あたしと一緒に泊まっていきなよ」
「はい、ありがとうございます!」
「なんなら俺達の天幕に泊めてやってもいいんだぜ!」
すかさず男たちから野次が飛び、目許を吊り上げたシグナムに睨まれる。
――こりない人たち……
「で、アルフラちゃんはなんで砦に行って戦おうなんて思ったんだい?」
当然問われるであろうその疑問に、アルフラは道々考えていた返答をよどみなく口にした。
「あたし、その砦が建つまえにあった村に住んでたんです。でもオークが攻めてきて、みんな殺されちゃいました」
それまで、魔族と戦いたい、と言うアルフラに対し、からかい半分に面白がっていた男たちも、やや真顔となる。
「あぁ……なるほどね」
うなずいたシグナムの表情は、硬いものだった。
「四年前くらいの、あの時のやつか。親もその時に?」
「はい、みんな死んだと聞かされました。あたしもオークに槍で刺されて、死にかけました」
シグナムは淡々と語るアルフラの顔に、強い憎しみと微かな悲しみを見た。
そんな目に会えば、むしろ戦いから遠ざかりたいと考えるものだろうに。気の強い娘だと思う。
四年間、戦うための訓練をしたと言う少女は、今まで復讐や仇討ちを考えて過ごしてきたのだろうか?
しかしアルフラはまだ幼い。戦いに出ても死ぬだけだ。そうシグナムは判断していた。
「気持ちはわかんなくもないよ。でもさ、心配する人とか、居るだろ?」
「……いません。もういません。だから、戦って強くなりたいんです」
急に悲しげに表情をこわばらせるアルフラ。
なにか訳ありなのだと感じたシグナムであったが、砦へ連れて行くつもりは毛頭ない。
「あんまり詮索はしたくないけどさぁ。帰る場所とかないのかい?」
「ないです」
いい切るアルフラに閉口してしまう。
砦へ連れて行く気もないが、行くあてのない子供をほっ放り出すのも危険だ。
戦いが近い今、街道は兵士の行き来が絶えない。一人にすれば先程のように、兵隊共に襲われるのは目に見えている。
シグナムは頭を抱えたくなった。
「あー、どうすっかねぇ」
野営地に入ったアルフラは、非常に居心地の悪い思いをしていた。奥まった場所にある小屋へ向かう間、柄の悪い兵士たちの視線にさらされ続けたのだ。シグナムの横を歩いているからか、野次などは飛んで来なかった。だが、無遠慮で物珍し気な視線がとても痛い。
小屋の前の開けた場所で、アルフラはカシムという男と試合をすることになった。
襲われた際に、アルフラの外套を掴んだ男だ。
集まった野次馬たちにシグナムが声をかける。
「おい、誰かこの娘に木剣とメット貸してやれ。あ、盾は使うか?」
「いらないです」
一人の兵士がアルフラに木剣を渡した。
「ねぇさん、メットは無理だろ。そんなちっこい頭じゃあ、ぶかぶかで意味がねぇ」
「なら皮のやつ持って来い。ヘッドギアがあるだろ。あれの上から被ればちょうどいいはずだ」
しばらく待ち、アルフラに渡されたのは、所々擦り切れて汗くさいヘッドギアと、サレットと呼ばれる鉄兜だった。
「これ、いらないです」
サレットは返し、ヘッドギアを手に取る。
格子状の面当てが付いた物だったので、視界が悪くなると判断したのだ。
「おいおいカシム。舐められてるぞ」
「怪我させんなよー」
などと野次が飛び、周りが騒がしくなる。
百人近く集まった荒くれ共に囲まれ、アルフラは少し緊張していた。
「アルフラちゃん。この程度でびくびくしてるようじゃ、戦争やろうなんて無理だよ。止めといた方がいいんじゃないか?」
シグナムに緊張を見透かされてしまい、アルフラは思わず身体をこわばらせる。
緊張をほぐすため、大きく息を吸い、止め、吐く。それを数度繰り返す。
アイキを習った時に、高城から教えられた呼吸法だ。
大丈夫、身体は動く。と確認する。
アルフラはブーツを脱ぎ、素足で雪の上に立った。
いい足してるな嬢ちゃん、的な野次は聞き流す。
木剣を構えて対峙した相手を見上げる。
「おう、もういいのか?」
アルフラの用意を待っていたらしいカシムは、まだ構えてもいない。
あたしをただの子供だと侮っている。そうアルフラには感じられた。
怒りが湧き上がってくる。
みずからよりもだいぶ上背のあるカシムを睨みつけ、アルフラは高城との修練を思い出す。
――だいじょぶ。こいつは弱い
少なくとも、魔族であるフェルマーよりは。
手にしているのは木剣だが、やることは同じだ。
冷たい雪を踏み締め、足場を確かめる。
やや上体を倒し、低く構え直した。
「もう始めていいの?」
「カシム、構えろ。なるべく怪我はさせるなよ」
シグナムの言葉で、ようやくカシムも構えを取る。
「よし。いいぞ、やれ」
静かに告げられた声と同時に、アルフラは上体を前へと倒した。しゃがみ込むように体をたわめ、一気に飛び出す。
カシムとの間合いは、一足飛びで無となった。
這う様な低い姿勢から、片手を地に付き横薙ぎに木剣を振るう。狙いは足。小さいことの利点を活かす。
「なっ――!」
その踏み込みの速さに、カシムは驚愕の声を上げた。あまりの俊敏さに対応が追いつかない。
前に出していた左足を払われ、後ろへと倒れ込む。
ブーツの上からの打撃なので痛みはさほどでもない。
カシムは倒れながらも構えた木剣を振り下ろした。
アルフラは片膝を地に付き、足を払った木剣を素早く切り返した。振り下ろされた木剣を、身体を開きながら受る。間髪置かず剣先を下げ、そのまま横へと流す。
同時に尻餅をついたカシムの腹を踏みつけ、立ち上がりざま木剣を握る右腕を打った。
「いってぇっ!」
得物を取り落としたカシムから、呻き声が上がった。身をよじらせ、なんとか逃れようとする。だが、いくらアルフラの身体が小さいと言っても、上から腹を踏み付けられていては逃れようがない。
「ふん、あたしの外套ひっぱったお返しよっ」
一瞬の決着に周囲がどよめく。主にカシムに対する罵声だ。
「なに子供に負けてやがんだよ!」
「お前それでも男かカシム!?」
「もうお前にゃ背中は任せられねぇ!」
もっともな意見ではあるが、兵士としてはかなり致命的な野次も飛んでいた。
「お前が負けてどうすんだよっ!」
シグナムからも怒声が浴びせられる。
「すまねぇ。でもよ、見ただろあの踏み込み。うだうだ言うんだったらお前等やってみろよっ!」
若干、逆切れ気味のカシムが立ち上がり、アルフラを睨みつける。
なにか言いたげにしていたが、捨て台詞を吐き小物感を際立たせる、などといったことはせず、そのまま無言で背を向けた。
「これで、砦まで連れて行ってくれるんですよねっ?」
苦い顔をしたシグナムが、ごまかすように横を向いた。
「いや、まぁ考えるとは言ったけど、連れてくとは……」
「そんな!?」
「だから、考えてはやるよ。とりあえず、飯でも食いながら話そうぜ」
シグナムはアルフラが勝った時のことを、まったく考えていなかった。
油断もあったのだろう。しかしカシムが弱いわけでもない。何度も鉄火場に立ち、戦争で飯を食ってきた兵士なのだ。それがアルフラのような子供に負けるなど、予想出来るはずがない。
シグナムは、アルフラが勝った時の保険で「考える」と言ったのではなく、始めから砦へ連れて行く気がなかったから「連れて行く」とは言わなかっただけなのだ。
そんな経緯もあり、シグナムはかなりばつの悪そうな顔をしていた。
小屋で出された食事は、豆のスープと干し肉を茹でて戻しただけの質素なものだった。味はひどいが量だけは多い。
「アルフラちゃんは、ちゃんとした剣術を教わったのかい? 足を払った後の捌き方とか手慣れたもんだったよな?」
「よくわかんないけど、すっごく強い人から教わりました」
「ふ~ん。でもさ、強けりゃ戦えるってもんでもないんだぜ」
じいとのぞき込んでくる闇色の瞳を、アルフラは無言で見返す。
「試合と戦争は全然違う。戦うって言や聞こえはいいが、ようは殺し合いだ」
厳しい眼差しのシグナムを、アルフラは負けるものかと睨み返す。
「さっきまで隣で戦ってた奴が、内臓撒き散らしてのたうちまわってる横で、敵を同じ目に合わせるような職場なんだよ。アルフラちゃんに出来るのか?」
「できます!」
「じゃあ自分がそうなるとこを想像してみなよ。痛いどころじゃないよ?」
「あたし、オークに槍で刺されました。お腹に穂先が入って来て……すごく苦しくて、吐き気がして、死ぬほど痛かったです」
逸らされることのない鳶色の瞳に、シグナムは深く嘆息する。
「……まいったな」
木卓に肘を付き、片手で顔をおおったシグナムが考え込む。
「いや、まぁあたしも死ぬ覚悟なんてないし、ほんとに危なきゃとっとと逃げるけどね」
「あたしは逃げません!」
「いや、逃げなよ。そういう時は普通にケツまくるもんなんだよ。正規兵でもないんだしさ」
「……え?」
「あ?」
「正規兵じゃないって……じゃあなんなんですか?」
「傭兵だよ? なんだと思ってたんだい?」
くりくりとした瞳をまたたかせて、アルフラはようへい? とつぶやく。そしてぽむっと手を叩く。
「あ……あー。雇われて戦ってる人たちですよね」
「そうだよ。じゃなきゃ女のあたしが兵隊なんて、やれる訳ないだろ」
「そうなんですか?」
「正規兵に女なんかいないし騎士団にもいないよ。女の騎士はいるけど戦場には出ない。ありゃ形だけだ」
「なんか……不公平ですね」
「まぁそんなもんだ。……今回の戦いはね、撤退戦になるはずだ」
「てったいせん……? そうなんですか?」
「ああ。実際オーク共の進攻を、国境沿いの砦で食い止められたことはないらしい。奴等は数が多いからね」
シグナムがとんっとんっ、と木卓を指で叩く。
「まずは砦で猪共の数を減らす。こっちの被害がでかくならない適当なところで撤退だ」
すーっと木卓の上の指を横に引く。
「追って来て戦線の伸びたオーク共を、騎士団と合流して一気にたいらげる」
横に引かれた指を逆に戻した。
「奴等は勇猛だけど、頭が悪い。まとまりがないんだ。――こっちが撤退すれば追ってくる奴、略奪に走る奴、さらに略奪先を探して分散する奴。少数に分かれちまうんだ」
「へぇー、すごいですね」
あいづちを打ちながら、アルフラはしきりとうなずく。もちろん、あまり理解は出来ていない。
「毎回その繰り返しらしい。まぁオーク共の頭の中身なんざ、見た目通り獣並だ。食料を略奪するのが目的らしいしね。そんなもんだろ」
「え~と。じゃあ、あたし連れてってもらえるんですか?」
アルフラの期待に満ちた眼差しを受け、シグナムは苦笑した。
「ああ。ま、しょうがないよな。街道も物騒になるからね。アルフラちゃん一人で帰れ、ってのも無茶だろ? うちで面倒見てやるよ」
「よろしくお願いしますっ!」
ぺこりっ、と頭を下げたアルフラに対し、シグナムが大きな拳を突き出した。
「よろしくな。疲れてんだろ? 細かいことは明日にして、今日は寝ちまいな」
出された拳をどうすれば良いのか分からず、アルフラはとりあえず両手で掴んでみる。
シグナムはちょと変な顔をしたが、すぐ可笑しそうに笑いだした。
その夜、毛皮の張られた防寒着にくるまり、床へとついたアルフラは、なかなか寝付けないでいた。
腹が膨れ、身体も温まり、疲労感もあるので、かなり眠気が来てはいる。だが、妙に神経が冴えて眠れない。
ここ数日の急激な環境の変化で、少し興奮状態のようだ。
干し肉を肴に、酒らしき物を飲んでいるシグナムと、しばらく話をした。
内容は主に、傭兵団についてだった。
シグナムは四百名ほどからなる傭兵団の副長であり、団長は現在砦にいるらしい。
小隊を連れて馬を走らせ、二日ほど前には砦へ入っているそうだ。
本隊は大量の補給物資を、街から砦へと運ぶ役割も担っていた。
砦からの伝令兵によりもたらされた報告では、依然として砦周辺で、オークたちの姿は確認されていないとのことだった。
やがて夜も更け、シグナムは皮鎧を脱いで就寝の仕度を始める。
筋骨隆々というわけではないが、引き締まった筋肉はしなやかで実用的なものだ。
手足は長く、背は白蓮より少し高いくらいである。
そして……
――な……に、これ?
アルフラは、愕然としていた。
長い間、雪原の古城で暮らし、一応は一般常識などの教養も学んだ。しかしなにぶん、人と接する機会がなかったので、自分の知識に偏りがあるということは自覚している。
だが、目の前で繰り広げられる驚くべき光景――それはアルフラが、これまでに想像したことすらない、あまりにも理解の範疇から逸脱したものだった。
――胸って……ゆれるの!?
そんなことが有り得るのだろうか?
しかし確かに揺れている。
シグナムが動く度に、ゆっさ、ゆっさ、と。
「……すごく……おっきいです……」
「ん? あぁ、なんだ? アルフラちゃんは、まだおっぱいが恋しい年頃なのか?」
こぼれんばかりに目を見開いたアルフラへ、シグナムが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「い、いえ。でも……ゆれて、ますよ?」
「そりゃ揺れるだろ」
――そうなの!? そういうものなの、白蓮??
おそらく、この場に白蓮がいたとしても、揺らした経験のない彼女には、その問いに答えることは出来なかっただろう。
「ど、どうやったら、そんなことになるんですか?」
「どうやったらって……普通に食って寝てりゃあ、アルフラちゃんもすぐでかくなるよ」
――ウソだっ!!
白蓮やフェルマーから、すぐに膨らんでくると言われつづけてすでに四年。そんなアルフラにとって、シグナムの言葉が信じられるはずもない。
「シグナムさんは、いつくらいから大きくなったんですか?」
「んー、いつだっけ。アルフラちゃんくらいの歳の頃には、今とあんまり変わらなかったと思うけど……」
「――え゛!?」
切実である。もしかすると、今後自分の胸が今と変わらないまま成長してしまう可能性がある。そう示唆されたも同然なのだ。
シグナム山脈と自分の平原とを見比べてしまう。
――なだらかだ……
それはまさに、不毛の台地。丘陵地帯ですらない。
――あたしはずっと、このままなの?
「まぁ、胸なんてどれだけでかかろうが、なんの役にも立ちゃしないよ」
それは、以前に白蓮から聞いたのと、まったく同じ言葉だった。
――やっぱり、白蓮の言っていたことは本当だったんだ