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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
138/251

死霊の森



 広場に折り重なる遺骸に火をかけたのち、一行は北東へと馬車を走らせた。

 背後には、もうもうと立ち上がる鎮魂の黒煙。一刻も早くその場から離れようと、御者台に座ったシグナムは馬を急がせる。


 日も昇りきり、正午も近くなった頃合い――充分に距離を稼げたと判断したシグナムは、休みなく駆けさせた馬をようやく止める。そして休憩がてらに、やや遅めの朝食を摂ることにした。


 街道脇は雑木林になっており、少し開けた場所で、めいめいが質素な保存食をかじる。

 食事中も口を開く者はなく、沈黙だけが、重苦しく辺りにたれ込める。

 だが、ジャンヌだけはどこ吹く風、といった様子だ。食事もそこそこ、太い樹木の根本に座り、分厚い魔導書を読みふけっている。その本が、ぱたりと閉じられた。


「……ついに、わたしは習得いたしましたわ」


 むっつりとした顔のシグナムが、ちらりと神官娘へ目をやる。


「いまはお前の漫談を聞く気分じゃない。すこし静かにしてろ」


「駐屯地でのことを、気になされているのですか?」


 答えは返されなかったが、ジャンヌは構わず喋りつづける。


「たしかに、駐屯兵を皆殺しというのはやりすぎかとは思いますが、彼らはしょせん異教徒です。神々により与えられた恩恵を享受しながら、竜族などを(あが)める忘恩の(やから)など、いくら死のうと気に病むことはありませんわ」


 現在のロマリアが、農耕大国として栄えるに至ったのは、かつて地母神ダーナよりもたらされた、良質な作物の苗によるものだと神話に語られている。しかし、四千数百年もの昔に、すべての神々の母、女神ダーナは災厄の(あるじ)に滅ぼされてしまった。大災厄と呼ばれる大戦の結末である。そしていまでは、地母神信仰もすたれ、各地にその痕跡がわずかに残るばかりだ。それどころか、かつて古代人種に(くみ)して神々と戦った竜族を、ロマリア人たちは崇めている。

 レギウス教徒のジャンヌからしてみれば、ロマリア人はみな、恩を仇で返した赦されざる者たちだった。これはジャンヌだけではなく、神殿要職者たちの総意でもある。


「じゃあお前は――」


 不快さに満ちたシグナムの瞳が、正面からジャンヌを睨みつける。


「あれだけ殺しても、異教徒なら問題ないってのか」


「当然ですわ」


 なんの疑問も(いだ)かず、即答してみせた神官娘に、顔をしかめたシグナムが毒づく。


「……狂信者が」


 とうの狂信者は、気にした様子もなく、黙々と堅い干し肉を噛むアルフラへ声をかける。


「さすがに、改宗の機会を与えずに殺してしまうのもどうかとは思いますが……アルフラは決して、悪いことをしたわけではございませんわ」


「……ん」


 やや論点はずれているものの、唯一、みずからの行いに対して肯定の言葉を口にしたジャンヌへ、ほんのわずかにアルフラは表情をほころばせる。


「少し、よろしいですか?」


 フレインが、地図を片手にシグナムへと話しかける。


「どうやら予定の行程を外れて、やや東の方へ逸れてしまっているようなのですが……」


「いや、そんなはずないだろ。あたしは分かれ道のたびに左へ……」


 シグナムは、地図を持つフレインの手元をのぞき込む。


「……おかしいな」


 フレインの指し示す現在地が正しければ、一行は森へとつづく脇道へ入り込んでいることになる。


「実際、辺りには木々が繁っていますし、間違いはないかと……」


「そんなはずはないんだが……」


 地図に視線を落とし、困惑を見せるシグナムであったが、深くは悩まず顔を上げる。


「まあ、森を迂回するよりは突っ切っちまった方が早いだろ」


「いえ、それが……この辺りは悪霊の森と呼ばれていて、旅人も避けて通るような難所らしいのですよ」


「悪霊の森って……」


「その名の通り、たちの悪い死霊が徘徊する地だと聞き及んでいます」


「……」


 眉根を寄せたシグナムが、荷馬車の方をうかがい見る。


「こっちには吸血鬼もいるし、問題ないんじゃないか?」


「……だとよいのですが、死霊というのはなかなか厄介ですよ。魔力探知の術でも所在が掴みづらく、とても神出鬼没ですし……」


「いつ襲われるか分からないってことか?」


「はい。なみの死霊であれば、アルフラさんやカダフィーもいますし、たいした危険もないとは思いますが……こういった人の近づかないような場所には、神霊に近い力をもった邪霊が巣くっていることもあるそうです」


 重々しく語るフレインの声音に、シグナムもすこし不安を感じたようだ。


「なんか……ちょっとやばそうだな」


「引き返した方が無難かもしれません」


「……それはそれでまずくないか? 駐屯地から上がった火の手を見て、カモロアから部隊が派遣されてるはずだ。引き返せば、付近を捜索してるロマリア軍と鉢合わせちまうぞ」


「そうですね……」


 二人が、どうしたものかと相談していると、街道の先――森の方からこちらへ歩いて来る人影が見えた。

 それは、ぼろをまとった高齢の老人だった。


「そなたら、旅の方かの?」


 しわがれた声で尋ね、老人は真っすぐにジャンヌの座る樹木の方へ歩いていく。

 その場にいたジャンヌ以外の者は立ち上がり、老人から一歩身をひく。


「神官のお嬢さん。隣に座らせていただいてよろしいか?」


「え、ええ? かまいませんけど……」


 突然現れた老人の申し出に、ジャンヌは(いぶか)しげな顔をしつつも、すこし横にずれる。

 すると、それまで神官娘の座っていた場所に、


「よっこらしょ」


 老人が腰を下ろした。

 ジャンヌはさらに移動し、老人の隣で行儀良く足を折りたたみ、横座りする。そして、いったいなんなんですの? といった表情で、まじまじとその老人を見つめる。


「いやいや、ここは儂のお気に入りの場所でな」


 うむうむと頷き、老人はゆっくりと語りだす。


「旅の方々。悪いことは言わん、すぐに引き返しなされ。もしも森へ入らば、誰一人生きては日の目を拝めん」


 緊張と警戒の面持ちで、フレインが尋ねる。


「どういう、ことでしょう?」


「この森はの、呪われておるのじゃよ」


「死霊の巣くう森だということは知っています。……それほどに、危険なのですか?」


「言うたであろう。この森に入って、生きて帰った者はおらん」


 荷馬車の扉が開き、カダフィーが降りてくる。そして、他の面々と同じく、遠巻きに老人の話に耳を傾ける。


「すこし、昔話をしてしんぜよう」


 そう言って、ぼろをまとった老人は、枯れた声で語る。


「今から三十年ほども前の話じゃ。かつてこの森には、ひとつの村があった。森には小動物や実のなる植物も多く、村人たちは狩猟や採集で生計を立てておった」


 一行は、息を詰めて話に聴き入る。


「そんなある日、一人の女が助けを求めて村へやって来た」


 女は、名を松子といい、魔族の領域から逃げてきたのだと、村人に話した。

 わずかではあるが、魔族の領域にも人間が住んでいる。しかし、力を重んじる魔族たちにより、脆弱な者は奴隷同然の扱いを受けていた。松子はそんな暮らしにたえられず、国境を越えて逃げてきたのだった。


「松子は、めったにおらんほどの美貌の持ち主でな。滝のように流れ落ちる豊かな黒髪から、豪華な松子と呼ばれておった」


 松子は非常に男好きのする顔立ちで、村の男衆から、とてもちやほやされていた。彼女は外見だけではなく、その内面も心優しく美しい娘だったのだ。

 やがて村の長が身よりのない松子を引き取り、屋敷の離れに住まわせることとなった。


「じゃがな、それがあの忌まわしい出来事の、発端となった」


 村長(むらおさ)はそこそこ歳の行った男であったが、老いた妻をそっちのけで松子を溺愛した。

 ほかに頼る者もない松子は、内心がどうであったかは分からないが、村長の好意にすがるしかなかった。


 これに激怒したのが、村長の妻である。


 以降、夫妻の間ではいさかいが絶えず、毎晩のように村長を罵る妻の声が、村中へ響いたのだという。


「可哀相なのは松子じゃ。村長夫妻が不仲となったことに責任を感じ、彼女は村を出ようとした」


 しかし、松子の美しさに心奪われた村長は、松子を離れに軟禁してしまう。

 そして、嫉妬深い妻にほとほと愛想の尽きた村長は、離れに入り浸るようになった。


「じゃがの……げに恐ろしきは、女の情念じゃ」


 村長の妻は、事あるごとに松子をいじめ、いびり、つらくあたった。

 村人の中には、松子を気の毒に思う者も多かったが、気性の激しい村長の妻を恐れて、見ぬふりをしていた。

 やがて嫉妬に狂った村長の妻は、夫の留守中に、松子を殺してしまうことを計画する。そしてそれは、すぐに実行されることとなった。

 村長が用事で、カモロアの街へ行ったあと、松子は殺されてしまう。


「村長の妻は松子の食事に、全身の皮膚が(ただ)れ落ちる毒を盛ったのじゃ。その上で、まきを割るのに使う手斧を、毒に苦しむ松子の顔へ何度も叩きつけたそうじゃ」


 老人は、痛ましそうに首を振る。


「妻にしてみれば、松子の美貌が妬ましくて仕方なかったのじゃろうな。自分はそれを、歳とともに失ってしまったのじゃから……」


 その後、村長の妻はぐったりとした松子を、枯れ井戸に放り込んだ。しかし、驚くべきことに、それでも松子は死んでいなかった。――夜になって、枯れ井戸の方から、助けを求める松子の声が聞こえてきたのだ。


――ゆるしてください


――たすけてください


――いたい……いたい……


――かおが、からだが……焼けるように……あつい……


 村の者にばれてはまずいと思った村長の妻は、助けるどころか、大きな石をいくつも井戸へ投げ入れた。


「ほんとうに女とは恐ろしい。じゃが、それでも助けを求め、痛みを訴える松子の声はやまなかったそうな」


 村長の妻は、松子の声が隣家に届かぬよう、井戸に蓋をした。手近にある石を全部投げても松子が死ななかったため、ほかにどうしようもなかったのだ。


「それでも松子は、聞くも哀れなか細い声で――」


――いたい、いたい……おねがいします……たすけてください


――ここから出してくれれば、わたしは村から出ていきます


――だからおねがい……いたいの……たすけて……


――さむい……さむい……


「額を割られ、幾つも石を打ち付けられた目もおおわんばかりの形相で……松子は丸一日も、そう懇願しておったそうな。じゃが――」


 その翌日の晩、助けを求める松子の声に、変化があった。

 だが、夜になる頃には松子の声は潰れてしまっていたため、何を言っているのか村長の妻には聞こえなかった。


「それで、井戸の蓋を開けて耳を近づけてみると――」


――もう、たすけてくれなくて、いいです


――もう、いたくない


――もう、さむさもかんじない


――このきずでは、ここから出られたとしても、わたしはたすからない


「じゃが……村長の妻は、煮立った大量の湯を、井戸へ流しこんだのだのじゃ」


 熱い、熱い、と悶え苦しむ凄まじい悲鳴があがり、しばらく静かになったかと思うと……また、松子の声が聞こえてきた。


――あなただけは、ゆるさない


――ぜったいに、ゆるさない


――ひとりでは、死なない


――あなたも……


「村長の妻は、ぞっとして井戸の蓋を閉じ、布団の中にもぐり込んだそうな」


 だが、三日目になっても、松子の声はやまなかった。

 村長の妻を呪う言霊は、やがて村の者すべてに対する呪詛(ずそ)へと変わっていた。


――ゆるさない


――だれもかれもが、のろわしい


――死にたくない


――こわい


――みんな、いっしょに……


 三日三晩つづいた松子の声がようやく止んだあと、村にはすぐに異変が起こり始める。

 家に篭りきりになっていた村長の妻が、まず死体で発見された。


「それはもう、恐怖にゆがんだとてつもない苦悶の顔で、村長の妻は死んでおったそうじゃ。何を見て、どうやって死んだのかは分からぬが……自業自得と言うほかあるまいよ」


 村長の妻を皮切りに、次々と村人たちは変死していった。

 三日もの間、松子の声は響いていたので、彼女が村長の妻に殺されたことを知っている者も多かった。

 見つかった変死体が十を越えた頃には、誰もがこれは松子の祟りなのだと、信じて疑わなかった。


「村人はみな、次は自分の番なのではないかと、とても怯えておったらしい。それも仕方あるまいがな。彼らは、松子が村長の妻にいじめ殺されるのを、黙認しておったとも言えるのじゃから」


 村民およそ百二十名ほどの村は、三月(みつき)とたたず廃村となってしまった。

 一人残らず、松子の怨念に()り殺されたのだ。


「村から逃げ出そうとした者もかなりおったらしいが……誰一人、松子の呪いから逃れることは出来んかった」


 老人は、長々とため息をつく。


「以来、三十年もの間、この森に入って生きて出てきた者はおらん」


 森の方からやってきた老人は、そう締めくくった。


「……え?」


 老人の隣で、ジャンヌが不思議そうに首を傾げる。


「でも、村人が全員死んでしまったのなら、そんな詳しい話を、誰から聞いたのですか? 矛盾していますわ」


「ふぉっ、ふぉっ。もちろん村人たちから聞いたのじゃよ」


「……子供を怖がらせる作り話のたぐい、なのですよね?」


 うさんくさげにする神官娘に、やや緊張気味のルゥが声をかける。


「ジャンヌ……そのおじいちゃんからはなれて」


「え……?」


 狼少女は警戒心もあらわに、老人をじっと見つめていた。

 ルゥだけではなくアルフラやシグナム、フレインやカダフィーさえも、用心深く老人から距離を取っている。


「……なんですの?」


 一人、ジャンヌだけが、状況を飲み込めていない。


「心配なさるな。儂はただ、この森は危険じゃと知らせに……」


 言いかけて老人は、カッと目を見開く。視線はジャンヌの背後へと注がれていた。その体が小刻みに震えだす。


「あ……あ……すま、ない……」


 ぶるぶると震えながら、老人は涙を流していた。


「ど、どうなされたのですか?」


 すでに老人には、ジャンヌの声は届いていないようだった。


「どうか……どうか許してくれ……松子……」


「――――っ!?」


 慌ててジャンヌは後ろを振り返る。

 しかしそこには、特になんの変化もない雑木林が広がるだけだった。


「お、おどかさないで下さいまし。やはりさっきのは人をおどろかすための……」


 老人の方へ視線を戻したジャンヌは、ちいさく息をのむ。


「こ、これは……」


 先ほどまで老人が座っていた地面には、長年風雨にさらされぼろぼろになった布と、その隙間からのぞく、白骨化した屍があった。


「少なくとも、死後二、三年は経っているようですね」


 フレインの言葉に、シグナムも頷く。


「下手すりゃ三十年、てことも有り得るな」


 消えた老人は、三十年ほど前の話だ、と最初に言っていた。


「ど、ど、どういうことですか!?」


 やはりジャンヌだけが、状況を把握しきれていない。


「お前、ほんきで気づかなかったのか? 神官のくせに」


 あきれたように言うシグナムへ、ジャンヌはぷるぷると首を振ってみせる。


「あのじいさん、あからさまに怪しかったろ。フレインでさえ気づいてたぞ」


 フレインでさえ扱いされてしまった冴えない魔導士が、難しい顔でつぶやく。


「しかし……消える間際の言葉が気になりますね。何かに怯えながら謝っていたようでしたが……」


「最後のほうで、松子って言ってなかったか?」 


「あたし、見たよ」


「え!?」


 全員がアルフラに注目する。


「ジャンヌの後ろに、白い服着た女の人がいた」


「それは、長い黒髪の……?」


「うん」


 フレインの問いに、アルフラが頷いた。


「髪は長かったけど、なんかどろどろしてて綺麗じゃなかった。後ろからジャンヌの首のあたりに手をのばしてたよ」


「ひぃ」


 ぶるりと身震いして、ジャンヌはきょろきょろと辺りを見回す。


「あたしは見なかったけど……アルフラちゃんが言うなら間違いないだろうな」


 ジャンヌが白い頭蓋骨を見つめて、ぽつりともらす。


「……あのご老人は、何者だったのでしょうか……」


「じいさんは、生きて森から出た者はいないって言ってたな」


「話の中で、一人だけ生死の分からない人がいましたね」


「あ……用事で村を出た村長か」


 一同は、白骨死体に視線を落とす。


「ねぇ。そこって、おじいちゃんがくる前に、ジャンヌが座ってた場所だよね?」


 ルゥの指摘に、神官娘はかすかに表情を引き攣つらせる。


「あれれ、ジャンヌってもしかして、お化けがこわいの? 神官なのに?」


「そ、そんなはず、ありませんでしょ!」


 顔を赤くしたジャンヌが、ルゥの鼻を人差し指で押し上げる。


「ふんっ、子ぶたのようですわ」


「なにすんのさっ! ボクは白狼の――」


「はいはい。ルゥは白狼の戦士でしたわね」


 じゃれあう狼少女と神官娘にはかまわず、シグナムがフレインに声をかける。


「どうする? 早速死霊っぽいのが出てきちまったけど」


「……カダフィー、あなたには松子という死霊の姿は見えましたか?」


「いや……ただ、なんとなくジャンヌの背後になにか居たのは感じたよ」


 女吸血鬼は、珍しく真剣な面持ちだ。


「ずいぶんと気配を隠すのがうまい奴みたいだね。たぶん生前は、極力目立たないように生きてたんじゃないかね。――人の注目を集めたくない、害意を向けられたくない――そんな想いを死後にも引きずってるんだと思うよ」


「そのうえ生者を恨み、森に入った者を見境なく憑り殺す……厄介ですね」


「まあ、厄介は厄介だけど、魔族を相手にするよりは幾分ましさ」


 カダフィーの言葉に、フレインも同意の仕草をみせる。


「どれほど強い死霊とはいえ、爵位の魔族には及ばないでしょう、けど……」


 それでも不安は拭えないようだ。


「……森の方から、なにか酷く嫌なものを感じるのですが……」


「でもねぇ」


 女吸血鬼は、憎々しげに横目でアルフラを見やる。


「死霊なんて、あの嬢ちゃんに比べりゃ可愛いもんさ」


「よし、じゃあ先を急ぐか。地図がたしかなら、半日も行けば廃村があるはずだ。たぶん日が暮れる頃にはつくだろう」


「え……まさかそこで野営するつもりですか?」


 フレインがぎょっとした顔でシグナムを見つめる。


「野営? 廃村っていっても、一軒くらいは屋根の残ってる家だってあるだろ。うまくすれば、今夜はちゃんとした寝台で眠れる」


「ま、待って下さい。その廃村は、松子という死霊に滅ぼされた村ですよ!?」


「ロマリアは急に大雨も降ったりするし、できれば屋根があるとこを寝床にした方がいいだろ?」


 これにはカダフィーも、信じられない、といった顔をする。


「豪気だねぇ……その村の民家には、満遍なく地縛霊みたいなのが憑りついてると思うよ。別に私は構わないけどさ……」


「いや、お前ら死霊よけみたいな魔法は使えないのかよ?」


「出来ないこともないですが……三十年も放置された家屋ですと、白骨死体があったりかび臭かったりすると思いますよ……」


「あ……それもそうだな。まあ、今夜の宿は村について、建物の状態なんかを物色した後に決めるか」


 馬車の方へと歩き出した女戦士の背を見ながら――やはりシグナムも、常人とはちょっと感覚がズレているな、と思うフレインであった。



 こうして一行は、死霊が徘徊する深い森へと馬車を進ませた。





 しかし、すこし見通しが甘かったことに、一行は気づくことになる。

 森に入ってしばらく馬車を走らせると、木々の間から濃い霧が湧き出し、馬が足を止めてしまったのだ。

 立ち往生してしまった馬は、ひどく怯えていて、いっこうに動こうとしない。


「まいったな……」


 馬車から降りたシグナムは、馬の横腹を撫でながら、どうしたものかと頭を悩ませる。


「ねぇ、どうしたの?」


 ルゥが、小馬のサクラのくりくりとした瞳をのぞき込む。こちらはどうやら狼少女に怯えているようだ。

 御者台に座ったフレインが、シグナムに声をかける。その手には、小振りな水晶球が握られていた。


「魔力探知の術を(こころ)みたのですが、よく解りませんでした。付近一帯が濃い魔力におおわれていて、死霊などといったものの気配が判然としません」


 シグナムがかるく舌打ちする。


「チッ……やっぱり松子って奴の仕業なんだろうな……」


「おそらくそうでしょうね。斥候に出たカダフィーが戻ってくれば、何かわかるかもしれません」


 そのカダフィーが、思いのほか早く帰ってきた。

 霧の中から、ゆらりと女吸血鬼が姿を現す。


「だめだね。どこまで行っても霧が立ち込めてる。迷っちまいそうだったから早めに切り上げて来た」


「この霧はなんとか出来ないのかよ?」


「何度が解呪(ディスペル)を試してみたけど無駄だった。松子って死霊を、すこし甘く見すぎてたかもしれないね」


「あんたお偉い魔導師さまなんだろ。頼りねえなあ」


 カダフィーはすこしムッとした顔をする。


「無茶お言いでないよ。松子ってのは、この森に三十年も巣くってる死霊なんだよ。ここはそいつの腹の中みたいなもんさ。たぶん地脈なんかからも力を得てるんだと思う」


 女吸血鬼の言葉にフレインも頷く。


「松子という死霊は、この地に根を張り、人間の命を糧としてきたのでしょう」


「もしこの霧が、森全体をおおってるとなると、ちょっと洒落にならないくらい強力な死霊だよ。それこそホスローでもなけりゃどうにも出来ない」


 カダフィーはお手上げだといわんばかりに肩をすくめる。


「力の方向性が違えば、竜の英霊みたいに、信仰の対象となっててもおかしくないほどだよ」

「三十年ほどで、ここまでの力を有するに至ったのは、やはり強い怨念によるものなのでしょうか……」


「松子って奴の死にざまを考えりゃ、半端じゃない恨みをかかえて死んでったんだろうからね」


 フレインは、アルフラの姿を脳裏に思い浮かべた。白蓮への想いゆえに、爵位の魔族をも越える力を得たアルフラは、ある意味、松子という死霊に通ずるものがあるのかもしれない。


「とりあえず、私の下僕達に辺りを警戒させてる。しばらくは馬車の中で様子を見よう」


 シグナムが周囲を見回す。

 霧の中に、青白い顔をした犠牲者たちが見え隠れしていた。


「……嫌な絵づらだな……」


 木々の間をゆらゆらと(うごめ)くその姿は、死霊よりもよほど不気味なものに思えてならなかった。


「ねぇ」


 ルゥがジャンヌの神官服をひっぱる。


「馬車の中であやとりしよっ」


 午前中はすこし元気のなかったルゥも、さきほどジャンヌとじゃれたことにより、普段の調子を取り戻せたようだ。こんな状況にもかかわらず、元気いっぱいである。


「ルゥは死霊が怖くありませんの?」


「うんっ、今日はよいまちづきだからね!」


「よいまち……? ああ、宵待月だったのですね」


 今夜は月齢十四日。狼少女の体調は、ほぼ万全に近い。


「なにかあっても、ジャンヌはボクが守ってあげるよ」


 親分風を吹かせるルゥにエスコートされ、ジャンヌは馬車へと乗り込む。


「あれ……ひもがない」


 荷物をひっくり返したルゥが首をかしげる。


「あっ、ひもでしたら栞代わりに……」


 ジャンヌが神官服の懐から魔導書を取出す。そして装丁の掛け金を外し、ぱらりと(ぺいじ)をめくる。――すると中から、ひらひらと布きれのようなものが落ちてきた。


「なにこれ?」


 ルゥが床に落ちたぼろぼろの布を拾いあげる。その布は、先刻現れた老人の亡霊がまとっていたぼろとよく似ていた。そしてなにやら、酷くのたくった文字らしきものが書かれている。


「……なんて読むの?」


 布きれを渡されたジャンヌの顔から、さあっと血の気が引いていく。

 まるで、血が乾いたような赤茶けたその文字の内容は――



 こんばん、逢いにゆきます

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