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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
137/251

悪逆鬼道(後)



 物資倉を出たアルフラは、駐屯地の兵舎からもほど近い、広場に併設された井戸へとやって来ていた。

 井戸屋形と呼ばれる簡易屋根には、その軒先にランタンが吊され、周囲を淡く照らしだしている。辺りには、植物油の燃える匂いが漂っていた。

 井戸の脇に、片膝をついて座ったアルフラは、よく濡らした砥石(といし)の上へ狩猟刀を寝かせる。

 砥石に接する刀身の角度を調整して、規則的に刃を引く。

 軽く押し当てる程度の力で、しゅっ、しゅっ、と小気味よい音を響びかせる。

 それは、本職の研ぎ師には及ばぬながらも、かなり手慣れた動作だった。


 作業は小半刻(約三十分)ほどもつづき――やがてアルフラは桶にくまれた水で、砥石と狩猟刀を洗い流した。そして、カンテラの光にかざし、研ぎ具合を確認する。

 その狩猟刀は先の戦いで、男爵位の魔族相手に酷使されたものだ。しかし今では、微細な刃零れも見当たらず、綺麗に研ぎ上がっていた。

 満足げに指で刀身をなぞったアルフラは、背後から聞こえた物音に振り返る。

 夜のしじまを無粋な足音で乱したのは、四人の兵士たちだった。彼らは真っ直ぐにアルフラの方へと歩いて来る。


 先程から、彼らの気配には気づいていた。

 その四人だけではなく、死角にあたる井戸の向こう側に、息を潜めた者がさらに二人いることも。

 そして、向けられた害意も感じとっていた。

 だが、彼らは脅威になりえないと判断したから、放置していただけなのだ。


 用も終わったので、アルフラは狩猟刀を鞘へ収め、その場を後にしようとした。

 しかし、男たちが囲い込むように、その進路を塞ぐ。


「チッ――」


 アルフラの正面に立った男が、舌を鳴らした。


「なんだよ、ガキの方か。俺はあの色っぽいねぇちゃんがよかったんだけどな」


 おそらく、カダフィーのことを言っているのだろう。

 ふとアルフラは、そういえばこんな事が以前にもあったな、と思う。

 いつだったか、それほど前ではないはずなのだが、記憶が判然としない。すこし考えてはみたが、すぐにどうでもいい事だろうと結論を出す。


「どうする、やめとくか? 俺ぁこんな鳥ガラみたいな子供相手じゃ、さすがに()つ自信がないぜ」


「めんどくせぇし、このガキでもいいんじゃないか? 半年くらい女にゃ触ってないしな。贅沢は言ってらんないだろ」


 アルフラのわずかな追憶の間、男たちはそんな失礼な相談をしていた。すると背後から、さらに男の声が響く。


「俺は女なら何でも構わねえ! とっととさらっちまおうぜ!」


 男たちが苦笑をもらす。


「まったく、童貞は見境がねぇな」


「うるせえなッ、童貞って言うんじゃねえ!」


 アルフラは、男たちがいずれも、自分とさほど変わらぬ年頃だということに気づいた。歳がいっている者でも、二十(はたち)は越えてないだろう。


――気持ちわるい


 下卑(げび)た欲望を満面に浮かべた彼らに対し、それ以外の感情は湧いて来なかった。

 この男たちを前にしてみると、普段は嫌っているフレインなども、余程ましに思えてくる。男らしさのまったく感じられない彼に、そういった生臭い感情を見たことはない。

 カミルにしてもそうだ。歳は男たちとそう変わらないはずなのに、見た目はずいぶんと違う。あの見習い魔術士はアルフラから見ても、かわいらしく気弱げな外見をしていた。


「なあ、このガキ……ちょっとどこかおかしいんじゃないか?」


 男たちは、六人の兵士に囲まれてなお、()じけのひとつも見せないアルフラを不審に思ったようだ。その辺りをもう少し突き詰めて考えれば、彼らが現状、命の危険と直面している事実に気づけたのかもしれない。


「しかし……暗くてよく分からなかったが、こいつ綺麗な顔してるな」


 男たちの一人が、アルフラの顔を覗き込んだ。

 それまで無表情であったアルフラが、思わず小鼻にしわを寄せる。

 生理的な嫌悪をもよおす、悪臭を感じたのだ。それは欲情した、若い(オス)の発する体臭だった。


「なんか知らねぇけど、このガキもおとなしくしてるし――」


 アルフラの肩を掴もうと腕が伸ばされた。


「とりあえず駐屯地の外に連れ出し……」


 男の腕が、ぴたりと動きを止める。

 手首に感じた冷たい感触。

 ちょうど親指のつけ根にあたるそこには、ぎらぎらとした鋼のきらめき。


 いつの間にかアルフラの手に、研ぎたての狩猟刀が握られていた。それが男の動きを(はば)んだのだ。

 目を見開いた男は、慌てて腕を引こうとする。しかしその肘のあたりを、アルフラの左手が押さえつけた。


 形のよい唇が、かすかに吊り上がるのを、男は見た。


「あ……や、やめっ――」


 艶やかに微笑んだその表情は、鮮やかな殺意に(いろどら)れ――

 アルフラは手首に当てた狩猟刀を、横へ滑らせる。


「……え?」


 自分の身に起きたことが信じられず、男の口からもれたのは、とても間の抜けた声だった。

 ()がれた親指が地面で跳ねる。したたる体液が、足元に赤黒い染みを広げていた。


 アルフラは男の腕を掴んだまま、肉色の断面をじっくりと観察する。

 溢れる血に混じって、掌の辺りからは白い脂肪がにじんでいた。切断面は見事なまでに滑らかだ。


「……うん。やっぱりよく研げてる」


 それが、みずからに触れようした男の親指を削ぎ落とした、アルフラの感想だった。

 満足したアルフラは、血を吹く腕を離してやる。


「ひ……ぃ……」


 男はわなわなと震え、凄まじい金切り声を上げる。そして激痛のあまり、地面を転げ回った。


「い、痛えぇぇぇ、畜生ッ!! 痛ぇよおおおぉぉぉ!!」


 男の仲間たちは、数瞬のあいだ思考が追いつかず、呆然とその光景を眺めていた。やがて一人が叫ぶ。


「てめぇ!! こんなことして、ただで済むと思ってんのか!?」


 他の男たちも我にかえり、口々に罵り声を上げる。


「ぶち殺すぞ、このガキ!」


「お前も犯したあと、同じ目にあわせてやるッ!!」


 クッ、とアルフラの喉が鳴った。

 口許にうっすらと笑みが広がる。

 喚き立てながらも腰の引けた男たちは、まるで可愛らしく威嚇する、怯えた小動物を連想させた。

 ただ、足元から聞こえる甲高い悲鳴だけは、とても(かん)に障った。


――うっとおしい、な……


 喉を裂いてやれば、すぐに黙らすことも出来るのだが……それをしてしまうと、またシグナムにうるさく説教をされそうだ。

 この場で男のうるさい悲鳴を我慢するか――または後からシグナムにうるさくされるのを我慢するか。

 すこし真剣に悩んでしまう。

 アルフラとしては、狩猟刀の研ぎ上がりも確認出来たので、もう男たちに用はない。

 普通の人間の血になんの力もないことは、以前に確認済みだ。力のない血は、ひどくまずい汚物だということも知っている。アルフラにとって男たちは、殺す価値もない存在だった。


「おい! なんとか言いやがれ!」


「口がきけねえのかッ!?」


 殺気立つ男たちは、剣を抜きはしたが、斬りかかって来ようとはしない。彼らの表情を観察していたアルフラは、思う。もしかすると彼らは、まだ実戦経験がないのではなかろうか。年齢的にも、それはとてもありそうな話だ。

 そして、このまま彼らを放置しておくと、騒ぎを聞きつけた他の兵士が、駆け付けてくるかもしれない、ということに思い当たる。


――どうしようか……


 自然とアルフラの顎が上向く。


「……白蓮?」


 しかし、心の原風景は答えてくれない。

 アルフラは悩んだすえ――白蓮ならきっと、みずからに害意を向けた者を許したりはしないだろう、と結論を出した。


「だよね?」


 その問いかけにも、アルフラだけの白蓮は、ただ傲然と見下ろすばかり。

 しかし、見返す無感情な瞳を、アルフラは肯定の意に捉えた。――途端に殺気が膨れ上がる。

 人の命に対し、価値を見いだせない者の目で、アルフラは男たちを見る。


「く、くそッ! 舐めやがって!!」


 緊張に耐え切れなくなった男の一人が、アルフラの背後から襲いかかった。


 アルフラの小さな掌の上で、狩猟刀がくるりと器用に回される。そして逆手に持ち替えたそれを、後ろ手に振り下ろす。

 刃が腹斜筋を突き破り、内臓へ届いた感触が伝わった。


「グッ――」


 横腹をえぐられた男が、くぐもった息をはいた。

 腹の中を、刀身で念入りに掻き混ぜてやってから、狩猟刀を抜く。背後で豚のむせるような呻きが聞こえた。

 さらにアルフラは、足元でのたうつ悲鳴の出所を、踵で踏み付ける。男の頚椎が砕け、アルフラはそれ以上うるさい思いをすることもなくなった。そして振り向きざまに、わき腹を押さえてうずくまった男の首を薙ぐ。

 ひゅっ、と掠れた呼吸音がもれ、声もなく男は倒れた。アルフラは、吹き出た赤い汚物を浴びぬよう、身軽に後ろへ飛びのく。



 仲間から童貞と馬鹿にされていた彼も、女を知ることなく死を迎えるとは思いもしなかっただろう。





 物資倉では、シグナムとフレイン、そして棺の中から起き出してきたカダフィーが、神官娘から事のあらましを聞いていた。


「――それで、ですね。あの吸血鬼は『仕方ないから私がアルフラという娘さんに、棒を投げてくれるよう頼んであげましょう』と」


「……は?」


「ですから、こう大きく腕を広げて……」


 ジャンヌは神官服の袖口をじゃらじゃらと鳴らし、両腕を開いて見せた。なるべくその時の状況を再現しようとしているらしく、芝居がかった仕草で低い声を出してみせる。


「とても親切そうに『私は紳士なので、乙女の涙には弱いのですよ。確かに、いたいけな少女の涙は儚く美しい。しかし笑顔のあなたは、その何倍も素敵だ』と言っておりました。それはもう、うっとりとした表情で」


「……いたいけ?」


 シグナムはまじまじとルゥを見つめる。

 狼少女はこくこくと頷いていた。

 確かにルゥは、いたるところが未発育ではあるのだが……シグナムは、いたいけという言葉の意味が、よく分からなくなってきた。


「ボクはね、キミなんかが頼んでも、アルフラはきっと遊んでくれないよ、って言ったの」


「そうしたらあの吸血鬼は『ならば地に頭を擦りつけてでも頼んでみます。すぐにお連れしますので、しばしお待ち下さい』と言って出てゆきましたわ」


「どういうことだ?」


 シグナムの視線を受け、カダフィーは首を振る。


「さぁ……紳士なんじゃないのかい?」


「もしかするとあの吸血鬼は、本当にルゥと遊びたかっただけなのかも……」


「えー、ボクあんな大きなお友達、ほしくないよう」


「……紳士、なのか?」


 シグナム同様、フレインも首を捻る。


「紳士、なのでしょうか……」


「変な紳士だね」


「そういえば、出てゆく前にどこからか花を一輪取り出して『そのあどけない(かんばせ)を、より可憐に彩るために摘んで来ました。本来でしたら私がその髪に飾って差し上げたいのですが、紳士たる者、咲き誇る前の蕾に触れるなど()っての(ほか)。今ひとときは、その幼さを()でることはいたしますまい。はぁはぁ』と息を荒くしておりましたわ。それはもう、ほっこりとした顔で」


「紳士だな」


「紳士ですね」


「変態だね」


 なにかを納得したらしいシグナムたちを、ルゥはぽーっとした顔で見ていた。


「で? その花ってのは?」


「おいしかったよ」


「えっ!?」


 ジャンヌが呆れたように説明する。


「ルゥったら、これは食べられる種類の花だよ、と言って……それはもう、むしゃむしゃと」


「花密がいっぱいで、とっても甘かったの」


 その味を思いだして、狼少女はぺろりと唇をなめる。


「おいしかったぁ。あいつ、もしかしたらいい吸血鬼なのかな」


「不死者に良いも悪いもございませんわ」


「紳士だしな」


 苦笑気味のシグナムが、ジャンヌへ尋ねる。


「それで? アルフラちゃんはどこに行ったんだ?」


「わかりません。なにも言わずに出てゆきましたので……ただ、砥石を持っていたので、井戸にでも行ったのではないでしょうか」


「……井戸か……」


 なにか嫌なことでも思い出したのか、シグナムがかすかに顔をこわばらせる。その表情を見て、フレインはすこし不安を覚えたようだ。


「暗くなってから、女性が一人で駐屯地を出歩くのは、少し危険ではないでしょうか……兵士たちの中には、あまり(がら)のよくない者もおりましたし」


 アルフラを(あん)じるフレインの隣で、ルゥが耳をぴくりとさせた。


「ねぇ、だれかくるよ」


 狼少女は、開いたままの戸口を見つめる。


「アルフラちゃんか?」


「ちがう……」


 ルゥが首を振るとほぼ同時、シグナムたちにも、何者かが駆けてくる足音が聞こえてきた。

 一同が戸口に注視するなか、一人の兵士が物資倉へと姿を現した。まだ十代後半といった、若い男だ。


「た、助け、て……やって……くだ……」


 よほど全力で駆けてきたのだろう、兵士は激しく息を切らせて言葉がつづかないようだ。

 嫌な予感を覚えつつも、シグナムはつとめて冷静に声をかける。


「ゆっくりでいい、何があったか分かるよう詳しく話せ」


 呼吸が整ってきた兵士は、シグナムの顔色をうかがいながら口を開く。


「それが……何から話せばいいか……」


 混乱気味の若い兵士は、すこし口ごもったあと、事の発端から喋りだす。


「えっと……俺達は今夜、この駐屯地から逃げようって計画してたんです」


「はぁ?」


「その……うちの分隊の奴らは、みんな今年の春に徴兵された奴ばかりなんです。それで、兵役(へいえき)についたら、いきなり魔族の進攻が始まるし、今度は黒死の病が蔓延してる土地へ行けって言われるしで……」


 若い兵士たちは、これでは命がいくらあっても足りないと感じ、駐屯地を引き払う前夜であるこの日に、脱走を計画していたのだと語る。


「でも、それを言い出したうちの分隊長が、荷にまとめられた物資を、くすねて売りさばこうって言いだして……」


 魔族の進攻により物流がとどこおった今なら、一山当てられると持ちかけられたのだと兵士は語る。


「俺達の隊は今夜、守衛の夜番だからちょうどいいって」


「お前それ……下手したら首が飛ぶぞ」


「はい、俺はずっと反対してたんです。でも、全然話を聞いてくれなくて……分隊長は俺らよりちょっと年上で、知ってる奴が言うには、地元の村では札付きのワルだったって評判なんです。ほかの奴らはみんな、めったにない儲け話だって乗り気で……」


「まあ、正規兵のなかにも、山賊まがいのならず者なんていくらでもいるけどな。――で? なんでそんな話をあたし達に?」


「そ、それが……分隊の奴らが、あんた達の仲間を……」


 ややためらうような仕草を見せながら、兵士は話をつづける。


「俺の分隊の一人が、この物資倉を出て井戸へ向かった人影を見たんです。それで、その……」


 言いよどむ兵士に、いいから話せとシグナムがうながす。


「あんた達はほとんど女ばっかりだったから、その人影もたぶん女のはずだって話になって……それで分隊の仲間達で、その……」


「この駐屯地とも今夜でおさらばだから、ついでに女を襲っていこう……てことになったのか?」


 厳しい表情で尋ねたシグナムへ、まだ若い兵士はおどおどと頷く。


「お前ら…………ほんっとうに馬鹿だな。ていうか、それを先に話せよ」


「す、すいません! でも俺は止めたんです。女の人を無理矢理になんて、絶対駄目だって。……そしたら俺、分隊長達からひどく殴られて」


 カンテラの薄い光では判然としないが、兵士の顔はところどころが赤みを帯びていた。

 シグナムは顔を寄せて、傷の具合を見る。


「ああ……こりゃ後からひどく腫れてくるぞ。かなり痛むだろ」


 兵士の顔がさらに赤みを増す。シグナムの整った顔立ちが、息のかかる距離にあり、その近さを意識してしまったようだ。


「すこし冷やしておいた方がいいな」


「あ、はい。でもそれより、早く助けに行って下さい。たぶん今頃、あんたの仲間は駐屯地の外に連れ出されてる」


 それまで話を聞いていたフレインが、慌てて立ち上がる。


「そ、そうですシグナムさん! 早くアルフラさんを助けに行かないと!」


「ああ、早く助けに行かなきゃ、ってのは同感だが……」


 シグナムも立ち上がり、壁に立てかけられた長剣を手に取る。


「相手はアルフラちゃんじゃなくて、兵士らの方だろ」


「……え?」


「そこらの雑兵が一個分隊やそこらで、アルフラちゃんをどう出来るってんだよ」


 シグナムの言葉にとまどいつつも、アルフラを想うフレインは、少々盲目だった。


「で、ですがいくらアルフラさんでも、不意を打たれれば………」


「不意打ち食らわせたくらいで、アルフラちゃんをどうこう出来るような奴がその辺に転がってりゃ、とっくにロマリアは魔族の進攻を押し返してるよ」


「あ……」


 フレインも、やや落ち着きを取り戻す。

 このロマリアへ来て以来、つづけざまに爵位の魔族を二人も屠ったアルフラ。その彼女を相手に、ただの人間に何が出来るというのか。


「まあ、急いだ方がいいのは確かだな」


 シグナムは兵士の方へ視線をやる。


「下手すりゃお前の分隊……全滅してるぞ」


 そう言ってシグナムは倉から駆け出す。兵士とフレインたちも、遅れじとその後につづいた。

 暗い夜道を可能な限りの速さで走る。

 うっそうと茂った草木の間を駆けながら、シグナムが誰にともなく話す。


「まだルゥやフレインと出会う前の話なんだけどさ。似たようなことがあったんだよ」


「似たような?」


「ああ、国境沿いの砦でな。アルフラちゃんが、六人の兵隊に襲われたんだ」


 忌ま忌ましげにシグナムは言う。


「その時は、三人死んだ」


「……え!?」


「今とは違って、アルフラちゃんがまだ、人を殺すことにためらいがあった頃の話だ」


「そんなことが……」


 フレインは青ざめた顔で押し黙る。


「いろいろ揉めはしたけど、その時はなんとかなったんだ……でも、今回はちょっとまずい」


 シグナムの顔からも、血の気がひいていた。


「殺したのが一人二人なら、襲われてやむなく、で通じるかも知れない。でも分隊まるごと殺っちまったら、明日からあたし達はお尋ね者だ」


 フレインの脳裏に、ロマリア軍に追われながら魔族と戦うという、最悪の未来が見えてくる。カダフィーの件もあるので、レギウスに帰還することもまた、危険を伴うだろう。どうしようもない手詰まり感を覚える。


「今のアルフラちゃんに、分別(ふんべつ)なんてもんは期待出来ない。襲った奴らの分別に期待するしかない」


 シグナムの声音は、暗澹(あんたん)としたものだった。


「一度でも戦場に立って、命のやり取りをしたことのある奴だったら、そこそこ勘も働くはずだ。人気(ひとけ)のない暗がりでアルフラちゃんと出逢えば、普通の奴だったら確実に逃げ出すよ」


 シグナムのすぐ後ろを走る兵士へ、カダフィーがねちっこい視線を向ける。


「しかし、あんたのお仲間も運がないねぇ。あの嬢ちゃんじゃなく、私に声をかけてくれりゃよかったのに」


 くすくすと笑う女吸血鬼を見て、兵士はぎょっと身をすくめる。かすかに、なにかただならぬ気配をカダフィーから感じたようだ。


「どうだい坊や、今晩お姉さんとしっぽり――」


「話をこれ以上ややこしくしないで下さい!」


 めずらしく怒声を上げたフレインを、カダフィーはからかうような目で見る。


「どうせこの子達は、駐屯地から逃げようとしてたんだろ。脱走して行方不明になるも、私が行方不明にしちまうのも、そう大差ないじゃないか」


「ひっ!?」


 口許にのぞいた牙が見えてしまい、兵士はこれ以上ないといった走りで前へ出た。

 肩を並べた兵士へ、シグナムは安心させるように笑いかける。


「心配するな、ただの冗談だよ……たぶんな」


 すがるような怯えた目へ、シグナムは請け合う。


「なんにしても、お前には手を出させないよ。あんたはアルフラちゃんを助けてくれようとしたんだからさ。まあ、実際は逆なんだけどな……」


 シグナムたちは、広場に近い辺りにまで来ていた。

 夜風にのって、かすかな血臭が感じられた。走るにつれ、そのにおいは密度を増してくる。


「……お前の分隊は、ほかに何人いるんだ?」


「ろ、六人です」


「そうか……とりあえず、その六人とあたし達のために祈ってくれ。――そいつらが、皆殺しにされてないようにってな」



 湿り気を帯びた血臭の源に、シグナムたちは近づきつつあった。





 広場へ駆けつけた一行は、声もなく立ち尽くしていた。

 それは、あまりにも想定外の光景だった。


「……アルフラ、ちゃん……」


 震える声が呼び掛ける。

 もしかすると、アルフラを襲った六人は、みな殺されているかもしれない。そんなシグナムの予想を、大きく越えた最悪の事態が起きていた。

 アルフラは、井戸の前で狩猟刀を研ぎ直していた。

 生臭い血のにおいとともに、しゅっ、しゅっ、と小気味のよい擦過音が響く。

 いまのシグナムたちにとって、その音はとても不気味なものに感じられた。


 暗く物静かな夜の井戸で、無数の死体に囲まれ、入念に刃物を研ぎ上げる血塗れの少女。――その情景に、誰もがぞっと身を震わせる。


「……なあ……アルフラちゃん……」


 かすれた声が耳に届き、アルフラが振り返った。


「あ、シグナムさん」


 顔を上げたアルフラは、避けそこねた返り血で、髪をべっとりと頬に張り付けていた。(けがれ)を落とすことより、得物の手入れを優先した結果だ。


「アルフラちゃん……」


 すました顔のアルフラを見て、シグナムは泣きそうに顔を歪める。


「いくらなんでも……殺しすぎだ!!」


 広場に横たわった累々たる屍の山。その数はかるく二桁を超えていた。

 ざっと見渡しても三十以上。まさに屍々累々という表現がふさわしい。あたりは湿度も高く、血の香りでむせ返りそうだ。


「……なんでこんな」


 シグナムたちの視線を辿り、アルフラは周囲を見渡す。


「最初に襲ってきたのは、この人たちだよ」


 そう言って、アルフラは足元の死体をつま先でこづく。


「でも、あっちの方から、いっぱい集まってきちゃって……」


 アルフラは兵舎を指差す。


「騒ぎを聞きつけて集まって来たそいつらを……一人残らず殺しちまったのか?」


 アルフラは、冷然とシグナムを見返す。


「だってこいつら、あたしのこと、人殺しだ、とり押さえろって大声で――」


 もっともその叫びも、すぐに断末魔と命乞いの悲鳴に変わったのではあるが。


「――そっちが先に襲ってきたくせに」


「だからって、いくらなんでも……」


 シグナムは、屍の一つ一つに目を走らせる。

 井戸に――アルフラの近くにある死体は、ほとんどが急所を一突き、ないしはとどめの跡が頸部(けいぶ)に見られる。

 しかし、散乱する屍の外周部分――アルフラから離れた場所に転がる死体の損傷がひどい。狩猟刀が脂でぬめって切れにくくなったのか、途中からは細剣を使ったようだ。

 そして明らかに、殺し方が大雑把になっている。

 多くの死体は、頭部や心臓の近辺に傷が集中していた。しかし、なかには胴体や手足が切断されたものも目立つ。

 シグナムのすぐ近くには、ロッシュのものらしき隊長章をつけた遺骸もあった。だが、頭蓋が割られてしまっていて顔の判別がつかない。


「……ひどいな……」


 シグナムの視線に気づき、アルフラがぽつりともらす。


「あとからあとから集まってくるんだもん。途中からめんどくさくなっちゃって」


 兵士たちを殺すことに、アルフラは徒労感を覚えたのだと言う。魔族とは違い、彼らをいくら殺したところで、力というご褒美は貰えない。

 アルフラは途中であきてしまったのだ。だから殺し方も雑になってしまった。

 だが、自分の作った死体の見目の悪さは、アルフラも気になっていたらしい。この時ばかりは、かすかに悪びれた様子を見せていた。


 それまで茫然としてしまっていたフレインが、手近な死体に目を落とす。その(むくろ)は、ざっくりと背中を斬りつけられていた。


「……逃げようとした者まで……殺してしまったのですか?」


「うん」


 頷いて、アルフラはこともなげに言う。


「だって、兵隊を殺したらまずいでしょ? でもぜんぶ殺しちゃえば、あたしがやったってばれないかと思って」


 以前に、レギウスの警備兵を殺して審問にかけられたアルフラは、ちゃんと学んでいたのだ。目撃者を生かしておいたから、あんな面倒なことになったのだと。

 ただ、殺さないという最善の道は、学習出来なかったようだ。一個小隊に及ぶ兵士の皆殺し。いまのアルフラには、それがあまりに容易だから。争いを避けるという選択肢も浮かんでこない。――力を持つ者ゆえの、弊害なのだろう。


「アルフラちゃん……」


 シグナムは、強く唇を噛む。

 出会った時のアルフラは、人を殺すことに忌避感を持っていた。まだそれから、一年も経っていない。その変化はあまりにも急激だ。


「なんでこんなに……」


 言葉を詰まらせたシグナムは、思いあたる。


「あ…………!」


 もとはと言えば、かつて決闘を行うこととなったアルフラへ――後腐れのないよう相手を殺してしまえ――そうけしかけたのは、ほかならぬシグナム自身だった。

 そのとき確かに、アルフラは人を殺すことにためらいを見せていた。学習させたのは、シグナムなのだ。


「くそ……」


 力無く、シグナムはうなだれる。だが実際のところ、彼女が自責の念にかられる必要はあまりない。

 ここまでアルフラが躊躇(ちゅうちょ)なく人を殺せるのは、心の在り方の問題なのだから。その精神は、ここ最近で大きく変質してしまっている。白蓮との再会と、その後の失意が大きな要因と言えよう。


 アルフラは足元に転がる死体を、冷えた瞳で見る。


 この世界には、様々な亜人種が存在している。魔族以外のそれらは、同族殺しを忌避する傾向にある。これは社会性の問題であり、長い時の流れのなかで、代を重ねながら本能に刷り込まれてきたものだ。争いを避け、個々の生存率を高め、ひいては種族全体を繁栄させるためである。

 また、かつては地上にて人々と共にあったレギウス神も、隣人を愛せよと説いている。

 同族を殺すことなかれ。他種族と共存せよ。よってそれらの理念からかけ離れた魔族は、(よこしま)な存在である。そして、人を殺傷することは悪であり、厳格な処罰を持って応じよと、レギウス神は法に定めたのだ。その法は人々により遵守され、外れた者は、刑罰による淘汰の対象となった。そうして世には良識が広まる。


 こういった過程を踏んで、人は同族殺しを禁忌と考えるに至った。よほどの極限状態、もしくはどこか狂ってしまった者以外は、人を殺すことに強い忌避感を覚えるのだ。


 しかし、アルフラはすでに、己もまた人間なのだという自覚が、希薄となっている。人を同族であると感じないからこそ、忌避感も生じない。

 虫を殺すかのような気軽さで、なんの感慨も抱かずに、人を殺す。


 そんな異常性が伝わったのか、一人生き残った兵士は、腰を抜かしたようにへたり込んでしまった。彼はつい先刻まで、女性に狼藉(ろうぜき)を働こうとしていた仲間たちを、止めなければならないと考えていた。

 彼が殴られ、蹴られ、結局はシグナムたちのもとへ駆け込んだのは、分隊の仲間たちからアルフラを救おうとした結果である。しかし、助けようとしていたはずの少女は、


「まだ、残ってたんだ」


 身の毛もよだつような凍てつく瞳で、彼を見る。


「あなたが最後の一人? もう、ほかにはいない?」


「やめて下さい!!」


 狩猟刀を手に、一歩足を踏み出したアルフラの前に、フレインが立ち塞がる。


「アルフラさんが危ないと、この方が教えてくれたのですよ!」


「……だから、なに?」


 ゆくてを阻まれ、アルフラは不機嫌そうにする。


「この方は、アルフラさんを助けてくれと、私たちに頼んだのですよ。その彼を、あなたは――」


「かんけいない。どいて」


 アルフラが、剣呑(けんのん)な目つきで邪魔者を睨んだ。そのとき――フレインの背後で、鋼の擦れる鞘鳴りが響いた。

 反射的に振り向いたフレインの顔に、大量の血が跳ねかかる。


「え……」


 顔を(けが)す粘つく体液を拭うことも忘れ、フレインは茫然とシグナムの手に握られた長剣を見ていた。


「な……なぜ……?」


 地に転がった兵士の首も、その顔は茫然とした表情のままだった。彼自身にも、なにが起こったのか理解出来なかったのだろう。


「どうして……この方はアルフラさんを……」


「しょうがねえだろッ!!」


 吐き捨てるように、シグナムは叫ぶ。


「ほかにどうしろってんだよ! こいつを生かしとけば、遅かれ早かれロマリア軍に報告が行く。そしたらアルフラちゃんは兵士殺しの罪人だ!!」


「ですが、いくらなんでもこれは――」


 悲鳴のような声を上げるフレインを、アルフラが押しのける。そしてシグナムの前に立ち、


「うれしい」


 笑顔でもって見上げる。


「やっぱりシグナムさんだけは、あたしの味方なんだね」


 変わり果ててしまったアルフラではあるが、シグナムへ向けられた信頼の眼差しだけは、すぎにし日々のままであった。


「アルフラちゃん……あたしだって、こいつを殺したくはなかったんだ。もう、こんなことはないようにしてくれ。頼むよ……」


「うん」


 なんの罪悪感も見当たらない顔で、アルフラは微笑む。

 まるで思いは伝わっていないのだと、シグナムは理解した。諦めの表情でフレインへ告げる。


「死体を焼こう。物資をまとめた荷の中に、油の樽があったはずだ」


「証拠を、消すつもりですか? 炭化するまで死体を焼ければ、刀傷も見分けがつかなくなる。ロマリア軍は、魔族の襲撃があったと判断するかもしれませんね」


 責めるような目を向けるフレインへ、シグナムは苛立たしげに答える。


「それもあるが、黒死の病が流行している現状、死体をこのまま放置しちゃまずいだろ。腐敗が始まれば病の温床になる」


「あ……確かに……」


 これにはフレインも反論することなく、同意の仕草を見せる。


「夜のうちに全部済ませて、急いでこの場を立ち去ろう」


「……ちょっとお待ちよ」


 声を上げたのは、カダフィーだった。彼女は遺骸の一つをじっとのぞき込んでいた。その死体は、深々と胸元を斬り裂かれている。おそらく、横薙ぎの一撃が致命傷となったのだろう。左の腕は横断され、脇から入った刃は心臓を破壊し、一太刀で胸骨にまで達していた。

 女吸血鬼は、強い怒りを感じさせる声音で、アルフラへ問う。


「なんで明石まで斬った? こいつは、決してあんたに危害を加えようとはしなかったはずだよ。私がそう命じたんだからね」


「あ、それで……」


 アルフラは、明石がまったくの無抵抗であったことに得心したようだ。髪を汚す返り血は、彼のものだった。


「私は、なんで明石を殺したのかって聞いてんだよ!!」


「なんでって……いっぱい斬ったあとだったから、つい勢いで」


「勢いで、だって……?」


 そう。アルフラにとっては、ただの“ついで”だった。

 夜の暗がりのなか、女吸血鬼は瞳を怒りで赤く(とも)す。


「勢いで明石の血まで啜ったってのかいッ!?」


 見れば明石の喉には、食い破られた跡がある。それを行った白い歯を見せ、アルフラは笑っていた。文句があるのなら、かかってこいと言わんばかりの目で。


「やめて下さい!」


 フレインが制止の声を上げた。しかし、言われるまでもなく、カダフィーは動かない。

 いまのアルフラは、闇夜の吸血鬼であっても、傷を負わせることすら困難だ。カダフィーにも、それはよく分かっている。しょせん明石は下僕の一人にすぎない。我を忘れて無謀をおかすほどには、彼女も激昂してはいなかった。

 それでも、憎悪を込めてアルフラを睨みつける。


「覚えておいで、この餓鬼……」


「とりあえず、やることやっちまおう。ロマリアはレギウスに比べて、夜が明けるのも早い。なるべく急いだ方がいい」



 シグナムの一声で、場に満ちた殺気が薄れる。そして真夜中の撤収作業が始まった。





 一行が、死体を焼くための油を取りにいったあと、広場にはルゥが一人でたたずんでいた。

 明石の遺骸を見下ろし、狼少女はささやくように尋ねる。


「ねぇ。キミって、ほんとうはいい吸血鬼だったの?」


 答える者もなく、湿った生暖かい風だけが、ルゥの肌を撫でてゆく。


「キミはただ、ボクと友達になりたかっただけなの?」


 それはすでに物言わぬ(むくろ)と化した、明石にしか知りえぬことだった。

 ルゥは、どこまでも暗い夜空を見上げる。


「……アルフラ……」



 一番最初に出来た、人間の友達の名をつぶやき――ルゥは一人、悲しげにたたずむ。

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