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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
136/251

悪逆鬼道(前)



 ほそい街道を、二台の馬車が進んでゆく。

 アルフラたち一行は、カモロアの街を後にし、北東――グラシェールへの途上にあった。


 先頭をゆく馬車の中では、後部座席に立て膝をついたルゥが、小窓をじっと覗き込んでいた。


「おい、ルゥ」


 おっかなびっくりといった様子で、小窓をのぞくルゥへ、シグナムが声をかける。


「なんか面白いもんでも見えるのか?」


「うん……」


 狼少女は、なにやら警戒のそぶりを見せながらも、後ろからついて来る荷馬車を見つめているようだ。


「うひっ!?」


 突如奇声を上げたルゥが、小窓から身を隠すように座席へ伏せる。


「……なんですの?」


 隣で魔導書を読んでいたジャンヌが、迷惑そうにルゥをにらむ。


「わ、笑った……」


「……は?」


「あ、あいつ、ボクを見て笑ったの!」


 シグナムとジャンヌは、ルゥが指差す小窓へ顔をよせる。そこには、一定の間隔をおいてついて来る荷馬車が一台。御者台の上には、(たずな)を握った男の姿があった。


 今朝方、カモロアを発つにあたり、もとから連れていた御者は、レギウスへと帰していた。グラシェールへの道中は、あまりに危険だと判断した結果だ。代わりにアルフラたちが乗り込んだ馬車の御者台には、シグナムとフレインが交代で座っている。そして荷馬車の御者は、カダフィーの犠牲者たち――昼間はもっぱら、明石(あかし)と呼ばれる男が(たずな)を握っていた。彼はもともと魔族であり、なりたて吸血鬼ながら、日光へ対する耐性が強い。


 明石は日よけの外套をまとい、フードを深く下ろしていた。顔は大方隠れているが、わずかにのぞいた口許は、むっつりと引き結ばれている。


「べつに、普通だぞ」


「……ですわ」


 シグナムとジャンヌは小窓から顔を離し、座席に腰を落ち着ける。


「すこし静かにしていて下さいましね」


 そう告げて、ジャンヌは読みかけの魔導書を開く。新たな殺人治癒魔法の習得に余念がない。そんな神官娘を横目に見つつ、ルゥはふたたび小窓を覗き込む。すると、それまで閉じられていた明石の唇が、にんまりと開かれた。


「ひゃああ――!?」


 明石の口からは長めの犬歯がはみ出ており、陽光を反射した牙が、ルゥを威嚇するようにキラリと光っていた。


「やっぱり笑ってる! 笑ってるよっ!!」


「よかったな。きっと気入られたんだろ。ルゥは()きが良くて美味(うま)そうだもんな」


 からかうように笑うシグナムの手を掴み、ルゥは小窓を指差す。


「きらっ、て! 牙がきらっって光ってるの!!」


「吸血鬼だし、そういうこともあるんじゃないか?」


 かるくあしらわれたルゥは、シグナムの隣に座ったアルフラへ向き直る。


「ほら、アルフラも見てよっ。あいつきっと、ボクたちのこと食べちゃうつもりなんだ!」


「うるさいですわ! いまいいところなのですから、静かにしていて下さい」


 眉をよせたジャンヌが、ルゥのぷにぷにとした頬をつねり上げる。


「だって、光ったんだよ! すっごく光ってるんだよ!!」


 毛を逆立たせたルゥは、負けじとジャンヌの唇をつまむ。

 あまり広くはない車内で、取っ組み合いを始めた二人に、シグナムは大きなため息をついた。


「静かにしろ。あんまりうるさくしてると、アルフラちゃんを怒らせちまうぞ」


 効果はてきめんだった。

 ルゥはジャンヌの唇と耳から手を離し、しょんぼりとしてしまう。そして、ちらりとアルフラを盗み見る。


 しかし、騒ぎの間中、じっと目をつむっていたアルフラは、かわらず静かにシグナムの隣で座していた。


「……ごめんね、アルフラ。うるさくして……」


 おそるおそる声をかけてみたルゥだったが、やはり何の反応も返ってこない。


「ねぇ、アルフラ……おこってるの?」


 ルゥはただ、退屈していただけなのだ。

 一日中、馬車の中で座ってすごすのは、快活なルゥにとって、かなりつらいものがある。

 トスカナ砦を出発してからというもの、隣に座ったジャンヌは本とにらめっこだ。アルフラはずっと、心ここにあらずといった感じで、なにを考えているのか分からない。そのうえ常に、ピリピリとした空気を(かも)しているので、非常に話しかけづらかった。だが、一番こわいのは、アルフラが頭上を見上げて、恍惚とした顔をしているときだ。そんなときは、決まって車内は寒いほどに冷え込み、とても不穏な空気が流れる。

 アルフラがそんな状態なので、シグナムの口数もへり、すこし憂鬱そうだ。

 フレインだけは変わらず、いつも通りおろおろとしていた。頼りにならない子分である。


「……つまんない」


 誰にも届かないほどの小さなつぶやきが、ぽそりと響いた。



 それからしばらく、ルゥは座席に腰かけたまま、ふてくされたように足をぷらぷらとさせていた。





 午後をすぎ、ゆるやかに日が傾きかけたころ、車外から御者台との仕切りが開かれた。そこからフレインが顔をのぞかせる。


「ロマリア軍の駐屯地が見えて来ましたよ」


 カモロアから半日の距離に位置するその駐屯地は、国境から侵入してくる魔族を監視するためのものだ。規模はさほどでもないが、グラシェールへ向かうにあたり、最後の補給を受けられる場所でもあった。

 アウラのはからいにより、物資には余裕がある。しかし、夏のロマリアでは、水や食糧といったものはいたみやすい。

 シグナム達はこの駐屯地で、消耗品や糧食を融通してもらおうと考えていた。


 ほどなくして馬車は止まり、外からは兵士のものであろう推可の声が聞こえてきた。


 馬車から降りたシグナムは、フレインと共に門兵と向き合う。

 堅固な柵で作られた門の前で、二人の兵士が槍を交差させていた。

 より年かさなほうが口を開く。


「その馬車に刻まれている紋章は、魔術士ギルドのものとお見受けするが、相違ないか?」


「ええ、間違いありません。私達はレギウスよりまいりました」


「ごくろうさん。そう堅苦しくするなよ。あやしいもんじゃないのは、見てわかるだろ」


 穏やかに答えたフレインとシグナムを見比べ、兵士はさらに問う。


「どこへ何の目的で向かうのか、簡潔に説明を」


「生真面目なやつだなぁ……あたし達はグラシェールへ向かう途中だよ」


 愚痴をこぼしつつ肩をすくめたシグナムの隣で、フレインが導衣の懐から、一枚の封書を取り出す。


「言葉で説明するより、これを見ていただいた方がはやいでしょう」


 差し出された封書を、兵士はじっと見つめる。だが、手をつけようとはしない。


「これは?」


「エルテフォンヌ伯爵代行、アウレリア・コンラート・エルテフォンヌ様がしたためられたものです」


 それまで事務的な無表情をたもっていた兵士の顔に、軽い驚愕が浮かぶ。


「中を検分させていただいても?」


「もちろんです。どうぞご覧ください」


「失礼する」


 両手で封書を受けとった兵士は、中から羊皮紙を取り出し、その内容を熟読する。やがて、


「失礼いたしました。この書には、あなた方はロマリアの恩人であり、領内の者は可能な限り便宜を尽くすように、と記されております」


 深く頭を下げた兵士は、さきほどとは打って変わり、柔和な表情をしていた。


「私はギルバートと申します。横柄な物言いをしたことは、どうか(ひら)にご容赦を」


「ああ、いいって。それがあんたの仕事だしな。じゃあ早速で悪いんだけどさ、水や保存食なんかをいくらか分けてほしいんだけど――いいかい?」


 ギルバートと名乗った兵士は、折り目正しく返答する。


「それには隊長の判断を仰ぐ必要があります。しかし、おそらくは問題ないでしょう」


「そうかい。助かるよ」


「では、隊長をお呼びいたしますので、その間あなた方は……ああ、ちょうどよいところに、哨戒の任にあたっていた分隊が戻って来たようです」


 見ると街道をはずれた東の平原から、八名ほどの兵士がこちらへ歩いてくる。

 ギルバートはその者たちにいくつか指示を出し、シグナムに向き直る。


「駐屯地内の広場まで案内いたしますので、この者にご同行ください。そちらで馬を休ませるとよいでしょう」


 ギルバートに指し示された若い兵士が、シグナムとフレインへ頭を下げる。


「私は隊長を呼んでまいりますので、広場にてしばしお待ち願えますか?」


「わかった。よろしく頼むよ」


 こうして一行は、駐屯地内へ足を踏み入れることになった。そして、中央に高い物見矢倉がある広場へと案内される。


 二台の馬車を広場の隅へ止め、一行はぞろぞろと外へ降り立つ。半日ほども座りぱなし揺られぱなしであったので、みなは凝り固まった体を、思い思いに伸ばしたり捻ったりなぞしていた。

 その様子を、矢倉の上で、監視任務に従事していた二人の兵士が、物珍しげに眺めている。レギウス人だというだけでも見慣れぬうえ、妙に女性比率の高い一行に、興味津々といった(てい)だ。


 荷馬車から降りて来たカダフィーが、頭上の兵士たちに気づき、体をくねらせて(しな)を作って見せる。

 若い盛りの兵士たちが顔を赤らめたのを見て、女吸血鬼はほくそ笑む。そして、ちろりと唇を舐めた。


「カダフィー、くれぐれも――」


 硬い声で小言を始めようとしたフレインへ、カダフィーはうんざり顔で手をひらひらとさせる。


「わかってるさ。いくらあたしでも、兵隊に手を出したりはしないよ。ロマリア軍と揉めたかないからね」


「ならいいのですが……」


吸血鬼(あたしたち)が獲物にするのはね、身寄りがなかったり世間に(うと)まれていたり――そういう、ある日突然いなくなったとしても、誰も探さない、誰も困らない、そんな(やつ)ばらさ」


 牙を剥いて笑うカダフィーに、フレインは顔をしかめる。そして、女吸血鬼の三歩後ろにたたずむ明石へ目を向けた。


「あなたの犠牲者達にも、きつく申しつけておいて下さい。万が一、我々が国軍の兵士を(あや)めるようなことがあれば、レギウス-ロマリア間の問題にもなりかねないのですからね」


「だからわかってるって。本当にフレイン坊やは心配性だねぇ」


 そのやりとりを聞いていたシグナムが、いやいや、と首を振る。


「魔族で吸血鬼なんて、あたしだって心配になってくる」


「フフ、元は魔族といっても“犠牲者”となったからには、私の子も同然さ。こいつらにはね、絶対的な強制力が働くんだよ。私の命令には決して逆らえない」


 カダフィーは明石を振り返る。


「そうだね?」


「はい。私はカダフィー様の、忠実な下僕にございます。不死の体を与えて下さったカダフィー様には、深く感謝しております」


「うんうん。いい子だね、お前は」


 明石は長い体躯を折り、一礼した。そして、うっとりとつぶやく。


「不死者というものが、これほど素晴らしいとは思いませんでした。肉体は頑強なうえ、生の(くびき)から解き放たれことにより、私の力は以前と比べものにならないほどに増している。カダフィー様には、感謝の念しかございません」


「……力を増した魔族って……」


 シグナムは眉をひそめる。


「いろんな意味で不安なんだが……」


「大丈夫だって。この子も言っただろ。私の忠実な下僕だってね。ロマリアの兵隊にも、あんた達にも、悪さをさせたりはしないよ」


「ほんと?」


 シグナムの後ろから、じっと明石を見つめていたルゥが、疑わしそうにしている。


「ボクのこと食べないでねっ、て言っといて」


 どうやらさきほどシグナムが、ルゥは美味しそうだから気に入られている、と言ったのを真に受けているようだ。

 そんな狼少女にだけ見える角度で、明石は、にたり、と口を裂くように開いた。


「うぅ……また笑ったぁ……」


 どうやら、気に入られているのは確かなようだ。

 そうこうしている内に、ギルバートを後ろに従えた駐屯地の隊長がやって来た。


「お待たせしました、レギウスの方々。私は現在この駐屯地の指揮を任されている、ロシュウォールと申します。お気軽にロッシュとお呼び下さい」


 人好きのする笑顔でそう挨拶をしたロッシュは、三十歳前後の偉丈夫であった。シグナムほどではないにしても、大柄で鍛え上げられた体つきをしている。

 シグナムとフレインも名を名乗り、物資補給の旨を告げた。

 ロッシュは鷹揚に頷く。


「わかりました。糧食の方は荷ほどきの必要があるので、少々お待ちいただけますか?」


「荷をほどく?」


「ええ、実は現在撤収作業中でして、糧食等もすでに、台車へ積み込んでしまっているのですよ」


「撤収作業って……」


 シグナムがすこし驚いた顔をする。


「あんた達は、この駐屯地を引き払うのか?」


「ええ、つい先日のことなのですが、上都からの命令がありまして。あなた方も、南方で黒死の病が流行していることはご存知ですよね?」


「ああ、話には聞いてる」


「その件で、新たな任務を与えられたのです。我々は被害地域に赴き、生存者の救助、及び感染者の隔離、余裕があれば被害状況の詳細な確認等を申しつけられました」


 思わずフレインは、気の毒そうな顔をする。


「それはまた……命懸けの任務ですね」


 ロッシュのにこやかな表情にも、やや陰が生じる。


「そうですね。任務期間が長引けば、我々の中にも感染する者が出て来るでしょう。しかし、誰かがやらねばならぬことです」


 意思の強さをかいま見せる真っ直ぐな目で、ロッシュは穏やかに告げる。


「私達は、民を守るべきロマリアの兵士ですからね。たとえ生死にかかわる任務であろうとも、そこに是非はありません」


 感銘を受けたように、フレインは何度も頷く。


「ご立派な考えです」


「あんたといい、さっきの門兵といい……ロマリアの兵士は優秀だね。職業軍人の(かがみ)みたいなやつだ」


 普段は損得勘定を最優先とするシグナムも、ロッシュの言葉には幾分思うところがあったようだ。


「徴兵制のあるロマリアは、レギウスなんかと比べると、兵の錬度が低いって話だけど、そうとも言えないみたいだね」


「いえいえ」


 ロッシュは謙遜するように笑う。


「私やギルバートは、責任のある立場ですからそう振る舞っているだけですよ。下の者にまでは、やはり規律を遵守(じゅんしゅ)させることは難しいです」


 そう言って、ロッシュは物見矢倉を見上げた。そして、鋭い声を発する。


「お前達! 女の尻ばかり眺めていないで仕事をしろ。周辺警戒を(おこた)るな!」


 物見矢倉の兵士二人は、カダフィーの腰つきにご執心なようだった。しかし、ロッシュに叱責されて、取り繕うようにあたりを見回す。


「見苦しいところをお見せしました」


 頭を下げたロッシュを見て、カダフィーは妖艶に笑う。


「私はべつに構わないよ。なんなら二人まとめてお相手してやってもいいくらいさ」


「カダフィー、あなたは本当にわかっているのですか?」


 フレインの(とが)める視線を避けて、女吸血鬼はそっぽを向く。

 だが、その会話が聞こえたらしい物見矢倉の兵士たちは、食い入るようにカダフィーを見つめていた。

 これにはロッシュも、苦笑混じりの叱責を飛ばす。


「お前達の夕食は一品抜きだ」


 穏当な処置ではあるが、物見矢倉からは、この世の終わりのような悲鳴が返ってきた。


「まあ、国は違っても、若い奴が考えてることは、あんまり変わらないみたいだね。頭の中身は女、女、だ」


 シグナムの言葉に、ロッシュはひたすら恐縮する。


「面目次第もございません」


「いいって、いいって。ヤりたい盛りの男共なんてそんなもんさ」


 自身もまだ三十に届かぬ若輩ながら、若いもんは元気だねえ、といった様子でシグナムはうんうんと頷く。


「あの……」


 なごやむシグナムとロッシュへ、フレインが遠慮がちに声をかける。


「そろそろ補給の方を……」


「おお、そうでしたな。こうしていては日が暮れる。すぐに手配いたしましょう」


「あっ、よろしければ、血止めの薬草なども少し分けてもらえませんか?」


 ロッシュは(こころよ)くフレインの頼みに応じる。


「ええ、構いませんよ」


「ありがとうございます。激戦後のトスカナ砦では薬品類が底をついていまして。手持ちに余裕がなかったのです」


「そうですか。血止めは……どの荷台に積んだのだったか……」


 しばし考えて、ロッシュはギルバートへひとつ命じる。


「物資の目録を持って来てくれ」


「わかりました」


 兵舎の方へ駆けて行ったギルバートを見送り、ロッシュはすまなそうにフレインを見る。


「少し時間がかかるかもしれません。なにぶん撤収作業はあらかた終わり、明日にもこの駐屯地を発つ予定でしたので」


「いえ、お忙しいところ、ご迷惑をおかけします」


 フレインとロッシュはたがいに頭を下げあう。


「どうするフレイン。日も落ちてきたし、今日はここで野営をさせてもらうか?」


「そうですね……」


 フレインは、退屈そうにしているルゥとジャンヌへ目を向ける。アルフラは馬車の中へ戻っているようだ。


「よろしければ、こちらで屋根のある寝床を提供いたしましょうか?」


「それはありがたいけど……天幕なんかも、あらかた畳んじまってるんじゃないのか?」


「はい。ですが、物資を運び出した倉がからになっていますので、そちらをお使いいただければ。――少々埃っぽいですが、広さは充分なはずです」


 シグナムと目を見交わし、フレインが答える。


「お言葉に甘えさせていただきます」


「では、案内をさせましょう。味は保証出来ませんが、食事の方も量だけは充分にお運びいたしますよ」


「やったぁ!」


 ルゥから歓声が上がった。

 馬車での一件から、やや元気のなかった狼少女ではあったが、根は単純だ。すでにご機嫌である。


「それじゃあ私は、夜まですこし寝直そうかね」


 カダフィーは、あくび混じりに荷馬車へと向かう。


「あたしは荷ほどきを手伝うよ。力仕事は得意だからね。なかなか手間のかかる作業なんだろ?」


 シグナムの言に、フレインも追従する。


「でしたら私もお手伝いしますよ。肉体労働には、あまり自信はありませんが……親切を受けてばかりでは、気が咎めますからね」


「それは助かります。もともとこの駐屯地には、二百名ほどの兵士が配備されていたのですが、すでにあらかたカモロアへ移動していましてね。今では私の小隊しか残っておらず、いささか手が足りていなかったのですよ」


「小隊……?」


 シグナムは軽く眉をひそめる。


「じゃあ今ここには、四十人くらいの兵士しかいないのか?」


「はい。四十名弱ですね」


「洒落になんないな。もし魔族がやって来たらイチコロだ」


「ええ、冷や冷やとしています。それはそうと――」


 ロッシュはルゥとジャンヌへ目を向ける。


「そちらのお嬢さん方は、先に倉へと案内しておきますか?」


「そうだね……そうしてくれ」


 シグナムは馬車の方へと歩みより、扉を開く。そして、閉め切られた蒸し暑い車内で、一人涼しげにしているアルフラへ声をかけた。


「聞こえてたと思うけど、あたしとフレインは、物資の積み込みやらを手伝ってくる。アルフラちゃん達は、先に物資倉へ行っててくれ」


「……うん、わかった」


 簡素に答えたアルフラを、シグナムはすこし心配げに見つめる。


「飯は運んでくれるそうだから、あたし達の帰りが遅くなるようなら、先に食べといてくれ」


 これには無言が返された。


「ちゃんと食べないとだめだよ。あたし達は体が資本なんだからね」


 かすかに頷いたアルフラを見て、しばらくシグナムはなにか言いたげにしていたが、結局そのまま扉を閉ざした。そしてロッシュ達の方へ戻る。


「物資を積み込んだ荷台ってのはどこにあるんだい? さっさとすませちまおう」


「駐屯地の入口近くです。目当ての物を見つけるまで、少し時間がかかるかもしれません。なんせ十台ほどもありますので」


「わかった。とりあえず行こう」



 荷台が十もあると聞いて、フレインの顔には早くも後悔がにじみはじめていた。





 アルフラ達は駐屯地の奥、兵舎などの施設からはやや離れた、資材倉庫に案内された。

 その区画だけは、背の高い草木が生い茂っており、やや涼しい。あまり見通しもよくなく、周囲からは死角になっていた。襲撃を受けた際、敵方に資材倉庫を発見されづらくする、偽装の意味もあるのだろう。


 馬は立ち木に繋ぎ、アルフラとルゥ、そしてジャンヌの三人は、倉へと入る。中はからの木箱がいくつか積んであるだけで、がらりとしていた。造りがしっかりしているため、空気の流れは滞り、すこし埃っぽい。

 風を入れるために戸を開け放したままにしていると、ほどなく四人の兵士が大きな土鍋などを運んで来た。

 兵士達は、三人の少女にややねちっこい視線を投じつつも、とくになにを喋るでもなく、食器類を置くとそのまま立ち去っていった。


 施された食事は、ロッシュの言葉通り、量だけは充分なようだ。(ふか)した穀物や肉と野菜のスープ。南国特有の色とりどりな果物。

 ルゥはとても上機嫌である。

 早速ジャンヌが料理を取り分け、アルフラとルゥへ配る。


 アルフラは、具のたっぷりとよそわれたスープにすこしだけ口をつけ、果物に手を伸ばす。そして、にぎりこぶしほどの赤い実を皮のままかじる。その頃には、すでにルゥは自分の分を、ぺろりと平らげてしまっていた。


 そんな狼少女へアルフラは、


「……ん」


 まだほとんど手のつけられていない自分の食器を押しやる。


「え……くれるの?」


 それには答えず、アルフラはしゃりしゃりと赤い実をかじる。


「ありがとっ!」


 嬉しそうにしたルゥだったが、ふとその手がとまる。


「あ……でもお姉ちゃんが、アルフラはちゃんと食べないとダメって言ってた」


 物欲しそうにしながらも、めったに使用されることのない気を(つか)ったルゥに、ジャンヌはびっくりしたようだ。食い意地のはったルゥが、食事を遠慮するなんて……。そんな顔である。

 しかし、アルフラは首を振る。


「お腹へってない。あたし、あんまり食べなくても平気だから」


「……そうなんだ?」


 いぜん、アルフラを気にしつつも、ルゥは食器へ手をのばす。

 赤い実を食べおえたアルフラは、がさごそと自分の荷物をあさりはじめた。

 すぐに目当ての物を見つけ、立ち上がる。


「ねぇ、アルフラっ」


 わずかな時間で、アルフラのぶんまで食べおえたルゥが駆けよる。その手には、木の棒がにぎられていた。


「あそぼっ」


 アルフラの眼前(がんぜん)に、ぐっと棒が突き出される。

 なげろ、ということらしい。


「……」


 楽しげに、にこにことする狼少女とは対照的に、アルフラは()めた瞳で視線を切る。そのまま無言で戸口へ向かった背を、ルゥは慌てて追いかける。


「ねぇ、まってよう。ちょっとでいいからぁ」


 すこし媚びを含んだ甘えた声で、ルゥはアルフラの周りをくるくるとじゃれまわる。

 だが、まとわりつく狼少女へ、あっさりとした拒絶の言葉が返る。


「どいて」


 それは、無邪気なルゥの動きを止めてしまう程度には、冷やかな声音だった。


「……アルフラぁ」


 かなしげな響きの呼びかけにも振り返ることなく、後ろ姿は戸口へと消えていった。

 その場にぺたりと座り込んでしまったルゥへ、ジャンヌが声をかける。


「……ルゥ。わたしもあまり食欲がないので、全部食べてしまってよいですわよ」


「……いらない」


 膝を抱えるようにして、ルゥはぽつりとつぶやく。


「アルフラ、どうしちゃったのかな……」


 ジャンヌも答えあぐねてしまい、気まずい沈黙がおりた。


「……つまんないよ……」


 ルゥが、初めてアルフラたちと出会った頃は、毎日が楽しかった。驚きの連続であった。

 人間たちの扱う道具はみな物珍しく、野山で育ったルゥにとって、その暮らしぶりは驚異に満ちていた。

 アルフラも今とは違い、よく遊んでくれた。

 いまではお気に入りの棒遊びも、教えてくれたのはアルフラだ。

 獣人族の習性は、野生動物のそれに近い。人間とはことなり、(こよみ)を日単位で細分化することはなく、月齢や季節単位でしか理解しない。そのため、時間に対する感覚が、やや曖昧である。

 そんなルゥには、アルフラが最後に棒を投げてくれたのがいつだったか、思い出すことは困難になっていた。


 だからすこし――そう、ほんのすこしだけ、かまって欲しかっただけなのだ。


 くすんと鼻をならした狼少女の前に、ジャンヌがしゃがみ込む。そして、ルゥが今まで聞いたこともないような優しい声で、


「泣いて、いるのですか?」


 そう問い掛けた。


「な、泣いてなんかないよっ!」


 いたわりの声に、よけい瞳をうるませてしまったルゥは、怒ったようにジャンヌをにらむ。


「ボクは白狼族の戦士なんだから! ばかにしないでよねっ」


「ふふ、ではアルフラのかわりに、わたしが――」


 棒を、と言いかけたところで、戸口から低い男の声が響いた。


「もしよろしければ、私が棒を投げてさしあげましょうか、お嬢さん?」


 開け放たれた戸口に立つ男は、背後に薄闇をまとっていた。夜の気配が吹き付けてくる。

 カダフィーの犠牲者。かつては魔族であった吸血鬼、明石だ。

 まるで、アルフラがいなくなるのを、そして夜になるのを待っていたかのように、明石はやって来た。

 シグナムもフレインもいない、ルゥとジャンヌ二人きりの倉の中へ、闇夜の吸血鬼が、一歩、足を踏み入れる。


 口許には微笑み。


 かいま見えた鋭い牙の尖端は、硬質な煌めきを帯びている。

 ジャンヌは、かばうようにルゥの前へ立つ。

 右腕の裾口から、じゃらりと鉄鎖“脳天かち割り”がこぼれ落ちた。


「……忌まわしい不死者が、わたしたちになんの用ですの?」


「これは異なことを。私はただ、人狼のお嬢さんと遊んで差し上げようと思っただけですよ」


 口の()を吊り上げ、明石はさらに一歩、足を踏み出す。


「お下がりなさいっ、吸血鬼風情が!!」


 ジャンヌは油断なく構えを取り、拳に鉄鎖を巻き付ける。


「ボ、ボクは、キミになんて遊ばれたくないっ。棒はアルフラに投げてほしいんだから!」


 ややおよび腰のルゥが叫ぶと、明石はさも悲しげに肩をすくめる。


「そう嫌わずともよいではありませんか。私はこう見えても紳士でしてね。ククッ……あたなのような、いたいけな少女の涙に弱いのですよ」


 芝居じみた口調で言い、明石は牙を見せて笑った。

 狼少女も負けじと犬歯を剥いて威嚇する。


「あっちいけっ!」


 ふーふーとうなるルゥへ、明石はやれやれと首を振る。


「では……仕方ありませんね」



 肌を隠す漆黒の外套をはためかせて、明石は大きく腕を広げた。

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