悪逆鬼道(前)
ほそい街道を、二台の馬車が進んでゆく。
アルフラたち一行は、カモロアの街を後にし、北東――グラシェールへの途上にあった。
先頭をゆく馬車の中では、後部座席に立て膝をついたルゥが、小窓をじっと覗き込んでいた。
「おい、ルゥ」
おっかなびっくりといった様子で、小窓をのぞくルゥへ、シグナムが声をかける。
「なんか面白いもんでも見えるのか?」
「うん……」
狼少女は、なにやら警戒のそぶりを見せながらも、後ろからついて来る荷馬車を見つめているようだ。
「うひっ!?」
突如奇声を上げたルゥが、小窓から身を隠すように座席へ伏せる。
「……なんですの?」
隣で魔導書を読んでいたジャンヌが、迷惑そうにルゥをにらむ。
「わ、笑った……」
「……は?」
「あ、あいつ、ボクを見て笑ったの!」
シグナムとジャンヌは、ルゥが指差す小窓へ顔をよせる。そこには、一定の間隔をおいてついて来る荷馬車が一台。御者台の上には、鞁を握った男の姿があった。
今朝方、カモロアを発つにあたり、もとから連れていた御者は、レギウスへと帰していた。グラシェールへの道中は、あまりに危険だと判断した結果だ。代わりにアルフラたちが乗り込んだ馬車の御者台には、シグナムとフレインが交代で座っている。そして荷馬車の御者は、カダフィーの犠牲者たち――昼間はもっぱら、明石と呼ばれる男が鞁を握っていた。彼はもともと魔族であり、なりたて吸血鬼ながら、日光へ対する耐性が強い。
明石は日よけの外套をまとい、フードを深く下ろしていた。顔は大方隠れているが、わずかにのぞいた口許は、むっつりと引き結ばれている。
「べつに、普通だぞ」
「……ですわ」
シグナムとジャンヌは小窓から顔を離し、座席に腰を落ち着ける。
「すこし静かにしていて下さいましね」
そう告げて、ジャンヌは読みかけの魔導書を開く。新たな殺人治癒魔法の習得に余念がない。そんな神官娘を横目に見つつ、ルゥはふたたび小窓を覗き込む。すると、それまで閉じられていた明石の唇が、にんまりと開かれた。
「ひゃああ――!?」
明石の口からは長めの犬歯がはみ出ており、陽光を反射した牙が、ルゥを威嚇するようにキラリと光っていた。
「やっぱり笑ってる! 笑ってるよっ!!」
「よかったな。きっと気入られたんだろ。ルゥは活きが良くて美味そうだもんな」
からかうように笑うシグナムの手を掴み、ルゥは小窓を指差す。
「きらっ、て! 牙がきらっって光ってるの!!」
「吸血鬼だし、そういうこともあるんじゃないか?」
かるくあしらわれたルゥは、シグナムの隣に座ったアルフラへ向き直る。
「ほら、アルフラも見てよっ。あいつきっと、ボクたちのこと食べちゃうつもりなんだ!」
「うるさいですわ! いまいいところなのですから、静かにしていて下さい」
眉をよせたジャンヌが、ルゥのぷにぷにとした頬をつねり上げる。
「だって、光ったんだよ! すっごく光ってるんだよ!!」
毛を逆立たせたルゥは、負けじとジャンヌの唇をつまむ。
あまり広くはない車内で、取っ組み合いを始めた二人に、シグナムは大きなため息をついた。
「静かにしろ。あんまりうるさくしてると、アルフラちゃんを怒らせちまうぞ」
効果はてきめんだった。
ルゥはジャンヌの唇と耳から手を離し、しょんぼりとしてしまう。そして、ちらりとアルフラを盗み見る。
しかし、騒ぎの間中、じっと目をつむっていたアルフラは、かわらず静かにシグナムの隣で座していた。
「……ごめんね、アルフラ。うるさくして……」
おそるおそる声をかけてみたルゥだったが、やはり何の反応も返ってこない。
「ねぇ、アルフラ……おこってるの?」
ルゥはただ、退屈していただけなのだ。
一日中、馬車の中で座ってすごすのは、快活なルゥにとって、かなりつらいものがある。
トスカナ砦を出発してからというもの、隣に座ったジャンヌは本とにらめっこだ。アルフラはずっと、心ここにあらずといった感じで、なにを考えているのか分からない。そのうえ常に、ピリピリとした空気を醸しているので、非常に話しかけづらかった。だが、一番こわいのは、アルフラが頭上を見上げて、恍惚とした顔をしているときだ。そんなときは、決まって車内は寒いほどに冷え込み、とても不穏な空気が流れる。
アルフラがそんな状態なので、シグナムの口数もへり、すこし憂鬱そうだ。
フレインだけは変わらず、いつも通りおろおろとしていた。頼りにならない子分である。
「……つまんない」
誰にも届かないほどの小さなつぶやきが、ぽそりと響いた。
それからしばらく、ルゥは座席に腰かけたまま、ふてくされたように足をぷらぷらとさせていた。
午後をすぎ、ゆるやかに日が傾きかけたころ、車外から御者台との仕切りが開かれた。そこからフレインが顔をのぞかせる。
「ロマリア軍の駐屯地が見えて来ましたよ」
カモロアから半日の距離に位置するその駐屯地は、国境から侵入してくる魔族を監視するためのものだ。規模はさほどでもないが、グラシェールへ向かうにあたり、最後の補給を受けられる場所でもあった。
アウラのはからいにより、物資には余裕がある。しかし、夏のロマリアでは、水や食糧といったものはいたみやすい。
シグナム達はこの駐屯地で、消耗品や糧食を融通してもらおうと考えていた。
ほどなくして馬車は止まり、外からは兵士のものであろう推可の声が聞こえてきた。
馬車から降りたシグナムは、フレインと共に門兵と向き合う。
堅固な柵で作られた門の前で、二人の兵士が槍を交差させていた。
より年かさなほうが口を開く。
「その馬車に刻まれている紋章は、魔術士ギルドのものとお見受けするが、相違ないか?」
「ええ、間違いありません。私達はレギウスよりまいりました」
「ごくろうさん。そう堅苦しくするなよ。あやしいもんじゃないのは、見てわかるだろ」
穏やかに答えたフレインとシグナムを見比べ、兵士はさらに問う。
「どこへ何の目的で向かうのか、簡潔に説明を」
「生真面目なやつだなぁ……あたし達はグラシェールへ向かう途中だよ」
愚痴をこぼしつつ肩をすくめたシグナムの隣で、フレインが導衣の懐から、一枚の封書を取り出す。
「言葉で説明するより、これを見ていただいた方がはやいでしょう」
差し出された封書を、兵士はじっと見つめる。だが、手をつけようとはしない。
「これは?」
「エルテフォンヌ伯爵代行、アウレリア・コンラート・エルテフォンヌ様がしたためられたものです」
それまで事務的な無表情をたもっていた兵士の顔に、軽い驚愕が浮かぶ。
「中を検分させていただいても?」
「もちろんです。どうぞご覧ください」
「失礼する」
両手で封書を受けとった兵士は、中から羊皮紙を取り出し、その内容を熟読する。やがて、
「失礼いたしました。この書には、あなた方はロマリアの恩人であり、領内の者は可能な限り便宜を尽くすように、と記されております」
深く頭を下げた兵士は、さきほどとは打って変わり、柔和な表情をしていた。
「私はギルバートと申します。横柄な物言いをしたことは、どうか平にご容赦を」
「ああ、いいって。それがあんたの仕事だしな。じゃあ早速で悪いんだけどさ、水や保存食なんかをいくらか分けてほしいんだけど――いいかい?」
ギルバートと名乗った兵士は、折り目正しく返答する。
「それには隊長の判断を仰ぐ必要があります。しかし、おそらくは問題ないでしょう」
「そうかい。助かるよ」
「では、隊長をお呼びいたしますので、その間あなた方は……ああ、ちょうどよいところに、哨戒の任にあたっていた分隊が戻って来たようです」
見ると街道をはずれた東の平原から、八名ほどの兵士がこちらへ歩いてくる。
ギルバートはその者たちにいくつか指示を出し、シグナムに向き直る。
「駐屯地内の広場まで案内いたしますので、この者にご同行ください。そちらで馬を休ませるとよいでしょう」
ギルバートに指し示された若い兵士が、シグナムとフレインへ頭を下げる。
「私は隊長を呼んでまいりますので、広場にてしばしお待ち願えますか?」
「わかった。よろしく頼むよ」
こうして一行は、駐屯地内へ足を踏み入れることになった。そして、中央に高い物見矢倉がある広場へと案内される。
二台の馬車を広場の隅へ止め、一行はぞろぞろと外へ降り立つ。半日ほども座りぱなし揺られぱなしであったので、みなは凝り固まった体を、思い思いに伸ばしたり捻ったりなぞしていた。
その様子を、矢倉の上で、監視任務に従事していた二人の兵士が、物珍しげに眺めている。レギウス人だというだけでも見慣れぬうえ、妙に女性比率の高い一行に、興味津々といった態だ。
荷馬車から降りて来たカダフィーが、頭上の兵士たちに気づき、体をくねらせて科を作って見せる。
若い盛りの兵士たちが顔を赤らめたのを見て、女吸血鬼はほくそ笑む。そして、ちろりと唇を舐めた。
「カダフィー、くれぐれも――」
硬い声で小言を始めようとしたフレインへ、カダフィーはうんざり顔で手をひらひらとさせる。
「わかってるさ。いくらあたしでも、兵隊に手を出したりはしないよ。ロマリア軍と揉めたかないからね」
「ならいいのですが……」
「吸血鬼が獲物にするのはね、身寄りがなかったり世間に疎まれていたり――そういう、ある日突然いなくなったとしても、誰も探さない、誰も困らない、そんな奴ばらさ」
牙を剥いて笑うカダフィーに、フレインは顔をしかめる。そして、女吸血鬼の三歩後ろにたたずむ明石へ目を向けた。
「あなたの犠牲者達にも、きつく申しつけておいて下さい。万が一、我々が国軍の兵士を殺めるようなことがあれば、レギウス-ロマリア間の問題にもなりかねないのですからね」
「だからわかってるって。本当にフレイン坊やは心配性だねぇ」
そのやりとりを聞いていたシグナムが、いやいや、と首を振る。
「魔族で吸血鬼なんて、あたしだって心配になってくる」
「フフ、元は魔族といっても“犠牲者”となったからには、私の子も同然さ。こいつらにはね、絶対的な強制力が働くんだよ。私の命令には決して逆らえない」
カダフィーは明石を振り返る。
「そうだね?」
「はい。私はカダフィー様の、忠実な下僕にございます。不死の体を与えて下さったカダフィー様には、深く感謝しております」
「うんうん。いい子だね、お前は」
明石は長い体躯を折り、一礼した。そして、うっとりとつぶやく。
「不死者というものが、これほど素晴らしいとは思いませんでした。肉体は頑強なうえ、生の軛から解き放たれことにより、私の力は以前と比べものにならないほどに増している。カダフィー様には、感謝の念しかございません」
「……力を増した魔族って……」
シグナムは眉をひそめる。
「いろんな意味で不安なんだが……」
「大丈夫だって。この子も言っただろ。私の忠実な下僕だってね。ロマリアの兵隊にも、あんた達にも、悪さをさせたりはしないよ」
「ほんと?」
シグナムの後ろから、じっと明石を見つめていたルゥが、疑わしそうにしている。
「ボクのこと食べないでねっ、て言っといて」
どうやらさきほどシグナムが、ルゥは美味しそうだから気に入られている、と言ったのを真に受けているようだ。
そんな狼少女にだけ見える角度で、明石は、にたり、と口を裂くように開いた。
「うぅ……また笑ったぁ……」
どうやら、気に入られているのは確かなようだ。
そうこうしている内に、ギルバートを後ろに従えた駐屯地の隊長がやって来た。
「お待たせしました、レギウスの方々。私は現在この駐屯地の指揮を任されている、ロシュウォールと申します。お気軽にロッシュとお呼び下さい」
人好きのする笑顔でそう挨拶をしたロッシュは、三十歳前後の偉丈夫であった。シグナムほどではないにしても、大柄で鍛え上げられた体つきをしている。
シグナムとフレインも名を名乗り、物資補給の旨を告げた。
ロッシュは鷹揚に頷く。
「わかりました。糧食の方は荷ほどきの必要があるので、少々お待ちいただけますか?」
「荷をほどく?」
「ええ、実は現在撤収作業中でして、糧食等もすでに、台車へ積み込んでしまっているのですよ」
「撤収作業って……」
シグナムがすこし驚いた顔をする。
「あんた達は、この駐屯地を引き払うのか?」
「ええ、つい先日のことなのですが、上都からの命令がありまして。あなた方も、南方で黒死の病が流行していることはご存知ですよね?」
「ああ、話には聞いてる」
「その件で、新たな任務を与えられたのです。我々は被害地域に赴き、生存者の救助、及び感染者の隔離、余裕があれば被害状況の詳細な確認等を申しつけられました」
思わずフレインは、気の毒そうな顔をする。
「それはまた……命懸けの任務ですね」
ロッシュのにこやかな表情にも、やや陰が生じる。
「そうですね。任務期間が長引けば、我々の中にも感染する者が出て来るでしょう。しかし、誰かがやらねばならぬことです」
意思の強さをかいま見せる真っ直ぐな目で、ロッシュは穏やかに告げる。
「私達は、民を守るべきロマリアの兵士ですからね。たとえ生死にかかわる任務であろうとも、そこに是非はありません」
感銘を受けたように、フレインは何度も頷く。
「ご立派な考えです」
「あんたといい、さっきの門兵といい……ロマリアの兵士は優秀だね。職業軍人の鑑みたいなやつだ」
普段は損得勘定を最優先とするシグナムも、ロッシュの言葉には幾分思うところがあったようだ。
「徴兵制のあるロマリアは、レギウスなんかと比べると、兵の錬度が低いって話だけど、そうとも言えないみたいだね」
「いえいえ」
ロッシュは謙遜するように笑う。
「私やギルバートは、責任のある立場ですからそう振る舞っているだけですよ。下の者にまでは、やはり規律を遵守させることは難しいです」
そう言って、ロッシュは物見矢倉を見上げた。そして、鋭い声を発する。
「お前達! 女の尻ばかり眺めていないで仕事をしろ。周辺警戒を怠るな!」
物見矢倉の兵士二人は、カダフィーの腰つきにご執心なようだった。しかし、ロッシュに叱責されて、取り繕うようにあたりを見回す。
「見苦しいところをお見せしました」
頭を下げたロッシュを見て、カダフィーは妖艶に笑う。
「私はべつに構わないよ。なんなら二人まとめてお相手してやってもいいくらいさ」
「カダフィー、あなたは本当にわかっているのですか?」
フレインの咎める視線を避けて、女吸血鬼はそっぽを向く。
だが、その会話が聞こえたらしい物見矢倉の兵士たちは、食い入るようにカダフィーを見つめていた。
これにはロッシュも、苦笑混じりの叱責を飛ばす。
「お前達の夕食は一品抜きだ」
穏当な処置ではあるが、物見矢倉からは、この世の終わりのような悲鳴が返ってきた。
「まあ、国は違っても、若い奴が考えてることは、あんまり変わらないみたいだね。頭の中身は女、女、だ」
シグナムの言葉に、ロッシュはひたすら恐縮する。
「面目次第もございません」
「いいって、いいって。ヤりたい盛りの男共なんてそんなもんさ」
自身もまだ三十に届かぬ若輩ながら、若いもんは元気だねえ、といった様子でシグナムはうんうんと頷く。
「あの……」
なごやむシグナムとロッシュへ、フレインが遠慮がちに声をかける。
「そろそろ補給の方を……」
「おお、そうでしたな。こうしていては日が暮れる。すぐに手配いたしましょう」
「あっ、よろしければ、血止めの薬草なども少し分けてもらえませんか?」
ロッシュは快くフレインの頼みに応じる。
「ええ、構いませんよ」
「ありがとうございます。激戦後のトスカナ砦では薬品類が底をついていまして。手持ちに余裕がなかったのです」
「そうですか。血止めは……どの荷台に積んだのだったか……」
しばし考えて、ロッシュはギルバートへひとつ命じる。
「物資の目録を持って来てくれ」
「わかりました」
兵舎の方へ駆けて行ったギルバートを見送り、ロッシュはすまなそうにフレインを見る。
「少し時間がかかるかもしれません。なにぶん撤収作業はあらかた終わり、明日にもこの駐屯地を発つ予定でしたので」
「いえ、お忙しいところ、ご迷惑をおかけします」
フレインとロッシュはたがいに頭を下げあう。
「どうするフレイン。日も落ちてきたし、今日はここで野営をさせてもらうか?」
「そうですね……」
フレインは、退屈そうにしているルゥとジャンヌへ目を向ける。アルフラは馬車の中へ戻っているようだ。
「よろしければ、こちらで屋根のある寝床を提供いたしましょうか?」
「それはありがたいけど……天幕なんかも、あらかた畳んじまってるんじゃないのか?」
「はい。ですが、物資を運び出した倉がからになっていますので、そちらをお使いいただければ。――少々埃っぽいですが、広さは充分なはずです」
シグナムと目を見交わし、フレインが答える。
「お言葉に甘えさせていただきます」
「では、案内をさせましょう。味は保証出来ませんが、食事の方も量だけは充分にお運びいたしますよ」
「やったぁ!」
ルゥから歓声が上がった。
馬車での一件から、やや元気のなかった狼少女ではあったが、根は単純だ。すでにご機嫌である。
「それじゃあ私は、夜まですこし寝直そうかね」
カダフィーは、あくび混じりに荷馬車へと向かう。
「あたしは荷ほどきを手伝うよ。力仕事は得意だからね。なかなか手間のかかる作業なんだろ?」
シグナムの言に、フレインも追従する。
「でしたら私もお手伝いしますよ。肉体労働には、あまり自信はありませんが……親切を受けてばかりでは、気が咎めますからね」
「それは助かります。もともとこの駐屯地には、二百名ほどの兵士が配備されていたのですが、すでにあらかたカモロアへ移動していましてね。今では私の小隊しか残っておらず、いささか手が足りていなかったのですよ」
「小隊……?」
シグナムは軽く眉をひそめる。
「じゃあ今ここには、四十人くらいの兵士しかいないのか?」
「はい。四十名弱ですね」
「洒落になんないな。もし魔族がやって来たらイチコロだ」
「ええ、冷や冷やとしています。それはそうと――」
ロッシュはルゥとジャンヌへ目を向ける。
「そちらのお嬢さん方は、先に倉へと案内しておきますか?」
「そうだね……そうしてくれ」
シグナムは馬車の方へと歩みより、扉を開く。そして、閉め切られた蒸し暑い車内で、一人涼しげにしているアルフラへ声をかけた。
「聞こえてたと思うけど、あたしとフレインは、物資の積み込みやらを手伝ってくる。アルフラちゃん達は、先に物資倉へ行っててくれ」
「……うん、わかった」
簡素に答えたアルフラを、シグナムはすこし心配げに見つめる。
「飯は運んでくれるそうだから、あたし達の帰りが遅くなるようなら、先に食べといてくれ」
これには無言が返された。
「ちゃんと食べないとだめだよ。あたし達は体が資本なんだからね」
かすかに頷いたアルフラを見て、しばらくシグナムはなにか言いたげにしていたが、結局そのまま扉を閉ざした。そしてロッシュ達の方へ戻る。
「物資を積み込んだ荷台ってのはどこにあるんだい? さっさとすませちまおう」
「駐屯地の入口近くです。目当ての物を見つけるまで、少し時間がかかるかもしれません。なんせ十台ほどもありますので」
「わかった。とりあえず行こう」
荷台が十もあると聞いて、フレインの顔には早くも後悔がにじみはじめていた。
アルフラ達は駐屯地の奥、兵舎などの施設からはやや離れた、資材倉庫に案内された。
その区画だけは、背の高い草木が生い茂っており、やや涼しい。あまり見通しもよくなく、周囲からは死角になっていた。襲撃を受けた際、敵方に資材倉庫を発見されづらくする、偽装の意味もあるのだろう。
馬は立ち木に繋ぎ、アルフラとルゥ、そしてジャンヌの三人は、倉へと入る。中はからの木箱がいくつか積んであるだけで、がらりとしていた。造りがしっかりしているため、空気の流れは滞り、すこし埃っぽい。
風を入れるために戸を開け放したままにしていると、ほどなく四人の兵士が大きな土鍋などを運んで来た。
兵士達は、三人の少女にややねちっこい視線を投じつつも、とくになにを喋るでもなく、食器類を置くとそのまま立ち去っていった。
施された食事は、ロッシュの言葉通り、量だけは充分なようだ。蒸した穀物や肉と野菜のスープ。南国特有の色とりどりな果物。
ルゥはとても上機嫌である。
早速ジャンヌが料理を取り分け、アルフラとルゥへ配る。
アルフラは、具のたっぷりとよそわれたスープにすこしだけ口をつけ、果物に手を伸ばす。そして、にぎりこぶしほどの赤い実を皮のままかじる。その頃には、すでにルゥは自分の分を、ぺろりと平らげてしまっていた。
そんな狼少女へアルフラは、
「……ん」
まだほとんど手のつけられていない自分の食器を押しやる。
「え……くれるの?」
それには答えず、アルフラはしゃりしゃりと赤い実をかじる。
「ありがとっ!」
嬉しそうにしたルゥだったが、ふとその手がとまる。
「あ……でもお姉ちゃんが、アルフラはちゃんと食べないとダメって言ってた」
物欲しそうにしながらも、めったに使用されることのない気を遣ったルゥに、ジャンヌはびっくりしたようだ。食い意地のはったルゥが、食事を遠慮するなんて……。そんな顔である。
しかし、アルフラは首を振る。
「お腹へってない。あたし、あんまり食べなくても平気だから」
「……そうなんだ?」
いぜん、アルフラを気にしつつも、ルゥは食器へ手をのばす。
赤い実を食べおえたアルフラは、がさごそと自分の荷物をあさりはじめた。
すぐに目当ての物を見つけ、立ち上がる。
「ねぇ、アルフラっ」
わずかな時間で、アルフラのぶんまで食べおえたルゥが駆けよる。その手には、木の棒がにぎられていた。
「あそぼっ」
アルフラの眼前に、ぐっと棒が突き出される。
なげろ、ということらしい。
「……」
楽しげに、にこにことする狼少女とは対照的に、アルフラは冷めた瞳で視線を切る。そのまま無言で戸口へ向かった背を、ルゥは慌てて追いかける。
「ねぇ、まってよう。ちょっとでいいからぁ」
すこし媚びを含んだ甘えた声で、ルゥはアルフラの周りをくるくるとじゃれまわる。
だが、まとわりつく狼少女へ、あっさりとした拒絶の言葉が返る。
「どいて」
それは、無邪気なルゥの動きを止めてしまう程度には、冷やかな声音だった。
「……アルフラぁ」
かなしげな響きの呼びかけにも振り返ることなく、後ろ姿は戸口へと消えていった。
その場にぺたりと座り込んでしまったルゥへ、ジャンヌが声をかける。
「……ルゥ。わたしもあまり食欲がないので、全部食べてしまってよいですわよ」
「……いらない」
膝を抱えるようにして、ルゥはぽつりとつぶやく。
「アルフラ、どうしちゃったのかな……」
ジャンヌも答えあぐねてしまい、気まずい沈黙がおりた。
「……つまんないよ……」
ルゥが、初めてアルフラたちと出会った頃は、毎日が楽しかった。驚きの連続であった。
人間たちの扱う道具はみな物珍しく、野山で育ったルゥにとって、その暮らしぶりは驚異に満ちていた。
アルフラも今とは違い、よく遊んでくれた。
いまではお気に入りの棒遊びも、教えてくれたのはアルフラだ。
獣人族の習性は、野生動物のそれに近い。人間とはことなり、暦を日単位で細分化することはなく、月齢や季節単位でしか理解しない。そのため、時間に対する感覚が、やや曖昧である。
そんなルゥには、アルフラが最後に棒を投げてくれたのがいつだったか、思い出すことは困難になっていた。
だからすこし――そう、ほんのすこしだけ、かまって欲しかっただけなのだ。
くすんと鼻をならした狼少女の前に、ジャンヌがしゃがみ込む。そして、ルゥが今まで聞いたこともないような優しい声で、
「泣いて、いるのですか?」
そう問い掛けた。
「な、泣いてなんかないよっ!」
いたわりの声に、よけい瞳をうるませてしまったルゥは、怒ったようにジャンヌをにらむ。
「ボクは白狼族の戦士なんだから! ばかにしないでよねっ」
「ふふ、ではアルフラのかわりに、わたしが――」
棒を、と言いかけたところで、戸口から低い男の声が響いた。
「もしよろしければ、私が棒を投げてさしあげましょうか、お嬢さん?」
開け放たれた戸口に立つ男は、背後に薄闇をまとっていた。夜の気配が吹き付けてくる。
カダフィーの犠牲者。かつては魔族であった吸血鬼、明石だ。
まるで、アルフラがいなくなるのを、そして夜になるのを待っていたかのように、明石はやって来た。
シグナムもフレインもいない、ルゥとジャンヌ二人きりの倉の中へ、闇夜の吸血鬼が、一歩、足を踏み入れる。
口許には微笑み。
かいま見えた鋭い牙の尖端は、硬質な煌めきを帯びている。
ジャンヌは、かばうようにルゥの前へ立つ。
右腕の裾口から、じゃらりと鉄鎖“脳天かち割り”がこぼれ落ちた。
「……忌まわしい不死者が、わたしたちになんの用ですの?」
「これは異なことを。私はただ、人狼のお嬢さんと遊んで差し上げようと思っただけですよ」
口の端を吊り上げ、明石はさらに一歩、足を踏み出す。
「お下がりなさいっ、吸血鬼風情が!!」
ジャンヌは油断なく構えを取り、拳に鉄鎖を巻き付ける。
「ボ、ボクは、キミになんて遊ばれたくないっ。棒はアルフラに投げてほしいんだから!」
ややおよび腰のルゥが叫ぶと、明石はさも悲しげに肩をすくめる。
「そう嫌わずともよいではありませんか。私はこう見えても紳士でしてね。ククッ……あたなのような、いたいけな少女の涙に弱いのですよ」
芝居じみた口調で言い、明石は牙を見せて笑った。
狼少女も負けじと犬歯を剥いて威嚇する。
「あっちいけっ!」
ふーふーとうなるルゥへ、明石はやれやれと首を振る。
「では……仕方ありませんね」
肌を隠す漆黒の外套をはためかせて、明石は大きく腕を広げた。