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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
134/251

縁かすか(前)



 早朝、まだ周囲も薄暗い刻限に、アルフラ達はトスカナ砦を出立しようとしていた。

 荷馬車には多くの物資が積まれ、護衛の騎士が百名ほども整列していた。すべてがアウラの厚意である。

 さすがにぞろぞろと騎兵を引き連れ、グラシェールへ向かうのは勘弁して欲しいと、シグナムは丁重に断りの文言を述べる。


「そんなに大勢で移動してちゃ、むしろ目立ってしょうがないよ。頭数が増えればそのぶん動きもにぶる。余計な気はまわさないでくれ」


「ですが……」


 アウラは反論を口にしかけたが、アルフラもまた迷惑そうな目を、騎士の一団へと向けていることに気づき、あっさりと折れる。


「失礼いたしました。アルフラ様をお守りしようなどと、出過ぎた浅慮でした」


 では、とアウラは騎士の一人から数枚の紙面を受け取る。


「せめてこれをお持ち下さい。エルテフォンヌ領内の地図です」


 これには見送りに出ていたヨシュアとディモス将軍が渋い顔をする。しかし、エルテフォンヌ伯爵代行ともいえる立場のアウラ自身が、自領の地図を譲ると言っているのだ。王族でもない彼らに、それを咎めるような権限はない。


「これは助かります」


 フレインがアウラの手から、うやうやしく地図を受け取った。


「ここから真っすぐグラシェールへ向かおうとすると、深い渓谷(けいこく)に行き当たります」


 アウラは、フレインの手にした地図の一点を指差す。


「この渓谷は非常に道が悪く、たまに商隊などが馬車の車軸を折って立ち往生する難所となっています。ですので南側から迂回することをお勧めします。まずは街道沿いに南東へ向かい、三日ほどで見えてくるカモロアという街から北上するとよいでしょう」


「なるほど……悪路を無理に進むより、状態のよい街道を回り込んだ方が、結局は近道になると」


「ええ、ですが幾つかある分かれ道には気をつけて下さい。南へ寄り過ぎると、そこは黒死の病が蔓延している可能性が高いです」


「ああ、そうでしたね……」


 フレインは真剣な眼差しで地図をにらむ。


「この地図は、ずいぶんと細い支道まで記載されているようですね」


「はい。もともとは、トスカナ砦の司令官が所有していた物ですから。その地図をたよりに進めば、道を間違うこともないでしょう」


 グラシェールへの行程について、フレインはさらに幾つかの質問を始める。その隣では、シグナムがヨシュアへと熱い視線を送っていた。


「なあ、約束を忘れたとは言わないよな?」


 巨大な剣を背負った女戦士の言葉に、ヨシュアは軽く苦笑する。


「やはり、私との手合わせを望まれるか」


 しかし、とヨシュアは横へ首を振る。


「結果は目に見えている。その申し出は辞退させて欲しい」


「あ? 何を今さら……。どうせやってもあんたが勝つって言いたいのか」


 険悪な表情を浮かべたシグナムへ、落ち着いた様子でヨシュアは首肯した。


「シグナム殿の戦いぶりは、戦場で存分に見せてもらった。おそらく十度試合っても、内八回は私が勝つだろう。かなり控え目に言ってもだ」


「……へぇ」


 突き刺すような視線にたじろぐことなく、ヨシュアはつづける。


「だが、あなたが望んでいるのは、木剣での試合ではなく、真剣を使った戦いなのだろう?」


「当然だ。剣を握った戦いで、一度も負けたことがないって言ったのはあんただぞ」


「いかにも。だが、私は戦いの中での死を許されていない、とも言ったはずだ」


「……聞いたね。女王様を生涯守るのが、あんたの仕事だってんだろ? 怪我でもしたら大変だってか?」


 ヨシュアは、そのいかにも生真面目そうな面立ちを、ふっとやわらげる。


「試合であれば私が勝つだろうが、殺し合いならば、十中九ほどの割合で私が負ける。そしてかなりの確率で命をなくす」


 ヨシュアはちらりと、シグナムの背にある大剣へ目線をやる。


「シグナム殿が、その得物を使えばな」


「……は?」


 予想外の言葉に、シグナムは少しほうけた顔していた。それを見てヨシュアが、くくっと喉を鳴らす。


「戦場においてのアルフラ殿は言うに及ばず。シグナム殿、あなたも十二分に人間離れしていたぞ」


「え……それは……?」


「私も武人として、シグナム殿と打ち合ってみたいと思う気持ちはある。しかし私の身は、女王陛下に捧げたものであって、このような場で散らしてよいものではない」


 称賛と敬意のこもった目で、ヨシュアは笑う。


「あなたと剣を握って立ち会えば、命がいくつあっても足りん」


「なんだよ……じゃああんたは、死にたくないから、あたしとはやれないってのか?」


 不服な表情で、シグナムはさらに口を開きかけるが、ヨシュアがそれをさえぎる。


「シグナム殿は誇っていい。ヨシュア・ネスティは、命惜しさにあなたの挑戦から逃げたのだと。私も人から聞かれたなら、そのように答えよう」


「いや、待てよ……」


 シグナムは言葉を探すように口ごもり、そのまま黙りこむ。その表情は実に複雑だ。

 土壇場で肩透かしをくわされた不満。そして、シグナム自身もその腕を認める大陸有数の剣士から、お前の方が強いので勝負は受けられないと言われた優越感。

 釈然としないものを覚えつつも、思わず頬が緩んでしまう。その顔がほんのりと紅潮する。


「いや、まぁ……そこまで潔く負けを認められちゃ、あたしも無理にとは言えないけどさ……」


 単純なところがあるシグナムは、顔には出さぬように努めるが、内心ではすっかり上機嫌なようだ。ヨシュアの肩をがしがしと叩き、馴れ馴れしげに名を呼びすてる。


「ヨシュア、あんたの戦いぶりも凄かったぜ。噂には聞いてたけどね、やっぱりそれ以上だった。剣の腕でいえば、あたしよりも数段上さ」


 ヨシュアは強く肩を叩かれ、やや顔をしかめながらも、右手を差し出す。


「膂力と気迫でいえば、シグナム殿には及ぶべくもない。とくに戦場(いくさば)での勘には、目を見張るものがあった。あなたには指揮官としての適性もあるようだ」


 惜しみのない賛辞に相好をくずしつつ、シグナムは差し出された手を取る。初めて会った日のように、その腕をぶんぶんと振った。


「シグナム殿。あまりグラシェールへは深入りせぬようにな。あの地はすでに、魔族どもの跋扈(ばっこ)する領域である可能性が高い。私は、願わくばまた、あなたと肩を並べて剣を振るいたいと思っている」


「ああ、あたしもさ。安心して背中を任せられる相手ってのは、そうそういないもんだ。あんたみたいに腕も人柄も信頼出来る奴なんて、戦場じゃほんとうに貴重だからね」


「ありがたい言葉だ。あなたとの知遇を得られたこの(えにし)は、まことに幸運だった」


 ヨシュアは表情を引き締め、真摯な表情で尋ねる。


「シグナム殿は傭兵なのであったな?」


「ああ、そうだよ」


「唐突な物言いだとは思うが……あなたはロマリアに雇われる気はないか?」


「……は?」


 いきなり何を言い出すのか、といった顔で、シグナムはヨシュアを見つめる。


「ほんとうに唐突だな……」


「私はクリオフェスであなたと会った時から、その裏表のない言動と豪放な性格を、非常に好ましく思っていた」


 やや距離を置いた場所で、二人の会話を聞いていたアラド子爵が、


「そのような物言い、エレナ様に知られたら大事ですよ」


 小声でささやいた。


「え……と……」


 シグナムは気まずいような、照れたような表情で顔をうつむかせた。唐変木な彼女も、さすがにアラド子爵の言わんとするところを悟ったようだ。

 ヨシュアもすこし慌てたように申し開きをする。


「あ、いや、私はシグナム殿のような気骨のある戦士は、ロマリアにもそうはおらぬということを言いたかったのだ」


「あ、ああ……だからロマリア軍で働けって?」


「うむ。正確には、私が副隊長を勤める、王宮近衛隊でだ」


 ロマリアの王宮近衛といえば、最精鋭である上都守備軍、皇竜騎士団の中からさらに選抜を重ねて配備される、武官の最上位である。


「いや、近衛って……あたしはこう見えても、一応……女だぞ?」


「たしかに、現在近衛に女性の隊員はおらん。しかし、シグナム殿ほどの腕があれば、なんの問題もなかろう。もともとロマリアは、代々女王を国主と仰ぐ国柄だ。実力さえ伴えば、女性であってもどこからも文句はつかない。まして私の推薦とあれば尚更だ」


「……でもさ、近衛ってのは、騎士以上に格式や家柄にうるさいんだろ。本気で言ってるのか?」


「無論だ。私は冗談のたぐいは、あまり好まん」


 シグナムは言葉を失い考え込む。レギウスでは――いや、ほとんどの国家で、女だというだけで閉ざされている正規兵への門。それをヨシュアはあっさりと開け放ち、手招きしているのだ。

 幼少のころ(いだ)いていた騎士への夢が思い出される。しかも、いま目の前に開けているのは、更にその上位にあたる近衛への道だった。

 おそらく数年前――十代のシグナムであれば、あまり思い悩むこともなく頷いていたかもしれない。だが、傭兵として年季を重ねたシグナムは、すでに世の(ことわり)にも通じていた。肩書きには、相応の責務が付随(ふずい)することを今では知っている。

 子供時代の幼い憧れに、無条件で飛びついてしまうような青臭さは、踏んだ場数とともに朽ちてしまっていた。


「いい話だとは思うけど、今は遠慮しとくよ。ちょっと惹かれるものはあるけどね」


「……そうか」


 鷹揚に頷いたヨシュアは、やや残念そうな顔で言葉を継ぐ。


「だが、気が向いた時は、いつでも私の(もと)へ訪ねて来てくれ」


「そうだね。いつになるか分かんないけど、アルフラちゃんの望みが叶ったら……あたしも職にあぶれそうだ。そのときは世話になるかもしれない」


「気長に待つとしよう。シグナム殿の武運長久を祈りつつな」


 穏やかな表情でヨシュアは微笑んだ。

 少ししんみりとしてしまった空気を嫌うように、シグナムはいたずらっぽく笑い返す。そして、重大な秘密を打ち明けるように声を潜め、


「実はさ、あたし……あんたのその口ヒゲ、わりかし嫌いじゃないぜ」


「む……」


 ヨシュアの頬が、ぴくりと動いた。お気に入りのヒゲを褒められて、まんざらでもないようだ。


「昔っから、ヒゲの上官とは相性がよくてさ」


 この時、シグナムの脳裏をかすめたのは、いまは亡き傭兵団長の面影であろうか。


「あんたの下でなら、近衛なんていう堅っ苦しい職場も悪くはないかもね」


 交友(こうゆう)を深める二人へ、出発の用意が整った馬車から声がかかる。


「シグナムさん。そろそろ馬車へ乗って下さい。いくらか行程の予定を変更したいので、街道を進みながら少し相談をいたしましょう」


「わかった! いま行くよ」


 フレインへ叫び返したシグナムは、かるくヨシュアと拳を合わせ、手短に別れの言葉を告げる。



 その様子を、少し離れた馬車の中からアルフラが見ていた。温度というものがまったく感じられない、酷く冷えた目で、じっとヨシュアを見つめていた。





 その日の晩、渓谷の村には、粗末な寝台に寝かされたアベルの看病をする、フィオナの姿があった。

 竜の勇者の容態は依然かんばしくなく、なかなか回復の兆しを見せない。意識は途切れ途切れで、眠っている時間の方が長い。熱は高いままで、うなされているような呻き声も絶えない。

 かいがいしく濡れた布で汗を拭き、巫女姫はなにくれとなくアベルの世話を焼いていた。

 ふいに――フィオナの背後で、遠慮がちに扉が叩かれる。

 いまや遅しとその訪れを待っていたフィオナは、跳ねるように立ち上がった。そして扉を開くと案の定、メイガスの救助へ向かった村の男衆二人が立っていた。


「お帰りなさい。早かったですね」


 丁重な言葉で迎え、フィオナは視線をせわしなく動かす。しかし、肝心のメイガスの姿がどこにも見当たらない。


「あの、メイガスは? 違う場所で手当を受けているのですか? すこし彼と話をしたいのですが……」


「それが……」


 男達は言いづらそうに互いの目を見交わし、一人の男が懐へ手を差し入れる。そこから取り出されたのは、虹色の光沢を帯びた竜の宝珠。見間違えようもないメイガスの所持品だ。


「まさか……」


 男達の雰囲気で、(さと)いフィオナは理解する。


「メイガスは……」


 取り乱さぬよう大きく息をすい、それでもかすかに声を上擦らせて、フィオナは男達に尋ねる。


「詳しく、話を聞かせて下さい。何があったのですか?」


 男の一人が語る。

 可能な限りの速さで荒野を駆け、日が昇りきる前には、メイガス達を発見出来たと。そして、それがすでに遺体であったことを。しかも、真夏の炎天に晒されているにも関わらず、老魔導師の体は凍りついていたのだと。


「では、遺品として……この宝珠を持ち帰って来たというのですね」


「申し訳ございません。遺体の一部なりともお持ちせねばと思ったのですが、その体に触れただけで指が真っ青になってしまい……」


 その言葉通り、男の人差し指は、凍傷でも起こしたかのように、青く変色していた。


「これは何か、恐ろしい(まじな)いが関わっているのだと思い、俺達にはどうすることも出来ませんでした」


「そう……いえ、あなた方はよくやってくれました。感謝いたします」


 男はさらに、ダルカンの遺品である大楯をフィオナへと渡す。

 彼らの話を聞き終え、いくらかの労いの言葉をかけたのち、フィオナは男達を小屋から送り出した。そして、表情を強張らせたままに、巫女姫は桶にくまれた水をかえ、寝台のそばへと戻る。すると、先程まで苦しげな寝息をたてていたアベルが、うっすらと瞳を開いていた。


「フィオナ……」


「目がさめたのね、アベル。薬湯と穀物のスープがあるの。飲める?」


「うん、でも……」


 やつれた顔をいたましげに歪め、アベルは掠れた声でつぶやく。


「メイガスが……」


「……聞こえてたのね」


 それ以上はどちらも声を発することはなく、フィオナは黙々と食事の支度をする。

 アベルは、まだ身を起こせるほどには回復していない。

 木の(さじ)を使い、よくさまされたスープをアベルの口へ運ぶ。その間も、会話が交わされることはなかった。


 食事が終わった後も、話さなければならないことはいくつもあるのだが、二人の唇は重く、ようとして開かれない。

 沈黙のなか、時間だけが過ぎてゆき――やがて、アベルの頬に、ひとしずくの水滴がこぼれ落ちた。


「ご、ごめん……」


 アベルは慌てて顔を背け、目許をぬぐう。


「こんな時に……」


 むしろ、こんな時だからこそなのだ、とフィオナは思う。

 仲間達を相次いで亡くし、挫折の中にあるアベルならば当然だろう。彼が涙するのは、決まって己の無力さに打ちのめされた時だ。――しかし、男として、それを恥る気持ちも、フィオナには理解出来た。


 それでも、アベルは泣き言を口にしない。昔はいつも一人で泣いていた。

 すがって欲しい、頼って欲しい――そうフィオナがどれほど願っても、アベルは決して人に弱みを見せようとはしなかった。常に一人で壁を乗り越えようとし、それを成してきた。だが、


「アベル。私がついているわ」


 今は違う。

 今のフィオナは、アベルと一緒に居ることが出来るのだ。

 傷つき弱ったアベルはそれを拒めず、フィオナを頼る以外にない。


 己の中に自覚してしまう。


 感じてはならないたぐいの、暗い愉悦を。

 そしてどうしても、フィオナはその感情を抑えることが出来なかった。


「だいじょうぶよ。私がずっとそばに居てあげるから」


 優しく柔らかな腕で、アベルの頭を抱き寄せる。

 やはり恥ずかしいのか、アベルはすこし嫌がるそぶりを見せた。だが、その体に大した力は入らず、フィオナの細腕から逃れることすら出来ない。


「ここから南へ二日ほど行くと、カモロアという街があるの。そこにはとても腕のいいお医者様がいるらしいわ」


 胸に抱いたアベルの頭を撫でながら、フィオナは微笑みまじりに提案する。


「ねぇ、アベル。しばらく戦いのことは忘れて、カモロアで傷を癒すことに専念しましょう。私がつきっきりで看病するから、きっとすぐによくなるわ」


「う、うん……」


 応じたアベルの声には、かすかに不安げな響きがにじんでいた。それは、己の体を苛む怪我へのものか――



 それとも、妙に楽しげに語るフィオナへ対するものなのか。

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