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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
133/251

凍夜変転(後)



 アルフラとジャンヌ――利害の一致を見た二人の狂信者。たがいに(ほう)ずる神は違えど、(ささ)げるべき供物は同じだ。


求道善行(くどうぜんこう)()く事を成せ、ですわ。早速明朝にもグラシェールへ発ちましょう」


 ジャンヌの言葉にアルフラが頷き、その目がシグナムへと向けられた。


「アルフラちゃん……」


 当惑の面持ちを隠せないシグナムへ、静かな問いがなされる。


「もちろん、シグナムさんも来てくれるよね」


 あたし達は戦友なのだから、と鳶色の瞳が語っていた。


「駄目です! アルフラさん!! いくらなんでも――」


 強い否定の言葉を発したフレインは、しかし二の句が継げない。アルフラの鋭い視線が向けられたのだ。直前まで瞳に宿っていた信頼の念は、フレインへ向けられた瞬間、冷たさに変わっていた。それは、アルフラが魔族を見るときと、ほぼ同じ目つきだった。


「べつに……あなたは来なくていいわ」


 フレインにすら、はっきりと感じられた。そこに飢えが交じっていないぶん、みずからに向けられているのが、実に純然とした殺気であるということを。

 今のアルフラに、異論を挟める者など限られている。同じく思考を狂わせてしまっているジャンヌか、唯一アルフラの信頼を勝ち得ている――


「シグナムさん……」


 フレインは、助けを求めるようにうめいた。

 すっかり酔いが覚めてしまった顔のシグナムが、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「なあ、アルフラちゃん……」


 フレインの期待をよそに、シグナムは答えを待つアルフラに、肯定の意を返す。


「当然だろ。あんな危ないとこに、アルフラちゃんを一人で行かせるわけがない」


「な、なにを言っているのですか!」


 慌てたフレインへ、黙っていろというように腕が振られる。


「でもね、さすがに考えもなく突っ込んでくのは上手くない。――まずはさ、グラシェールの手前で網を張ってみちゃどうだい?」


「網を張る……?」


 不可解そうに言ったアルフラへ、そうだ、とシグナムは首肯して見せる。


「氷膨って奴は、子爵位の魔族が殺されたからロマリアへ送られて来たんだろ? だったら、その氷膨が()られちまったら……」


 シグナムの言わんとするところを察し、アルフラの顔がパッと輝く。とても嬉しげに。


「もっと強い魔族が来るの!?」


「まぁ、当然そうなるだろうね」


 最悪の事態だけは避けられそうだと感じたフレインが、ぼそりとつぶやく。


「あるいは、氷膨と同等の力を持った魔族が複数攻めてくる可能性も……」


 そのみずからの言葉に、フレインはぞっとする。

 一軍をも歯牙にかけない力を持つ大貴族が、複数……?


「だ、駄目です、やはり無謀すぎます! 無茶を言わないで下さい!」


 フレインは咎めるようにシグナムを見上げた。だが、その肩に女戦士の腕が回り、強引に後ろを向かされる。そして小声で、


「お前こそ無茶言うな。あたしだってこれ以上は無理だよ!」


「で、ですが……」


「それでも気にくわないってんなら、あんたが死ぬ気で説得してみなよ。洒落(しゃれ)抜きで犬死になると思うけどな」


「う……」


 フレインは言葉に詰まる。

 グラシェールの手前で、ロマリアへ攻め込んで来る魔族を迎撃しようというシグナムの提案。アルフラの主張と比べれば幾分ましではあるが、妥協点としては非常にあやうい。あまりに危険だ。――しかし、フレインが何を言ったところで、アルフラは聞き入れないだろう。説得の言葉を最後まで口に出来るかも怪しい。その前に、アルフラの細剣が抜かれる公算の方が高い。

 フレインは、アルフラにとって彼の命がどれだけ軽いかということを、よくよく理解していた。


「落としどころとして……これ以上を求めるのは、やはり不可能なのでしょうか……」


「もしもの時は、あたしがアルフラちゃんを担いででも逃げ出すさ」


「……」


 はたして、そう上手く事が運ぶのだろうか。そんな危惧が拭えない。

 シグナムは普段用心深い反面、おのれの頑強さゆえか、非常に考えなしな行動をとることが、しばしある。実際これまでは、その人間離れした生命力で、幾多の死線をかいくぐってきたのだろう。が――今回ばかりはわけが違う。もしも、グラシェールの天変地異が魔族の仕業だとすれば――そしてもしも、その魔族と対峙するようなことになれば――肉体の頑強さなど、何の意味もない。たとえアルフラであっても、戦いにすらならないだろう。

 しかし、フレインではアルフラを説得することは不可能だ。シグナムでも、その考えを変えさせることは無茶だと言う。

 フレインは色濃い諦めの表情で、ふとカダフィーを見る。


「あなたはどうなさるのですか? ジャンヌさんはグラシェールへ行くおつもりのようですが」


「……そうだね」


 腕を組んで数瞬思案した女吸血鬼が、ちらりと神官娘へ目をやる。


「あたしもついて行くよ」


 その答がやや以外だったフレインは重ねて問う。


「よいのですか? あなたは引きずってでも、ジャンヌさんをレギウスへ連れて帰るつもりかと思っていましたが……」


「そうしたいのはやまやまだけどね」


 カダフィーは鎧戸へ顔を向け、夜の帳が降りた空を見つめる。


「あたしもグラシェールの現状を確認しておきたい。なんせ状況いかんによっては、ギルドの今後に影響してくるからね」


 もしも本当に戦神バイラウェが魔族に敗れたのならば、レギウス国内において神官達の発言力は弱まるだろう。そして相対的に、ギルドの立場は当面のところ安泰だ。ホスロー不在の現状では、とてもありがたい話である。ギルドが主導する魔族との和平交渉も、有無を言わさず一気に加速するはずだ。


「なるほど……」


 カダフィーの考えを悟り、フレインは床に視線を落とす。垂れかかったフードの影で、その表情が苦味を帯びる。

 出来れば、今のアルフラとジャンヌを、一緒に行動させたくないという思いがあったのだ。どう考えてみても、たがいに悪い影響しか及ぼさない取り合わせである。

 加えて、カダフィーは神託という予想外の一手を持っていた。その可能性を示唆された時点で、フレインはホスローの件が露呈した時のことも考えている。


 もはやギルドには――いや、レギウスには帰らぬ方がいいだろう。幸いなことに、ディモス将軍はアルフラに多大な恩義を感じている。実際それだけの働きをしたのだ。アルフラの保護、後見をロマリア王室に求めることも可能だろう。

 フレインはすでに、ロマリアへ身を寄せることまで、選択肢のひとつに数えていた。生まれ育ったギルドを捨てることにはためらいもあるが、アルフラのためならばそれも致し方ない、と。――だが、グラシェールへ向かうことになれば、その後の目算がまったく立たなくなる。


「では、そなたらは――」


 厳しい表情で、一連のやり取りを見ていたヨシュアが口を開いた。


「みなグラシェールへ向かうのか? 止めても、無駄なのだろうな……」


 苦りきった目でアルフラを見やり、ヨシュアは首を振る。


「しかし、グラシェールから新たな魔族が派遣されるには、いささか時間が掛かるはずだ」


「どういうことですか?」


「氷膨が倒れたという(しらせ)は、しばらくグラシェールには届かん」


 ヨシュアは生真面目な表情で、フレインに説明する。


「街道に布陣していた魔族は、(くだん)の猛吹雪で全滅し、砦の包囲は速やかだった。我々も、ラザエル皇国からの援軍が到着する時間を稼ぎたかったのでな。魔族の伝令兵を取り逃がすという不手際はおかしておらん」


「では……」


「グラシェールの魔族達が、トスカナ砦との連絡が途絶えたことを不審に思い斥候を送るまでは、再度の進攻もないはずだ」


 じゃあ、とシグナムが提案する。


「捕虜に取った奴を数人逃がしてやんなよ」


「いや、それはしかし……」


 表情を曇らせたヨシュア同様、これにはディモス将軍も強く反論する。


「それでは魔族の伝令を逃さぬように立ち回った意味がない。このトスカナ砦が落ちたとなれば、再度魔族の軍勢がロマリアに派遣されるであろう。しかし、ラザエルからの援軍は五万に及ぶ大軍勢なのだ。到着にはまだ時を要するし、その後の布陣も容易にはいかん。我らには時間が必要なのだ」


「でもさ、氷膨みたいな奴に攻められたら、いくら数を揃えたって無駄だろ。連隊規模の騎士が、一瞬で氷漬けにされちまったんだぞ。しかもグラシェールには、魔族の大部隊が陣を張ってるはずなんだろ。だったら五万からの援軍だって、あんまりあてには出来ないんじゃないか?」


「それは……」


「この砦で篭城したところで、魔族に大挙して押し寄せられたらどうにもならないよ。実際一度は落とされてるわけだしさ」


 シグナムの言はもっともな指摘である。

 敵方の戦力が自軍を上回っている場合、まともに正面からぶつかるのは愚の骨頂だ。有効な戦術としては補給線の寸断、敵将の離反、情報撹乱による士気の減衰。いくつか考えられるが、それはいずれも人間同士での計略だ。魔族が相手では、現実的とは言えない。


「だったら少数に分散させて、すこしでも数を減らしておきたい。そうだろ?」


「う、む……」


 ディモス将軍は顎に手をやり考え込む。兵の分断は魔族が相手であっても可能だ。むしろ人間の軍より指揮系統が単純なぶん、ことによっては容易かもしれない。だが――


「しかしそなたらは、相手の力量によっては撤退も視野に入れておるのであろう? 不用意に高位の魔族を呼び寄せ、素通りさせられてはたまったものではない」


「それは……」


 一瞬言葉に詰まったシグナムだったが、アルフラは断言する。


「素通りなんてさせない」


「む……」


 艶めく鳶色の瞳に見据えられ、ディモス将軍は何も言えなくなる。一軍の将である彼ですら、いまのアルフラは恐ろしかった。

 しかしそこで、アルセイドが言葉を挟む。


「お待ち下さい。アルフラ様の力を疑うわけではありませんが、私は捕虜を逃すことに賛同出来ません。現状、このエルテフォンヌは、魔族の進攻により多くの領民が家族や住居をなくしています」


 アルセイドはいま、年若いなりにも次代のエルテフォンヌ伯爵として、おのれの考えを述べていた。


「再びこの地が戦場となる前に、トスカナ砦周辺の住民を保護、退避させなければなりません。そのためにも時間は必要です」


 これにはディモス将軍も同意する。


「そうであったな。ここはエルテフォンヌ領内だ。アルセイド殿の言にも配慮が必要だ。私の独断で決められるような話ではない」


 ディモス将軍には、アルセイドが若輩だからといって(かろ)んじるつもりはないようだ。将軍として人物を判断している。アルセイドはそんな彼へ、静かに黙礼する。


「それに捕虜の扱いについても、白竜騎士団の司令官であるアルセイド殿の了承は必要だ」


「……」


 無言でディモス将軍を見つめるアルフラの目に、じわりと怒気がにじむ。それを見て、アウラがすかさず口を開いた。


「捕虜の釈放を許可します」


「な――!? 義母上!?」


 アルセイドから驚愕の目を向けられ、しかしアウラは動じることなく見返す。


「アルフラ様が、憎き魔族を討ってくれると言われているのですよ。なにを迷うことがあるのですか?」


「い、いえ、しかし……こうも絶え間無く戦火が続けば、このエルテフォンヌは荒廃の一途を辿るばかりです! 今は――」


「アルセイド。あなたはまだ、正式に伯爵位を継いだわけではないのですよ。現状では、私が当主代行として采配を振るうのが、筋というものではありませんか?」


 投げられた正論にアルセイドは口を閉ざす。ロマリア貴族の慣わしとして、アウラの言葉は正しい。そして、年齢的にみても、アルセイドが爵位を継ぐには、後見人が必要となってくる。立場的には、故エルテフォンヌ伯爵の妻であるアウラが、その最有力な候補といえる。


「アルフラ様も、魔族の捕虜を(のが)すことを望まれているのですよね?」


 アルフラは表情を変えるでもなく、ただ軽く頷く。その様子を見て、我が意を得たりとばかりにアウラは笑んだ。


「アルセイド。私の言葉には従って貰いますよ」


「……分かりました」


 不承不承(ふしょうぶしょ)とではあるが、アルセイドは同意するしかなかった。

 聡明で控えめな性格だった義母の、あまりの変わりようには釈然としないものを感じる。――が、ここでアウラと意見を衝突させることは避けねばならない。

 もしもアウラとの関係を悪化させ、彼女がアルセイドの従兄弟なりを次のエルテフォンヌ伯爵にと推せば、状況はにわかに御家騒動の様相を帯びてくる。

 アルセイドが伯爵位を継ぐためには、是が非でもアウラの後ろ盾が必要なのだ。


「ディモス将軍も、それでよろしいですね?」


 同意を求めるアウラに、ディモス将軍も難しい顔で頷く。


「うむ……アウレリア殿が構わぬと言うのであれば……」


 その言葉を受け、アウラは微笑みを浮かべてアルフラへと向き直った。


「聞いての通りですわ」


 祈るように、(たてまつ)るように、


「すべてはアルフラ様の――御心のままに」


 すっとアウラはこうべを垂れる。しかしアルフラは、感謝の言葉をかけることもなく、じっとアウラを睥睨(へいげい)する。感情の読めない、動かぬ瞳でもって。

 それでもアウラは気にしたふうもなく、ひたすらに満足げな笑みを浮かべていた。



 そう。信仰とは見返りを求めず、ただただ捧げるものなのだ。





 グラシェールへの出立が決定されたため、一行は旅に必要な物資の補給に迫られた。その便宜を(はか)るため、アウラがてきぱきと騎士達に指示を出していく。砦に備蓄された保存食や医薬品を、アルフラ達の馬車に積み込むようにと。

 慌ただしく動く騎士達を横目に、葡萄酒の杯を傾けるカダフィーへ声がかけられる。


「おくつろぎの所すまぬが、少々よろしいか?」


 ヨシュアであった。


「なんだい? 夜のお相手なら……」


 軽口で返しかけたカダフィーであったが、ヨシュアの真摯な顔を見て口調を改める。


「……失礼。こういう性分なんだ。親愛のあらわれだと思って勘弁しとくれ」


「いえ、構いません。ですがその親愛に免じて、一つ頼みを聞いて欲しいのですが」


 女吸血鬼は、うかがうようにヨシュアの目をのぞき込む。


「私に出来ることならなんなりと」


「そう難しいことではありません。もしもアベルに――私の弟と会うことがあれば、グラシェール行きを断念し、このトスカナ砦へ向かうよう伝えて欲しいのです」


「ああ、そうだったね」


 カダフィーは、数日前の軍議で聞いた話を思い出した。


「あんたの弟もグラシェールへ向かってるんだっけ」


「ええ、あれもなかなかに無謀なところがある。危険とは分かっていても、あえてグラシェールへ行こうと考えているかもしれない」


「まあ、おやすいご用さ――でも、なぜそれを私に?」


「カダフィー殿は、ロマリアの前宮廷魔導師、メイガス・マグナ殿と面識があると聞いています。アベルは彼と行動をともにしているので、あなたなら初見でそれと見分けられる」


 なるほど、とカダフィーはひとつ頷く。


「わかったよ。まあ、余程の偶然でもない限り、そう都合よくは出くわさないと思うけどね。もしも会えたなら間違いなく伝えとくよ」


「よろしくお願いします」


 ヨシュアは深く頭を下げる。


「もちろんこちらからも各所に斥候を放ちはしますが、あまりグラシェールへ近づくことは出来ないでしょう。あなた達がアベルと行き会う確率は、それなりにあるのではないかと私は考えている」


 途中から話を聞いていたフレインが、ヨシュアに尋ねる。


「メイガス・マグナという方がギルドで学んでいたのは、今から二十年も前のことですよね? 容貌もかなり変わられているのでは?」


「そうだね……あいつも今じゃいい歳した爺さんになってるはずだけど……」


 かるく首をかしげたカダフィーに、ヨシュアが笑いかける。


「私が彼と初めて会ったのも二十年ほど前ですが、見た目はさほど変わっていませんよ。いささかシワは増えたでしょうがね」


「そうかい……まぁ、あの男とはしょっちゅう顔を合わせていたからね。見間違うこともないか……」


 女吸血鬼は、昔を思い出すかのようにやや遠い目をしていた。そんなカダフィーに、フレインが興味を示す。


「やはり、寿命の概念のない不死者にも、懐かしいという感覚はあるのですか?」


 これには少し苦笑交じりの答えが返された。


「そりゃあね。私だって元は人間さ。あんた達とは、多少時間の流れに対する感覚は違うかもしれないけどね。それでも二十年は短い時間じゃない」


「そうですか。――メイガス・マグナ様は、なかなか愉快な人物だとお聞きしましたが……やはり、少し変わられた方なのですか?」


「ああ、そうだね。馬鹿がつくくらい真面目なフレイン坊やとは、真逆の性格だったよ。さて……今はどうなってることやら。歳をくって少しは落ち着いたのかね」


 くすくすと笑みをもらしたカダフィーへ、ヨシュアが真顔で応じる。


「老いてますます盛ん、といった感じでしょうか。酒にも、女にも……」


「ククッ。そうかい、そうかい。どうやら変わってないようだねぇ」


 楽しげなカダフィーの様子が物珍しく、フレインはまじまじと女吸血鬼を観察する。記憶にある限り、カダフィーが男の話で盛り上がっているのを見るのは初めてだ。


「ずいぶんと仲がよろしかったのですね?」


「仲、ねぇ……まあ、悪くはなかったよ。メイガスは、今じゃ数少ないホスローの直弟子だしね。フレイン坊やにとっちゃあ兄弟子にあたる男さ」


「そうだったのですか?」


「ああ、面識はないだろうけどね。メイガスはあんたがギルドに拾われたのと、ほぼ同時期にロマリアへ帰っちまったから」


 フレインは、顔も見たことのない兄弟子に思いを馳せる。


「ロマリアの宮廷魔導師に任ぜられるということは、やはり優秀な導師なのでしょうね」


「そりゃそうさ。じゃなきゃホスローが弟子に取るはずがないだろ?」


「そうですね。魔術の専行は何を?」


「古代に失われた魔術の復古が、メイガスの主な専門さ。炎に関連する魔術なんかも得意としてたね。性格に難はありまくりな奴だったけど、こと魔術に関しては優秀な男だったよ」


「太古の知識を追い求める探究者、というわけですね」


 魔術談議に華を咲かせ始めた二人に、


「カダフィー殿。あなたの厚意に感謝します。私はこのあたりで失礼を」


 ヨシュアは一言挨拶を述べてその場から離れた。

 ディモス将軍らの方へと歩み去るヨシュアを見送り、カダフィーは肩をすくめる。


「おや、退屈させちまったみたいだね」


「すみません。私が話の腰を折ってしまいましたね」


「いや、あらかた話は終わってたさ」


 フレインは、やや済まなげな顔で尋ねる。


「私はそれほど遠見を得手(えて)とはしていませんが、道中メイガス様の捜索を行ってみましょうか?」


「いや、それは無理だね。大まかな相手の位置も分からないんだ。海の真砂(まさご)を捜すようなもんさ」


「そうですね……」


「でも、メイガスも普段から魔導具をいくつか持ち歩いてるはずだ。近くに居れば気配で分かるかもしれないね」


「ええ、ロマリアには魔術師のたぐいは少ないようですからね。少し気をつけてみましょう」


 カダフィーが悪戯っぽく笑う。


「私は昼間、寝てることが多いからね。それっぽい奴を見かけたら、首根っこ引っつかんででも捕まえといてくれ」


「はあ……」


「あいつには知らない内にいくつも借りがあったみたいだからね」


 あっ、とフレインは手を打つ。


「そういえば、酒の席で薬を盛られたという話をしてましたね」


 それはエレナの、ちょっとした(?)戯れ言だったのだが、フレインとカダフィーはすっかり信じこんでしまっていた。


「フフッ。今度メイガスに会ったら、やつに死ぬほど酒をかっ食らわして、裸に剥いた上で道端に転がしてやる」


「……あの、メイガス様はずいぶんお歳をめしているのですよね? ほどほどになさらないと、本当に死んでしまわれるのでは……」


「ふんっ、あいつがそんなタマかい。憎まれっ子世にはばかる、ってね」


 旧知の老魔導師を罵るカダフィーの口から、鋭い犬歯がちらりとのぞく。しかしその顔は、フレインの目からはとても楽しげに見えた。



「フフ、悪党ほど長生きするもんなのさ。――私みたいにね」





 グラシェール山西部の荒涼とした平原。

 かすかな月明かりは淡く、夜闇は深い。

 魔導師メイガスは丸一昼夜、太い木の幹に身をもたせ、救助の到来を待っていた。

 もっとも近い人里との距離を考えると、翌日の昼にはフィオナが助けをよこしてくれるはずだ。

 水や食料は、フィオナが背嚢(はいのう)ごと置いていったものがあるので、問題なく数日はもつ。

 夕刻にいちど、数頭の胡狼(ジャッカル)に襲われかけもしたが、火の粉を降らせる初歩の魔術で撃退することが出来た。

 少なくとも、命に関わるような危険は、当面のところないと言える。


 問題は足の怪我だ。

 焼け爛れた両足には、手持ちの軟膏をたっぷりと塗り込んであるので、応急処置としては上出来だ。ただ、いかんせんロマリアの夏は湿度が高く蒸し暑い。救助の訪れが遅ければ、傷口が()み、最悪両足とも切断しなければならないだろう。


「まあ、どの道……この先みずからの足で歩くことは出来んか」


 自嘲めいた笑いをもらし、メイガスはため息を落とす。

 心残りは、これでアベルの旅に随伴出来なくなるということだ。

 まったく感覚のない両の足を見下ろし、そろそろ余生の過ごし方でも考えるべきかと嘆息する。


「やはり……レギウスじゃろうな……」


 以前に酒の席でダルカンと語ったように、魔術士ギルドの書庫で残りの人生を費やそう。なかなかにそれも悪くはない、と老魔導師は考える。

 たとえ歩けずとも、書物を映す目と、知識を理解する脳髄さえあれば、退屈をするということもない。

 老齢となるまで妻も(めと)らず子もないメイガスは、どのような生き方をしようと、誰憚ることなく気楽なものだ。


 それに――とメイガスは思う。

 ギルドにはあの女吸血鬼がいる。


――あれはいい女だった


――とくに腰つきがたまらん


 この状況下で、のんきにそんなことを考えられるメイガスは、かなり豪胆な男だった。


――カダフィーは、今でも若いままの見目なのじゃろうな……


 自分は歳老いてしまったが、不死者であるカダフィーの外見は変わらないはずだ。そう考えてメイガスは口元をほころばす。またあの女吸血鬼を口説いてみるのもいいかもしれない、と。

 見かけによらずカダフィーの身持ちは固いが、それなりに脈はあるのではないかとメイガスは見ている。

 どうにもならないようなら、飲みに誘って薬の一服でも――と考えたところで、はたと気づく。


「おお……吸血鬼には薬剤など効かぬか……」


 残念そうにつぶやいてメイガスはうなだれる。


「いや……」


 独り言をつぶやき、さらに考える。

 睡眠薬などは無効だろうが、媚薬のたぐいはどうであろうかと。


 そんな、ろくでもないが心躍る思考にかまけていたメイガスは、


「む……」


 妙な気配を感じて顔を上げた。

 何者かが、遠方からこちらへと駆けて来ている。尋常ではない速さだ。おそらく人間ではない。

 方角は西から。数は二つ。位置関係を考慮するに、トスカナ砦からグラシェールへと向かっているのだろう。

 巧妙に魔力を隠匿してはいるが、高速で移動しているためか、完全には気配が消しきれてない。


――魔族か……


 それも雑兵ではない。かすかにではあるが、肌を刺す圧迫感がまったく違う。


「クッ……」


 メイガスは口早に呪文の詠唱を開始する。現状、彼はまったく身動きが取れない。相手の力量にもよるが、先手を取って殲滅出来なければ、その場で詰む可能性が高い。

 取れる最良の選択肢は、持てる最高の術で機先を制すことだろう。


 相手に見つかってしまう前に、呪文を完成させられるかどうか。そこが生死の分かれ目と言える。

 焦りを抑え、平静を保ち意識を集中する。舌がもつれぬように、しかし最速を心掛け、力ある言葉を詠じる。


 相手もすでに、メイガスの存在を気取っているようだ。迷うことなく一直線にこちらへと向かっている。

 老魔導師の目が、荒野の先から走り来る影を捉えた。――それは、予想に反して三つの人影だった。

 事前に感じられた気配は二つ。残る一つは視界に入ってなお、完全に気配を絶っている。その人影は、女のもののようだった。長い髪を後ろへたなびかせ、輪郭すらもが端正な、とてもたおやかな美影。その、長身だがほっそりとした影を守るように、二つの人影が前に立つ。


「――何者だ?」


 メイガスへと投げられた誰何(すいか)の声は、老いたものだった。

 距離を置いて立ち止まった三人は、メイガスの手の中で輝く竜珠を警戒しているようだ。


「ふう――」


 メイガスは安堵の息をもらした。


「なんとか間に合ったか」


 老魔導師の掌にある竜珠は、すでに赫熱(かくねつ)の色を(とも)していた。


「答えよ。そなたは何者だ?」


 ふたたびの誰何に、メイガスは問いで応じる。


「そなたらは、魔族じゃな?」


 相手は即答せず、探るような間を置いた。

 メイガスは否定の言葉が出てこぬ時点で、それを肯定の意に(とら)えた。


「ならば――」


 胸元に掲げた竜珠が、赫熱の煌めきを増す。


「ならば、どうするというの?」


 大気を震わせたのは、女の声だった。

 耳に心地好い、それでいてどこか憂鬱(ゆううつ)に沈んだ、非常に美しい声。

 しかし、メイガスの敵意に呼応するかのように、女から凄まじい極寒の魔力が(あふ)れでた。


「――――ッッ!?」


 そのあまりの圧力に、メイガスは竜珠の力を解き放つ。言葉を返す余裕もない。


「白蓮様!」


 二つの声が重なった。

 燃え上がった赫熱の炎に、長身の女が照らし出される。女は細い腕を振り、執事姿の男二人を下がらせた。

 みずからの魔力障壁を、あまさず舐め尽くそうとする業火のなかで、女は切れ長の目を細める。


「これは……」


 無限永劫火。――太古の導師達が辿り着いた魔道の深奥(しんおう)。たゆまぬ研鑽の果てに編み出された、永劫の炎。――それは、メイガスの知り得る最高の魔術だ。

 たとえ相手が爵位の魔族であろうと、容易に逃れることは不可能だ。

 一度(ひとたび)破られはしたが、おのれの術に対する自負は揺るがない。

 前日にまみえた雷を操る魔族は、あまりにも規格外な化け物だった。そのような存在と、連日遭遇するとは考えにくい。


 しかし――


「人間の扱う魔術というものは、なかなか綺麗なのね」


 囁くように告げられた女の言葉に、


「き、綺麗……?」


 メイガスは愕然とする。

 魔力障壁を()き尽くす赫熱の業火を、そのように評した者は初めてだった。


「な――なんなのだ、そなたは? それは一体……」


 どのような余裕なのか。

 女が白い(かいな)を赫熱の炎に伸ばした。すると――あまりにも美麗な手に触れられることを怯えるかのごとく、炎が震える。そして恥じらうように、たゆたい消え入ってしまった。


「これは……たまらん」


 目を剥いたメイガスから、呆然とした声がこぼれた。


「この世は化け物で溢れておるのか?」


 女の足元から、真っ白な霜が拡がっていく。


「儂が魔道の深淵だと思うておった場所は……知識の浅瀬でしかなかったのか……」


 氷の軋む硬質な音を響かせながら、大地を浸蝕する凍土がメイガスの足元に到達する。


「道は遠く、見果てぬ先にも……まだなお続いておるのだな」


 感覚の失せた両足が、白く染まり――ひび割れる。

 そして、失意の声すらもが凍りつく。


「ああ、無念だ……」



 それが、魔導師メイガス・マグナの最期の言葉となった。

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