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氷の滅慕  作者: SH
五章 絶愛
132/251

凍夜変転(前)



 夜もふけ、トスカナ砦の大広間では、軍議をかねた戦勝会が催されていた。室内には幾脚(いくきゃく)もの食卓と椅子が運び込まれ、数十名に及ぶロマリア軍の隊長達が振る舞われた料理に舌鼓を打っている。

 それは、贅を凝らしたとはいえぬが、戦災の爪痕(れっ)するエルテフォンヌの現状を考えれば、充分に豪勢な食事といえた。

 とはいえ、一見和やかな様子の戦勝会も、だがその実、奇妙な緊張感を帯びていた。


 原因は、アルフラである。


 場の上座には、今回の戦いで最大の武功をあげたアルフラの席が用意されていた。しかし、そのほっそりとした姿はそこにない。

 アルフラは一人、石壁に背を預け、考え事でもするかのように瞳を閉ざしている。あえて近寄る者もいなかったが、すべての者が内心では、その挙動に注視していた。

 ロマリア人達は恐ろしかったのだ。彼らのほとんどは、戦場でのアルフラを見てしまっている。この少女がレギウスから遣わされた味方だとは知ってはいても、それこそ、いつ喰らいついてくるか分からない悪鬼の前で、食事をしているかのような印象が拭えない。

 ルゥでさえも並べられたご馳走に集中出来ず、アルフラの方をちらちらとうかがい見ている。


「アルフラさんは……どうしてしまわれたのでしょうか」


 壁際にたたずむアルフラに目をやり、フレインがぼそりとつぶやいた。


「アルフラちゃんの悩み事っていえば、白蓮て人のこと以外ないだろ」


「ええ、そうだとは思いますが……なにか今までとは様子が違うような……」


「アルフラちゃんはふさぎ込むときがあっても、だいたい一晩寝ればケロッとしてる。きっと今回も……」


 そう希望的な予想を口にし、シグナムは苦そうに火酒の杯を傾ける。勝ち戦のあとで酒がまずいなどと感じるのは、初めての経験だった。


「だといいのですが……」


 辛気をただよわせたフレインが、大きく息をはく。


「それにしても、あの方はどういったつもりなのでしょう……」


 視線の先では、大皿に様々な料理を盛ったアウラが、しずしずとアルフラへ近づいていく。そして皿を指さしながら、何事か話しかけているようだった。おそらく料理の説明などをしながら、口に合うかと尋ねているのだろう。

 だがアルフラは、見向きもせずにうつむいている。言葉が届いているのかもあやしいほど、物思いに没頭しているようだった。


「あまりアルフラさんを刺激しないで欲しいのですが……」


「ならそう言ってこいよ」


 シグナムは投げやりな様子でため息をつく。


「いくらアルフラちゃんでも、うっとおしいからっていきなりあの女に斬りかかることもないだろ」


 そして、とてもありそうな恐ろしいことを言う。


「まあ、相手があんたなら分からないけどね」


 フレインは乾いた声で笑い、深く肩を落とす。


「無いとは言い切れないところが悲しいですね……」


 それきり黙り込んでしまったフレインの隣では、ジャンヌが旺盛な食欲を見せていた。ここ数日、味気のない兵糧しか口にしていなかったため、しっかりと味付けのなされた食事がたいそう嬉しいようだ。正面の席では、微笑ましげな顔のアルセイドが、じっと神官娘の食いっぷりを眺めている。完全に恋する青年の目だった。


「どうでしょう。エルテフォンヌの郷土料理はいかがですか?」


 もにゅもにゅと口を動かしていたジャンヌが顔を上げた。返事を待つアルセイドを見ながら、口の中のものを嚥下しおえてから答える。


「食事中の女性をまじまじと見つめるのは失礼ですわ」


「申し訳ありません。ですが無心に食すジャンヌ姫があまりにも可憐で、ついつい目がいってしまうのです。どうかお許しを」


 直裁な褒め言葉に、ジャンヌの顔がかすかに上気する。そして、照れを隠すようにアルセイドをにらみつける。


「ふ、ふんっ、もう少し作法というものに気を遣っていただきたいものですわ」


 そのやり取りを聞いていたシグナムは、いろいろとつっこみたいところではあったが、面倒なことになりそうなのでやめておいた。アルセイドの隣には、険しい表情のオクタヴィアが座っていたのだ。どうやら兄が、ジャンヌへうっとりとした目を向けていることが気に入らないらしい。シグナムでなくとも、じき一悶着起きることは想像に(かた)くない。


 やや苦笑気味のフレインがシグナムの杯に(しゃく)をしたとき、戸口から覚えのある妖気がただよってきた。

 足音もさせず忍び寄るように、いつの間にかカダフィーがそこに立っていた。


「戦勝会をやっていると聞いたんだけど……なんだい? ずいぶんと辛気臭いねぇ」


 女吸血鬼がするりとフレインへ近づくと、気を利かせた騎士の一人が椅子を運んで来た。それに腰掛け、カダフィーはフレインに尋ねる。


「砦の衛兵が言ってたんだけどさ、あの嬢ちゃんが侯爵位の魔族を倒したってのは本当かい?」


「ええ」


 半信半疑といった顔のカダフィーへ、フレインは頷いてみせる。


「侯爵位の魔族、氷膨は討ち取られました」


「そうか……」


 一言つぶやき、カダフィーはアルフラを見やる。その目は警戒心の強い猫のように細まっていた。確固たる理由はないが、漠然とした不安と危惧が去来する。――じきにアルフラは、何かとてつもない災厄を呼び寄せるのではないか。

 人に忌まれる吸血鬼ですら、今のアルフラにはそういった不吉さが感じられた。

 やはり、ゆくゆくはアルフラを幽閉しようと考えていたホスローは、正しかったのだと確信する。


「まさかそこまで力をつけているとはね……」


 早めに殺しておくべきだったかも、というその後の言葉は飲み込まれた。


「カダフィー?」


「いや、なんでもないよ」


 女吸血鬼は感慨深げにため息をつき、口の端をゆがめた。


「それにしても……えらく物騒な気配を(かも)してるね。氷膨って奴の血を飲んで、満ち足りたって感じじゃないようだけど?」


「それは分かりません。私にはなんとも……」


 話の流れを変えようとするかのように、ところで、とフレインはつづける。


「あなたの方はどうでしたか?」


「だめだね。黒死の病が猛威を振っててさ……かなり苦労して、(くだん)の術師を見知っているって婆さんを見つけ出しはしたんだけどね。そいつがここ最近、故郷に戻ったなんて聞いたこともないって話だ」


「そうですか」


 ならばその術師は、フレインが言い含めた通り、生まれ育った町へは戻らずラザエル皇国へと逃げたのだろう。

 これでホスローの行方に関する手がかりは、完全に(つい)えたことになる。表情には出さないように気をつけ、フレインは深く安堵する。


 神ならぬ身では知る(よし)もないが、先ほどカダフィーの感じた危惧は、すでに現実のものとなっていた。アルフラの手によりホスローが滅せられるという、彼女にとっては最悪の形で。


 人ならぬ身であるホスローとカダフィー。世俗から忌避さる存在といった意味では、よりアルフラに近い彼らならば、アルフラが持ちえるであろう資質に気づけたのかもしれない。もしも復讐に固執しなければ――(あだ)である凱延を倒すための駒に出来ると、見誤りさえしなければ。彼らなら現状を回避しえたのかもしれない。





「残念ですね。今後あなたはどう動くおつもりですか?」


 なにげなさをよそおいフレインはそう尋ねた。


「そうだね。とりあえずはレギウスに帰るよ。まだ手がなくなった訳じゃないしね」


「なにか他にあてがあるのですか?」


「もちろんさ。なんのためにロマリアまでジャンヌを連れて来たと思ってるんだい」


「……え?」


 フレインは思わずジャンヌへと振り返る。神官娘も自分の名が聞こえたらしく、揚げ物を頬張ったままカダフィーの方を見ていた。口をもきゅもきゅさせながら、なんでしょう? といった感じに首をかしげている。

 ホスローを誰が殺したかはジャンヌも知るところであった。が、そのことを他言しないとジャンヌは誓っている。彼女の性格から考えて、一度口にした約束を(たが)えるようなことは決してしないはずだ。フレインもそういった点においては、ジャンヌを信用している。


「どういうことです? ホスロー様の行方とジャンヌさんがどう関係しているのですか?」


 意味を計りかねたフレインが、疑問の目をカダフィーへ向ける。

 女吸血鬼はにやりと笑った。


「あんたらはさ、ロマリアへ出発する朝、迎えの馬車がいつ宿舎へ来るかを、ジャンヌには教えてなかっただろう?」


「え、ええ……」


 しかしジャンヌは、ちゃっかりとその時間にやって来た。旅に必要な荷造りを済ませて。

 当時フレイン達も不思議に思ったのだ。


「あれはね。私が教えてやったんだよ」


 なぜ、と言葉が続かず、フレインは唖然とする。その横でシグナムが、余計なことしやがって、と毒づいていた。


「私はレギウスを発つ前に、ジャンヌへひとつ頼み事をしたんだ。でもあっさり断られちまってね。だから、いろいろと恩を売ろうとしたわけさ」


 話の概要も見えないというのに、なぜかフレインは、乾いた焦燥感を覚えた。あまりよくない兆候だ。


「なにを、頼んだのですか?」


 おそらくホスローを捜索する上で、なんらかの協力を要請したのだろうとは予想が出来た。しかし現実問題として、フレインは死体も目撃者も残していない。アルフラがホスローを殺したという事実は、いまさら何をどう足掻こうと明るみにはならないはずだ。そこへたどり着く手がかりすら、念入りに排除したのだから。

 そんなフレインを嘲笑うかのように、カダフィーは艶やかに口角を持ち上げる。


「神頼みってやつさ」


「神頼み……?」


「そう。ホスローを捜すための材料があまりにも少なかったからね。消えた術師だけじゃ、手がかりとしては細すぎるだろ?」


「たしかに……」


 かろうじて同意の言葉を発したフレインへ、女吸血鬼は得意げに肩を反らす。


「だからね。神王レギウスの神託を貰えるようジャンヌに頼んだのさ」


「な……!?」


 絶句したフレインの驚愕を、カダフィーは違った意味合いに取った。


「吸血鬼が神に頼るってのも……まあおかしな話だけどね。これなら確実さ」


 フレインはギルドの会合で、ロマリアに行くことを受諾したカダフィーが「一晩もあれば用意が出来る」と言っていたことを思い出した。その時は単純に、長旅なのでカダフィーにも、それなりの仕度が必要なのだと思っていた――しかしおそらくは、ジャンヌへ渡りをつけるための時間が欲しかったのだろう。


「……だからあなたは、あっさりとロマリア行きを承諾したのですね?」


「当然さ。私は言ったはずだよ。どんな手を使ってでも、ホスローを捜し出すってね」


 上手く言いくるめたつもりが、カダフィーにもそれなりの考えがあったのだ。百四十年もの時を()た不死者を出し抜くには、自分の経験は足りなすぎたのだと痛感する。カダフィーは外見こそ、フレインと変わらぬ歳の頃に見えるが、そのじつ中身は老獪な吸血鬼なのだから。


「ですが……いくら神族といえど、そんなことが可能なのでしょうか……」


「神王レギウスの持つ宝物(ほうもつ)の中には、界央の瞳と呼ばれる魔導具があるらしいからね。そいつを使えば、この世のどんな場所でもつぶさに見てとれるらしい。数ヶ月前の過去視ていどなら出来るはずさ」


 もはや隠しようもなく、顔から血の気が引くのをフレインは感じた。それを火酒の杯を干すことでごまかす。


「あっ、おい。それあたしの……」


 未練がましいシグナムの視線を気にかける余裕もない。

 フレインは強張った表情をジャンヌへ向ける。


「そのようなことが……レギウス神から神託をいただくなどといったことが、本当に出来るのですか?」


 神官娘は少し気まずげに答える。


「おそらく、父を通して大司祭さまにお願いすれば、引き受けていただけるかと思います。ダレス神の司祭枢機卿から乞われれば、大司祭さまも無下には出来ないでしょうから」


 そこでジャンヌは言葉を句切り、カダフィーをきつい目で睨む。


「ですが本来、信仰とは見返りを求めないものです。神々がおのれのご意思を伝えるのが神託であって、信徒が願い出るべきものではないのですから」


「なにを今さら。あんたにはずいぶんとよくしてやったじゃないか」


 カダフィーはせせら笑う。


「あんたに渡した魔導書の中にはね、この世に数冊しかないような貴重な品もまじってるんだよ」


 それに、とカダフィーは声を潜める。


「ダレスの神官が不死者から魔術を学んだなんて知れれば、大変な醜聞になるんじゃないのかい」


 ジャンヌは、ぐっとうめいて言葉に詰まる。


「そ、それは……」


「聞いたよ? あんたは魔族を倒せるほどに治癒魔法の腕を上げたんだろ。それは誰のお陰だい?」


「うぅ……」


「いや、倒しちまうようじゃ治癒魔法とは言えないだろ。ジャンヌ、こんな奴の言うことなんて聞かなくてもいいぞ」


 話がまずい方向に向かっていると察し、シグナムが助け船を出した。


「だいたい神族だって、すべてお見通しってわけでもないだろ」


 そこはジャンヌが強く否定する。


「いいえ! 偉大なる神王レギウスに不可能などありません!」


 シグナムは、お前はいったいどっちの味方なんだ、という目でジャンヌへ圧力をかける。しかし、


「たとえシグナムさまであっても、これだけは譲れませんわっ」


 ジャンヌの信仰心は(かたく)なである。


「じゃあその証拠を見せてもらわなくちゃならないね」


 カダフィーが喜色を浮かべた。


「い、いえ……それとこれとは……」


 困り顔のジャンヌが辺りを見回すと、思わぬところから救いの手がさしのべられた。


「レギウスの方々、少々よろしいか?」


 ディモス将軍である。別卓を囲み、軍議を行っていたアラド子爵とヨシュアを連れて、フレイン達の前に歩みよってくる。

 カダフィーへ向かい一礼し、ディモス将軍は口を開た。


「急な話ではあるが、こちらのヨシュア殿は明日にも上都への帰路につくそうだ」


 そのあとをヨシュアが引き継ぐ。


「私は一刻も早く、女王陛下に戦いの首尾をご報告さし上げねばならないからな。そこで、あなた方には是非ともご同行を願いたい」


 フレインと目を見交わしたカダフィーが答える。


「だったら名代としてフレインを連れていくといい。私は遠慮しておくよ。早くレギウスに戻らなければならないのは、こっちも同じだからね」


 そう言ってジャンヌへと顔を向ける。


「もちろんあんたも私と帰るんだよ」


「むぅ……」


「残念ではあるが無理強いは出来ませんな」


 それほど残念ではなさそうにヨシュアは応じた。

 出来れば吸血鬼であるカダフィーと、宗教的に揉めそうなジャンヌには来て欲しくなかったのだろう。


「他の方々はどうなされる?」


「そうだね、あたしは――」


「あたしは行かないわ」


 シグナムが言いかけたところで、アルフラが言葉を被せた。

 会話の内容が聞こえたのか、かしづくようなアウラを引き連れてアルフラが歩いてくる。


「いえ、アルフラ殿は今回の戦いにおける最大の功労者だ。あなたには是非とも、女王陛下と面会していただきたいのだが」


「ヨシュア殿の言われる通りだ」


 ディモス将軍は、武骨な顔に笑みを浮かべる。


「そなたは侯爵位の魔族を倒した。報償も思いのままであろう。宮廷に身を寄せる吟遊詩人達は、アルフラ殿のご活躍をこぞって歌い上げよう。そしてその歌は、長く後世に伝わるはずだ。それ程の偉業を、アルフラ殿は成したのだからな」


「興味ない」


「いや、しかしそれでは我々の――」


「くどい。あたしは行かない」


 二度も同じことを言わせるなとばかりに、アルフラは瞳に冷たさをにじませる。

 たじろいだ様子のディモス将軍へ、アルフラの背後からアウラが声をかける。


「無礼ですわ。アルフラ様をわずらわせるなど、身の程をわきまえなさい」


「な――!? その言い様の方がよほど無礼であろう!」


 アルフラと同じく冷えた目で侮蔑を伝えてくるアウラへ、ディモス将軍は険悪な視線を投じる。


「いえ、アウレリア様の言われる通りだ」


 ヨシュアが両者の間に割って入る。


「大恩あるアルフラ殿へ、私達の都合を押し付ける訳にもいかない」


「しかし――」


 なおも言い募ろうとしたディモス将軍を、ヨシュアは軽く手を挙げて制す。


「アルフラ殿もやはり国へと帰るのですか?」


「あたしは、グラシェールへ行くの」


「えっ!?」


 これにはシグナムとフレインが――いや、その場に居合わせた全員が慌てた。


「待たれよ! いまグラシェールには――」


「とんでもない数の魔族が押し寄せてるって話じゃないか」


 詰め寄ったディモス将軍とシグナムにつづき、ヨシュアが(さと)すように語りかける。


「アルフラ殿。あまり命を粗末にされるな。魔族の捕虜から得た情報が正しければ、グラシェールの山頂部は消し飛び、神域自体が消滅したと聞いている。現在あの近辺には、幾人もの魔王が徘徊しているはずだ。――そのグラシェールへ向かうなど、無謀としか言いようがない」


「そんなはずありませんわ!!」


 ジャンヌが凄まじい形相で叫ぶ。


「グラシェールの神域には、戦神バイラウェが降臨なされているのですよ! 万が一にも魔族に遅れを取るなど有り得ません! あまりにも不敬ですわ!!」


 その剣幕さにやや気圧されながらも、ディモス将軍が首を振る。


「だが、ジャンヌ殿。このトスカナ砦で捕虜となっていた者達の中にも、その目でグラシェールの変容を見たという者が多数おるのだ」


「あの……私も見ました」


 アウラが伏し目がちに口を開いた。

 苛烈な怒気を放つジャンヌを気にしつつも、


「嵐が過ぎ去ったあと、グラシェールの上空に堆積(たいせき)していた粉塵が、風で一掃されていたのです。確かに山頂部分が大きくえぐれて、全体の三分の一近くが失われていました」


 アウラは見たままの事実を述べた。

 ディモス将軍も深く頷く。


「いずれにしろ、明日になれば(おの)が目で確認出来るはずだ」


「な? 聞いたろ、アルフラちゃん。いくらなんでも無茶だって。グラシェールってのはね、この大陸で一番でっかい山なんだよ。その形を変えちまうような魔族が、あそこには居るんだ。どうにもならないって」


 しかし、だからこそアルフラは、グラシェールへ行きたいのだ。


「強い、魔族が必要なの」


 表情を変えることなくアルフラは言う。


「もっと、強い魔族じゃないと駄目なの」


 氷膨ですら、白蓮には子供のようにあしらわれていたのだ。侯爵位の魔族程度では、いくら喰らったところで届かない。


「いや、だからアルフラちゃん。相手が強すぎるんだって。それに数も半端じゃないはずだ」


 はたして、勝てるのだろうか? という疑問は、無い。そんな考え自体が皆無であった。

 人として最も大切な、自己保存の本能が、いまのアルフラには欠け落ちていた。

 死に物狂い、という言葉がある。そういった意味において、アルフラは正しく狂っていた。


「アルフラさん……」


 フレインは、戦いのあと感じつづけていたアルフラの変化の意味に、ようやく気づいた。

 あまりにも、余裕がないのだ。なぜか、異常なほど性急に事をなそうとしている。


「いくらなんでも無理です。戦いというものは、一日(いちじつ)にして成るようなものではありません。もっと腰を据えて、ゆっくりと……」


 その言葉は途切れる。

 なにが逆鱗に触れたのか――これまで感じたこともないような、凄まじい殺気がアルフラから向けられていた。

 細い体から凍えるような気配が吹き出し、逆にフレインの全身からは大量の汗が噴き出した。

 室温は一気に下がり、真冬でも感じたことがないほどの寒気に、すべてのロマリア人達が身震いをした。

 その元凶、冷気漂わせるアルフラの背後では、アウラがひざまずき(こうべ)をたれる。

 誰もが身じろぎ一つ出来ない中、ジャンヌだけが平然とアルフラに賛同する。


「わたしもグラシェールへ行きますわ! バイラウェ神が魔族などに遅れを取るはずがありません!」


 そしてジャンヌはアルフラの冷たい手を強く握る。


「神に仇なす者を誅する聖戦へ、ともに参りましょう。魔族共のことごとくを滅するのです」


 その言葉に、アルフラはやや表情をやわらげる。


「うん、行こう」


 そして瞳には暗さが増した。


「グラシェールにはきっと魔族がいっぱいいるわ」



 たがいの手を取り、微笑みあう二人を――ロマリア人達は茫然と眺めていた。狂人でも見るかのような目で。

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